2021年-そうだ 恐山、行こう④ 「蕪島から八食センター」-
『皆さんが静かになるまでに78日かかりました』
ブログを更新するまでに78日。
言い訳をさせて貰えれば、あれからすぐ携帯を変えたから画像データが無くて更新するのも億劫になっちゃうのよ…
とりあえず完結まで急ごう。
朝一八食センターへ向かおうと思いチェックアウトする。
その際にタリーズの券を貰ったからコーヒーを飲む。
気が付けばマックスコーヒーしか飲めなかった俺がブラックしか飲めなくなっていた。
Googleマップをセットしたが、ここであることに気づく。
気合い入れて7:30に出たが、八食センターは9:00オープンだった。
市場って朝5:00くらいからやってるもんだと思ったよ…
蕪島に来た。
人生では2回目
つーかめっちゃ天気いいな
とりあえずカモメが多かったのと糞がめっちゃやばかった。
ブリブリ爆撃されまくっていた。
とりあえず世界平和を願い、蕪島を後にした。
が
道端にヒラメが落ちていた。
謎だ
八食センターに着いた!
一目散に向かったのは
ゲームコーナーに向かった
わけでは無く、トイレに行ったらあった。
なかなか懐かしいラインナップだ
まぁ、美味かったよ
中は想像してた感じでは無かったけど、見てるだけで楽しかったよ
とりあえず恐山に向かうことにした
続く
2021年-そうだ 恐山、行こう③ 「ボーダーライン」-
『落ちてる金は拾う主義』
八戸市内に着いた時点でおそらく20時は回っていたと思う。
当初の予定ではこのままホテルに向かって温泉に入り、みろく横丁で飲んで
あわよくば隣のおねぇちゃんと…………
だが、俺は高橋啓介もビビるくらいのドリフトをぶちかまし、○ハンの駐車場に車を止めた。
久々に車から降りたというのもあってストレッチをした。
オリンピックで浮かれている奴らからしたら
パチスロを打つ前にストレッチをするなんてアスリートに見えたことだろう。
これはBITAOSHI JAPANとして見せつけてやるしかあるまい。
俺は意気揚々に店内に入った。
俺はあくまで期待値稼働。打てる台がなければそそくさとホテルに向かうつまりでいた。
5号機は回らず、6号機も即やめ。
南国育ちに何人か若い人がいたけどきっと難しいだろうな。
それと南国はランプ切れ即やめだった。
個人的にはランプ切れ即やめはやめた方いいと思う。
一通り店内回ったが、打てそうな台はなかった。
1パチのタロウ600が落ちていた。
期待値は+で出るけど回転数わからんし現金だし時刻も20時半だし
普段なら打たない。
だが、時間もギリ間に合うし俺は着席した。
タロウ打つ機会いままでなかったしね。
もし道端に10円落ちていたら拾うか?
これは人によって意見が分かれると思う。
普通に拾う人、一人でいたら拾う日、10円なんて拾わねーって人。
これがもし1円だったら?100円だったら?
俺の完全な偏見だと、ギャンブルにおいて勝ち負けにこだわりのない人であれば
拾わない人が多いと思う。
理由はいろいろあるが俺はそう感じる。
俺は落ちている金は拾う主義だが、女性といたら拾わないかも…
淡々と打ち続け、遊タイムに突入させ、なんだかんだホテル代に少し足りないくらいまで+に持ってく。
飯代だな。
そこから15分くらい走らせ、今日の宿のドーミーインへ向かう。
温泉ついてるし洗濯機使えるしトイレも独立だしなかなかいいホテルだよね。
22時半くらいだったが、とりあえず旅の疲れをいやすために温泉へ。
露天風呂は最高だ。
この国で合法的に屋外でフルチンになれるのは露天風呂くらいだろう。
23時を少し回ったが、俺はみろく横丁へ飲みに行くことにした。
ホテルから歩いてすぐの位置にあるし立地はめっちゃいい。
だが、やってる店も少ないのと、席数も少ないしこの時間だしほかの客で盛り上がってる中
単身で飛び込む度胸もないし、びびったのでなか卯でテイクアウトして
コンビニで酒買って部屋で飲むことにした。
まぁ、ホテルで飲むのも悪くねえしな。
統括すると移動してパチンコ打って俺の1日目は終了した。
続く
2021年-そうだ 恐山、行こう② 「三陸道」-
『俺が成長したのか?』
朝起きた俺は車に乗り込んだ。
本当は愛車「サタデーサイレンス」で恐山まで向かおうと思ったのだが、ドン引きするくらい後輪タイヤがすり減っていた。
現代社会に例えるなら62連勤中のサラリーマンの心情くらいすり減っていた。
