東大パパの子育て日記

東大卒パパが子どもに伝えたいメッセージ

東大卒の親は、「自分の子供にも東大に行ってほしい」と思うか?その③

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ここ数日、「東大卒の親は、自分の子供にも東大に行ってほしいと思うか?」というテーマで、記事を更新しています。

 

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今回は、第3弾の記事として、「東大に行くことのデメリット」について、書いてみようと思います。

私自身にも当てはまるものがあります。自戒の意味も込めて書きます笑。

あとは、周りの東大卒の友人、知人を見渡して、一般化できることをまとめてみました。

 

①何ごとも「正解」があると考えてしまう

これは、いわゆる学校教育、詰込み教育、受験勉強の弊害かもしれませんね。

基本的に、「何ごとにも正解がある」という前提があります。

受験勉強、テスト勉強のし過ぎからでしょうかね。

 

ついつい、正解を探し求めて、行動に移せなかったり、

正解か、不正解か、の判断や評価ばかりをしていたり、

特に何もせずに、何もアウトプットを出さずに、時間だけが過ぎていく、、、

ということがあります。

 

世の中、何が正解かなんて、わかりません。

自分が選んだ選択肢を「正解だ!」と思って、信念を持って行動していくことのほうが大事だと思います。


②「問題」が設定されないと上手く行動できない

①と似たような課題ですね。

「問題を解く」ことに慣れているので、「問題は与えられるもの」という前提があります。

 

ビジネス書などで、盛んに言われていますが、

「問題解決で最も重要なことは、正しい問いを立てられること」

「正しい課題設定ができれば、問題は大部分は解決できている」

 

つまり、

大学を出たら、

与えられた問題をいかにして解くか?いかに正解を導けるか?

ということよりも、


現状を踏まえて、どのような課題を設定できるか?どのような問題意識を持てるか?

ということが何倍も重要です。そして、難しいことです。

 

これは、日々、仕事をしていく中でも、たびたび実感することです。

 

仕事ができない人や視野が狭い人は、とにかく課題設定が下手です。

自分もそうならないように、いつも気をつけています。

 

東大生というのは、とにかく与えられた問題を解くということの訓練をしてきました。

無意識のうちに、「問題は与えられるもの」と考えがちです。

このクセがなかなか抜けないものです。

 

③価値観が狭くなる

人間というのは、やはり自分がかわいいもので、自分の考えや価値観というのは、他人から認められたいと思うものです。

他人から認められなくても、評価されなくてもいい!

と思える人は、なかなかいないと思います。

ましては、中学生、高校生のうちは、

目立ちたい、かっこよく思われたい、

先生に褒められない、親に褒められたい、

周りに自慢したい、

などと思うものです。

 

そして、「高校」という世界において、

全国的に知られていて、ほぼ全員の高校生から認知されている価値観(=物差し)として、「大学受験」、「偏差値」というものがあります。

  • あいつは頭が良い。
  • 偏差値は75あるらしい。
  • 俺は、偏差値が高いから、頭がいい。

など。一度は、似たような会話をしたこと、聞いたことがあるはずです。

 

東大に合格した人というのは、ほとんどの人が、この価値観(=物差し)の世界の中で勝ってきました。周りから認められてきました。

 

当人としては、とても気持ちがよいものです。

 

どんどん、その価値観を好きになり、
そして、その価値観を正当化しようとします。

 

他の人は、

勉強なんてつまらない。もっと他のことをしよう。

と思ったりして、いろんなことに時間を使うこともあるでしょう。

 

その中で、さまざまな経験をして、いろんな価値観の土台のようなものを形成していったります。

もちろん、東大に行った全員の人が、勉強だけに偏った価値観を持っているわけではないですが、確率でいうと、とても多いです。

 

「勉強ができる俺、すげぇぇぇぇ!!!」

「勉強ができないあいつ、マジでクソだわwwwww」

 

このような考え方からうまく抜け出せない人、多いのです。

 


