アサリの島流し紀行

東京・高円寺から貯金をするために小笠原諸島へ住み込みバイトに行ったバンドマンの日記。都会の超夜型ライブハウスマンが1000kmはなれた船でしかいけない島で人間に戻っていくドキュメントでもあります。Twitter→@asari309 asari official WEB→http://asariweb.net/

アサリの島流し 350+350日目 - 母になる島

時々、夢の中で私は船に乗っている。
夢の中だから決まっておかしな話になっているけど、いつも朝になったら父島に着くってなっているからあの船に乗っているんだと思う。

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あれから一度だけその船に本当に乗った。
それは一航海でお祭りでとても慌ただしくて、本当に逢いたかった人たちと過ごせた島の時間はほんのわずかで、私はあれも、まるでいつもの夢だったなって思っている。ただ、ひとりでもふたりでも私のバンドの仲間を島に連れて行ってあの景色を見せたかった、という目が覚めている時に見ていた夢は、本当になった。

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島から戻ってからの一年はまさに激動だった。
そうなったのも、いつの間にか本当に、私は何から何まで変わってしまっていたからだ。

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そのことを誰かにうまく説明することは、とても難しくて中々できなかった。
例えて言うなら、私の中の青色が島に行くまで当たり前に知っていた色と違ってしまった。だから帰ってからと言うもの、どの青を見ても、まるで青くないような気がした。


どの音を聞いても作り物のような音だった。


どの人に会っても、島の人みたいに本当の顔で笑わないんじゃないかと思った。

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島から引き上げる時、私は次にやるいろんなことを考えていたし、島に行く前の自分がしていたことからの発展だったり、新しい仕事だったり、毎日走り続けることばかり考えていた。
でも抗い難い違和感は日に日に強くなるし、私は「走り続ける」のはやみくもに「走っているようにする」のと違うって、わかってなかった。


そう気づいてから少しの間、文字通り「手も足も止め」て考えた。好きにして過ごしてみた。

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すぐにはわからなくて焦った。焦ってバタバタしていた時、一番古い一番なんて事ない話のできる友達に相談した。なんて事ない友達だから、いつも通り特に立派な答えなんかまったく見つからなかった。


だけどそのなんて事ない友達は、たったひとり、島に行く前と同じ顔で笑った。

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たったそれだけのことだったけれど、私にはたったそれだけで良かった。

答えなんてない答えは、形なく私の腑に落ちた。


そしておまけに、いつの間にかその友達が、矢のような速さで転がって本当の家族になった。


島で大活躍したバリカンをくれた高円寺の床屋のあけみさんが、引き上げてから再び散髪してもらった時
「あらあら、良縁は早いものよ」
と言っていた。

 


そんなこんなで瞬く間に妻になり
母島から引き上げて350日(くらい経った年末年始の頃)
どうやら私は、母になったことがわかった。

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何かの折、小笠原の観光に関わるお仕事の方と一緒に飲んだ時、母島の元職場宿で働く女の子はその後良く嫁ぐ、なんてのを笑いながら話していたことがあった。家事修行に最適な宿業だし確かにそういう先輩も多く
「そりゃあ婚活中の若い女子へPRできますよね!」
なんて笑いながら話していたのを思い出す。
私も一緒になって笑っていた覚えがあるが、自分も見事に体現してしまった。


母になる島、母島。

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小笠原諸島は島に家族の名前がついている。
父島、母島、兄島、弟島、妹島…等々


東京から1000km南の太平洋のど真ん中にポツリと浮かぶ家族の島は、名前に負けず実際に、子供が多くて家族がとても家族らしく暮らしている島だ。
ここには忘れかけた、いや、もう今の世の中じゃ中々出会えなくなってしまった家族の姿、人間のそのもののような日々の暮らしがある。

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世界遺産はきっと自然だけではない。
日本とアメリカを行き来し戦争にかき混ぜられながらも、皆で様々なルーツの文化をガラパゴスの様な場所に持ち寄った。その歴史の結果、他の場所にはない忘れかけていた人間の姿がまた生まれた島なのだ。

 