大人しく車で向かうことにした。
この旅のメインはあくまでも恐山だが、せっかくなので色々考えた結果
出発→八戸で1泊→八食センター→恐山
の青森満喫ツアーへと昇華した。
まずは八戸へ向かうルート
① 東北道→4時間前後 (最速)
② 三陸道→5時間半前後(通行料低)
③下道→??????????????(ガソリン代のみ)
最初はバイクで行ってネカフェに泊まるあの4年前と同じ道を辿ろうと思ったのだが、しんどいからホテル取った。
ホテル代考えた結果急いでも仕方ないから②で行くことにした。
途中パーキングにも寄りながら八戸へ向かう。
三陸道は極端にパーキングも無ければトイレも無い。
結構なロングドライブで色々と頭の中で考える。
仕事のこと、生活のこと、これからのこと、友達のこと、そして昔のこと。
あの時こうすれば良かった。あの時どうしてこうだったのか。
今を全力で生きていれば昔のことなんて気にしない。
気にする余裕すらもないのかも知れない。
俺は昔のことを思い出す事は嫌いではない。
むしろ好きかも知れない。
一生懸命悩んでも答えは出ない方が多いけどね。
今回の旅も昔と比べるとドキドキする感じが減った。童心に帰ってワクワクするような気持ちは薄くなった。
俺は考えた末に珍しく正解と思われる答えが出た。
俺は色々体験出来たんだと思う。
初めて1人で新幹線に乗った時、自分の席が合ってるのかどうかがめっちゃ不安だった。
初めて遠出した一人旅で行った京都では恐ろしくて飯屋に入れず、松屋で山形だし牛めしを食った。
初めて海外行った時の入国審査はめっちゃ気合いを入れて平常心を装った。
そんな初めての経験をさせてくれたのが旅行だった。
勝手がわからないからこそドキドキしたし楽しかった。
今は色んな経験をさせて貰ったからこそ、やったことがないことでもある程度の憶測がついたり、出来たりもする。
全く初めてってことの方が今じゃ少なくなったからこそだからなのだろう。
ただ旅行がつまらなくなったってことでは無くて
今までの経験を活かして
あれをこうしてこうすればこうじゃね?
って計画を立てるのが楽しいと感じるようになってきた。
今まで感じてた旅行の楽しさのレベルが
計画と旅行最中の割合が
1:9
だったのが
4:6
になった感じだ。
そんなことを考えていながら走り続け
夕日も落ちかけた頃に俺は八戸に着いたのだった。
続く
2021年-そうだ 恐山、行こう① 「高校生だった自分へ」-
20歳から社会に出て初っ端から己の甘さを実感した。
なかでも俺が1番最初に就職した店でオーナーに言われた今でも忘れられない一言がある。
俺の初任給は12万弱だった。
12時間労働、月6日休みで12万弱だった。
その給料明細を貰う時にオーナーに言われた
「掃除しか出来ないお前が貰う金額と5年やってるアイツと5000円しか違わないよ。」
恐らくオーナーは
「仕事出来ないお前にそれだけやってるんだから早く1人前になってね♡」
と伝えたかったんだろうが、この時代もはやそんな意味で受け取りはしない。
俺は即辞めた。
24歳の時初めて海外へ行った。
「賢明さなど犬に喰わせろ」
衝撃的なフレーズだった。
俺の中の書籍三大フレーズ
「賢明さなど犬にでも喰わせろ」
「お前は今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」
「死んだ犬は犬じゃない。犬の形をした肉だ」
マカオでカジノに行ったが、俺は賢明さを犬に食わすことは出来なかった。
25歳の時にめっちゃニートをした。
俺が悪いとこもあるが、あの時結婚しなくて良かったと思っている。
28歳の時に美容師を辞めた。
辞めるタイミングがあと1ヶ月遅ければ俺は国から100万貰えてた。
29歳と330日くらいの時に俺は20代を振り返った。
正着手では無かったかも知れないが、俺の選択に間違いは無かったと、充実した20代を歩めたと俺は思えた。
そんな20代も終わりを迎えようとしているからこそ何かやり残したことが無いか考えた結果2つ出てきた。
1つは四国。ただこの時期なので自重。
もうひとつが俺が高校生の時にみたまとめサイトの記事で
「存命中の友達をイタコに口寄せしてもらったwww」
みたいなタイトルだったと思うが、要は青森の恐山まで行って生きてる友達を死んだ体にしてイタコに憑依してもらおうって内容だった。
