志大才疎。

文系と理系を行き来した人間の掃溜め

【解決?】Rstudioの初回起動時にwarning messageが出て解析ができなかった話

お久しぶりです。んぺ助です。
普段はあまり統計の話などはしないのですが、結構めんどくさい状況に出くわした上に日本語での解説サイト等も特に見つからなかったので、備忘録(&誰かの手助けになれば)として書き起こしておきます。
もし同様の症状で悩まれている方でお急ぎの方は【解決策】の欄まで飛ばしてもらえればと思います。


【症状】
数か月前、自宅のデスクトップパソコンにR及びRstudioをインストールしてRstudioを立ち上げたところ、テンプレ文(R version~...~ to quit R. )の後に以下のようなwarning messageが表示されました。(R versionは4.3.1です)

During startup - Warning message:
package ‘stats’ in options("defaultPackages") was not found 
 Error in inDL(x, as.logical(local), as.logical(now), ...) : 
 unable to load shared object 'C:/Program Files/R/R-4.3.1/library/stats/libs/x64/stats.dll':
  LoadLibrary failure:  ネットワークパスが見つかりません.。


このwarning messageを無視してコードを書いたところ、簡単な四則演算などはできるのですが、rnormなどの基本的な分布や乱数発生を行おうとするとエラーを吐いてしまいます。
(例:Error in rnorm(x) : could not find function "rnorm"
なお、RstudioではなくR本体(R Guiってウィンドウにかいている方ですね)で実行したところ問題なく処理ができたので、恐らくRstudio側の問題だろうと思って色々調べることにしました。 ちなみにfailureといわれたパスにはファイルは存在しました(stats.dllは問題なくインストールされていました。)

【解決策】
まずRtoolsがインストールされていない方は当該バージョンのRtoolsをインストールしてください。
https://cran.r-project.org/bin/windows/Rtools/

次にRstudioを立ち上げ、warning messageの後に以下のように入力します。

writeLines('PATH="${RTOOLS40_HOME}/usr/bin;${PATH}"', con = "~/.Renviron")
なお、参考にしたのは以下のサイトです。(質問者の方のwarning messageとはやや異なっていますが解決策としては問題ないようです)

Loading Packages issues Continued LoadLibrary failure: The specified module could not be found


Rstudioを再起動します。(おそらくそのままでも使えると思いますが、確認していませんので念のため再起動をおすすめします)
うまくいけばwarning massageが消えているはずです。確認のために適当な関数を打ち込んでみます。(dnorm(1,1,1)等の簡単な関数で良いと思います。(statsパッケージに含まれてさえばいれば))
正常に動作すればおそらく問題ないです。

【補足】
半年くらい前にこのエラーに出会い、半ば諦めてほったらかしてたのですが(解析自体はノートPCでもできる上に業務ではSASを使うことが多いので問題はなかった)、ふと思い立って数時間格闘していたら解決しました。warningをそのままコピーして出てきたサイトを色々試したけどうまく行かず……だったので、運が良かっただけかもしれないです。
直った要因はいまいち分かってないのですが、ディレクトリのpathがうまく通ってなかったのかなぁと適当に推測しています。また、問題解消後にR関係のプログラムを全部アンインストールしてから再度試したところwarning messageは表示されませんでした。一度うまく通せば問題ないようですね。(エラーに再現性がないとも言える)
なんにせよ、解決できたので良かったです。

同様の症状が出る方の解決策になれば幸いです。(もしうまくいかなかった方はコメントくだされば他に見つけた解決策らしき方法を共有できるのでよければどうぞ(解決できる保証はないですが))

参考
1. Loading Packages issues Continued LoadLibrary failure: The specified module could not be found (https://stackoverflow.com/questions/70513218/loading-packages-issues-continued-loadlibrary-failure-the-specified-module-coul , accessed:2023/09/11)
2. 【コピペでOK】はてなブログソースコードをエディタ風に表示するCSS, やわらかテック (https://www.okb-shelf.work/entry/original_pre_css , accessed:2023/09/11) ※エディタ風ソースコードの書き方を参考にしました。

"ちゃんと"『小説』を書いてみたい

んぺ助です。

 飽きるまではできるだけそれなりのペースで、自由にブログを書ければなと思っています。

 

 今日は小説のお話をしたいと思います。タイトルにもある通り、"ちゃんと"した『小説』のお話です。(まずここから色々書くことがありそうです)

