はじめに
ウィーン・フィル(帝国王立宮廷歌劇場-Theater am Kärntnertor管弦楽団):1842年
ベルリン・フィル :1882年
ニューヨーク・フィル(Philharmonic Society of New York) :1842年
ヘルシンキ・フィル(ヘルシンキ・オーケストラ協会) :1882年
東京フィル(日本最古:いとう呉服店少年音楽隊) :1911年
マニラ交響楽団(フィリピン最古) :1926年
ケープタウン・フィル(ケープタウン市立管弦楽団) :1911年
香港フィル(第二次大戦を境に組織変更されているが、最古で見積もると):1895年
(データは全て日本語と英語のウィキペディアに基づく)
世界の無作為に思いついた10のオーケストラの創立年をウィキペディアベースだが、調べた。
世界中にはいくつオーケストラがあって、その成立にはどんな物語があるのだろうか。また、現在どんな活動をしているのだろう?そんな興味からこのブログを始めることにした。
上海交響楽団(2)その歴史
上海交響楽団(以下SSO)の歴史は長い。定義にもよるが、実はベルリン・フィルよりも長いのだ。
ジャン・レミュザ(Jean Rémusat:1815-1880)はもともと名フルーティストだったが
1860年代頃から上海に住んでいたらしい。非常に不思議だが。
1879年にレミュザを中心に管楽中心の「上海パブリックバンド」が結成される。租界には委員会Municipal Council)が必要となるが、中国語ではこれを「工部局」と訳した。よって、「上海工部局楽隊」が中国語訳。
何とバンドメンバーが殆どフィリピン人であった。
租界は、初期は現在のサラリーマンが単身赴任で行くような場所であったため音楽家などいるはずもなく、レミュザはまず香港、マカオでメンバーを探したが見つからず、当時西洋音楽が浸透していたフィリピンまで行って集めてきたという。
1906年になると、メンバーはドイツ人が増える。指揮者もルドルフ・ブック(Rudolf Buck)に。1914年、第一次世界大戦に参戦する団員も出て、日本軍と戦い、死者1名、捕虜4名発生。捕虜はその後日本へ。
1917年~1921年にかけ、ロシア革命。革命を避けて来たロシア人が上海へ。音楽家も多数含まれた。
1919年、マリオ・パーチ(1878-1945)が指揮者に就任
1922年、「工部局交響楽団(Shanghai Municipal Council Symphony Orchestra)」と
改称。この後訳20年間は非常に充実した期間となる。
1936年には近衛秀麿が客演、1942年には朝比奈隆も客演しているが、日本のオーケストラよりはるかに優れていると証言している。なお、朝比奈隆は1996年にシカゴ交響楽団へ客演した際、シカゴの中国人ヴァイオリン奏者から、師から1942年のことを聞いていましたと言われ、印象に残っていると言っている(この師が誰なのか私には特定できる力がない)。
1942年、オーケストラは日本の管理下に置かれる。名称「上海交響楽団」。
日本は、日本管理になってからレベルが落ちたり活動が鈍ったりしてはならぬとして、活動は却って盛んになる。
1945年、李香蘭公演なども行われるが、8月日本敗戦、国民党が接収し、「上海市政府交響楽団」。
1950年、黄貽鈞(1915-1995)が中国人初の常任指揮者に。
黄は1938年に工部局交響楽団に入団、最初期の中国人団員の一人。しかし1941年に太平洋戦争が起き、日本軍が租界に侵入してくると、怒りの余り楽団を脱退。
1946年に楽団に戻っているが、1956年に「全国先進生産工作者」として表彰、1957年にやっと共産党員になっている。
この間、大変な苦労があっただろうことは容易に推察できる。
58年から大躍進政策、66年から76年まで文化大革命。この間黄はどうしていたか。
詳細は現時点では私は調べていない。
1960年に<淡水養魚>という教育用映画の音楽作曲(他にも作曲多数)、
1962年には<中国音楽家協会上海分会>の副主席。
映像を探すと、読売日本交響楽団を振ったものが出てきた!
