Signal

Books, music, thinking and so on.

やっぱり知ることって楽しいから。

梅雨も明けて、今年も夏がやって来た。

春から夏にかけては世界が生命力に溢れていることがビリビリと地肌で感じられてとても好きな季節です。


さて、先日ツイッターを久々にリスト管理するスタイルに戻しました。

最近はずっと公式のアプリを使っていたのだけれど、以前使っていて、一時期バグが多くなって使用を辞めてしまったTweetListを再度使い直してみたら不具合も起きずにいい感じ。

今回作ったListは二つ。
・個人アカウントリスト
個人で色々な情報を提供している方々のアカウント。最近面白いのはぱんつさんとか、桑子研さんとか





・組織アカウントリスト
こちらは大量垂れ流し系のアカウント類。こちらの波に押されて個人アカのツイートが見れないのが今回の改革の要因。
テロに近くタイムラインを流れて行くけど中々切れないの。



備忘録もかねて。

今日の一曲 vol.2

 vol.1にて紹介した「Dear Old Stocholm」

 のマイルス・デイヴィスによる録音。

 Saxはちなみにジョン・コルトレーンの演奏である。

 ロンの演奏に比べると、管楽器のおかげで明るいテイストになっている。

 カティサークでも飲みながら聴きたい一曲。


Miles Davis Quintet Feat. John Coltrane - Dear Old ...

 

参考

今日の一曲 vol.1 - Signal

今日の一曲 vol.1

 以前からwebでカフェ(笑)的な企画をやりたいと思っていたので今回がその第一弾です。これなら定期的に書いて行けそうというね・・・。

 

 さて企画の趣旨としては夜のBGMに合いそうな一曲を貼ってネットサーフィンやブログを書く合間に聴いてほしいなという所。少しの説明もつけて読者の方と、僕自身の雑学になればいいかなという所です。笑

 

 第一弾は「Dear Old Stockholm」。

 もともとはスウェーデンの民謡をベースにした曲のようです。

 多くのジャズ奏者によって演奏されていますが、

 今回はその中でも珍しいかなと思う弦ベーシスト、Ron Carter

 による演奏を紹介します。ほの暗くメランコリックな空気をお楽しみください。


Ron Carter - Dear Old Stockholm - YouTube

書評 銃・病原菌・鉄/ジャレド・ダイヤモンド

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洋風の椅子に机、流れているのはジャズ、広々とした店内、そして客はその全員が洋服を身にまとっている。そんなよくあるシアトル系カフェにいる。こうしてみると我々の周りはほとんどが西洋の文化で占められていることがわかる。私たちは今や食生活すらハンバーグにスパゲティと、日本にいることを感じさせてくれるものは人種、言語、文字、そして僅かな和食とブランド化した伝統工芸位だろうか。
 
どうして現在の世の中がここまで西洋文化中心になったのか。ヨーロッパ人が人種として優れているからだろうか、アングロサクソン人が長期的な計画をたてることに優れているからだろうか。
 
本書はこの問いに対して否ということを豊富なデータとわかりやすい解説とともに説いている。物語の初めは1532年、スペイン人がインカ帝国を征服したところから始まる。この出来事は分断されていた二大陸の文化、文明が初めて衝突した出来事だ。スペイン人が勝てた直接的な原因はスペイン人が銃を持っていたこと、優れた鉄製武器を持っていたこと、そしてスペイン人が持ち込んだ病原菌に新大陸の人々が免疫を持ち合わせていなかったことだ。しかし筆者はさらに根源的な原因は何かを考察する。つまりそもそもここまで文化、文明度の差が出来た究極の原因は何かということだ。
 
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本書は数年前に書店の店頭にたくさん並べてあって気になっていたのだが、その厚さと値段に手が出ず忘れていたところ…先日ある方に貸して頂けることになり読み始めた。ところこれがとても面白いもので一件科学的、専門的な本ではあるが教養書として前提知識ぐなくとも十分読むことが出来るものだった。著者のジャレド・ダイヤモンド氏は医学、進化生物学、分子生物学、生物地理学、考古学、人類学、言語学などにとても精通しているようで、多彩なそして多岐に渡る視点から考察を加えている。ここが読みどころの一つである。
 
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本書の上巻は主に自然的要因によって人間集団にどんな差が出来たかを検証する。著者の言う最も究極の要因は大陸が東西に長いか、南北に長いかである。さらにこの要因により古代人が食用として得られた植物種や家畜の差が生まれた。さらに食料の生産能力が人口の増加に大きな影響を及ぼしたことを示している。
 
下巻では文化的要因に言及する。人類がどうやって文字を作ることができたのか、多くの発明がどうやって生まれてきたのかだ。そしてこれらの創造には多くの人口を持つ社会形態である”国家”が誕生する必要があったことを示す。国家ができるためには多くの人を養わなければならず食料生産能力が重要だった。
 
このように地理的、自然的要因が発明の発生、発達の可能性を上げ、これらのファクターに関してヨーロッパが他の地域に比べて一歩リードすることが出来たことを示す。我々の現在の地域差、文化差は決して人種の優劣で決まっているわけではないのだ。
 
