統計

There is no set concept of a good child.
Why do you think so?

My answer
This is because there is no one else who explains children's minds by introducing the perspective of acting like a good child into the way children behave.
Statistics can be used to scientifically show that children act as good children, but in doing so, many people need to understand that children act as good children.

子どもの行動の仕方に、よい子を演じると言う見方を持ち込んで、子供の心を説明している人が他に居ないからです。
子どもがよい子を演じることを科学的に示すには、統計学を使うのでしょうが、その際によい子を演じると言う見方を多くの人が持って貰う必要があります。

I understand each of things is depend on individuals, depend on cultuer also in Japan.

My anser
That's right. There are differences in the way adults feel and think about children act as good children. Even so, although there are trends in what people think of as good children, it is still difficult to formulate a clear concept of what constitutes a good child. I will write about the reason at the bottom of this message.

その通りです。大人の感じ方、考え方にばらつきがあります。それでもよい子という感じ方には傾向はあっても、未だはっきりとした概念を作る難しさがあります。その理由は最後に書きます。

But what parents want children to do is the good thing for them. This fact is unchanging.

My anser
That's right.

その通りです。

Extremely good child for mother is good child every country. Is it wrong?

My answer
That's right.

その通りです。

I don't understand that suddenly only this point get to be a concrete matter.

My answer


どの母親も子供を守り、育てたいという本能を持っています。又、子どもも母親が自分を守って育ててくれるという本能を持っていますから、子どもは本能的に母親に対してよい子になろうとします。

Your research based on brain science based on ?
そうです。

My answer
That's right.

I know my brain is not capable of understanding complicated things.

My answer
Every mother has an instinct to protect and nurture her child. Children also have an instinct that their mother will protect and nurture them, so they instinctively try to be good to their mother.

脳科学から子どもを観察すると、大人の心と違う子供の心を知ることができます。
By observing children from the perspective of neuroscience, we can learn about children's minds, which are different from those of adults.

母親や子供の周囲の大人が、子供がよい子だと判断するときには、2つの場合があります。
一つは子どもが辛さから逃れるために、よい子を演じる場合。
二つは子どもが何かに挑戦している姿の場合
です。この二つの場合を区別するのは、一般に難しいです。
There are two cases when a mother or the adults around the child decide that the child is a good child.
One is when a child pretends to be a good child in order to escape from hardship from something.
The second is when the child is taking on a challenge which is very important but difficult for the child.
It is generally difficult to distinguish between these two cases.

娘とおそろい

不登校3年目の10歳の娘です。娘も私の心の変化を感じてるのか?のびのびしているように思います。昨日はしまむらで服を購入しました。今までこだわっていた?ブランドは卒業だそうです。そしてマネキンが着ていた物を選んで買っていたのに、今回は自分で服を組み合わせていました。黒、白にこだわっていた?色はブルーの短いジーンズとカラフルなTシャツに変化してました。今どきの子どもだなー!娘「やっと白黒卒業したわ」と。。私「そかそか」といって、可愛いブラウスは私も気に入って「お揃いしていい?」と聞くと娘「ママって本当に娘のこと好きなんだね!お揃いばかり買ってる」と笑っていたので「そだよー!ママは娘のこと大好きだよ。」と言うとめちゃくちゃ嬉しそうでした。
子育てってこういうものなのかな?少し前向きに捉えれるようになりました。少し私も成長ですね(笑)

<解説>

>娘も私の心の変化を感じてるのか?のびのびしているように思います。
娘の姿に、学校に対する辛さがないですね。

>昨日はしまむらで服を購入しました。
不登校解決段階4でしょう。

>今までこだわっていた?ブランドは卒業だそうです。そしてマネキンが着ていた物を選んで買っていたのに、今回は自分で服を組み合わせていました。黒、白にこだわっていた?色はブルーの短いジーンズとカラフルなTシャツに変化してました。
しっかりと自分発の意思を出しています。この自分発の意思を出すことが、不登校問題の解決にとても大切です。

>今どきの子どもだなー!娘「やっと白黒卒業したわ」と。
これはお母さまの理解の間違いです。娘の心が元気になってきた、自分発の意思を出し始めたという意味でしょう。

>。私「そかそか」と言って、可愛いブラウスは私も気に入って「お揃いしていい?」と聞く
このお母さまの対応は、極めて娘とお母さまとの間の心の距離を無くした、信頼できるようになったはずです。

>娘「ママって本当に娘のこと好きなんだね!お揃いばかり買ってる」と笑っていたので「そだよー!ママは娘のこと大好きだよ。」と言うとめちゃくちゃ嬉しそうでした。
母親と子供との関係はこの姿が良いです。子どもの目線と母親の目線が同じだと、子どもが感じられて、子どもが安心して、自分の感じ方を尊重して(自分を大切にしてと表現して良いと思います)成長をしてくれます。

