MIWARA BIOGRAPHY "VIRTUE KIDS" Virtue is what a Japanized ked quite simply has, painlessly, as a birthright.

後裔記と然修録

ミワラ〈美童〉たちの日記と学習帳

EF ^^/ 然修緑 第2集 第14回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第14回

 一、想夏 (13)

 門人学年 エセラ ({美童|ミワラ}・{齢|よわい}十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

   音楽は、這い這いに勝る

 ぼくは、這い這いの記憶は、どうしても思い出せないけど、初めて聴く音楽なのに、なぜか無性に懐かしく思ってしまうことがある。
 ぼくは、生まれて初めて出逢った音楽を、どうしても思い出せない。
 みんなは、どうなんだろう。
 (そんなことを題材にしている本なんて、ないよなッ!)と思ったけど、探したらあった。

 最初に出逢った音楽を、覚えている人たち……。

 内田{百閒|ひゃっけん}という小説家は、幼稚園で聴いたオルガンの「とろけるような美しい和音」だったそうだ。

 萩原{朔|さく}太郎という詩人は、舶来のオルゴールの音だった。
 こんな語録が、残っている。
 「僕は子供の時から、病的に近いほどの音楽好きであった。
 幼児の時には、毎日オルゴールの玩具ばかり鳴らして居た」
 そのオルゴールで最初に聴いた音楽は、イギリスの国歌「ゴッド・セーブ・アワー・キング」だったそうだ。

 ニーチェの場合は、復活祭の鐘の音だったそうで、こんな述懐を残している。
 「私は今でもそれを想ひ起こすことが出来るのだ。
 この響は折にふれるといつも私の心のうちで鳴り出す。
 そうしてさういふときには何か物悲しい気分がして来て、心は遥かな愛する生家へつれ戻される」

 人間は、自分の意志で生まれてくることはできない。
 それと同じように、自分の意志で、最初に出逢う音楽を選ぶことはできない。
 でも、人生の末期……最期のひとときに聴いていたい音楽や葬式の音楽は、自分で選ぶことが出来る。
 音楽家たちの葬式の音楽が、紹介されていた。
 ベートーヴェンの場合、ピアノソナタ第十二番の葬送行進曲をアレンジしたもの。
 ショパンも、自身の有名なピアノソナタ「葬送」を野外用にアレンジしたものだった。
 死んだ後の葬式でどんな音楽が流れようと、ぼくは興味がないけど、死期が近づいてきたら、気になるものなのだろうか。
 それよりも、自分が選んだ自分が好きな音楽を聴きながら、自分の人生の最期を迎える方が、この上ない贅沢で、とびっきり幸せなことだと思う。

 落語の名人、桂三木助が望んだ末期の音楽は、自分の娘が弾くピアノの音楽だったそうだ。
 「お{手|てて} つないで 野道を行けば みんな可愛い 小鳥になって……」
 娘さんが、その音の一つひとつの鍵盤を、一生懸命に強く押さえて、それが優しい音楽となって、部屋いっぱいに響き渡った。
 駆けつけて枕元に寄り添っていた知人の一人が、こんな回顧録を残している。
 「ははァ。
 三木助。
 娘さんの弾く、このピアノを聴きながら、こうして、好きな人間にだけ見守られて、それで、すうーッ、と、死のうとしているのだな。
 なるほどな」
 そこに居た他の知人の一人も、自分が死ぬときにも、特別に好きだった唄を聴きながら死にたいと、言ったそうだ。

 三島由紀夫は、その末期、市谷の駐屯地に向かう車の中では、「唐獅子牡丹」を自ら歌い、葬式では、ブラームスの「トリスタン」をかけさせた。

 シェイクスピアからの引用も、あった。
 『リチャード二世』より。

 「沈む太陽、終わりの{楽|がく}の{音|ね}、
 それは、甘いものの最後の味わいのように、いつまでも甘く美しく、
 前のことよりもはるかに記憶に残る」 
 
2024.4.14 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第18回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第18回

   一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (8)

 八月。
 七月と変わらぬ一日が、始まった。
 亜種記に描かれてた{美童|ミワラ}たちは、同じ八月、離島疎開した。
 だが、今となっては、疎開したところで安全な島など、どこにもない。
 出遅れたカズキチを置き去りにして、エセラは一人、浜辺を出た。
 向かった先は、地獄の館。
 奥の真っ暗な窓のない部屋から、耳慣れた曲が流れてくる。

 浜辺に残されたカズキチは、一の喜家の三姉妹から質問攻めに遭い、律儀にして丁寧に、その一つひとつの質問に答えていた。
 「次が、最後の質問だぞッ!」と、カズキチが宣言すると、{間|かん}、{髪|ぱつ}を入れず、めろんが手を挙げた。
 そして、にんまりとした、まさにメロンよろしく甘ったるい顔をカズキチに向けて、{斯|こ}う言った。
 「恋愛って、なにぃ?」
 カズキチは、一瞬頭が真っ白になり、咄嗟に自分のリュックザックに手を突っ込んだ。
 そして取り出したのは、一冊のノート。
 然修録だ。
 寺学舎の座学で恋愛など、学ぶはずもない。
 苦し紛れの時間稼ぎだったが、すぐに間がもてなくなってしまった。
 そのときだった。
 浜辺の彼方に、助け船が見えた。
 カズキチが、大声で叫んだ。
 「花子ばーァ!!
 こっちだよ、こっちーぃ!!」
 花子ばァばの面倒臭そうな顔が、徐々に近づいてくる。
 「花子ばァばって、いつもいいところに来るよなァ……」と、カズキチが独り言ちるのを聞いためろんが、ギッ!っと目を細めてカズキチを{睨|にら}んだ。
 カズキチの頭の中で、逃げ出す口実の数々が、ふつふつと湧き出してくる。
 めろんが、カズキチに向けた鋭い視線を花子ばァばに向け直し、満面の笑顔を作って言った。
 「ねぇ、ばァば。
 恋愛って、なにぃ?」
 ばァばが、{微|かす}かに顔を赤らめたような、照れ笑いのようでもある微妙な表情を見せながら、そのまま砂浜に、ばァば得意のベベチャンコ座りをした。
 妙に、{畏|かしこ}まった感じに映る。
 ばァば、少し考えて、姿勢を正して言った。

 「どんな男の子に恋をするかは、あんたたちの人格と密接に関係しとんよねぇ。
 わけわからんじゃろーォ??
 自分の人格相応の男に恋をするいうことよねぇ。
 すなわち、どういうことだい?
 人間というものは、誰を好きになるかによって、自分を{曝|さら}け出すってことさ」

