山陰卒業旅行後編
おはようございます。
私はネカフェ近くのバス停からバスに乗り、
白兎神社(はくとじんじゃ)にやってきました。
因幡の白兎は日本神話に出てくるものであり、出雲の神々が関わってくる。
そのため、先に出た出雲大社とも密接に関わっている。
http://www.izumooyashiro.or.jp/about/inaba
大きな神社とは言えないが、こちらも前回紹介した出雲大社に決して負けずとも劣らない、由緒ある神社である。
さて、物語を要約すると
「白兎を助けた主人公(主神公?)がご縁を取り持ってもらった」
というものだ。
そのため、恋人の聖地、縁結びの聖地としてかなり早い時期から有名となった。
もちろん、私もあやからないわけにはいかない。
白兎神社webページには
(前略)大国主命と八上姫との縁を取りもたれた(仲人された)縁結びの神様として、特に、かなわぬ恋をかなえ、特定の人との親交を深めると信仰されており(後略)
とある。
これは、「意中の人」がいなければ叶う恋も叶わぬという解釈にも取れる。
この時から2年以上たっても彼女が出来る気配を微塵にも感じない理由。
あーそーゆーことね、完全に理解した。←わかっていない
神社のすぐそばからは日本海が見える。海水浴場だろうか。
海水浴場だった。
まだ3月だというのになぜ泳ごうとするのか。
パノラマで見ることができる。
そしてこの写真の画面右。
拡大すると
画面中央に、鳥取砂丘が見える。
肉眼で見えるかは微妙なレベルだ。
今度はここ、鳥取砂丘に向かう。
バスで最寄りの末恒駅まで戻る。5分乗り換えだったのに、
バスは少し遅れ、さらにはバス停と駅は500mばかし離れており、
2面4線の高架駅。もちろん、ターミナル駅として、鳥取県東部では中心的な役割を持つ駅である。
バスに乗って鳥取砂丘へ向かう。
降りた先でリフトに乗り、林の合間を行く。
さらに砂の上を歩くと砂丘に到着した。
「日本一のスナバ」である。
園児が1000人くらいいてもまだまだ遊べそうだ。
さらに近づいてみる。
思ったより急斜面だ。
いや、ね。
こういってはなんですが私は大学4年生。
もう卒業するけど。
そのへんの輩よりは体力ありますわ。
砂に足を持っていかれた。あと普通にきつい。
この頃から老いを感じるようになってきた22歳。
なんとか登りきった。
さて、写真がうまく撮れなかったとき皆さんはどうするだろうか。
もちろん撮り直しを試みるだろう。
当然私だってやりますよ。
ブログにあげる以上、うまくなくても、
なるべくきれいなものを撮りたい。
現に画像フォルダの記録を見たところ、
日本海パノラマパート2は7回も撮り直していた。
それではフォルダの7つ目に残されていた、
日本海パノラマパート2をご覧いただきましょう。
どうしてこれでいいと思ったのか。
最後に残されていたということは、
これで満足したということである。
疲れて判断力が麻痺していたのだろうか。
にしてもあまりにもお粗末な出来である。
きれいな写真が欲しければ是非鳥取砂丘へ、
皆さん自らで撮りに行ってくださいね。
ということで鳥取駅にバスで戻った。
昼飯はここに決定した。
すなば珈琲である。
ス◯バじゃないよ、すなばだよ。
さて、このすなば珈琲であるが、月曜から夜更かしにて、「鳥取・島根県にはスタ◯が無い問題」のトピックに対して鳥取県知事が
「スタ◯はないけど日本一のスナバはある」
という自虐ジョークを聞いて、
「じゃあ、◯タバと砂場にちなんで、すなば珈琲作ったろ!」
という理由で開店した。
まさに行動力の化身。
ただし、現在では両県ともに◯タバがある。
いや、人!!!
