「愛」について

自分の中にある「愛情」というものは、膨張したり収縮したりを繰り返していて、その愛情の量というのは自分の精神状況に非常に左右されている。

愛情に溢れんばかりの時は、誰彼構わず「大好き大好き」と言いまくったり、色んな人に連絡をとったり、初対面の人でもすぐに大好きになったり、すなわち、躁状態なのだが、そうやって無尽蔵に愛する人が昨年は増えていった。

一方、冬が深まるにつれて鬱傾向が強まってきて、今の私の中にある愛情の量は縮小している。

自分に対して疑心暗鬼になり、まず、自分自身が大嫌いになり、人と会うのが億劫になる。

そして、人に対する「愛情」は縮こまり、人と会うのが怖くなり、自己嫌悪のループに陥る。

躁の全能感に溢れた私は、みなぎる愛情を無尽蔵に振りまくことが出来るのに、鬱傾向が強まってくると、ただの引きこもりと化す。

じゃあ、どっちの自分が本来の自分なのか?といえば、どちらも本来の自分であって、常に変わり続けていくものなのだろう。

自分自身は一定した存在ではない。

ただ、「愛情」が無尽蔵に増幅している状態の方が気分がいいし、多幸感があるし、他人に対してもとても優しくなれるし、とてもいい。

一方で、引きこもり鬱モードの時は、疑心暗鬼になりがちで、自分が大嫌いになり、それと平行して他人に会うこともとても怖くなる。

現在の私は鬱傾向が強く、自分が嫌いすぎてどうしようもないのだが、その中でただ、ひたすらに、もがいている。

最近、食べることがやめられない。

お腹が空いてなくても、ひたすら食べ物に手が伸びる。

尋常でない飢餓感に襲われている。

心が寂しい寂しいと飢餓感を訴えてくる。

どうしていいのか、皆目分からない。

寂しいくせに人と会うのが怖くて、呑みや遊びの連絡をもらうのに、人と会う気力も湧かない。

ただただ寝ていたい。

どうしていいか、分からない。

よく聞くフレーズ。「自分を愛せるようになろう」

何度も言われたり、本やら映画やら音楽やらで何度も見聞きしてきたことだ。

私も自分を愛せるようになりたい。

特に鬱傾向の強い今だからこそ、自分を愛して大切にできるようになりたい。

長らくシェアハウス生活を送ってきたのだけど、あまりにも引きこもりたいモードが強くなりすぎて、いったん、実家に戻ることを考えている。

どうにか移動式ゲストハウスの出発までにはメンタルを回復させたい。

 

引きこもり鬱モードの私にとっての「愛」とは、非常に自己中心的なものだ。

自分が嫌いすぎて、他人へ愛情を配ることが億劫になる。

ここから抜け出すために、自分をいたわる「愛」をとりあえず育みたい。

 