 「怖ァ!」と、ほのみ。
 「カズキチーィ。
 もう行っていいから。
 用無し。
 以上」と、えみみ。
 「ねぇ、ばァばァ。
 ジンカクって、なにぃ?」と、めろんのその言葉を背中で聞きながら、カズキチは、寺学舎を目指した。
 地獄の館の前まで来ると、(あいつ、居るんだろうなッ!)と思いながら、そのまま朽ちて黒ずんだ平屋の前を素通りした。

 エセラは、台所の壁沿いのすぐ奥にある部屋に腰を下ろした。
 窓を{塞|ふさ}いだ板の節抜けした穴から洩れた光の放射が、いつものように無数の塵を照らしている。
 妙にキラキラとして、つい見入ってしまった。
 ふと気づいたことに、いつもの蛍の光の音楽が、鳴りやんでいた。
 (蛍の光が好きでいつも聴いてるような怖ろしい悪霊なんて、{居|い}るわけないよなァ♪)
 何気なくそんなことを思いながら、エセラは、窓のない真っ暗な奥の部屋の方を見遣った。
 そのときだった。

 「ちゃんと聴いてよねぇ。
 蛍の光じゃないでしょ?
 『オールド・ラング・サイン』だよ」

 エセラは、思わず立ち上がった……つもりだったが、実際は、畳の上に四つん這いになって固まっていた。
 声は、例の奥の真っ暗な部屋のほうから聞こえてくる。
 間違いない。
 どうしようか。
 進むか、このまま頭を抱えて遣り過ごすか、はたまた速攻で逃げ出すか!
 (そう言えば、亜種記に書いてたよな。
 離島疎開した{美童|ミワラ}の誰かが、「赤ちゃんのころ、はいはいしなかった」って。
 ぼくも、はいはいしなかったのかなァ。
 なんで今、そんなこと思い出すんだか!)
 やっぱり、はいはいの経験がないのか、エセラは、{匍匐|ほふく}して進みだした。
 (何か、声をかけなきゃ!)
 一時間、二時間、いや、もっと長い時間が、無の中で過ぎて行った。
 そしてやっと、エセラが声を絞り出した。
 「あッ。
 あのォ。
 誰の曲ぅ?」
 声の主が、答えた。
 「ケネス・マッケラー」
 「ふーぅん」と、エセラ。
 「スコットランドの民謡」と、声の主。
 「ふーぅん」と、エセラ。
 「無理してこっちに這ってこなくてもいいのにぃ」と、声の主。
 「無理ってぇ?」と、エセラ。
 「あんた、人間嫌いなんだろォ?」と、声の主。
 「死んでるんでしょ?
 だったら、大丈夫かもォ」と、エセラ。
 「普通、逆じゃない?」と、声の主。
 「そうなん?」と、エセラ。
 「さァ。
 でも、あたいも、あんたのこと大丈夫みたい」と、声の主。
 「大丈夫ってぇ?」と、エセラ。
 「食欲湧かないからァ♪」と、声の主。
 「えッ!」と、エセラ絶句。

 蛍の光……元い。
 オールド・ラング・サインの曲に合わせて、薄気味悪いながらも快活な笑い声が流れてくる。
 エセラは、開けてはならない扉を開けてしまったような、何かとんでもないことをしてしまったような不安に襲われ、口をパクパクさせるだけで、何も言葉にはならなかった。
 
2024.4.14 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 然修緑 第2集 第13回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第13回

 一、想夏 (12)

 門人学年 エセラ ({美童|ミワラ}・{齢|よわい}十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

   日本人とは何か?

 亜種記の然修録編に、『代表的日本人』という本が取り上げられていた。
 冒頭から順次要約するような内容だったと思う。
 先輩の{武童|タケラ}たちが少年少女だったころに書いた要約は、たしかに原書よりは読み易く、理解もし易いものだと思う。
 でも、その本が{上梓|じょうし}されたのち、後世の代表的日本人が『代表的日本人』を紹介するとしたら、どんな内容になるんだろう。
 少なくとも、要約だけでは終わらないはずだ。
 なので、そんなことが書かれている本を探して、読んでみた。

 『代表的日本人』とは……。
 著者は、明治期を生きた宗教家、内村鑑三。
 明治の末期、西欧諸国に日本を紹介するために、英文で書き下ろされた。
 西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤村、日蓮上人という五人を代表的日本人として取り上げ、日本人の美徳を伝えている。
 まだ代表的になるかどうか判らない少年少女時代のぼくらの先輩たちは、ここから原書の日本語訳の要約を始めるたが、ぼくが読んだ代表的日本人が書いた解説は、ここから二宮尊徳に着目し、独自に二宮尊徳について勉強して、その感想を書いている。

 その勉強で得たものは……。
 「考え方」が、経営や人生において最も大切であること。
 その中でも、特に誠実さや勤勉さが大切であること。

 まさに、損得ではなく、尊徳なのだ!
 その尊徳は、江戸末期、篤農家として活躍していた。
 篤農家というのは、実践的な農業技術や農業経営を研究し、各地で農業指導を行い、先進的農法の普及に貢献した農業経営者や農民のことを指す。
 尊徳は、加えて道徳を解き、荒廃したおよそ六百もの寒村を、飢餓が襲ってきてもびくともしないくらい充分に穀物を備蓄した豊かな村に、次々と変貌させていった。
 また彼は、その生涯を通じて、一日に二時間しか眠らなかったと言われるほどの働き者だった。
 頑丈な身体も、そこまで働き詰めだと、すぐにボロボロになってしまう。
 それだけ、人並外れた美しい心根と強い精神力を持ち合わせていたに違いない。

 ここでやっと、『代表的日本人』の引用がある。
 尊徳という人物が、いかに偉大で美しい心根を持っていたかを読者に理解してもらうための引用だ。

 「彼(尊徳)の如き熱誠の人にとりて、如何なる事業に対しても全心を{献|ささ}げざるは、罪である」
 尊徳は、「何ごとを行うにしても、全身全霊を傾けていなければ、それは罪だ」と思うような人であった。

 「{禍|わざわ}ひを福ひに天ぜんもの、只一つ至誠のみ。智謀術計の及ぶ所に{非|あら}ず」
 尊徳は、常に誠実な人であった。
 「禍を幸福に転じるものは、ただひとつ誠のみである。どんなに頭をめぐらせ、知恵を使っても、そんなものの及ぶところではない」と言うような人であった。