④「あれ?ひょっとして、実は自分ってそんなに勉強ができないの?」「あれ?もうテストってないの?」と気づくと、めちゃくちゃ弱くなる

③の続きですね。

「勉強できる俺、すげえぇぇ!!」

と思っていた高校時代。


東大に入ると、ほとんど人が感じるであろう「自分の無力感」。

 

言ってみれば、「俺は地元の高校で1番勉強ができたんだぜ!!」という高校生が、全国から約3,000人集まってくるわけです。

その中で、明確な順位はつきませんが、だいたいの「順番」はわかるものです。

 

「あれ?ひょっとして、実は自分ってそんなに勉強できないの?」
「あれあれ?!ウソでしょ?俺って頭いいよね?!」
「ウソでしょ?俺が勉強できないなんて、信じないし!」

 

と、ちょっとした混乱状態になります。

 

当然と言えば当然です。

今まで、自分が最も大事にしていた価値観が一気に崩壊していくわけですから。

 

そうは言っても、たいていの東大生は、自分の「井の中の蛙」状態を自覚して、成長していくわけですが、

 

これが、驚くことに、一定の割合で、この混乱状態から抜け出せずにつぶれていく人がいるのです。

 

  • うつ病になったり、
  • 社会に上手く適応できずにひきこもりになったり、
  • 勉強することを放棄して、単位すら取得できずに退学になったり、、

 

私の友人にも、数人います。

これは、非常にもったいないことですし、東大生の1つの特徴と言ってよいと思います。

 

私も繰り返し述べていますが、「勉強なんて、できようができまいが、どうだってよい」のです。

それをわかった上で、「それでも私は勉強をする」という自分なりの判断や決断が重要だと思うわけです。

勉強しかしていない、つまらない人間にはなって欲しくないなーと思います。

 


⑤ムダなことができない

一部の天才を除いて、私を含めた凡人が努力して東大に行こうとすると、一定量の努力、勉強量が必要です。

一方で、時間も無限にあるわけではなく、限られています。

必然的に、計画を立てて、効率的に勉強することが求められます。

 

その結果、「ムダなことをしたくない」という思考になります。

 

無意識のうちに、「あ、これは時間の無駄だな」と判断して、ムダなことを避けてきたことが多いと思います。

 

これは、ある友人が東大を卒業して、社会人になりたての頃に、言っていた言葉ですが、

「俺、ムダな会話ができないわー」
「会社入って、ムダな会話の重要性に気づいたわー」

とのこと。

 

これは、すごくわかります笑。

書店をのぞくと、「雑談力」「会話が途切れない方法」などと謳ったビジネス書がたくさんあると思います。

「一見するとムダな話」がとても重要なことが多いです。

しかし、効率ばかりを追い求めてきた東大生には、ムダなことができないことが多いわけです。

これは、1つのデメリットと言っても良いでしょう。

 


おわりに <総合的な見解>

3回に分けて、大学受験、東大に関して、自分の意見を書いてみました。

メリットデメリットは、当然ありますが、総合すると、

・勉強なんてできてもできなくても良いが、
・それでも勉強して、自分がたどり着きたい世界があるならば、
・東京大学という踏み台は、とてもコスパと性能がよい踏み台。利用した方が良い。
・常に、自分の価値観を広げていくことを忘れないようにすることが重要。

という感じでしょうか。

 

参考になる方がいらっしゃれば幸いです。

東大卒の親は、「自分の子供にも東大に行ってほしい」と思うか?その②

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「東大卒の親は、自分の子供にも東大に行ってほしいと思うか?」というテーマで、記事を更新しています。

前回はこんな記事を書きました↓

 

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子どもを東大に行かせたいか?という話の前に、「大学とは何か?」という話を書きました。

内容をざっとまとめると、以下の3点です。

  1. 基本的に、大学なんて踏み台に過ぎない。
  2. 極論すると、大学なんて行かなくても良い。
  3. けど、"とりあえず"大学に行っておけば、いろんな可能性が広がる。

これを踏まえて、「東大」の価値について書いてみたいと思います。

 