連休中というのもあるがとにかく並んでる。
話題性も上々だ。
ホットサンドセットを食した。
ただ並ぶのに予定外に時間がかかり、次の列車が決まっている以上ゆっくりできなかった。
現在、すなば珈琲は10店舗。画面の前の皆も鳥取県に来たら行ってみてはどうだろうか。
なお、リンクを貼っても開かない人もいるだろうからここで一部紹介するが、リンクを開いた時の画像がこちら
シアトルはスタバの総本山。完全に喧嘩を売りに行っている。
智頭急行線は関西と鳥取を結ぶために山あいをほぼ直線上にブチ抜いて作られた路線である。沿線にほとんど人が住んでいないが、特急の通過料だけで黒字を叩き出している。
特急のために作られた路線であるため、単線非電化区間としては異例の、130キロの高速で駆け抜けて行く。上郡で山陽本線に合流し、2時間強で鳥取駅から新大阪駅にたどり着いた。
ここから新幹線で京都に行く。
さてここで、先程の「スーパーはくと」は京都行なので、あのまま乗っててもよかったはずだ。乗り換え時間なども考えると新幹線の方が遅く着くこともある。
ここにはテクニックが隠されているので紹介しよう。
まずは今回の旅の切符をもう一度。
これは、新幹線と特急を乗り継ぐと特急料金が半額になるというものだ。(条件制約あり)
今回の場合、智頭急行線という別会社を通っているので、
その分は半額にならないというさらにややこしい特例があるが、
鳥取→新大阪: 1500円
新大阪→京都: 860円
合計: 2360円
もし京都まで特急で通して乗ると2580円。
新幹線に乗り継いだ方が安いのである。
いろいろと説明してしまったが、画面の前の皆様は
「新幹線と特急を乗り継ぐと特急料金が半額になることがある」
とだけ覚えておいてもらえば、この先トクすることがあるかもしれない。
ただし、JR九州ではこの規則は適用されないので注意。
京都に着きシュウと合流。
晩飯は一乗寺のラーメン「びし屋」に並んだ。
実はこの日のうちに熊本まで戻るつもりではあった。
しかしシュウは泊まっていくことを提案。
彼は京都のアパートを既に退去していたため宿はないのだが、
「一人でホテル泊まると5800円取られるけどツインなら2人で8000円になるんや。だから泊まって、京都でしか手に入らない土産あげるから。」
まあ、たしかに今日無理に熊本に帰ることもない。
決して土産に釣られたわけではないんや…決して…
土産といえば私も彼に山陰土産を買ってあげていた。
彼は鷹の爪団が好きだったようなので。
五条のホテルで夜を明かし、翌日昼、京都駅へ。
研究室をサボって食うランチはうまい。
しかし、いつまでもはゆっくりしていられない。
ランチの後は新大阪から博多まで新幹線を使って、熊本に帰ったのであった。
帰宅後、別れ際に渡された土産を確認する。
土産は外袋で包まれている。
大きさ的には八ッ橋か?
いやいや八ッ橋は確かに貰うには嬉しいが「京都でしか買えない」だからなあ。少し微妙な線ではある。
厚みを確認すると八ッ橋にしては薄い。
京都なら…京都のめっちゃいいお茶パックだろうか。
いや、いくらなんでもそんなお高いものは流石に申し訳ないですわ、と呟きながら外袋から中身を取り出す。
京都でしか買えない、シュウから託された土産。
京都市指定ゴミ袋だった。
山陰卒業旅行前編
博多行きの快速電車に乗り込んだ。
この構図にも慣れてきた。
大学を卒業した私は卒業旅行に行くことを決心した。
当然一人である。
寝不足のためまどろんでいたらいつの間にか博多駅に到着。
新大阪行きのこだまに乗り換える。
「こだま」は各駅停車の新幹線である。
山陽・東海道新幹線は速達タイプの
「のぞみ」を優先するダイヤであることから、
のぞみの追い越しを待つために
駅につくごとに10分ほど停車することも珍しくない。
なかなか目的地に着かない新幹線。
乗車中も断続的に寝ていた。
起きたときにはちょうど新山口駅を発車し、
駅名標が後方へ流れて行く車窓を見た。
それではここで今回の切符を見てみよう。
京都に行くわけだが、今回はかねてより行きたかった山陰を経由する。
そのために新山口駅で山口線の特急に乗り換える。
ガッデム!!!寝過ごした!!!!
