<雑学シリーズ第7弾>スズキもホンダもモンスーンとにらめっこ!?
モンスーンって結局何?
モンスーンと聞くと上の写真の様な光景を思い浮かべる人が多いかもしれない。
私もその一人だが、モンスーンは特に雨季を表わしている訳ではなく、正確には季節風を表わしている。
インドでも年中吹いているわけだが、その向きが時期によって異なる。
10月ごろから5月ごろにかけては北東の内陸から乾燥した季節風が吹く。
そして徐々にその風が弱まり、6月ごろから次第に南西からの季節風に切り替わる。
当然、南西からの季節風は海を通るためたっぷり水分を含んでいる。
その結果、インドでは南西部から順番に雨季が始まる。6月から9月の僅か4カ月で1年の80%近くの雨をインドにもたらす。
下の表はムンバイの一年間の気候推移を表わしている。
これを見るとその降水量が一目で理解できるが、凄まじい量が短期間に降っている。
そして街によっては河が溢れ、洪水となる。特にガンジス河が流れ込む東インドではその洪水の影響を受けやすい。
インドの気候はモンスーンだけではなく、非常に多様なので詳細は別途記事に纏めております。
モンスーンがもたらすメリット
毎年洪水が発生して家が浸水したりすると何だか嫌になってきそうだが、モンスーンがインドにもたらす物はデメリットだけではない。
簡単な話だが、インドの大地に水を供給してくれる。
インドでは年中野菜を栽培している訳だが、乾季にも当然たくさん野菜を生産している。では、乾季に使う水はどこから供給されるかと言うと、雨季に溜まった地下水や河川水、池などがそれに該当する。
つまり、雨季の大雨があってこそインドの農業は成立する。
昨年度は何十年に一度の大干ばつであった。驚く程水が無くなるのである。
当然、農家の動きは鈍く、水が無いなら無理して野菜を作付しない農家も多かったようだ。
スズキやホンダもモンスーンを注視しているのはなぜ?
農業関連の会社がモンスーンの動向を注視しているのは至極当然であると言える。例えば、農薬会社はモンスーンの量によって農家の動きが変わるため、雨量によってはその売り上げが大きく変動することになる。
では、なぜスズキやホンダの様な製造業の会社がモンスーンを注視しているのか。
勿論、大雨による工場への浸水を防ぐにはどうすれば良いか、社員の安全を如何に確保するかなどの課題もあるであろう。
しかし、最も深刻なのはインド人の消費意欲である。
インド人は未だに大半が農村部で生活している。その割合こそ減少傾向にあるものの、依然70-80%以上は農村部で生活していると言われている。
前述したように南東からのモンスーンが弱まると、雨量が減り、干ばつが起きる。
水が少なければ野菜の収量は減少する。もっと言えば、農家は作付自体を減らす可能性も高く、そうなると当然収入も減るため大きな買い物は控えるようになってしまう。購買意欲が減少してしまうのである。
するとどうなるか。
日常生活に必須な食料品は購入するが、バイクや車の購入は一年見送る人も多いと言う。極端に思うが、モンスーンの長さが一日変わるだけで、バイクの販売量が増減する。
つまり、スズキやホンダはモンスーンの長短を観ながら、車やバイクの生産台数を調整しなければならないのである。
これが彼らもモンスーンを注視している理由である。
まとめ
日本では梅雨が多少長引こうが、短くなろうが経済に与える影響は大して大きくない。
しかし、農業大国インドに於いては一国のGDPや経済成長がモンスーンの長短によって左右されるのである。中々想像しがたい部分ではあるが、それほどインド人の生活には天候が切り離せないのである。
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<雑学シリーズ第6弾>祇園祭の起源はインド?
誰もが知る祇園祭。京都が生まれなのか?
答えは、正確にはわからない。となるが、インド起源という説が濃厚のようだ。
っとその前に、そもそも祇園祭とはどういう祭りなのでしょうか。
今では天神祭や、神田祭と並んで日本三大祭りの一つとして数えられているこの祭り、山車を出し合って街をねり歩く光景はまさに圧倒だが、何のためにやっているのでしょうか。恥ずかしながら、私もその意味については最近までほとんど全然知りませんでした・・・。
明治まで祇園祭は祇園怨霊会と言われていた。この祇園怨霊会が始まった当時、疫病が流行していた。当然、現代の様な医学は無く、何らかの形で亡くなった人々が恨みを現世に残したまま怨霊となっているためこの疫病がもたらされているとされていた。
そして、当時の人々はこの怨霊会を行うことでそれらを鎮めようと努めたのである。かなりざっくりとではあるが、これが祇園祭の起源である。
山車を出して練り歩く文化はどこから来たのか。
山車の文化、日本で始まった訳ではない。これらは現在の中国から伝わってきた文化らしい。では、中国の文化なのかというとそうではない。
中国にはかの有名な三蔵法師が伝えたと言われている。では、この三蔵法師はどこでこの山車文化を見つけたのだろうか。
仏教の起源、インド。オリッサ州に始まる文化
仏教の起源は言うまでもなくインドである。ブッダの故郷はネパールであるが、ブッタが悟りを開いたのは現在のビハール州にあるブッダガヤであり、仏教の歴史はインドから始まったと言っても過言ではない。
そしてそのビハール州の南東に位置するオリッサ州が今回の舞台である。
オリッサ州のプリーという町で6-7月にかけて年に一度ラト・ヤートラーというお祭りが開催される。
お祭りの様子↓
どこかで見たことのある光景・・・そう、まさにこれこそが山車の起源と言えるのではないだろうか。日本語の山車とは少し異なっておりジャガンナートという神様とその兄弟(下写真左からジャンガナート、バララーマ、スバドラー)を載せている。ちなみにだが、ジャンガナートは元々この地の土着の神様であったが、現在はクリシュナの化身として扱われ、この地はヒンドゥー教四大聖地の一つに数えられている。
山車と言うよりは日本で言うお神輿に近いのかもしれないが、沢山のロープに人が群がって引っ張っている光景を見るとやはり山車なのではないかと思ってしまう。
このお祭りは、グンディチャー寺院に向かって約2.7kmの道のりをねり歩く。
そもそもこのラト・ヤートラーというお祭り、日本語訳にすると「山車の行進」という名前になる。
まさに、この山車という文化がこのインドのオリッサ州からきていることを表わしている気がしてならない。このお祭りを見た三蔵法師が中国に伝え、それが日本に伝わってきたとされている。
祇園祭のちょっとした豆知識
と、色々書いてきましたが、必ずしもこの説が正しいとは言えない。
しかし、実は祇園祭の中にも明らかに異文化が混じっている様子が見て取れる部分がある。山鉾も祇園祭では有名だと思うが、この山鉾、良く見てもらうとラクダやピラミッドの様な模様が見えるのである。
京都に昔ラクダが居たとは思い難い。とするならば、この祇園祭の原点は日本では無く遠く離れた異国の地なのかもしれない。
まとめ
日本とつながるインド。調べていけばいくほど、日本とインドの共通点が浮かび上がってくる。日本人の起源は中国大陸であると言われているが、その中国人の一部はインドの影響を強く受けていることは間違いない。
距離にしてかなり離れてはいるが、それでもどこか通じ合えるところがあるのかなと思うと少しワクワクしてくるのである。
インド人と話す機会がある方はぜひこの話をしてみてはいかがでしょうか。
それでは(^^)/
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<文化シリーズ第6弾>魚は牛肉よりも食べてはならない?
