あなたにお侍のいちばん大切なものをあげるわ〜映画首感想〜
いやあ、映画「首」めちゃくちゃ面白かったですね。
2023年の10月30日に東京国際映画祭のガラセレクション先行上映でスタッフロールが終わってから、心の中ではスクリーンに向かってずーっと拍手してる気がする。
一画面あたりの情報量に圧倒されて、最初の一ヶ月は感想どころかアッとかヒッみたいな音しか出なかった。100均の店頭からクリスマス飾りが姿を消した頃にやっと好きとか最高とかざっくりした言葉が出るようになって、2024年の年号にも慣れた今やっと感想らしい感想が書けそうな心持ちになってきた。
人の言葉を借りようと思えばインターネットにいい感じのがゴロゴロあるんだろうけど、今回に限っては絶対やるべきでないと思ったので自分の中から言葉が出てくるのを待っていたら公開から2ヶ月経っていた。都内のシネコンはこれを書いている2月1日が終映日だ。
緑がきれいな映画だと思った。
冒頭の死体が浮かぶ川面に映る木々に始まり、荒木一族が首を斬られる処刑場、茂助の村や甲賀の里に続く道、大返し、敗走する明智軍が逃げ込む森。とにかく緑が鮮やかで美しかった。
それらと横並びでけっこう残酷な絵面を伴う人の死や、暴力や、侍の矜持と痴情のもつれや、空中チャンバラがあった。
宣伝であれだけ大きく打ち出していた本能寺の変さえ横並びだった。全部、泰然と「ある」ものとして同列ということなんだと思う。
散りばめられたギャグや掛け合いのテンポの良さもあって、四コマ漫画の連作長編を読んでいるような印象を受けた。
ラストの侍の矜持っていうかホモソーシャルの煮凝りみたいな光秀の首を秀吉が足蹴にするシーンの潔さと容赦のなさも四コマのオチみたいだったな。
ここまで淡々と描かれてきた全てのものの中で「いやこれだけは、あるかなしかで言えばないわー」ということなんだろう。
なんちゅうかわええ男だおみゃ〜ゎ♡
「首」の荒木村重は本当にかわいかった。信長もそう言ってる。
20年間好きだった荒木村重がメインキャラクターをはる物語として「首」を尋常じゃない温度で楽しみにしていた私だが、ここまでかわいいとは思わなかった。ていうかかわいい荒木村重になるとは一ミリも思ってなかった。原作*1も読んだのに。
ぶっちゃけ、これをかわいいと言ってしまって本当にいいのかを考えすぎてなかなか言葉にできなかったまである。信長も言ってるんだから、さっさと言えばよかったのかもしれない。でも信長には信長の道理があって、私には私の道理があるからな。
信長は精一杯目尻を下げてテンション高めにアピールし、口に饅頭の刺さった刀を突っ込まれてグリグリされようが目を逸らすことなく自分を見つめてくれる村重しか知らないかもしれないが、そんなかわいい村重が光秀の前ではたまにバチバチに侍ぶってヒモみたいな立場だろうが上から目線でずけずけと物を言うことを、私は知っている。
ちゃんと相手の好み*2に合わせて振る舞いを使い分けているのだ。かわいい。
新左衛門に捕らえられたときのウッカリを見る限りもともと隙の多いタイプの人物だと思われるが、そういう部分が人にかわいいと思われることを知っていて利用している。何を隠そう公式のキャラクター診断で村重に至る最後の選択肢は「フェロモン強めの自覚はある」だ*3。そういう太々しさまでひっくるめて、かわいい。
亀山城に匿われてからの方がイキイキしているところ、かわいい。明らかに侍よりヒモに向いている。一見ぶっ飛んだこのキャラクター性も、後年秀吉の御伽衆として趣味の世界で身を立てたという史実のデフォルメと解釈すると納得してしまう。史実を忠実に再現しなきゃいけない作品ではないから、(史実ではないことが観客に伝わってれば)別にかけ離れてても面白ければ全然いいんだけど。
はー、どことっても最悪でかわいい。並の人間が御せるかわいさではない。
まあ関わったのが並ではない人間たちだったから、あんなこと📦になっちゃったんですけど。
