14の質問で”東京医大問題”に対する立場を決める

ここ最近全然ブログを書いてなかったんですが、自分が将来関連していく分野に関する大きな話題が出てきたので少し整理しつつ、自分の考えを書いてみようと思う。

東京医大の入試にて女子学生の一次試験の点数に女子の合格者数を調節する目的で得点調整が行われていた可能性がある、というニュースですが、みなさんこの問題に対してどういう立場でしょうか?

この問題に関して語る、あるいは何か有効な対策を打ち出すというのは非常に難しいというのが正直な感想です。

現在の日本の医療を取り巻く環境は微妙なバランスの上にギリギリ成り立っている状態でもあるので、どこか1つ制度を変えてしまうと思っているよりも大きな影響が出てしまうんですね。どの制度を変えても、それが崩れかかっているジェンガを支える最後のピースである可能性もあるわけです。

また、今回の件に関して単なる男女差別問題ではなく、医師の労働問題、今後の社会保障をどうしていくのかといった多岐にわたる議論が必要となります。

そして、今回多くの方がtwitterなどでワーワーと話している様を見て思ったのですが、医療という社会保障に対する意見を決定する上で個々人の根底にある思想(あるいは信念)の違いによりいくら話しても平行線のままということが多いと思います。

では、どのような信念が本件に対するスタンスの違いを生み出しているのでしょうか。それを抽出してみましょう。

1. 医師がブルーカラーかホワイトカラーか?

2. 医師の資質として頭の良さ(入試での得点)がどの程度必要か?(学力以外の重要なパラメータを認めるか)

3. 社会を構成していく上で自由競争に全てを委ねられるか、ある程度のデザインが必要だと思うか?

4. 男性と女性が完全に平等であるべきか?それとも性差は前提とするべきか?

5. 性差があることを前提とするならばそれを社会設計に盛り込むべきか?(性差に応じた役割に肯定的か否定的か)

6. 医学部に特殊性を認めるか?(社会福祉を担う職業訓練校と見るか、大学の1学部と見るか?)

7. 医師になる者を選抜する上で、将来のパフォーマンスの期待値を現在の属性から判断することに賛成か反対か?

8. それらの属性の中に自分で変えられない項目を含めてよいか?(性別、年齢、出身地、家庭環境など)

9. 与えられた構造の中での最適化を目指す際に一般的な悪手を取ることが認められるか?

10. 公平性と医療を維持すること、どちらに重きをおくか?

11. 現在の医師の労働環境を改善していく際に理想的な方法を探すか、枠組みの中での最適化を目指すか?

12. 政府が労働環境を改善するための政策を実施できるか?またそれを現在の日本社会が受け入れることができるのか?

13. 医師の労働環境を改善することと引き換えに何を捨てることができるか?(医療の質(治療方法の制限)、受診時間の制限、過疎地での医療(集約化)、社会保障費に関連した税金の値上げ)

14. 今の医療の質を保ちたいか、それより公平性を維持したいか?

 徒然と書き出していったはよいものの、思いの外考えなければならない要素が多いですね。そもそも非医療従事者や医学部の学生でなければ見えない要素も多いので、これは一人一人が話している論点もずれるし、話が噛み合わないし、いろんな意見の人が出てくるのも頷けますね。(もちろん、僕もまだ学生に過ぎないので見えていない要素も多々あると思います)

 

しかし、これらの要素が見えていなければ医学部入試において男女で差をつけることとと医師の労働環境の問題がどのように繋がっているのか理解することは難しいと思います。

ちなみに上記の項目に対し、僕は次のように考えますが、皆さんはどんな意見を持っているでしょうか?

1. 医師がブルーカラーかホワイトカラーか?

→ブルーカラー寄り

2. 医師の資質として頭の良さ(入試での得点)がどの程度必要か?

→それほど必要ではない。経験を積むことで合格点の仕事はそれほど賢くなくてもできるようになる

3. 社会を構成していく上で自由競争に全てを委ねられるか、ある程度のデザインが必要だと思うか?

→社会のコアにおいては必要だと思う。福祉も当然ある程度のデザインは必要。

4. 男性と女性が完全に平等であるべきか?それとも性差は前提とするべきか?