傷口と一緒に生きる

たくさん感動したり死ぬほど傷ついたり、嬉しいことがいっぱいあったり、平坦でネクラな日常が続いたり、、、
いつもより元気がないなとか言われる一方で、いつものまいちゃんに戻ったねと言われたり、どれが本当の自分なのかなんて皆目検討もつかなくて、
どんなテンションであろうとネクラだろうとネアカだろうと、全然性格が違っていたとしてもどれも私であって
会う人や日によって私の性格もコロコロ変わって、八方美人というよりか、ユルい意味合いでの多重人格的な部分は多かれ少なかれ誰にでもあると思うけど、私もそんな感じなんだと思う。
小さい頃に傷ついた私も、伸び伸びしてた私も、友達がいなかった頃の私も、友達がいた頃の私も、初めて彼氏ができた時の私も、就活鬱になった私も、働いてたときの私も、ニートの時の私も、今の私も、みんな違う私なんだけど、どれも私だ。
明日の私も今日の私とは違うんだろうし、10年後、20年後の私も今の私とは違うんだろう。
私とはコレコレだ、とかレッテル貼ってみたり貼られてみたりして、だけど、そのうち、レッテル貼られることが異様に不快になって脱ぎ捨てたくなって、私はそうやって変わり続けているのだけど、
きっと本質的な部分の私はいくら私が変わり続けようが死ぬほど傷つこうが、何も変わってはいないのだろう。
じゃあ私の本質って何だ?って考えるときに思い浮かぶのは一番古い記憶の3歳児の私で、いつもあの頃の感受性を取り戻したいと思いながら生き続けている。
あまりにも感情の起伏が激しすぎる日常を送っているとふと忘れがちになるのだけど、私は本質的にはシャイで人に対して優しくありたいなとだけ思っている。
そして自分の感性の赴くままに何かをするのがとても好きだ。
自然の中で、ずっーと一人で遊んでいるのが小さい頃は大好きだった。
傷ついたりネクラになる度に自分がすり減っているのではないか?という被害妄想にかられるのだけど、私は何一つすり減ってなくて、もっというと傷ついて回復する度に人への思いやりの気持ちは深くなったし、優しくなれたし、アップデートされてきた。
傷つくことは怖いけど、これからも怖いけど、逃げないで泣いて苦しんでまたアップデートしてけばいいんだろう。
もっといえば、まだまだ私は自己中で傲慢で、だから人に期待しすぎて傷ついて、人間的に未熟過ぎるだけなのだろう。
これから先、もっといろいろあるだろうけど、私も私の自己中さを振りかざして、さらに人を傷つけたり傷つけられたりするのだろうけど、過去の私より今の私の方が思いやりのある人間だなぁと思うし、どの時の自分と友達になりたいかといえば、今の自分が一番好きだし、だから過去の自分にも過去の傷にももう、囚われないで今を楽しく生きていきたいなと思う。
今まで私を傷つけてくれた経験がどれだけ未熟な私を成長させてきてくれたことか。
もう、傷口を見てクヨクヨするのはやめよう。
傷口はナデナデしてあげよう。
そして、変わることも傷つくことも恐れずに、私の傷口と一緒に生きていこう。

気持ち悪い自分を愛したい

昨年は失恋した回数が多すぎて、というかセルフ失恋というか自己完結型の実に傲慢な失恋が多すぎるんだけど、全ては自己肯定感が低すぎる自分に問題があって、そもそも恋愛の土俵に立てるほどの正常なメンタルなんて、そもそも持ち合わせてなかったんだけど、

自分を愛せない人間が他人を愛せる訳はなくて、自己完結型失恋が非常に多くて、別にそれは去年に始まったことではなくて、昔からずっとそうだったのだけど、失恋を繰り返せば繰り返すほど自己肯定感が高まるのか?というと、そんなことはなくて、自分の「心の穴」を失恋する度に幾度となく見返すという作業をひたすら繰り返してきた。

ヤリチンに失恋した時は、傷つけてくる人に子宮が反応して尽くすことで親子関係のやり直しをしたい自分に気がついたし、こじらせ系童貞に失恋した時は、性欲とか恋愛とかを蚊帳の外に置いて自分の世界を貫ける自分とは真逆の人間に憧れる自分に気がついたし、コンドームつけない男に失恋した時は、そこで「コンドームつけて」と言えない自分の弱さというか、そこまでして男から承認されたいという自分の自己肯定感の低さにまた気づかされたし、セフレに失恋した時は、改めてセックスすると情が移ってしまうんだなぁと安易なセックスに対して恐怖感抱くようになったし、すべからく、自分の弱さというか「心の穴」を見直す機会に恵まれた失恋続きの一年だった。

自己肯定感の低い人間は、自分の中にある満たされない承認欲求を男やセックスが埋めてくれるんじゃないか?と勘違いしていて、安易な恋に落ちたり安易なセックスに走ったりしやすい気がする。

その結果、私のようなメンヘラビッチの場合は、自己肯定感が低すぎる延長線上で恋に落ちるので、恋に落ちた相手と対等な関係になることはない。

圧倒的に自分を卑下しがちなので、必要以上に相手に尽くしてウザがられたり、その人の奴隷になりたがったりする。

 

小さい頃、私はお母さんからとても厳しい教育を受けてきて「100点とらないとまいちゃんじゃない」とか「東大行って医者か弁護士になりなさい」と幼稚園生くらいの時から言われ続けてきて、だけど全然お母さんの期待には答えられなくて、進学校行っても平均点とれるのがやっとくらいで、同級生は皆んなとても頭が良くて、私は勉強するストレスで痔になるくらい勉強するのが嫌いで、お母さんの期待に答えることが出来なかった。