当時の俺は爆笑した
スレタイだけで面白かったが、内容も面白かった。
あの時は恐山に行こうとも思えないくらい青森県が遠い存在だったが、今の俺には十分行動範囲内だし
20代最後の旅行先は恐山に決めたのだった。
続く
2020年-小学23年生の修学旅行⑤「米沢」
福島に満足した俺は復路を辿ることにした。
調べたがやっぱり来た道引き返した方が早かった。
行きは3時間半かかったが、早い時間だったからってのもあるだろうし、4時間は見ようか💡
ただ何となく米沢に行くことにした。
この自宅待機中俺は花の慶次を読んだ。
最後は上杉と共に米沢に行き余生を過ごしたらしい。
まぁ、帰り道だし寄ってみるかって気持ちで行ってみた
上杉家の墓らしい。
とりあえず朝も早かったのでベンチで少し休憩した
木が凄かった。
1個貰った。
それから公園に行った。
それから公園に行きカラカラせんべいとキューピーを買った
せんべいの中にお菓子が入ってるやつ。
あとは弁当と芋煮を夜ご飯に買った
この牛肉どまん中弁当めっちゃ美味い
米沢牛では無いがめっちゃ美味い
山形の芋煮もめっちゃ美味い
全く自炊をしない俺が自分で作って食うくらい山形の芋煮は美味い
買うもの買って満足したし、今度は米沢メインでゆっくり来てもいいなって思った
続く
2020年-小学23年生の修学旅行④「鶴ヶ城」
鶴ヶ城に着いた!
目指すは天守閣!
一騎駆けこそ戦の花よ!
いざ馳せ参じる!
うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
しょうがないので中をブラブラする
俺がもし鶴ヶ城から徒歩10分圏内に住んでいたら休みの天気いい日に芝の上で酒を飲んでただろうな
城と自然を肴に酒を飲む
修学旅行引率の先生にはゴミのような視線を投げられる
家族旅行で何回か訪れたし、修学旅行でも訪れた。
昔は天守閣からいい眺めだとしか思っていなかったが
この年で訪れると視点が変わる。
芝をはじめ、植物の手入れもしっかりされているし
外観を損なわぬよう電線等も無い
地元のシンボルとされ地元に愛される。
昔、小学校の先生のお客さんと話したのだが
会津若松は小学生の子供たちを自主的に回らせるにはとてもいい街だと行っていた。
歴史的建造物も近くに固まって自分たちで行ける距離にあるし
何より街の人が修学旅行生慣れしていると言っていた。
子供たちも安心して回れるし、楽しい思い出も出来る
優しい街会津若松
桃も美味いし、福島は本当にいい所だよ
続く
2020年-小学23年生の修学旅行③「爆走!会津若松編」
ラーメンを食べ終わり時刻は9:40頃
この頃には大分気温も上がっていた。
結構朝方寒かったんだよね。
ナビで確認するが、どうしても自動車専用道路に案内される。
俺の110ccじゃ通れないので下道を走る
意外とそんなに遠くなかったね
それでも30分くらい走らせ、会津若松市内に入った。
実は俺の仕事して初めての出張先が会津若松だった。
仕事で来ている以上、動けなかったのだが
俺はどうしても会津若松のつばめに行きたかった。
今回その願望叶い店の前まで来たが
県外人お断りだった。
まぁ、どこもそうだよね
気を取り直し、俺は鶴ヶ城に行くことにした。
小6の修学旅行でも実際に行った。
俺は天守閣に登りたかった。
ここまで来ると看板で鶴ヶ城まで案内されるし、ナビも入れなくていいやと走らせる。
10分くらいで着くらしいし
気がつけば猪苗代湖にいた
広大だった。
どっかで曲がらなきゃ行けなかったのだが、気付かず直進してしまった。
どっちみち寄る予定だったしいいか
小型の船を出して釣りしてる人もいた
いいねぇ
で、実際小で6行った野口英世記念館に行こうと思ったが、めんどくさくなってやめたw
次は飯盛山に行こうと思い、走らせる
よく確認せず、相当山道をさ迷ったが、無事に到着
飯盛山といえば白虎隊
白虎隊といえば白虎刀
宮城県の小6男子に取ってこの木刀の白虎刀が修学旅行に行った証でありステータスになるのだ!
俺の同級生のクマサカはチバとの決戦に備え、夜な夜な白虎刀で素振りをしていたらしい。
もう一度その白虎刀を見たいと思い飯盛山に来たが、どこが山頂入口か分からなくて結局やめた
だって山道登りたくねーもんwww
そしてこの時点で13時を迎えていたのでさすがに鶴ヶ城に行かないとまずいと思い、急いで向かった
続く