→性差があることは前提として方がよい

5. 性差があることを前提とするならばそれを社会設計に盛り込むべきか?(性差に応じた役割に肯定的か否定的か)

→性差を前提としてデザインした社会の方が男女ともに幸せになれると思う

6. 医学部に特殊性を認めるか?(社会福祉を担う職業訓練校と見るか、大学の1学部と見るか?)

→医学部に入学した者の中からしか医師になる人が出てこない以上、職業訓練校としての役割を担っている。一般的な大学の話とは分けて考えるべき。

7. 医師になる者を選抜する上で、将来のパフォーマンスの期待値を現在の属性から判断することに賛成か反対か?

→賛成。そこまで賢い必要はないものの、最低限受験勉強を乗り越えられる程度の継続性と能力は有している必要がある

8. それらの属性の中に自分で変えられない項目を含めてよいか?(性別、年齢、出身地、家庭環境など)

→医者になってからの勤労年数や地域に残ってくれるかの期待値を評価に盛り込むことは認められるべきだと思う。これは医学部に入学した者以外から医師を供給することができないため。年齢が高いほど勤労年数は少なくなるし、地元でなければその地域に貢献してくれる可能性は低くなる。同様に出産があること、一定数以上は出産を機に仕事を離れるので女性の医師の勤労年数が男性に比べて短くなりがちなことは評価に影響してもよいと思う

9. 与えられた構造の中での最適化を目指す際に一般的な悪手を取ることが認められるか?

→政策として何らかの改善が期待されない以上、現状の中での最適化を目指すことがベストだと思う

10. 公平性と医療を維持すること、どちらに重きをおくか?

→医療を維持すること

11. 現在の医師の労働環境を改善していく際に理想的な方法を探すか、枠組みの中での最適化を目指すか?

→現状では枠組みの中での最適化をせざるを得ないと思う

12. 政府が労働環境を改善するための政策を実施できるか?またそれを現在の日本社会が受け入れることができるのか?

→政策が実施されるとは考えにくいし、仮にその議論が進んでも現在の社会には到底受け入れられないと思う

13. 医師の労働環境を改善することと引き換えに何を捨てることができるか?(医療の質(治療方法の制限)、受診時間の制限、過疎地での医療(集約化)、社会保障費に関連した税金の値上げ)

→医療の質に関しては制限を設けてもいいと思う。

14. 今の医療の質を保ちたいか、それより公平性を維持したいか?

→医療の質は保ちたい

 

日々歩きながら、「なぜ僕は巡礼しているのか」について考えてみた。

こんにちは、Shunです。

今日はポルトガルとスペインの国境を越えて、再びスペインへと戻って来ました。そうです。ポルトガルからも記事の更新を狙っていたのに、更新することなくスペインへと戻って来てしまいました。

国境を越えた日であれば、ぎりぎりポルトガル感も醸し出せるかと思って書いています。

 

毎日朝起きては、夕方くらいまでひたすら歩いてる日々を送っている巡礼中の僕ですが、歩いている間は基本的にすることがありません。景色を見る、写真を撮る、迷わないようにちゃんと目印を探す、くらいでしょうか。なので、余裕があるときは色々と考え事をしながら歩いたりしています。

なんとなく巡礼に来たのですが、なぜ1ヶ月自由にどこでも行ける時間を与えられて、毎日ひたすら歩くなんて地味なことをしているのか考えてみたのですが、最近考えがまとまりつつあります。

 

きっと、刻みたかったんですよね、この1年を。

 

2016年度は振り返ってみると、割と大きな出来事が起こった年でした。まずは、休学したこともそうですし、サウスピークでのインターンに採用され、約1年間フィリピンで暮らしたことも想いもよらぬことでした。その中ではいい思い出もあれば、もう経験したく無いような思いをしたこともありましたが、今となっては全てひっくるめて、フィリピンの生活は自分にとって大事な一部となりました。

休学して、インターンをすることで、正直何を得ることができるのかそこまではっきりはしていないけど、なんとなくしたらいい気がする、という状態ではあったものの、何かしらを掴むために動き出してみた、大事な年でもあります。

 

他にも今年は得たものと失ったものがありました。まずはフィリピンで好きな人を見つけました。と言っても、日本人ではありますが。これも思いもよらなかったことの1つです。そして、今年は僕にとって1番の親友、昔から僕のことを知っているという点においてもう得難い親友が亡くなった年でもありました。