 

 以前、PixivFanboxの方でこのような投稿をしました。

nnpe.fanbox.cc

 

 この記事では、今までの国文法の潮流の中の文学という作品と、その一方で新しい文学、ここでは「なろう文学」とでも便宜的に呼称しておきましょうか。そのそれぞれに貴賤があるというわけではなく、ある側面——マーケティングの側面ではそれがマジョリティになり得る、という結論を出しました。

 ここからも、あくまで貴賤なきよう、今までの文学を「国文学」、なろう小説などに代表される横書き的なものに特化された文法を「新文法」とここでは便宜的に分けておきます。

 ここで、私の指す"ちゃんと"というのは、どちらかというと国文学の潮流を引き継ぎたい、という意志を指しています。

 今、私のちょうど左から適当に三冊取り出しました。


太宰治/パンドラの匣

ドストエフスキー/地下室の手記江川卓 訳)

太宰治/晩年


 かなり太宰治に寄りましたが、ざっと、この三冊を流し見をしていました。文の表現の綾はあれど、やはりどれも文学的な表現や、かっちりとした形式が後ろにあるように感じます。そこには一抹の重さすら少し感じます。少なくとも、新文法に見られるような場面転換での ◇ ◆ ◇ みたいなのもありません。

 ですが、私はこのスタイルが好きです。こういうものが書きたいと、そう思っています。

 一方で、私はそれらを『小説』と形容するとするならば、今の私は小説を書けていないのではないか、と考えています。

 自分の書いたもののストーリーの展開は一様。表現も手垢のついた表現ばかりで、読んでみたら余り厚みもない。今私が描いているものを、小説と呼ぶにはあまりにも稚拙だと思うのです。

 

 一方で、自分の書いているもの——SSと形容しておきます——SSは、目指す国文学の潮流だけではなく、新文法の潮流をやや踏襲している、と感じています。一人称視点で話を進め、感情をがっつりと書く、ダッシュ(——)や三点リーダ(……)ももとより、感嘆符(!?!?)なども割と惜しげもなく使っています。勿論、◇◆◇も。私は今この二つの流れをどちらも汲んだ形で、自分の目指す先、『小説』が本当に書けるのだろうか、と悩みます。少なくとも今は、できていないというのが自己評価です。

 

 直近のオリジナルのSSはこれです。約1万字の短~中編。

www.pixiv.net

 ストーリーの大まかな部分はともかくとして、このSSは設定をある程度練られていたと思います。そのために事前に雲の描写などを入れてみて。そして何より単純に朧雲という言葉が示すように少し暗澹とした雰囲気づくりを作るために何も少し生活水準が低そうな空気感を書いたつもりでいます。

 全体的な流れとしては、重たくもあり、少し救いのありの感じです。こういったどんよりとしたことから始めた話は少し最後に希望を持たせたがってしまう、というのが最近の癖になってしまっています。

 実際にこのSSを紐解いてみると、一定の国文法のルールには乗っ取っていながらも、言葉遣いは比較的フランクで現代的。主人公の感情の書き方は少し新文学に寄っているなと感じています。

 

>窓から見える空は暗く重たい。鈍色にムラを作りながら流れていく分厚い雲は糠星さえ見えないほどの宵闇を作り出している。

 

 これは文頭の一文ですが、もう少し引き込みのある文章を書くべきだったかなと思っています。ここからずっと重たい感じをひきづっていくという空気感を作ったつもりでしたが、やややりすぎた感じはあります。

 

総評としては、小説かな?という感じです。 これに関しては及第点くらいかなと思いました。

 

 ということで、急に始まりましたが、自分が書いているものが自分の書きたい『小説』に近づいているかどうかチェックを、自分で評価してみるというのをたまにやろうと思います。こぼれ話もあるかもしれないし、無いかもしれない。

 できれば一次創作でやるつもりですが、二次創作でも表現に凝っているようなものであれば引っ張ってきて来ようと思っています。(基本的に読んでる前提で書きますのでネタバレありです)

 

 

手探りで進めていきますが、何卒よろしくお願いいたします。

んぺ助

 

『才能』とは、を日々考える_2

んぺ助です。

今回は前回

sigmaalpha.hatenablog.jp

 