本書は人類13000年の歴史を駆け足で、そしてわかりやすく紐解いた良書である。多くの人の知的好奇心を満たすこと請負である。古代から近世の人類の試行錯誤や苦難に想いを馳せ、現在の生活に息づいているその片鱗を知ることで世界がより鮮やかに見えてくることだろう。

 

 

 

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
 

 

 

 

 

 

ジャズ初心者の僕がジャズ初心者のためにオススメはってく。

 音楽の一分野として今や大きな地位を占めているジャズ。昨今ジャズ喫茶に行って朝から晩まで1杯のコーヒーでねばったり、有名オヤジと話しに行くなんてことはないだろうけれど、よく行く喫茶店やオシャレなレストランでジャズを耳にする機会は多いだろう。「ジャズを聴いてる」なんてだけでちょっとオシャレでかっこいい気もしてくる。でも実際に聞いてみようとしても一体どこから手を付けていいのか全くわからない。正直CD選びはクラシックより難解な気さえしてしまう。

 

 そんなわけで今回は同じく最近ジャズを聴きだした僕が、ジャズを聴きはじめたいと思っている人の助けになればと自分なりのジャズへの入門の仕方を書いてみる。その方法はズバリ三通りだ。①有名アーティストから入る。②好きな楽器から入る。③有名な曲から入る。

 

1、有名なアーティストから入る

 ジャズの有名なアーティストはたくさんいる。wikipediaのジャズ音楽家一覧を見ればその数に圧倒される。名前も外国人が多いので覚えるのも大変だ。そこでオススメの音楽家を二人紹介しよう。わざわざ二人挙げるのはオススメをしぼりきれなかったワケではなく雰囲気の違う二人を紹介したかったからだ。

 

 一人目はピアノジャズの巨匠「ビル・エヴァンス」だ。ピアノジャズはしっとりとした印象でまさに大人な、バーにいるような空気を作り出す音楽だ。ビル・エヴァンスの有名曲の中でさらに聴きやすい曲は「Someday My Prince Wii Come」だ。知っての通り「いつか王子様が。」である。元々はディズニー映画、白雪姫の挿入歌なので聴きなじみがある方も多いと思う。それではご託を並べるのはこの辺にして実際に曲を聴いてもらいたい。


Someday My Prince Will Come/Bill Evans Trio ...

 

 

 二人目は「ジャズの帝王」、ジャズトランペットの名手「マイルス・デイヴィス」。トランペットジャズは陽気で明るい曲が多めだ。そもそもトランペットは高音楽器でマーチに向いているということもある。紹介する曲は「Bye Bye Blackbird」この曲もジャズの定番の一曲だ。陽気な雰囲気が伝わるだろう。


Miles Davis - Bye Bye Blackbird - YouTube

 

 

2、好きな楽器から入る

 ジャズへの入り方として2つ目に挙げるのが楽器から選ぶ方法だ。上の2曲を聞いてみて気づいたかもしれないがジャズグループの編成は基本的にメイン楽器とリズムセクションから構成されている。Someday My Prince Wii Comeではメイン楽器がピアノ、リズムセクションがドラムとベース(コントラバス)となっていてBye Bye Blackbirdではメイン楽器がトランペット、リズムセクションがドラム、ピアノ、そしてベースだ。

 

 では好きな楽器があって、その楽器のジャズを聴きたい場合どうすればいいか。それはメイン楽器が好きな楽器のジャズを聴くことだ。①で紹介した二曲は図らずも②の紹介にもなっている。すなわちピアノが好きな人はビル・エヴァンスを聴けばよい。トランペットが好きな人はマイルス・デイヴィスを聴けばいいのだ。

 

 さてこの2つ以外で有名なメイン楽器はサックスなどが挙げられるが、今回はメイン楽器として使われることは稀な楽器バス・クラリネットをメインに据えた曲を紹介したい。「エリック・ドルフィー」の「Epistrophy」だ。初めてこの曲を聴いたとき、その違和感に胸がざわざわしたことをおぼえている。


Last date- Epistrophy. - YouTube

 

3、有名な曲から入る

 最後の方法はジャズの名曲から入る方法だ。この方法がおそらく3つの中で一番簡単だ。それはジャズの名盤厳選集はたくさん出ているからだ。そのなかで僕の持っているものは「SUPER JAZZ BEST BOX」 であるけれど、名盤集は本当にたくさん発売されているのでどれでも好きにまずは聴いてみるとよい。きっと街で流れている曲が聴いたことがある曲になるだろう。

SUPER JAZZ BEST BOX

SUPER JAZZ BEST BOX

 

 

 

最後に

 今回はジャズを聴きたいと思っている方に向けて思いついた内容を書いてみた。大切な事はまずは一曲聴いてみることだ。そうすれば数珠つなぎに他の曲、他のアーティストを聴きたくなるだろう。最後に今回紹介した曲が収録されているCDを紹介して終わりにしたいと思う。

 

エヴァーラスティング ビル・エヴァンス~オールタイム・ベスト【完全限定生産】

エヴァーラスティング ビル・エヴァンス~オールタイム・ベスト【完全限定生産】

 

