shujyの雑記帳

キャリアも技術もお金もないけれど 家族と子どもたちを守るため 自分で道を切り開く主婦の記録を赤裸々に記したブログ

ペンタブレット買った話

今後パソコンでイラストを描いていくのに、

WACOMペンタブレットを買いました。

 

ワコム Intuos Comic 【旧モデル】ペン&タッチ マンガ・イラスト制作用モデル Mサイズ ブラック CTH-690/K1

https://www.amazon.co.jp/dp/B013SMITV8/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_ApaoCbDKP312F

 

しかし、今どきのペンタブレットって種類がたくさんあるんですね・・・

以前使っていたのが10年ほど前なので、

完全に浦島太郎状態です。

液タブという液晶画面付きのタブレットまであるのですね。

もはやiPadです。

そういえばiPadApple Pencilでイラスト描いているという方もいました。

イラスト描きがお仕事として確立できれば、

そういうことも試してみたいですね。

 

今はとにかく投資を抑えねばなりませんので、

液タブは諦めました。

 

 

選ぶのが一苦労でしたが、

こちらのブログが違いをわかりやすく説明してくれて、

ニーズに応じて選ぶことができました。

 

qubotan.com

 

お安く、いいものを買えました。

ありがとうございました♡

 

早速設定して、みなさま御用達のCLIP STUDIOでお絵かきしてみました。

 

が、なんだろう。

有線接続なのですが、ペンの動きと画面での動きが、

かなりずれます。

ペンを「サササッ」と動かそうものなら、

画面上のでは「..サッ、..サッ、..サッ」という感じで、

0.2秒位遅れてる感覚です。

ゆっくり書くと比較的大丈夫なのですが。

 

PCの処理能力の問題なのか、

ペンタブとPC間での意思疎通に時間がかかっている感じで、

お絵かきにはかなりストレスフルな状況です。

 

解消方法を調べてみることにします。

 

ではまた~

ウィークエンドシトロン レモンのパウンドケーキ

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地元産のレモンが安く売っていたので、

ウィークエンドシトロン

と呼ばれる、レモンのパウンドケーキを焼きました。

 

週末専用ケーキなのかしら。

 

すごい適当に作り方を書きます。

作るときは自己責任で★

 

【材料】

<ケーキ生地>

・無塩バター 100g

(ケーキ用マーガリンとかでもいい。安いから私はそれ)

・砂糖 80g

(グラニュー糖でも上白糖でも)

・アーモンドプードル 50g

(粉をアーモンドプードルと半々にするととてもしっとりして

すごくおいしい。無けりゃ薄力粉でもいい。

薄力粉に変える時は、薄力粉のタイミングで入れること★)

・卵 3個

(MかLどっちでもいい)

・レモンの皮すりおろし 1個分

・レモン汁 大さじ1

・薄力粉 50gとベーキングパウダー 2~3g予め混ぜとく

(強力粉はだめ。

ビニール袋に入れて思いっきり振るといい感じに混ざる)

 

 

<アイシング>

・粉砂糖 60~80g

(お好みで)

・レモン汁 大さじ1

・水 大さじ1/2~1

(ゆるさをみながら)

 

【作り方】

生地を上から順に泡立て器でむっちゃまぜる。

薄力粉をいれたらゴムベラでさっくり混ぜる。

ひっつかないように工夫した型に入れる。

160度に温めたオーブンで45分くらい焼く。

 

アイシングを作る。

硬さは水を少しづつ入れながら調節。

 

ケーキが冷めたらアイシングをかけて乾くまで放って置く。

 

おしまい。

 

一日ほど置くと全体が馴染んでいい感じになります。

ついその日のうちにつまみ食いしてしまいますが。

 

意外と簡単なので作ってみてね。

ではまた。

フリマアプリをはじめた

退職してさあ何をしよう

年末で1年勤めた法人を退職。

 

時間を切り売りする生活から脱し、

今から自分で好きなことをしてお金も時間も作っていくよ。

 

物販しよう

何はともあれまずは物販でしょ!

ということで、早速経験してみることに。

 

フリマアプリで有名な

メルカリ

https://www.mercari.com/jp/

 

ラクマ

fril.jp

 

に登録。

 

早速家で眠っていたシャープのジューサーを、

メルカリに出品してみたよ。

 

アプリをダウンロードし、登録。

写真をとって商品の説明を書き、相場を調べて出品するだけ!