次の停車駅の徳山で下車。
徳山動物園の顔ハメを撮りながら折り返しの列車を待った。
実は特急の乗り継ぎはだいぶ余裕を持たせた旅程を組んでいたため、
都合30分のロスがあっても特急には間に合った。
新山口駅まで戻り、山口線・山陰線特急スーパーおき米子行に乗り換える。
なおもバスに乗り換えて数十分。
石見銀山とは日本最大の銀山である。
最盛期には日本は世界の1/3の銀を産出したとされており、
ほとんどの銀はここ石見銀山で採掘されたといわれている。
ここ、石見銀山世界遺産センターでは、その歴史を軸に
技術・文化・研究といったあらゆる観点から
銀山を学ぶことができる資料館・博物館である。
石見銀山について学んだ後はまたバスに乗り、
銀山で栄えた町、大森地区を目指した。
大森地区には古い町並みが残されている。
この赤い屋根瓦は石州瓦と呼ばれ、島根県では至る所でよく見かける。
車でも鉄道でも、島根を訪れた際は是非家の屋根を見てほしい。
珍しい色の屋根もこの地域では当たり前なのだ。
散策していると、岩がくりぬかれ、
そこに地蔵が置かれているというものがあった。
さすがは石見銀山のお膝元、掘削技術を生かして
地蔵堂まで岩を削って作るのだろうか、と思いつつ地蔵を見てみる。
なんかイっていた。
島根といえば出雲大社に目が行きがちではあるが、
石見銀山も是非行っておくべきスポットである。
出雲大社が華だとすれば石見銀山はいぶし銀である、
銀山だけに。
↓石見銀山世界遺産センターHP
http://ginzan.city.ohda.lg.jp/
さて、その「華」である出雲大社に向けさらに進む。
バスで大田市駅に戻り、
50分近くかけ出雲市駅に到着。
乗ってきた気動車を撮り、改札を出る。
出雲市駅
さらにここから一畑電鉄に乗り換える。
電鉄出雲市駅の入り口に差しかかったところ、
ホームのある2階から聞こえてきたのは
「1番線ドア閉まりまーす」
次の電車は30分後。完全にやらかした。
時刻表上では乗り換え時間は10分と、十分にあったはずだが
乗ってきた気動車が遅れて出雲市駅に到着したこと
気動車などを撮影していたこと
出雲市駅で改札を出るのに手間取ったこと
複合的要因により、次の電車を逃してしまった。
しかし出雲市駅から出雲大社まではバスが出ている。
サブプランとしてバスの存在まで把握していた私は策士であった。
が。
バスは行ったばかりだった。次のバスまで30分。
なんだこいつら。
結局バスに乗り出雲大社に到着。
ここでの30分のロスは
この後のプランからして痛い30分であった。
あとサングラスの彼、こんな格好で神社参りしてるが
彼女と手をつないでいる。
非常に腹立たしい。
境内を突き進む。
本殿に到着。
出雲大社は日本神話や古事記にも出ている、
古代から存在する由緒正しい神社である。
作法は一般的なものと違い、二礼四拍手一礼となっている。
神無月(10月の旧称)は「神々が出雲の地に集まるため各地で神がいなくなる」
という定説が有名ではあるが実は根拠が無い。
それでも定説として根強く残っている。
ちなみに、ハワイにも出雲大社の分社がある。
さて、出雲大社は縁結びの神として有名。
若い女性がやたら多いのもそれが理由であろう。
私は彼女が欲しい旨を願った。
なお、それから2年以上たった現在、
一度たりともできる気配すらなかったので
神無月の定説以上に、縁結びの神という定説は
ガセであることが立証された。
サングラスの彼が非常に腹立たしい。
出雲市駅に戻り、松江方面へ。宍道湖(しんじこ)へ向かう。
宍道湖とは島根県東部にある湖である。
ここは有名な夕日の観賞スポットとして有名であり、
県外からも多くの観光客が訪れる。
そのスポットの最寄り駅、松江駅から1つ手前の乃木駅で下車。
1.5キロほど歩くと観賞スポットに到着した。
くもりで夕日がみえねえ!!!
周りも夕日が見れず残念がっているカップル多数。
出雲帰りに彼女と夕日を見に来たであろう、
サングラスのアイツ!!
ざまあみろ!!!!
俺と同じ日に来るのがいけねえんだ!!!!!!
ちなみに宍道湖の夕日が見られる確率の高さを公表する
松江宍道湖夕日情報というサイトがある。
https://www.kankou-matsue.jp/shinjiko_yuuhi/sisuu.html
参考にはなるかもしれないが結構アテにならないので
夕日を見たい方は注意されたし。
その後はバスに乗って松江駅へ向かった。
松江駅に到着。
出雲で食べ損ねた出雲そばを食べ
松江から米子で乗り継ぎ鳥取を目指す。
気動車のラッピングにコナンがあるのは
名探偵コナンの作者、青山剛昌氏の出身地が鳥取県北栄町であることから。
鳥取空港を鳥取砂丘コナン空港に改名するなど、
鳥取県は町おこしの一環として名探偵コナンを取り入れているそうだ。
3時間ほどかけ鳥取県鳥取市。
これもまた鳥取駅の1つ手前の湖山駅にて下車。
ただただ不気味な、この無人駅の近くのネットカフェに入り
この日の行動を終了した。
(後編に続く)
C89後編
コミケに参戦するといったな、
あれは嘘だ。
いやまあ半分ホントなんですが、12月29日コミケ1日目。
この日は女性向けがほとんどであり、
めぼしいサークルがないので秋葉原で1日目の代わりを行う。
スクリーンに3人組ユニットが映ってそう
乳首黒そう
ハノケチェン!!
