Shuya Okazaki / Blog✔︎

1997年 岡山県 岡山市生まれ___ | I trust my process /Okayama/Niigata/Tokyo&Kamakura✓

「He wants to know…」|2022-03-14

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"God is watching me

God don’t praise me because I beat Joe Frazier

God don’t give nothing about Joe Frazier

God don’t care nothing about England or America as far as real wealth… it’s all His.

He wants to know how do we treat each other?

How do we help each other?

So, I’m going to dedicate my life to using my name and popularity to helping charities, helping people, uniting people.

People bombing each other because of religious beliefs.

We need somebody in the world to help us all make peace.

So when I die – if there’s a heaven – I’m gonna see it."

 

"神は俺を見ている。

ジョー・フレージャーを倒したのに、神は俺を称えなかった。

俺が奴を倒したことについて、神は何も俺に与えなかった。

神は大国である米国や英国の事について何も干渉はしない、すべて神のものだからだ。

神は俺たちが地上でどうやってお互いを助け合うのかを知りたいだけなんだ

じゃあ、俺たちはどうやって助け合えばいい?

だから、俺は「モハメド・アリ」という自分の名前を使い、チャリティや人々がお互い助け、協力していけるように人生を捧げるつもりなんだ。

今、国同士が爆弾を落とし合っている…、それはお互いの宗教観が違うからだ。

この世界には、俺たちを平和に導いてくれる誰かが必要なんだ。

だから、俺が死んだ時、もし天国というものがあるのなら、俺はそれを見に行こうと思うんだ。"

Muhammad Ali

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https://youtu.be/R5_JnwbxQKo

拒否

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「自分の(サッカー)人生に嘘をついているようで…。」

俺はあの感覚を知っている。

負けながら走ってるような。

ある環境の当たり前に浸かっている内に、だんだんと色んな感覚が麻痺して、違和感さえ感じられなくなったとしても、人としての未熟さや実は昔からやりたかった事など、自分が向き合わなければいけないことは、必ず追いかけてくる。逃げた分だけ。

逆に、毎日に違和感しかなくて心も身体も限界なときには逃げればいい。自分にとって本当に必要なことであれば、今でなくても、その環境でなくても、そこに向き合わされる機会はいずれやってくる。

そういう意味では、

「今を戦えない者」にも次や未来はあるんだと思う。

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いずれもの経験をして、今はそう思う。

 

ただ、

今ここにある問題と向き合うのは、間違いなく今(今シーズン)、このクラブで、だ。

ここにいる仲間のほとんどもそうなんじゃないか。

だからここにいるんじゃないか。

 

自分たちにとってのベストは何か。

今日は全員でベストに向かえたか。

ベスト(昇格)のために、自分たちにとってベストだと思えること以外は受け入れなければ良い。

「まぁ悪くはない」を受け入れてきたことが、ベストではない1番の原因。昇格できなかった理由。

「最良の敵は、良である」

「GoodはGreatの敵」

おそらく、人もクラブも失敗によっては後退しない。

あるとすれば、多分、怠惰。みたいなもの。

 

規範を示す必要がある。

2022/01/30 

2021年8月3日

24歳の誕生日。
激動だったのと同時に沢山のご縁を頂いた歳だった。
沢山の人から温かいメッセージ。岡山、新潟、そして鎌倉と、いつだって素敵な出会いに恵まれてきた。

いよいよ、今年の秋には深沢にスタジアム(みんなの鳩サブレースタジアム)がオープンする。

鎌倉インターナショナルFC。このクラブでプレーしながら、このクラブと誰かを繋ぐことが今の仕事だけど、誰かにとってかけがえのない瞬間やサッカーを通じた出会いを生むことができれば、それこそ自分にとって1番幸せな瞬間なんだと常々思う。

話は変わるようで変わらないけど、この前のオリンピック、代表も強く戦ったように見えた。ただ、それ以上にスペインは強かった。
サッカーという競技において、強さとは常に相対的なもの。