メルカリの場合写真は4パターン掲載可能なので、

商品の型番や状態・全体像・付属品が分かる写真を

選んで掲載。

 

とても簡単。

今日はすでにいいねが5件ついて、

なんだか楽しい・・・(単純)

 

相場を調べるには、アプリ内で、出品したい商品の、

売り切れのみを検索し、金額をチェックするだけ。

 

オークファン

aucfan.com

というサイトも、

一括でヤフオクやアマゾン、

ラクマの相場を調べることができるので便利♪

 

送料込みと、送料別が選べますが、

フリマという性質上、送料込みの方が、

買う側も気楽に買えるようなので、

今回は送料込みで出品したよ。

 

送料については、商品の大きさによって金額がかわる。

メルカリは、郵便局と、ヤマト運輸と連携した、

 

「ゆうゆうメルカリ便」

https://www.mercari.com/jp/yuyu-mercari/

 

 

「らくらくメルカリ便」

https://www.mercari.com/jp/rakuraku-mercari/

 

という配送サービスをやってるよ。

どちらも匿名配送可能。

ゆうゆうメルカリ便は小さいサイズが175円~配送可でお得。

らくらくメルカリ便は様々なサイズに対応してくれて、

同じ大きさならなんと配送料全国一律。

集荷もしてくれるので(1件30円)、

今回みたいな家電などを販売したいときには

とてもありがたいサービス。

ジューサーはらくらくメルカリ便での

発送に設定したよ。

 

(ちなみに送料込みの値段にすると、送料にまで※手数料が

かかってくるので、少し損・・・だけど。

今回は売れやすさに重点を置いたのさ!)

 

※手数料:商品が売れるごとに、商品価格に対してかかる手数料。

メルカリは10%、ラクマは3.5%(2019.1.7現在)かかる。

メルカリ儲かってるネー

 

みなさんも、自宅に眠る不用品、

売ってみよう(*^^*)

 

ではまた~

人生は誰も皆・・・

一度きりさ!

シュージィです。

 

仮面ライダーゴーストの動画を見ていましたら氣志團さんから

冒頭のように言われました。

先日も同様の話を友人としたばかりだったので、

これは天からのメッセージだなと受け取っております。

 

さて、幼い3人兄弟を持つワーキングマザーなわたくしですが、

大学生の頃に初めて抱いた夢が実はまだ胸に潜んでおります。

 

それはパン屋さん。

 

30余年の人生を振り返ってみた

幼い頃から、私は「強制」「叱咤」「指導」といったものを

母からほとんど受けずに育った。

そのせいかどうかはさておき、プライドが無駄に高く、

外面は正義感が強く、真面目な学級委員長タイプだったが、

家では怠惰で手伝いも気が向いたときしかせず、宿題も後回し。

それから他人からの評価に過敏な、脆く崩れやすい自己肯定感の持ち主だった。

 

生まれ持った感受性の強さと父のピアノ指導により、

音楽や絵描きが好きな芸術家肌の小中学生時代だった。

それから動物が大好きで、人よりも動物に興味が強くて、

人の名前は忘れるのに、飼っているペットの名前は覚えているのだった。

 

そのくせ正義感の強さから、中学生の頃、福祉に興味を持ち始めた。

人に興味がないのに福祉だなんて、今から思えば無謀すぎる。

母から、福祉と動物が好きなら将来は盲導犬の訓練士になればどうかと言われ、

割と本気で調べたが、専門学校のようなところの厳しさに、

生ぬるい環境でぬくぬくと育った私がついていけるはずもないことは、

生ぬるい私でもすぐに気づいて早々に諦めた。

 

高校生になり、料理も家事も家計のこともほとんどわからぬまま

一人暮らしにぽーんとほりだされた私は、

見よう見まねもできぬまま、持ち前の脆く崩れやすい自己肯定感を、

危ういバランスで操りつつ、

なんとか自活を行ったのだった。

それが今でも私の生活の基礎になっているであろうことは言うまでもない。

 

そして絵を描くことと人に世話を焼くのが好きだった私は、

今度は美術の教員を目指し、美大受験を視野に絵画教室に通い始める。

しかしそこでも絵画教室の課題につまづき、

(「変なおじさん」と「茄子」とあとなにかの、モチーフを組み合わせて、

一つのデザインを作り上げるような内容だったと思う)