成績表を見せると怒られるのが分かってるから、もう嫌で嫌で仕方がなくて、そんなことを繰り返していたものだから、親に反発して、一番勉強しなくていい私大文系コースを選択した。

医者でも弁護士でもない職業を選ぼうと思った。

私の中では「お母さんの期待に応えられない私」という罪悪感はずっとあって、「勉強ができない子=悪い子」みたいなセルフイメージがあって、そのトラウマが拭われるまでだいぶ時間がかかったように思う。

大学生になって初めて出来た超絶束縛系の彼氏の家に入り浸るようになってから門限を破りまくるようになり、そこでも日常的に「アバズレ、アバズレ」と言われまくったりして、何度も家族会議が開かれて、お母さんの言いつけを守れない私は「悪い子」だった。

母親に対して常に罪悪感を感じていた。

 

なぜ私の自己肯定感が低いのか?は、育った家庭環境うんぬんだけでなくて、生来の気質によるところも勿論あると思うのだけど、気がつくと私は自分で自分を罰する思考性を身につけるようになってしまった。

何か問題が起きたり怒られたりする度に「私が全部悪いんだ、私が全部悪いんだ、、、死んだほうがいい、死んだ方がいい、、、」と最終的には自殺願望に苛まれるまで自分を罰する思考性のクセが身についてしまったのはいつの頃からだっただろう?

最初に自殺したいと思ったのは小学5年生の頃で、ガリ勉のまいちゃん呼ばわりされていて性格が死ぬほど悪かった私はクラスメイトからハブられるようになり、登校拒否したいと言ったのだけど無理矢理学校に連れて行かされて登校拒否は諦めて、家の中にいても居心地が悪くて死にたくて死にたくて包丁を持ってみたり、家の屋上から泣きながら下を眺めては飛び降りる妄想を何度となく繰り広げてみたりした。

その後、中学生になっても高校生になっても大学生になっても社会人になっても定期的に「死にたくなる」ことはよくあった。

自殺願望とは、小学5年生の頃からいつも隣り合わせで生きてきた。

自分を罰したくなる罪悪感、自己加害妄想みたいな思考性ともずっと隣り合わせで生きてきた。

だから、私にとって自意識というものは非常にネクラなもので、思考する=死にたくなるみたいな無限ループにとらわれてしまうものなので、いかに「思考しないで生きるか」とか「脳みそより身体的な感覚を大切にする」とか言うフレーズは、とてもしっくりくるものだった。

だから、私の場合は脳みそであまり思考しない方がいいし、直感の方が正しいことが多いし、五感を大切に生きようとも思っていて分かっているのだけど、ふと気がつくとまた自分バッシング無限ループが始まって、定期的にやはり憂鬱期はやってくる。

かと思えば、死ぬほど感動して恐ろしい高揚感にまみれて眠れなくなるようなランランとした躁状態も不定期でやってくる。

自分で自分の感情をうまくコントロールすることは出来ない。

それでも昔に比べればだいぶ生きやすくなったし、死にたいと思うことはあっても、現実的な行動は起こさずに寝ようとかダラダラしようとかちょっとずつ思えるようになったし、何より躁の時も鬱の時も、そういう自分の気持ちを伝えられて、ただ受け止めてくれる友人に恵まれていることが非常に精神的な支えにはなっている。

 

失恋からの下りで何が言いたいのか訳が分からない文章になってしまったけど、私は躁鬱気質で不定期に自殺願望が襲ってくるメンヘラで、自己肯定感が低くて罪悪感に苛まれていて自己加害妄想があって、ようは非常に気持ちの悪い人間なのだけど、病める時も富める時もそんな私に引かないで受け止めてくれるとても優しい友人には恵まれていて、年々生きやすくはなっていて、これから先、どうなるかは分からないけど、とりあえず死なないでいようと思えるようになって本当に良かったなと思う。

 

「恋愛が出来る土壌に立つメンタル健康児」というハードルはクリアしていないかもしれないけど、私は自分の気持ち悪さを愛でてあげながら、情緒不安定な感情の波を日常的にサーフィンしながら、そういう自分の生存戦略をこれからも考えつづけて生きていきたいなと思う。