親友が亡くなったことに関しては正直、まだちゃんとは受け止められていない気がしています。仲は非常によかったものの、頻繁に連絡を取り合う感じではなく、半年に1回ほどふとした時に会うような間柄だったので、亡くなった後でも、また前みたいにどこかで会えるような気がしてしまっているというか、あまり実感が湧いていません。

それはきっとセブにいて、実際に彼が亡くなった時や、葬儀などに参加していないことも関係あるとは思います。セブに来る前から彼は闘病中で、セブへの出発直前に彼の病院にも寄ってから来たので、もしかしたら僕がセブにいる間に亡くなってしまう可能性もあるかもしれない、とはその時にも思ってはいたのですが、病気について調べてみるとなんとなく状況が分かってしまうのは医学生としての宿命というか、そういう仕事ではあるのですが、やや切ないことではありました。

今でも彼から最初に連絡を受けた時のことは思い出されます。病気であることがわかった旨を彼から電話で伝えられた後、彼が亡くなるまで自分は精一杯彼と向き合うことができたのかな、とか、彼が不安でどうしようもない時、プライドが高くて普段は人に助けを求めることをできるだけ避けようとする彼が助けを求めて来た時、果たして力になれたのかな、など、今でも心の中にモヤモヤとしたものが残ってはいます。

 

そういった、僕にとって大事なことが起こった1年を忘れたくなかったから、刻むために、何か苦しいこと、忘れないことをしたいなと思ったのだと、気づいてきました。

こういう忘れたくないことも時間が経つと少しずつ記憶が色あせていってしまうのが、人間なので、しょうがないことではあるのですが、自分の人生の中でより色濃く刻むための巡礼なのでしょう。

忘れたくないことを刻むためにタトゥを入れる人もいますが、感覚的にはそれに近いかもしれません。日本人の僕はタトゥを入れると様々な生きづらさを受け入れなければいけないので、代わりに行動で刻んでいるわけです。

 

他には、大事なのは「選択」と「集中」で、薄く色々なところを飛び回って旅行するよりはしっかりと1ヶ月同じ地域を歩く速度で見て行った方が得るものが大きい、とフィリピンに1年暮らした後では思うようになっていたという理由もあったりしますが、こちらはまぁ後付けみたいなものですね。

 

...なんていうことを、歩きながら考えたりしています。

時間があると色々考えますからね。ギリシアの哲学者とかもきっと暇で暇でしょうがないから色々と世界について考えたりしていたのでしょうね。笑

 

では、巡礼も残り少なくなって来ましたが、楽しみつつ、自分にとって大切な時間にしていこうと思います。

巡礼しながら、巡礼の記録も書こうと思っていたのですが、それに関しては帰ってからになってしまいそうですが、そちらも時間を見つけて書いていこうと思います。

 

サウスピークインターン終了。そして新たな場所へ。

こんにちは、Shunです。

先週サウスピークのインターンを終了し、今はマドリードからこの文章を書いています。

 

 

この文章を書きたいがために、この記事を書いたと言っても過言ではないので、ほぼ90%ほど僕はこの時点で満足していますが、さすがに久しぶりの更新がこれだけで終わるわけにはいかないのでもう少しちゃんと書きましょう。

 

サウスピークのインターンですが、そんなに長い感じは生活している中では感じなかったのですが、なんとセブに11ヶ月もいました。長いですね。笑

 

所々で他の国に行ったり、フィリピンの国内旅行もしたりしていたので、うまい具合に常にフレッシュな気持ちで働けていた気がします。

 

サウスピークのインターンを通して得たものに関しては、後ほどサウスピークのウェブサイトに渾身の記事を投稿するので、そちらを見てください。

 

この記事では、サウスピークの後のことについて書こうと思います。

なぜ、僕が今マドリードにいるのか。

それはスペイン巡礼の旅に出かけるためです。

僕の好きな作家であるパウロコエーリョもかつて行ったスペイン巡礼。

今回はポルトガルのリスボンからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで約600kmの道のりを徒歩で巡ります...