12月30日
ついにきましたビッグサイト。
時刻は8時前。
始発や徹夜で並んだ人たちであふれかえっていた。
徹夜は規約違反なのでやめとこうね。
しかしそこまでしてでも望むものを追い求める人たち。
最悪始発までに並ばなければ戦況は厳しくなる。
前回参戦時は、徹夜こそしてないが、
始発前にタクシーで来て並ぶというグレーゾーンで攻めたが、
それでも入場に1時間ほどかかり、
さらに待機列に2時間ほど並んだあげく、
目当てのものが売り切れだった、という同行者もいた。
なお、現在は始発前に並ぶのは禁止と明記されています。
では我々はなぜ始発で来ず、悠々と8時に来たのか。
サークルチケットで先行入場できるからである。
余りのチケットを譲っていただいたTニキには
この場を借りて感謝申し上げたい。
今回はコミケ内についてあまり語ろうというわけではない。
ただ、先行入場のアドバンテージは圧倒的であった。
始発組よりさらに早く並べるからである。
もし、先行入場したいのであればキミも同人活動を始めよう!
なお、絵も描けない何もできない無能な私がこうして
サークル参加させてもらえるのは、
絵師(某氏)が絵を描きサークル参加し、
余りのチケットを私に分けるのと引き換えに
私がコミケとそれに付随した旅行の計画・全手配をする
という等価交換が成り立っているからである。
計画や手配なんて誰でもできる仕事をするだけで
コミケにサークル参加させていただける某氏らには
改めてこの場を借りて感謝申し上げたい。
なお、某氏は3日目に18禁同人誌の出品で参加しました。
2日目はカメラマンに囲まれる
しまかぜのレイヤーの構図を見たり
お台場に行っては
ガンダムを眺めるなど
翌日参加した3日目は帰りに超大手サークル、
国際展示場駅で押しつぶされるなどして
大森のカプセルホテルに到着。
ガキ使、紅白に変えてμ'sを見るなどして年を越したのであった。
2016年1月1日
この日も秋葉原に来た。通称「4日目」である。
コミケ直後は新商品が多く入荷する。
帰りの飛行機までにいろんなものを買いあさるのだ。
が、私は秋葉原に着くやいなや行列に並ぶ。
まさにコミケ4日目である。
そう、これから神田明神に初詣に行くのだ。
大人気サークルである。
この神田明神、1300年続く由緒正しい神社であるが、
ラブライブ!の作品中にも多く登場し、聖地としても有名になった。
初詣を済ませて絵馬をのぞいてみると、
μ'sのファイナルライブについての絵馬がずらり。
この年にμ'sは解散となったのだ。
ちなみに公式自らコラボしている。
私も絵馬を買った。
何を願ったかは覚えていない。
おみくじは大吉であった。
なお、この年は盆休み無し53連勤をキメるなど
最悪な年であった。
階段ダッシュをキメてそうな男坂を下って12時すぎ。
さて、昼に何食おうかなーと考えていると、
いっつんから電話が来た。
「今から渋谷来て」
それだけだった。
は?
秋葉原から渋谷。
山手線の反対側。
ホームから一気にアウェイへ。
甲子園レフトスタンドの巨人ファンのような気持ちで
ハチ公前で待っていたら、彼が10分くらい遅れてきた。
その先は覚えていない、
が。時刻は17時前。そろそろ秋葉原に戻ってもいい頃だ。
俺「18時には秋葉原戻らないかんけん」
い「お、それじゃあ初詣に東京大神宮行こうぜ」
彼の国語力は少なくとも俺よりは圧倒的に上だ。
知能が低い方である俺の発言の文脈を読み取れないわけがない。あってはならない。
それとも頭がイっているのだろうか。
俺「初詣はもう済ませたわ」
い「三社参りとかいうやろ?あと2つは行くんだぜ?」
頭がイっていた。
彼女ができそうでできず頭のネジ飛んだんやろうなあ、
かわいそうに
マジで狂ってやがる。
時間的にヤバい。すでに薄暗いし。
完全に日が落ちてもまだ進まない。
なんだあの看板。
コイツは目がイっていた。
なんとか済まして急いで秋葉原に戻った。
集合時間には思いっきり遅れたが、
後に乗る予定だったバスには間に合った。
バスで向かった先は大江戸温泉物語。
ここで温泉につかり仮眠をとる。
早朝の羽田空港送迎バスまでセットという
ピンズトなプランがあったのだ。
予約制なので使う方は確認されたし。
http://daiba.ooedoonsen.jp/other/flight01.html
こうして羽田から福岡空港へ飛び、博多駅で解散。
第89回コミケは幕を閉じたのであった。
なお数日後、いっつんから彼女ができた旨の電話がきた。
あのときすでに彼女がいたのだ。
あんなクレイジーサイコパス野郎に彼女ができて
俺にできないのはなぜだ。
人生は大凶である。
C89中編
下呂温泉を堪能した後、岐阜駅まで戻った我々は
この日も岐阜駅のサイゼリアで晩飯を食う。
23時、お目当ての列車が岐阜駅に到着した。