リスト/前奏曲
全く無理のない自然な演奏だが遅緩もない。1981年にはベルリン・フィルにも客演しているとのことだが、派手さは無いが立派な演奏だと思う。
撮影は恐らく1986年と思われる。
こちらは中国の動画サイトからなので不安な方はご遠慮願う。
有名な中国のヴァイオリン協奏曲/「梁山泊と祝英台」(Vn:藩寅林)
これは更に地味な印象だ。最近の、例えば水藍指揮のシンガポールSOなどの光彩陸離たる演奏とはだいぶ異なる。しかしポルタメントは濃厚で、これは昔のマーラー演奏などと似たような傾向なのだろうか。
なお、当時の上海交響楽団との演奏は、西洋音楽は見つからなかった。
録音時期不明だが、まあ、こんな感じということで…。
これも恐らく80年代だと思う。
上海交響楽団の歴史は日本のオーケストラ発展のそれとは大いに性質が異なる。
それは租界があったことが原因に他ならないが、そんな背景は今でも北京のオーケストラと違い、風通しの好いものを感じる。上海交響楽団に少しでも興味を持っていただけたら幸いである。
(参考資料)
榎本泰子/「上海オーケストラ物語」(2006年、春秋社)
榎本泰子/「上海ー多国籍都市の百年」(2009年、中公新書)
田村裕嗣/「キーワード30で読む 中国の現代史」(2009年、高文研)
上海交響楽団(1)
概要
中国のオーケストラがどういうイメージを持たれているのか私は知らないが、上海交響楽団はしなやかで、強烈な個性こそ感じられないが、上海らしい柔軟性をもつ素敵なオーケストラだと思う。
上海交響楽団の最も古い姿は1879年に遡ることが出来るという。
阿片戦争を経て、上海にイギリス租界が出来るのが1845年、アメリカ租界が1848年、続いてフランス租界が1849年。イギリスとアメリカの租界はその後「共同租界」となった。
2016年10月に外務省が発表している海外在留邦人数調査統計によれば、在上海総領事館が把握している在留邦人数は約58,000人。上海の領事館でビザ発行が出来るのは上海市、江蘇省、浙江省、安徽省及び江西省ということだそうで、届け出をしていない人や、その他いろいろな人を含むと、現在上海には4~5万人くらい日本人がいるのかなと想像するが、現在の仙霞路や古北路には日本人向けのカラオケやマッサージ店などがたくさんある。
当時の欧米人も仕事以外の娯楽は勿論必要であって、それは競馬や演劇であったが、勿論音楽だって必要、ということになろう。専ら欧米人向けに創設されたのである。
創立からの経緯は後に譲るが、語り尽くせぬほどの変遷を経て、現在の上海交響楽団はある。租界という極めて珍しい社会の中から生まれ、ロシア革命やユダヤ人迫害、日本の侵略、戦後になって中国人自身のオーケストラになった後も文化大革命があった。
上海交響楽団の本拠地は2014年9月から上海交響楽団音楽廳(Shanghai Symphony Orchestra Hall)で、これは素晴らしいホール。と思ったら設計は何と音響設計が豊田泰久氏、意匠設計は磯崎新氏だった。勿論お金持ちなのだ。
所謂旧フランス租界にあるのだが、旧フランス租界は未だに古めかしい洋館風の建物がおおく、ホールに行くまでも楽しいし、帰り道もふらっとバーに寄ったりしても好いだろう。この辺りは英語が通じるお店もおおい。
さて、どのようなコンサートをしていて、どの程度のレベルなのかは、
以下の映像及び音源を紹介させていただく。
映像
ヴェルディ/『運命の力』序曲(ダニエーレ・ガッティ指揮)。音が悪いのが残念。
以上は2016年ニューイヤーコンサートから。指揮は大分ユルい感じであった。
本筋と関係ないツッコミをふたつ。
1)ガッティ、うるさいっすね。コバケンやチェリビダッケを知っている
私達ではあるが、少し加山雄三に似たこの声は妙に気にかかる。
2)この曲は2nd フルートに出番がない。
私はこういう女性、何故か惹かれる…。踏んづけてもらいたい。
続いてはズヴェーデン。相変わらず音が悪いが、一転して物凄い緊張感。
時々アンサンブルが乱れるが、オーケストラの反応は素晴らしいと思う。
こんなずーっと怒鳴っているような演奏は聴いたことがない。