おっと、次の飛行機のアナウンスが来たようです。というわけで、この記事の目的は果たしましたし、続きはまた今度。

レアカードになるための休学とWELQ

こんにちは。サウスピークインターンのShunです。

最近はサウスピークでもレストランの紹介などを始めたので、そちらで忙しくなったり、たまたま行ったレストランの食べ物にあたり臥せったりしていました。

↑先日書いた記事です。ここのウニは本当に美味しいです。

最近はついに12月にも入り、日本はますます寒くなってきたのではないでしょうか。そんな中、日本中を暖めようと孤軍奮闘している会社がありますね。

そうです、WELQです。

いやー、よく燃えますね。実に暖かい。

...とは言うものの、これだけ燃えるのは仕方がないと思いますね。

まだ、学生の立場ではあるものの来年から病院実習に出るのでその中で患者さんから「肩こりがひどいんですけど、これは霊のせいでしょうか?」とか「私、どうやら餃子の王将アレルギーみたいなのですが。」とか言われたら、めちゃくちゃ迷惑ですからね。

ただでさえ忙しい現場の医者の仕事をさらに増やさないでくれよ、というのもありますが、テキトーな医療情報とか書かれると健康被害を増幅することもあるので、本当にやめてもらいたいです。

One more thing.

僕は今年、サウスピークのウェブマーケティングインターンとして働いていますが、その仕事の内容はといえばSEO対策が本業です。

ええ、まさにWELQがやっていた分野とがっぷり四つなんです。日々、SEOのことを考えながら頭を使って記事を捻り出していることもあり、他人の記事をコピーしてきてテキトーに変えて記事を量産しているとかかなりイライラとくるポイントではありますね。

と、まぁ、ここまでで僕の個人的な苛立ちであったり恨みつらみは吐き出したのですが、この件、意外と僕の人生においても役立ちました。と、いうのも、この件をきっかけにして”ああ、僕が休学したことは正しい方向の行動だったんだなぁ”と思うに至ったんです。

僕が医学部を休学して、サウスピークでインターンしていることを知ると7割以上の人が質問してくることがあります。それは...

「なんでそんなことしているんですか?」

です。

まぁ、分からなくもない最もな質問ですよね。

その質問に対して僕は次のように考えていました。

「日本の医学生は視野が狭すぎる。入学したら次の目標は6年間で卒業することになってしまう。このまま自分が卒業したら、卒業後は医療関係の人以外と関わる時間はますます少なくなるし、業界の物の見方に囚われてしまうだろう。その前に他の業界や、世界がどのようなものなのか見てみたい。医者とは違う経験をしてみたい。

そもそも海外を見てみると、大学入学後に1年間自主的に休むギャップイヤーで世界を見る機会もあることが羨ましかった。僕は今年の1年間休学することで自主的にギャップイヤーを作っている。

あとは英語をもっと上手くなりたいのも休学した理由だった。僕は6年生の時にイギリスの病院での臨床実習に参加したいが、そのためにはIELTsの点数で非常に高いスコアが必要になる。春休みに5週間サウスピークに留学して思ったが、このままではそのスコアに届かない。だから、1年間休学しながら英語を勉強して留学に必要な英語力を獲得しよう。」

このように、僕も自分の中ではそれなりに理由があったりはするのですが、微妙に自分の感じている感覚と説明する内容が噛み合っていないなぁと思ったりしていました。

この説明を聞いた人も「ふーん、そういうもんか。よう分からんわ」という感じです。

そうして過ごしていたのですが、最近次の記事を読みました。

この講義の概要をざっくりと説明すると、「ある分野では1万時間くらい時間をかけると100人に1人くらいの存在になれる。さらにそこから自分の価値を高めるには1万人に1人くらいの存在になれなければならないが、同じことを継続し続けることで1万人に1人の立場までなることは非常に難しい。なぜなら、そのためには9999人を倒さねばならないから。しかし、ここで違う分野に移り1万時間の努力をするとその分野でも100人に1人の存在になれる。複数の分野で価値を生むことで、それぞれの分野においては100人に1人かもしれないが、100×100=10,000と結果として1万人に1人の存在になり、価値を高めることができる。複数の分野の共通項としての自分の立場を確立することはまさに自分の価値を高めることであり、自分にしかできないことを見つける(=レアカードになる)ことである。」というお話です。