 「術策と政略とは彼には皆無であった。彼の簡単な信仰は{此|これ}であった。{即|すなわ}ち『至誠の感ずる所、天地も之が{為|ため}に動く』と」
 尊徳は、「術策や政略はまったくなかった。ただひとつ、彼は揺るぎない信仰を持っていた。それは、自分の真心、誠心誠意は、天をも動かすということである。物事が達成できないとしたら、それは自分の誠が足りないからで、誠が伝わりさえすれば、天をも動かすことができ、必ず物事を成就させることができる」と信じるような人であった。

 この解説は、数人で始めた町工場を、一代で現存する世界的な大企業に成長させた代表的日本人の自伝のなかで見つけたものだ。
 その著者は、「企業経営には、権謀術数などというものは、一切必要ない。今日一日を一生懸命に生きさえすれば、未来は開けてくる。また、正々堂々と人間として正しいやり方を貫けば、運命は必ず開けてくると考えている」と、言い切っている。
 なぜ、そうなるのか。
 著者は、こう考えている。
 「ひたむきに取り組む我々の姿に、天が心打たれ、手を差し延べてくれたのだと思えてならない」と。

 尊徳も、同じようなことを言っている。
 「誠を尽くすことによって、鬼神も感じ入り、同時に天地までがこれに動かされる」と。

 亜種記で、先輩の{美童|ミワラ}たちは、ご先祖様が操業した大企業の社史読解に、かなりの時間を割いている。
 読んでいてかったるかったけれど、この自伝で尊徳の解説の下りを読んだとき、(なるほどな)と思った。
 その下りには、{斯|こ}う書かれていた。

 「零細企業のそのような遅々とした歩みであっても、眼前にそびえ立っていた伝統ある大企業を、いつのまにか{凌駕|りょうが}することができた。
 これは、まさに誠意に基づいて、{鍬|くわ}一本で寒村を富裕な村に変身させていった尊徳と同じことだと私は思う。
 一見愚鈍に見えるほどに誠実で忍耐強い努力、このことこそが、偉大なことを為し遂げていくということを、まさに当社の歴史が証明している」 
 
2024.4.7 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第17回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第17回

   一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (7)

 エセラとカズキチは、空想の中で、はっきりと少女の姿を見ていた。
 配置に着いた二人は、それを確かめるべく動き出した。
 古びた焼杉を下見張りにした勝手口らしきにところに、片引き戸がついている。
 見張り番のカズキチが、エセラに向けって「中に入れ!」と、目でサインを送る。
 エセラは、恐る恐る片引き戸のノブを回した。
 戸が、ゆっくりと開く。
 薄暗い部屋の中に、女の子の姿が浮かび上がった。
 ハイネックの黒いワンピースに、十字架のネックレスを首からぶら下げている。
 細身だが、バランスのとれたその容姿は、薄暗い色調に包まれて、何かこう、厳粛というか、禁欲的に見えた。
 だのに、どことなくロマンティックで、そこはたとなくエロティックだ。

 いつだったか、ゆか里が、二人に向かって言った。
 「あんたたちがあの家に興味を持つのは、ゴシック風が{醸|かも}し出す世界への好奇心からさ」
 「わけわかんねーぇ!!」と、カズキチ。
 「幻想的で怪奇的で頽廃的なものに、人間は{惹|ひ}かれるってことさ」と、ゆか里。
 「なんで惹かれるのォ?」と、エセラ。
 ゆか里は、一瞬困った顔を見せたが、すぐに応えて言った。
 「あの女の子に逢えば、彼女の猛烈な火で身を滅ぼされてしまうことを、直観で知ってるからさ。
 愚かで不堅実な自分の人生の結末が、徐々に頭の中に映し出される。
 だから、外の激烈な火を借りて、己の堅実を妨げる心の中の治乱を、力で平定しようと暴れ回るのさ。
 心を自由に操られて、最後は、自殺に追い込まれる。
 だから{武童|タケラ}たち大人は、あの家には絶対に近寄らないのよ。
 それでも、逢いたいかい?
 彼女に……」

 エセラとカズキチは、今まさに、その答えを行動で示そうとしているのだった。

 三つしかない窓は、木の板を打ちつけて、すべて塞がれている。
 それも、杉の木だろうか。
 節が落ちて、くり抜かれた{梟|ふくろう}の目のような大きな穴から陽の光が射し込み、その光の中で、無数の{塵|ちり}が踊っている。
 どこから入ったのか、天井の廻り縁に、{燕|ツバメ}の巣の残骸が一つ残っている。
 そのすぐ下あたりの板壁に、半裸の女が描かれたポスターが、引きちぎられたように破れて垂れさがっている。
 その半裸の女の乳房が、不自然に色{褪|あ}せて、みすぼらしく変色している。
 ポスターの周りの壁の板だけが、どす黒い。
 まるで、焼け焦げたようだ。
 異様な空気が残暑に煮えて、家の中は蒸しかえっている。

 エセラは、勝手口から半身だけ外に覗かせて、カズキチの不安そうな姿を認めると、手招きをしながら目で訴えた。
 だが、カズキチは、その訴えに応じようとはしなかった。
 きっと、この家に生きた人が一人も住んでいないからだと、エセラは思った。
 カズキチは、生きている人間が大好きなのだ。
 毎日、夕方を待たず、寺学舎に一番乗り。
 着くとすぐに講堂の一番後ろを陣取り、{胡坐|あぐら}をかいて、次々と到着する学友たちを、ただ黙って眺めている。

 ある日のこと。
 寺学舎の講堂の奥に陣取ったカズキチの前に、意外な人物が姿を現した。
 ハチキ先輩だ。
 ハチキ先輩は、何かと寺学舎の世話を焼いてくれている。
 最近では、珍しいことだった。
 亜種記に著されていた寺学舎にも、世話人らしき{武童|タケラ}は出てこない。
 そのもっと前のころまでは、{仕来|しきた}りと言ってもいいほど、{武童|タケラ}が世話人になることは当たり前のことだったらしい。
 その世話人のハチキ先輩が、カズキチの面前まで歩み寄って、言った。
 「おまえらは、なんか違うんよのォ」
 「違う?」と、カズキチ。
 「おう、違うんよ。
 おまえも、エセラも。
 普通は、親を見れば子がわかる言うじゃろうがァ。
 親兄弟は、人間関係で数少ない先天的な関係じゃ。
 本能で、自然に接することができる。
 その力は、主に父と母が持つ。
 父は厳、母は慈、{或|ある}いは悲だ」と、ハチキ先輩。
 カズキチは、ハチキ先輩から目を逸らした。
 そして、独り{言|ご}ちた。