ムーンライトながらである。
これは岐阜県の大垣と東京を結ぶ夜行快速列車だ。
つまりこれに乗りさえすれば明日の早朝には東京に着いているのだ。
なお、初めてのコミケの際は、前編でお話しした通り、
定刻までに大垣にたどり着けず無事死亡している。
翌5時過ぎ、東京駅に到着。
夜行列車ではあるが、古い特急列車をそのまま使っているので
席が倒せるわけではなく寝心地は悪い。
穂乃果ちゃんが出迎えてくれた。
さて、はっきり言ってこの日はノープランであった。
年末なのでいろいろな施設に行くにも制約が出ることがある。
某氏「神社仏閣とか見られたらええな」
ぼく「いざ鎌倉」
某氏「え」
我々は片瀬江ノ島駅に来ていた。
江の島は恋人の聖地として有名なスポットでもある。
「フォオオオオオオオオオオオオアアサムゥイ!!!」
7時18分、この時間にカップルなどいない。
ましてや12月28日のこのクソ寒い中。
砂浜を、奇声を上げながら走ることを誰がとがめるだろうか。
コンビニのイートインコーナーで
時間を潰した我々は江ノ島水族館に来ていた。
ここでは皇族の方の研究内容などが
特別展示(写真撮り忘れ)されていた。
読者の方には年末に野郎二人で水族館を開館凸する絵面を想像してほしい。
この寒い中やりますねえ・・・
なんだかんだで楽しめた。
地味に知名度のあるこの駅舎。
地味に知名度のあるこの車両。
歩いて10分ほどするとヤツが現れた。
鎌倉大仏。
ヤツとか言ったらバチあたりますねごめんなさい
ハトくん降りよう、バチがあたるよ。
やたらデカいわけではないが
THE 大仏って感じの威圧感がある。
近づくとある看板を発見した。
胎内・・・
胎内・・・
胎内!?
どうやら中に、大仏の胎内に入れるらしい!
うおおおおおおおおおお俺は胎内に入るぞ!!!
子宮に還るんや!!!!
バブみ!!!!!マm
まあこんなもんだよね。
疑似胎内プレイするか
胎内から人生をやり直したい旅芸人でした。
さて、駅に戻り東進。
疲れていたので鎌倉駅からゆっくり歩いて15分。
鶴岡八幡宮に到着。
なお遠目からの写真しか撮っていない痛恨のミス。
参拝を済ませ、散策していると宮内には池があり、そこに大量の鳩がいるのを発見した。
鳩は八幡様のお使いの象徴を言われるがそれにしても多かった(諸説あり)。
さらには餌まで売っている。
いや、ね。もうすぐ大学を卒業する野郎がさ?
22(当時)にもなって鳩に餌をやる姿なんてどうですか?
まあ若々しいイケメンとかならいいですよ。
愛の象徴なんてみじんも関係ない、
なんならタクシーの運転手と間違えられるようなおっさんが
そんなことするわけ
するよね
いやお前鴨やんけ
どんどん来る来る
めっちゃ楽しい!!
こいつら大仏だろうが人だろうが何にでも乗ってきやがる
八幡様?俺こそが鳩使いや!!
その後は都心からアクセスが簡単で、
海の見える駅として有名な海芝浦駅
横浜中心部に移動し赤レンガ倉庫を見ては
横浜中華街で晩飯を食らい
そして予約していたカプセルホテルに到着。
翌日から参戦するコミケの作戦会議を行って就寝した。
後編に続く。
なお2年前初コミケの時に「ツイン」と「ダブル」の違いを知らず
当日予約なのに安いやんけ!という理由でホテルを予約し、
この某氏と同じベッドで寝た、ホモエピソードについてはまた別のお話。
C89前編
通称コミケ。
それは年に2回開催される、日本最大の同人誌即売会イベント。
またの名を、戦場という。
しかし、戦場はコミックマーケットだけではない。
コミックマーケットに向かう過程もまた、戦場なのである。
まだ日も昇らぬ12月26日の朝、某駅から快速博多行に乗る。
これが戦場のはじまりである。
さて、今回使うきっぷはこれだ。
みんな大好き青春18きっぷ(右下)。
実はコミケの参加は2回目であり、1回目も同様に18きっぷを乗り継いで東京に向かった。
しかし、事件は起きる。
東福山駅で急病人。
岡山駅で人身事故。
実に2時間の遅れが発生し、完全に計画が狂った。
その時はとっさの判断で途中の大垣で泊まり、なんとかリカバリーできた。
今回はその時と一緒に行った匿名希望氏と同行する。
また、青春18きっぷで岡山以西に行くのはこれが3回目である。
1回目は今紹介した初コミケの時。
2回目は以前記事に載せたこれ。
http://shirasabakun.hatenablog.com/entry/2014/09/20/210510
2回とも岡山駅で足止めを食らっている。
いわゆるトラウマなのだ。
そんな不安をよそに、すべては順調に行き、
当時の最新型車両である227系に乗り、広島県を横断していった。
糸崎駅で岡山行き普通列車に乗り換える。ついに問題児とご対面や・・・
この煽りスキル満載の接近メロディーを聞いた回数は1回であった。
そう、ついに!
