ウィーンにきて11ヶ月が経った - セカンドポスト (hatenadiary.com)
3か月も備忘録を更新していなかった。というのも日本での転職活動をしていて最終的に日本への本帰国が決まり、それまで面接だったりいろんな人が会ってくれたり、ヨーロッパ一人旅をしていたから。
就職先が決まったら最終報告的に更新しようと思っていた。
直近の予定
仕事の面は直近はオースト”ラ”リア系のITコンサル企業でコンサルポジションとして働くことになった。本国ではかなり有名みたいだけど日本ではまだ小さく10名以下の企業。
また帰国してすぐ、LASKファンの友人がFC東京の試合を見に来てくれることに。本当にうれしいしまたすぐに友人に会えることが本当にうれしい。
帰って早々は友人の結婚式だったり家探ししたり、割と忙しいかもしれない。
就活
就活は1月ごろから始めた。で結局決まったのは4月の中旬に内定が出た。まぁ普通のスピード感ではあると思う。
就活の狙い
狙っていた軸は以下
- 英語を使う企業
- ITコンサルの分野
- 業務範囲(扱うソリューションや顧客の範囲)が広い
- 年収が前職より高い
最終的にオファーもらえた企業は2社。
転職エージェントは使ったけどもどのエージェントも紹介してくるのは大手外資コンサルファームだった。ちなみにオファーもらった2社は大手外資コンサルファームではないがやってる領域は同じようなところではある。
採用プロセスの所感
企業パターンに分けて振り返る
- 大手外資コンサルファーム→書類は通るがWebテストが難しい。面接までたどり着いたのはほとんどなかった。
- 日系大手コンサルファーム→書類が通らない。通ったとしても面接が割と定型的で細かくプライベートまで聞いてくる。(子供の予定やなぜその高校を選んだかまで聞かれた)
- 外資中規模コンサル→大手と同じく書類は通る。より実務に沿った面接内容でケース面談やプレゼンを求められることがあった。
- その他外資(メーカー系)→書類は通る。面接も具体的に業務シーンとこちらのプライベートやキャリア志向がマッチするかを探りながら話を進めることを意識されていた。
最終的には外資中規模コンサルの2社様からオファーをいただいた。
決め手は前職の経験を生かせること、英語を使う機会が多いこと、サッカー系の案件もあることが決め手。裁量が大きいポジションで大変かもしれないけどまあ何とかなるだろうとは思っている。
自分自身の市場需要としては大手ではそこまで需要は高くないが1レイヤー下げると市場価値が高くなる、という感覚。日系企業はブランクを見てくるし外資はより能力にコミットしてくる。自分はそんなに能力低いとは思わないけど得意不得意の分野、対峙する人のタイプに左右されることが多いんだなと思った。
ワーホリからキャリア転職する人へのアドバイスとしてはまぁそんなに焦らなくても大丈夫そうですよ、と自分の領域では言えると思う。ただハイクラスを目指すのであれば地頭がよく、話が上手い人はハイクラス狙えるんじゃないかと。自分はWebテストが大の苦手なのでそこがネックだった。ぶっちゃけあと2年くらい欧州で放浪してても就職は問題なかったと思う。
オーストリア生活のBefore/After
- LASKの試合にできる限りいくこと
- ヨーロッパを周遊すること
- フルタイムのポジションを獲得すること
- ドイツ語のレベルをB2まであげること
- エンジニアとしての領域を広げること
- フットサルやる
もう1と2に関してはたくさん満喫した。これ以上ない経験をたくさんさせてもらったし恩返しという意味でも必ずまたLASKのゲームに戻ってきたいと思った。というか絶対戻ってくる。
この期間で訪ねた国は23か国、フットボールも70試合くらいは見た。こんな1年はもう過ごせないと思う。
4については簡単な会話はできるようにはなったけどもまだまだ。ドイツ語が話せればもっと友達もできただろうなとも思う。そういう意味でもやっぱり学生でヨーロッパに来るのがファーストステップとしては大事だと思う。キャリアとしても人脈構築としても。自分の場合、今回が初回の海外生活でやっと英語がまともに使えるようになったかつ英語の必要性をダイレクトに感じた。からの第3言語になるのが一番ベタなパターンだと思う、少なくともウィーンでは。やっぱり若さは大事だなと痛感もする。20歳でここに来てたらもっと楽しめてたなあとか。
