きみは赤ちゃん / 川上未映子

どの時期にも、ぜったいに回避しないといけないことはあるけれど、命にかかわらなければ、つねにぎりぎりの気持ちになる必要はないのだと。喉にものをつまらせないように、どこかから落ちたりしないように、目を離さない。これだけを必須のこととして、あとは正解はないのだから、ということで、精神的にマイルドにやっていかなければ、なにもかもが不幸になると思ったのだ。
しかし、これは逆からいえば、このようにわざわざ言葉にして思いこまなければならないほど、母親は、こうしたプレッシャーにつねに圧迫されているという事実でもある。
そう、出産どころか妊娠したその瞬間から、これらは母親がさらされている圧倒的なプレッシャーにであり、自分の体の限界さ&しんどさはもう大前提として、「一分一秒、命をあずかっている」ということの、この、はかりしれない緊張感と責任感。そら孤独すぎてウツにもなるわ。なにがあっても、なにがなくても、けっきょく問われるのは母親なのだ。これを性差別といわずしてなんといえばよいのかわからないけれど、もちろんすばらしい例外もあるだろうけれど(あってほしい)、とにかく、いまの日本においての子どもにかんする責任の所在はだいたい、こんなあんばいなのだよね。

P.244

きみは赤ちゃん / 川上未映子

とにかく、あれだけ、あれだけ日々ネットにつながっているときにはしょうもない情報を読んだりしているはずなのに、その時間はたんまりあるはずなのに、われわれの一大事であるはずの妊娠、ひいてはおなかの赤ちゃんについてただの一度も検索をしたことがない、ということにわたしはまじで腹が立ったのである。 これはなんに興味がないだけの、証拠じゃないか!

「いや、そんなことはない、いつも案じている」
「うそばっかり!じゃあ1回でも検索したことあんの!」
「いや、それはない、けど」
「けどじゃないわ!あれだけネットばっかりみてて、どういうことよ!」
「……」
「こっちや毎日毎日異常事態であれもこれもうまじで心配しておろおろして頭おかしくなる寸前やのに男っていったいなんやねんな!」
「……」
「っていうか、これ誰の妊娠やと思ってんねんな1回くらい我が子と妻がどういう状態かわたしからの報告じゃなくて能動的に知ろうとしてもええんちゃうかあああああいいいいあいあいあいあい」

みたいなことになり、そういうことがテーマを変えてつぎつぎにくりひろげられるようになっていったのだった。

p.84

きみは赤ちゃん / 川上未映子

性欲の対象でもなんでもなくなったわたしはいったいなんなんだよ!みたいな気持ちに、ふだんならこんな心境になることなどないのに、このときばかりはまじでもう、これ切実に追いつめられていたのである。性的に欲望されることにアイデンティティをほぼあずけていないという自覚のあるわたしでさえ、これがきつかったのである。

p.87

きみは赤ちゃん / 川上未映子

仕事にかんすることならなんでもないことなのに、自分の妊娠があっというまに自分の関係のない人たちの知るところになる、というのは、本当に本当に心細い体験だった。もしうまく育たなければ、そのことも報告しなければならないだろうき、それはおそらく、いまよりもっと、たいへんな気持ちになることだろうと思うと、さらに心細くなるのだった。

p.95

きみは赤ちゃん / 川上未映子

しかし、妊娠、出産とはなぜこんなに大変なのだろう。
なぜこんなにも痛みに満ちているのだろう。わけがわからない。や、わけがわかりたいわけでもないのだけれど、しかし。
そんなふうに問うてもしょうがないことを思わずにはいられないほど、妊娠、出産はあまりにもしんどすぎる日々ではないか。個人差はあるだろうけれどこの数ヶ月、たくさんの種類の痛み、しんどさを味わい、そしてクライマックスには人間の最大の痛みである指の切断をはるかにうわまわる出産の痛みが待っているのだ。そしてこんなことをいってみたところでどうにもならないのだけど、男ってほんまに楽やな、とそう思わずにもいられないのだった。
社会で働き続けなければならないのは今や女性もおなじであって。生んで、授乳して、すぐ復帰せねば、もうもどれなくなるのである。出産のダメージはいったいどれほどのものなのだろう。好きでやっていることとはいえ。望んでやっているすべてとはいえ。そして男性たち。からだにはなんの変化も痛みもないままに、彼らは、ある日とつぜん赤ちゃんに出会うのだなあ。社製からそこまで一直線なんだなあ。まあ、こればかりはしょうがないけど、でも、なんとなく、ぼんやりと、そんなことを思うのだった。