そんな島も今年は日本への返還50年。
返還祭も記念のお祭りもきっと素晴らしいだろうし、私も行けたら本当に良かったのだが。


この島にとって記念すべき年に、島のおかげでもらった人生最大の仕事、出産を無事に果たすことに専念したいと思う。


今年小笠原へ行ける人がいたら是非、私の代わりに目に焼き付けて、教えてください。
その風を身体に巻きつけてお土産にください。


時々「島に来る前にブログを読みました」って人がいてとても嬉しかったのを覚えています。
もしこれを読んで一歩踏み出した人がいたらまたすごく嬉しいです。(婚活中の女子もぜひ 笑)

 

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すべての色が変わるのは、とても久しぶりの事だけど初めてではなかった。
14歳の時、ソフィーの世界を読んだ時の自分の中の革命を思い出した。私はもう一度、14歳をはじめたようだった。

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たった一人で島に行ってから350+350日。
今はひとりじゃなくなって、そのまた+350日には二人でもなく三人だ。


小笠原という島はやっぱり何かが変わる。

そして本当に家族が増える。
三人になった私は、さあ、これからどんなことをしようか。

アサリの島流し 350日目 - 350日の今日

新しい仕事、新しいコミュニティ、新しい家、新しい毎日。
前とは違う日を過ごすのは簡単だ。
朝起きて、新しい今日は毎日やってくる。

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未来もすぐ過去になる。
当たり前にそばにいた人はいつのまにか思い出の棚に収まって、当たり前に流れた時間はまた、特別なものに戻っていく。

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昨夜の寒さは緩んで、冬がすり抜けるような朝。そういえば船を降りてから、もうひと月以上経ってる。

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枯れるほど泣いた母島からのゆり丸の後、本当はあと2晩父島にいるつもりだった。
あかしちゃんやヒロさんにも、シュウさんにもカイくんにだって会いたかったし、音を出したかったけど、冬の海がよく荒れることをすっかり忘れていた。

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出港が1日早まってたった一晩、母島にいた時たくさん遊んでくれた人や、前のおが丸以来仲良くなれた幾人かの人、それから忘れちゃならないBAR青灯台のマルさんともね。泣いた後の夜は水分が欲しくて、たくさん飲んだ。

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BAR青灯台への再訪は叶ったけど、今度はほんとに5月に閉店になるらしい。前より少し優しく色っぽくなった気がするマルさんと、未来の話なんかをした。

 

父島からの出港はかなり厳しい海況だった中、翌週に引き上げる(私が来るよりずっと昔、同じラメーフにいた)ツッチー先輩が飛び込んで見送ってくれた。出張のみなちゃんと一緒の船で、なんだか降りるまでまだ母島に戻らない実感がない。

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けれど船が竹芝に着く頃、放送でokeiさんの歌が流れて、私はもう一度だけ少し泣いた。

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東京はすごく速い。よく歩く。そして寒い。

すぐに新しい絆家での暮らしがはじまって、新しい友達とたくさん出会ったり、またいろんな友達と再会したりの日が続いた。

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島流しLIFEがはじまってから350日目の日。

 

その日は昨年旅立ち前にドキドキしながら行った小笠原dayがあった。
そして、私のホームだった高円寺club Mission's最後の営業日だった。

 

昼間は母島のスタッフとして、知ってる島のみんなが長い時間をかけて作った、海底熟成ラムの試飲案内をした。

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売り切れる程好評だったし、働いていた時に泊まってくれたお客さんに何人も再会する嬉しい時間だった。

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そこから急いで行った高円寺、ミッションズ最後の日をお客さんとして見守った。すべてのバンドに思い出があるような日で、そこに集う顔はみんな仲間ばかりだった。


そんな最後の日トリの演奏は雷怒音。私自身のバンドasariの演奏でサポートしてもらったり、送別会してもらったり、元々はミッションズのスタッフ同士だったりしたジャギーさんのバンド。

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そして雷怒音の計らいで…
ほぼ一文字違いのバンドで初めて対バンした数年前からたくさん一緒にやってきたa.s.a.nのギターあっくんと、私はミッションズ最後の一曲になった「沈まぬ太陽」を共に演奏した。