逆の立場になって考えたら母国語(日本語)で話してくれた方がそりゃ仲良くなれる。ただ今の自分であれば英語でのコミュニケーションでも基本的には問題ないから日本に帰ったら英語話者の友達もできるかな。
5はまぁたまにUdemyで勉強したり、英語のエンジニア動画見てエンジニアの思考は鈍らないように頑張った。それが活きるのかどうかは次の職場に入ってから。
6はフットサルもサッカーもできた。日本に帰ったらフットサルしかしないだろうけど、久々に年間通してサッカーで来てよかったしフットサルに活かせればなぁと思う。
お金の面では正直問題はなかった。レストランで基本的には週20hで働きながら遊んでるだけだったしそれでもまだ貯金は残ってる。こんなに旅行したのに。もちろん自炊したりとかは必要だけど別にめちゃめちゃ節約したわけでもない。料理自体は好きでLASKファンの友人にシェフしてる人がいて料理教えてもらったりした。安いカフェバーやマーケットも教えてもらったりしたから自然と節約はできていたと思う。
今後の目標/キャリア
今後はまずキャリアに戻ることと英語を業務で使えるレベルにすること。が短期的な目標。そしてまた欧州移住にチャレンジしたい。永住とかは考えていないけども短期間で良いのでまたオーストリアに住みたい。もし子供ができたらこの経験をさせてあげたいなぁとも思う。まぁ子持ち家族になったらなかなか海外にも行けなくなってしまうと思うから悩ましいけど。
長期的なキャリアは日本に帰ってからまた熟考したい。
LASK
オーストリア生活のすべてとも言っていいほどの存在。最初はまぁ年間通してサッカー見に行けたら良いなぁと思って移住したけど、もうLinz, Guglは第2のホーム。このクラブ、ファンがいなければホームシックになっていただろうし友達も大してできず、ただ海外で生活しただけになっていたと思う。
時間ともにその興味は愛に変わっていった。
もちろん最初は変なアジア人として見られていたけども愛を示せば仲間になってくれる。個人的にはどこに住んでいようとも好きなクラブの試合があればどこへでも行けるだけ行くのは普通だと思ってはいるものの、50人ほどしか来ない平日アウェイ、死ぬまで忘れられないモスタル、クラブハイライトになるリヴァプール、ほとんどのアウェイゲームには足を運んだ。結果コアメンバーからはたくさん助けてもらったし、ホーム最終戦、メッセージバナーまで出してもらった。これは帰ってこないわけにはいかない。
クラブも自分のことを取材してくれてYoutubeまで作ってくれた。本当に感謝している。でもドイツ語で喋れたらよかったなぁ。
みんなで夜中まで飲んでLinzで夜を明かした日々も忘れられない。
もしこのブログを読んでいるこれからヨーロッパ圏に住む日本人のサッカーファン、特にその国に好きなクラブがなければまず住んでいる街のクラブの試合に足を運ぶことをお勧めする。そして愛を示す。そうすれば少なくともなにかは起きる。自分はViennaに住んでいてLinzのクラブのファンだけどもRapidやAustria、GrazのSturmファンの友人もいる。
対戦のある週末の前後には煽りあって冗談を言い合う、勝てば煽る。Rapidファンの友人たちには今でも5-0でボコったことを言い続けてる。逆に大敗した試合のことも煽られる。そして対Redbullでは連帯を示す。これも大事なコミュニケーション。
改めて小さい頃からスタジアムに連れて行ってくれた両親、フットボールの素晴らしさを教えてくれたFC東京やいままでの指導者、チームメートにも感謝したい。
また仲のいい友人たちはFC東京の結果もチェックしてくれている。ダービーの結果や順位、馬鹿試合だったみたいだけどどうした?など聞いてきてくれる。いつかトレーニングマッチ組んでくれるといいな。
一応ワーホリの備忘録はこれで終わりにする予定。
結局サッカーで終わるのかい、とは思ったけども、それを通して信じられない数の友人ができたし、体験もできた。もし彼らが東京に来たら最大限のおもてなしをしたい。
そしてまたLandstrasslerのゴール裏に戻ってきたい。そのためにもまた日本に帰って仕事頑張ろう。
Servus、みんな、またね