これを読んで、正直少し僕は感動しました。

話の内容が素晴らしいからではなく、自分がしていたことがまさにこれだと気付いたからです。笑 

まず、僕の専門は医学です。
この分野においてはまだまだですが、これから努力を続けることで100人に1人くらいの存在にはなれると信じています。

次に僕が得意なことは英語ですね。
自分の能力の実感値としては、自分くらいの英語力が業務で英語を使うのであればギリギリ使い物になるかどうかの分水嶺くらいかな、と思うのが正直なところですが、一般的に日本の中ではかなり英語が得意な部類に入ります。

そして、今回の休学期間中のサウスピークのインターンを通して、他人に物事を説明する、記事を書く、SEO対策をするという分野に足を突っ込んでいます。これらの分野もまだまだではありますが、文章を書くのは好きですし、僕自身の記録フェチみたいな個人の嗜好も相まって面白さを感じているのでこれからも続けていけたらいいなと思っています。人間は所詮忘れる動物ですからね。

 この藤原さんの講義録を読んで、自分は直感的に3本目の足(3つ目の専門領域)を出そう、出さなければいけない、となんとなく感じていたのだなぁと思いました。

いやー、結構悩みはしましたが、直感に従ってテキトーに下した決断でしたが、こうなってくるとよかったなぁと思います。やっぱ、直感は偉大ですね。今までも最終的な決断は直感に任せればいいと思っていましたが、さらにその信念とでも呼べる考え方が強化されました。どこかでそれのツケを払うときが来ないように、慎重に考えつつも直感を大事にしていきたいです。

なんてことを思っていた時に飛び込んできたのが、WELQの大・大・大炎上ですね。

jp.techcrunch.com

一般的に、情報が発信できることは大事だよなぁ、と考えていたのですが、WELQの件を見て、将来的に今年自分が踏み出した方向はもしかしたらすごく価値を持つことになるかもしれない、と思ったりもしました。

きっと今後は医者が情報発信することの価値がもっともっと高まっていくようになり、みんなが正しい情報にアクセスでき、質の悪い情報によって振り回されることがずっと減る世の中にいいなぁ、なんて考えたりもしました。

色々と書いてきましたが、今日言いたいことは1つです。

自分の休学にちゃんとした意味づけができて嬉しい!

自分のしたことに後から意味付けるって生きていく中でめちゃくちゃ大事ですよね。

では、今日はこの辺りで。

ばおばお〜。(最近フィリピンで流行っている別れの挨拶)

良いコンテンツは次の物語を生む

最近僕の中で話題沸騰中の動画が1つあります。

宮崎県日向市のプロモーション動画ですね。見た方も多いのではないでしょうか。

家でネットサーフィンをしていたオタクが、ふとしたきっかけで海に出会い、サーフィンの師匠にも出会い、サーフィンを始める。3ヶ月後に今までとは違う自分に気づく。

というのが、動画のストーリーです。

www.youtube.com

この動画、まだ見てない人がいたら是非、見てもらいたいんですけど、控えめに言って、泣いた。

人の成長への感動であり、ここまで変われるんだな、ということへの感動でもあるのですが、なぜここまで僕の心を強く揺さぶったかというと、僕が泳げないからです。

僕のコンプレックスの1つである泳げない、という部分に猛烈に刺さりました。(ちなみにもう1つのコンプレックスは指が短いことです。こちらの方が職業的にダメージがでかい。)

 

さらに刺さった理由としては僕もこの動画の主人公のように動き出そうとしているからです。

セブ島にはオスロブというジンベエザメと一緒に泳げる素晴らしい場所があります。せっかくセブにいるのですから、ジンベエザメと一緒に泳ぎたいじゃないですか。

souspeak.com

YouTuberへの第一歩としてGoProも買ったので、ライフジャケットなしの、できることならばかっこいい絵がほしいんですよね。

練習しなきゃなぁ、でも、水怖いし、めんどくさいなぁ、と思っていた時に見たのが上記の動画です。

そして、その翌日、先週の土曜日ですが、僕はプールに向かっていました。

幸いサウスピークのプレミアム校にはプールがあったので、そちらのプールを使って練習させてもらうことにしました。

そこで、僕の泳ぎの習得への情熱にさらに火をつける出来事が起こります。これがいわゆる引きつけの法則というやつでしょうか。本気で何かを求めた時には宇宙が手を差し伸べてくれるように思える瞬間がたまにありますよね。