 「親を見りゃ
  ぼくの将来
  知れたもの」

 透かさず、ハチキ先輩が寸評する。
 「おまえに俳句の才があるとは、知らなんだ。
 道理で、知らんはずじゃ」
 「どういうことォ?」と、カズキチ。
 「おまえは、おまえらしく生きりゃええいうことよねぇ」と、ハチキ先輩。
 カズキチが、また思いついた俳句を披露しようとしたとき、学友の第一陣の四、五人が、どやどやがやがやと講堂に上がって来た。
 「人間嫌いの方のおまえの友だちは、今日も遅刻かァ?」と、ハチキ先輩。
 「来んかもね」と、カズキチ。
 寺学舎に一人でやってくるのは、カズキチとエセラくらいのものだった。
 カズキチがいつも一番乗りなら、エセラはいつも遅刻寸前で、しかもふてぶてしい顔でご登場するのだった。

 亜種記に書かれていた廃墟住みのおにいさんの幽霊には親しみを感じたが、ここ地獄の館の少女の幽霊は、どうにも愛想というものがない。
 姿は見えるのに、踊ろうが{喚|わめ}こうが、一向に興味を示してくれない。
 エセラは、思った。

 (ストーカーだと思われて、避けられてるのかなァ。
 自分が幽霊だって、わかってんのかァ?
 一回、ガツン!と言ってやんなきゃな)
 
 エセラにとって{美童|ミワラ}最後の一年……。
 その一ヶ月目、想夏の半分が終わろうとしていた。
 
2024.4.6 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 然修緑 第2集 第12回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第12回

 一、想夏 (11)

 門人学年 エセラ ({美童|ミワラ}・{齢|よわい}十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

   エリートが潰され国亡ぶ

 維新、エリートがリーダーになり、{日|ひ}の{本|もと}の独立を護り抜いた。

 聖驕頽砕……俗に言う環太平洋戦争、エリートが潰され、日の本の国は、滅んだ。

 その亡国、選挙も不可思議だ。
 烏合の衆を国民が選び、烏合の衆が、国家のリーダーを決める。
 逆だと思う。
 国民が国家のリーダーを決め、そのリーダーが、大臣を選べばいい。
 そうすれば、烏合の衆など必要も無いし、選ばれることもない。
 「実際は、そう簡単にはいかないんだよ」なんて{他人事|ひとごと}みたいなことを言ってるから、実際、国が亡んだのだ。
 そんな人たちを選んだということは、国民が自ら亡ぶことを選んだとも言える。
 望み通り?
 祖国が亡んで{嘆|なげ}いている国民は、意外と少ないのかもしれない。

 維新や日露戦争のころの我が国は、エリートがリーダーだった。
 はてさて、エリートとボンクラは、どこがどう違うのだろうか。
 そんな疑問を頭に浮かべながら、参考になりそうな本を読んだ。

 日露戦争のころ、エリート{云々|うんぬん}の前に、大臣も将軍も国民も、{兎|と}にも{角|かく}にもみんな全身全霊でこの戦争に取り組み、全国民が私心を忘れて日の本の独立を護り抜いた。
 衰えが見えてきたとはいえ、対戦相手は依然として世界最大の列強国の一つ
であり、対して当時の我が国は、大陸の東の端っこの小さな島国だった。
 恐れ{慄|おのの}いて全国民が全身全霊に成らざるを得なかったのかもしれないけど、実は、それだけじゃなかった。
 戦争に勝ったところで、露国にしてみれば、足の{爪先|つまさき}を{鼠|ねずみ}に噛まれた程度にしか感じないだろう。
 ところが、わが国は、勝ち戦の戦況を維持するために、武器弾薬は{疎|おろ}か、その他のあらゆる補給物資が底をついていた。
 一刻も早く決着をつけなければ、吹いて飛ぶような我が国は、吹かれてスッカラカンになって亡んでしまうのだ。

 日露戦争の参謀長、児玉源太郎将軍は、この由々しき事態を{憂|うれ}い、あらゆる手段を駆使し、なりふり構わず{嘆願|たんがん}し、まさに身命を{賭|と}して政府に善処を迫った。
 さらに、参謀長だけに{止|とど}まらず、すべての将軍たちが、我が事として身も心も国難の窮地の打開に捧げ、この由々しき事態に挑んだ。
 独立を護り抜くという勝利を得た後、将軍たちはみな力尽きて虚脱してしまったそうだ。
 当時の政治家たちも、この将軍たちの意を汲んで行動を起こすエリートが少なくなかった。
 それは、与党だけでなく、野党も同じだった。
 「反対」「反対」とだけ{喚|わめ}いていれば税金をタダで恵んでみらえる今どきの野党の衆とは大違いだ。
 当時、野党だった政友会の{領袖|りょうしゅう}を務めていた岡崎{邦輔|くにすけ}という人物も、そんなエリートの一人だった。
 岡崎氏は、児玉参謀長と同様に、この由々しき事態を憂いた。
 そしてある日、首相を訪ね、誠心誠意を傾けて忠言した。

 「政府の{苦衷|くちゅう}は、察するに余りある。
 早くどの辺かで結末をつけなければならぬが、恐らく国民の満足を得るわけにはゆくまい。
 従って今のうちからそれとなく国民にその心構えをさせておかなければならない。
 われわれも全力を挙げて協力をするから、政府も遠慮を捨てて、忌憚なく真実を言ってくれ」

 悲しいことに、敗戦した環太平洋戦争でも、同じような気運と場面があった。
 日本海軍と山本五十六元帥だ。
 せっかく日露戦争のエリートたちの魂を受け継いで戦争を早く終わらせることに努めたというのに、潰されてしまった。
 そもそも開戦から反対していたので、最初から潰す標的にされていたのかもしれない。

 我々は、一つの民族。
 言い換えれば、自然の一部の動物だ。
 民族の独立を護るために戦うのは、当然のことだ。
 でも、私利私欲、{驕|おご}り高ぶりで戦争を引き延ばそうとするのは、国家を亡ぼし国民を{殺戮|さつりく}する大罪だ。

 分化して退化が進んでいるヒト種をまた一つにするためには、文明{民族|エスノ}を根絶やしにし、和の{民族|エスノ}と自然{民族|エスノ}の二つの亜種だけで一つになるしかないと、ぼくらの先輩、{武童|タケラ}たちのほとんどが、そう信じて疑うことすらしない。

 本当に、他に方法はないのだろうか。
 それを考えるのは、もう今しかない。
 ぼくが気づいていないだけで、本当は、もう手遅れなのかもしれないけど。 
 
2024.4.1 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第16回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第16回

   一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (6)