気持ち悪い自分をもっと自己受容して自己受容して自己受容したい。

心の穴を愛でて愛でて愛でまくりたい。

正直、もう恋愛なんかいらない。

恋愛以前に、まずは自分を愛してあげないとなと。

もっと気持ち悪い自分を愛してあげないとなと。

昨年度、実験的なイベント「メンヘラビッチバー」をやって思ったことは、気持ち悪い自分を曝け出せる場ってなんて居心地がいいんだろうということだった。

恥を晒して笑い飛ばして前を向いて生きていける場所に「メンヘラビッチバー」がなっていけばいい。

私はだいぶ気持ち悪い人間だけど、もっともっと気持ち悪い人間が気持ち悪さを露悪できる世の中になったらいい。

多様性ってなんだ?
メンヘラやビッチに不快感を感じる人もいるんだろうけど、それ以上に、世の中にはメンヘラやらメンタル健康児やらビッチやら童貞やらヤリチンやらいて、皆んな違って皆んないいじゃないか。
「人を意図的に傷つける」ということをしなければ。。。

辛い苦しい経験を吐き出すことで承認欲求が満たされて自分を愛せるようになる人もいるはずだ。

私がそうだ。

もっともっと気持ち悪い自分を曝け出していこう。

恥を丸出しに晒して生きていこう。

泣いて笑って気持ち悪い自分をもっと愛して生きていきたい。

恋愛なんかもういらない。

私はただ、私をもっと愛してあげられるようになりたい。

心がすうーっとする空間をデザインしたい

昔からもの凄く自己肯定感が低かった

自己肯定感が低すぎて、とてもとても生きづらかった

自分を卑下する自分から抜け出したかった

自己受容したかった

ただただ愛されたかった

ただただ承認されたかった

人から求められたかった

人から愛されたかった

醜い自分を露悪して、それでもいいって言ってもらいたかった

ここにいていいよと言われたかった

そのままでいいよと言われたかった

 

昔からよく見る夢があった

みんなが自然体で過ごしている空間に住んでいる夢を見ていた

言葉はそこには必要ないように思った

そういう空間に憧れた

そういう空間の中にいたかった

そういう夢を見ていた

 

どうすれば皆んなが楽しくいられる空間が作れるのだろうと小さい頃から気がつくと模索していた

皆んなが笑い合える空間になるのなら、何でもやりたいと思った

どこにいても、そういう役回りをしたくなった

顔色をうかがう子供だった

常に空気を読む子供だった

空気を読むのが当たり前だった

一緒にいる人の感情に非常に流されやすくて、とても敏感だった

 

その延長線上でただ今があるのかもしれない

皆んなが居心地の良くなる空間が作りたい

いじめや陰口をたたくようなことが生まれない空間が作りたい

そこにいるだけで心が休まるような空間をデザインしたい

すべての人の心がすうーっとするような空間をデザインしたい

そういう空間がたくさん増えたらきっと楽しい

お互いがお互いを自然に思いやれる空間が出来たらきっと楽しい

辛いことも苦しいことも忘れてしまえるような、心がふーっと自然に軽くなるような空間が作れたらきっと楽しい

 

辛かったとき、心がしいんと休まる空間に赴いて救われることが多々あった

だから、もっとそういう空間が増えたらいいなと思ってる

心がしいんと休まって自然に生きる気力が湧いてくるような空間を作りたい

それはシェアハウスでもバーでもブックカフェでもゲストハウスでもいい

そういう空間をデザインしたい

みんなが居心地のよくなる空間をデザインしたい

それを一つのライフラークにしたい

11/22 非電化工房に行ってきたよ 後半

後半は、藤村さんから聞いた世界で動きはじめている実にワクワクする新しい時代の潮流のお話をまとめてみたいと思います。

 

その1 韓国ですすむ「オルタナティブスクール」

日本より学歴至上社会かつ大企業病に苛まれている韓国は、自殺大国日本よりも自殺者が多い国だ。

「生きづらさ」カルチャーで言うと、藤村さん曰く日本の5年先を行っているらしい。

韓国では10代の死因1位が「自殺」その意外な理由とは?