に引き続きの話をしようと思います。前回は自分の学歴的な話と、そこからくる実生活上で感じる才能の話をしました。今回は趣味方面で感じる話、芸術とか創作関係の方の経歴(?)とそこから思う才能の話(結論は一緒なのですが)と、現状の話をしていこうかなと思います。今回も前回に引き続き、経歴部分はそこそこ長くなるので流し読みで大丈夫です。

 

 まず前提として、私の大きな趣味として挙げているのは

・音楽(楽器)

・イラスト

・小説
の三本柱です。これをどういう感じに趣味にしていったかというのをつらつら書いていきます。

 

○小学生:小学生のことはそこまで特筆することは無いのですが、丁度この時にスキマスイッチさんにハマりました。(「グレイテスト・ヒッツ」を借りた) この出会いがこの後に効いてきます。

小6の頃に、自作HPで連載物のSSを書いていました(黒歴史)。音楽始める直前くらいまではやってました。

 

○中学生:中2の時、父の知り合いの家に遊びに行ったときにたまたまギターが置いてあり、それを弾かせてもらったのがきっかけでギターが気になるようになりました。最初に弾いたのは、禁断の遊び、笑 それを見ていた父親が、次の誕生日で初心者セットみたいなのを買ってきてくれて、そこから色々はじまりました。

 始めこそ一人で黙々とやっている感じでしたが、途中から仲いい友達に声かけて何とかバンドできるように画策していました。その結果、オークションを使ってエレキギターやベースを入手して、知り合いに売りさばいたりしていました。とはいえ結局中学ではそれらしいバンドはあんまりできなかったという感じでした。最終的には、ギターとベースでメインはベースという形に。

 

○高校:高校では軽音楽部に所属。ベース経験者だとアピールしていたにもかかわらず人間が足りないとの理由でドラムさせられました。3年間通して相当数ライブ出ましたし、ギターボーカルもさせて貰ったりしていました。やや作曲に関わった曲が大会の1次予選を突破したりもして、この辺りは音楽が楽しかった時期です。ただもうこの時点では、プロを目指すとかいう考えはありませんでした。他校の人と一緒に練習させていただく機会があったのですが、上手い人は本当にうまくて、そして機材もすごくて。敵わないなぁと思いましたね。ただベースに関しては自己肯定感がそこそこあったので、自分はもうすこしできるし!とは思っていました。

 

○浪人~大学:この頃に外でバンドやることを覚えました。一気に世界が広がって、年上でめっちゃ機材もっていてうまい人、みたいなのをたくさん見ました。youtubeで投稿している人で見たことある人とかもその界隈(?)にいて、世間は狭いなあと思うと同時に、アマチュアバンドは結局仲の良さでバンド組むことが一番いいことなんだと気づいて、実力面についてあまり考えなくなっていくのもこのきっかけからです。今、バンドは私にとって、交流のツールでしかないんですよね。ここでパートが足りないという理由から、キーボードを始めます。この選択は後々痛い想いをする。

 この時期に始めたものその2、イラストです。もとは推しのCPの供給が少なくて、少ないなら自分で書いてやる!の精神で描き始めました。結局は描き始めて1年くらいで初同人誌「ももいろ⇔あおいろ」という本を頒布しました。(在庫は残ってます)

 始めの頃こそは楽しく書いていたのですが、少しずつ評価が気になったり、「うまくかかなければならない」という強迫観念に襲われるようになって、最近は描くことが苦しくなりつつあったりします。とはいえ、うまく描いたから絵が伸びるというわけでも無くて。絵を伸ばすというのも、ある種の才能とかそういう人間性、みたいなのがあるのだなと思いました。

 

 大学後半ごろ、Fanboxにオリキャラのキャラストーリーを書くという形で文字を書き始めました。本格的(?)に小説形式で書き始めたのは二次創作からでした。まだ2,3年くらいでしょうか。ただこれに関してはコレ!といった努力をした覚えはないですが、それなりに良い評判をいただけてちょっと鼻が高くなっていたところはあるかなと思います。ただそれなりの矜持を持ってやっている創作で、これが今自分のやっている創作の種類の中で一番自己表現ができるのではないか、と考えています。もし才能というものがあるとすれば、少なくとも私がやった中では私は小説に多少の適性があったのでは、と思っています(他は無いなと思っている)。

 

 

