AX

Re:Re:みちくさ

ゆるくいきてます

ともに生きる

五月三日

サザンオールスターズ おいしい葡萄の旅 に行ってきましたヽ(・∀・)ノ

 

当初 行く予定も全くなくて

あとでWOWOWでライブ確認しよ〜って

思っていたのですが

ライブの二日前に突然降って湧いたチケット話に

二つ返事で乗っからせていただいた

 

サザンのライブはいつもWOWOWで観るだけで

一度生で観てみたいなぁと

ずっと思っていたけれど

ファンクラブに入っていないと難しいという話も聞いていたし

わたしのようなお茶の間ファンには

一生ご縁のないものだと諦めていた

 

 

そんな中 この降って湧いたような話に

即答してしまった

 

それから慌ててニューアルバムをダウンロードして

聴きこむだけ聴き込んだ

 

そこでまず一つ目の驚き

 

2ターン目を再生した時にはすでに

歌を口ずさんでいる自分がいた

 

二日後にライブ という

超スーパーウルトライントロドン的エマージェンシー要素から来る

尋常ならざる集中力をもってしても

2ターン目で口ずさむなんて

最愛のすまぷライブの時ですら無理難題だったのに

幼い頃から慣れ親しんだ桑田節ならではの染み込みやすさゆえに

2ターン目での口ずさみが可能だったのだと思う

 

それほどまでに

桑田コードというものが

我が身に染み込んでいるのだ

このメロディラインがきたら 次はこの音って

勝手に脳みそが判断していた

初めて聴くのに初めてな気がしなかった

 

そして

ライブ当日には ほぼ全てのメロディを空で歌えるくらいに完成していた

 

そんな急拵えの中

ファンクラブのお席で しかも超良席で観させていただいて

思わず涙が出てしまった

 

桑田さんがすぐそこにおられるのだ

持参したオペラグラスを取り出すこともなく

すぐそこで歌っているのだ

 

それだけでも充分すぎるほど幸せなのに

昔の曲もたくさん歌ってくれて

ミス・ブランニューデイだって生で聴けて

胸アツに継ぐ胸アツだった

 

二つ目のビックリはファン層

 

男性の比率が多いのは

承知していたけれど

ここまで綺麗に男女の比率が半々なライブに

これまで行ったことがなかった

 

わたしが今まで行ったライブは

女性の比率が圧倒的で

ライブと言うと

開演前のお手洗いの長蛇の列に毎回げんなりすることもセットになっていた

しかし

サザンのライブの開演前のお手洗いときたら

東京駅の新幹線ホーム下にあるお手洗いくらいの

ちょい混みくらいで

拍子抜けするほどだった

 

始まったら始まったで

桑田さんがご自分の加齢をネタにMCをされていて

「来てくれる方々も年齢を重ねてますねぇ」

と おっしゃっていて

ファンの方々と一緒に歳を重ねてきたバンドなんだなぁと

実感した

 

わたしの前のお席の方は

思いっきり白髪でいらした

それなのに 手を誰よりも高く振り上げておられた

曲ごとにあるお約束的な振りも見事にキマっていて

サザンと共にこの時代を歩んできたこの方の人生を

ほんの少し垣間見させていただいたような気持ちがした

 

周りを見渡しても

お若い方々はほとんどいなかった

いわゆるおじさんおばさんが

サザンの曲に合わせて体を揺らしながら

思い思いに楽しんでいて

それも併せてすごく感じ入る所の多いライブだったと言える

 

最初は探り探りだったわたし

初サザンでこんな良席に座らせていただき

乗り遅れのないよう 周りの空気を伺いながら

恐る恐る手を上げたりしていたのだが

後半にさしかかって

怒涛の昔の曲ラッシュになった時

頭がパーンッとなる瞬間を迎えた

 

それも

あろうことか

マンPのGスポットで 爆裂ダンスをしてしまったのだ

あまつさえ

ジャニコンではお馴染みの

「ちゃんっちゃちゃんっ ふーっ!」の

合いの手までやってしまう始末だった

他の誰もそんなことしてないのに…

習性って怖い… と思った

 

しかも

一度そのテイで弾けてしまったら

もはやアイキャントストップ

最後までイッちゃうしかないのである

エロティカセブンで絶頂を迎えることとなるのであった

完全燃焼しつくした

 

 

帰りがけ 駅に向かう人の群れの中に

五十代くらいのおじさま2人の会話が耳に入ってきた

「お前 途中トイレ行ったか?」

「俺行ったよ 桑田が言う前に行ったよ」

「俺は桑田が言ってから行ったわ」

桑田さんがアテントを装着しながらライブを行っていると

嘘か誠かわからぬようなMCをなさった途端に

どこからか

アテントっ!!」

と声がかかる

「私はアテントしてますから大丈夫ですけど

みなさんはそうじゃないでしょうから

トイレ行きたい人はどうぞ行っちゃってください」

促してくれていたこともあり

ライブ中にトイレに行かれる方々をたくさんお見かけしたけれど

これもサザンとともに歳を重ねてきた方々にとって

当たり前の光景なのだろうなぁと思った

 

そして

ともに歩む と言えば

桑田さんを公私ともに支えてきた原由子さんについて

言及せぬわけにはゆくまい

 

SAS桑田佳祐を夫に持つことは

おそらく女性にとって相当なプレッシャーなのではなかろうか…

 

桑田さんが創り上げる世界を聴いてもわかるように

しっとりと優しく切ない愛を歌い上げたかと思えば

下世話極まりない欲望を曝け出したりもする

こんなにも振り幅の大きな人を支えていくのは

並の女性ではとても無理だ

まず面喰ってしまう

 

まだ何の箔もついていない

学生時代の桑田佳祐を知っている原さんにしか出来ない事なんだろうなぁと思った

 

そして

こんなにも振り幅の大きな賢い男を

ずっとそばで支え続ける人生は

さぞかし愉快なものだろうなぁとも思った

 

もしかすると支えているという実感すらないのかもしれない

桑田さんが創り上げる世界を

共に楽しんで生きている感じ

まったくステキなご夫婦だ

 

ファンの方々とともに

原さんとも一緒に生きてこられた桑田さんが

ここにいるんだなぁと思ったら

なんだかとても不思議な気持ちだった

 

桑田さんは わたしにとって

まさに雲の上の方で

こんな風にライブで拝見できるなんて

夢にも思っていなかったので

相当舞い上がってしまった

 

途中 桑田さんと自分しかいないみたいな感覚に襲われて

ずずずずーっと心を持って行かれてしまった

 

桑田さんのザラついた声と

わたしの心のザラつきが

がっちりと噛み合って

まろやかな円になって昇華していくような感じがした

本当に素敵な時間だった

 

桑田さんがステージの去り際に

「生きててくださいね」

とおっしゃった

わたしは多分 この言葉を聞くためにここにきたんだと思った

 

お隣の方が お初にお目にかかった方でなければ

おそらく感情のタガが外れに外れて

大号泣していたかもしれない

 

次があるのかどうかわからないけれど

次があるのだとしたら

また あのマンツーマンな時間を味わいに行ってみたい

 

桑田佳祐の楽曲は

わたしが意識しようがしまいが

わたしの血肉になってしまっていたことを

今回のライブがハッキリと示してくれた

こんなアーティスト 他にいない たぶん

桑田佳祐 いや サザンオールスターズよ 

永遠なれ!!