>子育てってこういうものなのかな?少し前向きに捉えれるようになりました。少し私も成長ですね(笑)
本当に有り難うございます。

躾け

とても納得できる内容ですが、では不登校ではなく心のエネルギーがプラスの子供に、いわゆる躾や危険なことなどを教える際はどのようにすれば良いのでしょうか。
「◯◯をすると△△だから危ないんだよ、だからやめようね。分かった?」というのもダメなのでしょうか。
感情的にガミガミ叱り「分かったの!?」というのは確かに子供を追い詰めると思いますが、子育てをする上で「分かった?」を使わないのは難しいのではないでしょうか。
子供への躾や何かを教える際の、具体的な声がけ方法を教えていただきたいです。

<解説>

子供の心と大人の心と異なります。子供の心は経験不足ですが、基本的に大人の心と同じです。ただ違うところは、子どもは知識から、つまり意識的な行動ができないという、多くの大人にはとても信じられない事実です。それ故に子どもに知識だけ与えても、その知識からの行動ができないと言う、子ども特有の心の仕組みを大人は理解する必要があります。勿論知識を教えるのも悪くはないですが、それに加えて子どもに経験を繰り返すことで覚えさせる必要があります。

>とても納得できる内容ですが、では不登校ではなく心のエネルギーがプラスの子供に、いわゆる躾や危険なことなどを教える際はどのようにすれば良いのでしょうか。
例えば、小学校に入学時に道路は右側を歩きましょうとか、横断歩道を渡りましょう、と言うような知識を教えるだけでなく、子どもに道路を具体的に歩かせて、経験から覚えさせています。

>「◯◯をすると△△だから危ないんだよ、だからやめようね。分かった?」というのもダメなのでしょうか。
駄目ではないですが、それで子どもはその言葉通りに止めてくれません。危ないという経験を何回かさせることで、その言葉も、行動の仕方も覚えてくれます。最後の部分、分かった?は言葉を繰り返すことで、知識として覚えてくれますが、それが行動になりません。◯◯をすると△△だから危ないという経験を、子どもにどのようにさせるか、それがしつけになります。

例えば子どもがナイフを使って何か工作をしようとするときを考えてみて下さい。上記の記載を参考に考えてみて下さい。

>感情的にガミガミ叱り「分かったの!?」というのは確かに子供を追い詰めると思います
その通りです。心が元気な子どもでは、この分かったの?の部分を無視してくれるかも知れませんし、子どもによっては信頼されていない、否定されたと心が反応をしかねません。否定されたと心が反応をする子どもは、この言葉を言った大人に対して、怒りを、辛さを、感じるようになるかも知れません。言葉も言葉通りに記憶してくれないかも知れません。

>子育てをする上で「分かった?」を使わないのは難しいのではないでしょうか。
繰り返しますが、大人の知識の押しつけになります。それにより言葉を記憶するか、拒否反応を起こして無視をするのか、子供の心の状態、言う人と子どもとの関係などで異なってきます。それに知識だけを教えても、子どもはその知識から行動をできないと言うことを考えると、害はあっても益はないと推測されます。

>子供への躾や何かを教える際の、具体的な声がけ方法を教えていただきたいです。
声がけの仕方次第で子どもが知識として覚えてくれます。但し、実際の行動になると、経験しないとできるようにならないのです。それは声がけをしてくれた人と一緒に行動することで可能になります。行動をしなくても絵本や漫画、映像でも可能ではないかと思います。

不登校などの心が辛い子供にしつけは、子どものありのままを否定することになり、ますます子供の心を辛くして、子供の心の問題解決から遠のきます。

念のために動物としてのしつけの仕方=求める行動を習慣化させる方法をまとめておきます。
子供が求める行動をすると褒賞を与える(これが一番良く成されています)
子供が求める行動をしないと罰を与える(これが子どもがトラウマを学習する原因になります)
子供が求められていない行動をするとき罰を与える(これは子どもがトラウマを学習する原因になります)
子どもが求められていない行動をしないとき報償を与える(これは何もしないか、求められている行動をする場合になります)

高認試験

とても元気になった不登校の娘です。今朝リビングに高校認定試験のパンフレットと書きかけの願書や写真がありました。娘からラインで「願書送ってて」とラインがきました。「ママは受けなくていいからやらないよ!今日も楽しんで!」と返信すると「お願い!勉強したから受けたいの!」「願書やってくれないと楽しめない」等きて「それは大変!楽しめないのは困った」等返事してると最後「じゃ住民票だけもらってきて!これだけは本当にお願い!」「もうこういうのはいいから、娘はもうライン見ない!もらってきてね!頼んだからね」と、私はびっくりマークを返信しました。
明日から私は、仕事復帰します。この件に関しては知らんぷりをします!たぶん子ども達のことどころじゃないでしょうから。