リタイヤ。

見学に行った美大を偏差値とかそういう問題以前に諦める。

その時に一つの挫折を味わうのだった。

「自分は何か一つのことをやり遂げることができない人間なのか」と。

 

その出来事を含め、他にも問題を抱えていた大学受験を控えた時期、

今までの人生でも3本の指に入るほどの暗黒期だった。

 

とても受験勉強ができるような精神状態ではなかった私を見かねて、

またもや母のすすめで、中学生の頃に興味のあった福祉の大学を受験する。

私立大学の推薦入試で科目も少なく、余裕の合格。

比較的偏差値の低い地方の公立大学も受験したが、

面接がだめすぎだった。

多額の学費と生活費をかけてもらって合格した私立の大学で福祉を学んだ。

 

なんとか社会福祉士に合格できた私は、

知り合いのツテで、大学卒業後開所したての障害者福祉事業所で、

オープニングスタッフとして働くこととなる。

 

その施設は、自然との共存、里山保全

カフェや竹炭を商材に、障害があってもお金を稼げる仕組みをつくる、

そんな感じの通所施設だった。

石窯を手作りして、そこでピザを焼いて利用者と一緒に売りたい。

そんな夢がある施設。

 

(余談だがその施設では利用者のことを「なかま」と呼んでいた。

知的障害者分野では、「なかま」と呼ぶことが多い。

サービス提供者・利用者という関係ではなく、

同じ志を持つ仲間として共に手を取り協力し合おうという

精神からきているのだったと思う)

 

しかし、福祉の大学を出たばかり、志と多少の知識しかない私は、

ケアプランすらまともに作れず。

一方で高いプライドが邪魔をして、

うまく施設を運営できない上層部の批判ばかりして、

結局自分をどう活かしていいのか分からず、

日々通勤が苦しくて苦しくて、半年でギブアップした。

 

何もやり遂げられなかった新卒までの私

ここまで見てきたら、

社会福祉士を取ったこと以外、何一つやり遂げていない私。

 

小中の成績は比較的良かった。

大人や周りの友だちからも、よくできると評価されていた。

生徒会活動とか、積極的にやるいわゆる学級委員長タイプだった。

学生時代のアルバイトでは、

人格者の上司のおかげで楽しく仕事もできていた。

 

見かけだけだと割と順風満帆ぽいのに、

高校生で一人になってからというもの、

一気に色んなことが上手く行かなかった。

一人では何もできない人間だった。

 

結局母に頼りきりだったのだ。

母は苦しいことを私から遠ざけてくれていたから。

それにすら気づいていない脳天気な子どもだった。

 

結婚から色んなことが変わる

退職して程なくしてから23歳で結婚して上京する。

周りはもっと早くに結婚して子持ちバツイチか、結婚してない、

という友だちばかり。

 

親から離れて、他人と生活する。

 

結婚後、朝から夜まで結構バリバリ働いていた私だが、

不思議と一人暮らしの時に憂鬱だった家事が嫌いではなくなった。

初めて自分の足で立って生活している感覚だった。

新卒時代までに感じていた、体にまとわりつくような、

胸に重くのしかかるような、

なんとも言えない気怠いしんどさが無くなった。

 

結婚後の仕事はといえば、派遣社員として、

全く畑違いのコールセンターでオペレーターをする。

給料も良いし、たまたま採用してもらったので通勤に1時間位かかったけど、

いい人に恵まれて楽しく通っていた。

その後、リーダーに登用してもらい、お給料も上がって、

初めてまともに仕事をしているような気になっていた。

 

とはいえ与えられた仕事をきれいにこなすだけだったから、

私はその程度しかできないのだろうな、

と自分でうすうす感じていたし、その程度でいいやと思っていた。

正社員みたいに、責任持たされたらとても背負える自信がなかった。

 

子どもができる

26歳で長男が生まれる。

生まれて割とすぐにアレルギーでアトピーで、

親元離れての子育てで、母子ともに情緒不安定だった。

夫が自営業で比較的時間の融通がきき、

また協力的だったことが救いで、

私は夫にとことん頼ることで、そこまで追い込まれることもなく、

子どもが2歳になるまで東京で過ごした。

 

夫がサラリーマンになるというので、

ついでに自分の実家のある和歌山に引っ越してもらうことにした。

子育てには祖父母が近くにいる方がいいと思ったからだ。

 