と願わずにはいられなかった

 

そして

こんな機会をいただけた事に

深い感謝を…

本当にありがとうございました

 

 

 

 

四年前のこと

あの日から四年が過ぎようとしている

ようやく自分の心が少しずつ整理されて

あの日の事をちゃんと思い出せるくらいになれたので

自分のためにも書き残しておこうと思う

うまく出来るかわからないけれど

 

 

人生は小さな悲しみと小さな幸せが

寄り集まって出来ているのだと思っていた

時に 度を超した悲しみのようなものに

巻き込まれたりもするけれど

本気で度を超したものではなくて

振り返るといつも

「あぁ わりと大したことなかったな~」

と思えたりする

 

四年前のわたしは

確かにそう思っていた

 

2011年3月11日

 

その日 わたしは初めてのスマホに買い替えるため

ショップに赴いて あれこれ説明を受けていた

 

設定も何もかも全てしてもらい

無事にスマホに機種変更出来た事に安堵し

近くのセブンイレブンでお茶でも買おうと物色していた時

それは起こった

 

お店の棚がぐらぐらと横揺れし

上にぶら下がっていた宣伝用のポップが

波打つように弾んでいた

 

何が起こったのか一瞬判断できなくて

わたしはお店の棚を必死で押さえてしまっていた

店員さんに

「棚いいですから 逃げてくださいっ」

と言われた

 

そう言われて初めて我に返り

脱兎のごとく店外に飛び出したのだった

 

外に出てもしばらく気持ちの悪い横揺れは収まらず

ひとまず家族に連絡をした

 

中越地震の余震が再び起こったものとばかり思っていたので

まずは中越地方に住む弟たちに連絡を入れた

電話はすぐに繋がり 無事だとのこと

それから両親に連絡をして

その後 東京に住む弟に連絡を入れた

しかし 東京の弟とはなかなか連絡がつかず

家族みんなで心配していた

 

そして

東北に住むわたしの友人にも連絡を入れようとした時

友人から

「こんなに散らかっちゃったよ!怖かった」

という写真つきメールが

新しく買い替えたばかりのスマホに届いた

第一号メールだった

そんな記念すべき第一号メールが

彼女の無事を報せるものであってよかったと

心から安堵して

「まだ出先で情報がよく掴めてないんだけど

 そっちが震源地だったの?!

 余震とかあるかもしれないから

 くれぐれも気をつけてね

 ここまで大きいとライフラインも止まっちゃうかもだから

 電源は大事にしといて

 何かわかったらまたメールするね」

と返信した

 

それから一旦帰宅し

東京の弟と一刻も早く連絡をとらなければと

パソコンの前に座り

スマホを握りしめ

災害用のページに何か書き込みはないかチェックを繰り返していた

 

数時間もすると

弟が災害時用のページに書き込みをしてくれていたのがわかり

直接連絡はつかないまでも

無事だということがわかったし

ほどなくして

本人から両親に直接連絡があって

ホッと胸をなでおろした

 

地震の規模を示すマグニチュードの大きさに驚きながら

なすすべもなく

テレビに映される津波の映像をぼんやりと眺めているしか出来なかった

 

彼女から送られてきた何もかもが倒れまくっている写真を見ながら

こんなことをもしも自分が体験したら

終末感しか持てないだろうな…

と思っていた

 

そしてふと

それっきり音信不通になってしまっている事に気づき

今どんな様子なのかを知りたくて

再度メールをしてみた

待てど暮らせど返事はこなかった

今のようにLINEなどのツールがあれば

通常時にはかなりその存在が問題視されている既読機能の存在価値が

最大限に上がる唯一の場面なのだろうが

当時はそんなものも存在せず

ただひたすら相手からの返信を待つのみだった

 

一度連絡が来ていただけに

最悪の事態を全く想定していなかったし

電源がなくなって

音信不通が続いているものとばかり思っていた

 

だが

 

それから一週間後

最悪の報せがもたらされた

 

人は 理解出来ないようなことが起こると

まずそれを理解しようとするよりもまず

ただ茫然とするだけなんだなぁと思った

 

彼女の生存を示す証拠が

わたしのメールボックスの中にちゃんとあるじゃないか

なんかの間違いだ

そんなわけない

 

ものすごい勢いで事実を否定にかかろうとする脳みそ

 

絶対に生きていると信じて

慣れないスマホから何度も何度もメールを送り続けた

でも

もう 彼女からメールが返ってくることはなかった

 

そうしているうちにも 

続々と届くほうぼうからの報せに

わたしの否定力が追いつかず

メールも返ってこない事実が

大きく圧し掛かってきた

 

もう認めざるをえなかった

でも

認めたからと言ってなんだというのだ

認めれば 彼女は帰ってくるのか?

三月十日まで スカイプで話をしていた彼女が

もういないなんて

どうやって認めればいい?

 

あの時のわたしは相当おかしくなっていたと思う

 

体重はみるみるうちに減っていき

30キロ台になってしまうのではないかという勢いだった

 

こんなにも度を超した悲しみが

この世に存在するのか と思った

こんなに度を超した悲しみが存在するのであれば

度を超した幸せも存在しなければ割に合わないとも思った

 

 

それからというもの

彼女を想起させるようなものから

遠ざかるようになった

フィギュアスケートがそれだ

 

フィギュアを観ることが辛くて

落ち着いていられなくて

直視することが出来なかった

 

それからは どうやって日々を過ごしてきたのか

まるで覚えていない

 

いつのまにか立ち直っていたような気もするし

ずっと引きずっていた気もする

 

ただ

三年目にさしかかろうとする去年のソチオリンピック

再びフィギュアを観れるようになった

 

この事実を受け入れるまで

三年を要したということになる

 

いくらなんでも度を超し過ぎている

 

もう

こんな悲しい想いはたくさんだ

 

天に向かってツバを吐きたくなるような気持ちで

ずっと過ごしてきた

 

でも

ようやくこうして書き残しておけるくらいになれた

 

そうなってみて初めて

涙が溢れてくる

 

あの頃は泣くことすら出来なかった

大切な人の死に 流す涙もなかった

 

今 ようやく泣くことが出来て

心が元に戻ろうとしているのかもしれないな と思う

 

わたしがここまで立ち直れたのは

周りの人達のおかげもさることながら

ツイッターで新しく出逢った人々との

楽しい時間のおかげでもあると思う

 