だからせめて、

「サッカーやってて何が幸せなのか。」

そういう尺度は絶対的なものとして常に自分の中に持っていたい。

そうは言っても勝てなければまぁ全然楽しくない。

どこまでいっても答えは出ないんだけど。

さらにまた1年、ピッチに立ち、街に出よう。

何か見えてくるかもしれない。

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2021年8月3日

東京と鎌倉、革靴とスパイク。

これから、東京で仕事を、鎌倉でサッカーをします。

あとに続く話はそれ以上でも、それ以下でもなく、

これまでに出会い「お前いま何しとん!」と思ってくれている人に、そしてこれからの出会いに向けて書きます。

僕はこれから、東京で仕事を、鎌倉でサッカーをします。

でも、その言葉はしっくりきません。

卒業といま

 3月に大学を卒業しました。新潟で過ごした4年間が本当にたくさん支えと縁に囲まれたものだったことは、その感謝を込めて、初めに書いておきたいと思います。

 岡山に戻ってしばらく経ち、新潟で生活していたときの感覚が日に日に薄れていく気がします。ただ、毎日のようにどんよりした雲に覆われていた、そのことだけはそれなりのトラウマなのか、地元の青空を見上げてはひとりバカみたいに感動しています。

 東京の広告代理店に就職が決まっていて4月から東京にいるはずが、例に漏れず5月も半分が過ぎた今も岡山の実家にステイホームしています(在宅研修中)。いよいよこれからと意気込んでいただけに拍子抜けしたところも多少ありますが、「働いている」その実感のないまま給料をもらっても満たされないものがあって、働くって何なのか、といろんなことを考えさせられながら、これもコロナがくれた何か意味のある時間だと思います。

とはいえ、もうすぐ東京に発つことになりそうです。

これからのこと

僕はこれから東京での広告代理店の仕事と並行して、

鎌倉を拠点とするサッカークラブに加入させて頂きます。

いろんな縁が重なってここに繋がりました。

そして、もう一度サッカーが好きな人生を生きたいと思い、ここに辿り着きました。

これまでも、これからも、ここにあります。

鎌倉インターナショナルFC

kamakura-inter.com

 上京ができ次第、僕は仕事と並行しながらこのクラブのフロントスタッフとして、選手として本格的に活動していきます。今現在は、岡山で会社の研修の傍ら週末に個別にトレーニングをしつつ、オンライン上でクラブの代表やGM、来季以降の監督(兼CBO)とクラブのビジョンの共有や自身の関わり方を調整させてもらっています。

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 2年前の2018年、大学3年目のシーズン前に新潟から東京に行き東京でスポーツマネジメント研修に参加したその時の講師がクラブの代表の四方さんであり、研修の課題は当時立ち上がったばかりの鎌倉インテルの国際戦略について考えることでした。

「俺、サッカーチームつくったんだけど、海外から集客できるアイディアを考えて6時間後にプレゼン発表してください。いってらっしゃい。」

結果、僕たちのグループは散々の評価で終わります。(笑)

この日同じグループだった2人とは今でも関係があります。

とにかく忘れられない1日でした。

「鎌倉発、日本初。 徹頭徹尾 国際化を意識したサッカークラブ」

僕が最初に代表と吉田GMから鎌倉インテルを立ち上げた想いを聞いたのはこのときです。

このクラブのビジョンが実現したとき、

そこにあるサッカーはサッカー以上のものだと思いました。

ちょうどその日は鎌倉インテル初の公式戦が行われていて、こっち(研修)より試合の結果が気になって仕方ない、冗談ではなかったであろう四方さんの台詞は今もしっかり記憶にあります。研修後、新潟で大学サッカーをしていますと自己紹介して、四方さんとクラブのFacebookをフォローさせてもらいました。それが代表(四方さん)とGM(吉田さん)、そして鎌倉インターナショナルFCというクラブとの出会いになります

  もう一つの出会いはさらに1年前の2017年。僕がJクラブへのインターンやドイツを旅する前に、僕が大学の先輩(新井直人※)に当時何かのきっかけで「俺が高校時代にお世話になった人なんだけど、お前絶対刺激受けると思うよ。」そう紹介された人でした。正確にはその人の記事を紹介してもらいました。※アルビレックス新潟