東大は最高の踏み台である

どういう意味で最高かというと、「教授」と「友人」です。言ってしまえば、人脈です。

私はそうではありませんでしたが、東大に入って、勉学にかなり励むと、東大教授陣をはじめとした、知の人脈、アカデミックな世界の人脈が、簡単に、そして劇的に広がります。

これは、他の大学に比べて圧倒的に有利な点だと思います。おそらく他の追随を許さないでしょう。

ありとあらゆる分野の知の最高峰(少なくとも日本国内においては最高レベル)の人脈を比較的、簡単に手に入れられるわけです。

人脈を手に入れたあとは、そのまま、学問を究めるでも良いですし、卒業後に仕事をしたり、起業をしたりする際に、協力を得られたり、連携することも可能でしょう。

そういう意味で、やはり東大という環境、踏み台は最高と言ってよいでしょう。

 

そして、私が何よりも最高だと思うのは、「友人」です。

東大には、先輩、後輩、男性、女性、問わず、

「あー、この人すごい。」

「この人には、絶対にかなわない。」

という人がごろごろいます。

 

いわゆる「お勉強ができる」という意味ではなく、

考え方、行動力、ものごとのとらえ方など。

とにかく、人と違った何か持っている人が多いです。

もちろん、いわゆる「お勉強」が、ずば抜けている人もいますが、

その人達も、単に「テストの点数が良い」という表面的なすごさではなく、

努力の量や、ものごとのとらえ方、考え方が根本的に人と違います。

 

(補足)-----------------------------------------

断っておきますが、もちろん、真逆の人もいます。

どうしようもない人もいますし、犯罪を犯す人もいます。

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この友人関係も、大学で得られる重要なものだと思います。

むしろ、最大の資産であり、価値だとも思います。

 

実際に、卒業してから、思うのは、

大学時代で学んだことや、大学受験を通して学んだ教訓などではなく、

東大時代の友人たちからの学びと刺激です。

 

学生時代に「こいつにはかなわないなー」と思って友人は、

卒業してからも、どんどんすごいことをやっていきます。

学生時代から知っているわけですから、彼がどのように考えて、どのような行動を積み重ねてきたのかわかりますし、イメージができます。

話したい時には、話を聞くことも可能です。

自分も、相手にとってそのように思われるような人になろう!と頑張るモチベーションにもなります。

 

このように、「先生」と「生徒」という観点で、東大は最高の踏み台だと思います。

 

 

東大は、最高にコスパが良い

ご存知の通り、東大は国立大学法人です。授業料がめちゃくちゃ安いです。

年間535,800円です。破格の値段です。

 

有名私立大の理系だと年間100万円以上もします。

東大は、その半額です。

 

こんなに安いにもかかわらず、最高の環境・踏み台を手に入れられる。

 

行った方が良いに決まっています。

目指した方が良いに決まっています。

 

 

なんだかんだ言って、「成功体験」の1つとして自信になる

「東大なんて行っても意味がない」

「東大君は社会にでは使えない」

という言葉を聞いたりします。

 

他人からの評価は、いろいろあるでしょう。

当てはまる人もいれば、当てはまらない人もいるでしょう。

正直、負け惜しみで言っている、ということもあると思います。

 

他人からの評価は、いったん置いておくとして、

やはり、個人の体験として、1つの成功体験として自信になります。

 

よほどの天才ではない限り、

人よりもたくさんの努力を積み重ねて、

人よりもたくさんのことを我慢してきて、

たかが「大学受験」といえども、

自分の目標を達成したことは、大いに自信になると思います。

 

1つの成功体験として、自分の中にとどめておいて、

未来への挑戦の力になればよいと思います。

 

ただ、注意してほしいのは、

前回の記事でも述べましたが、所詮は「過去」の出来事です。

 

「東大合格」は誇らしい結果かもしれませんが、単なる過去の1つの出来事です。

 

「俺、小学生6年生の運動会のかけっこで、1番だったんだぜっ!!」

 

こんなこと、40歳の大人になったら、なんの自慢にも、話題にもならないですよね。

 

それと同じようにに考えられるのが理想だと思います。

 

 

次回に向けて

東大は、最高の踏み台で、コスパも良いことが分かった!