相当に荒んだ気持ちで始めたツイッター

優しい人たちにたくさん出会って

和やかな時間を重ねていくことが出来た

それがわたしにとって

どれほどの救いになったか

ここでどんなに言葉を尽くしたとしても

語り尽くすことなんか出来ない

感謝なんていう言葉では

到底伝えきれないものだったりする

 

 

大切な人を失ってしまったけれど

わたしが過ごす毎日は

ちゃんと 別な大切な人達で彩られている

新しく繋がれた人達との

楽しい時間でデコレーションされている

 

あの日がなければ

ツイッターを始めることもきっとなかっただろうし

新しい繋がりに気づくこともなかった

 

人は

いつどんな風に命を終えてしまうかわからない

わからないからこそ

大切だと思っていることを

出し惜しみすることなく

素直に

伝えていきたいと強く思う

 

それを薄気味悪がられても

受け取ってもらえなくても

伝えずに後悔するより

ちゃんと伝え続けていきたい

 

もう どんなに伝えたいと思っても

伝える手段さえない場所に

人は逝ってしまうのだ

 

わたしは彼女に

「いつもありがとう」って

ちゃんと伝えられていたかな…

「あなたが話を聞いてくれるから

 わたしはこうしていられるよ」

って 伝えられていたかな…

後悔することばかりだけれど

もうこんな後悔だけはしたくない

大切な人たちに

大切だよって 伝えるように生きていきたい

今は その想いしかない

 

涙を流すのに

こんなに時間がかかっちゃってごめんね

どうしても乗り越えることが出来なくて

ずっと苦しい姿しか見せれてなくてごめんね

 

いつかまた逢える時が来たら

たくさんの想い出話をしよう

そして

勝手にいなくなってしまったことを

ちょっとだけ責めさせて欲しい

 

その日まで

楽しい話をいっぱい出来るように

楽しんで生きていこう

 

 

 

わたくし史上最大のネタバレ

何の枕もなくいきなり本題に入っちゃいますけれども~

 

このご時世 Twitterなどやっておりますと

録画しているドラマのネタバレなんかが

不可抗力で目に飛び込んできてしまうのは

もはや当たり前で

そこでドラマの内容を知ってしまっても

さほど悔しくないというか

一つの物語をみんなで共有しながら楽しむことありきなフシがあるし

ネタバレを読んでしまったからと言って

ドラマの面白さが損なわれることはないというか

別目線で楽しむ術を身につけてしまったというか

なので

テレビドラマのネタバレについては

さほど いや 全然気にならない所まで心頭滅却しているわたくしでありますが

そんな仏のわたしでも

過去に一度 殺意を覚えるほどの出来事がありましてですね

 

 

時を遡ること十年前だったかな??(全然鮮明じゃない)

 

ザ・コンボイというパフォーマンスグループのディナーショーに

行った時のことでした

 

ディナーショーと言うくらいだから

ディナータイムとショータイムに別れていて

ディナータイムの折に

同じテーブルに着いた方達と

これからのショータイムを一緒に楽しみましょうね~などと会話を交わしながら

お酒を飲んだり 食事をしたりするのが

楽しみの一つだったりもするわけですが

その年 わたしたちと同じテーブルについた方は

それはそれはもう とんでもない方々だったのであります

 

まずは

食事をサーブしてくだる方への態度が見るからに横柄で

何度も呼びつけては 文句を言っているのを見て

わたしは内心

「あちゃ~」

と思っていました

なるべくお話などせず 関わらずにおこうと距離を置いていたら

そのお姉さま方がわたしたちに話しかけてきました

「いつから好きなの?」

あ… これ… もう明らかにあれだ…

わたしたちのほうがあんたたちよりずっと前から彼らを知ってるわよ的な

そういうプレッシャーかけてきてる…

と思ったので

「あ~ わたしたちなんてATOMの公演くらいからなのでペーペーですよ!」

な~んて お茶を濁していた

同行した友も わたしと同じような人間なので

このお姉さま達の高圧的な雰囲気をすぐさま察知して

余計なことは一言も言わず のらりくらりと過ごしていた

 

お姉さま方は

ディナータイムで出された食事に 

文字通りフォークをぶっさして

「おいしくないよね この値段とってこんな食事 最悪だよね」

と 更にまずくなるような呪文をかけながら

苦虫をかみつぶしたようなお顔をなさっておられた

それまで美味しいなぁと思って食べていたわたしたちは

後で

「いかにうちらの舌が貧乏舌かってことだよね~」

と笑い合ったものだ

 

それからショーが始まるまでに 

お姉さま方がずいぶん話かけてこられたので

本腰を入れずに相槌を打つというテクニックを

余すところなく駆使していた

すると

「わたしたち 大阪のディナーショーにも行ったし

 札幌にも行ったのよ 今日が五回目」

「ごごごごごかいめーっ?! お金持ちですねぇぇぇぇ!!」

(この時ばかりは素直に驚いて 素直にリアクションしてしまった)

「あなたたちグッズは買った?」

とおっしゃるので

「いえ 今回のグッズ それほど欲しいものがなかったので買ってません」

と応えると

「わたしたち あちこちでグッズ買っちゃって必要ないから

 この一式あげるわ」

と言われた

「え… そんな… 申し訳ないです…」

と言うと

「持って帰っても荷物になるだけだし 貰ってくれた方がありがたいから」

と言われて

なんとなく押し付けられるような形ではあったけれど

ありがたくグッズを頂戴した 

でも 施しを受けてしまった感が拭えなくて

いまだにこの時のグッズのことは 友人との語り草となってしまっている

 

しかし ここまでのことはまだ序の口だった

 

問題はここからだったのだ

 

「今回は記念すべき節目の年だから

 相当作り込んできてるわよ

 一番最後にあれやるのよ

『カリント工場の煙突の上に』!

 でも もう昔みたいじゃないから ダンスにキレもないけどね」

 

わなわなわなわなわなわなわなわな

 

わたしたちはこれから初めて観るんですよ?

あなたたちのように一年に五回もディナーショーに来れる身分ではないのですよ?