ベジタリアンと非ベジタリアンの境界線は?
ベジタリアンと聞けば、どんな人を思い起こすだろうか。
大体、ベジタリアン=菜食主義者、野菜中心の生活をしている人
となる。
では、牛乳は??チーズは?卵は・・・?
このあたりが聞かれてもパッと回答できない。
ベジタリアンに明確な定義は無いため、どこまで許容できるかはその人次第なのである。例えば、インド人の中には動物性たんぱく質を一切受け付けない人もいる。
もちろん、牛乳もダメ、チーズもダメ、卵もダメ。
そうかと思えば、肉で無ければ全てOKの人もいる。
インド人のベジタリアンと言えば、大よそこの分類に入る。
ただ、卵が少しややこしい。下記に詳細を纏めたが、そもそもベジタリアンである理由は非暴力の精神から来ているとも言われている。つまり不殺生である。
卵はOKなのか?
鶏肉、豚肉、牛肉など肉を食べるには当然動物を殺さなければならない。これを禁忌としているためベジタリアンが多い。
この定義で見てみると、牛乳、バター、卵はどうだろうか。
牛乳は乳牛の乳をもらっているだけなのでもちろん問題ない。
バターもその牛乳から作るので問題ない。
卵は・・・。そう、卵はある意味、生命そのものを食用にしているため捉え方によっては殺生をしていることになる。
しかし、卵を食べるインド人はかなり多い。それはなぜか?
答えは、無精卵ならOKという考えがあるのである。勿論調理されて出てきたものが有精卵なのか無精卵なのか判断の仕様がない。曖昧ではあるが、基本的に無精卵であるという認識のもと卵は基本的に食用となっている。
非菜食主義者が最も消費するのはチキン?マトン?
さて、ベジタリアンについて言及してきたが、非ベジタリアンはどういった肉を消費するのか。もちろん、地域や宗教によっても異なるが、チキンやマトンが最も多い。
しかし、実はこれも一概には言えない。非ベジタリアンのインド人の中にもチキンを毛嫌いする人もいる。理由は家畜や人間の汚物を啄ばんでいるため汚れていると言うのである。一方、マトンはマトンで臭いがきつく、これまた汚れていると言うインド人もいる。
とはいえ、牛肉や豚肉に比べればこれらの肉は圧倒的に消費量が多く、田舎の市場に行けばどこにでも売っている。
では、豚肉はどうだろうか。
ヒンドゥー教徒もあまり食べないが、ご存知の通りイスラム教徒も食用にはしない。その最も大きな理由はまたまた動物や人間の汚物を平気で漁っているからである。
あれ?チキンを嫌いなインド人と同じではないかと思うが、確かにその頻度は豚の方が圧倒的に多い印象を受ける。ほとんどインドでは豚を見かけることは無いが、ゴミ溜めのような場所で稀に見かける。
そうしたことが原因なのか、豚は口の周り(鼻の周り?)が常に汚れており、たしかに豚が放つ臭いも強烈である。
牛についてはもはや言うまでもない。基本的にインド人が牛を食用にすることは無い。
正確には食用に育てることは無い。基本的には・・・である。詳細は下記を参照いただきたい。
インド人も魚は食べるのか?
答えは「食べる人もいる」となる。これは宗教上の理由と言うよりは地域性が大きい。当然コールドチェーンなどはないため地理的な理由から沿岸の街でしかそもそも魚は消費されていない。ウエストベンガルなんかでは魚料理を稀に見かける。
ここであることに気付く。川魚ならたくさんいるのでは?
実はインド人、あまり川魚を食用にすることはない。内陸部の池などで養殖している場合はあるが、これは例外である。
何故、海の魚はOKで川魚はダメなのか。
答えは「何を食べているかわからないから」である。
ガンジス川に遺体が流れているのを日本人観光客が見て驚いている光景を見たことあるが、インドでは火葬や土葬では無く、水葬する文化がある。つまり川に遺体を流すのである。
するとどうなるか。ある一定以上の大きさの魚であれば、それを食べることになる。
そんな川魚を捕まえて食用にすれば、ある意味人を食べているような感覚に陥るらしい。そういう意味では、川魚は牛肉よりも避けるべき対象になり得るのかもしれない。
まとめ
とはいえ、この魚に対する概念もまた人によって考え方が異なる。平気な顔して川魚を食べる人も居る。
一般的にはベジタリアンは魚を食べないが、逆に魚ならOKという人も居る。
色々聞いていると混乱してくるが、野菜→魚→肉という順番で食用には避ける人が多いような印象を受ける。
正直なところ、イスラム教徒の方が禁忌事項がはっきりとしていて分かり易い。日本にインド人を一斉に招いたことがあるが、人それぞれ許容範囲が異なっておりそれはもう対応が大変であった・・・・笑
日本食、中華、西洋料理などあらゆる食事をしてもらったが、「何が一番美味しかったか?」と聞いてみると最後に全員一致で嬉しそうに「インド料理」と言っていた。余談ではあるが、日本にインド人を招くならインド料理屋巡りをするのが最高のおもてなしなのかもしれない。
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<雑学シリーズ第5弾>”らっきょう”よ、インドを救いたまへ。
計り知れない”らっきょう”の魅力
”らっきょう”は私の大好物である。
食物繊維が豊富で便秘の方にはもってこいであり、殺菌作用も有している。フルクタンという栄養素を含んでおり、脂肪の吸収を和らげたりしてくれる。抗がん作用もあるなどその効能を並べると切りがない。
まぁそんなことはどうでも良いのだが、この”らっきょう”インド人にとっては無くてはならないのである。
”らっきょう”がインドを救うか?
何を言っているんだという話だが、インド人の生活にはらっきょうが非常に馴染んでいる。日本のように酢漬けにしたりすることは無いが、定番通りカレーに入れたりして楽しんでいる。
”らっきょう”はその豊富な効能が魅力的だが、もう一つ忘れてはならない要素がある。
その要素のお陰でインドは”らっきょう”に救われるかもしれない。いや、もう救われているのかもしれない。
「砂漠を食い止めよ」
そもそもインドに砂漠何てあるのか?
