上映会の告知スタイルについての一案

上映会。

・各作品の作家/作者が自らのブログに、作品ページをエントリ(してあるものも含む)してもらう。

・各作品ページにたいして、上映会サイトがリンクを張る。作品紹介はそちらを見ていただく。

・上映会サイド/サイトからは「統合」するような見え方に。

・作家サイド/サイトからは「提供」するような見え方に。

・集合写真……試写会、フィルムと一緒に等

また、告知チラシについては「裏」面に、各作品の画像を使った、各作品ごとの告知チラシを制作し(例:8作品参加なら8種の裏面を持つ告知チラシ)宣伝する、ってのはどうでしょう。

8ミリフィルム作品は、めっぽう重い。

8ミリフィルム作品を上映する場合は、少なくとも以下のウェイトの機材を運搬しなければならない。
⚫︎フィルム(リール付き)……
⚫︎映写機(電源コード含む)……
⚫︎リール(巻き取り)……
⚫︎スクリーン(白い紙でもいいけど)……

上映する場所へ、最低でもこのような物を運搬する。そこでスクリーンを吊り下げ、暗幕を張って暗くし、映写機はさらに映写角度を整えるために持ち上げて(嵩上げして)高さを確保しなければならない。位置エネルギーが必要となる。
8ミリフィルムの上映では、上映までのこれらの手順を作家自身が行ない、そして、その動作はとても美しい。

つまり、考えようによっては/今となっては、これ、インスタレーションではないのか、と。上映するだけで。

(上書く)

シネマ フォー アイズ 2015年5月

ラ・カメラで、「シネマ フォー アイズ」を観賞しました。


『夜の心』山崎幹夫
夜の郊外の散歩が撮られてる。暗い画面。合間に挟まれるのは、長時間露光させた回転映像。
告知DMに「さまよう気持ちよさとさみしさを8ミリフィルムへの惜別に込めた」とあるように、これを最後に、山崎監督は8ミリでは映像作品を制作しなくなる。
 
その後は、かわりにHDVで制作されてきた。最新作がこれ。
 
『ディープスイーツ・ジュニア』山崎幹夫
ガラス質の火山岩を尖らせたやじりにまつわる短編映画(出演者たちのプロモーションビデオでもある)。
告知DMに「駆け抜けた」とあるように、伏線が敷かれまくってるけれど、映像内では解消されていない。なので、山崎作品を観てきた者にとっては、気になりどころ満載のストーリー、かつ、物語内物語と呼べる要素もある。後編への期待が高まる(当日パンフには多少の解題はあったけど、後篇が待ち遠しい。しかしこの当日パンフ、A4モノクロコピーの冊子なんだけど、毎回アツい。これ集めたい)。

フィルムによる映画体験

●オリジナルはどこにある?

デジタル表現は、オリジナルをそのまま世界中に届けられる。そこにニセモノっていう疑いはうまれないんではないだろうか。世界中に遍在するオリジナル。

けど、対して、アナログメディアでは、少なくとも個人制作によるアナログメディアでは、それをオリジナルで観賞するためには、ホンモノだと信用できるフィルムがかけられる場へ自ら赴むかないとならない。アナログメディアでは、オリジナルの作品は、ホンモノのフィルムによってしか表現しえない。

 

●「映画体験」のゆくえ

ところで、よく言われることに映画体験は、映画館へ観にいく支度をして、靴を履いて、家を出るところからはじまっているという感覚がある(80~90年代に映画館に通った身としては特に)。

なので、家だろうと出先だろうとどこでも楽しめるデジタル表現が日常化しているとすれば、一方のフィルムによるオリジナルな映画体験は、さらに特別な行為になるんじゃなかろうか。 

前節の最後で否定的に書いたフィルムの観賞スタイルは、これをポジティブにとらえれば、次のようになると思う。

アナログ表現を観賞することは、旅のように、観光のようなスタイルを突き進むんだな、と。

 

●フィルム映画の観客

「旅」を経由することなくフィルム映画をオリジナルで体験することはかなり難しい。ほぼできないとすら言える。これは実は過去においても、現在においても変わっていない。フィルムも映写機も、作家自身がその特定の場所で持っているから。

 

●フィルム映画の作家

逆にみると、作家は、フィルム体験を提供しうる人は、観客になりうる人がそのフィルム映画体験を実行に移そうと動機づけられるだけのことを提供する必要があるんだろう。

まずは、作品の魅力で、これは、同時に、フィルムで観たいと思わせる大前提になっているはず。

さらには、観賞スペースや前後のトーク(作家の/観客同士の)、もっと言えば情報だけでもあご・あしの提供があったほうがよさそう。また、行き帰りの他の観光スポット(開始時間が決まっているのであればその前後に楽しめる観光スポットのようなもの)も。

よくをいえば<フィルム映画観光>がまとまって行程表になっているくらいのことになるのかもしれないなぁ。

 

●でもそれって、、、

ここまで書いて思うのは、それって単館映画を見に行っていた時のことじゃん?ということ。まったくその通りだよ。

 

●映画を観るモチベーション

で、問題は「作品の魅力」は、どのように伝えられるか?伝わっていくのか?ここにフィルムの、フィルムだからこそのジレンマがある。

前提として、フィルム作品自体の魅力とその良し悪しの判断は、観客が実際にそのフィルムを観るまでわからない。作品の魅力こそが観賞の一番の動機なのだから、ここでフィルムはジレンマに陥ってしまう。では、どうするか?