傾国のかわいさが間に挟まってなお、映画「首」は「信長と光秀の物語」だったと思う。
痴情のもつれで燃える寺
2023年は本能寺炎上の当たり年だった。
レジェンドアンドバタフライ(1月公開)、天下人のスマホ信長編(2月放送)、どうする家康(7月に本能寺回)、そして首(11月公開)。
X(旧Twitter)のbioに書くほど本能寺炎上が大好きな私だが、なぜこんなに惹かれてやまないのかといえば「信長という主と光秀という家臣がいてなんやかんやあって寺が燃える」の「なんやかんや」のあたりに各作品千差万別多種多様な巨大感情、つまりウマミ成分があるからである。例をいくつか挙げるとすれば、天下取りの野望、長年虐げられた恨みつらみの発露、こんな危険な男に天下をとらせてはいけないという責任感、太宰の「駆け込み訴え」みたいなやつ。とにかくいろいろある。
「首」もまあいろいろあった。インタビューなどを読んでも明確な答えはない。多角的な見方ができる描かれ方だったから、自分の感じたところを語る。
信長と光秀のクライマックスのひとつ、安土城のバルコニーでガンガン蹴られてからバックハグで琵琶湖を眺めるシーンから読み取った二人の関係性はこんな感じだ。
信長は光秀に自分を好きになってほしい。この好きは常に自分の命令に従順であってほしいという意味の好きで、たぶん愛より支配欲と呼んだ方がいいやつ。
一方の光秀は侍の契り*4があるからそんなこと言えないけど信長にはナメられたくない。盾付きすぎてもナメられても立場は危うい。
すれ違いを抱えたまま二人は家康の毒殺を目論む。言うなれば共同作業だ。信長の「鯛でタヌキを見事釣り上げたら光秀、俺に一晩付き合え」から始まる本能寺炎上までの一連のエピソードは、観客をめちゃくちゃ翻弄するという意味で、ラブストーリーの文脈であると強く言いたい。
- 私たちは光秀が裏切って本能寺が燃えることを知っている。
- でも、この作品で信長と光秀が寝るかは知らない。
- 私たちは家康が最終的に生き残って江戸幕府を開くことを知っている。
- そして、この作品では家康の影武者が家康の代わりに何度でも死ぬことを知っている。
つまり信長と光秀が家康の影武者を家康本人と誤認する時間が一晩でもあれば約束は果たされてしまうのだ。
家康がうまく切り抜け村重が光秀を焚き付けたことで、結果として約束は果たされることなく本能寺は燃えた。しかしここに至るまでの短い間に数えきれないほどの「エーッどうなっちゃうの?!」があった。ラブストーリーでなければサスペンスかもしれない。ともかく観客がガンガン揺さぶられるポイントは間違いなく「本能寺は燃えるとして、信長と光秀ってどうなっちゃうの?」だ。
それぞれと村重の関係がこの時点で一定のゴールに達している点との対比もすごい。信長と村重は謀反によって関係が破綻し、光秀と村重は多少の心配事こそあれ円満で、観客を「どうなっちゃうの?」で翻弄するには穏やかな振れ幅だ。そういうわけで、映画「首」は「信長と光秀の物語」だったと思っている。
これに気づいてから先述の安土城のバルコニーのシーンがタイタニックの有名なアレみたいに思えてきたので、私はあれを暴(バイオレンス)のタイタニックと呼んでいる。
これらはあくまでラブストーリーの「文脈」であって、実際のラブはないほうが「首=形ばかりで実がないないもの」という本作の主題ともマッチするなーと私は解釈しているのだが、全きラブストーリーともとらえられる描き方だったと思う。
こんな顛末なら、そりゃあ火力も強くて本能寺もあっという間に燃えるでしょうよ。
衣装、全部好き
「首」は衣装もグンバツに良かった。
バックボーンの掘り下げが必要最低限に削ぎ落とされている登場人物たちの人となりがそれぞれの着こなしに現れており、一癖も二癖もある彼らの魅力をグッと引き出している。