その出来事が何かというと、僕の水泳の師匠との出会いです。

彼はプレミアム校の生徒の一人なのですが、僕が周りの生徒に笑われたり、スタッフのAkiさんのやや生ぬるいながらも応援してくれる眼差しにさらされつつ練習しているところに現れ、アドバイスをくれました。

彼曰く、自身も20歳まで泳ぐことができなかったようです。

最初はプールサイドから色々とアドバイスをくれるだけだったのですが、業を煮やしたのか、”一緒に泳いだ方がいいわ”と言ってくださり、水着に着替えて来てくれました。

(ちなみに彼は僕が来る前にプールですでに泳いでいて、ちょうど引き上げたところだったそうです。後ほどAkiさんから聞きました。)

その後日が暮れるまで、しっかりと指導していただき、最初とは見違えるような状態になりました。

ちゃんと水の中で進むと苦しくなくて、楽しいんですね。
その翌日もプールで練習しました。全然できていなかった平泳ぎのキックが少しできるようになりました。(具体的には足だけでは進めなかったのが、進めるようになりました。)

この場を借りてですが、本当にありがとうございます。
おそらくこれをきっかけに泳げるようになれば、この恩は一生忘れないと思います。

よく、この恩は一生忘れません、というセリフは陳腐な台詞として聞かれることが多いと思いますが、本当に一生忘れないと思います。今回努力をしても泳ぐことを習得できない場合でもこの恩は5年くらはまず忘れないと思います。

他の人が笑う中、彼も20歳まで泳げなかったということで、深い部分で繋がるところがあったのかな、と勝手に思っています。

今回の件を経て思ったのは、よいコンテンツは次の物語すら内包してる、ということです。

宮崎県市のこのPR動画はそれだけでももちろん素晴らしい作品で面白くもあるし、こういう街って住んだら楽しいだろうなぁ、という気持ちに僕らをしてくれます。

ただ、この動画の影響はそれだけにはとどまらず、動画を見た瞬間からある人の、それなりの数の人の心の中では、また新しいストーリーが始まっています。そして、その物語の主人公はその動画を見た人自身でしょう。

ちょうど僕が動画を見て、自分の泳げないことに対して正面から向き合い、努力をしようと考えるきっかけとなったように、多くの人にとってこの動画は何かきっかけを与える力があるのではないかと思います。

他にも、この動画をきっかけとして気付かされたことは多いのですが、それに関してはまた今度。

ばおばお〜(フィリピンで流行っている挨拶)

生活の精度

みなさん、人と同じことさえ経験すれば同じ体験ができると思っていますか?

僕はそうは思いません。

そして、そのように思うきっかけとなったのはこのブログを書き始めたことです。

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多くのことを経験するための方法には基本的に2つあると思います。

1. 経験の絶対量をあげる
2. 経験の精度を上げて、相対的な経験量をあげる

一般的に多くのことを経験するといったときに思い浮かべられるのは(1)の絶対量として多くのことを経験することではないでしょうか。

もっと分かりやすくいえば、いろんなことをとりあえずしてみるということですね。

旅行でいえば、とりあえずアジアの国を8カ国くらい回ってみる。美味しいと聞いたレストランにとりあえず行ってみる。いろんな人と話してみる。

自分の行動範囲の円を広げれば、その中に含まれるもの、捉えられる経験が多くなるのは、当然のことと言えるでしょう。

 

一方、相対的な経験量をあげる、ということは少しイメージしにくいかもしれません。

僕が好きな本に辺見庸の「もの食うひとびと」という本があります。内容としては著者が世界各国を旅して周り、それぞれの地域で、食にまつわるルポルタージュを書き、それを集めて書籍としたものです。

著者が旅した地域の中には僕が現在住んでいるフィリピンも含まれています。フィリピンでものを食べる、あるいは現地の人がものを食べている場面を見る経験としては僕の方が多くを経験していますが、辺見庸のような文章がかけるかというと全然そんなことはありません。

もちろん、作家の辺見庸と僕を比べたら筆力が全然違う、というのは分かっています。ただ、その筆力が違うというのは、最初からそこまで大きな違いがあったわけではなく、文章を書こうと思って観察するがゆえに洞察が深くなる、という側面もあるのではないでしょうか。

 

ブログを書き始めて分かったことですが、人は普段周りを見ているようで見えていないものです。

 

