思考が凝り固まっている。
「~べき」に囚われて、自分がどういう人間なのか、自分は本当は何が好きで、何をしたいのかが分からなくなっている。
最近そう感じる。
もっとゆったりとしたい。
自分の「こうしたい」に身を任せて、ゆるくいきたい。
外では頑張るけど、あとは家ではゆったりしていたい。
頭のねじが一本外れたくらいの、ゆるい母さんになりたい。
母親が家でキリキリしていて良いことはない。
例えば運動。
運動不足にならないように!と、朝30分エクササイズをしていたけれど、やっぱやめた。
運動するのは気持ちいいのだけど、やはり平日朝に30分は枠が大きすぎるし、「やらねば」が疲れる。
でも気持ち良いくらいの運動はしたいので、少しはやる。
長年続けてきた筋トレについても、「ねば」でだいぶ凝り固まっていたと思う。
私が目指すのは、程よく引き締まった体。
下半身デブなので、脚は細くなりたい。
何も別に、シックスパックで昆虫みたいな体になりたいわけじゃない。
筋肉は必要な分だけあればいい。
週末にランニングしているから、必要なのは筋トレよりも疲れを残さないこと。コリをほぐして浮腫みを防ぐこと。
なのに、美脚にはワイドスクワットがいいから~という巷の情報にとらわれ、四股をふむこと数年。
でもいったんやめてみる。
すっと頭の片隅で気になっていた。
もともとガニ股やランニングで前モモや外モモが張りやすい私に、この筋トレは合っているのだろうか?と。大腿四頭筋これ以上鍛える必要なくない?と。
なんか疲れた。
こんな感じで、こうあるべき、こうしなければ…で凝り固まっていくような気がする私の頭。
「自分はこうしたい」が、外側からのいろいろな情報やそこから生まれる「べき」「ねば」の考えで埋もれて見えなくなてしまった。
なので、ゆるめる。
どんどん何かを足すのではなく、引いていく。
特別なことをしなければ維持できない、という状況はおかしい。
運動も、食事も、他のいろいろなものも。
特定の何かを制限したり、自分に課したり。
そんな特殊な状況を一生続けるのか?
もっと素のままで、十分健やかにいけるはずだ。
もっと普通でいいはずだ。
ガツガチではなく、ゆるゆるでいくのだ。
こう思うに至った理由は、いろいろある。
実際疲れたというのもあるし、夫に「最近枯れてきてる気がする。今までの傾向を見ると、(私)は少し肉ついてるくらいの時の方がメンタル安定している気がする。」と言われたのもある。体脂肪率とホルモンバランスは関係あるから、夫の言うことは強ち間違いではないかもしれない。
それに自分でも、朝30分運動でバキバキになった腹回りを見て、「なんかカブトムシっぽい…」となんか悲しくなったというのもある。
「べき」でガチガチ、キリキリになった自分が、ひどく虚しく感じられてきた。
そんな肩肘張って見栄張ってどうするんだい。
そんな立派な人間じゃないだろうよ。
ちなみに前回記事の二行日記への先生からのコメントは、「かき玉汁おいしいですよね。」でした。先生優しい!