初めに

十八歳の頃、夢はなんだったっけ。多分、声優だったかな。その頃は、オタクな趣味が一生ものになる、そんな確信だけがあった。だから、それを正当化出来る職業に就こう、それだけを考えていた。
十九歳の頃、初めてアルバイトをする。希望は本屋だった。でも、面接が通らない。今以上に対人関係のスキルが低かったのは間違いない。なんとなくこれから面接というものに苦労させられる気がした。間違ってはいなかった。決まったのはファミレスとコンビニだったな。
二十歳の頃、大学の友達が固まったのはこの頃か。新世紀エヴァンゲリオンは、自覚的にハマったアニメだった。世代的にはガンダムだが、インパクトとトラウマを刻んだのは後にも先にも、これだけだ。
二十一歳の頃、多分就職氷河期なんかと言われていた筈。でも関係はなかった。まともな就活をする気はなかった。田中芳樹に憧れていたのは間違いなく、かと言ってモノ書きになるだけの動機も持ち合わせていなかった。プロットというか、黒歴史設定はいくつか書きためていたけど。形になることは、なかった。そこで、他力本願することに決め、モノ書きを教えてくれる学校を卒業後の新天地に決めた。学校は東京にしかなかった。仕方がないので、餃子工場でのバイトで上京資金を貯め、足らない部分を補うため新聞奨学生の手続きをした。夢のため、他人の手を借りたくなかった。
二十二歳の頃、只々バイト三昧。就活もせず。後悔もせず。そして大学も卒業。論文書くこともなく、卒業。
二十三歳の頃、初めての上京。初めての一人暮らし、といっても寮生活に毛が生えた程度だったな。蒸暑い湿度も初体験、早朝三時からの配達も初体験、自分のためだけの家事も初体験。モノ書きの学校もそう。結果、全く何も書けなかった。与えられるハードルの高さばかりが気になった。書くことなんて好きでもなんでもなく、そのために努力し続けることより、日々をしくじらないことの方が大事だったな。この先ずっと、それが生きる意味になった。
二十四歳の頃、学校は辞めた。書けない自分が居た堪れないだけの理由。悔いは多分あった。当然借金は残る。奨学生の任期満了まで東京残留。ギリギリになるまで、親にも頼れなかった。只々日々をこなす毎日。今もなんとか連絡できる友達ができたことだけが、多分救い。これから大事なことも全う出来ないダメな人間という強迫概念が精神の核に居座る。今も居座り続ける。

ここから今日までは多分この場で書くには相応しくない。評価してくれた人もいた。なんで真剣に生きないのと呆れる人もいた。社会の規範に照らし合わせれば、後悔しないはずがない人生。この先ずっと取り返しのつかない人生。もう、終わっても良い人生。多くに関して後悔はない。戻りたい時代もない。私が私という人格である以上、この道しかなかったし、これしか歩めないだろう。やり直すなら、私でない人生を生まれ直すしかない。

ただ一つ悔いがある。
小説を一本も書き上げてない。今も何かを目の当たりにするたび、発送だけは頭を駆け巡っている。オチは思いつかない。取っ掛かりは消えては浮かぶ泡のようだ。ここはただ、キーを叩くこと、言葉を紡ぐこと、ただそれだけを心に決め、2,000枚の物語をつくってみよう
ここはそのための場所だ。ここにそう願う。