P.103

きみは赤ちゃん / 川上未映子

10分でもいいから眠りたい――これが赤ちゃんを生んだ女性の多くの実情のような気がする。

それに比べて、父親はどうよ。

ちょっと手伝っただけで「イクメン」とかいわれてさあ、男が「イクメン」やったら女の場合はなんて呼べばいいのですか。そんな言葉はないっちゅうねん。
わが家は経済的にもわりかんで、おたがい似た仕事をしていておなじだけ家にいるからおなじだけ育児を分担できるはずなのに、「基本的には母乳でいく」というルールができたので、夜はすべて、わたしがお世話をすることになった。
これがつらい。まじでつらい。夜は眠れないのに、翌日には仕事があるのだ。こんなの無理だ。もちろんあべちゃんはゴミだしをするし、洗濯もするし、できるときには掃除機をかけたりもする。しかし、料理はわたしである。なぜなら、あべちゃんは料理ができないからである。オニが3ヶ月めに入ったころ
「なにか作ってくれるという気持ちはないのか」
「なにか作ってくれないと今後困ったことにはならないか」
と直談判したことがあった。するとあべちゃんの言いぶんはこうだった。
おれは料理はできないが、ほかの家事はけっこうやっているので、分量的にはおなじではないでしょうか、と。お皿も洗うし、掃除もするしゴミだしだって、あれはああみえて大変だし、できることはすべてやっているのだと。料理だって無理にしなくたっていい。おれが外でお惣菜や、みえの食べたいものをいつだってなんだってすぐに買ってくる、と。そういうのである。
しかし、あべちゃんはまったく理解していない。料理というのは、そのほかの家事とまーったく異なるものなのだ。まったくぜんぜんちがうものなのだ。毎日誰かのために料理をするということは、冷蔵庫のなかになにがあるかを把握し、買いだしの予定、週単位での献立の計画、会見管理などが全面的に関係していて、それがずーっと連続するものなのよ。そのつど料理して終わり、ではないのだよ。そして、疲れ果てて料理ができないときにも、惣菜や店屋物を食べたくないことだってあるのだ。お野菜を茹でたのとか、そういうのをさっと食べたいときがあるのだ。なぜそれを分かってくれないのだろう。
それから、「おなじくらい」やってるっていう発想がそもそもおかしいとは思わないのだろうか?こっちはおなかを切ってオニを生んでからこっち、まったく眠っていないのにくわえてホルモンの崩れで頭が半分おかしくなっているのに、おなじくらいって、それはいったいどうなんだろう。こっちは1年近くもおなかで人間を大きくして、切腹して、生んで、そして不眠不休で世話をして、いまもこんな状態で仕事までしているのやから、ほかのことはぜんぶ、ぜんぶ男(あべちゃん)がするくらいで、ちょうどなんじゃないだろうか。ちがうのだろうか。わたしがまちがっているのだろうか。っていうか、それ以外に、いったい男に「なにができる」というのだろう。わたしはまじでそう思った。すべて、なにもかものすべてを男にむこう2年間やってもらってもまだ足りないくらいだ……わたしの産後クライシスは、このようにくる日もくる日もときに激しく爆発しつづけた。
しかし。そういうことをおなじく育児中の知りあいと話すことがあると、

「いやあ、気持ちはわかるけど……あべちゃんはまじすごいよ……ぜんぜん、やってくれてるほうだよお」
「いや、ありえないでしょ。じゅうぶんすぎるでしょ。あべちゃんみたいに協力的な男の人、みたこともきいたこともない」
「はっきりいって、求めすぎでは」

なーんてことを、ちょっと苦い顔していわれたりするのである。
「うちなんか、旦那は仕事で家にいないし帰りは遅いし、ぜんぶわたしがするしかないもんなあ……」とあきらめた顔でいうのである。
そうだよな、とわたしは思った。わたしとあべちゃんの例はまあレアケースだとして、じっさい問題、一般的には、夫が働きにでている家庭の場合はそうなるに決まってるのだよね。これは構造の問題なのだ。夫が望んでも望まなくても、平日の家事と育児は妻がやるしかそりゃなくなるよ。だって日本の就労システムがそもそもそういう仕組みになってるんだもん。
でも、それを夫が当然と受け止めるのか、そうでないかで、気持ちってぜんぜん違ってくるものdと思うのだよね。
夫が「家事&育児は家にいるやつがするものだろ」、「しかたないじゃん」という考えをいったんほぐしてむきあえば、夫婦間の雰囲気だってきっとよくなるはずなのだ。夫(男)の側にそういう気持ちがあれば、土日に「手伝う」って発想じゃなくて、「自分のこととしてやる」っていう姿勢になって、「ああ、わたしたちふたりの生活、ふたりの子育て」っていう、ふたりが共有できる当事者性がでるのだと思うのだけれど、ちがうのだろうか。そしてそれが共有できたなら、妻のほうから「いや、あなたも平日は仕事なんだから日曜ぐらいはちょっと休んでよー」みたいな、ポジティブな応酬ができたりすると思うんだけど。
しかし。
「おれは働いているんだから(おれが稼いで、あなたは稼いでないのだから)、家と子どもはあなたのお仕事だよね」的な、認識&態度をとって憚らない男たちが、世間にこれまじで多いと知って、これはいったいどうしたらよいのだろう。

P.210