ついに!
何事もなく岡山駅を通過したのである!!!
ありがとう岡山愛してるよ!!!
姫路まで着けば米原まで一気に新快速で駆け抜ける。
岐阜駅のサイゼリヤで晩飯を取ったあと、
23時20分、この日の最終目的地である美濃太田駅に到着した。
駅から20分ほど歩いたところにあるネットカフェでこの日の夜を過ごした。
5時前、美濃太田駅に戻ってきて今日一番の列車に乗る。
キハ25系気動車高山行
スキー客で込み合う列車は山奥へと進み、雪も降ってきた。
2時間半ほどで、列車は終点高山駅に到着した。
「次の予定」まで時間があるので少し高山市内を散策する。
ここ、高山市は日本一面積が広い市である。
その広さは東京都に匹敵する。
ゆえに豪雪地帯であり、この日も当然のごとく雪が降っていた。
ある交差点を取ってみても、雪の重みでたわみにくいよう、
信号機が縦に配置されており豪雪地帯特有の風景がうかがえる。
また、飛騨の小京都とも呼ばれており、古い町並みが多く残されている。
さて、高山駅に戻り、「次の予定」のためにバス乗り場に向かう。
アイエッ!?
到底1つのバスには乗り切らない人の量。
これはまずったか、と思ったが、臨時で後続バスがすぐに来てくれたので助かった。
察しの良い方はもうおわかりであろう。
バスに揺られること1時間。
白川郷に到着した。
白川郷の合掌造りは世界遺産としてももちろん知名度が高い観光地で、
「ひぐらしのなく頃に」の舞台となった地でもある。
途中、「ひぐらしのなく頃に」前原宅の元となった施設も通りすぎた。
まずはバスを使って高台に登る。
雪景色の白川郷を一望。
この日の一番の目的と言ってもよかったかもしれない。
ただ、この年は歴史的暖冬で、これでも例年より雪が極めて少ないそうだ。
高台から降り、次に向かったのが白川八幡神社である。
「ひぐらしのなく頃に」では古出神社の舞台となった場所である。
賽銭箱の裏に遺体はなかった。
絵馬はご覧の通り。やはり聖地である。
さらに次に向かったのは和田家。
「ひぐらしのなく頃に」では、園崎家に該当する。
それくらい、白川郷で最も重要な建物と言ってよいだろう。
和田家の前でいつも通りの自撮り。
通行人が映る痛恨のミス
すごい怪訝な目で見られた。
和田家の前で改めて撮ってもらった。
中は観覧できるのでぜひ行ったときは見ていただきたい。
こんな風に適当に撮ってもなんか雰囲気が出るのがいいところ。
これは待ち合わせ場所・・・
昼は飛騨牛やら地元の食べ物。やはり人が多く、少し並んだ。
白川郷は歩いているだけで楽しい。
冬だと雪化粧の合掌造りが見られる反面、通行止めなど立ち入れない場所がいくらかある。
是非また夏、それこそひぐらしのなく頃に来てみたいものだ。
高山を経てもと来た道を戻っていく。
16時前、ある場所に降りた。
下呂(げろ)駅である。
こんな名前だけど下呂温泉は日本屈指の温泉地。
飛騨川を渡るとそこは温泉街が広がっている。
ここで購入したのは下呂温泉湯めぐり手形。
温泉3か所を選んで温泉巡りできるというものである。
ただし、この日は年末ということもあり、営業している温泉が限られているうえに
非常に人が多く混雑していたので行ける温泉は限られた。
露天風呂から温泉街を見下ろす。
このクソ寒い中入る温泉は格別であった。
全国チェーン強し。
温泉に入っている途中、自宅から髭剃りを持ってきたのを思い出した。
もう2日剃ってないからここで剃っておくか。
アホ
(つづく)
西部四国編_後編
高知の朝。
当たり前のように着る服がある。
当たり前のようにご飯が食べれる。
当たり前のように寝床がある。
読者の皆様はその当たり前に感謝して生きているだろうか。
ネカフェで泊まれることがこんなにも素晴らしいことだとは。
日曜のこの日、ネカフェからほど近い場所で
開催されていたのは日曜市である。
高知城から追手筋という通りに沿って出店が立ち並ぶ、
これもまた観光名所のひとつである。
四国の特産品や安い野菜などが立ち並び、
小雨でありながら人は多い。
この通りを抜けていくと高知城に着いた。
城の公園でなんか安保理反対うんたらみたいなデモ
やってたけど観光の邪魔なので別のとこでやってください。
天守閣に入っていく。
その入り口で後ろから声をかけられた。
那須町長さんでした。
https://www.facebook.com/nasumachi/?hc_ref=NEWSFEED
いわく、足摺岬の観光を行った後ここ高知に来たらしい。
行程が俺とほぼ一緒じゃねえか!