なけなしのお金を一年間貯めて貯めて

ようやくディナーショーと宿泊代金を捻出して

一年にたった一度 ここでの贅沢な時間を楽しみにしてきているのに

このショーの一番のサプライズであろう演目を

ペラペラと目の前でしゃべってくれちゃうこのお姉さま方に

たぶん生まれて初めて殺意を抱いた

 

『カリント工場の煙突の上に』

とは

ザ・コンボイショー『ATOM』という公演の中で

ショーのクライマックスで踊られるダンスナンバーで

初めて生でこれを観た時 全身を貫いた鳥肌の感覚は

今も 細胞レベルで覚えているくらい鮮明で

観終わった後 しばらく席を立つことが出来ずに

その場で泣き崩れてしまうくらいの作品だった


CONVOY SHOW-ATOM-カリント工場の煙突の上に - YouTube

 

探してみたら偶然にも動画があったけれど

こんな映像じゃ何も伝わらないので

貼ろうかどうしようか迷った

でも とりあえずこんな感じなんだなぁってことが

ちょっとでも伝わればいいなぁと思って

貼ってみました…

 

どうしても付け加えておきたいのは

このカリント工場のダンスナンバーに来るまでに

3時間はみっちり芝居して ダンスして 歌って

という

体力消耗タイムがあったことを

お分かりいただけたらと思う

そんな消耗しきった後での この全力のダンスである

 

そらもう涙も出ちゃうよね

彼らはまるでアスリートみたいだった

 

なのでなので

わたしにとって

カリント工場は特別なナンバーで

再びあれを観ることが出来るなんて

それこそ飛び上がるくらい嬉しい事だったりしたのだけれど

これから何が出てくるかわからないディナーショーの内容を

しかもクライマックスの内容を

その場で 生で 直前に知らされた時の

あの絶望感と言ったら…

相手を刺して自分も死ぬ くらいの殺意が沸き起こっても

おかしくないほどだった…

言ってみればネタバレの大横綱を経験してしまっただけに

日々のドラマのネタバレなど

わたしにとっちゃあ 蚊に刺されたほども感じないというわけだ

だって テレビドラマは その場で 生で観るわけじゃないもの

不特定多数のみんながそれぞれの生活時間で

それぞれの都合で それぞれの形態で観ているもので

それに対する感想を抱いて

その新鮮な気持ちをつぶやくって

すごく面白いことだし

そういうのを読んでからドラマを観た方が

より大きな発見があったり

話の筋を追うエネルギーを別な所に使えたりもして

すごく楽しいなぁと思う

 

 

しかし

カリント工場に関してだけは

もしも あの時 あのお姉さま方に その演目を知らされていなかったら

多分 その場で泣き崩れてしまっていたと思う

初めて彼らを観た時の懐かしさと感動と幸せが

堰を切って押し寄せてきて

そこに完全に飲み込まれてしまっていたと思う

わたしは そんな瞬間を見事に味わいそこなってしまった

その思いが

まるで亡霊みたいに わたしの中にはりついていて

全然成仏していない

今だに彼らのディナーショーに行きたい気持ちを掻き立てにくる

もう あの時のような勢いもなくなってしまっただろうし

本公演もここしばらくはやっていない彼ら

完全にディナーショー専用グループとなって

普段は個人の仕事をしている彼ら

その彼らに あの時と同じような熱を感じることは

きっと出来ないだろうというのが本音だったりする

 

もうビデオでしか観ることができなくて

しかも何度も何度も観てしまっているから

当然劣化も激しくて

今再生なんかしても 誰が誰やら判別がつかないくらいになっているに違いない

それでも

もう一度 

あの舞台を観たい あのメンバーで観たい

 

『ATOM』は 海を越えて

韓国で選ばれた青年たちにより上演されたらしい

それもそれでパワフルな舞台だっただろうけれど

わたしがもう一度観たいのは

あの時の彼らだったりする

もう二度と叶わない願いなのだけれど

 

せめてDVDで発売されていたらなぁ…

生で観ることが叶わないのであれば

せめて ちゃんとした映像で手元に残しておきたかったなぁ…

 

なんて思いながら

今までの公演のダイジェストを集めたDVDを

再生しちゃう真夜中なのであります

 

なんだか虫生に昔が懐かしくてたまらないこの頃

決して戻りたいわけではないけれど

あの頃感じ損ねたことを

今の自分でもう一度感じたい などと

もしかしたら 思っているのかもしれないなぁ と…

 

【追記】

ちなみに韓国バージョンで上演された『ATOM』の映像も発見


CONVOY SHOW-I GOTTA LIFE - YouTube

 

オリジナルメンバーのが観たいですわ…

 

今あらためてみるとショーパブ的な要素満載ですね(笑)

ここにタップダンスも加わって

ちゃんとしたお芝居も加わって

一人一人にスポットがちゃんと当たって

完全なる宛書だから アンダースタディがいないという恐ろしさ

ほんとにすごいグループだった…

 

タップグループのストライプスを率いておられるHIDEBOHさんが

タップの振付をなさっていて

それはそれはもう圧巻

 

ちなみにHIDEBOHさんが振付をされた座頭市のタップがこちら


Zatoichi Dance - Japanese tap dance 座頭市ダンス - 日本 ...

 

かっこよすぎるべ…

 

タップ観てぇぇぇぇぇ

 

あ…

ネタバレについて書こうと思ってたのに

いつのまにか色んなとこに脱線しちゃってました

 

 

 

 

 

 

 

赤プリの想い出

赤プリ

正式名称 赤坂プリンスホテル

1955年開業

2011年3月 営業終了

そして

2013年7月 全ての解体工事が終わり

その姿は跡形もなく消えた

 

かつて

ザ・コンボイというパフォーマンスグループに入れあげていたわたしは

赤坂プリンスホテルで開催される彼らの

クリスマスディナーショーに行くことを

1年の締めくくりとしていた

 

当時SMAPの振り付けをしていた黒須さん

女性を魅了するダンスを踊る石坂さん

はたまた 女性と見まごうばかりの舘形さん

お芝居の上手な右近さん

最高のボーカリスト橋本さん

長身で低音ボイスで女房思いの徳永さん

タップで酔わす瀬下さん

そして  彼らを束ねる今村さん

 

この8人で構成されていた

(途中橋下さんと右近さんが脱退して 現在は6名)

 

わたしは 中でも瀬下さんのタップに魅せられてしまい

膝の柔らかさからくる華麗な足捌きといい

まろやかなタッピングといい

さらに加えて甘い声といい

心底惚れ抜いて

同じ公演に何度も足を運んでしまった程だった

 

今思うと お金なんかなかったはずなのに

よくもあんなに何度も観にいけたものだな…と不思議に思うのだが

なければないなりに どうにかなっちゃうもんだなぁとも思ったりする

 

それにしても

何故今更赤プリなのか?