 怪奇な古ぼけた家、ここは、もうどれくらい生きものが住んでいないのだろうか。
 エセラは一人、古屋の裏側に廻り、勝手口の前で立ち止まった。
 ここから入れば、どの方角からも、背中の曲がった老人に見{咎|とが}められることはない。
 空き家とは言え不法侵入、当然エセラには、後ろめたさがあった。
 この古屋に関して、一つの{噂話|うわさばなし}が残っている。

 一人の美しい女が、村人たちから顔を焼かれた。
 堅実で働き者だった{良人|おっと}は、正気を失い、その村人たちを一人残らず{銛|もり}で突き殺してしまった。
 皆殺しを果たした瞬間、良人は一瞬、正気を取り戻しかけたが、仲間の村人たちを助けようとした若い青年に{槍|やり}で背中をひと突きされ、そのまま息絶えた。
 焼け{爛|ただ}れた顔の痛みに堪えていた妻は、良人の死を知ると、大きな石を腹に抱き抱えたまま漁具のロープで括りつけ、良人が大事にしていた漁に使う手漕ぎ舟から身を投げてしまった。
 その直後、夕闇迫る港の広場に、その女がよく使っていた{朱色|あけいろ}のマントを頭からすっぽりと被った少女が、村人たちの前に姿を現した。
 焼け爛れた醜い顔で良人も殺され死を選んだ女には、母親譲りの美しい一人娘がいた。
 少女は、その美しい顔を隠したまま、一言も残さず、一人村を後にした。

 背中を丸めた老人たちは、あたかも現代に生きる隣人の出来事であるかのように、この三人の親子の悲劇を物語った。
 父は、仕事に堅実なだけでなく、娘の教育から服装に到るまで、母親も及ばぬほど細かいところまで神経を{遣|つか}っていた。
 だが、一つ。
 そこには、言い知れぬ何かが欠けていた。
 なんの感情も持たず、必要なことにだけ敏感で、不必要なことには一切無関心で居られたのだ。
 そんな家人に{處|しょ}しては、一種{所謂|いわゆる}{英邁|えいまい}な気性に己を変えざるを得なかった。
 この営みが、村人たちの言葉で言えば、「ひり」を招いた。
 村八分、仲間外れ、集団による阻害、迫害、加えて娘に対しては、「ひりじゃひりじゃ、おまえはひりじゃけぇ」と、いじめを引き起こした。

 古風な漁村の生真面目な漁師に嫁ぐくらいである。
 焼けただれた顔で{生業|なりわい}の海に身を投げた女も、嫁いだ当時は、まさに天真爛漫を絵に描いたような{生娘|きむすめ}だった。
 その後、男を知った生娘は、周りの嫁仲間たちに、こんな言葉を洩らしている。

 「どの時代に生きたって、青春を妨げるものは、外ばかりにあるように見えて、本当は、自分の心の中にあるのよ。
 だから、青春を妨げる外の障害物が多ければ多いほど、心の中の障害物の出番が減って、{却|かえ}って生き易くなるってもんさ」

 朱色のマントに身を{包|くる}んで消えてしまった少女は、そんな父母の気丈にして異質で、しかも血の通わないような冷徹さと血潮が噴き出るような情熱の狭間で、その人格のほぼすべてが育まれていった。
 娘の心は、無敵の氷だった。
 父に水を浴びせられようと、母の炎に包まれようと、一切溶けることはなかった。
 水晶のように硬く、岩石のように{頑|かたく}なであり続けようと、心に誓った。
 そんなある日、水も炎も失った。
 そして、自ら空恐ろしい水となり炎となり、それを悟られぬようにマントを{纏|まと}い、村から完全にその実像を消してしまったのだった。

 村人たちは、今でも口々に言う。
 「あの{娘|こ}は、ぜっぴ帰って来るけぇ言うて、この村のみんながそう言ようたそうじゃ。
 この村が、ほんまに好きじゃったんじゃろうて。
 ほんまは、この村から一歩も出とらんのかもしれん。
 ずっと、あの娘の家に居るんよォ。
 今でもぜっぴ、{居|お}るわいねぇ。
 あの家ん中に……」

 エセラたち{美童|ミワラ}は、みんな知っていた。
 知っていたというより、みんなが同じ生命の存在を感じて、暗黙のうちに事実として共有していたのだ。 
 
2024.3.31 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 然修緑 第2集 第11回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第11回

 一、想夏 (10)

 門人学年 エセラ ({美童|ミワラ}・{齢|よわい}十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

   世界で一番異質なガイジン

 外国人のガイジン論が、面白い。
 外国人から見たガイジンとは、我ら日本人のことだ。
 亜種に分化する以前から、日本人は異質だったのだ。
 敗戦で国が亡ぶまで、悠久と続いた海洋の中の一国一文明一民族。
 かつて{日|ひ}の{本|もと}の国は、現存する古代国家と言われ、奇跡の国家として注目を集めていた。
 そんな特異なガイジンを、外国人たちは、鋭く観察していた。

 欧米の会社は、二つのタイプに分かれている。
 右脳優先型の会社と、左脳優先型の会社。
 右脳優先企業の昇級は能力主義で、社員たちの頭は柔軟、社内では友好的な雰囲気が保たれる。
 対して左脳優先企業は、年功序列制で、社員たちは、型に{嵌|は}められた規則通りの仕事を好む。

 日本人は、江戸幕府の組織運営方式を引き継いで、後者の左脳優先一辺倒でやってきた。
 それも、{聖奢廃砕|せいきょうたいさい}でアメリカに大敗して、国が亡んでしまった要因の一つなんだと思う。
 有色人種の独立を支援するという聖戦として始めたはずだった戦争は、左脳優先の組織であったがために、指導者たちの{奢|おご}りを疑問視する声が踏み{躙|にじ}られ、次第に指導者たちの心が頽廃し、{挙句|あげく}は{玉砕|ぎょくさい}、仕舞いには国中が焼け野原となり、{終|つい}には亡んでしまったのだ。

 ところが、アメリカの被保護国の国民となった日本人に、不思議な習慣が残った。
 履歴書だ。
 個人の価値を評価するこの書類、世界中を見渡しても、極めて異質だ。
 世界の国々では、仕事のやり方を詳しく示した{職務明細書|Job description}が、必ずと言っていいほど存在する。
 日本人の被保護国だけ、全くの逆だ。
 従業員の価値は評価したがるが、仕事の詳しいやり方は、評価されたくない。
 だから、何も示さない。
 職務明細書も履歴書も、同じ左脳が担う仕事だ。
 同じ左脳の仕事なのに、日本人だけ、異質なのだ。
 左脳優先の書類で人の価値を評価して採用しておきながら、いざ入社してみると、仕事のやり方が右脳優先なのだ。
 職務明細書は存在せず、自分で考え、やり方や方法は、先輩から盗めだ!
 左脳が異質化したために、本来の左脳と右脳の役割分担のバランスが、崩れてしまったのかもしれない。
 これも、ぼくたちが亜種に分化してしまった要因、退化の始まりに違いない。