それが河内一馬監督(2021シーズン〜予定)です。

kazumakawauchi.themedia.jp

フットボール(サッカー)とは一体なんなのか。

この一方的な出会いをきっかけに、それ以降noteや様々な発信を目にする度に、自分の中でその問いは大きくなっていきました。

勝手な使命感

  たしか5歳くらいのとき、3つ上の兄が僕を河川敷のゴールの前に立たせました。容赦なく飛んでくるボールをたまに止めると喧嘩では絶対に敵わない兄がなんとも言えない顔をしながら「よー止めたな。」(よく止めたな)と言ってくれる、それがたまらなく嬉しくて、気付いたらゴールの前に立ち続ける毎日になっていました。それがサッカーとの出会いだったのかもしれませんが、日韓W杯やスカパー!で観たオリバーカーンが先だったかも…

本当のところ、どうやってサッカーをはじめたのかは正直わかりません。

 一つ確かなことは、小、中、高、大学と大人になるにつれて、楽しくて→プロになりたくて→チームで何か成し遂げたくて→人として成長したくて…と気付かない内に自分にとってサッカーのカタチが変わっていたこと。その度に言葉にできない違和感がありました。今思うと『別にそれサッカーじゃなくても良いんじゃね』そんな風に"自分にとってのサッカー"が歪なカタチになっていくように感じていたんだと思います。僕は、はじめたのかどうかもわからないサッカーを何度もやめようとした。そこで踏みとどまる度に、何でサッカーをはじめたのか、きっかけは何だったか、何でサッカーをするのか、そういう問いはただ自分を苦しめるだけでした。高3のインターハイ(vs市立船橋)のたった1試合をきっかけにいくことを決めた新潟で、組織とは大学サッカーとはこうあるべきだ、そんなことを信じてカタチにしようとしたものは、果たしてサッカーと呼べるものだっのか。結局、サッカーが何か、これが自分にとってのサッカーなのか、わからないまま大学サッカーを終えました。人生を振り返ってみて、サッカーよりキツいことがないほど恵まれた時代と環境でここまできた、それでプロになれなかった、せめてこれまでの日々を糧にして社会へ出よう、そう自分に言い聞かせて僕はまたサッカーをやめようとしました。いつものように湧き上がる違和感を無視して、思い残したものは何一つないように振る舞いながら。

2つの点

 それから1ヶ月後が経った2020年の年明け。

「4月から東京でスパイクを革靴に、ユニフォームをスーツに着替えて頑張ります-」Facebookでそんな投稿をしたところ、コメントが入りました。

「修也、キーパー探してるんだけど!」

コメントの主は鎌倉インテルのオーナーの四方さんでした。

その流れでクラブの練習参加をさせてもらうことに。

そのやりとりから数日後、Twitterタイムラインに流れてきたのがこの記事。

 

www.footballista.jp

僕の中で全く別の点と点が繋がった訳です。

その後の練習参加で上京し、四方さんとGMの吉田さんと2年ぶりに再会。そこで改めて色々なお話をさせてもらいました。東京での生活さえ右も左もわからない中で、さらに神奈川にあるクラブにどこまで関わることができるのかは本当にやってみないとわからなかった。ただ、この2つの点がつながったとき僕がこの道を選ばせてもらうことは必然でした。

岡山、新潟、東京…今までに出会った誰ひとり欠けても、東京で仕事しながら鎌倉でサッカーをするという道は拓けなかったと思います。

最後に

ということで、僕は東京で仕事を、鎌倉でサッカーをします。

で、最後にその言葉がしっくりこない理由を書いて終わりたいと思います。

拠点はそれぞれ東京と鎌倉にあるし、職場や仕事をする中で、鎌倉で、そこにある場所やそこにいる人との出会いが今は正直1番楽しみです。それにサッカークラブにとってクラブがある街というのはクラブそのものだと思います。僕がしっくりこないというのは東京で仕事、鎌倉でサッカー、そういう枠に囚われることです。何しろ「インターナショナル」です。国や地域、文化や言葉、立場や役職…いろんな境界線を越えて何かを成し遂げていく、そういうビジョンの下にある挑戦だと思っているからです。