と疑問に思う方もいるかもしれないがインドにはかなり大きい砂漠が存在している。
上地図のオレンジ円周辺はほぼ砂漠と言っても過言ではない。その名をタール砂漠と言うが、ちょうどグジャラート州とラジャスタン州近辺は100km程ずーーーーーと何も無いのではないかという地域もある。もちろんそこにはイメージ通りラクダもたくさんいる。
インドの気候分布について詳しくは下記にまとめているのでご参考まで。
というわけで、インドには砂漠が存在する。そしてこの砂漠、厄介なのが放っておくとどんどんその面積が拡大していく。一度拡大が始まると加速度的に非砂漠地域との境界が増えていく訳でそれを食い止めることは容易ではない。
何も育たないから砂漠なのである。芝生でも植えてみようかと思うが、当然そんなものは直ぐに枯れる。周辺に森でも作ってみようかと思うが、やはり水が足りない。
そんな時、良く栽培できるのが、、、そう!
”らっきょう”なのである。
砂漠は砂地土壌で乾燥している場所を好む。
砂漠にこれ程適した野菜は無いのではないかというぐらいである。
この”らっきょう”が栽培できれば占めたもの。しっかりと根を張り巡らせてくれるためその地域から砂漠が拡大していくことは無い。
砂漠の拡大を食い止めながら、食料を生産する。何とも感心する知恵である。
鳥取空港にもたくさんの”らっきょう”
私自身は実際に足を運んだことは無いが、鳥取空港にはたくさん”らっきょう”が販売されているらしい。聞いた話では、鳥取砂丘でもその面積拡大を食い止めるために”らっきょう”が栽培されているのだとか。
江戸時代ぐらいからその研究は進んでいるそうで、鳥取では砂漠の拡大は完全にコントロール下にあるらしい。
まとめ
鳥取砂丘と比較して、インドの砂漠面積は広大というか果てしない大きさであり、勿論この”らっきょう”だけでそれら全てをコントロールできるとは到底思わない。しかし、砂漠拡大阻止にこの”らっきょう”が現在でも既に一役かっているのは言うまでもない
やや古典的な方法で地道な活動かもしれないが、こういった活動が実を結んでくれることを願うばかりである。
”らっきょう”さんよ、インドを救ってください。
それでは、また次回。
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<文化シリーズ第5弾>お洒落なコップ!でも使い捨て・・・( ゚Д゚)
使い捨ての可愛いコップ
これは記事にするほどの内容ではないかもしれないが、インドでは至る所に素焼きのコップを見かけることがある。田舎に行けば、レンガを生産している場所や素焼き工場?というか素焼き場みたいなところを見かけることも稀にある。インド人の生活の中に素焼きの文化が浸透している。
例えば、これ。
コルカタ周辺の田舎で見つけた。一つ数円で買えるのだが、何に使うかと言うとこれでチャイ(砂糖がふんだんに入ったミルクティー)を飲んだりする。ちょっと汚いような気もするけれどそれは気にしないでおく。この容器は形こそ可愛らしいが、表面はスムーズで特段何かが描かれているというわけではない。
デリー周辺で見たお洒落なコップ
コルカタで見つけたものとは違い一つ一つ丁寧にデザインが描かれている。
結構繊細で面白い。コルカタで見つけたものよりもかなりサイズは大きい。
こんな感じで、お店の上に積まれており、サイズも大、中、小に分かれているが大きいものも10円少々らしい。安い!笑 日本だったら200円ぐらいになってもおかしくないぐらいのレベルなのにである。
どういう風に使っているかと言うと、ここまでの大きさであるからチャイ用途には使用しない(チャイは少量ずつ何回も飲む場合が多く、小さいコップやカップで出て来る場合がほとんど)。これはアイスのようなシャーベットの様な感じで、これがまた美味しい。山羊ミルクを使用しているそうだが、のむヨーグルトのような味でどんどん食べることができた。ちょうど、4月後半の40度を超える日だったので数倍美味しかったのかもしれないが・・・。
このシャーベット?とコップのセットで500円と言われたらめちゃくちゃ売れるだろうなーと言う会話で盛り上がった。実際には50円ぐらいだが。笑
最後にはポイ捨て
インド人と言えば、ポイ捨てと言っていいぐらいどこにでもゴミを捨てる。最近はゴミ箱がたまに設置されており、そこに丁寧に捨てている人もちらほら見かける。それでもやはり大半の人は所構わず要らない物はポイ捨てする。そのゴミが腐ったり風化しなかったりで町がどんどん汚れていくのだが、この素焼きのコップはポイ捨てされるとガシャンと壊れ、直ぐに風化してくれる。そんな勿体ないじゃないか!と思うがインド人には関係ない。
土から作られ、人を楽しませてくれた後、また土に返っていくのである。ポイ捨ては勘弁して欲しいが、これならポイ捨てしても全く問題ない。たまに思いっきり地面に叩きつけている人もいるから面白い。
素焼きのコップを見つけると、インド人の賢さとちょっとしたお洒落を楽しむ感覚に触れることができるのである。
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<文化シリーズ第4弾>牛肉を食べるインド人。でも、牛専用救急車もある。
牛は神聖な動物。牛専用の救急車もある。
読者の方々も既にご存知の方も多いと思うが、インド人、特にヒンドゥー教徒にとって牛は特別な存在として地位を確立している。
タイトルに矛盾しているが、当然インド人は牛を食べない。正確には大半のインド人は・・・である。
何故インド人がそこまで牛を大事にするのかには色々理由がありそうなので簡単にまとめてみました。
インド人が牛を食べない理由
①神様の乗り物、従者
ヒンドゥー教の中で最高神の一つとして崇められており、破壊と再生を司るとして有名なシヴァ神の乗り物として牛が登場する。当然、シヴァ神が描写される時には同時に牛が描かれている場合が多く、ヒンドゥー教徒の信仰の対象になっている。
また、インド人からとても人気の高いクリシュナ神の従者でもあるため、これまた信仰の対象になっている。
牛自体というよりは、神様の乗り物或いは従者であるから合わせて信仰の対象になっており、当然その牛を殺して食べようという発想にはならない。
②そもそも神様が宿っている
インドのある神学者によれば牛には3000もの神様が宿っているらしい。
ヒンドゥー教は神道と同じく多神教であるためこの説も否定し難いが、①とは異なり牛自体にも様々な神様が宿っているため当然これを食用にするという概念は生まれないということになる。
③牛を食用にしない方が効率が良い
よく考えたらその通りだなと思うわけだが、
ⅰ)穀物の浪費を避ける
豚肉1kgを作るのに4kg前後の穀物を消費すると言われているが、牛肉はその倍以上の10kgの穀物を必要とする。
飢餓の原因の一つとして畜産が挙げられるのはこのためであるが、牛肉を生産するなら人が消費した方が効率が良い。都市部では高層ビルの横にスラム街が並び、畑では収穫作業に勤しむ貧しい労働者が大勢いるインドであるが、その莫大な人口を抱えていながら現在も餓死というのはほとんど聞いたことが無い。
牛肉を消費せず、穀物を食用に回すことで飢餓を生み出さず、この13億人を超える人口を支えているのである。別記事に書いたが、インドは米を輸出用にもまわしている。
ⅱ)大切な食料、燃料源
牛を食用としないことで穀物の浪費を避けていると言ってもインドに牛はたくさんいる。しかし、彼らは荷物を積んだ台車を引いていたり、乳牛だったりすることが多い。牛乳は意外とインド人の食生活からは切り離せない。アイスのような形式で出てきたりもするし、牛乳自体を飲んだりもする。
また、当然牛であるから糞をするわけだが、その糞をどら焼きのように形作って天日干しし、乾燥させた後、燃料替わりに使用している。都会ではそんな光景当然見られないが、田舎に行くと天日干しされている”うんちケーキ”が山になっている。木や家の壁にウンチをべっとり貼り付けて乾燥させたりしている光景は中々面白い。
インドを訪問した際、その”うんちケーキ”を使用して水たばこに火を付けていた。
お前も吸ってみろと言われて吸ってみたが、心なしかタバコから牛糞の臭いがしたような気がするのは今でも記憶にはっきりと残っている。
ということで、大切な食料を生み出し、燃料までも提供しくれる。インド人の生活に牛は欠かせないのである。
ⅲ)残渣処理班
牛達は何を食べているの?