<解説>

>今朝リビングに高校認定試験のパンフレットと書きかけの願書や写真がありました。友達と遊びに出かけた娘から「願書送ってて」とラインがきました。「ママは受けなくていいからやらないよ!今日も楽しんで!」と返信する
常識に反する母親の対応でしたが、不登校の子供の母親として、とても良い対応だったと思います。今までの母親からのMSGから推測して、このお嬢さんの元気さなら、送っても問題ないと思われますが、この母親の対応の方がよりお嬢さんの心に沿っていると推測されます。お嬢さんからの無意識な、母親へのテストの可能性も否定できません。

>「お願い!勉強したから受けたいの!」「願書やってくれないと楽しめない」等きて
お嬢さんの本心だったら、自分からする可能性の方が高いですから、テストの可能性を考えてしまいます。

>「それは大変!楽しめないのは困った」等返事してる
母親として、娘の言葉を否定しない、とても良い返信だと思います。共感と理解されます。

>最後「じゃ住民票だけもらってきて!これだけは本当にお願い!」「もうこういうのはいいから、娘はもうライン見ない!もらってきてね!頼んだからね」と、私はびっくりマークを返信しました。
娘の心のエネルギーと、母親を思う思いとが伝わってきます。

>明日から私は、仕事復帰します。この件に関しては知らんぷりをします!
上記の理由で住民票だけは貰ってきておいて、お嬢さんから要求が出るまで渡さないでいてください。

>たぶん子ども達のことどころじゃないでしょうから。
お嬢さんからの要求を100%、即座に、笑顔で叶える(この場合には若干学校関連という意味がありますから、拒否をしても良いのですが)、傾聴、など、今の御母様のお嬢さんを見ない、言わない、笑顔という観点から、良い対応だったと思います。

科学的に研究できない

I just wanna say that pretending good children must be the same in the world if the science doesn't have exception. And more, if the research is based on the science.

よい子という決まった概念はありません。子どもの親や子どもの周囲の大人が、その子どもの姿が良いこと判断したとき、その範囲で、その子どもは良いことなります。それ故に人により、文化により、よい子と判断される子どもの姿は異なります。科学的に研究することは不可能に近いと推測されます。

子供の心と大人の心と異なります。子供の心は大人の心に比べて経験不足という点で、大人の心から見たら未熟に判断されますが、子どもでもそれなりの訓練を受けた子どもは大人顔負けの能力を発揮します。子どもも自分の意思を言葉に表現できますが、その子どもの意思からの行動ができないと言う点が子供の心と大人の心と異なる点です。ですから、子どもはよい子を演じようとしてよい子の姿をするのではありません。何か辛いことから逃れようとしてよい子を演じる場合と、何か嬉しいことを求めようとしてよい子を演じる場合とがあります。

不登校などの心が辛い子供は、子供の心を辛くする学校や勉強などから逃げるために、過去の子供の経験から無意識によい子を演じます。心の辛さから逃げるためによい子を演じることは悪いことではありません。問題点は、親や子どもの周囲の大人が子どものよい子の姿にだけ注目して、子供の心が辛いと言うことに気づかないことです。その結果親や子どもの周囲の大人が、子供の辛い心を守ろうとしないという問題点があります。

不登校などの心が辛い子供が、子供の心を辛くする学校や勉強などから逃げきてたなら、その子供は普通の子どもに戻れます。何も問題を生じることはありません。ところが大人が子供の辛い心を守ろうとしなかったとき、その子どもは親や子どもの周囲の大人の前ではよい子を演じ続けて、大人に気づかれないような場所で、親や子どもの周囲の大人が問題だと考えてしまうような、問題行動をしてしまう、時にはそれが事件になってしまうと言う問題点があります。

There is no set concept of a good child. When a child's parents or adults around the child judge that the child's appearance is good, the child is good to that extent. Therefore, what children are judged to be good children differs depending on the human and culture. It is estimated that it is next to impossible to study it scientifically.

The mind of a child is different from the mind of an adult. A child's mind is less experienced than an adult's mind, and from an adult's point of view it is judged as immature. But if a child receives a certain amount of training, he or she can demonstrate abilities that rival adults. Children can also express their intentions in words, but the difference between a child's mind and an adult's is that they cannot act on their own will. Therefore, children do not pretend to be good children just because they are trying to be good unconciously from their experiences. There were times when a child act like a good boy or a good girl in order to escape from something painful.

Children who are struggling emotionally, such as refusing to go to school, unconsciously pretend to be a good child based on their past experiences as children, in order to escape from school and studies that are hard on their children. There's nothing wrong with pretending to be a good boy or girl in order to escape from the pain in your heart. The problem is that parents and the adults around the child only focus on the child's good behavior and do not realize that the child is in pain. As a result, the problem is that parents and adults around the child do not try to protect the child's painful feelings.

