5/8

先週末とても暑かったのでここだと思い、知人にもらった朝顔の種をまいたけれど、それから気温がまた下がってしまって、上手く芽が出ないかもしれない。朝顔にわるいことをしてしまった。参加する気満々でいた文フリ香川の抽選落ちの連絡が来たり(この手の抽選には滅多に落ちることがなく、思いがけず悲しかった)、低気圧で頭もぼんやりして、前屈みの連休明け。

ゴールデンウィーク中は妹や友人が訪れてくれて、大きな池でボートを漕いだり餃子を焼いたり本屋と古本屋を合わせて三軒めぐったりして、天気も良くて楽しかった。楽しくて、急に一人の家には帰れないからふらふらと街を彷徨い、ハンバーグを食べ、図書館で買った本を読み、ようやく帰宅した。忘れたくないので書き留めたいが、書き留めると特別になっちゃって、ああした日がもう来なくなってしまいそうで、怖くて書けない。みたいなことがままある。一人で鬱々としていた日や、うまくいかなかった日の方が、かえって気楽に記録できてしまう。30年経って全部忘れた頃に読み返したら、私のこと気の毒に思うだろうか。はてブロのサービスはそれまで続いてるのか。

4/25

サイゼリヤで飯を食った後、自習室に向かう途中、酒屋の前あたりに車が停められているのをみた。付けっぱなしのヘッドライトが植木の根本あたりを照らしていて、そこに群がっているシロツメクサが妙に煌々として、印象に残った。月とシロツメクサが同じ要領で照らす夜。今すごく一人でいることが必要だと感じる。ただの気分かもしれない。

4/24

昨日、心についてあれこれ話しすぎた反動で今日は誰とも話したくなく、とにかく無心で手を動かし続けられる仕事を選んで黙々とやっていた。合間合間にSNSをながめる。広報担当なので業務のうちと堂々たるものである。ちょっと憧れている東京の版元が求人広告を出していて、一瞬スクロールの手が止まる。エレベーターホール前でひょいと呼び止めて、「来月辞めます!」と告げたとしたら。いとも簡単に溜飲が下がり、もとの仕事に戻った。

明日か明後日、週末が来るまえにコート類をクリーニングに出してしまいたい。

4/23

河岸を変えて夜もふけ、皆疲れてそれぞれのコップの水面を眺め出すくらいの時間に、私より30年上の人が、ちょっと思い切った感じで寂しさについて話しだして、ぱちりと目が覚める。一つ前の店で古い映画の話題がしばらく続いたとき、少し寝ておいてよかった。とはいえ家族もいて二人の子を大学卒業まで育て上げた人の寂しさにはそれなりの迫力があり、到底真正面から受け止められない。「若い頃はあなたみたいに、ひとりでいるのが一番気楽だったんですけどね」と。そこはあくまで若者らしく、わかんないなー!と元気よく言ってレッドエールを飲み干し、30という数字について考えた。30秒、30分、30m、30年。そういえば、2030年には地球が急に寒冷化するらしい。最近陰謀論にはまっている知人が教えてくれた。

3/8

直近の仕事は自分で自分が気の毒になるほどの散々さで、大人というのはもう本当に勝手だ。自己憐憫と保身の繭で、目の前がどんどん白くもわもわに、視界不良になっていたのだが、目下困らされている会ったこともない、顔も知らない人たちが、自分への悪口を陰で囁きあっていた記録を覗き見てしまい、なんだかかえってせいせいした。そら一瞬はズドンと凹み、コピー機の陰でうずくまったけど。私は私の責任範囲において、できることをできるだけやればいいのだと割り切れた。

不当な目にあっている、と感じる時、私はとにかく冷静にわめき続ける。感情的にならないよう控えめなボリュームを心掛けつつ、「かわいそうじゃなーい?」と言い続ける。はしたないことだと思うけれども、人に優しくしてもらう絶好のチャンスに少しはしゃいでしまうんである。今度もやっぱり周囲の同僚たちにうだうだと愚痴をこぼしていた。そりゃひどいやねーと相槌を打ちながら、ちょっといいお菓子をくれたり、子ども連れてきて遊ばせてくれたり、花見の予定を作ってくれたりと、十分すぎるほど十分ないたわりを受け、わたしは心底満足し、顔をてらてらさせている。

実際にはまだ何っっっっにも解決しておらず、実は明日が正念場。本当に? 自分の心に適わないことをなるべく言ったりやったりしない。まずはそれだけ意識する。

2/27

知恵も知識もなく特別な努力もできない代わりに、できる限りの範囲において真心と誠実さを注ぎ込んだ仕事がほぼ片付き、さびしい。もう少し達成感があるものだと思っていたが、できるまでの間に不測の事態がないか不安だし、もっとできたことが沢山ある気もするし、とにかくさびしい。出来上がる頃にはきっと別の仕事に頭を占められているのだから、なんだか。でもよかった、とにかくひと段落した。

三連休は3日とも、職場の上司の留守に忍び込み猫二匹の世話をした。これまでの、そしてこれからの人生の中でも、かなり上位に食い込むくらいきらめく経験だった。たった数日餌と水を用意し排泄物を処理するだけの私を玄関まで迎えに来たり、伸ばした手に眠たそうに頭を擦り付ける、現金で素直なかわいさに圧倒された。見習えるものではないが、見習いたい。二匹は明らかに性格も好みも違っており、それぞれに相応しい付き合い方があり、こういうことを私は初めて身をもって知った。ソファの下からこちらの様子をうかがいつつ絶対に触られたくなさそうなかれらに心底共感し、自分を省みもした。これまで小さいものに構いすぎて何度も嫌われてきたが、猫たちに教えられやっと自制を覚え始めた。

この時期は人がびゅんびゅん行き交うから、決まったタイミングに間に合わせなきゃいけないことが多く、でも結局間に合わなかったり、その一方新しいことも始まったりして、季節の予感でとにかく疲れる。うかうか寝てられないと思うから益々眠くなる。知らない家の光の中に猫と戯れ、そのまま時間が止まって、誰もいなくならないでほしかった。

2/20

夜中に髪を切る、にしても、裸でハサミを使う、にしても、どこかの国の迷信にあるだろうなと思いながら、風呂上がりに前髪を切った。母の眉間による皺もこの刃先まではもはや届かないのだわと、高野文子を思い出し、やや高揚する。週末、上司が留守にしている家にしのびこみ猫を世話しにいく用事がある。楽しいか楽しくないかを滅多に考えないくらいには毎日楽しい。これはもうずっと、昔からだ。