日本では多様な穀物を混ぜて飼料としているが、インドの牛は何を食べるかと言うと何でも食べる。野菜の残渣(収穫されずに畑に放置されている野菜や、その葉など)や残飯、放牧して草を食べさせたりもしている。つまり、自然に生まれてきて、人間が使用しないものを彼らは消費している。食用とする訳ではないため、穀物を食べさせて脂を蓄える必要はないのである。
例えば、カリフラワーを生産したとする。食用部分はもちろん花蕾(白い部分)だが、一株作れば大量の葉が畑に残ることになる(下写真参照)。
これらを畑に鋤き込んでも良いのだが、牛に食べさせた方が手間にならない。日本では空地の雑草管理が問題になるが、そんな雑草も牛の食事になる。牛がいれば人の手間が省けるのである。
①、②、③と列挙してきたわけだが、この③牛を食用にしない方が効率が良いという理由が根本にあるのではないかと私は推察する。もちろん神話などが出来た際に、ここまで考えが及んでいたかは定かではないが、時代の変化と共に、牛を食べないことを選んできたのかもしれない。
それでも牛を食べるインド人もいる
先日グジャラート州では牛を殺したら最大で終身刑という法律が作成された。
そんなあほなという感じであるが、本当である。牛専用の救急車というのも出来たらしい。もはや呆れるがそれぐらいインド人にとって牛と言うのは大事な動物なのである。
しかし、インドにもヒンドゥー教徒以外にイスラム教徒やキリスト教徒、仏教徒が数多く存在している。イスラム教徒だけで2億人前後いるとされており、その影響力は計り知れない訳だが、彼らはもちろん牛肉のタブーは無い。キリスト教徒も然りである。
実際に、キリスト教徒の多い南部のケララ州やイスラム教徒の多いウエストベンガル州などでは牛肉が消費されている。グジャラート州でできた法律に対して、反発を見せたのもウエストベンガル州である。
牛が最も安価?牛肉は硬い
ケララ州にはと殺場があるらしく、隣接するタミル・ナドゥ州から牛が列を成してそのと殺場に向かっている光景を目にすることもある。しかし良くみるとその牛は痩せこけていて、かなり年老いている。歩みもやたらと遅い、それが原因で渋滞が出来るほどである。
つまり、乳牛としても役牛としても生産性に乏しい老牛が食用にまわされている場合が多い。私も食べたことは無いが、非常に硬く、どの肉よりも安価で販売されているらしい。
安価で販売されているということは当然貧しい人々も消費できる。逆に言えば、小金持ち達はキリスト教徒であっても牛肉を食べないようになる。ヒンドゥー教徒以外の人口も計り知れないインドにおいていまいち牛肉が拡がらないのはこうした背景もあるのかもしれない。
まとめ
牛を絶対に殺さないインド人がいる一方で、食用にするインド人もいる。
一概にインド人は牛を食べないと捉えがちだが、実際のところ牛に対する考え方も人によって全然違うのである。神聖と言いながら、放牧中の牛を棒でバシバシ叩く遊牧民もいるし、繋いでいるロープを思いっきり引っ張って牛に言うことを聞かせようとしている農家もいる。上述したように、救急車まで用意して牛専用の病院のような場所も存在するのである。
インド人って牛は神聖だから食べないんですよね?と聞かれても一概にイエスとは言えない。間違いでは無いのだが。まさにインドの多様性を示す良い例かもしれない。
不思議の国インド、それではまた次回。
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<雑学シリーズ第4弾>Garuda Indonesia ガルーダ・インドネシア、その名前の由来はインド?
ガルーダ・インドネシアはインドネシアのナショナルフラッグ
インドネシアに渡航された経験のある方なら一度は見たことあるかもしれない。
ガルーダ・インドネシア。言うまでもなくインドネシアのナショナルフラッグである。
ここで少し気になるのはこのガルーダという言葉。
日本のナショナルフラッグは日本航空。
インドはAir India。タイはタイ航空、韓国は大韓航空、ベトナムはベトナム航空・・・
ならばインドネシアはインドネシア航空・・・ではなく
ガルーダ・インドネシアという。
気になってきたのでその由来について纏めてみました。
インドに関するブログでインドネシアの話を書くのはどうかと思われるかもしれませんが、少なからずインドにも関係があるのでご覧ください(^^♪笑
ガルーダはインドネシアの国章、「怪鳥」
ガルーダという部分を切り取ってみるとそれは怪鳥を表わしており、
上記写真はインドネシアの国章を表わしている。
何ともカッコいい国章であるが、この怪鳥というかガルーダ・・・どこかで見たような聞いたような気がしてきたのでもう少し調べてみました。
ヴィシュヌ神も怪鳥に乗っている
このヴィシュヌ神が乗っている怪鳥、名前を「ガルダ」と言う。
どこかで聞いたようなというのはこれであった。
この怪鳥、実は結構色んなところで使用されており、タイの国章やウランバートルの紋章にも登場するのである。こういったことろにもヒンドゥー文化が波及しているのは何とも不思議で面白い。
前回のブログで東南アジアに見られるヒンドゥー文化の影響について簡単に纏めておりますので良かったらどうぞ(^^♪
それでは、また(^^♪
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<文化シリーズ第3弾>ヒンドゥーという言葉は外来語?国名「インド」の由来は?
キリスト教、仏教の語源は?
キリスト教の語源はどこかというと言うまでもないが、イエスキリストである。
仏教は英語でBuddismという。これもまた由来は悟りを開いたお釈迦様をブッダと呼んでいるところからきている。
では、このヒンドゥーと言う名前はどこから来たのか?
ヒンドゥー教は言うまでもなくインド国民の大多数が信仰している大変有名な宗教である。しかし、ふと思うとこの名前がどこから来たのか疑問に思ったので簡単に纏めてみた。
ヒンドゥーという言葉は外来語?