 

それというのも

ホテルオークラ東京の解体のニュースを見てしまったからである

 

解体という言葉と赤プリ

わたしの中ですでにイコールになっていて

毎日少しずつ時間をかけて小さく小さくなっていった赤プリ

ツイッターの写真で確認しながら

大切な思い出の場所が跡形もなく消えていくのを

ただ切ない思いで見守っていた2013年が蘇って来てしまうのだ

 

ディナーショーの当日は

少しでも綺麗にしていきたくて

ホテル近くの美容室を予約して

髪をセットしてもらい

ホテルの部屋に戻って

フォーマルな洋服に着替え

赤プリクリスタルパレスに向かうのが習いだった

 

メンバーも赤プリに宿泊して

連日のディナーショーの公演していたので

運が良ければエレベーターで鉢合わせすることもあった

 

そこでわたしはまたしても

引き寄せちゃったのである

 

赤プリ近くの美容室に髪をセットしに行くために

いそいそとホテルの部屋を出て

エレベーターのボタンを押し

到着したそれに乗り込もうとした時

なんと目の前に 稽古着に身を包んだ瀬下さんがいらしたのだ

 

心臓はまるで早鐘のようで

何か声をかけた方がいいのか

それともそっとしておいた方がいいのか

全くわからなかったし

瀬下さんも瀬下さんで

「声かけるなら早くかけてくれっ!気まずいっ!」

みたいな雰囲気丸出しで

日本一微妙な静けさが漂うエレベーター内だった

今思うと何故あの時お声をかけて

握手の一つでもしてもらわなかったのか悔やまれるばかりだ

 

そうこうするうちに

夢のようなエレベータータイムは

あっという間に過ぎ去り

二階のクリスタルパレスへと

瀬下さんは消えて行った

 

ぁぁ… 待って… 待って… もうちょい…

 

初めて間近で見た憧れの人に

息が止まりそうだった…

 

瀬下さんはステージの上で観るよりも

少し小さく見えたけれど

ステージの上と同じくらいに

素敵だった

 

翌日 チェックアウトの時は

今村さんと同じエレベーターになった

にわかに浮き足立つわたしたちを見て

すぐさま自分たちのディナーショーを観に来たお客だと

察知してくださった今村さんは

「このたびはディナーショーにお越し下さりありがとうございました!

お気をつけてお帰りください!」

と気軽に笑顔で声をかけてくださった

そして今村さんはわたしたちの荷物を見て一言

「こんなに何入ってんだよ〜!」

とおっしゃり  笑いながらバッグをポンッと叩いた

とってもフレンドリーな方である

そう訊かれたわたしたちは

「ふふふ 秘密です」

と答える心の余裕すらあった

人を緊張させない雰囲気を持った方だった

 

こんな風に

普段はビデオや舞台でしか観たことがなかった方達と

普通にエレベーターに乗り合わす事ができるなんて

ホテルのディナーショーならではの事だ

 

あの時の事は

全てが鮮明で

大分時間が経ってしまったにもかかわらず

微塵の欠落なく思い出すことができるのだ

 

 

そして

もちろんホテルオークラ東京にも

赤プリに負けないくらい思い出がある

 

コンボイと並行するように

宝塚観劇をしていた当時

好きなジェンヌさんのお茶会は

ホテルオークラ東京 または

新高輪プリンスホテルで開催されていた

 

お茶会という言葉に馴染みのない方のために

ざっくり説明させていただきますと

お茶会とは

自分が応援しているタカラジェンヌさんに

一番近くでお逢いすることが出来て

トークや握手会やプレゼントコーナーなど

要はファン感謝デーのようなもので

トップに近づくにつれて

会場も一流ホテルになっていく

ゆえに

わたしのような超下々の者でも

あの由緒正しいホテルに足を踏み入れることが出来たのだった

 

お茶会がある日は

とりあえず一張羅を着こんで

出来るだけ小奇麗にして

姿勢もしゃんと正して

一流ホテルにいる自分への違和感を

感じまくりながら

だいぶ緊張してホテルに入る

 

赤プリのディナーショーの宿泊プランと違って

お茶会の時は宿泊はしないので

客室内がどうなっているのか見たこともないし

見ようにも 普通に一泊二万円以上するホテルに泊まるだなんて

当時のわたしには考えられないことだった

(いや 今も考えられないけどさ)

 

好きなジェンヌさんの「会」というものに入り

お茶会の座席は「会」への貢献度によって決まる

出待ちや入り待ちにどれくらい参加したか

ジェンヌさん宛てに

どれくらいお花を入れたか

公演を観に行くだけでいっぱいいっぱいだったわたしのお財布から

お高い胡蝶蘭の鉢植えなんか

とてもご用意できるはずもなく

一口分のお花代を気持ちとして

振り込ませていただくだけの

ド底辺会員だったし

出待ちも入り待ちも日常的に出来ない遠方のわたしに回ってくるお席なんか

当然一番後ろのテーブルだった

 

観劇の時に使用したオペラグラスをごそごそと取り出して

一番前におられるジェンヌさんのお顔を拝みながら

ほぅ~っと溜息をつくのが

なんとも幸せなひとときだった

 

最後に控えし握手会にドキドキしながら並び

ハンカチをぎゅうっと握りしめながら

自分の番が来たら何を話そう?と考えている間に

順番が回ってきて 頭の中は真っ白になり

何一つ気の利いたことが思い浮かばず

「がががんばってください」

なんて言っちゃってる ダセェことこの上ない自分がいた

そんなダセェわたしに

笑顔で

「ありがとうございます」

と応えてくださる優しさに

涙が出そう  というか  泣いた

 

さっきまで舞台の上に立っていた人に

こんな間近で しかも 握手までしてもらえて  ありがとうとまで言ってもらえるなんて

身に余る幸せ! と思っていた

 

お茶会が終わると

しばらくホテルの中をウロウロしたり

無駄に何度もトイレに行ったりして

ムーンライトえちごの発車時刻まで

時間を潰していた

普段は入れない異空間を

心ゆくまで堪能しまくっていた


ホテルの方にすれば

こいつ今すぐつまみ出したい

という思いでいっぱいだったはずだ


そんなホテルの方の気持ちをよそに

帰りのムーンライトえちごでは

幸福と興奮のあまり 一睡も出来ず

そのまま仕事に向かうという無茶なことをしていた

 

演劇が好きだったおかげで

色んな経験をさせてもらったな と思う

今はあの時の全てが懐かしい
 
 
また 舞台を観に行きたい
コンボイはまだディナーショーをやっているのだろうか?
瀬下さんのタップは まだあの時みたいに柔らかい音を奏でてくれるだろうか?
もう本公演はやっていないのだろうか?
ディナーショーだけ?
 