  

Round About Midnight

Round About Midnight

 

 

ラスト・デイト

ラスト・デイト

 

 

農薬混入事件から考える日本社会の闇

  この数日、昼のワイドショーで阿部容疑者の名前を見ない日はない。事件の概要は大まかに「冷凍食品に毒物混入」→「中毒者の発生」→「冷凍食品会社の役員辞任」→「被疑者の発見」というところだ。テレビのコメンテイターの発言、新聞のオピニオン欄には被疑者の素行の悪さや行動の特異さのバッシングに溢れている。しかし事件を起こした原因は本当に被疑者自身に集約されるのだろうか。


  人類の歴史の中でその人ただ一人の存在が歴史的に大きな影響を与えた例は存在する。アレキサンダー大王やキリスト、釈迦、ヒトラースターリンなどが挙げられる。しかし今回の被疑者がこれら人物の仲間入りが出来るかは甚だ疑問だ。

  今回の事件動機は被疑者が勤務していた会社の「給料の低さ」や「社会への不満」が発露した結果であろうと言われているが、もっと究極的な原因は何なのだろうか。

  それは思うに現在日本の社会構造にある。高度成長後、国民総中流社会と言われ国民間の格差が少なかった日本は現在、民主主義の原則に従い、富の集中が進み国民間の格差が開いていると言われている。つまり「富める者が更に富み、貧しいものは更に貧しく」である。当に「持てる者はますます持ち、持たざる者は更に失う」という言葉を体現している。

  このように人々間の差がひらけば社会の不安が増すことは想像に難くない。持てる者は持たざる者からの奪取を恐れて武装し、持たざる者は周囲の人々を信用しなくなり攻撃性が増してゆく。結果「社会の治安は悪化する」。同様のことは江戸時代の日本でも、中世のフランスでも起きている。

  今回の事件はこの社会不安の芽が開き出したに過ぎない。潜在的に同様の事件が起こる可能性は非常に高いと考えられる。つまり今回の被疑者を逮捕したところで根本的な事件の収束には至らないだろう。

  アベノミクスや企業のベースアップはこの問題の解決に一躍買うだろう。しかし最も重要な解決策は「人を補充可能な資源と見るのでなく、人を大切に扱う社会の創生」だと思う。

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

どうしたら長い文章が書けるのか。

 家に帰って着替えをすませ、夕食を食べながらパソコンの前に座る。そして今日のはてなブログの人気記事をずらずら眺めてみる。そうしてるうちにある記事に目が止まる。

 

今年37歳になる僕がもしも新卒で就活するとしたら。社会に出たから分かるポイントとか。前編かも。 - 心のパンツは脱げるのか?

 

書いているブロガーさんはnarushimaさんというらしい。さらに続いてエントリー内に張られているリンクをたどってもうひとつの記事に行き着く。

 

大企業かベンチャーかという議論に翻弄される就活生が、困っている。 - Taroの(就活)日記

 

そのままずらずらと記事を読む。沢山の引用、記事の並びなどとても読みやすいと思い、Taroさんの記事をさらに過去にさかのぼって読んでみる。Taroさんの生活の一部が垣間見えて面白い。そこである言葉が頭をよぎる。「二人とも記事がこんなに長い記事を書けてすげえなあ」と。

 

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 ブログでいつも文章を書こうとするとはじめに想定していた文字数より最終的に書き終わった文章がだいぶ短くなってしまいいつも恥ずかしく思ってしまう。そんな時、まさに見られることを意識しながら文章を書いているんだなと気づく。そして少し落胆する。

 

 日記を書くとき、頭の中にはその日の出来事がぐるぐる回って、想いが、文字がどんどん湧き出してくる感覚に襲われる時がある。というよりもむしろその方が多い。なのだけれどブログはそうはならない。ぐだぐだと間延びした文章にはならない。簡潔に、完結にと文章を書こうとしてしまう。一体どうしたら長い記事のブログを、文章を書くことができるのだろうか。

 

 さきほど紹介したTaroさんのブログの初期の記事をつれずれと読んでみたとき、それぞれの記事のタイトルの気張ってないほんわかさ(といったら失礼かもしれないけれど)に魅かれた。記事の内容は大方、彼の考えたこと、思ったことなどを日記調に綴ったものだった。匿名で、誰かの耳を気にしないような空気で書き綴った文章だった。シェイクスピアの「マクベス」の有名な魔女の台詞を思い出す。「奇麗は汚い、汚いは奇麗」。

 

 見栄えを気にして背伸びした書き方が本当に奇麗なのか。直すところだらけな、けれど話の芯がある文章、どちらが奇麗でどちらが汚いのか。

 

 結局、今日も長い文章は書けなかったことに落胆する。指を動かす早さと頭から言葉が続いてゆかないことにやきもきする。しかしそれが今の自分の筆力なんだと思い知らされることが今の自分には必要なことなのだろう、向きあわなければいけないのだろう。

 

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 読んだ本の記事を書こうと思っていたのに全く違うものになってしまって少しクスッとする。次はちゃんと本の感想を書かないと。 

マクベス (新潮文庫)

マクベス (新潮文庫)