元を辿るとこの言葉は地域或いはそこに住んでいる人々を表わす言葉だったそうだ。
サンスクリット語の文献にも見られ、現在のパキスタンを流れるインダス河流域を指示していた。当時はヒンドゥーではなく、「スィンドゥ」という発音であった。それが一旦ペルシャに入り「ヒンドフ」になり、インドに逆輸入される過程でヒンドゥーという言葉ができあがっていった。
つまり、元々はある特定の地域に住んでいる人々を表わしていただけで、特定の宗教を表わす言葉ではなかったのである。
もっと言うと外来語に区分される言葉と言える。
国名「インド」も実は外来語?
そして実はこのヒンドゥーと言う言葉、現在の国名「インド」の由来となっているのである。ヒンドゥーという言葉がギリシャ語に移される際、これが「インド」と言う言葉に変わってしまったのである。そしてそれをそのまま現在のインド人が採用したため国名がインドになった。
つまり、インドと言う国名自体も実は外来語に分類されるのである。何とも不思議である。
ヒンドゥー教はインドだけか?
一般的にヒンドゥー教というとインドを思い浮かべる方が多いと思う。実は私もずっとそうであった。
実際、インドの大多数の国民がこの宗教を信仰している。その割合にしておよそ80%前後。残り20%はイスラム教やキリスト教がその大多数を占め、中には仏教やジャイナ教といったインドではマイナーながら数多くの宗教が存在している。10%と言っても日本の人口を凌ぐ数であるから驚きである。
数にして10億人ほどの信者をインド国内だけで有するヒンドゥー教であるが、実はその影響力はインド国内だけに留まっていない。
例えば、隣国のバングラデシュ。大半がイスラム教徒ではあるが、ヒンドゥー教徒もまだ13-14%程存在している。スリランカにも15%程、ネパールに至ってはその半数以上をヒンドゥー教徒が占めている。
これらを合わせると全世界で11億人程の信者を擁すことになり、キリスト教、イスラム教に次いで三番目に大きな集団なのである。
東南アジアにはヒンドゥー語由来の言葉が盛りだくさん?
インドネシアのバリ島。ここには在来の宗教とミックスした形ではあるがヒンドゥー教の文化が根付いている。交易の過程で広まっていったヒンドゥー教の文化は未だに根付いている。
また、現在も使用されているヒンドゥー語(サンスクリット語)由来の言葉は東南アジアに多数見受けられる。下記に例を挙げてみた。
「モントリー」
タイで大臣を表わす言葉は「モントリー」であるがこれは「マントリー」というサンスクリット語に由来する。どちらも同意である。
「スコータヤ」と「アユタヤ」
タイの古都であるスコータイやアユタヤも同じく、スコーダヤとアヨーディヤーに由来している。スコーダヤは幸福が興るところ、アヨーディヤーは有名な叙事詩である「ラーマーヤナ」に登場する神聖な都に該当する。
インドネシアにジョグジャカルタという地名があるが、この地名はヨグヤとカルタから成っており、ヨグヤはアヨーディヤーを示している。
インドネシアとインドは深い繋がりが?
ジョグジャカルタだけではない。そもそもこのインドネシアという国名。
言わずもがなインドという文字が入っている。
インドネシアと言う国名は「島のインド」という意味を表わしている。
国自体がインドの影響を受けていることを認めていると言える。
インドネシアは15-16世紀ごろにイスラム化したがそれまではヒンドゥー教文化と地元の文化がバランスをとりながら共存していたのである。
タイにもヒンドゥー寺院がある
その他、タイはバンコクのシーロム通りの片隅にヒンドゥー寺院が存在する。ワット・ケーク(外人の寺)と呼ばれているが、外見は良くインドで見かけるヒンドゥー寺院そのものであり、中に入るとインド系移民に出くわす。
スクンヴィット通りにはガネーシャも祀られているらしい。
国名「ミャンマー」はインドの神様?
(ミャンマーの国旗ってこんな感じだったの初めて知りました・・・)
ミャンマーは1989年にビルマから国名を変更したが、実はこのミャンマーもビルマもサンスクリット語のブラフマン(ヒンドゥー教の最高原理を表わす)に由来するらしい。
ブラフマンと言えば、インドの最高神の一人でもありインドが周辺国に及ぼしてきた影響をここにも垣間見ることができる。
まとめ
記載し始めるときりが無いが、ヒンドゥーやインドという言葉は現在のインド国外で形成された歴史を辿ってきた。しかし、そんなヒンドゥー教文化は徐々にアジアにも影響を及ぼすようになっていった。しかしそれは決して侵略の歴史ではなく、飽くまでも交易関係が齎した産物なのである。
侵略の歴史を持たないインド。
インド人に眠るアヒムサー(非暴力)という考え方について下記に纏めてみました。
不思議の国インド。それではまた(^^♪
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「最新」Youtubeで取得したAdsenseアカウントをブログでも使用する方法!
当ブログはブログ運営方法などは纏めてません(笑)
まず、最初に記載しておかなければならないのですが、
このブログはGoogle Adsenseの取得やブログ運営について記載しているものではありません。
ただ、、、Google Adsenseをせっかくなので取得して貼ろうとしても上手くいかなかったのでその経緯がどなたかの参考になればと思いまとめてみました。
Youtubeから取得したGoogele Adsenseアカウントで広告を作成しても表示されない。
ブログを書き始めて暫く経った頃、せっかくなのでGoogle Adsenseを貼ってみようと思い立ちました。
そういえば・・・!遥か昔にYoutubeでGoogle Adsenseのアカウントを作成していたことを思い出しました。ということで、自分のGoogleアカウントでログイン!
無事に生きてました!
ということで意気揚々と、広告ユニットから広告コードを取得しようとユニットを作成してみました。
ステータスが新規からアクティブに変わらない
見事ユニットの作成に成功!
早速コードを取得してブログに貼りつけてみました。
が、・・・・2,3日待っても全然表示されない。
・・・・ステータスもアクティブに変化しない。
そもそも、Google Adsenseがブログに表示されない理由は色々あるようです。
例えば・・・
・初歩的ですが、サイトを更新していない
・まだ審査中
・設置してから48時間を経過していない
・Javascriptが有効になっていない
・広告の上限を超えている
・NGワードが含まれている
・今まで不承認になったことがある
などなど
私の場合はブログにコードを貼りつけてから48時間は超えているし、Javascriptも有効、広告の上限(3つまで)も守っている。
特にNGワードもないし、Googleから警告を受けたことも無い・・・
なぜだ・・・
と思っていたらもう一つ表示されないパターンを見つけました。
・You tubeでアカウントを作成した
完全にこのYoutubeでアカウントを取得したことが原因でした。
アップグレードが必要
これを見落としていました。
YoutubeではGoogle adsenseのアカウント取得は容易に可能なのですが、そのアカウントをブログなどで使用するにはアップグレードが必要なのです。
なるほど!!!ということで、
早速Google先生に
「You tube アドセンス 取得 ブログ利用」
ということで聞いてみると、たくさんの方々がその方法を記載されておりました。
例えば、下記のような方法で広告掲載先のURLを入力して、審査に通して下さいという記載がたくさんありました。
おぉ!ということで早速実践!