昔は 彼らのディナーショーのチケットは
プラチナチケットだった
最初から最後まで息をつかせぬノンストップな公演に
度肝を抜かれた
こんなに色んなものを詰め込んだビックリ箱みたいな
エンターテイメントがこの世に存在するんだ!と思ったものだ
 
メンバーのみなさんも 年齢を重ねられて
公演の内容も あの頃みたいなノンストップではきっとないはず
でも それも行ってみなければわからない
もしかすると 今も
「走り出したらとまらない」の
キャッチフレーズ通りに
息をつかせぬステージを繰り広げているかもしれない
それはそれで
こっちと年を重ねてしまっただけに
ちょいとばかししんどいかもしれない

 
今年の年末 再び彼らに逢いにディナーショーに行ってみようか
赤プリ以外で彼らを観るなんて 考えられないけれど
どうやら新高輪の飛天の間でやっているらしい
まだまだあの広い飛天を埋められるくらいに
人が集まっているのか…
感慨深い
 
懐かしくて泣けてきそうだ
 
もう 想い出の場所を訪ねたとしても
想い出のカタチはそこにはない
 
地下鉄の赤坂見附駅で降りて
階段を上って地上に出て 
赤プリに向かうまでの緩い坂道を
どれだけワクワクしながら登ったことだろう
 
あの時の気持ちは 少しも色あせることなく
わたしの中でちゃんと生きていて
生々しいくらいだ
 
 
ホテルオークラ東京の建て替えのニュースと共に
赤プリのことを思い出して
芋蔓式に有名ホテル擬人化妄想にまで及んでしまうくらい
わたしにとっての赤プリ
とても大切な時間を たくさん過ごさせてもらった聖地みたいな所だった
 
今よりずっとお金もなくて
でも時間だけはふんだんにあったあの頃のわたしが
SPを引き連れた総理大臣が来ちゃうような赤プリ
足を踏み入れていただなんて
身の程知らずもいいところだったな と思う
 
あの時確かにわたしがあの場所にいたことを
証明してくれる建物はもうないけれど
蘇る記憶の一つ一つが
今も余すところなくわたしの中にある
 
赤プリが解体されて以来
もうそこに赤プリがないことを確認するのがイヤで
赤プリ側の出口からは出ていない
多分 これからも行かないだろう 
 
だって赤坂見附駅を降りた先には
聳え立つ赤プリが見えていなくてはならないのだから…
 
 
 
 

何日ぶり??

今年こそは真面目にブログを更新しようと思っていたのに

名古屋旅の三日目も書かぬうちに

数日が経過してしまっていた… 不覚…(予定通りだろ)

 

そんな中

昨年ジャスタウェイに出逢ってしまったことにより

再燃する競馬熱が嵩じて

ついにネットで馬券を買える状況になってしまいましたよわたくし!

どうですか!!

 

そして土曜日 日曜日と

連続で三連複当てちゃいましたよ うふふ

なんつーか 才能あるんじゃね? 競馬新聞のライターなれちゃうんじゃね?

とか 一瞬思ったりしましたけど

完全なるまぐれ当たりなので

各新聞社さんはわたしにオファーしないでくださいね

(しねーわ安心しろ)

 

今まで全く気づかなかったんですが

スカパーに加入しているので

わたしの部屋では競馬専門チャンネルを視聴することが可能で

おうちにいながらにして

競馬新聞片手に リラックスしながらレースが観れちゃうという

大特典つき!!

なんてステキなマイルームでしょう!!

 

そこでパドックのお馬さんたちを眺めながら

「おっ!この子よさそう!」などの当たりをつけて

馬券を買っていくのですが

これがなかなか当てられない…

 

でも土曜日の中山最終レース 三連複取っちゃいました…

百円で9870円!!

もしも千円かけてたら98700円ですよ!!(知ってる)

信じられないミラクルに震えました

ほぼ万馬券

 

こんなミラクルは二日続けて起らんやろ~と思っていたのに

今日日曜日

中京11R 

何気にパドックを見ながら お茶なんか飲みながら

リラックスして

買うか買わないかどうしよっかな~なんて思っていたんですよ

最初は 新聞に書かれてる通り

4 5 6 8 の4頭立てで買おうと思っていたんです

が 買う直前に

「ちょっとまって 5番外そう 13番が気になる 13番だ」

って ピコーンときて 変えたんです

そしたらね…

その13番 グランドシチーくんが来ちゃったんですよ 2着に…

もう ビックリ仰天!!

2日連続鳥肌でしたね

 

来週も取りたい所ですが

たぶんこれ リラックスしてるからこそ得られたものだと思うんですよねぇ

土曜日の中京11Rの単勝だって

何気な~くパドック見てて

「あ! ワールンガくん! いいね! 買っちゃえ~」

ってな感じで 100円投入したんです

そしたら1着

やっほーうヽ( ・∀・)ノ 

 

このお部屋 なかなかよい結果をもたらしてくれよる

うふふ

 

当たらなくても楽しいけれど

当たったら当たったでもっと楽しいヽ( ・∀・)ノ 

口座にお金が増えてるの見るのっていいねヽ( ・∀・)ノ 

 

毎週ちみちみと買いながら

楽しみながら お馬の美しさを堪能したいと思います

 

 

それにしても

今日はゴールドシップにしてやられましたね…

まさかの7着に悲鳴あげました…

絶対にやってくれると思ったのに あの芦毛の子…

うちの甥っ子と誕生日2日違いでした

魚座のゴルちゃん 優しい子ですねきっと

 

この先 以前のライスシャワーみたいに

ずっと応援したいと思えるお馬に出逢えたら

もっともっと楽しみな競馬ライフになっていくと思います

 

昔と違って

自宅でも馬券が買えちゃう時代に感謝ヽ( ・∀・)ノ 

 

 

 

名古屋旅 二日目 

十時チェックアウトのずいぶん前に起きた

何らかの法律に抵触しそうなほどのホテルから早く出たかったからだ

 

スマ友ちゃんたちから受け取るはずのブツが山のようにあったため

大きめのキャリーケースにだいぶ余裕を持たせながら

ゴロゴロ転がして

次の宿泊地である栄にいざ

 

しかし 相変わらず名古屋駅に慣れず

地下鉄東山線に行くのに一苦労してしまった…

まず何故かメイチカに迷い込んでしまう

そこで 色んなお店がバーゲンをしていることを知り

フラフラとウインドウショッピングを楽しむ

「あれ? 何やってんだろう? 栄にいかなきゃ栄!」

と気づき メイチカをやっとの思いで抜け出した

(ほんとに分かりづらい)

 

どうにかこうにか東山線に乗り込み 栄に到着し

泊まるはずのホテルをグーグルマップ先生に入力したはいいけれど

そのグーグルマップ先生の見方がよくわからないわたしにとって

猫に小判 馬の耳に念仏 晴れた日の蝙蝠傘 くらいに

役立たずなアプリである

グーグルマップ先生の案内をまるっきり無視して

歩いて二分で行けるホテルに

なんと10分もかかってしまうという遠回りっぷりを遺憾なく発揮した

どこにいても野生のカンだけが頼りだ…

(その野生のカンで五倍の時間がかかってますが??)

 

 

まずホテルに荷物を預けようとフロントに行く途中で

スマ友ちゃんにそっくりな でも 髪の毛が短い人を発見して

思わずLINEで

「もしかして今ホテルのロビーにいる?」

と確認したら

「いますよー!」

と返ってきたので

恐る恐る声をかけたら 髪をバッサリと切ったスマ友ちゃんだった

 

その後 すぐにもう一人のスマ友ちゃんと合流し

わたしのグーグルマップ先生の使えなさ加減を滔々と語っていたら

一番年下のお若いスマ友ちゃんが

「〇〇さんはまず東西南北を覚えましょう!」

と言われてしまいました…

彼女はドSです…

これを皮切りに この旅の間中 

彼女のするどいツッコミを受け続けることになるわたしなのでした

 

 

それからいざナゴヤドームへ!