 今、僕はピッチ(サッカー)から社会に出ようとは思いません。スパイクも革靴も履きます。サンダルもブーツも必要なら下駄でも安全靴でも履きます。僕は社会の中で自分が何者かを知って、それを表現していきたくて、サッカーはその手段の1つです。そういう意味では「サッカーをします」というのも今は僕の中で違うんだと思います。あの日、サッカーは気付いたらそこにあった。そしてサッカーは今日もどこかで誰かを熱狂させて、今日もどこかで誰かと誰をつないでいる。サッカーは僕が知る以上のもので、だからこそ僕は例えどんなカタチでも、どんなところからでもサッカーに関わっていたい。

 

そうやって僕は僕らしいと信じられることを続けていこうと思います。

誰しもそうであって欲しい。

そんな勝手な使命感をもって。

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何のために登るのか

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測量隊と山岳会。

 

それぞれは何のために登るのか。

自らの荷を自ら背負い。

ときに自分しかみえない。

ときに自分さえみえない。

それでも、

ときに誰かのために命を張る。

凍える中で、氷の雨雪に打たれようと。

自然の本当の美しさは、自然の厳しさの中に。

「この厳しい山の中で、私は改めて地図を作ることの意味を考えさせられています。」

志と誠実さ。

そこに集まる人。

皆んな自分こそが大義をもって生きている、

そう思っている。

でも、ホンモノが誰かはいずれ判る。

何かを成す人。成さない人。

技術があり、体力もあり、知識もある。

すべてその当たり前の上にいる。

背負い、登り、下りて、登る。

その過程にある景色。その意味。

それがすべてなのかもしれない。

山を登ること、地図を作ることの意味。

人は自分が世界のどこにいるのか知りたい。

自分が何者かを知りたい。

自らの仕事を成すことを全てに優先する。

家族も、名誉も、お金も…

そこに、誇れる生き方と仲間がいれば。

山岳会との競争サバイバルではなく、

まさに 切磋琢磨。

この映画を通して日本人らしさとは、それを考えられずにはいられない。それはまさに自分が何者かを知りたいという気持ちそのもの。

「雪を背負って登り、雪を背負って下りよ。」

 

あの日の殴り書き

あの日の殴り書き

起こること、言われること、

それを受け入れられない。

そんな自分がまた受け入れられない。

 

浴び続ける否定を今日の試合で跳ね返したかった。

試合開始1分、俺のワンプレー目のミスで失点。

立て続けに失点。

前半途中で代えられた。

こんなキーパーみたことがない。

それが自分ということが受け入れられない。

それを皆んなが見てる。

4年間の大学サッカーと17年間の選手生活、

その集大成とも言うべきこの時期に。

69人の部員の中の立場に在りながら。

いや立場の問題ではない、

チームとして、部員として、人として、

「どうあるべきか」を一番語ってきた自分が、

その姿からはすごく遠いところにいる。

散々と偉そうなことを言ってきた。

でも、それを弁解するつもりはない。

カタチにできなかった自分のせい。

 

結果が伴わないからそれを恐れて黙るのか。

言葉に行動と結果が伴うまでやるか。

 

ずっと黙ってた。

カタチにできないことへの罪悪を消したくて。

でも消えなかった。

自分の都合の悪い部分をカットするのようなことに罪悪感は日に日に強まった。

 

試合は終わってみれば9-6。

朝を部屋を出て、ただ試合を壊して、帰ってきた。

綺麗なままのユニフォームを洗濯機に突っ込んだ。

このタイミングで書き始めた。

時間が経てば経つほど何も言えなくなっていった。

実際ピッチでも声が出ない。

チームへの連絡や指示も通らない。

それもまた受け入れられない。

もう、これが今のありのまま。

ただの殴り書き。

誰とも顔も合わせたくない。

 

今日の自分。

この弱さ、挫折、未熟さ、孤独も、

そしてそれを支えてくれた人がいたことも、

またいつか思い出したい。

 

日に日にものが減って

ダンボールの箱が積み上がっていく部屋。

終わり は確実に近づいてる。

大学サッカー。学生。新潟での生活。

何ができるか。

何を変えられるのか。

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                                                          2019.09.28

                                      