してみようと思ったのですが、Adsenseのマイページ内アクセスと認証に「サイトの認証」と言う項目が見当たらない。
・・・どこ行った。
と言うことで色々探していると見つけました!
ここに自分のドメインを入力してください。
従来とは少しAdsenseの仕様が変わっているのですね。
ただし、
①独自ドメインのみしか使えません(はてなブログ独自のアドレスは使用不可)
お名前.comなどで取得する必要があります。
②Youtubeアカウントで1000円以上の収益化が達成されており、PIN入力による住所確認が事前に必要
YoutubeではAdsenseのアカウントは直ぐに入手可能ですが、収益化されていないとブログ利用のためにアップグレードできないのです。
Headにコードを貼りつける
あともう一歩です!
「入力が完了するとHeadにコードを入力してください」と表記が出ます。
はてなブログに限定されてしまいますが、
マイページ→設定→詳細設定→Headに要素を追加(ここにコードを入力)
下の方にスクロールして・・・
この空欄にコードを貼り付けてください。
その後、Adsenseに戻って貼り付け完了を申告します。
すると下記の様な画面に進みます。ここまで来ればあとは待つだけです。
以上になります。
審査が通れば広告を貼り付けることができますし、通らなければブログを再度構成し直して再トライしてみて下さい(^^♪
まとめ
極簡単にですが、Youtubeで取得したAdsenseアカウントをブログに転用する方法を記載しました。どなたかのお役に立てれば幸いです。
また、繰り返しにはなりますが、当ブログはブログ管理について言及はしておりません。
ご覧の通り、インドに関する情報発信のために使用しておりますが、Adsenseの転用に時間を要したのでまとめさせていただきました。
ついでに、インドに関する記事もご興味あれば覗いていただけると嬉しいです(^^♪
それでは!
<世界一?シリーズ第2弾>インドの人口は既に世界一?について考察してみた。
インドと中国、本当の世界一は?
中国とインド、世界の中でも圧倒的な総人口を誇るこの2大国の人口について
驚くべきニュースが飛び込んできた。中国の統計情報に修正余地がありそれを含めると既にインドの人口が中国の人口より多いかもしれないとのことである。
インドは統計を地道に家庭訪問のような形で統計をとっているのであながち間違いではないと推察される。中国の統計データは当てにならない事で有名であり、もしかするとこの記事通り既にインドの人口が世界一という可能性も考えられる。
その数日後、こういったニュースも入ってきた。
少なくとも2020年を過ぎた頃、インドの人口は中国を抜く可能性が高くなってきたという。ついこの間までインドの人口が中国の人口を抜くのは2030年頃だと言われていたが、どんどんその時期が早まってきている。
というわけで、両国(特にインドだが)の人口動向についてごくごく簡単に記載してみました↓↓。
実際、現地に子供が溢れているのか?
中国とインドを比較した時、相違点があるとするならば田舎にいる子供の人口ではないかと思う。
インドは過疎知らず
中国も当然ながら田舎に行けば子供はいるが、インドの方がその数は多い。当然学校には通っているが、過疎と言う言葉はインドには当てはまらないと感じるぐらいどこにでも子供がはしゃいでいる光景を目にする。
インド人にも都市部に憧れて大学などから一人暮らしを始めたり、そのまま就職する人も多いが、地元に残って農家を継いだり地元の商店を継ぐ若者も非常に多い。
そして彼らもまた家族を持ち、子供を作るのである。田舎に行けば、3人ぐらいは各家庭に子供がいる印象である。
実は宗教によっても子供の数には傾向があり、特にイスラム教の家族は子供の数が比較的多いような印象を受ける。もちろん、解釈によって色々あるのだろうが、避妊や中絶が一般的に認められていないのがその理由だろう。
中国は一人っ子政策の影響続くか?
勿論出稼ぎで都市部に移住している若者も多く、田舎の人口だけで全てを語ることはできないが、田舎で多くの子供達を見かける機会がそれ程多くは無い。少なくともインド程では無いのである。
インドより教育分野が進んでいるため田舎に子供が留まらなくなってしまったのかもしれないが、それにしても子供の数が少ないような印象を受ける。
一人っ子政策の影響がまさに現れているのかもしれない。
インド都市部の家庭は1~2人しか産まない。
上記で述べたように田舎でも過疎とは無縁である。では、都市部はどうか。
実は、都市近郊に住んでいる中流階級の家族はあまり子供をたくさん作りたがらない。
インドの教育事情にも関わってくるが、インドの大学は日本のそれよりも遥かに入学が難しい。当然人気校となればその倍率は50倍を超えることも多いのは想像に難くない。
ここでインド人は何を考えるか。
特に中流階級のインド人は子供に英才教育を受けさせ、良い大学に入って欲しいと願っているケースが多い。少しでも一家、一族の地位向上を願うのは自然なことである。
ただし、中流階級と言っても資金が有り余っていることも無い。
つまり、資金に限りがある中で、2人、3人と子供を産んでしまっては十分な教育を受けさえることができないというのである。従って、大よそ子供は1人か2人に落ち着くパターンが多い。
インドの人口ボーナスは続く?
インド人の大半は未だに農家である。割合にして60%程を依然占めていると言われている。都市部の中流階級の出生率が低下傾向にあるものの、それを補う程田舎には子供がいるように思う。
様々な統計がインドの人口ボーナスは暫く続くと予想している。都市部では出生率自体低く推移しそうだが、農村部からの流入が続き都市部は拡大し続けるはずである。同時に、農村部は農村部で一定の人口を確保し続ける。
そして、上記でも少し触れたが、インドの人口ボーナスを継続する上でイスラム教の存在が欠かせない。現在はヒンドゥー教が80%を占め、イスラム教が13%程であるが、恐らく数年後にはイスラム教がその割合を伸ばす可能性が高い。
ヒンドゥー教とイスラム教の間にはまだ一部でも確執が見られる。
皮肉なことにイスラム教の人口増がインドの経済を支えていく可能性が高い。
経済発展に伴い双方の関係が良好なものになっていくことを願うばかりである。
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Bye(^^♪
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<ヒンドゥー語 第2弾>便利な挨拶をまとめてみました。
定番のNamaste!