 ぼくが嫌いな外国語の一つに、こんなのがある。
 ニッポンジンカンコーキャク。
 ちなみに好きな外国語は、スケベーと、アマテラスだ。
 ニッポンジンカンコーキャクというのは、左脳しか使えない日本人が、集団で外国旅行をすることだ。
 何時何分にどこで何を食べて、何時何分から何時何分までどこで何を観るかまで決まっていて、{汝|なんじ}勝手な行動をするべからずなのだ。
 有り得ん!
 せっかく外国に行ったのに、周りは顔見知りの日本人で固められている。
 近場の温泉に日帰り旅行でもしたほうが、日本人の恥を{晒|さら}さずに済むというものだ。
 なぜ、そんなことになってしまっていたのか。
 旅先で左脳優先なのは、日本人だけじゃない。
 外国人も、旅先では、左脳をフル回転させる。
 見知らぬ人の身分や言葉遣いを気にかけながら、初対面の人間たちと交わっていかなければならない。
 左脳が相当に疲れてしまう、大仕事なのだ。
 でも日本人は、それが出来ない。
 最初から出来ないことなんて、絶対に無い。
 面倒臭いから、やらなくなったのだ。
 だから、自分が住んでいる地域の環境をそのまま切り取って、その環境が、ただ外国を廻って来るだけのことが、好まれ当たり前になってしまったのだ。
 それならば、確かに左脳は疲れない。
 {狡賢|ずるがしこ}いと言えば聞こえはいいけど、実際は、愚かこの上なしだ。
 それで日本人は、自分の{所為|せい}で無能になってしまった左脳を、{呆|あき}れたことに{放|ほ}ったくってしまい、終には腐らせてしまったのだ。

 これが、「腐れ左脳のニッポンジン」と{揶揄|やゆ}されるようになった{所以|ゆえん}というわけだ。

 そんな{経緯|いきさつ}で退化した自分の脳を、見捨ててしまった者たち。
 そんな脳の退化に気づき、それを防ごうとしている者たち。
 そうではなくて、人間本来の自然の一部に立ち返ろうとする者たち。

 ……と、この三つの亜種に分化してしまったのが、被保護国ジャポンの今のニッポンジンなのだ。
 
2024.3.24 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第15回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第15回

   一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (5)

 その夜、妹たちとトモキは、早々にガースカ就寝。
 母のゆか里は{胡坐|あぐら}、エセラはその前で静座である。
 母、俄かに語りだす。

 「何度も言わないから、辛抱してお聴き。
 ほのみやえみみは未だしも、めろんやトモキを外に置き去りにするのはダメです。
 おまえは、トモキとめろんの父親代わりなんだからね。
 思い出してごらんよ。
 おまえが七歳や八歳だったころのこと。
 そのころってさ。
 風邪やインフルエンザなんかより、もっと感染し易いものがあるんだ。
 恐れや怒り、憎しみや{怨|うら}み、冷酷さや残忍さ。
 自分が好かれてるか嫌われてるか、それを知るたんめに必死なんだよ。
 その時分の{子等|こら}は、まさに{対心一処|たいしんいっしょ}の芽生え、{不事不通|ぶじふつう}を可能にする、恐るべき能力者なのさ。
 なんにでも、惜しみも{躊躇|ためら}いもなく、魂を入れてくる。
 そこで、いろんなことに気づく。
 気づけば、「なぜ?」「どうして?」がはじまる。
 その答えを得るためなら、どんな行動にでも出る。
 子どもたちってさァ。
 小さな毛織の帽子の端から毛糸を引っ張り出してスルスルっと解いていくみたいに、疑問も不思議も不可思議も、なんだって、その真相を簡単に見抜いてしまうんだよ。
 しかも、ご飯を食べるかのように、無意識にさ。
 それを、飽くでもなく疲れるでもなく、繰り返し繰り返し、やってのける。
 その度ごとに、家族や社会の中での自分の立ち位置を確認しては、しっかりと記憶の中に収めてゆく。
 そんな中で、自分が好きな人の精神状態には、特に敏感なのさ。
 だから、傷つき易く、過剰にも反応してしまう。
 でもさ。
 子どもたちの本当の恐さ、知ってるかい?
 あの子たちってさァ。
 疑問に思ったことや不思議に感じたことは、しきりに訊いてくるだろッ?
 でも、誰から何を見抜いたかは、何も言わない。
 訊いてみたところで、何も教えちゃあくれない。
 特に男の子は、自分の父親から、自分の将来を見抜くんだ。
 だから、男の子の父親は、気が抜けない。
 良心、霊性、魂を揺さぶって、本音や正体を、えぐり出そうとするんだからねぇ。
 本当はさァ。
 あの子たちに言葉で何を言っても無駄、無意味、ただ{虚|むな}しいだけなのさ。
 ただ、見られてるだけ。
 だから、おまえも、見られるのさ。
 トモキからねぇ」

 母の話は、そこで終わった。
 エセラの父親が突然居なくなったように、エセラも、間もなく{仕来|しきた}りの旅に出ることだろう。
 一の喜家から、また父親が消えるのだ。
 自然の一部、人間も動物なんだから、親と早くに別れることなんて、珍しくもなんともないことじゃないかと、エセラはそんなことを思いながら、夏のものとも秋のものとも判らぬ虫の声が、次第に意識から遠退いていくのだった。

 次の日、エセラは、カズキチを浜辺で待たせ、めろんとトモキを家まで送り届けてから、カズキチと二人で、寺学舎までの田舎道を歩いた。

 砂浜、港の広場の{砂利|ジャリ}道、不陸な古いアスファルトの道路。
 雨の日には、広場にも道路にも、無数に水たまりができる。
 「ニュース、あるぅ?」と、エセラ。
 「臨時ニュースを、お伝えします。
 今、世界中のどこかで、誰かが死にました」と、カズキチ。
 「おまえってさァ。
 なんのために生きてるんだァ?」と、エセラ。
 「痛いを回避するため。
 おまえ、痛いの、好きなのかァ?」と、カズキチ。
 「好きなら、とっくの昔に死んでるよ」と、エセラ。
 「そっかァ。
 死ぬのも、痛いんだもんな。
 こりゃ当分、死ねそうもないなッ!」と、カズキチ。
 「痛くない死に方を求めるために、おまえは生きてるのかァ?」と、エセラ。
 「宇宙人や幽霊を探す人生より、よっぽどマシだろォ?」と、カズキチ。
 「どういうことォ?」と、エセラ。
 「あるかないかも判らないようなもんを探す人生なんて、おれは御免だね」と、カズキチ。
 「人間は、何かを隠すために生きてるんだと思う」と、エセラ。
 「だったら、生まれてこなきゃいいじゃん。
 生まれてこなきゃ隠すもんもないから、手間が省けるじゃん!」と、カズキチ。
 「一理あるけど」と、エセラ。
 「理は、一つだ。
 一理あるんなら、それで終わりだ」と、カズキチ。
 「幽霊って、{居|い}ると思う?」と、エセラ。