 ここまでまとめてきたように、どちらかというと音楽の方が期間としては長いです(もう10年になる気がします)。ですが今の活動のメインはイラストとSSで、音楽はコロナの影響もあってほとんどできていないというのが現状です(といってもコピバンをやるのが関の山で、作曲等はほとんどやっていないのですが……(極々稀にお手伝いでベース録音をお手伝いさせていただくくらいです)

 で、ここからが前回の続きの話。上記のように色々なジャンルで能力というものを推し量る機会というのが多かったです。そこにはすごく努力をしている人(四六時中それをやっている人)とか、機材にめちゃくちゃこだわっている人、めちゃくちゃ器用な人……等々。

 ただ、そこで共通するなというのは、「優れたものを作る人は優れたインプットをしている」という事なんだろうなと思います。その創作とかの世界が好きで、その世界にふれ続けることが苦にならない方が生み出すエネルギーはやはりすごいと思いました。インプットが多ければ多い程、アウトプットへの圧力も大きいのかなと思っています。更に良い点は、それを苦に思わないということはすなわち、それが好きだということです。好きのエネルギーというのも、馬鹿に出来ないことだと思います。

 年齢を重ねると、アニメが見られなくなったりするという話をたまに聞きます。実際に私も、(大学院に入って忙しかったのもあるでしょうが)コンテンツにのめり込む体力がなくなってきたなと感じます。その結果、創作のエネルギーも比例するように減っていると感じています。学問と違って、こういった創作の物においての『才能』の一つには、好きであるという気持ちを持続させ続けることができる、という事があるのかと思いました。そうすると自然にインプットも増えていき、よりよい創作に繋がる、、、という良い循環が出来上がるのかなと思っています。

 あと最後に才能という話で感じるものですが、音楽、イラスト、SS、色々やった結果、私はイラストの才能は無かったなと思っています。上に挙げた、好きの気持ちがかなり目減りしているということが理由です。描いていてなかなか苦しいことも多いので、そろそろ引き際かなぁ、と思うことは多いです。

 ただその一方で、SSに関しては空き時間に色々日本語のこととか言い回しを考えることが好きなので、そこはまだもしかしたら『才能』の要素を持っているんじゃないかな、なんて思います。

 

 大した結論が導けなかったのですが、こんな感じで私の遍歴は続いていきます。創作をやめるつもりはありませんので、才能がないなりに、頑張って行かないといけないなと思っている次第です。

 

※もしこういう話が聞きたいなど有ればコメントでください。特定のない範囲で、自分の話も出していこうかとは思っています。

『才能』とは、を日々考える

はじめまして。開設してずいぶん経ってからとなりましたが、初投稿になります。

普段はんぺ助という名前で創作活動などをしています。

ブログ自体が久しぶりですが、ちまちまと書いていこうと思います。

 

 初エントリーとなりますが、この話をするためには自分の経歴と趣味について触れておかなければならないので少し経歴を触れておきます。見る人が見れば分かってしまう程度にはしっかりと長いので、流し見してもらえばいいです。

 

○学歴とか

小中学校:地元の普通の公立校。中学は中三の夏期講習~成績が伸びて、最後の定期テストでギリ学年10位に滑り込んだくらい。といっても石にかじりつく努力をした感じもなく、またそんなに学歴に対してのこだわりもなかったので、親に提示された最低ラインの高校を目指してました。(数学は80~90点ほど取れたので、この時点では理系と文系どちらともない感じでした)

 

高校:上記の最低ラインの高校(偏差値は当時で60いくつとかだった気がする)の中堅・自称進学校に進学。1学期は大体学年の真ん中くらいの順位でしたが、2学期から(本当に理由は謎)徐々に成績が上がり、最終的には(最序盤の記述模試の時を除いて)ほぼ学年2位辺りをキープしていました。(記述模試だけたまたま1位になったけれど本当にたまたま。) この時は某旧帝国大の法学部志望でした。(文系

 この辺りから才能とかを意識していた気がする。先述のように万年2位以下だったわけですが、絶対に勝てない1位の子がいて、かといってその子はガリ勉というわけではなくて、ガチの頭のいいタイプの人でした(府下でトップの高校に行ける学力を持ち合わせていながら、家が近いという理由で同じ高校にいた) 実際、旧帝大に過去問も買わずに合格していきました。 ちなみにその子とは今でもたまに飲みに行くくらい仲はいいです。