courrier.jp

逆に言うと、だからこそオルタナティブな生き方を模索する動きも日本の先を行っているという。

その一例が、韓国にあるソンミサンという町での取り組みだ。

1994年、韓国社会の現状に疑問を持った30代の共稼ぎ夫婦25世帯が、ソンミサンに集団移住。

そこで、皆んなで共同育児施設「ウリ・オリニチップ(私たちの子どもの家)」を設立させる。
共同育児の活動は、子どもの成長や発達につれて、学童保育や代案学校など新たな「必要性」を生み「オルタナティブスクール」が作られた。

学校では、子供たちが自分で田畑を耕すことや、仕事を作り出す方法を教育の一環として取り入れ、自分の生活を自給自足できる能力を子供たちに身につけさせている。

また、ソンミサンでは「地域通貨」の流通もはじめ、地域通貨で買えないものが出てくるとそれが「仕事」となり、雇用が創出されるようになった。

現在では、カフェ、リサイクル・ショップ、 市民劇場、ミニF M 放送局など、新しい文化や開かれたコミュニケーションを支える多彩な70を超える活動や事業が活発に展開されている。

そして現在では、まちづくりで有名なコミュニティとして、韓国でも「子育てをした いまち、住みたいまち」として知られる地域となっている。

教育➡仕事➡仲間という流れで、すばらしい共同体が誕生したのだ。

sungmisan.aka-tsuki.org

私も一緒にシェアハウスで子育てしようと話している女友達が軽く4人くらいいるんだけど、なんならもっと増やしてソンミサン・マウルみたいな町づくりしてみたいなぁ笑

誰か一緒にやりませんか?

 

その2 アメリカですすむ「タイニーハウス」カルチャー

近年アメリカでは「小さな家で無駄なく豊かに暮らす」ライフスタイルを求める人たちが増えている。

そういう人達が、自分で「タイニーハウス」と呼ばれる小さな住まいでの生活をはじめている。

tabi-labo.com

以下、上記のTABI-LABOさんの記事より引用⬇

人々は、莫大な住宅ローンを払うのに必死、それなのに贅沢な暮らしを求めるがため、何が大切かを忘れてしまったのかもしれない。それが、コミュニティーであり、家族であり、そして人間関係までもが。
だが現在、狭小スペースのコミュニティーは、どんどん活気づいてきている。このムーブメントにまだ経験が浅い人は、建築規制や計画、運搬などの未知の世界を切り開くために、周りの人の協力が必要となるから。つまり、タイニーハウス・ムーブメントは、人々が失ったはずのコミュニティーを再び取り戻そうとしている」

 

まさに非電化工房もタイニーハウスがたくさん乱立してて、本当に可愛くて素敵だったのだけど、日本にもタイニーハウス村なんかが出来たら本当に面白いし楽しいんじゃないかと思う。

私もぜひ、そこに住んでアースバック建築作りたい。

まさに、熊本にあるエコビレッジのサイハテなんかも既にそういう動きがあってすばらしい。

www.village.saihate.com

 

その3 ドイツですすむ「支出ゼロプロジェクト」

前半の記事で「都会で支出を減らすライフスタイルを!」という内容の項目を書いたのですが、今、ドイツでは、まさに若者たちの間で「支出ゼロプロジェクト」というものが流行しているという。

www.projectdesign.jp

 

以下、上記のリンクからの引用で「支出ゼロプロジェクト」の概要です⬇

「支出を減らすために、仲間とユニットを組み、シェアや物々交換を進め、モノやコトを融通し合う。例えば、仲間内にセルフビルドが得意な人がいれば、何かをつくってもらったお礼に食べ物を提供したりする。

5人のユニットで最大20%、50人で最大50%、200人になれば支出はゼロに近づくという。そうした活動を続けていくと、お金を支払わないと、どうしても手に入らないものが出てくる。

それは、新たな「仕事」を生み出すヒントになる。自分たちの誰かが、それを「仕事」にすることで、さらに支出を減らすことができる。」

 

これ、韓国のソンミサンでやられている地域通貨と全く同じ考え方でもあるのだけど、こうすると本当にお金を使わないライフスタイルが可能になっていくよね。。。

日本でも地域通貨の流れや自給自足の潮流は高まってきているけど、それは世界的な流れで、それを「若者が軽やかに乗り越えていっているんだよね」と楽しそうに話してくれる藤村さんと一緒にいると、とてもとても嬉しい気持ちになった。