 太陽が頭上から背後へ回り、背後の港は、姿を隠した。
 狭い道路の脇には、古い民家が軒を連ねている。
 カズキチが、言った。
 「おまえは、Aを殺した。
 おれは、Bを殺した。
 でも、おれもおまえも、刑務所には入らなかった。
 なんでか、判るかァ?」
 二人は、狭い車道のど真ん中を歩いている。
 古びた平屋の間から、時おり、老いた人間の背中が見える。
 カズキチが、続けた。
 「Aはおまえで、Bはおれだ。
 おまえもおれも、自分を殺したんだ。
 自分を殺しただけなんだから、刑務所にぶち込まれる心配はない。
 大事に思えないってことは、殺したも同然さ」

 二人は、地獄の{館|やかた}の前に差し掛かった。
 子どもたちはみんな、その平屋のことを、そう呼んでいる。
 この平屋より古そうな家は、エセラもカズキチも、思い当たるところがなかった。
 カズキチが、立ち止まって行った。
 「男はみんな、地獄行きさ。
 後悔、{懺悔|ざんげ}、仕舞いには、己を殺して地獄へ{堕|お}ちる」
 「知命もまだなのに、もう地獄におちるんかァ?」と、エセラ。
 二人は、地獄の館の前に立ちすくんだ。
 「イザナミの母神様が居るのかなァ、あの中」と、カズキチ。
 「母が地獄で、娘は空の上で、息子は海の上で遊び{惚|ほう}けてる。
 変な家族だよな、神様んちって」と、エセラ。
 「神様の家族も、父さんは行方知れずかァ?」と、カズキチ。
 「知らないよ。
 訊いてみようよ、母神に」と、エセラ。
 「はーァ?
 おれ、パス。
 どうしても行くって言うんなら、おれ、見張りやっといてやるよ」と、カズキチ。
 「好きにすればいいよ」と、エセラは言って、するりとカズキチに背を向けた。
 
2024.3.23 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 然修緑 第2集 第10回

EF ^^/ 然修緑 第2集 第10回

 一、想夏 (9)

 門人学年 エセラ (美童 齢十三)
 「息恒循」齢 立命期・少循令・鐡将

       歴史を読まないから未来が亡びる

 調査によると、亜種に係わらず、父兄や教師や子等にも係わらず、日本人は、本を読まなくなった。

 特に、肝心な子等が、{甚|はなは}だしく読まなくなった。
 その傾向は、学年が上がるほど、徐々に読まなくなってゆく。
 学校に通うだけで精一杯で、疲れ果て、教養のための読書や人間力を養うための読書をしようという気力が、残っていないのだ。
 だから、親や先生が薦めてくれた本にも、興味が起こらない。
 本に対してがそんなだから、なんに対しても、無関心になってゆく。
 一ヶ月の読書時間が数時間という、怖ろしい調査結果もある。
 こんなに大きな問題にも係わらず、{日|ひ}の{本|もと}の行く末のあまりの怖ろしさに、マスコミもメディアも、この問題に触れようとはしない。

 ヨーロッパの人たちの現状と比較してみても、その恐ろしさは明白だ。
 ヨーロッパ諸国の大人たちは、何かと暇を作っては、ギリシャやローマの古典、フランスやイギリスの著名なモラリストの本を、読み{漁|あさ}っている。
 言わずもがな、対して我が国の大人たちは、歴史や人間の生き方に関する本どころか、読むことすらしない。
 マンガやアニメから、知らず知らず歴史やモラリズムを学んでいる大人たちは、まだマシ、辛うじてまだ救える崖っぷちの人間たちと、言えるのかもしれない。

 {聖驕頽砕|せいきょうたいさい}でアメリカの保護国となり、日の本の国が亡んだまさにその前後、英国が反面教師として、素晴らしい教材を、日本人に授けてくれていた。

 英国のG・オーエル、彼{曰|いわ}く。

 「最近十数年に於けるイギリス生活の支配的な事実の一つは、支配階級の能力の低下ということである。
 特に一九二〇年から四〇年にかけては、それが化学反応のような速さで起こりつつあった。
 何故か支配階級は墜落した。
 能力を、勇敢さを、遂には強情さまで失って、外見だけで根性の無い人物が立派な才幹を持った人物として立てるようになった。
 ――けれども一九三〇年代から起こった帝国主義の一般的{衰頽|すいたい}、又ある程度までイギリス人の志気そのものも衰頽したことは、帝国の沈滞が生んだ副産物の左翼インテリ層の{所為|せい}であった。
 現在忘れてならないのは、何らかの意味で左翼でないインテリはいないということである。
 彼等の精神構造は各種の週刊月刊の雑誌を見ればよくわかる。
 それらのすぐ目につく特徴は一貫して否定的な、文句ばかり並べて、建設的な示唆が全く無いことである。
 料理はパリから、思想はモスクワからの輸入である。
 彼等は考え方を異にする一種の島をなしている。
 インテリが自分の国を恥じているという国は大国の中ではイギリスだけかもしれない。
 国旗を冷笑し、勇敢を野蛮視する、こんな滑稽な習慣が永続できないことは言うまでもない」

 彼は、このようなことを各方面で公平{辛辣|しんらつ}に観察しながら、{斯|こ}うも論じている。
 「最後はイギリスがそれとわからぬくらいに変わっても、やはりイギリスはイギリスとして残るであろう」

 「イギリス」という言葉を、「日の本」に変えても、当て{嵌|はま}まらなくなる部分は、一句も一字もない。
 我が国は、せっかくの反面教師から一切名何も学ぶことをせず、全く同じ道を辿ったのだ。
 せめて、わが国を反面教師として、墜落や滅亡を免れる国があり、国民が居ることを、切に願う。

 我ら日本人は、これから互いに殺し合い、真の滅亡を阻止するのみ。
 
2024.3.17 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 Ethno Fantasy 東亜学纂