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島で過ごしたたくさんのこと、そして終わろうとしている高円寺ミッションズでの…数えきれない記憶を、ただ一曲に込めて一所懸命に歌った。

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ステージの上から見てた景色は、いつか母島のサンセットシアターから見た沈む夕陽みたいで、ミッションズのジャックダニエルフラッグの…時計あたりにいつまでも沈まない、そんな気がした。

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今日は春の様な生温い気温で、島のスコールみたいな雨とは違う傘が要らない小雨が降っている。


もうすぐ春が来て、島から子供達や転勤の先生、そしてクジラ達が旅立って…また水着で泳ぐ様な夏がすぐにやって来るだろう。

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島から帰ってきた今、このブログをもう終わるべきかと考えていた。

 

けれど私の毎日は家や仕事が変わっただけでなく、何かが少し変わった。

私の心の中には今も島の海や星空が生きていて、まだ私の「島流し」は終わらない。

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だから時々、毎日の隙間ふと浮かんだ時、心の中の母島のことを、島流しが変えてくれたことを、また書こうと思います。

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一年間、短く長い時間を一緒に過ごしてくれた母島・父島のみんな、読んでくれて一緒に島暮らししてくれたみんな、ほんとにありがとうございます。
そしてこれからも…よろしくお願いします。

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一生の友達だからね。
だからまだ、はじまったばかりじゃん!

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アサリの島流し 340日目 - さよなら母島

”僕らの住むこの世界では旅に出る理由があって、誰も皆手を振ってはしばし別れる”

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12月頃から脇浜で1人ギター稽古しにいく時、この歌をよく歌っていた。

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その度にグッと何かを飲み込んだ。

 

お別れライブが終わって、やっと腹を決めたようにようやく荷造りに取り掛かる。
あと少しと思えない朝と夜がやってくる。

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会う度に友達が
「これでお別れかもしれない」
と口に出すようになった。私もそうかもしれないと思いながら
「まあ船に乗るまではいるからどっかで会うかもね、またね!」
ばかり繰り返す。

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出発の日の朝、秋にのりちゃんを見送った様に朝日を見に連れてってくれた。

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また平日でごめんよ。朝日が昇るのを見届けると、友達達は仕事へ向かった。

 

ギリギリまでかかって書けるだけの手紙を書いた。書き始めたらあの人、この人、家族をひとつにして60くらい書いたけど、書ききらなかった人もいた。
荷物をまとめて部屋の掃除を終えると、みさちゃんから借りていたヤンキーみたいな音の原付で手紙を配達してまわる。

 

学校の先生には特に友達が多かったから、仕事中なので入口の事務、松土氏に預けることにした。
すると
「いま授業ない人もいるから…」
声をかけたらたくさん出てきてくれた。
まっすーは教室からクラスの子供達も一緒に。
下駄箱のところにワラワラいる顔を見て、ああ、もう帰るのか…?とまた何かを飲み込んだ。

 

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最後のランチを食べに職場だったルシエルへ。船酔したら困るからうどんにして!とみさちゃんに我儘を言った。

ゆっくり食べてお土産を買ってもまだなんか帰る気がしない。

 

時間はいつもの様に過ぎて、出港の時間はすぐやってきた。あまり乗る人のいないはずな入港翌日だが…船客待合所には私より先に来てくれてた人、仕事を抜け出して来てくれた人…たくさんの顔、友達の顔。

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それでもまだ何かを飲み込んで私は笑ってた。ちょっと出かけるだけの様な気がしてた。

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そうこうしていたら…その時が来て。はは丸の代わりに運行してるゆり丸に乗り込むため大岸を歩く。

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その時、どこからともなく。
太鼓の音が。
初めて聞いた時と同じ、土を跳ねる様な小笠原太鼓のビートが響いてきた。

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大岸にはみんな仕事のはずの太鼓の先輩達がずらっといて、見送り太鼓を打ち鳴らしてくれてる。 


飲み込みきれなかったものが目からぽろぽろ突然溢れ出した。

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ずっと一緒に太鼓やってた同い年の友達みどりちゃんに促されて、私はとても情けない顔で太鼓を叩く。