一緒に天守閣に登った。
高知城からの眺め。
駅前はともかくここから見るとまあ県庁所在地なだけはある。
天守閣から出てきて町長、
「私、仕事で四国に来ているのですが実は
栃木県にある那須町の町長やっているんですよ。」
うん、知ってる。
こちらも自己紹介。
熊本県内の大学生で、学会のための論文を書きあげ、
台風のため学校が無く思い付きで来たことを伝えた。
これも何かの縁、近くにいた人に一緒に撮ってもらった。
後日、町長のfacebookにアップロードされていた。
1.大学名は伝えてないんですけどね
2.卒論ではないんですけどね
この再会は本当に奇跡と言えるだろう。
町長、必ず那須に行きます。
さて、それこそ町長と再会を約束し別れた後、
高知駅に向かい、昼前の高速バスに乗った。
ここで今回の行程をネタ晴らししよう。
高知から高速バスで松山に戻り、この日の夜に出港する
小倉港行きのフェリーで船中泊し、翌朝熊本に帰るというものである。
松山市内の駅ではなく大街道というバス停で下車。
熊本でいう通町筋のようなものである。
ここから徒歩で向かったのは
松山城である。
眺め
5時間で2つの城を見る男。
そしてここには噂のアレがあった。
蛇口からみかんジュース!
このために300円払うことはいとわない。
喉かわいてたしね!仕方ない!
城から降りる途中、場内には庭園があり、そこにはこんなものが。
何が恋人の聖地だ!!!
ここは俺だけの庭園だ!!!
独り身の旅芸人はまともに見て回ることは出来ず、
ただ抵抗の意志をもって騒ぎ立てることしかできなかった。
城から路面電車の通りに出る。
少し待つとお目当てのものが来た。
「坊っちゃん列車」である。
蒸気機関車ではない。子供だまし。
後ろには客車がついており路面電車と同様に走る。
明治時代から松山の地に根付いてきた蒸気機関車を
再現したものであり、その名前は
利用したことが由来だそうだ。
ここ松山は坊っちゃんの登場地であることもそうであるが、
野球場は「坊っちゃんスタジアム」、土産物は「坊っちゃん団子」・・・
さて坊っちゃん列車に乗ってほど近く、道後温泉停留場に到着した。
坊っちゃん列車の転車(機関車の付け替え)を見終わり、かの地に向かう。
もちろん、松山に来たらここに行かなければならない。
道後温泉である。
日本三古湯の一として数えられ、日本でも最古レベルの温泉だそうだ。
温泉に入った後のお茶菓子はまた格別であった。
温泉街の一店に入り、愛媛名物鯛めしを食らう。
ちなみに同じ愛媛でも北と南で鯛めしは異なるものらしい。
食べ終わったころには残念ながらフェリーの時刻が迫っていた。
途中松山駅に立ち寄り、土産を購入した後、
大手町駅からまた初日に来た道を戻っていく。
電車を降り松山港から小倉港行のフェリーに乗る。
フェリーの中から遠のいていく松山の灯りを見送った。
思い出される一番の思い出はやはり町長との出会いだろうか。
こうしてこの西部四国の旅は終わったのである。
ひげ剃れよ。
フェリーが到着して朝の7時ごろ研究室の先輩から電話が。
「10時から教授と打ち合わせあるから来いよ!」
聞いてない。最後は新幹線を使うしかなかった。
西部四国編_中編
前回のラバライブ!