そこから子どものアトピーが悪化。

環境の変化によるストレスもあったのだろう。

自宅がマンションの5階まで階段というのも、

体力のない私達親子にはなかなかハードだった。

 

アトピーが悪化してからというもの、

私の生活の中心はアトピーとの戦いのようだった。

 

それまで考えていた生き方とか仕事観とかそういうのはどこかに飛んでいって、

頭の中は子育てとアトピーでいっぱいだった。

 

長男が5歳の時に、次男が生まれ、その後1年半ほどで長女が生まれた。

次男が生まれる前に一軒家に引っ越し、

5階までの階段からはおさらばしていた。

 

賑やかになった我が家。

 

私が一皮剥けた出来事、トンデモ施設長と理事長との闘い

少し話は戻って次男が生まれたあと。

出産前に働いていた医大病院を辞め、

(私は本当に仕事が定まらないな)

またもや障害福祉事業所で働くことになる。

ただし、現場じゃなくて事務員として。

小さい子どもを抱えていると、ある程度融通のきく事務職はありがたいのだ。

人材不足の福祉業界でヘルパーなんぞやろうものなら、

子どもが熱出してもとても休めたものではない。

 

かなりのんびりと仕事をさせてもらってたわけだが、

そこで私の人生に一つの変化を与える出来事が起こる。

とんでもない施設長との出会いだ。

ちなみに良くない方のとんでもなさだ。

 

女性施設長だったが、利用者を金としてみているフシがあり、

金になる利用者を極端にえこひいきするので、

一部のヘルパーからはかなり軽蔑されていた。

また利用者の家族からの苦情があったときなど、

自己保身に走り、ヘルパーを売るような発言を度々しており、

もはや労使間の信頼関係はゼロ、あちらこちらで密談が繰り広げられ、

嘘も真もすべて悪い方向に行き、互いが互いの敵味方づくりに終始して、

人間関係はめちゃくちゃ。

利用者第一なんてまず無理な環境だった。

私は幾度となく施設長とぶつかったが、

建設的な話はほとんどできなかった。

なぜなら、私が利用者や施設のために目的を設定してなにか提案をしても、

彼女は自分のためになるかどうかでしか判断ができないからだ。

 

そんな中、とある事件がきっかけで、女性施設長が解任される。

 

後任の男性施設長は、良く言えば良心の持ち主だが、

行動力に欠けており、覇気がなくて、

とてもぐちゃぐちゃな施設を立て直せるような人材には思えなかった。

けど、良心はあった。

私はそこにかけて、施設の立て直し計画を具申した。

ヘルパーの自意識の改善。研修・評価制度の実施。

施設の目的を明確化して、そこに全員が向かっていける環境をつくることで、

どうでもいい人間関係のことを考える時間を、

利用者のために使ってもらえるんじゃないかと思った。

 

施設長は私の考えに理解を示し、

私の作った提案書を理事長にも渡して話を通してくれた。

 

しかし、計画実施途中で、評価されることで従業員の不満や不信を招く、

と判断した事務方に理事長を動かされ、頓挫してしまう。

理事長も交えての会議では「やり方がまずかった」という理由により、

私の計画はなかったことになる。

ブチ切れた私は、理事長に引導を渡し施設を去ったのだった。

 

自分でちゃんとやりたい

この出来事があって1ヶ月半後、私は今の職場に転職。

今度は社会保険労務士事務所。

またもや全く別畑。

組織運営で最も重要な人を上手く動かすために、

どうしたらいいかを考えていたら、

色んな会社の人事を垣間見れる仕事もいいかなってふと思い、

ハローワークで目に止まった求人に応募したら採用してもらうことができた。

 

それと同時に、自分でなにかできる仕事がほしいと思い、

行政書士も資格取得に向けて勉強を始めることにした。

 

パン屋はいずこ?

さて、一通り直近までの人生振り返ってみたところですが、

ここまで来て、パン屋が一切出てきませんでしたね。

 

私がパンづくりに目覚めたのは、

大学4年生のころ。

 

石窯でピザを焼いて売ろうという例の施設に就職する前に、

事前研修のような形で、パンを焼くことをある方に教えてもらいます。

とても素敵な年上の女性で、

その方とは今でもお付き合いがありますが、

その方に石神こだま酵母を使った優しいパンのレシピをいただき、

はじめて自分でパンを捏ねて焼いたことがきっかけで、

パンを作る喜びを知ります

 

ロールパンに始まり、メロンパン、惣菜パン、

ホームベーカリーを買って食パン、ハード系のパン、

ピザ、ベーグル、上手く焼けなかったけどフランスパンや、

カンパーニュなどのリーン系のパンにも挑戦しました。

 

けど、なかなかパン屋さんで働く、というところまで行けなかった私。

なぜならパン屋さんは朝が早いから!