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なんとか終わりを決め、船に乗った。

 

同じ釜の飯で過ごしてきた同僚達がすぐ近くで手を振ってて、一番よく一緒に飲んでたりさはぐしゃぐしゃ泣いてる。

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しっかりしなさい、と思いながら私も一度溢れ出したものは止まらない。

 

船は動き出した。

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汽笛の音を聞きながら、頭が花壇の様になるくらい、何本もらったかわからないくらいのレイをひとつづつ海に返す。

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浜に流れ着くと、また帰って来れるんだって。こんだけあったらひとつは絶対流れ着くよ。だから。

必ず帰って来れる。

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岸壁の端までみんな、追いかけてくれて、島では最も気温が下がるこの寒い時期に…飛び込んで手を振る姿が見えた。

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島は瞬く間に小さくなった。

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もう離れるなんて信じられない。
明日またみんなにおはようを言わないなんて。

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島影が小さくなりデッキからようやく中に入ると、たまたま出張で父島に行く為一緒の船に乗ったモコちゃんと向井さんが、船の中で荷物と場所を取っててくれた。

 

ちょっと眠ろうかね。

 

そう言ってそれから父島へ着くまで2時間。
私は身体中の水分がカラカラになるんじゃないかってほど、ずっと泣いていた。

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さよなら、またね、母島。

アサリの島流し 337日目 - 人生で一番幸せ者だった夜

なかなかうまく書けなかった。

やっと1/9のライブについて書きます。

今回はどうしても短くできなかった。長文をお許しください。

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歌うことについて、いや演奏することについて、考えたり発見することはいくつもあった。
初めは「歌うこと自分を表すこと」だった。表現は音楽を越えて自分自信の分身を吐き出すようだ。
それからずいぶん経って「歌うことは話すこと」になった。真夜中に気心の知れた友達と語り合うように、聞いてる人へ話すことのようだ。

 

そして島に来てまた発見した。
聞いている人の前で歌うということはその心と「共に歌うこと」だ。

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内地へ帰る日が決まったことを伝えた時、この一年で2つほど一緒にバンドをやっていたジャイアンから「せっかくだから帰る前に何かやってから帰ろう」と言ってもらった。
そうだなあ、ほんとは3月の船待ライブまでいれたらよかったけど…せっかくみんな練習してきたしなあ。

 

この島には高円寺や新宿みたいにバンドマンがたくさんいるわけじゃない。けれど、この島の人達はほんとたくさん音楽を聴いて愛してる。
だからこそ、何歳の人でも素敵だと思う楽器に出会えばチャレンジしてみたり、飲みながら音が鳴れば踊ったり、ほんとに音楽を知っている人が多かった。


ライブハウスの友達達みたいに手先は動かないけど、その旋律には一つ一つの愛が溢れる。

早速の行動力でジャイアンはみるみるうちに企画してくれた。12月に入って島を歩くと、ちょっと気恥ずかしいくらいにこのポスターに出会った。

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あさりちゃん、掲示板見たよ、もうすぐ帰っちゃうの?ライブ楽しみにしてるからね!
その日が近づく程に、日々たくさんの人に声をかけてもらうことは初めてだった。

 

違うメンバーとの演奏を5つ持っていた私は、まあもう、毎日昼夜隙間は常に稽古といった具合。へとへとになりながらいつの間にか当日の朝。

島では本当にお世話になりっぱなしだった島のPAギタリストびっちさんの指揮の元、機材を早くから来れる男性陣が運搬。一方ジャズバンドメンバーは、音楽室をライブホールに改装する。

ずっと一緒に練習してきたけど怪我してこの日残念ながら出演できなかったサックスのノエルちゃんが、小さなランプを作ってくれた。

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よく見ると、浅蜊の解剖図、芸人のあさりど、漫画のあさりちゃん…アサリだらけ 笑
こんな小さな物にもすごく愛がこもってて。

 

午後からのリハが進み、夕方になり。
会場に人が集まりだす。
すでに出演だけでもこんなにたくさんの人が…と私は胸いっぱいなのだが。
始まりの時間になると、子供からお年寄りまで、本当にたくさんの島民が来てくれた。

