日よよぴ日記

自分を誰かに知ってほしい

みづなれいのAVが最高すぎて自殺を考える

こんばんは、

先ほどみづなれいのAVを鑑賞していたのですが、今は感傷に浸っています。

内容としては、制服を着たみづなれいが先生であるぼく(主観です)

に向かって罵倒をしながらストッキングの足で気持ちが良いことをしてくれる、

といったものです。

手始めにパンツを自分(先生)にセルフで脱がせ、

「うわちっちゃ、ちっちゃいよう先生のお○ん○ん」

このセリフですよ。思わず「分かってるなァ」とニヤけました。

その後の「ねぇ自分でおっきくしみせてよ」

と言いながらイスの上から見下されるのは一言で言って圧巻。

今まで見てきた被虐アダルト動画において最高。いわゆる過去一です。

「○○すきなの?」と「先生変態なんだね~」 「興奮してんの?」

素晴らしい。

「そんなに必死で匂い嗅いで(笑)」

そして声がなんといってもとてもジャンルにマッチしている。急に外来語になった。

声が本当にかわいい。

「何言ってんのか全然きこえないよ?」

そしてイキそうになると手を足で払ってやめさせる、明らかに最高。

境地です

最高ですね、教師と生徒という力関係が逆転している点、最初は嫌がっていたくせに積極的に先生を愚弄する様子、何をとっても非常にハイクラスなアダルト動画です。

 

 

あいどるは麻薬

アイドルって僕にとっては麻薬です、最近思った。

ライブいってるときはとっても楽しくて気持ちよくて、

でも行かないときには渇望して解脱症状で死にたくなって。

また行かないとどうしようもないくらい依存してしまっているのを感じます。

ほかに何か見つけないと僕はもうダメになってしまいそうです。

嫌いだけどたばこ始めようかな、それともお酒に溺れようかな。

もうどうしようもない僕を助けて。

死にたい。

死にたい。

死にたくなったというよりは、死にたいなと思う時間が伸びただけだと思う。

空っぽの天井を見ていたらどうにかなりそうだったので、書く事にした。

最近、ライブに行っていない。そのせいで、僕の体と心はもうぐちゃぐちゃだ。

Twitterも最近は見ないようにしていた。昨日まではそれで保たれていた精神が、今日音を立てて崩れた。

死にたい。圧倒的に死にたい。誰かに嘘でも愛してるって言われたい。

けれども僕には話す相手がいない。いや正確にいうといるけれども今日まで携帯電話を切っていたので無視していた。

学校に行ったら話す相手はいるのだが、それまでの関係だ。

帰ってからは昼寝をしてテレビを見ながら寝るのみだ、

言葉を発さない期間が長くなってきて、学校で話すときもしどろもどろになったり、タイミングが下手くそになってきた。

言葉もスラスラ出ない。こうやって書いている時だけはスラスラ出てくるのに。

 

これからの人生においても誰も友達はできないのだろうなと思う。

三日前ほどに大森靖子を聴きながら部屋を暗くしていたときは、本当にベランダで首を吊ろうとしていたが、ギリギリなくなった。

死ぬ勇気もない、糞野郎だ、自分は。

誰かの愛に溺れたい。醜悪、男女、どうだっていい。圧倒的に愛されたい。

ストーカーされたい。迷惑をかけられたい。きっとそうされても、愛を求める獣の自分はごまかせない。

趣味かなにかに熱中したい。時間を忘れて、もう夜か、もう朝かとなるくらい熱中したい。

そして好きな人のことや自分の人生についてなんて忘れてしまいたい。

Twitterを見ていたら辛くなってきた、こんなの初めてだ。相当終わっている。

 

空っぽになったペットボトルを捨てるように当たり前に僕は僕を捨ててしまいたい。

北海道地震

僕は北海道出身だ。去年までずっと北海道に住んでいた。

北海道で大きな地震があった。

地震予測なんてひとつも当たらなかった。

南海トラフがなんだ、人を守れなくてただ不安にさせるような予測なんていらない。

いらない。

自分がここで生きていて、しかし会ったことがない誰かが怪我をしたり、苦しんでいる。死んだ人もいる。

ニュースで見たならば数字でしかないが、その一人一人に人生が会って、つながりがあって、その人たちが苦しいときに自分はのうのうと生きている。

なんとなく生きている自分が恥ずかしい。

目的を持っていたのに死んだ人がいるのに、目的もない自分が生きている。

公平ではないことなんてずっと分かっているつもりだったのに

心が痛い。

誰も死ななければいいのに、もう二度と災害や戦争が起こらなければいいのに

願望しか言えない、僕は何もできない。

最低だ、ただ文章を延々と書き連ねるしかできない。

ニュースから目を背けても、起こる現実は変わらない

安全なところで見ている自分が嫌いだ。どこか客観的な気がしてとても気持ち悪い。

自己嫌悪がとまらない、自己嫌悪しかできない。

結局自分のことばかりなのか。偽善者になりきることさえできない。

僕はどうしようもない人間だ。

誰もこれ以上苦しみませんように、苦しんだ人が天国で誰よりも幸せになりますように。

カップラーメン

退廃的な雰囲気が好きだ。

退廃的という言葉の意味を不安になって調べてみたが大丈夫、想像していた通りだ。

退廃的 道徳的にくずれて不健康なさま。

 

 

中学生位の頃から憧れていた。「部屋をキッツいタバコの匂いでいっぱいにしながら、

ただ天井を虚ろな目で眺める」というような生活が理想だった。

 

その想像の中で、僕は彼女を妊娠させ、どうしようもなく光の入らない墓場のような部屋で膝を抱えうずくまる。体力は落ち果て、光る幻に手を伸ばしてまた落ち込む。

ワンルームの窓は閉ざされ、彼女しか尋ね人のいないアパートはくずれかけている、

カップラーメンをすすって退去命令の電話を無視してまた眠る。

 

最近、『アルビノ』という映画を見た。

父に性的虐待される高校生の少女と配管工の女性が出逢う、というもので

詳しいストーリーは実際にTSUTAYAで借りてみてほしい。

この映画の鑑賞後のどうしようもなく気持ち悪く、淀んだ気持ちに退廃を感じた。

僕が求めていた退廃はここにあったのだ。

 

変わって現実の僕はタバコはおろか、カップラーメンもほぼ食べない。

中学生の僕が想像していたよりずっと自律できている。

経済的には完全に親の庇護下だが、、^^

合致しているのはボロボロのアパートのワンルームに住んでいることくらいだ。

これからもきっと退廃的な生活は送らない。と思う

しかし退廃的への憧れはこれから先も歯垢のように思考にこびり付くだろう。

退廃的よ、末永くよろしくお願いします。