EF ^^/ 然修緑 第2集 第14回
一、想夏 (13)
門人学年 エセラ ({美童|ミワラ}・{齢|よわい}十三)
「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将
音楽は、這い這いに勝る
ぼくは、這い這いの記憶は、どうしても思い出せないけど、初めて聴く音楽なのに、なぜか無性に懐かしく思ってしまうことがある。
ぼくは、生まれて初めて出逢った音楽を、どうしても思い出せない。
みんなは、どうなんだろう。
(そんなことを題材にしている本なんて、ないよなッ!)と思ったけど、探したらあった。
最初に出逢った音楽を、覚えている人たち……。
内田{百閒|ひゃっけん}という小説家は、幼稚園で聴いたオルガンの「とろけるような美しい和音」だったそうだ。
萩原{朔|さく}太郎という詩人は、舶来のオルゴールの音だった。
こんな語録が、残っている。
「僕は子供の時から、病的に近いほどの音楽好きであった。
幼児の時には、毎日オルゴールの玩具ばかり鳴らして居た」
そのオルゴールで最初に聴いた音楽は、イギリスの国歌「ゴッド・セーブ・アワー・キング」だったそうだ。
ニーチェの場合は、復活祭の鐘の音だったそうで、こんな述懐を残している。
「私は今でもそれを想ひ起こすことが出来るのだ。
この響は折にふれるといつも私の心のうちで鳴り出す。
そうしてさういふときには何か物悲しい気分がして来て、心は遥かな愛する生家へつれ戻される」
人間は、自分の意志で生まれてくることはできない。
それと同じように、自分の意志で、最初に出逢う音楽を選ぶことはできない。
でも、人生の末期……最期のひとときに聴いていたい音楽や葬式の音楽は、自分で選ぶことが出来る。
音楽家たちの葬式の音楽が、紹介されていた。
ベートーヴェンの場合、ピアノソナタ第十二番の葬送行進曲をアレンジしたもの。
ショパンも、自身の有名なピアノソナタ「葬送」を野外用にアレンジしたものだった。
死んだ後の葬式でどんな音楽が流れようと、ぼくは興味がないけど、死期が近づいてきたら、気になるものなのだろうか。
それよりも、自分が選んだ自分が好きな音楽を聴きながら、自分の人生の最期を迎える方が、この上ない贅沢で、とびっきり幸せなことだと思う。
落語の名人、桂三木助が望んだ末期の音楽は、自分の娘が弾くピアノの音楽だったそうだ。
「お{手|てて} つないで 野道を行けば みんな可愛い 小鳥になって……」
娘さんが、その音の一つひとつの鍵盤を、一生懸命に強く押さえて、それが優しい音楽となって、部屋いっぱいに響き渡った。
駆けつけて枕元に寄り添っていた知人の一人が、こんな回顧録を残している。
「ははァ。
三木助。
娘さんの弾く、このピアノを聴きながら、こうして、好きな人間にだけ見守られて、それで、すうーッ、と、死のうとしているのだな。
なるほどな」
そこに居た他の知人の一人も、自分が死ぬときにも、特別に好きだった唄を聴きながら死にたいと、言ったそうだ。
三島由紀夫は、その末期、市谷の駐屯地に向かう車の中では、「唐獅子牡丹」を自ら歌い、葬式では、ブラームスの「トリスタン」をかけさせた。
シェイクスピアからの引用も、あった。
『リチャード二世』より。
「沈む太陽、終わりの{楽|がく}の{音|ね}、
それは、甘いものの最後の味わいのように、いつまでも甘く美しく、
前のことよりもはるかに記憶に残る」
2024.4.14 配信
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発行 Ethno Fantasy 東亜学纂