 

語りだしたら、きりがない。私明日死ぬんじゃないかくらいの、人生で一番幸せ者だった夜を。

 

1.ツナノリジャンキー

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太鼓同好会の大好きな先輩3人が、アコギ、ハープ、ドラムに持ち変え「プカプカ」を演奏してくれた(私っぽいイメージだそうです 笑)。
この先輩達ほど音楽好きな人、私いないと思う。本当に自由な音楽の楽しみ方を教えてくれた。

 

2.しょうたいむ

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ギター部作りたいよね!とかいつだったか話したな。本当に良い顔をして演奏する3人。

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後半は島の王子様の呼び声高い翔くんと私で、ギターアンサンブル。人生初のギターソロにチャレンジさせてもらった。

 

3.ひみつの三線

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この方も太鼓の先輩。そして三線も、素晴らしいリズム感で軽やかに弾き歌うそのつややかな音楽にとても憧れた女性でした。まさかライブに出てくれるなんて、それだけでも感涙ものだったけど、演奏はやはり最高だった。


4.LRserf

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生まれてから今まで、こんなに名前呼ばれるのは初めてかもくらいに「アサリ」を加えまくったオリジナル歌詞アレンジで、ボサノバからロックの名曲までおもしろかっこいいメドレー。
たくさん遊んだ友達カズくん、ギターやはりうまい!そしてカンさんポルトガル語さすが!
人の心を掴むのが天性みたいな2人。

 

5.GIANT PINE SHELLZ

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GuVoは企画のジャイアン、Dr松土慎太郎。それに今回出れなかったBaまっすーという編成のスタジオへDr教えに…と参加しだして、いつの間にKey弾くようになったバンド。松土氏のDrがメキメキ伸びるのが楽しかった。いろんなカバーもやれたし、夏に木こりのアーボマン達とライブした時以来のharp綱さんともご一緒できてよかった。それぞれ「想い」っていうのを形にすることができた気がする演奏だった。

 

6.梅野圭一

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シークレットって誰だろう⁈と、当日まったく初めて演奏を聴いた梅野さん。世界を一周する音楽は、老若男女に楽しめる、まさにガイドされてすっかり私も旅してしまった。私よりも歳を重ねてからjazzピアノにトライされた話を聞いて、ほんと音楽に壁はないことを教えてもらった。

 

7.あさりの味噌汁

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5月に一曲やってから、たくさん遊んだり飲み会したり、たぶん私にとって初めてのガールズバンドだった。大好きな友達達と音楽を一緒に弾いて歌って、音楽とは何かという価値観を変えてくれたのはこのバンドだった。

 

8.taeKoni!

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母島では公私ともにいつも助けてくれてた良き兄さん姉さんコンビ。2人揃って高い演奏技術の超絶ウクレレインストにテンションを抑えられない。フットワーク軽く飛び回り自由に暮らす2人は私にとってやっぱり素敵なお手本だった。

 

9.びっち

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昨年3月初めて見た時に弾いてたBaで「私この方となんとか何かをやりたい」と思った。音とは雄弁だ。私の直感に間違いはなかった。誘い出してはセッションしてもらったり、年末からはギターアンサンブルでご一緒したり、時々仕事の悩みを聞いてもらったり…頼れる先輩。この日の出演でも唯一のオリジナル曲を演奏してくれた。歌声が素晴らしいギタリスト。びっちさんがいてくれなかったら、島で音楽できなかったと思う。ほんとに有り難かった。

 

10.母島ジャズバンド

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とにかくみんなでチャレンジしてみよう!ということで、ほぼ未経験メンバーが集まりはじめたjazz。練習に入る度に初心、私が初めてセッションに参加した日のことを思い出す(しめピーというバンドだったなあ)。ライブが決まってから気持ちをひとつにグンと伸びて、ほんといい演奏ができた。やっていてすごく楽しいメンバーだった。またいつか、音を出したい、ほんと。

 