 

 まだこの頃は努力だとか才能だとかに腐っていなくて、というか私自身も血のにじむような努力、というようなものをした記憶なく成績が伸びたので(分からないことを放置しなかったことが要因かなとは思っていますが)、あんまりもやもやは無かったと思います。

 

 もう少し高校の話。高2の頃に恋人ができて、その人が結構基礎疾患とかをたくさんもっていたことを知って、何か力になれないかと急に薬学部を目指し始めました。この話をスピーチ大会でテーマにして喋ったら決勝まで行って(クラスが違った)その人の前でもそのスピーチができたのは良い思い出。——というのは余談として。

 家庭の経済的に国公立しか行かせられない(薬学ともなると6年なので)かつ一人暮らしNGということで(この事が私の人生を大きく縛り付けることになります)、付近で探したところ条件に一致したのが大阪大と京都大の2校のみ。この辺りから割と真剣に、特に理数をやり込んだのは覚えています。つまりここで理系志望になります。

 

 高3。思うように成績は伸びず、判定は常にE判定(よくて数点足りないD判定)。私立を視野に入れられない以上、諦めてまだ希望のありそうな理学部にスイッチしました。理系の教科の成績自体は悪くなく(成績表でも全部5段階の5だった)、挫折という程ではないのですが、特にセンター試験との折り合いが全くつかず微妙に成績に伸び悩みました。

 結果的に最後まで粘ったものの、センター当日大コケして第一志望は足切りで終了(先生には志望校を落とすべきだと言われましたが頑なに旧帝大を目指してました)。中期後期も理系学部を狙いましたが、センターでの持ち点が悪く全滅でした。一応私立の滑り止めは受かっていたものの、前述のとおり学費問題があったので結構話し合いをした結果、何とかもう一年だけチャンスを貰えました。ただし条件として、どれだけ志望を下げても国公立に引っかかるということ。ということで浪人生活が始まりました。この辺りから人生の歯車は狂います。

 

浪人時:志望は相変わらず同じところの理学部。最初こそ一応薬学部も模試で書いていましたが夏ごろに無理だと分かりやめました。

 ただ安い予備校に行ってしまって生徒の雰囲気が合わな過ぎて結局半宅浪みたいなことをしていました。この時は流石に人生でもそこそこ勉強した気はします。それでももう少しやっておけばなあと思いました。

 

 結果的には足切りは何とか回避、センターリサーチの結果もB判定だったので、第一志望に出願しました。結果は不合格でした。(後から成績開示しましたが、3人差でした)

 問題は中期。近畿圏の理系の中期は下手すれば第一志望と同じくらいの偏差値になるため、背水の陣の私には危険すぎるので、偏差値を大きく下げて文系の中期日程を狙いました。幸いにもセンター自体は8割くらいあって、現代文が8.5割くらいあったので文系学部の傾斜配点だと割と楽々パスできる形で、結局ここに入学しました。つまりここで文系になります。

 

大学:大学は本当にいい思い出があまりないです。普通に友達もいましたし、普通のキャンパスライフは送っていたものの、小規模な大学だったため華もないしサークルもなあなあな感じで面白くはなかったです。後単純に(これは見下しているわけではないのですが)、会話の水準がややずれていて微妙に言葉を選びながら話していました。

 先に述べたように偏差値を下げている&経済系だったので元理系志望で数学ができるというのが相当強みになって、周りからかなり持ち上げられていたのもやや居心地が悪かったです。元々自己肯定感が低いのと、「すげーな!」と言われるよりは一緒に真剣な話ができる人が欲しかったなあ、というあたりで、4年間は本当に闇でした。その分、ここで同人活動を始めて、これも後々人生に善悪綯い交ぜの結果を及ぼしてきます。

 

 大学のゼミは大学内でも一番数学をゴリゴリやってる先生のゼミに入って、そこで計量経済学というのを知りました。そこから統計学を勉強するようになって、後に繋がります。

 書き忘れていましたが、2年生の夏に理系の学部に3年次編入を試みますが面接で割と笑われまくった(2年では卒業できないよw、等)挙句落ちました。(学科試験は普通に解けた感じがしたので面接のせいな気もしますが真偽は不明)

 