じゃあ、俺も、私も、目指す!!!

と思う方が多いと思います。

 

ただ、良いことばかりではないですし、

いろいろと犠牲にするものも出てくるかもしれません。

東大卒というバッジを得たことで受けるデメリットもあります。

そもそも、思っていたところと違う…

なんてこともあります。

 

次回は、そんな「東大の良くないところ」「デメリット」をお伝えできたらと思います。

 

次回に続く。

東大卒の親は、「自分の子供にも東大に行ってほしい」と思うか?

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またまた、ブログ更新が滞ってしまいました。

さて、今回は、前回の記事に対していただいたコメントに対して、自分の考えを述べてみたいと思います。

テーマは、「東大卒の親は、自分の子供にも東大に行ってほしいと思うか?」です。

 

結論から言いますと、

私の答えは、「勉強を頑張りたいと思うのならば、東大に行ってほしい」です。

 

いろいろと考えを巡らせて、しっかり書こうと思ったら、すごく長い文章になったので、数回に分けて紹介したいと思います。

今回は、前提となる考え方から。「そもそも大学とは?」ということに関して。

 

 

大学なんて、単なる「踏み台」でしかない。

「学歴社会」、「偏差値社会」という言葉があります。

最近は徐々に変わってきていると思いますが、いまだに存在する言葉だと思います。「学歴」や「大学偏差値ランキング」といった物差しを使って、人を判断したり、評価したりする考えですね。

さらに、「学歴は高い方が良い」、「偏差値が高い大学や高校に行った方が良い」と前提があるように思います。

この考えを是とすると、「良い大学に行くこと」が目標になりがちです。学歴社会や偏差値社会という考えからすると、「東大合格」なんて最高に「良いこと」と考えられがちです。

しかし、東大に行って、東大を卒業してみて、社会に出て仕事をすると、

「東大卒なんて、マジで大したことない肩書き」

「東大卒なんて、今の仕事に大して役に立っていない」

という想いが強いです。

 

それは、そもそも「大学」なんて人生の目標や目的ではなくて、「大学」なんかよりも大切なことがたくさんあるからです。

卒業後に自分の夢や目標に向かって様々な行動を行っていく上で、大事なの「今」何をするか、「今」何ができるか、です。

東大卒だろうと、慶應大卒だろうと、地方大学卒だろうと、高卒だろうと、中卒だろうと、すべてはしょせん「過去」の出来事です。

「あなたは、今、何ができますか?」という問いには、学歴なんてマジでどうでもよい要素です。

そう考えると、大学なんて、単なる手段にすぎません。

 

よく思うのですが、

「大学」とは、跳び箱でいう「踏み台」にしか過ぎない、

と思います。

 

みなさん、小学生のころ、跳び箱を跳んだことあると思います。

全力で跳び箱に向かって走って、踏み台を踏み、8段の跳び箱を跳ぶ。

 

踏み台を踏んだあと、視線はどこにありますか?

 

おそらく、跳び箱の最上段。

 

そして、考えることは、

「どこに手を突こうかな?」

「手をついたら、力強く腕で身体を持ち上げるぞ!」

「うまく着地するぞ!」

などでしょうか。


誰も、踏み台を踏んだ後に、踏み台なんて見ないですよね?

 

踏み台を踏んだ後、踏み台は揺れているかな? 壊れていないかな?

なんて考えないですよね。

 

跳んだあとに、踏み台なんて見ていたら、うまく跳び箱を跳べるわけがありません。


跳んだあとに見るのは、上であり、先であり、次です。


誰も、踏んだ後の、踏み台なんて見ません。どうでもよいからです。

 

 

大学も同じようなものだと思います。

みんな、将来は社会に出て、いろんな夢や、やりたいことがあると思います。

それに向かって羽ばたきたい、挑戦したい、と思っています。

 

言ってみれば、一段でも高い跳び箱を飛びたい!と思っているわけです。

 


小学生の早い時期から塾に通って、

偏差値の高い有名私立中学に行って、

もちろん中高一貫校で高校も有名高校。

さあ、目指す大学は東大だ!

