あらゆる年齢層が足を運ぶ希有な映画

「NIN×NIN忍者ハットリくん」が上映される映画館ではあらゆる人々の顔がほころぶ。ちびっこはスクリーンにその都度反応し、それを観た保護者パパママも映画館に連れてこれたことを喜ぶ。アッパーヤング達は少し照れながらもハットリくんの実写化が気になる次第。そのマーケティングセンスもさることながら、内容もそれぞれの年齢層に染みるフックがある。信じれる主なき時代のミドルの苦悩、少年ジャンプ以降ちびっこを魅了する友情・努力・勝利、冒険したい女の子、淡い恋心、香取慎吾対ゴリのキャスティングの妙。最高潮はパンツ一丁走りの美しさ!

文句があるなら偉くなれ!に対する一つの回答

「実写とアニメの最大の差異。それはカメラのこちら側とあちら側の有無。だから実写映画は撮られる人と撮る人が必要なわけで、人物を撮る場合、一人で作ることは困難を極める。アニメは描かれたものを映す点で、一人でも可能なわけ。けどまさか一人で膨大な量の絵を描いて動きを確かめてストーリーを考えて、なんて出来そうにない。なんて思うのは前時代の話。深海誠の「ほしのこえ」というアニメは一時間弱を一人で描き、動かし、ストーリーをつむぐ。声優を一人友人に頼んだものの、映画館上映とDVD発売もし、しかも大好評。真の驚異のインディーズ。

一つのものに徹底すること、それはもう一つを捨てるということ

映画とはとても単純なつくりのもので、実のところ光と音の二要素のみによって構成されている。実際、映画を観ている間、口を閉じても鼻をつまんでも何の損もしない。ちょっと息苦しくなるので、それはまあ損といえば損だけど。しかし、もし目をつむったら、これはもう映画鑑賞を根底から揺るがす欠損と言える。もし目が見えなかったら。そんなもしに挑んだ北野武座頭市」では盲目のカットがある。盲目者が見る世界をこの映画はどのように提示するのか。そしてそのとき残された唯一の要素、音は何を奏でるのか。鑑賞前の今ならまだ、試しに目をつむって見てもいい。

出来事を観た時点であなたもまた当事者になる

超特殊的状況に突如その身を放り込まれたら、大混乱は避けられない。ひとしきりパニックした後、人はまず生存欲求を駆動させ、それが叶えば次に安定欲求、続いて群衆欲求、次いで名誉欲、最後に支配欲を持つ。マズローの欲求の5段階説である。人はこうして順に欲求を叶え、超特殊だった状況に対応していく。欲求実現の過程で人はたくさんの時間を使い各欲求段階で変化する状況に慣れていく。「プライベート・ライアン」を観ると、超特殊状況を生き抜く強靭な欲求とともに、2時間30分超観続けると、超特殊状況をも見慣れてしまう恐るべき自分を発見する。

非戦争国家が輸出するアニメと戦闘兵器の高親和性について

一日一度は必ず耳にし、二日に一度は自分も言っている、かわいい、という言葉。この可愛さが、日本の美術界を席巻している。村上隆スーパーフラット展のほか、ドイツから帰国した奈良美智の赤ちゃん画シリーズ、かわいさと群れる女性を再考させる会田誠の群娘図などなど。そして八谷和彦が現在進行中の「風の谷のナウシカ」のメーヴェを実際に作り、女の子を乗せて飛ばすという計画がある。かわいくて素敵なナウシカが乗るかっこいいメーヴェ、というイメージに潜む軍事技術とかわいさを抱き合わせで浸透させるイメージ戦略への警鐘が聞こえる。

名作は派生する

同人本と聞くとどんな印象を抱く?コミケで売買されるあれのことだが、かなり胡散臭いイメージがあることと思う。主にアニメや漫画のキャラクターや設定を拝借して別種のストーリーや設定を楽しむその手付きはパクりとも呼ばれがちだが、音楽の世界でオマージュなんて呼ばれるのとやってることは同じなわけだ。ミステリ小説でも清涼院流水の物語設定を仲良し作家達が外伝的に語り直すJDC(日本探偵倶楽部)シリーズなんて例もある。だから「ジュラシック・パーク3」がスピルバーグ監督作ではないとしてもどうかその期待をすぼめないで欲しい。