Must / 6月

少し考えて答えた。

「常に Must で生きてきました—」

今月半ばに受けた面接の最後の質問はこうだった。

「—–岡崎修也ってどういう人間なんだ?」

俺はちゃんと質問に答えたのかは分からない。

 

毎月の終わりに振り返りを残すというのも、

一つ区切りにしようか。

でも自分で自分に課したMust 。

何とも苦しい生き方だと思う…笑

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6月が終わり、2019年も半年が過ぎた。

朝方も6時を過ぎればすっかり明るい。

日中の日差しはじりじりと熱い。

気付けば新潟も夏に入っていた。

ここで迎える4度目の夏。大学最後の夏。

季節の変わり目なんて本当に曖昧なもので、

いつの間にか始まって、いつの間にか終わってる。

 

ふと思ったのは、ここに来て約3年半年、

 

これまでの大学生活もそうだったか?

 

そんなことはなかった。

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                                                                2016年4月

大学サッカーをしにここに来た。

色んな人と出会い、色んな場所に行った。

色んな経験をし、色んな感情と向き合った。

それをいちいち残す気になれない時もあった。

(正直今まさにだけどそこは冒頭の通り…)

それに本当に大切なことなら、

記録よりも記憶にバッチリ残るものだとも思う。

それでも、

「過程をオープンにする」と先に決めて、

何か学んだり、人と会ったり、日々を過ごすことで、

 

季節の変わり目のような曖昧さを自分に許さない。

 

人に晒せる言葉にするためには考えざるを得ないし、

口だけにならないためには行動せざるを得ない。

共感とか承認とか理解とか馴れ合いとか

そういうものから一切かけ離れた場所で、

自らを律するため。

自分で在り続けるために俺はそうしてきた。

もし、この3年半それをせず、

全部ふわっとしたまま時間に解決させていれば

「いつの間に…」となっていたんだと思う。

 

大学サッカーをしにここに来た。

大学サッカーだけをしに来たんじゃないと気付いた。

それでもやっぱり大学サッカーをしに俺はここに来ていた。

 

過程が鮮明なだけに結果を受け入れ難い部分や

散々ほざいただけに示しがつかない部分。

それは、

「過程をオープンにする(残す)」という

自分を律するために自らに打ち続けてきた薬の副作用。

もちろんもっと長い目で見れば

副作用とか言ってる今の自分も過程。

ただ、それはその時そう感じたらそう。

今はしっかり目の前の結果を受け止めて、

自分の中のPDCAを回さないといけない。

 

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今の自分に出した答えとしては…

▪︎「自己完結」・・・自分の中で答えを出すこと。

▪︎「自己貫徹」・・・自分自身を貫くこと。

 

「自分と向き合う」 ことにはこの2つがあって、

 自己完結はひとりでできる。

今俺はまさに自己完結の途中。

何か壁にぶつかった時、答えが見えない時、

誰のせいにすることもなく、自分に矢印を向けて、

例えば、

本を読んだり、旅に出たり、こうして文字に起こして

自分の考えや気持ちを整理して答えを出すこと。

 

 自己貫徹はひとりではできない。

今、家ににこもって一人これを書いている俺は

全くをもって自己貫徹はしていない。

ピッチか職場か学校かそれぞれにとっての「現場」で、

仲間や敵がいて衝突や批判もある中で、

自分に矢印をぶっ刺したまま、

行動をもって自分自身を貫いていけるか。

 

結局のところ、

〝 現場で学び、現場で活かす 〟

これに尽きる。それは真実だと思う。

どこか新しい環境に飛び込む、そこでの出会いや発見。

それを重ねまくった完結した自分で

現場に立つ。そこでまた学びに出会う。

その「学びと実践のサイクル」を繰り返しながら、

上へ上へと上っていく。

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これまでもこうして自己完結はしてきても、

知らず知らず自己貫徹し切れてない部分があったんだと思う。

結局ぶち当たってる壁が本質的には同じ。

もし本当に自分を貫けていたら先に進めてたはず。

 

目の前の結果も、

ずっと引っかかったままの違和感も、

 

多分この2つのギャップ。

 埋めるべきギャップ。

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半年ぶりの故郷。

7月▶︎▶︎▶︎

                                                                    2019.6月