努力の甲斐があって、東大に合格したーー!!

 

これは、

跳び箱に向かって、

全力で助走してきて、

ホップ、ステップ、ジャンプ!

 

と、まさに踏み台に踏んだ瞬間と同じです。

 


跳び箱を跳ぶとき、踏み台を踏んだあとは、踏み台なんてどうでもよいですよね?

 

踏み台なんて見ないですよね?

 

大学も同じようなものだと思っています。

 

大学に合格し、卒業したあとなんて、東大卒だろうが、何大卒だろうが、どうでもよいわけです。


これは、謙遜でもなんでもなく、心の底からそう思います。

 

ときどき、俺は慶應大卒だ、私は早稲田の政経出身よ、というプチ自慢をしてくる人がいます。(不思議と、東大卒を自慢する人はいない気がします)

 

これは、跳び箱で例えると、

踏み台を踏んだ後、跳び箱の最上段(=将来)を見ずに、踏み台(=過去)を見ている人だと思います。

 

そんな人は、たいして高い跳び箱を飛べていないはずです。

もしくは、跳び箱にぶち当たって、そもそも跳び箱自体を跳べていない人です。

 

要は、社会に出て、大したことを実現できていない人だと思います。

 

大学なんて、所詮は、「踏み台」にしか過ぎません。

 

「踏み台」を踏んだあと、

・どれだけ高く跳べるか?

・うまく跳べるか?

が大事だと思います。

 


極論すると、大学なんて行かなくても良い

「大学」を小学生の遊びの1つである跳び箱に例えましたが、小学生の遊びは、なにも跳び箱がすべてではありません。

ブランコもあれば、縄跳びもあれば、サッカーもあれば、野球もあります。

もっと言えば、遊ぶ必然性もありません。

家で本を読んでいたければ本を読めばよいわけです。

別に、踏み台を踏んで、一段でも高い跳び箱を跳ばなくたって良いわけです。

 

同じように、別に、少しでも偏差値の高い大学に行かなくたって良いわけです。

料理人になりたければ、料理の修行をすればいいし、

プロ野球選手になりたければ、甲子園を目指して、大学行かずにプロ野球の世界に飛び込めばいいし、

ミュージシャンになりたければ、演奏や曲作りに励めばいい。


大学に行かなくたっていいわけです。

 

自分が本当にやりたいことがあれば。

自分が本当にやりたいことに気づいていれば。

 

 

極論すると、大学なんて、すべてではない。別に行かなくても良いと思っています。

 

 

次回にむけて

そうは言っても、、、

 

現実的に考えると、

確率的に考えると、

 

大学は、「将来の可能性が一番広がる、割と便利な踏み台」であることは一つの真実だと思います。(だから、「とりあえず大学には行っておいた方がいい」と考える人がほとんどだと思います。)

私は、「東大は良い"踏み台"」と思っているので、

「跳び箱を飛びたいと思うならば、東大という踏み台を使うのは良いと思うよ」

と言いたいですね。

 

続きはまた次回に。

「東大パパの子育て日記」に期待すること

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久しぶりのブログ更新です。ついつい、忙しさにかまけて、更新が滞ってしまいます。

 

さて、先日、ある読者様(辰子様)から、昔の記事に対して、とても貴重なコメントを頂きました。

 

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このブログ「東大パパの子育て日記」を立ち上げて間もないころの記事です。

読者の方々がこのブログに興味&関心があることってなんだろう?!という、私のギモンを紹介した記事です。

それに対して、とても貴重なコメントを頂きました。

 

「東大」と銘打っているので、やはり何かの期待感があるのは事実だと思います。
それは、必ずしも我が子を東大に入れたいから参考にしたいというばかりでもないような気がします。
日本最難関の大学に入学したという実績から、この人は何かを達成する力があるという認識になり、「何かを達成すること」のノウハウや知見を知り得たい、という気持ちになるように思います。