宿が無い。
結論から言うと宿を見つけた。
さかのぼること2時間前。
町長と別れた俺は晩飯を食べるために
中村駅近くにある「サンリバー四万十物産館」に向かう途中
1件の民宿を見つけた。
いつもならスルーするであろうこの民宿、
見た瞬間に妙に引っかかるものがあったのだ。
こんな形で回収することになるとは。
名前をはっきり覚えていたので、
というか民宿土佐。わかりやすいよね。
調べるとすぐ電話番号が出てきたので電話をかけると、
1部屋だけあいていた。
素泊まり3500円、まあこの状況下では上等だろう。
翌日8時ごろ、中村駅前のバスターミナルに向かう。
中村駅
この日は県随一の観光名所足摺岬へと向かう。
というのは建前で、私が旅をする目的の
一つに定着しつつある「自殺名所めぐり」である。
田宮虎彦(1911〜1988年)作「足摺岬」は
プロレタリアート思想の嫌疑で投獄された苦学生が
足摺岬の断崖から飛び込み自殺をしようと苦悩するという文学作品で
1954年に 吉村公三郎監督によって映画化されている。
その後足摺岬は自殺の名所になったそうだ。
(参考文献:https://4travel.jp/travelogue/10032228)
ここまでの軌跡
途中、土佐清水市中心部に近づくにつれ、乗客が増えだした。
平均年齢が高すぎるバス車内。
ここ土佐清水市は鉄道は通っていない。
最寄り駅は先ほど出てきた隣の四万十市の中村駅であり、
東京から最もアクセスに時間がかかる市のひとつだそうだ。
その不便さゆえに高齢化が深刻な市なのである。
その土佐清水市中心部を過ぎ、中村からバスに揺られること約2時間。
足摺岬に到着した。
THE 岬って感じ。
流石は自殺の名所、確かにここから飛べばひとたまりもなさそうだ。
ん?
こんなところで釣りやってる!
まあ釣りはできませんがせっかくここまできたことですし、
飛び降りたろ!
ちなみにこの写真の撮り方
1時間も滞在すれば十分満喫できた。
ただ、昨日に引き続き、トイレにメッチャ蚊がいてキレそうだった。
バスで中村駅まで戻り、特急「あしずり」に乗る。
列車に揺られること2時間弱。
終点高知駅に到着した。
高知県の代表駅、高知駅。
特急はともかく、普通列車はほぼ単行(1両編成)の気動車ばかりで
地方都市の悲しい運命である。
しかしここ高知市には路面電車が走っており、
市内の往来は盛んである。
さて高知に到着して早速乗るのは路面電車ではなくバス。
1時間弱で到着したのは桂浜である。
桂浜とだけ聞くとピンとこない人も多いと思うが、
これが桂浜。
画像を見ると、なんか見たことある気がすると
お思いの方も多いのではないだろうか。
奥の方に神社っぽいのが見えるので登ってみる。
ん?
ま た 釣 り 人 か
なお、さすがは坂本龍馬ゆかりの地。
以上桂浜でした。
雨が降りしきる中、顔ハメを一人で撮る男性を目の当たりにした
後ろの二人組はどんな気持ちなのだろうか。
市内中心部に戻り、伊野方面の路面電車に乗る。
ちなみに接近メロディーがファミマ入店のアレだった。
しばらくして多分、曙町かなんかで下車。
高知の路面電車はあまり金がないためか手抜きポイントが2か所。
1.安全地帯での乗降
みなさん乗降場があるのが当たり前だと思ってませんか?
熊本ではそうですが、高知では地面の上にダイレクトに降ろされるんです。
2.単線
熊本では複線といって、常に列車がすれ違えるよう、
レールが2セット並べて敷かれてますが、高知では1セットのみ。
これを単線といい、常には列車がすれ違えないのだ。
ゆえにこんな珍しいものが
真ん中、見えにくいがこれはタブレットといい、
このタブレットを持っている列車だけが
閉そく区間(列車がすれ違えず1列車だけが進入を許される)
に進入することができるものだ。
そのタブレットを交換し、
「こっちはこの区間終わったからそっちの列車は入ってもいいぜ」
という儀式である。
現在は多くが自動化されており、現存するものは少ない。
このへん詳しく語りたいところだがわからない、
そもそも興味ない人続出しそうなのでこの辺で。
他にも後免(ごめん)という駅に行く列車にはこんなものが。
なんか画像素材に使えそうだ。
さて中心部に戻りこれも観光地の一つ、ひろめ市場で腹ごしらえ。
ええ・・・
日本三大がっかり名所のひとつだそうです
(札幌の時計台、高知の播磨屋橋、3つめは諸説あり)。
宿泊地のネットカフェはちゃんと24時間営業であることを確認して行った。
ネットカフェが夜間通して営業してることに感謝して高知の夜を過ごした。