 

まぁぁぁぁぁぁぁ

ナゴヤドームの駅からナゴヤドームまでの遠いこと!

この時点でわたしは足に異変を感じていた

そう

ラッキーさんに選ばれる可能性を考慮し

シャレオツな恰好をしていた上に

シャレオツなブーツを履いてしまい

それがわたしの足に靴擦れをこしらえてくれていたのだ…

こわごわとトイレでブーツを脱いでみたら

足の皮がずる剥けになっていて 皮膚の下のお肉が丸見え

「うそ…だろ…?」

持ち歩いている絆創膏をストッキングの上から貼るも

すでにずる剥けになった靴擦れには

焼石に水状態…

歩くたびに 丘に上がった人魚姫のように足に痛みを感じる…

(あくまでも人魚姫のような痛みってだけであって 

 別にわたしが人魚姫ではないことを書き添えておこう) 

しかしわたしは新潟におられる中居さんファンへ

どうしてもクリアファイルを買いたかったので

グッズ列に並んでみた

一足ごとに増していく痛みは

グッズを買い終わった時には限界に達していた

 

見かねたスマ友ちゃんが

「近くのイオンでブーツ買います?」

と進言してくれたので それに従うことにした

でも そこで雪国仕様の防水ブーツを見つけ

しかもサイズもゆったりめで

なかなかいいブーツを発見

さらに厚手の靴下を見つけ それも購入

履いてきたブーツを包んでもらい

新しい大き目のブーツに足を通して歩き出した途端

今までの人魚姫が嘘のように 地上で普通に生活するジャイ子くらい

気軽な感じになった

靴って大事よねぇ…

 

何もかもを買い終えた我々は

お昼までの時間をイオンのレストラン街で過ごすことにした

知らない街のイオンの構造がよくわからなくて

現在地と照らし合わせながら案内図を見て

どこのエスカレーターを利用すればいいのかをみんなで確認して

さて じゃあ行こうか!という時

わたしだけが反対方向に向かって歩き出して

ドSのスマ友ちゃんに

「いやいやいやいや 〇〇さん違いますってばこっちですよこっち!」

と引っぱられる

「えーっ?! こっちじゃないの?!」

と訊いたら

「〇〇さん絶対わかってないだろうなって思ってましたwww」

えええええええ

もう わたしは この人たちがいなかったらアカンかもしれない…

 

 

そんなこんなでレストラン街にたどり着いた

どうせなら名古屋名物矢場とんに入りたかったけれど

長蛇の列

名古屋名物っぽい食べ物屋さんはどこもかしこもことごとく長蛇の列

その長蛇の列にはいずれもSMAPバッグを肩からぶら下げた方々が

居並んでいた

ざっと見渡した所 すんなり入れたのは金沢のお寿司屋さんだけだった…

仕方あるまい…

腹ペコだし 時間もないし…

 

名古屋にいるのに金沢のお寿司を

これ以上ないくらい堪能する我々なのであった

 

これでもかってくらい甘海老が乗っかっている軍艦やら

これでもかってくらいカニが乗っかっているお寿司やら

それはそれは美味なる海鮮を食べているうちに

ここが名古屋であることをうっかり忘れ

地元であるかのような錯覚すら覚えるほどだった

 

 

グッズ列に並んでいた時

ドSなスマ友ちゃんのスマ友ちゃんに遭遇し

どうせならお昼ご飯をご一緒しましょう!ということになり

お寿司を食べながら

「お名前伺ってもいいですか?」

とお尋ねした所

そのお名前に聞き覚えが…

あれ??

何年か前 わたしが行けなかった慎吾のミュージカルのチケットを

お譲りした方と同じ名前??

そう思って尋ねてみたら

「ああ!そうです! それで私 譲っていただいたお礼にパンフレットを

 送らせていただいたんです!」

とおっしゃる!

なんとなんとーっ なんという偶然!!

まさかここでその方とお逢いできるなんて!!

ずっとスマファンでいると こういうお導きもあるんだなぁ

と 感慨深い思いで

長々滞在してしまったお寿司屋さんを後にして

いざナゴヤドームに向かう我々であった

 

(ライブ本編はまたページを改めて)

 

 

 

名古屋旅 一日目

1月12日にナゴヤドームで行われたSMAPコンサートのために

当初は一泊だけだった予定を変更して

急遽11日から名古屋入りすることにした

 

乗りなれた上越新幹線部分は割愛するとして

東京からの東海道新幹線からの旅日記スタートです

 

東海道新幹線に乗るのは何年ぶりだったろう?

西の方に行く時は 北陸回りで行くことの方が多いため

東海道新幹線にはこれまでほぼ用事がなかった

上越新幹線の裏寂しさとは全く違って

太平洋側を走る晴れやかさを一身に背負ったN700系

車内も若干広く ワクワクきょろきょろしていたわたし

 

すると お隣の席に

伊勢谷友介さんに似たアーバンハンサムさんがお座りになり

東海道新幹線に対する好感度が一周回って振り切れるほどに

あがってしまったけれど

アガってしまって隣を見れなかった… 残念である…

 

この旅でまず楽しみにしていたことは

車窓から見える名峰富士の姿を拝むことだった

進行方向左側に位置したわたしの座席

記憶の中の富士山は 進行方向左側に位置していたような気がしていたので

席についた途端「ひゃっはー!富士山側じゃん!」

と思っていた

そして 新富士あたりにさしかかった時

車内アナウンスが

「しばらくいたしますと名峰富士が見えてまいります

 しばしの間ですが 日本一の山をお楽しみください」

らしきことをのたまっていたので

わたしはあいぽんカメラを起動して

富士の登場を今か今かと待ち構えていた

すると 向こうの方にちっさい山みたいなのが見えて

「あれ…? あんなにちっちゃかったっけ?? はて…?」

と思いつつも

必死でシャッターボタンを押していた しかも連写で

その時 わたしの背中をポンポンと叩く人あり

振り返ると あのアーバンハンサムさんではありませんか

わたしは

「きたー!恋のはじまりー!」

と 色めきたったのだが

アーバンハンサムさんが次に発した言葉で

ひっくり返りそうになるのであった

「・・・そっち・・・富士山じゃないですよ・・・?」

どひゃあああああああああ

恥ずかしすぎる…

おかしいなと思ったんだよ

名峰富士が あんなにちっぽけな山のはずがないもの!

あんなありふれた風景を みんなが一生懸命カメラに収めようとするなんて

おかしいと思ってたんだよ!!