また、私が知りたいと思ったのは、自分の子にも東大に行って欲しいと思うものなのか?ということです。
私自身は私大文系卒ですが、コスパ悪いので子どもにはあんまり行ってほしくないなあと思ってます。
音大はもっと行ってほしくないですが・・(莫大にお金がかかり、世に出ても実入りが少ない)
知人は、生物科や数学科などの、理系の基礎研究系はオーバードクターになりがちだから、子どもには行ってほしくないなどと言ってます。
東大の場合は、「概ね行って良かったし、我が子にもおすすめしたい」と思うものなのか、世界に目を向けて海外の大学のほうがいいかも、などと思うものなのか、知りたいなあと思います。

よろしければ、記事にしていただけると嬉しいです。

 

最近は、日記調の記事が多かったですが、「このブログを通して、いろいろと情報発信していきたいなー」と思っていた当時の気持ちを思い出しました笑。

 

ブログへの初心を思い出し、これからはブログの更新頻度を上げていきたいと思った次第であります。

 

最後に、ご質問にあった「自分の子にも東大に行って欲しいと思うものなのか?」への答えとしては、「勉強を頑張りたいと思うのであれば、行って欲しい」です。

 

詳しくは、また後日書きたいと思います。

 

 

3歳娘、公文で英語と算数をお試し勉強中

 

先日のブログ記事で書きましたが、3歳の娘が、公文の無料体験に通っています。

 

3教科まで体験できるのですが、我が娘は算数と英語を勉強しています。

あとは、「ずんずん」という、鉛筆を使って線を引く練習もしています。すべて、無料で体験できるということで、3つやっています。

 

どんなことをやるのかな~?!

 

と、行く前から、とても興味深かったです。

私も、最初の説明会に参加したのと、都合が合って平日にも授業にも参加できました。

 

そのときの感想としては、、

 

正直、英語はビミョウ。。

先生は、ナイティブの人ではないし、

授業の中で英語の音声が流れるペンを使うのですが、その音声も小さくて聞き取りづらいし、、

まー、英語に触れる、英語に楽しむ、という意味合いが強いのでしょうけど。3歳ですしね。

 

 

算数の方は、とにかく、ひたすら数を数える練習です。

1、2、3、4、5、6、・・・・

と、あの手この手を使って、「数」の概念を学んでいきます。

この「しつこさ」は、とても良さそうに思いました。

何事も繰り返しが大事で、何よりも基礎が大事ですからね。

 

 

国語は受講しなかったのですが、今頃になって、「せっかくなので、小久保も受講しておけばよかったな~」と思っています。

 

 

公文で学ぶことのメリットは、たくさんあると思いますが、

親の負担、お金の負担、授業の効果、、などを考えると、

「まー、今から、公文に行かせなくてもよいかな。。家でもできそうだし。。」

と思っちゃいます。

 

 

お金と時間に余裕があり、

なにより、子どもが興味を持っているなら、公文に通ってみるのは良さそうです。

勉強の習慣、知的好奇心は、大いにつくと思いました。

 

子ども2人とも、結膜炎になる

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GW 最終日。

なんと、子供2人が、結膜炎になってしまいました。

 

最初は、息子が発症。

昨日、朝起きた時から、左目が目ヤニだらけで、目を開けられないくらいに。。

 

その日のうちに眼科に行き目薬を処方してもらいました。

 

点眼して、その日はおさまったような気配が。。

 

しかし、次の日になってみると、息子の右目も目ヤニだらけに。。

そして、なんと娘の右目も目ヤニだらけに。。

息子と全く同じ症状です。

 

急いで眼科に行き、同じ目薬を処方してもらいました。

 

なんという感染力。

 

 

そして、最後には妻にも感染するという。。

 

しばらくは、目薬を差しながら、様子を見たいと思います。

 

お医者さん曰く、結膜炎がすごく流行っているそうです。

皆さんもお気を付けください。

 

 

スタバのアールグレイミルククリームドーナツが大好物

今日は、GW中ということで、家族でお出かけしました。

 

と言っても、近所のショッピングモールですが。

 