一例を挙げるなら羽柴軍。秀吉と秀長の平服は小袖が1種類、場面によって上に胴服や羽織を着ていることもある。一方、官兵衛には小袖が2種類ある。羽柴の陣の中などリラックスした場では濃い緑の小袖を、光秀を迎えたり毛利軍に使者として向かう時には明るい黄緑色の小袖にグレーの肩衣を合わせている。
自分は動かずに陣中で策を巡らす秀吉(と秀長)に対して、自ら立ち回って交渉や調整にあたる官兵衛はTPOに合わせたコーディネートを心がけているというわけだ。
こういう見方で色んな人物を見ていたら、どえらいことに気づいてしまった。
光秀の陣羽織は作中で2種類登場する。どちらもベースカラーは紫だが、襟の色味が異なる。登場時に着ている羽織は橙に金糸の生地、本能寺の変の前に着ているのは藍色に濃いエンジ色の生地だ。
では本能寺の変の前、登場時に着ていた橙と金糸の襟の羽織はどうなっているかというと村重が着ている。
もう一度言う。
村重が、光秀のものだった陣羽織を、着ている。
彼シャツならぬ彼陣羽織である。
信じられないかもしれないが、以下の二つの動画をそれぞれサムネイルの下に書かれたタイミングで一時停止してよくご覧頂きたい。
⏩️0:12あたり
⏩️0:25〜26あたり
さぞ熱っぽいやりとりがあったことだろうが、作中では一切のフォローが入らない。黙って出す情報じゃないだろこんなの。
てか、これから箱に入れて文字通り捨てる相手に自分の陣羽織着せるのどういう心境??????「首」、光秀のことが一番わかんなかった。
あなたにお侍のいちばん大切なものをあげるわ
光秀の心情ベースで考えるからわからないのかもしれない。村重を匿うと決めた時も、信長の手紙を読んだ時も、信長といっしょに家康毒殺を企てた時も、信長に謀反すると決めた時も「武人として」みたいなメンツやプライドだけは、一貫して保たれているからだ。
結果、同じように侍のプライドを重んじている茂助に自分のいちばん大事な「首」をくれてやることに決めて、なんか幸せそうに死んだ。
あとで顔もわからないくらいにボコボコにされて秀吉に蹴り飛ばされようが、そもそもここに至るまで全部秀吉の手の上で踊らされていようが、最後に茂助に出会えた時点で侍人生あがりなのだ。
く、狂ってやがる……
今ここで本作のコピーが効いてくるとはね…
現代のホモソーシャルで概ねテッペン取ってる北野監督が「でもホモソって外から見たら最悪だよね」というメッセージをのせたのがこの映画のすごいところだと思う一方で、自分の首の価値をわかってくれるであろう名も知らぬ下郎(茂助)に首をくれてやることに決めた光秀のめちゃくちゃ生き生きした顔を見ると、ホモソーシャルの恩恵を受けて生きてる人って本当に気持ちいいんだろうな…と暗澹たる気持ちになる部分も多いに、ある。何かを排除することで得られるホモソーシャル的な優越感て、自分にも絶対あるしな。
こういうことを考えながら、東京国際映画祭を含めて17回「首」を観た。毎回新しい発見があり、毎回斎藤利三がMVPだった。
常にスケジュール調整にベストを尽くしてきたが、心残りもそこそこある。IMAX上映には1回しか行けなかったし、グランドシネマサンシャイン池袋の最上階のIMAXでも観てみたかった。新宿ピカデリーのプラチナシートを予約して、鑑賞前にラウンジでくつろぐ体験もし損ねた。まあでも、どんな豪勢な設備よりも自分の人生がこの映画の滋味をめちゃくちゃ深く、濃くしてくれていると思う。
20年好きだった荒木村重という人をカンヌに引っ張り出してくれてありがとう。キャンペーンで金のムビチケ当選させてくれてありがとう。
人生の節目の年に「首」があってよかった。改めて心からそう思う。
首を巡る冒険
執着というのは実に厄介だ。
一線を越えると、単純に「好き」だけで済んでいた気持ちにいろいろネガティブなものが混ざってどんどん重くなる。さっさと手放すのが利口だとわかっているのに、重くなるほど手放し時がわからなくなる。
何事もほどほどが肝心だが、人間どーーーーーーーーーしても諦められないこともある。
今自分がやっていることは、その一線の先か、手前か。