「あ… ありがとうございます… まちがえちゃいました…」

わたしは耐え難きを耐え 忍び難きを忍んでお礼を言った…

 

しかし 誰しもが右手に聳え立つ富士山に心奪われ

おそらく今まで誰も顧みることなどなかった左側の景色を

連写までして写真に撮って さらに 食い入るように観ていた人間は

わたしくらいなものだろう

富士山の反対側の景色は きっとわたしに感謝しているはずだ

 

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見よ!これが富士山の反対側の写真だっwww

今までおそらく誰もカメラに収めることはなかったはずだ!www

 

 

あまりの恥ずかしさにいたたまれず

それから名古屋に到着するまで

ずっと寝たふりをしていたのは言うまでもない…

 

 

さて

そんな狸寝入りのわたしを N700系は優しく名古屋に送り届けてくれた

 

降り立った名古屋で ひとまず荷物をホテルに預けたのだが

そのホテルが

ギリギリに取った格安ホテルだったせいか

何らかの法律に抵触しているんじゃないかと思うほどの通路の狭さ

および 薄汚さ…

お風呂も掃除が行き届いていない感じで

チェックインした瞬間にチェックアウトしたくなるような所だったが

他に行くアテもないので とどまることにした…

 

 

そして

すぐさま念願の熱田神宮に出発

よく調べもせず 行き当たりばったりで行動してしまうため

何に乗れば行けるのかもよくわからず

JRの上にある案内の赴くままに名鉄方面へと向かう

のだが

名古屋の上の案内は なんだかちょっぴり不親切で

一個飛ばしで表示が変わるというか

名鉄・地下鉄方面」

という案内の次に来るのが

「JR線のりば」

という表示のみになっていて

「あれ…? 名鉄ってこっち方面じゃないの?」と

心配になるのだが

また次の案内に

名鉄・地下鉄方面」

と書かれており

「あってたんだ… てか 一個飛ばしにするからわかんないじゃないよぉぉぉ」

と 心の中は異常な焦りに見舞われつつも

わたしジモティーですけど?みたいな顔で名鉄を探していたわたしである

 

そして

方向がよくわからないまま

とりあえずそこに来ていた電車に乗ってみた

もしかすると反対方向に走る電車かもしれないのにだ!

確かめろよ自分! なんでそこで確かめないんだ自分!

と 激しく自分を責めながらも

「だいじょうぶだよ自分」

という呑気な自分が圧倒的勝利を収めていたので

そのまま乗り続けていたら どうやら正解だったみたいで

名古屋駅から二つ目の駅で降りた

 

 

三連休の中日であり 熱田神宮の中で最も神聖な場所とされる

一之御前神社が開放されるということもあり

まさにお祭りのような人出で

沿道に居並ぶ出店から漂うジャンクな香りについフラフラと

足が向きそうになるのをぐっと堪えて

参拝に向かった

 

1000円の初穂料で 御垣内に入ることが出来

神主さんからお祓いをしていただけるというので

早速神様の一番近くで 心静かにお参りをしてきた

「新潟からやってきました お邪魔いたします

 この地での時間を楽しく過ごします よろしくお願いします」

とだけ お声がけをしてきた

わたしは 神社で神様にお願いごとはしない

ことに 自分の育った土地ではない場所の神様に

厚かましくもお願いなど出来ようはずもなく

ただ この地での時間を全力で楽しみます!と宣言をさせていただくのみ

神様だって その土地に住まう方々のお願いごとで手いっぱいだろうから

 

清々しい気持ちで本殿を後にして

「こころの小径」という所から

一之御前神社へとゆっくりと歩を進める

そこを歩いている間 

ここに来られて本当によかったなあと思いながら

幸せを味わっていた

 

天照大神の荒魂を祀っていると伝えられているそこは

静かな静かな奥の院のような所に ぽつんとあった

ここに 天照大神の荒魂がおわすのかぁ…と

じわじわとした感動に包まれながら

自分の番が来るのを待っていた

その時のことを思い出すだけで

妙な幸福感に包まれる

 

そして ここでも 天照大神

「新潟から参りました ここでの時間を最高に楽しく過ごします!」

と 元気よく宣言だけしてきた

そのおかげかどうか いや そのおかげで

名古屋での時間は どこを切り取っても

楽しいだけの時間となった

 

 

静かな気持ちで一之御前神社を後にして

お守りなどほうぼうに買った後

お腹が猛烈に空いていることに気づいたわたしは

すぐさま名古屋駅に戻り

名古屋コーチンなるかわいげな名前の鶏料理をいただくことにした

 

親子どんぶりを頼んだのだが

これが なんというか 甘いの

味付けがってんじゃなくて

卵そのものが甘い!

おいしい!!

名古屋コーチンちゃんジュースィー!!

 

さらに追加で手羽先も頼んだけど

食べ方がよくわからなくて

ほんのちょっと齧っただけで帰ろうとしたら

お店の方に

「お客さん!もったいなぁがね!」と言われますたwww

そして 丁寧に食べ方を教えていただいた

お箸で食べようとしていたのが間違いの元だったらしい

手羽先は手で持って 勢いよくガブリとかぶりつくのが

一番おいしいそうだ

うん 確かに美味しかった 骨だけを残してスルスルーッと肉が離れ

口の中にぽぽーんと入ってきた

うまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

名古屋うまぁぁぁぁぁぁぁ

 

美味しく鳥をいただいて 満腹を抱えて

一旦ホテルに戻り 大相撲の初日をテレビで観戦した後

ミッドランドスクエアという夜景のキレイな

46階建てのビルに向かった

 

ぼっちで夜景を観ることで受ける精神的ダメージも

充分考えられたが

そんなものを軽く乗り越えられるくらいに

夜景が観たかった

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46階から見下ろす夜景

 

 

360度名古屋を見下ろせる素晴らしさ

でも

わたしはね

高所恐怖症だったんだよね…

もうね…

お尻がきゅぅぅぅぅぅってなるくらい震えたね

下を見下ろすたびに足がガクガクして

膝がわらっちゃって どうしようもなかったですよ…

ぼっちで来たことを この時ばかりは後悔しましたね…

だけど

何万ドルかはわからないけれど 名古屋の素晴らしい夜景を

一望出来て

本当によかったなぁと思いました

 

あの灯りの一つ一つに 人がいて 暮らしがあって

人生があって 楽しさがあって 苦しみもあって

それらが同じ美しさで輝いているんだなぁ…と思ったら

なんだか ちょっと感極まってしまって

カップルたちがいちゃこらしているのなどお構いなしに

涙が出そうになりました

(決してカップルが羨ましかったからじゃないからね!!)

 

 

それから ゆっくりとホテルに戻って

名古屋にいるにも関わらずずっとテレビっ子でした

場所が変わってもやることは一緒なのであります

 

一日目はこれにて

 

二日目はまたのちほど(・∀・)