 

1回訪問しただけで、これだけ実りあるお話を聞けた非電化工房見学会でしたが、どうやら4回とか5回とか非電化工房に来るリピーター見学者もいて大歓迎らしい。

「人生が疲れた時にでも、ふらっとまたいらして下さいね」と癒しオーラばんばんの藤村さんから言われて、私もまた行きたくなりました。

興味のある方、ぜひ、藤村さんの癒しオーラはんぱないので、行かれることオススメします。

 

最後に、あらためて、非電化工房とか月3万円ビジネスを教えてくれたウーファーのじゃさんには感謝至極です。。。

ありがとうございました^^

www.hidenka.net

 

 

11/22 非電化工房に行ってきたよ 前半

アースバック建築ワークショップに参加した翌日、、、

筋肉痛の身体にむち打って憧れの非電化工房に行ってきました。

非電化工房は、電気を使わない電化製品を発明されている藤村靖之さんが主催されている工房です。
以下、藤村さんの著書「愉しい非電化」より、引用⬇

「非電化製品(私の造語)」を発明してみたくなったのは、5年ほど前のことです。
自然共生型の国々を訪れる機会が多かったのですが、工業国の電化製品に憧れ、その方向を目指している人が多いことを知って、「いいのかな?」と思っている内に、「電気を使わなくても快適・便利は実現できる」という選択肢をプレゼントしたくなりました・・・(中略)・・・
電化製品を否定するのではなくて(私も電化製品の愛用者です)、「電気でなくても、ホドホドならできる」という発明例をお見せするだけです。
愉しい選択肢に小さく加えていただければ、発明家として大きな仕合せです」

ここの話を聞いてずっと非電化工房に行きたいなと思ってたのですが、11月22日についに行くことが出来ました。

以下、藤村さんから聞いたお話で感銘を受けたことについてまとめてみました。

書ききれないので、前半、後半と2回に分けて書きます。

その1 素人がタダみたいに安く家を作る

非電化工房の中には、前に私がブログで書いた持続可能な家がいっぱいあった。

ストローベイルハウス、ツリーハウス、アースバック建築の家などなど、、、
どんな家なのかは、これを読んでね⬇

持続可能な家って何だ?1000年続く家作りってハウスメーカーじゃないよ - 古民家ゲストハウスを作る。We are going to open a Gesthouse in Japan!

非電化工房の中にあったこうした家たちは、藤村さんのお弟子さんが作った家なのだけど、どれもこれも作った人は建築のド素人。

藤村さんがお弟子さんをとる時の基準は「素人」であることだそうだ。

これまでに、こういうものを作るような経験をしてこなかった、何も分からない人にやってもらうという。

そして、素人がタダ同然で安く家を建てられることを、ここでモデルケースとして見せている。

藤村さんは、こうして実物の家を前にお話をしてくれて、やってみたいと思い立った素人の人達がまた自分の手でセルフビルドで家を建てる輪が広がっていってほしいと語っていた。

その2 オフグリッドでいこう

ちまたでは「スマートグリッド」という言葉がよく目につくようになった。

「グリッド」とは電力会社の送電網のことだ。

だから「スマートグリッド」という言葉が目につく場所は、電力の送電網をスマート化させている「オール電化」とか「エコカー」界隈。

一方、非電化工房では「オフグリッド」というエネルギーを自給自足するライフスタイルの実践を試みている。

だから、冬場は薪を調達して薪ストーブで暖をとっていたり、電気を使わない冷蔵庫を使ったりしている。

3.11以降、日常的に使う電力に対して複雑な感情を抱く人は増えたんじゃないだろうか?