いろいろなお店をウィンドウショッピングしたあと、ちょっと休憩、ということで、スターバックス・コーヒーへ。

 

期間限定の「ストロベリーベリーマッチフラペチーノ」を注文。

軽食に、アールグレイミルククリームドーナツも注文しました。


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最近、娘が、ミスド (ミスタードーナツ) デビューしたこともあり、ドーナツ食べるかな〜、くらいに思って注文しました。

 

そうしたところ、食べる食べる笑

 

よほど気に入ったのか、よほどお腹が空いていたのか、娘ひとりで、ほぼ全部を食べてしまいました。

 


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今度、スタバに行った時にも、買ってあげようかな〜と迷い中です。

 

 

友達との別れを寂しく思う気持ちが芽生えた

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このGWに、娘のお友達が遊びに来てくれました。

 

実は、このお友達は、少し前までは近所に住んでいたのですが、最近になって遠方に引っ越してしまったのです。近くに住んでいたときには、娘と一緒に遊んでくれていた大の仲良しさん。娘も、そのお友達も、お互いのことが大好きで、見ているこちらが微笑ましくなるくらいです。

 

そんな仲良しのお友達が、GWの帰省の関係で、久しぶりに遊びに来てくれました。

 

娘も、ずいぶん前から、「もうすぐ、〇〇くんと遊ぶの!」と言って、楽しみにしていました。

 

実際に、一緒に遊ぶ日になると、他のお友達とも一緒になって、たくさん遊びました。

とてもとても楽しそうでした。

 

 

そんな楽しい時間も、終わりが来るもので、、、

夕方になるとバイバイと言って、お別れをしないといけなくなりました。

 

 

そうすると、そのお友達が、

「いやだ!帰りたくない!!」

と言って、泣き始めてしまったのです。

 

それを見た私の娘も、目をウルウルさせて、寂しそうです。

 

今まで、友達との別れなど、経験したこともなければ、このような感情を抱いたこともなかった思います。

 

いつの間にか、娘も成長して、友情や別れの寂しさなどを感じられるようになったのだなー、としみじみしてしまいました。

 

そのお友達のお母さんの実家が私の家の近所なので、長期休みで帰省するときに、また会えそうです。

それまで、少し寂しい思いをさせてしまいますが、また再会のときには、楽しい時間を過ごして、友情を育んで欲しいなーと思います。

 

 

公文&Baby Kumon (ベビークモン) に通わせようか考え中

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今年、娘は3歳になる年なのですが、公文に通わせようか、考え中です。

 

このブログの中でも、「勉強がすべてではない」「勉強ができることが1番ではない」と主張しているのですが、

 

「学ぶことの大切さ」、「知的好奇心を育みたい」、「できるなら勉強嫌いよりは勉強好きになってほしい」という思いもあり、3歳くらいからクモンに通わせてみるのも良いかもしれない、と考え始めています。

 

タイミングよく、5月は、Baby Kumon の2週間の無料お試しキャンペーンもあるので、行ってみようかなーと妻と話しています。息子はベビークモンで。

 

家でじっとしているのもストレスがたまるみたいで、外出してストレス発散の意味も兼ねて、ちょっと検討してみようかなーと思っています。

 

なんだかんだ言って、子どもには勉強好きになってもらいたいと思うのが、親心ですかね、やはり。

 

 

3歳になり、ようやくトイレトレーニング開始

上の娘は、3歳になるのですが、実は(?)、まだオムツをはいています。

 

同じ年齢の周りの子供たちは、どうやら、オムツを卒業して、トイレで1人で済ませているらしい。。

 

今までも、夫婦の間で、うっすら危機感を感じていたのですが、ついつい後回しにして、オムツのままで過ごしてきました。

 

3歳を過ぎ、「さすがにヤバいな。。。」ということで、

 

本格的なトイレトレーニング開始しました。

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最初は、トイレに行く前におしっこしたり、おまるに1時間くらい座ったのに結局出なかったり、、、

 

なかなかうまくいかないですが、根気強くトイレトレーニング続けたいと思います。

 

他のお子さんはどんな感じなのだろうか。気になるところです。