例えば、レストランに関する記事を書くときのことです。

「あー、このレストランは前にも行ったことがあるし、写真もあるから、書きやすいだろうな」と思い、以前の写真を見返してみても、ブログで使用するのに耐えうる写真は少ないのではないでしょうか。

その違いは技術ではありません。技術はそんなに短期間で変わらないからです。
その違いはアウトプットする意思があるかどうかです。他の人に見せよう、伝えようと思うことで、自然と丁寧になり、より深く、細部に至るまで物事を観察するようになっていることに気づきました。

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なんの変哲も無いJollibeeのチキンも丁寧に撮ると、美味しそうに見えるものです。

最初はせっかくウェブマーケティングをやっているし、自分自身のブログも作れば文章を書く練習もできるし、日記代わりにもなっていいかな程度の目的で始めたブログですが、いつのまにか自分のものの味方を変えていることに気付かされました。

さらに驚くことに、僕はそんなに長くブログをやっているわけではありません。インターンとして文章を書くことはしていましたが、あくまでそのテーマは英語学習であり、普段の日常生活とは、まぁ、切り離されたテーマであると言えます。

ブログを始めて6週間でこのような変化に気づくのですから、驚いています。今の状態はブログを始める前に比べて、たとえ同じ経験をしたとしても、その経験から多くのことを気付き、記録することができるので相対的に多くのことを経験できるようになっている状態であると言えるでしょう。

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僕が今回言いたいことをまとめると、以下の3点です。

・アウトプットの場を持つと、ものの見方、意識の持ち方が変わる
・すると、日常生活の観察の精度が高くなる
・結果として、今までと変わらない生活からでさえ、多くのことを見つけれるようになる(いわんや、非日常に飛び込んだ時は今までよりも吸収できるようになる)

そして、上記のことを達成するためにはブログを自分でやってみるといいんじゃないかな、と思ったわけです。

ちゃんと記録が取れるようになると、思い出に残しておきたい瞬間も切り取れるようになるので、人生いろいろ捗ると思います。

以上、記事を書くこと、ブログを書くことを通して前よりも物事がしっかりと見れるような気がしだした僕からのブログのススメでした。

ばおばお〜(フィリピンで流行っている別れの挨拶)

 

セブでのビタミン補給

こんにちは、キラキラ女子ソムリエのShunです!

セブでの生活は、もちろん日本とは同じようにはいきません。
特に一定数いるのが、(僕も含めて)どことなくカサついてくる方が多いです。そういった方々に捧げるのが今日の記事です。

僕が推察するに、その原因はキラキラ成分の不足ではないでしょうか。
セブではキラキラ成分が不足しがちですので、そんな方に向けての処方箋をまとめておこうと思います。

ぜひ、セブの各語学学校でオリエン資料に添付してもらいたいほどの出来栄えだと自負しております。自分のセブ生活での辛さがキラキラ成分の不足だと思った方は下記のyoutubeを見て、随時補給していただければ幸いです。

 キラキラ女子:
セブではなかなかキラキラした女の子を見つけることは難しいと思います。しかし、たまには可愛い女の子と話して癒されたいな、と思うこともあるのではないでしょうか。そんなあなたに処方するのがこちらです。

仮谷せいら - Colorful World


セブでは貴重なキラキラ女子のPVですね。このようなキラキラ具合であったり、音の感じというのは日本にいるからこそ生まれるんだろうな、と日本の外に出て気付きました。

え?もうちょっと落ち着いたキラキラ女子をご所望ですか。分かりました。日本は高齢化ですしね。そのような方にはこちらの2曲などいかがでしょうか?

 原田知世 - ロマンス

僕は春になると「ロマンス」を聴きたくなるのですが、そういった方も少なくないのではないかな、と推察されます。

原田知世- Say you love me

僕が敬愛してやまない原田知世です。
僕が持っている処方の中で最も効くのがこちらの曲ですね。"Say you love me"を聴くと他のことは大抵どうでもよくなり4分弱ほどとても幸せな気持ちに包まれます。取扱注意です。