「作品の魅力」に漸近しうる情報を発信すること、これだろう。それは、これまではチラシという形態をとってきたが、チラシもアナログなメディアであり、これ(だけ)では同じジレンマに陥る。

ここにデジタル技術、特にWebの波及力を活かさない手はない。BlogやSNSなどによって「作品の魅力」を発信すること(って普通すぎだろうか。できれば言語を複数つかうことも必要だろし、tagの有効性にも検討すべき)。ありとあらゆる情報を、「作品の魅力」のまわりに、ねっとりと纏わりつかせる。

アナログメディアであるフィルムこそは、デジタル技術を駆使していく必要があり、積極的に使い倒すべきなんだろう。

 

※興行について

映画がフィルムでは制作されなくなっている。新作は生まれない。つまり、新作映画を興行することはできない。

いや、待って!ここで、「新作」の定義も変えておこう。

作品は、ある時完成し、公開され、観賞される。これまでも、これからも同じ。

でもそれは、興行主から見た視点、言い換えれば、現在の地平からいま生きている人宛てにみた視点だろう。

でも、人は、未来にもいる。(単純に増えるといってるんじゃないよ)

未来の人だって、映画を見たい、はず。その人が、その映画を知る時がある。その時、その人にとって、その映画は、<新作>だ。

この感覚は、自身にあてはめてもらえると共有してもらえるだろう。

Webで何度も見ているし、情報はたーんと知っているリュミエールのあの作品は、いまだぼくにとって新作だ、なんてったって、まだフィルムで観ていないんだから。誰か、フィルム上映して。

対談「アナログメディアの可能性」金子遊・西村智弘 にも参加しました

終了後、振り返るとそうそうたるお歴々が参加されていてビックリ!

●16:20 対談「アナログメディアの可能性」【対談】
金子遊×西村智弘(映像評論家、アナログメディア研究会代表)
【作品上映】ペーター・クーベルカ「Dichtung und Wahrheit」16mm 12分 (1996-2003) *日本初公開
デジタル化の加速する今日の状況のなかで、アナログメディアはどこに向かうのか。気鋭の映像作家にして批評家の金子遊氏を迎え、アナログメディアによる映像表現の可能性を問う。対談に先立ち、全作品のビデオ化を拒む伝説の実験映画作家、ペーター・クーベルカの日本未公開作『Dichtung und Wahrheit』を特別上映!
金子遊●映像作家、批評家。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。劇場公開作に『ベオグラード1999』『ムネオイズム 愛と狂騒の13日間』。編著に『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)、『クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト』(森話社)、他。

多くの引用と活発で刺激的な発言であり、とーてーぼくの手には負えませんので、箇条書きで。

・冒頭、金子氏がマヤ・デレン http://www.imageforum.co.jp/deren/about.html を引きながらおっしゃっていた、個人映画と商業映画のダイコトミーに強く納得。

・「たき火とフィルム」 いいなぁ。

・西村氏がデジタルとの対比において、相対的なとらえ方がある一方で、と前置きして、フィルム映画は、物質としてつながっている視点でいえばアナログであり、一方で、コマとコマの間をみれば離散的でデジタルともいえる。中間的とも、共存しているともいえるのでは……ということをおっしゃっていた。面白かった。

・1:サイレントからトーキーへ。2:モノクロからカラーへ。そして、3:フィルムからデジタルへ。

・会場の宮崎氏からの指摘、デジタルでは画面に映りうるありとあらゆるすべてをコントロールしなければならない、フィルムでは……

 

〈特別上映〉ペーター・クーベルカ「Dichtung und Wahrheit」(日本初公開)

・(フィルムの)コマにフォーカスして考える……

・「数学的オーダー」

・編集の作家、ペーター・クーベルカ

・「12回観ないとわからない」 12回、上映してください! 