11.アサリ

⑪あさりちゃんソロ 母島冬の音楽会2017 ~ありがとうあさりちゃん - YouTube

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1曲目someは島の友達もよく覚えてくれた曲で、びっちさんGuと私ピアノで演奏。2曲目ラプラス、3曲目ハートランドはピアノソロで。必死に全力で歌うことだけを考えてたら意識が飛ぶほどだったけど、たぶん、島に来る前と違ったライブができた気がする。

 

もう、長くなりすぎた。
なかなか書けなかった。

来てくれた小さな子からブンタンやお手紙、かわいらしいたくさんの笑顔をもらったり、私の胸は詰まったままだ。実はいまだ勿体無くて食べれなくて、葛西の部屋に飾ったまま…苦笑 

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もし人生最良の日を挙げるなら、私はしばらくこの日を挙げると思う。

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言葉にならないたくさんの光景と音楽がまだしっかり焼きついている。

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客船待合のウッドデッキには、打ち上げの為に工事の人がテーブルになるように資材を置いておいてくれて、プロジェクターやらクーラーボックス、手づくりおつまみを忙しい中持ってきてくれたり。

 

みんな日曜日、朝から晩までずっと一緒に、いやその前からずっと…。

 

こんなにもらって、どう書いたって言葉が足りるわけがない。

 

あの日を越えて、島にお別れを告げることに、ようやく向き合った私がいた。

My love is the way that dosen't know the end.
Unforgettable days...again

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アサリの島流し 335日目 - さよならの形

さよならの仕方には形がある。

じゃあね、またね、おつかれさま、元気でね、良い旅を、幸運に恵まれますように、再び会おう、ありがとう…等

この島と私とのさよならはどんなさよならだったのだろう。

離れた今東京にいる私と、あの島は再び1000km海を隔ててしまった。

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でも心なしか前より、1000kmってそんな遠くないよね?と思ってる。

 

正月三ヶ日が過ぎると、迫る音楽会の為の練習が毎日なにかしらあり島のあちこちで楽器の音が聞こえた。

そしてたくさんの、私にとって島の中では「最後の」ことが続いた。

 

1/5は最後の太鼓。

まだあまり知り合いのいない頃から仲間にいれてもらって、一年間たくさん教えてもらった。

 

小笠原太鼓同好会のお別れ、と言えばいろんな人が叩いてくれる百叩き。

動画を撮ってもらったら4:47、その日参加してた15人の人が叩いてくれてた。

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下打ちをしてもらう度、それぞれの人から教わったいろんなことが、まさに走馬灯の様に浮かぶ。

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私はほんとにたくさん、たくさん、もらったなあ。

 

たくさん遊んで

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たくさん歌って

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たくさん弾いて

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 たくさん集まって

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たくさん見送って

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たくさん作ってもらって

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たくさん行事をして

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たくさん夕日を待って

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たくさん朝日を追いかけて

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たくさん、たくさんのことを書くのに文字はとてもじゃないから追いつくわけない。

 

人口450人ちょっと、隣の島までは1日一往復、船で2時間。

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島に来る物資やお客さんは一週間に一度。

集落はそのほとんどが半径500mくらいの中。

買い物できる商店は3軒。

持ってる物も、作れる物も限られていて。

 

それなのに。

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島の日々の終わりが近づいて、私は自分のブログの無謀さを知るばかりだ。

こんな日々を書ききれるわけなかった。

 

私は今までもたくさん出会って別れて手にして離れて、そんな風に生きてきたけれど。

 

いったいどれだけのことをちゃんと見てきたのだろう。

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私の中のこの島とのさよならの大きさは、太陽と海の間で急激に膨らんでいった。

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アサリの島流し 331日目 - 走れ!乳房山登山隊

離れていても繋がって、どこかのできごとを知ることができる時代である。

 

島に来てからこの1年の間しこしこ書き連ねたこのブログを「読んでるよ」と声かけてもらうことが、季節を追うごとにどんどん増えた。

 

バンドの知り合いやお客さん…仲良くなった島民…10年以上ぶりに連絡来た田舎の旧友の知り合いの知り合い…島に観光で来るお客さんまで…実にとんでもなくいろいろな人から声をいただくごと…恐縮してリアクションがカクカクしてしまう私だった。