子どもができた後は特に、パン屋さんで働くことに憧れながらも、

勤務時間との折り合いがつかず、

横目に見つつ通り過ぎるばかりでした。

 

尊敬できる人思いを共有できる人と働きたい

少しパンから話が逸れます。

前職での上層部とのバトル以降、

自覚的に、上司への見る目が厳しくなったと感じています。

私は器用ではないし、頭の回転も早くはありませんが、

仕事は真面目にやりますし、一生懸命です。

目的意識は人一倍強く、そこに向かうための道筋をつけて、

自分や周りの仕事をコントロールすることも、多少はできると自負しているのです。

するとだんだん、自分の尊敬する人、目的意識を共有できる人と一緒に仕事したい!

という気持ちがとても強くなっている事に気づきました。

前職の経験から、一従業員として働くだけではなく、

組織運営的な視点を常に持ってしまう癖もつきました。

 

環境を活かすも殺すも自分次第ですが、

短い人生ですから、環境を活かす労力をつかうより、

手っ取り早く自分を活かす環境に身をおいてそこで力を使うことも、

同時に考えることが必要になるのではないでしょうか。

 

一度きりの人生、

尊敬できない人のために精神も時間も体力も削って、

家族との時間を惜しんで仕事するなんてなんだか哀しいと思うのです。

 

それなら、尊敬できる人や、思いを共有できる人たちと共に、

苦しくても自分のやりたいことをやってみる、

チャレンジしてみたいのです。

 

パン屋さんならそれができる

好きなことを仕事にすると辛くなる、という人がいます。

もしかしたらそうかも知れません。

仕事は楽しいことだけじゃなく、苦しくて大変なこともたくさんだから、

好きだったことすらもしかしたら嫌いになってしまうかもしれません。

 

けど、好きなことを好きなまま仕事にしている人もたくさんいます。

 

私はそんな人のそばで仕事をしたい。

 

パンを焼くのが好きで、

自分の焼いたパンを誰かが幸せそうに食べてくれるのをみたい。

 

それが私の幸せな人生の姿なのかなと想ったのです。

 

その想いってすごく純粋で、

実際お店を経営してみたらそんなことだけじゃ立ち行かないのだけれど、

でも根っこにその純粋な想いがないと、

やっぱり上手くいかないのじゃないでしょうか。

 

色んなお仕事、福祉や美術の先生、コールセンターや、事務員、行政書士

どれも立派な職業ですが、私の動機は、

「人々の幸せを実現したい」

「絵を描くのが好きだから」

「お給料がいいから」

「子育てに都合がいいから」

「家で仕事がしたいから」

前半は具体性がなくて、後半は自分の都合・待遇メインの職業探しです。

 

それが駄目だとはもちろん思いません。

それぞれの人生でよりよい方法で、人生を満たせばいいのですから。

 

けど、私はやっぱり夢を諦めきれないのです。

厳しい世界を知ったらまた前みたいに諦めたくなったり、

逃げ出したくなるかもしれない。。。けど、

やる前に諦めたくはないのです。

 

パン屋さんにきっとなる。

 

そう心に決めて、今を生きていこうと決意したのです。

 

早朝の静かな決意表明。

 

それではまた。

長くて短い夜

かゆみってこの世に必要ないんじゃないかと

本気で思うシュージィですこんばんは。

 

 

3人の子どもが全員食物アレルギーで、

(しかもそれぞれ内容がちょっとずつ違う…)

長男はアトピー 、次男もアトピー なりつつある、

そんな私はついつい上記のように思ってしまうわけです。

 

かゆみ、って。

皮膚の異物を除去するために必要な機能らしいですが、

夜寝られないほどのかゆみを発生させる必要はなくないですかと、

声を大にして言いたい。

身体の中の偉い人に。

 

暑いーって起き出した後、かゆがり始めた次男を、

クリーム塗ってさすりながら、そんなこと考えます。

アトピー との付き合いも7年以上になりますが、

未だにかゆみには参ってしまう夜も多いです。

 

痒かったり、おっぱい欲しがったり、

なんだかわからないけど泣き始める人たちがいる夜は、

イベント盛りだくさんで長いような、

かゆみが収まって(もしくは私がかゆみとの闘いを諦めて)

眠ってしまえばあっという間の、

そういう夜です。

 

とりとめないですが、

今日はこの辺で。

 

おやすみなさい!