スマホを手に取って、3分前と同じ動作でURLをタップする。
できることなら踏み止まりたい。これ以上苦しむとその先に行ってしまう気がする。
「諦めるんじゃなくて、期待値を下げるだけ」
誰に言うともなしに呟いて、私はリロードした画面が表示されるのを待った。
これは映画「首」を早く観たくて観たくて仕方ないオタクが、初めて足を突っ込んだイベントで答えがないまま動き回り、最終的に執念と運でなんとかした冒険の記録である。
はじまり
遡ること半月前。
私はムービーウォーカーストアお問い合わせフォームから返信された一文を見つめ肩を落としていた。
最速試写会はムービーウォーカーストアでムビチケGOLDをご購入頂いた方にご参加頂いております。
うーん、まあそうじゃないかって薄々思ってたけどね………
映画にはあまり造詣の深くない私が最速試写会なんてバッキバキのイベントに参加してまで観たかった作品、「首」。
「その男、凶暴につき」や「アウトレイジ」シリーズなどアウトローな男たちを描かせたら右に出る者がいない北野武監督が、私の大好きな戦国時代で本能寺の変の映画を作るというのだからもうたまらない。
さらに、なんと、20年来好きだった武将・荒木村重が物語の重要人物として活躍する。
2年前に原作小説の存在を教えてもらってから銀幕で観られることを心待ちにしていたが、この4月に公開が予告され、5月にはカンヌ国際映画祭で大絶賛を受け、7月には純金製のムビチケの発売も決まった。
この世にも珍しいムビチケはX(旧Twitter)でプレゼントキャンペーンが行われ、なんとありがたいことに私も当選したのだった。
商品ページによれば、特典として最速先行試写会にも招待してもらえるという。私はすっかり舞い上がってしまい地面から5ミリくらい浮いたような気持ちで日々を過ごしていたが、いくら待っても最速試写会の詳細メールは届かなかった。
気になってお問い合わせをした結果、先述の返信があったわけだ。
募集の時に一言言ってほしかったという気持ちもないではないが、めちゃくちゃ楽しみにしている映画の公式アカウントから刀の刺さった饅頭を差し出して満面の笑みを浮かべた信長の場面スクショ添えで
◥◣ 🏯 当たり 🏯 ◢◤
のリプライをもらう経験はいくら積んでも得られるものではない。しかも純金でできたムビチケまで届くことになっている。お金を払った人とハッシュタグをつけてツイートしただけの人との隔たりはあって当然、納得するのに十分すぎるリターンだ。
それはそれとして、問題は早く観るつもりになってしまった自分をどうなだめるかだ。
この世には確実に私より先に「首」を観る人がいる。カンヌでワールドプレミア上映された日も一日悶々と過ごしていたというのに、そんな人たちの感想を読んだら羨ましさに身を焼かれて私が第二の本能寺になってしまうかもしれない。いつかなれたらいいかもしれないが今じゃないな。
諦めるという選択肢はもちろんなかった。
東京国際映画祭
カンヌに国際映画祭があるように東京にも国際映画祭があることを、私は「首」の公式ツイートで知った。
東京国際映画祭は毎年10月に東京で開催される。今年で36回目を数える、新進気鋭の作品や日本で未上映の海外作品、世界の話題作の先行公開(ガラ・セレクション)など普段の映画館では見られないレアな作品が目白押しのお祭りだ。
今年はガラ・セレクション枠で「首」が上映される。
話題作の先行公開ということで人気が集まるため一般販売開始の前に先行抽選があったが、これは外れた。一般販売に賭けるしかない。
私は血眼になって一般販売の注意書きを読んだ。
映画祭指定のオンラインチケットサイトで販売されること。
10月14日に、作品のカテゴリーごとに時間をずらして販売が開始されること。
うんうんなるほど、オンラインなんだね。さて「首」は何時からだったか…
※ 先行抽選販売の10作品は10/14(土)の販売はございません。
え?どういうこと?