それでも読んだみなさんの、何か楽しい暇になっていたなら、この上ない幸せであります。

 

今、私は東京の冬にいます。

引き上げ直前は全く書く暇がなかった。

もったいなくて書けなかった。

 

島にいる約450人くらいの、太陽の光で見えて触れることのできる人達と、一緒にいる。そのことだけがリアルだった。

今日という日に、 すれ違い様に挨拶をしたり、握手をしたり、手を振って見送ったり、仕事したり酒飲んだり音楽を一緒に演奏したり。

その一人一人がその瞬間一番大事な今だった。

 

内地に戻ってからも慌ただしく、記事が引き上げの日に追いつくまでまだしばらくかかりそうだけど、薄れない内に追いかけよう。

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年末年始のお客さんが出港して静かさが戻った1/3。実は一年居ていまだ乳房山に登っていなかった(お客さんに散々案内しておきながら…)私に何人か友達が付き合ってくれて、最初で最後の登山遠足に出かけた。

 

天気は晴れ、心地いい気温。

小さな隊長を先頭に、しりとりや連想ゲームをしながら登る。

最近仕事やら飲みやらで集落の中にばかりいて歩いていなかった大人は、最初の坂道からゼイゼイしながら登る。

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子供達は元気だ。途中道がゴツゴツするまで、アースデイと同じく裸足で登るくらい。(途中で履いた…のもギョサンだし!島っ子の足はたくましい!)

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道脇の植物やカタツムリ。f:id:shima_asari309:20170117163153j:image

不意に抜ける空。

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 子供達は歌うみたいに笑う。

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道中現れたがじゅまるの森。

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かくれんぼしよーよ!と小さな隊長の発案により盛大な道草がはじまる。

子供は遊び方が上手い。瞬く間に数メートルの高さをスルスル登る。

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あんまり早く数えちゃダメ!と言われて、それならと九九で数える。時々間違えながら 苦笑

探すときは音を頼りに。すぐしびれ切らしてソワソワする音が聞こえる。

大人だってすごいんだぞ!とバンバン見つけてると、大きな友達もはるか上にいた。

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遊びに夢中ですっかりお腹が空いてきた一行は腹時計を頼りに山頂を、というかおにぎりを、目指し再始動。

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青い空に呼ばれる様に初めて小笠原で一番高いところにたどり着いた。

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抜群に澄んでて父島までよく見える。

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小さな展望台でおしくらまんじゅうみたいな登頂記念。

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待望のおにぎりタイム!案外早く登り過ぎて11時前に食べだした…。

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※誰かがリアル「おむすびころりん 」した直後

 

帰り道は以前絵を描いたけどまだ見たことなかった…

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オカモノアラガイがフィーバーの如く現れた!

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山中でたまたま会った島の人とも、大人達大興奮!触れずにツノを出させる秘技を編み出したりして写真撮りまくりの観察会は20分程盛り上がった。

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その合間に待ちきれなくなった子供達がしびれ切らして先に行ってしまった。

あのナメクジみたいなのがそんなにおもしろいの⁈と希少な生き物も子供達にはいつもそばにいる生き物なんだろう…。

 

私よりはるかに慣れてるけどせっかくだし一緒に行こうよー!と私。美しい南の島の山を走っては撮り走っては撮り…追いかけることにした。

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稜線を縫う様に下る帰り道。

時々、おうい!とかすかに呼びかけ合いながら…。

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原始の森の様で

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近代の爪痕も

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転がる様に走って追いつくのに結局1km以上走る30代半ばの私…滝汗

「あっ!アサリちゃん!意外と早かったね!」

と言われて追いついたのは、もう集落がしっかり見える見晴台のあたりだった。

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私達の家って小さいねー!

でも学校は大きい!

 

ああ、私にとってすごい南の果ての島。

大人にとって希少な固有種の溢れた世界遺産の島。

でもこの子らにとって、社会のほとんどすべてで、暮らす家。

 

昼過ぎに無事下山。

しかし一番小さな隊長以外全員ヘトヘトになって私もすっかり昼寝した。

 

明日は筋肉痛かなあ…

観光協会に登頂記念証をもらいに行く夕方、もうすぐ夕焼け、漁船には正月飾り。

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ここが今の私の暮らす家。

それは途中にあった「お母さんの木」に育つ、小さな植物みたいだと思った。 

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また、種が飛んでどこかに。

 

アサリの島流し 324日目 - 南の島の年越しは延長15回の夏休み

あけましておめでとうございます!