ただし、一点気になるのは英語の発音に改善の余地があることですね。ぜひ僕がインターンをしている間にサウスピークに留学に来て、発音矯正を受けてもらいたいものです。

英語発音矯正レッスン~フィリピン語学留学で最も効果的なレッスン~ | フィリピン語学学校|フィリピン留学、セブ島留学ならサウスピーク

まぁ、彼女の場合は発音が多少悪かろうが、関係ないんですけどね。彼女の発した言葉は周囲の人が聞き取りたい内容ですからね。

相手に自分の英語を聞き取ってもらうためには、

(1)自分の発音をよくして、相手が努力せずとも聞き取れるようにする
(2)自分の話の内容の価値を上げて、相手に聞き取らせる努力をする


という2つの方法がありますが、彼女の場合は最初から2つ目の条件を満たしているので、よく考えてみたら発音矯正はいらないかもしれませんね。

 

以上のキラキラした動画を見ても渇きが解消されなかった人はおそらくなんらかの異なる原因があるようです。こちらなどはいかがでしょうか。

City Pop:

セブにいるとたまに日本の都心部の都会のお洒落な空気を感じたくなることもあるんですよね。そんなあなたには2曲、シティーポップを処方しておきましょう。

Awesome City Club - Don't Think, Feel

こういう日本のシティポップを聴くと少しだけ日本が恋しくなりますね。日本のアーバンライフを満喫したいものです。

と、言っても、まぁ、僕がセブの後に帰るのはど田舎の香川県なので、セブにいるときの方がどちらかといえばアーバンなのは悲しい現実です。

bonobos - Cruisin' Cruisin


残業していると思われる男女二人が屋上でのライブを見るPVにも日本を感じるのですが、洗練されていてよい曲ですね。

アニメ✖️エレクトロニカ✖️女性ボーカル
日本にいた時にはアニメの世界観であったり、絵柄であったりが、どこかしら僕らの現実と地続きのものとして受け入れることがしやすいと思うのですが、日本の外で暮らしてみて、多くの人にとってはそうではないことに気付きました。というのも、日本の外から見た”日本的なアニメの光景”というのは今まで見たことないような衝撃的な世界観だったりするんですよね。そういった、情景が欲しくなった方にはこちらを処方しておきましょう。

DAOKO - さみしいかみさま medium ver.


このPVはシャボン玉吹くところが現実と非現実の交差点で非常に好きです。 

光 / 散歩

僕は散歩が好きで、特に夏の夜の散歩が大好きなのですが、セブではあまり夜は一人で出歩かない方が安全なので、できない趣味の一つです。

畠山美由紀 - 若葉の頃や

2:08秒すぎの「散歩に出掛けよう」というフレーズには、ウンウンと頷くところです。畠山美由紀って何がそうさせているのか分からないのですが、非常に日本的だなぁ、と感じます。今後の研究課題ですね。

サウスピークへの留学期間中は恋愛成分が不足するのでこちらの曲で補ってください。まぁ、学習アドバイザーのはるじぇーさんも”恋愛すると英語力が伸びない”と言っていたので、不足するくらいでいいのではないでしょうか。

Bird / 髪をほどいて

情熱的ですね。”スコールが来る”と曲中で歌われていますし、セブにはぴったりではないでしょうか。

Bird - Bitter Sweet Friday

こちらはもっと穏やかな1曲です。聞いてるだけで荒んだ心の角が取れてきます。ただし、世の中には2種類の人がおりまして、他の人の幸福を感じとり、自分も幸福になれる方、そういった方にはこちらの曲は処方可能です。

しかし、他の人の幸福を見て、余計に心が荒む方もいるでしょう。そういった方にはこちらの曲は禁忌ですね。

さらにもう一つBirdの曲を処方しておきましょうか。

セブも雨はよく降りますが、日本の雨とはまた別なんですよね。一気にザーッと降って、上がるさっぱりとした雨なので、日本のようなシトシトした感じや、空気が重たくなるような感じはしません。なぜかたまに日本のしっとりとした雨の日が恋しくなることもあります。 

おっと、最初のキラキラ成分を処方するという当初の目的からは大きく外れてしまいましたが、聞いて癒される曲をご紹介しました。

英語を勉強するのも大事ですが、それだけだと心が荒んでくるので、たまには綺麗な景色を見る、心地よい音楽を聴く、セブの風に吹かれる、ビーチに出かけるなどして人生を楽しむことも大事ですからね。

楽しめない時、人は長期的には頑張れないものだと僕は思いますよ。

ぜひ、セブ島の生活に疲れた時にはこれらの処方も使いつつ、自分に足りないものを補っていきましょう。