何せ福島第一原発で作られていた電力は、福島県内で使われるためではなく、「関東圏内」で利用されるために作られていたものだった。。。

私のような東京に住む人間が使っている電力は、事故の起きた福島第一原発から供給されていたのだ。。。

その後、計画停電だとか、電力の自主規制が行われたりしたけど、またいつ何時、同じような事態が起こるかも分からない。

その時に備えるためだけでなく、電気に頼らないオフグリッドのライフスタイルへの関心は、3.11を契機に高まってきているように思う。

非電化工房に行き、オイルランプとか灯油ストーブとかコンセントのない非電化製品をたくさん見て、私は「オフグリッド」のライフスタイルへの憧れをとても強めた。

 

その3 自分たちで生活をクリエイトする豊かさ

セフルビルドの家にしてもオフグリッドのライフスタイルにしても、共通しているのは「自分で生活をクリエイトする豊かさ」だ。

高い収入を得ること、エラい肩書きを持つこと、お城みたいな家に住むこと、、、

人それぞれ「豊かさ」を感じる基準は違うと思う。

けど「自分で生活をクリエイトする」という豊かさもあることを藤村さんは教えてくれた。

私も、そういう豊かさに満ちた人生を送りたいなと思う。

 

その4 都会の人こそ支出を減らすライフスタイルを!!!

「自分で生活をクリエイト」していくと、電気も使わないわ、家を建てるお金もかからないわ、、、で支出が減っていく。

この生活は、田舎の方が実践しやすいようだ。

田舎だと、畑もあるから食べ物の自給自足も可能になって、さらに支出がゼロに近づいていく。

だけど、藤村さんは「都会の人も支出を減らすライフスタイル」を実践していくような潮流がもっと出てきてほしいと熱く語っていた。

今の世の中を生きづらくしているものは何だろうか?

それは「お金がないと豊かでない」みたいな常識に縛られていることも1つの要因のように思う。

田舎に行く度に、私は田舎の人達から「お金を使わずに生活を楽しむ知恵」を伝授してもらっている。

山で登山をしてキノコや山菜狩りをしたり、海や川で釣りをしたり泳いだり、、、

田舎は、お金をかけずに遊ぶ方法がたくさんある。

「お金をかけずに遊ぶ方法」をたくさん知っておくと、俄然、人生は楽しい場になっていく気がする。

 

私は都会にしか住んだことがないけど「シェアハウス」とか「野宿」とかを知って、ちょっとずつお金をかけずに楽しく暮らす方法を学んでいる最中だ。

都心にいながら、支出を限りなくゼロにして楽しく暮らせるような空間を、いつか私も作り出してみたい。

 

非電化工房に興味のある方、以下のサイト見てみてください⬇

定期的に、見学会のイベントが開催されてます。

www.hidenka.net

アースバック建築ワークショップに参加してきたよ

以前、「持続可能な家づくり」についてブログで書いたのだけど⬇

持続可能な家って何だ?1000年続く家作りってハウスメーカーじゃないよ - 古民家ゲストハウスを作る。We are going to open a Gesthouse in Japan!

 

その後、ここに書いてあるアースバック建築という、その土地にある土を使って土嚢袋を詰んで家を建てるワークショップに11月13日〜1週間ほど参加して来た。

それから、だいぶ日数が経ってしまったのだけど、あらためて、ここで体感して良かったことを振り返ってみた。

 

その1 ゲル、トレーラーハウスに住める快感

ワークショップ参加中の寝泊まりスペースは、男の人はゲル、女の人はトレーラーハウスだった。

一般的にはゲルはモンゴルにしかないもの、トレーラーハウスは旅人が乗るもので、まさか日本でゲルとかトレーラーハウスに寝泊まり出来るなんて思ってもいなかったけど、ここではがっつり寝泊まり出来るスペースとして使えるようになっていた。

山奥深いところで夜はだいぶ冷えたけど、ゲルの中にはアラジンストーブがあって温かく、トレーラーハウスも全然寒くなく、熟睡することができた。

これまで「家=建築物」という考え方に縛られていたのだけど、ここに来てその考え方が崩壊し、日本にいてもゲルを建てれば住めるし、トレーラーハウスにだって住めることを実感した。

一生独り身になる可能性を鑑みて、マンションを購入する人もいるみたいだけど、そういう人達は、いっその事、撤去&移動可能なゲルとかトレーラーハウスを購入して住んでみてもいいのでは???