誰しもが知っているインドの挨拶と言えばこのNamaste。
Good morning, Good afternoon, Good eveningなどほぼ全てに対応しています。
Namashkar(ナマシュカール)とうのは少し形式ばった表現で、目上の人に使用する場合が多いようです。
Namasteは日本では大変有名なインドの挨拶ですが、正直なところインドでNamasteといのをほとんど聞いたことがありません。
目上の人や初対面の人には皆ナマシュカールと言っていますが、友人などには英語でGood morningやGood eveningなどを使っていることが大半ですね。
Thnak you:Dhanyawaad(ダンニャワード)
正直これも飛行機内ぐらいでしか聞いたことがありません。ただ、機内放送では良く聞いていると最後にDhanyawaadと言っているのが聞こえます。めちゃくちゃ早口なので聞き逃してしまうこともありますが。笑
ただ、友達同士や道を尋ねたりした時でさえ、Dhanyawaadとインド人が使っているのを聞いた記憶が無ありません。
元々インド人はThank youさえもほとんど使わないので、ヒンディー語でしかもより複雑な言葉を使うインド人に出会うことがほとんどないのです。
とはいえ、Dhanyawaadと言うとニコッとして喜んでくれるもまた事実です。笑
See you:Filmilenge(フィルミレンゲ)
別れ際にFilmilengeと言うとこれまたニコッとして照れくさそうにFilmilengeと返してくれます。しかし、これもまたほとんど聞いたことが無いのです。一般的には、そのまま英語でSee youやByeが使われることが多いようですね。
Good:Acha(アチャ)
これは非常に便利な形容詞で「美味しい」や「素晴らしい」という時でも使用可能です。
Goodと言う意味以外でも、OKのような意味合いで使っているインド人も多く、
電話しているインド人の言葉を聞いていると、
Acah acha achaと首を斜めに振りながら喋っている光景は毎日のように見かけます。
大概電話を切る間際に言っている場合が多く、これが聞こえてくるとそろそろ話がついたんだなという合図になるのです。
というわけで、今日はここまで。
また新しい言葉を習得しましたらどんどんアップしていきますので良かったらまた立ち寄ってください(^^♪
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<文化シリーズ第2弾>インドには何故多様性が生まれたのか?アヒムサーと豊富な資源に見るインド。
インドに多様性が生まれた理由
インドを一言で表すと多様性という言葉がしっくりとくる。
巷でも同様の言い方をされることが多く、非常に興味深い。
では、この多様性をもたらしたものは何か。
もちろん、複合要因ではあるが、その内の幾つかについて考えてみた。
侵略されても侵略することはない人々
侵略の歴史はあったか、
今一度簡単にインドの歴史を振り返ってみたい。
紀元前にはドラヴィダ系の人々がモヘンジョダロやハラッパという素晴らしい遺跡を構築しそこに都市文明を発展させた。
そしてアーリア人が西から侵入し、
北からはヒマラヤ山脈を越えて中国などから人が入ってきた。
東からはミャンマーから山脈を越えてモンゴロイド系の人達が入ってきた。
かの有名なインパール作戦もまたこのルートを通過したものと思われる。
島嶼地域にはポリネシア系の人もいるという。
しかし、インドがヒマラヤ山脈を越えて中国に進出した話は聞いたことは無い。
インドが西ベンガルやマニプール(下記地図参照)などから東に侵略した話も聞いたことが無い。
インドから西側(パキスタン以西)に侵略した話も聞いたことが無い。
インドに来た人々は外に出て行かない
西から入ってきたアーリア人。
どこかに出て行っただろうか。
否、北インドに定着しヒンドゥー教を築き上げ、今となっては無くてはならないインドの一員である。
では、北から入ってきた中国系(モンゴロイド系)の人たちはどうか。
どこかに移動していったか。
否、今でもジャンムーカシミールやヒマチャルの北部に多くのモンゴロイド系の人が住んでいる。一瞬、中国?と思うぐらいに彼らは我々がイメージするインド人とはかけ離れた顔をしている場合もあるから驚きである。当然パキスタンも近く、中東系の顔を持つ人も多い。
では、東から入ってきた人はどうか。
どこかに移動しただろうか。
否、彼らもまたその地に定住している。
勿論その地域は限定的だが、アッサムやマニプールなどの山岳地帯には
これまた外見ではインド人と判断できない方が多い。
依然コルカタに宿泊した時の話であるが、受付に日本人を彷彿とさせる表情をしたスタッフがいた。
思わず、出身を聞いた。
彼女曰くマニプールからだという。
上記のようにミャンマーに接しており、北にはブータンや中国が近い。
勿論皆インド人であるが、その顔は我々の想像するアジア人という枠の方がしっくりとくる。
宗教も同じである。
イスラム教も幾度となくインドに押し寄せてきた。
キリスト教も入った。しかし、インドからこれらの宗教が発信されていったというのはあまり聞かない。
なぜ外部への侵略を控え、定着したのか
世界の歴史に目をやると、侵略の歴史を繰り返した地域の方が圧倒的に多い。
決して褒められたものでは無いが、日本も朝鮮半島や中国に足を運んだ歴史が存在する。ヨーロッパの国々は言うまでもない。インドにはイギリスもポルトガルも侵入してきている。
アヒムサーに見出すインドの歴史
モヘンジョダロは紀元前の遺跡である。その頃からそこには文明があった。
元々定住していたドラヴィダ系の人も、西から入ってきたアーリア人も誰も侵略を試みたことは無い。
上記記事内でも触れたが、内戦もほとんどと言って経験が無い。
ムガール帝国の栄枯盛衰はあった。しかし、中国の三国時代の様な、日本の戦国時代の様な歴史は無い。
なぜ侵略の歴史を残さなかったのか確かな理由は無い。
しかしこれもまたアヒムサー(非暴力)の考えが大きく関与しているのかもしれない。
多様な気候、肥沃な土地、豊かな農業資源がもたらした幸福shimabrog.hatenadiary.jp
この記事内で詳細は述べたが、インドの大地は非常に肥沃である。
ガンジス川流域はかつて海だったと言われている。その流域の堆積物は非常に多くインドの中でもさらに肥沃な地帯として有名である。
北では小麦が収穫でき、南では米が収穫できる。
栄養豊富な果物も多い。バナナ、マンゴー、パパイヤ、パイナップル・・・何でも手に入る。
熱帯作物は豊富だがそれだけではない。北に行けば冬のような気候も存在する。
つまり、ありとあらゆる野菜が生産できるのである。
豊富な食料資源と広大な土地に恵まれ、とうとう侵略という行為に意味を見出さなかったのかもしれない。侵略しなくても自国に十分な農地があり、食に困ることはなかったのである。
実際、インドには格差が広がっていると言うが、どれだけ貧しい人でも餓死というのはほとんど聞いたことが無い。現代でも多くの人が餓死で亡くなるアフリカとはまた環境が異なるのである。
~多様性をもたらしたのは定着の歴史~
何度も述べて申し訳ないが、侵略の歴史を持たなかった理由は定かではない。
ただ、「非暴力の精神」と「余り有る食料資源」が少なからず影響を与えているのではないかと個人的には推察する。
多様な民族が定着し、多様な宗教も定着した。
こうした歴史がまさに今のインド或いはインド人の多様性を生み出したのは言うまでもない。
パキスタンの国境では争い事が絶えない。確かに都市部と田舎では格差は存在する。
だからと言って、皆がそれに不満を抱えている訳でもなく自分の生活を自分なりに楽しんでいる。
豊富な食料資源を背景にインドはどこかの国に依存することなく独立しており、ある意味精神的にも「最も平和な世界」が広がっていると言えるのかもしれない。
格差こそあれど、笑顔を絶やさないインド人を見ながらそう物思いに耽ってみた。
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<文化シリーズ 第1弾>何故インド人はベジタリアンが多いのか?根底に眠る非暴力の精神。アヒムサーとは。
多様性の中に生まれた非暴力
ご存知の方も多いとは思うが、インドには数えきれないほどの言語が存在している。
公用語はヒンディー語、準公用語が英語だが、公式に認められている言語だけでもこの二つの他に16存在している。
そしてその下にさらに枝分かれしており、その数1000は優に超えると言われている。
50kmから100km行けば理解できない言葉が離されているとも言われ、単一民族、単一言語を使う日本人からすると到底理解できない領域である。
話を本題に戻す。
言語が違えば文化も違うわけで、考え方も少しずつ異なる。
信仰する宗教も信じる神様も当然異なる場合も多い。
これらを一つの国の中でまとめ上げるには当然ながらこの多様性を如何に許容するかが最優先の課題になることは言うまでもない。
しかし、歴史を紐解いても大きな内戦や部族間の争いなどほとんど聞いたことが無い。
(イスラム教とヒンドゥー教の対立はしばしば見られはするが・・・)
インド人は昔からの概念として争いを解決に導くのは暴力ではなく、
相互理解と徹底的な議論であると認識している。
輪廻の発想を強く持っており、現世の行いは常に来世に引き継がれると認識しているインド人は当然、悪とされる暴力に及ぶことは少ない。
そしてこの非暴力のことをサンスクリット語では「アヒムサー」と言う。
紀元前からこの考え方は継承されている?