 ・名づけられる前に、やってしまっている。「ジャンル」に同定されえない。

 

西村さんが、あの会場全員の中で一番目に評を発せられたことは、大事だと思う。いの一番に発言することの重要性は、次いで評した金子さんの視点を生んだことにつながっているだろうな。会話は誰かが発言しなければ、成り立たない。次の発言だけでは会話にならないんだから。

ぼくも実は2回目の観賞だったんだけど、この対談でプロフィールや制作スタイルなどをお聞きしてから観た2回目は、また違った観賞になった(同様のカットがいくつあるのか数えながら観たりした)。

ぼくは、フィルムは、そのままでいい。いま持っている/これから持つであろうフィルムをしっかりと残しておくことが大事だなと。

そのフィルムについてのことばがブログやなんかで未来の人が読むことができれば、その作品を観たくなって、フィルムの再生装置なんて簡単につくってしまうんではないかと思う(願わくば41世紀より前に) 。

フィルム作品を人が観たくなる、ということが重要で、そのためには、いまフィルムを観ることができるのなら、作品の良し悪し(感想ね)を何らかの形でwebに残していくことが大事なんじゃないかなぁと思う。

 

~以下5つのエントリは、カンファレンスの最後に水由氏が言われていたこと(いつもおっしゃっているんだけど)ももちろん意識して書いています。

16ミリフィルム新作集「FILM as FILM 」

 

リーフレットに書かれたのは以下の通りで、

●14:40 16ミリフィルム新作集「FILM as FILM」【作品上映】
10作品 約70分 全て16ミリフィルムによる上映
16ミリフィルムで作られた実験映画の特集。その多くは、自家現像作品か、自家現像が関係した作品。宮崎淳 唯一の自家現像映画作品『心霊映画』は初上映から10年の時を経ての上映。奥山順市とともに日本の自家現像映画のパイオニア能登勝の新作は初公開、他にも大島慶太郎、徳永彩加ら若手作家の新作を上映。
1. 宮崎淳「心霊映画」(2005) 
2.能登勝「夢代八」(2014) 
3.水由章「BEYOND CONTROL」(2014) 
4.末岡一郎「кинофрагмент」(2014) 
5.太田曜「L’Image de la Pucelle 2」(2013) 
6.川口肇「formosa-blue」(2015) 
7.大島慶太郎「POP 70」(2015) 
8.徳永彩加「光る女」(2015) 
9.谷岡昭宏「ミートボールブーン」(2015) 
10.伊藤隆介「悪魔との契約」(2013) 

 当日は、以下の変更点があった。

7.大島慶太郎「POP 70」(2015) →作品変更→ 「」() 

上映順の入れ替え。

9.伊藤隆介「悪魔との契約」(2013)  

10.谷岡昭宏「ミートボールブーン」(2015)

作品については書きえないので、上映スタイルについて。8ミリ上映についてもそう思うんだけど、1作品ずつ上映して、その都度、作家のコメントと会場からの質問を受け付ける、というスタイルにしてほしい。強くそう思う。

シンポジウム「フィルムの現在」〜映画フィルムの供給と制作について〜

引き続き、シンポジウムを拝聴。8ミリフィルムで検索すれば必ず知ることになる、御存知マディ折原氏、現在日本で8ミリフィルムを制作しているとすればこの人の目に留まらないことがない石川亮氏、実験映画を軸に豊富な知識を持つ末岡氏(阿佐美の先生)による濃密フィルム討議。基本的に、末岡氏から問いが出され、お二人が応答する形式。

「次世代は、どのようにフィルムと触れ合う、体験することができるのか?」と末岡氏からシンポジウムの狙いが示された。主に、8ミリフィルムの環境を対象とするとも。

マディさんのフィルム体験は、80年代中盤の「特撮」と「ぴあ」から。「8ミリ全開」にも「8ミリの行方」が問われ始めた時期を身をもって体験してしまっているそう。当時ニフティサーブの「10番会議室」が8ミリに関する“部屋”だったそうで、そうするとマディさんが現在もアナログとデジタルにまたがって活動しているおおもとがここに見られるんじゃないかと興味深い。

一方の石川さんは、祖父のフィルムの追体験からという。民俗学を学んでいたのでちょ直接フィルムを学んでいたわけではなく、隔世遺伝か。

そこでいきなり石川氏の発言。

 選択肢が狭まるほど燃える性質なんで……

ぼくのメモ帳に走り書きされた本日の名言。しびれた。シンポジウムに参加した人には、どれくらいこういう気持ちがある人がいただろう。

石川さんの「!8」の全国興行行脚のレポートは、おもしろかったし、参考になったなぁ。どのように上映会を行い続けているか、気になる人は多いはず。こういうレポートは、ぜひ逐一行ってもらいたい!

最後に、マディさんから、フィルムに関する“困難な状況”を維持していくための実効的な提言として、作り手フィルムmakerへの継続的なkeep in touch withが提案されていた。商品を買う、だけでなく、メールを送る、といったことも、その一助になるという。マディさんの活動からくる提言だけに重くのしかかる。

 

~~以上、ぼくの偏った書き連ねなので、シンポジウムの詳細は、研究会の報告に期待。