トレーラーハウスだったら、いつでも家を移動することが可能だ。

春先はサクラがキレイなここに住もう。

夏場は海の近くのここに住もう。

秋は紅葉がキレイなここに住もう。

なんてことも可能かもしれない。

一方、ゲルに住む場合。

都心でゲルを建てられる場所は限られてくるかもしれないけど、屋上が広い物件みたいなのも最近けっこう出てきてるみたいだし、そしたらゲルを屋上に建てられるかも。

「みんなで満月と星空を見てゲルで寝よう」なんてイベントたてたり、「都心でゲルに泊まれます」なんて告知してAirbnbやったら変わったお客さんも結構来てくれるんじゃないかなぁ!

その2 自分で家を作れるという快感

アースバック建築に参加した生徒は、私も含めて全員が建築の素人。

年齢層もバラバラで20代〜40代くらいで、誰も自分で家を建てるなんてことをしたことがない素人ばかり。

だけど、皆んなで力を合わせれば1ヶ月くらいで土嚢袋を詰んで、家の枠組みを作れることを体感できた。

何より楽しかったのが、家が徐々に出来ていくのを目で見て実感していける達成感。

今日はここまで出来た。。。今日はここまで出来た。。。

そのちょっとずつの積み重ねで、どんどん大きくなっていくアースバック建築を見ているのも、作り上げていくのも本当に楽しかった。

これが自分の家だったら尚更楽しいに違いない。

4000万円かけてマンションや一戸建てを買う選択肢も勿論あるだろう。

だけど、100万円の予算で自分の家を自分の手で作りあげるという選択肢もある。

人類の歴史を紐解いてみれば、そもそも私たちは自分の家を自分の手で作り上げてきた歴史の方が長いはずだ。

「家=買うもの」ではなく「家=自分で作るもの」の歴史の方が長かったはずで、世界を見渡せば、セルフビルドで家を建てている人は沢山いる。

「家を買う」ライフスタイルだけがスタンダードではないだろう。

その3 自給自足能力を磨くと俄然生きやすくなる

アースバック建築について教えてもらった方から勧められて読んだ「月3万円ビジネス」。

この本を読んで、私は自分が今まで感じていた違和感を全部、著者の藤村さんが解説してくれている気がして、とても感銘を受けた。

月3万円ビジネス

月3万円ビジネス

 

 今の世の中のスタンダードは、

食は買うもの、住まいは買うもの、仕事は雇われるもの。

もし、この構造が、

食は自分で作るもの、住まいは自分で作るもの、仕事は自分で作るもの、

になったらどうなるだろうか???

とりあえず、食と住が自給自足できるようになれば、あまり働く必要はなくなるだろう。

だからやりたくない仕事をする必要がなくなり「自分のやりたいこと=仕事」にして稼ぐ人が増える。

そしたらなんて楽しい世の中になることだろう。

自給自足能力が上がれば上がるほど、だから、世の中は楽しくなるし、沢山の人が生きやすくなるんじゃないかなと思う。

 

その4 素人でも飛び込んでみればいいじゃない

最近、素敵だなぁと思う大人の人たちが口を揃えて言うのが「人生はノリと勢い」。

やったことないし、、、不器用だし、、、なんか怖いし、、、

初めてやること、初めての場所へ行くには勇気が必要だけど、何も知らない状態から「ノリと勢い」だけで自分の人生を切り開いていった人たちが、そのままその分野を極めていった話を沢山聞くことが多くて、人生ってドラマチックでなんて素敵なものなんだろうかと思わされた。。。

「いいなぁ!!!」と思ったものに飛びついてみて、失敗してもいいじゃないか。

「やらない後悔より、やる後悔」という言葉を教えてくれた人もいて、私もいっぱい転ぶかもしれないけど、というか、いっぱい転んできたけど「やらない後悔」をしない人生を送りたい。

 

アースバック建築ワークショップで知り合った人達は、講師のヒロさんをはじめとして、本当に魅力的な人たちばかりだった。

ワークショップの生徒は皆んなもちろん建築の素人だったけど、そういう新しい環境に飛び込もうとする気概を持っている人たちは、年齢を問わず、本当に魅力的な人が多い。

ここでの出会いも本当に素敵なものばかりで、これからも大切にしていきたい友人がとても増えた。

アースバック建築に興味ある方、また次期のワークショップの参加者募集しているみたいなので、良かったら是非⬇

JEBA-2016.アースバッグ建築ワークショップ-

私も、いつか絶対、自分の住居用のアースバック建築作りたい!!!

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