 前述のとおり、文系学部に通う中で学問の面白さに気づけず、学歴コンプというよりは理系コンプのようなものがあってずっと理系に戻る(?)方法を模索していました。その一つが編入だったのですが駄目だったので、最終手段、大学院での理転を狙いました。実はこの頃、ある広告で今在籍している研究室の広告が流れてきて、統計学を使うとのことで。統計学ならワンチャンあるのではないかなということで一から統計を猛勉強して、統計検定2級を取りました。まあ今となってはその知識は本当に微細だったと知るのですが。

 結局は院進に進路を決めて(就活はしましたが)、先生とも相談しながら受験。結果的に何が良かったのやら合格して、晴れて理系になりました。(数理系)

 

大学院:大学院では前述のとおり統計学を専攻しているので数理系をやっていました。ただ、結果的に周りのレベルの高さとか(話の水準は合うので学部より遥かに楽しくはあったのですが)、持ち前の打たれ弱さと修論のプレッシャーで呼吸困難とか涙が急に出てくるとか希死念慮とかいろんなデバフがついて、結構序盤から心療内科に通っていました。最終的に12月頃に爆発して、主治医と相談の結果休学する(正確には今年度の修了を見送る)こととなりまして今に至ります。

 ただ、色々便宜を図っていただいて、来年度から一応同じ分野のある施設で働きながら学位を取らせてもらえることになっていて、一応来年度からは統計家の卵として結果的に昔の目標であった薬学部——の中でも創薬の分野には関われるようになって、少し変化球的ではあるものの夢をかなえました、というのが一連の流れです。

 

 

 長くなったので趣味の話は次回に回すとして、要はここまで語ったことの要点としては、

・文転理転を繰り返している

・いいところまではいけるけど絶対に超えられない人がいた

というのがメインです。

 1つ目に関しては善し悪しはありますが、悪い点を上げれば知識や能力が均一的であまりとびぬけていません。数学に関しては今本当に苦労しています。文系の時期を経ずに、理系をやっていればな……と思うことが多いです。

 2つ目に関しては完全に自分の肯定感にもつながってくるのですが、どうやっても超えられない実力差の人が近くにいることで、「ああ、才能ってこういう事なんだな」と思って打ちひしがれてしまう事がデメリットです。努力していないとはもちろん言わないのですが、圧倒的な実力を前にすると努力だけではない何かを感じてしまわざるを得ないです。努力をできたとして、私にはそのレベルの努力すらも恐らくできないと感じるほどに、そもそものポテンシャルが違う人というのが間違いなくいます。アカデミアにいれば、それは嫌という程感じます。

 

 そんなこんなで、私は自分自身の『才能』についても、『能力』についても、どちらも本当に平平凡凡、中途半端だなと感じています。それゆえ最近は、努力をするという基本的行為すらままならなくなっているのが現状です。ありがたいことに、小学校から大学院の今に至るまで頭の良さということを友人らから評価していただくことも少なくなかったのですが、その彼ら彼女らの方が遥かに出来が良くて、賢く見えるのです。

 才能という言葉は逃げだという人がいます。でも私はそうだとは思いません。才能というのは確かに存在します。ただそれを逃げの文脈で使う人が多いだけです。努力さえすればその溝が埋まるなどというのは、その途方もない努力ができる、そんな『才能』がある一握りの人に対して有効な言葉だと思っています。

 環境や運が助けたこともあって、なんだかんだでそれなりの高校・(大学)・大学院まで進んできた凡人の私だからこそ、上は青天井なんだというその絶望にも似た現実があることを知りました。上の層が薄くなればなるほど、見えたくない現実というのが見えてしまうものなのだと、ぼんやりと思っています。才能というのは、何もしなくて何かをできるという意味ではなく、何かを成し遂げるために必要な材料——それが記憶力や洞察力だったり、はたまた格段の努力をし続ける体力、何かを本気で好きになることなど色々ですが——それを手元に持ち合わせている人の事だと思っています。それは先天的にも、恐らく後天的にも得られると思いますが、そういった文脈で私は『才能』の存在を否定しません。というか、できません。

 

 私はそんな中で、恐らくこれからもその一廉の天才たちとやり合っていかなければならないという事実に日々胃を痛めています。

 

 

 これは学問だけではなく、全く同じことが創作の世界でも言えることだというのも、同じ経験を通じて強く感じました。それについては、気が向いた時にでも次の記事で書きます。

よろしくお願いします。