ズヴェーデンは2012年にダラス交響楽団でアルバムを作っているが、やはりぐいぐい
引っ張る演奏ではあるが、ここまで異様な迫力はなかったし、ここには弱音がある。
<音源>Google Play Musicによる
この日は他にブルッフのヴァイオリン協奏曲などもあり、これも猛烈な演奏なので
お時間のある方は是非。怒鳴り散らかしながらも内声がぎっしり詰まったような
迫力が、貧しい音質からも聴き取れる。
ズヴェーデンはご承知の通り現在香港フィルの音楽監督としても活躍中だ。
今後何度も紹介することとなろう。
少し個性のつよい指揮者ばかりを採り上げたが、美しい演奏もある。古い映像だが。
黄屹(Huang Yi)はこの頃まだ24~5歳のはずで、海外でティーレマン、G・クーン、
小澤征爾などのアシスタントを勤めたりした後の凱旋公演的な演奏のはずだ。
現在中国各地で活躍中。
黄の、あり得るべき空間にふさわしい音を置いてゆくようなスタイルのせいか
オーケストラはとても美しい音で答えている。余談だがガッティの時暇だったフルートのおねえさんはここでは大活躍、やはり踏まれてみたい。
定期演奏会内容
2017年の秋以降の演目を見てみる。
9月 オープニングコンサート:余隆指揮、ロルティのピアノ独奏
ラヴェル/ピアノ協奏曲
私は敬意を込めて中国指揮界のPSYと呼ぶことにする。
写真を見ると、ちょい悪オヤジを目指している模様。
9月:張国勇指揮
オールチャイコフスキープロ
『エフゲニー・オネーギン』よりポロネーズ
ヴァイオリン協奏曲
交響曲第6番
張国勇は所謂オーケストラだけでなく、中国の伝統音楽にも精通する指揮者で、
後出する陳燮陽をはじめ中国にはそういう指揮者が複数存在する。
10月:余隆指揮、F・P・ツィンマーマン独奏でバッハとベートーヴェンの協奏曲。
10月:陳燮陽指揮 朱践耳作品集
朱践耳は中国作曲界の大御所だが、正直に申し上げて私は余り知らない。
数曲耳を通すと、作風は民族主義風で、交響曲第3番「チベット」
第1楽章はこんな感じである。
指揮の陳燮陽も大御所であるが、正直まだよく知らない。伝統音楽の指揮も手掛ける。
こんな楽しい映像もあるので、貼っておく。非常に雰囲気のある指揮者。
手首の使い方は所謂西洋音楽の指揮者には見られないものだ。
11月:余隆指揮
11月:アンドリス・ポアガ(ラトヴィアの指揮者)指揮、ウィーン楽友協会合唱団
オールモーツァルトプロ
アヴェ・ヴェルム・コルプス
エクスルターテ・ユビラーテ
レクイエム
ウイーン楽友協会合唱団とは、懐かしい名前だ。カラヤン没後初めて目にした。
11月:アンドリス・ポアガ指揮、ウィーン楽友協会合唱団
何故かこの11月の2種のチケットは8月7日に全て売り切れである…。
12月:張潔敏指揮、王健(Wang Jian)チェロ
Zhao Lin:チェロと笙のための二重協奏曲<度>
エルガー:チェロ協奏曲
張潔敏もよく知らないのだが、オペラを得意とする指揮者とのこと。
Zhao Linも分からない。引き続きこのあたりは調査する。
12月:黄佳俊指揮、ロルティのピアノ独奏
ブラームス/大学祝典序曲
丁善徳/ピアノ協奏曲
さて。黄佳俊(Kahchun Wong)は私は知らなかったが注目の指揮者のようだ。
1986年のシンガポール出身。
映像もある。多くが限定公開になっているようなので、それぞれリンクを貼る。
B・A・ツィンマーマン/1楽章の交響曲
指揮が抜群に上手い。イメージ喚起力も。ブーレーズやデュトワ級ではないか。
これは各地でのコンサートの切り貼り。とにかく器用だ。
最後はこれで。西洋音楽にカンフーとコントが合体、大爆笑の大団円(褒めてます)。
すごい天才を見つけてしまった…。間違いなく天才。
あーこの人は絶対生で聴きたいなあ!
丁善徳(Ding Shande)は故人で、代表作に『長征交響曲』。
えらく聴きやすい音楽である。童謡のようだ…。
2017年の最後、大晦日のニューイヤーコンサートはホーネックを招いた。
2018年は後日コメントしたい。セーゲルスタム、ズヴェーデン、デュトワなど
大物客演が続く。
次回は上海交響楽団の歴史を紐解く。