EF ^^/ 後裔記 第2集 第14回

EF ^^/ 後裔記 第2集 第14回

   一、想夏 …… 立命期、最後の一年 (4)

 良く晴れた昼下がり、この自然{民族|エスノ}の集落の{子等|こら}は、太陽神への恐れを知らない。
 浦の砂浜に集い、思い思いに転がって過ごす。

 仰向けになって目を細めて太陽神を見遣っていメロンが、唐突に言った。
 「なんで男の子たちって、太陽に向かって吠えるのォ?」
 首を右へ振ると、磯女が住むと伝えられる崖が見える。
 この辺りの砂浜は、ダキの浜と呼ばれている。
 エセラが困った顔をしていると、横からカズキチが口を出した。
 「めろんちゃんは、花子ばァばに似たんだな」
 「わたしはァ?」と、ほのみ。
 「おまえは、ゆか里おばちゃん、そのまんまだろッ!」と、カズキチ。
 ほのみは、「わたしがァ? 似てるぅ?」と独り{言|ご}ちながら、砂の上に放り出していた教学書を片手で拾い上げ、立ち上がった。
 そして、ビシッと言った。
 「えみみもめろんも、いつまでもアマテラス様を見てるんじゃないよ。
 {眩|まぶ}しいでしょ?」
 「母さん、あんな風に見えてるのかァ。
 わからん!」と、エセラがぽつり言った。
 「ゆか里おばちゃんが優しいのは、おまえとトモキにだけだ」と、カズキチ。
 「父さんが厳しかったから、そう見えるだけさ」と、エセラ。
 えみみとめろんが、立ち上がった。
 トモキが、言った。
 「ぼくも、もう見ちゃダメ?」
 「吠えたくなるまで、見てろッ!」と、エセラ。
 カズキチが、顔をエセラの方に振って言った。
 「そこは、丁寧に教えてやれよ」
 「無理。
 こいつ、生まれたその瞬間から、ずっと反抗期だから」と、エセラ。
 「まァ、どこの兄弟も、そんなもんだろう。
 確かに、他人の言葉のほうが、真剣に耳を傾けるかもな」と、カズキチ。
 「それは、あるな。
 じゃあ、よろしくぅ♪」
 そう言うとエセラは、また太陽神の方に向き直って、目を閉じた。
 カズキチが上体を起こすと、トモキもそれに{倣|なら}った。
 カズキチが、言った。

 「太陽の光に浴さねば、生きものは育たん。
 ヒトも、生きもんだ。
 特に男は、太陽に浴さねば、心が育たん。
 理想と精神のことだ。
 情念を燃やして、理想に向かう。
 それは、太陽に全身を向けて、太陽神を仰ぎ見ることに等しい。
 それを怠ると、徳が育たん。
 徳が育たんかったら、才能も芸能も、発揮できん。
 おれたち男がやることは、女には理解できんことが多い。
 当然だ。
 おれたちも、女のやることのほとんどが、理解できん。
 でも、それでいい。
 女の言うことが理解できるようになっちまったら、おれたちは、両生類化したことになる。
 それを退化と見るのが男で、進化と見るのが、女だ。
 おれたちの仕事は、戦うことだ。
 それは、事実だ。
 どんなに否定したところで、事実は動かん。
 事実は事実で、正しいも間違いもない。
 そう考えるのが男で、そうは考えれんのが女だ。
 これは、差別ではなく、区別だ。
 この区別が、事実の{証|あか}しだ。
 どうだァ。
 {解|わか}ったかァ?」

 そう訊かれて、「わからん!」とは、さすがのトモキも言えなかった。
 「解らなかったら、男じゃない」みたいなことを言われて、「解ったかァ?」と訊かれれば、「解った」と答えるしかないではないかァ!
 トモキが、言った。
 「わけわかんねーぇ!!」
 「だから、言っただろッ!
 教えるって、お前が考えてるほど簡単じゃないんだ」と、エセラ。
 「おれは、学師には向いてないってことかァ」と、カズキチ。
 「おれもおまえも、学師にはならず、{仕来|しきた}りの旅を続けたほうがよさそうだな」と、エセラ。
 「ウメキ先輩、苦労が多いんだろうな」と、カズキチ。

 ウメキは、寺学舎の最高学年で、学師を任されていた。
 寺学舎の大半の講釈は、この学師が行う。
 「ウメキ」の名前を聞きつけたえみみが、叫んだ。
 「あたい、ウメキ先輩、好きだよ。
 だって、優しいじゃん」
 えみみは、砂浜の脇に転がっている消波ブロックの上に腰掛けていた。
 「女と植物には優しいからな、ウメキ先輩は……」と、独り言ちるエセラ。

 川向うの平野の町では、時おりミサイル攻撃があるので、子どもたちは、学校には通っていない。
 でも、この半島の突先の港町と浦町あたりは、まだその心配はなく、今でも{美童|ミワラ}たちは、寺学舎に通っている。
 寺学舎では、今も昔も、主に人間学を教えている。
 思いを鍛え、考えを深くし、行動を重んじる。
 各地に寺学舎は存在するが、その何れも、臨済宗か、曹洞宗か、日蓮宗の寺だった。
 自然{民族|エスノ}の集落では、神社も、重要な役割を担っている。
 先の何れの宗派の寺も存在しない集落では、神社を学舎に使っているところもある。

 この暑い盛りの季節、寺学舎に通うのは、朝と夕方だ。
 カズキチが、顔をエセラのほうに向けて、合図を送ってきた。
 {俄|にわ}かに立ち上がった二人は、海岸沿いを歩き出した。
 エセラは、何気に思った。
 母のゆか里が、エセラとトモキにだけ優しいというのは、カズキチの誤解だ。
 エセラから見れば、母は、すこぶる{外面|そとづら}が良い。
 その外面が良いところを見て、「怖いオバハン」に見えているのだ。
 家の中で見せるその素顔は、そのまんまの怖いオバハンにプラスして、ねちっこい{面倒|めんど}っちい母親である。
 特に厄介なのが、ほのみの報告だ。
 その日の周りの言動の委細を、母ゆか里に報告するのだ。
 母にしてもほのみにしても、性を{違|たが}えているとは{云|い}え、えーかげん王子のような{大雑把|おおざっぱ}なエセラと同じ血が通っているとは、どうにも考え{難|にく}い。

 エセラとカズキチとほのみとえみみは、海岸沿いに歩いて寺学舎へと向かい、トモキとめろんは、谷川沿いの峠を歩いて、家路につくのだった。
 
2024.3.16 配信
**^^**--**^^**--**^^**--**^^**
発行 Ethno Fantasy 東亜学纂