辛い時ほど幸せを探すのです

見事にウイルス性胃腸炎が蔓延している我が家、

ついに私もダンナサンも倒れました…

 

シュージィですこんばんは。

 

今朝発症して、やっと症状は落ち着いて来ましたが、

やっぱり辛い胃腸炎…。

吐くものない時の吐き気って、殺意を感じます。

我が脳からの。

 

立ち上がることすらできないくらい今回のはキツかったんですが、

そんな中でも、私が思ってたのは、

「最近増えてた体重が落ちるわぁ〜♡」

でした。

 

いや、病気を舐めているわけではないのですが。

でも辛い時ほど、その中にプラスを見出せるかどうかって、

そのことに対する向き合い方が大きく変わってきます。

 

私は精神力がかなり軟弱なので、

お客さんに怒られたり、ちょっと厄介な案件があったりすると、

かなり凹んで長時間引きずってしまったり、

重く受け止めがちなんですが。

 

そういう時に、

「怒られたけど、ま、こんなことくらいで怒ってくる相手も器ちっちゃいよね!

こんな社長には先はないな。人生勉強できたねっ」

と自分を励ましたり、

難しい案件も自分の力で調べて解決の糸口を探しながら、

「わー今私頑張ってるわー」

と褒めてやったりするわけです。

 

ここで、自分を苦しめてる相手を、

腸炎め…性悪なお客さんめ…難しい仕事め…

と憎んでばかりいると、

どんどん自分が不幸になっていきます。

体感的に。

 

なので、プラスを(半ば無理矢理でも)見つけ出せれば、

それはきっと未来の自分の糧になっていきます。

 

もっと辛い人もいるって考えてやり過ごす、

っていうのもあるみたいですが、

問題の大小と、本人の感じ方の大小は、

必ずしも比例しないわけです。

 

恋人と別れてもケロっとしてる人もいれば、

ケンカしただけで沈み込んじゃう人もいる。

 

私は、それぞれの物差しで「辛い」は決めていいと思います。

その中で、「辛い」とどう向き合うかを、

自分自身で選ぶことが、

人生の醍醐味のひとつであるような気がします。

 

 

病気になると気づく健康のありがたみ…

みなさまもお気をつけくださいね。

 

ではまた。

 

ならば自分でやるしかない

今週日曜日から、末っ子が嘔吐下痢、その次長男が高熱、

そして今日は次男が嘔吐下痢で、

死んだ魚の目をしておりますシュージィです、こんばんは。

 

そんな中ですが、昨日の続きです。

 

「人生をコントロールする」

 

とは言ったものの、具体的にどうしたらいいのだろうか…

 

巷では働き方改革って言葉が、叫ばれてますが、

(戦隊モノとEテレ以外テレビをほとんど見ない私にも聞こえてくるくらい)

実際在宅ワークも取り入れる企業は増えているようで、

私の職場も、在宅勤務のパートさんがいたりしてました。

 

しかし遠慮しぃでチキンでわたくし、

なかなか人様の会社で他の社員さん以上に、

働き方に注文をつけてまで働きたいとは思えない性分です。

 

そこまでしてもらえるほどの人材じゃない、って想いも、

どこかにあるのかも。

 

家でやってても、現状、

会社のPCデータにアクセスできるわけじゃないから、

在宅ワークにも限界がありそうです。

 

じゃ、どうしようか?

自分で仕事創り出して、

自分の責任で希望する働き方をするしかないんじゃないか、

って結論に至ったのですよね。

 

ダブルインカムとはいえ、今の収入のままじゃ将来大赤字だし。

じゃ、ゆくゆく正社員になるかっていうと、

拘束時間の割に、私のキャリアじゃあまり増収は見込めない…。

 

普通のやり方じゃ、ジリ貧になっちゃう。

 

そんなわけで、

将来の起業を見据え行動を起こすことに決めたのです。

 

なかなか前置きが長くなっておりますが、

本日はこの辺で。

 

日々邁進!