この非暴力の概念は実はバラモン教の聖典であるマヌ法典にも記載されているらしい。
マヌ法典といえば、アーリア人がまだ現在のパキスタン近辺にいた時代の法典でありインドに侵略して来る前の法典である。
つまり、現在のインド人の基本的な考え方である非暴力は元来インド固有のものではないとも言える。
上記で述べたように、紀元前から存在していたこの考え方は侵略してきたアーリア人或いはバラモン達がこのインドを支配するにはもってこいの考え方であったとも考えられる。
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/01/1472.html
上記のように、バラモンはカーストの最上位に位置するが、仕事は司祭などを務めていたため武器を持たない階級であったとも言える。実際の労働階級、力仕事は下位カーストの仕事であり彼らが反旗を翻すことがないように実施した保身策の一貫であった可能性もあるがその真相は定かではない。
非暴力は元々動植物が対象であった
上記のように書いてしまうと
「なるほど、非暴力の精神が広まり、それが牛や鶏、魚なども対象になったいったのか」
と憶測してしまうと思う。
紛らわしくて申し訳ないが、実は逆なのである。
元々この非暴力(アヒムサー)の対象は動植物であったのである。
それがヒンドゥー今日の中に溶け込んでいくにつれ、人にも適用されるようになっていったというのが正しい認識だそうだ。
ベジタリアンが多い理由はここにある。
当然牛や豚、鶏を食べることは暴力に値する。蚊が居ても叩いて追い払うことは無い。
ハエを叩くこともない。街中に糞を撒き散らす鳩には当然餌を与える。
全てが人間と対等の関係にあり、殺傷する対象には成り得ないのである。
こう考えていくと元々この考え方はインド国外からもたらされたものであり、古来のドラヴィダ系の人達が持っていたかどうかは定かではない。
南インド、特にケララ州やタミルナドゥ州には現在もドラヴィダ系の民族が住んでいるが、肌の色が異なりアーリア人の侵入によってカーストの最下位に位置づけられる場合が多かった。そんな中、脱カーストを目指しキリスト教に改宗する人も多く、特にケララ州ではキリスト教の割合が非常に多く、実際牛肉を食す文化もあるという。
実際にアーリア人が侵略してくるまでのドラヴィダ系の人たちは牛肉を始め肉食の文化を持っていたという文献も多い。
こういった事実もまさにこの非暴力(アヒムサー)の考えが、インド古来のものではなく、アーリア人がもたらした概念であるという歴史を裏付ける事実なのである。
今回は何やら少し堅苦しい話になってしまいましたが、
個人的に興味があったので書かせてもらいました。ご容赦ください。
それでは(^^♪
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<文化シリーズ第二弾>
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<野菜・果物シリーズ第3弾>食べたら必ず虜になる”アルファンソマンゴー”!!
インドのマンゴーは多種多様
熱帯地域に行かれた方は良くご存じだと思いますが、
時期になると本当に色んな種類のマンゴーが地元の市場やスーパーに並んでいますよね。
↑この写真は4月にデリーのスーパーで撮影したもの。
こういう緑色のマンゴーもたくさんありますし、日本でも有名なアップルマンゴーのように少し赤みがかったものもたくさんあります。
↑大きさはまちまちですが、大きいものは手のひらにギリギリ2つ載せるのが限界です。(これは3つ載ってますが 笑)
と言うように、本当にたくさんの種類があるのですが・・・
私がお勧めなのはずばり一つだけ!
”アルファンソ”は外せない
↑ムンバイの市場での一枚。
何だかお洒落な名前ですが、このマンゴー。。。もう本当に美味しいのです。
ちなみにこのアルファンソ(Alfanso)というのは品種名なのです。
インドネシアやタイ、マレーシアで色々マンゴーを食べましたが
このアルファンソ、私が人生で食べてきたマンゴーの中でダントツ一番!!
インドのマンゴーは4月後半から5月にかけて出回るのですが、5月が最も美味しいらしいです。
そして、その5月に現地でアルファンソをいただきました。
・・・
もう、当然甘いのですが、
なんというかゼリーの様なしっかりとした肉質でそれでいてジューシー。
口に入れた瞬間、言葉には到底表せないぐらいの濃厚な香りが襲ってきます。
ただただ美味しいというかもはや快感を感じるまでに到達するぐらいのレベル。
一度食べた時からもう病みつきで、この時期に訪問する方には欠かせない食材だと思います。
何といってもお手頃価格
日本で良いマンゴーを買おうとすると本当に高いですよね。
この写真は贈答用でまた時限が違うのですが。
さて、このアルファンソ。お値段を恐る恐る市場のおじちゃんに聞いてみました。
私「すいません、このアルファンソいくらですか?」
おじちゃん「12個で400Rsだよ!」
12個で400Rs・・・
ってことは1個60円ぐらい!安い 笑
しかも私が聞いたのはムンバイで割と街中だったので
本当の農家の市場だったらもっと安いはずです。
ガリガリ君より安いのです。
もうこれなら毎日食べれますね(^^♪
ちなみに、サイズによって値段が異なっており、小さいものは12個で300Rs、大きいものは12個で500Rsでした。味はどれも同じだとおじちゃんが言ってました。今度食べ比べしてみます。
もし4月或いは5月にインドに訪れる機会がありましたらぜひ探してみて下さい。
それでは。
Filmilenge♪
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