太平洋のど真ん中より、今年もよろしくお願いします。

 

ここ数年、ライブハウスで年越し36時間過ごしていた私、昼型生活になり今年こそ肝臓に優しい寝正月を…

 

とはいかず、やはり今年も…飲んで仕事弾いて飲んで仕事…という、睡眠ままならない年末年始を過ごしました。

 

ひとつ違うのは、相変わらず未だに靴下あまり履いてないこと…。

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書きはじめたらきりがない程の想い出ばかり…写真多めで残しておこうと思う。

 

前記事で書ききれなかったクリスマスの続きから。

 

25日はクリスマスへの意気込みが誰より強いパーティボーイ・島のALT先生ミッチェル企画で、本場さながらの料理を持ち寄る屋外クリスマスパーティがあった。

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エッグノッグに二種のソースがあるターキー(丸ごと)は、あのテーマパークにいる気分みたいな味がした。

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島で最も女子力高い気がする2人が作ったターキーは、人生で食べたどのクリスマス料理より美味かった。

(この後、骨を圧力鍋でシチューにするあたりもさすがだ…勝てない…)

 

それから、年末年始は本当によく弾いた。

こんなにたくさんクリスマスソング覚えた年もなかった。

ウクレレ人口が多い島のクリスマスシーズンはとっても優しい音楽に溢れている。

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クリスマスが終わっても毎日飲み続き、がじゅ下も毎夜賑やかな日々。

酔っ払いながらトランプゲーム教わったり

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たこ焼き食べて

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ボーイズとスマホゲームして

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街の年末年始みたいな華やかな感じではないけど、どことなく島の中も慌ただしくちょっとウキウキ。

私たち観光関連業の忙しさも最早テンションで乗り切る。

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↑朝から?謎のテンションだった年末年始の職場

大晦日の夕食を片付けてみんなで紅白見たり。

(考えてみたら大晦日にTVみたの数年ぶり)

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ゆく年くる年の時間に店を出てカウントダウンは月ケ岡神社で。

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宮司さんすらいない島、おみくじ、お神酒、お炊き上げも役場や地域の人がやる。

 

島にひとつしかない場所、みんな知ってる顔、みんな好きな人達がみんな続々集まる。

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海の果てで迎えた新年に、感動のあまり泣いているお客さんがいた。

特別な年越しだった。

 

明けた元旦は仕込んできた最後の大仕事…

ので初日の出には行けなかったけど、朝入り口を開けると快晴の空が青かった。

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朝食後、寝不足グロッキーをなんとか立て直して日本で一番早い海開きへ。

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そもそも海…閉じてないけど…

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初泳ぎ!

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元旦からはしゃぎまくってずぶ濡れの映像が、ネットニュースで流れてたらしくて、当たり前ながら動画中すべて知ってる顔まんまで笑った。

…の、ニュース動画はこちら→気温20度!「日本一早い海開き」 小笠原諸島・母島

 

ウミガメのりゅうちゃんとツバサも海に送り出した!(正確にカメ達には名前ないけど、放した人の名前でみんな応援した 笑)

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仕込んでおいたお年賀。大晦日はひたすらアクセサリー工芸に勤しみました。

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オーナー秘伝のごま雑煮(汁投入前)

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元旦の夕食。おせち家族用じゃないのは初めてだから今年はめっちゃ勉強した…。

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めまぐるしい年越しを終えて2日になりやっと一息ついた。最後の繁忙期を終えると、仕事的にもあとはフェードしていく。

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ハッとしたら、もう二週間をきっていた。

2日の出港を見守る時なんだか複雑な顔をしてしまったのは、寝不足のせいだけじゃない。

 

当たり前にあるものに、お別れを告げなくてはならない。なのにまだ、当たり前すぎて実感がわかない。

 

延長15回の夏があと少し。