If a child who is having a difficult time, such as refusing to go to school, runs away from school or studies that make the child's heart hard, then that child can return to being a normal child. It won't cause any problems. However, when adults do not try to protect the child's painful feelings, the child continues to act like a good boy or girl in front of the parents and other adults around the child, and in places where the adults do not notice, the child continues to act like a good girl in front of the parents and other adults around the child. There is a problem in that children engage in problematic behavior that adults consider to be a problem, and sometimes it becomes an incident.

母性は本能

母親が罪悪感を感じたら、母性が働きだす可能性が強くなると私は思っていました。ブログでは、母親が子供に罪悪感を感じると母親の罪悪感がどうして子供を追い込むことになるんでしょうか?
母親は自分を責めることになるかもしれませんが、子供を守りたいと言うスイッチが入る場合があるのでは?と思います。
母親が自分自身を責めることは大変辛くなると思いますから、その母親の辛い姿を子供が見る時、子供が自分のせいで母親が苦しんでいると思って子供を辛くさせるという意味でしょうか?

<解説>

>母親が罪悪感を感じたら、母性が働きだす可能性が強くなると私は思っていました。
母性の存在を証明することはできません。ただし、母親が子どもを産み育てようとするのは、ほ乳類去通です。それ故に、人間の母親にも母性があると考えて良いでしょう。しかし母性という概念は経験的な物です。また、母性当該年かから子どもと母親との関係を理解することができます。
母性があるとしたら、それはほ乳類共通の本能ですから、情動の接近系にあります(あるはずです)。母親が罪悪感を感じたと言う母親の情動は回避系に機能をしています。情動の接近系と回避系は、経験的に相殺されます。つまり母親が罪悪感を感じているときとは、情動の接近系である母性が相殺されて発現して居ないときです。母性が機能をするには少なくとも情動の回避系がある状態では、相殺されて弱まっているか、無い状態になります。

>母親が子供に罪悪感を感じると母親の罪悪感がどうして子供を追い込むことになるんでしょうか?
経験的にですが、子どもは母親に依存をしています。母親の情動の影響をそのまま受けてしまいます。それは母親が罪悪感を感じるという情動の回避系にあると、子どもの情動も回避系に機能をしてしまいます。これは脳科学的な表現ですが、大人の言葉で説明するなら、母親が罪悪感を感じていると、子どもは自分が母親に罪悪感を感じさせた、自分が母親を苦しめていると反応をします。母親に辛い思いをさせた子ども自身を責めてしまいます。子供の心が辛くなって、子供の心が発展的に機能をしなくなります。

>母親は自分を責めることになるかもしれませんが、子供を守りたいと言うスイッチが入る場合があるのでは?と思います。
脳の仕組みから言って、このようなことはありません。

>母親が自分自身を責めることは大変辛くなると思いますから、その母親の辛い姿を子供が見る時、子供が自分のせいで母親が苦しんでいると思って子供を辛くさせるという意味でしょうか?
大人の言葉で言うなら、その通りです。

不登校分類2

Mr. or Mrs. K said,"I didn’t know well about her process to go back her school after few years though, before going back school, she looked like taking no shower was common action which is often happen for heart hurt children in Japan."

不登校には3種類があります。
小学校入学前から、子どもの集団を拒否している結果の不登校
学校内に子どもの恐怖になるような物がある場合の不登校
学校自体、学校という概念に恐怖を感じる不登校
です。
この女の子の場合、学校内に恐怖になる物があったのでしょう。それがなくなったことで、この女の子は学校に行かれるようになったと考えられます。

子どもは恐怖から逃げようとします。逃げられない時にはよい子を演じます。よい子を演じられないときには荒れたり問題行動をします。つまりこの文中の女の子は学校内に、この女の子特有の辛いことがあったので、学校に行かれなかったのだと思います。しかしその学校内の辛い物がなくなったから、女の子は学校に行かれるようになっています。但し、何かの理由で女の子がよい子を演じ始めて学校に行きだした可能性も考えておく必要があります。

There are 3 kinds of refusal of going to school.
1)Refusing to attend school as a result of rejecting groups of children even before entering elementary school
2)Refusal of school if there is something in the school that might frighten the child
3)Refusal from school due to fear of school itself and the concept of school

In this girl's case, there must have been something scary at school. With it gone, it is thought that this girl started going to school.

Acrions againt fear.
1)Children try to run away from fear. 
2)When you can't escape, you play the good boy or girl. 
3)When they are not able to act as good children, they become iritated and exhibit problematic behavior. 

I think that the girl in this sentence did not go to school because there had been something uniquely difficult for her at school. However, when the feariouo thing in the school has been removed, the girls is now able to go to school. However, it is also necessary to consider the possibility that for some reason the girl started acting like a good girl and started going to school.