一般販売、ないの???
オンラインでの一般販売がないってこと??じゃあ会場のチケットセンターに行けば買えるの…???
わ、わからん!!!!!!
同人誌即売会と2.5舞台のチケットの取り方はわかるけど、東京国際映画祭のチケットの取り方はわからない。
でも諦めたくないな……
迷走
開催日初日にチケットセンターに並べば買えるかもしれない。見切り発車もいいところだが、ここで諦めたら11月23日の公開日まで首を観ることはできない。
諦めたら諦めたで悶々としながら落ち着かない日々を送ることになるだろう。だったら何かしている方がいい。東京国際映画祭が開催される10月23日までまだ20日以上ある。
とにかく情報を集めるのだ。
[東京国際映画祭 チケット 待機列]で検索しても、チケットセンターに朝から並んだ人のブログやツイートはヒットしなかった。オンラインサイトがめちゃくちゃ重くてアクセスしづらいというようなツイートは見つかったが、現地に行ったわけではなさそうだ。
一口にジャンルでくくるのはいささか乱暴だが、映画ファンはそういう武勇伝を書き残さないタイプの文化なんだろうか。2次元のオタクとは違うのかな…
検索だけではどうにもならなそうだったので、次に映画に詳しそうな友人に「東京国際映画祭のチケットの待機列について聞きたいんだけど詳しい人いない?!」と片っ端から連絡した。詳しいことはわからなかったが、「とれるといいね」「行列ってだけで勝手に写真撮る奴がいるから、顔がわからない服装にした方がいいよ」などと温かく励ましてくれたことが嬉しかった。
何より、こうして友人らに働きかけたことで後に引く気はないという己の覚悟を再確認できたことでギアがもう一段上がった気がする。
様々なジャンルのオタクのブログ*1を読みあさって、待機列の作法や用意した方がいいものを調べまくった。コーヒーやお茶はあったかいものでも利尿作用があるから避けた方がいいこと。3時間以上並ぶなら折り畳み椅子があった方がいいこと。おやつには個包装でお腹に溜まりやすいビスコが最適なこと。
フォロワーさんがアメブロの#東京国際映画祭 に手がかりがあるかもしれないと教えてくれたのでこちらも片っ端から目を通したが、ついぞ待機列の話題は出てこなかった。
例年、チケットセンターは有楽町駅前広場に設置されるが大人数の待機列を作れるような広さはない。
なんか…怪しくなってきたな…
もしかして先行抽選分ですべての席が埋まっちゃったんじゃないだろうか。
それじゃあ朝から並んでも無意味かもしれない…
でもキャンセル分だって多分あるし……
半ば絶望の淵に沈みつつも、すがれる藁を探すべく何度も眺めたかわからない文字列を読み返す。
※ 先行抽選販売の10作品は10/14(土)の販売はございません。
んん?
もしかしてこれ、「14日の一般販売」がないだけで「15日以降はあるかもしれない」ってこと…??…?
15日以降ならオンラインで一般販売があるってこと……???
オンライン一般販売
誰も「そうだよ」と言ってはくれないが、そう思うことにした。
運営に問い合わせることも考えたが、チケット関連の問い合わせ窓口は手段が電話しかなく受付日時が限定されていたのでそれは諦めた。
15日は幸いなんの予定もないから、終日サイトに貼り付いていられる。リロード無間地獄なら2.5舞台の一般販売で何度か経験しているし、なんとかなるだろう。
買える確証は何もないが、買えない確証もない。まあなんとかならなくても、笑い話にはなるだろう。
10月15日0:00にオンラインチケットサイトに繋がるよう、ノートPCを開いて待機。
4時間ほど前、作品一覧に「首」が表示されるようになったから「オンライン販売」はあるらしい。ただし残席表示は「×(残席なし)」。
先行抽選のキャンセル分が果たしてどの程度あるのか想像もつかない。一桁台なら知らない間に販売開始されて、あっという間に完売という可能性もある。
1時間半ほど粘ったが残席表示は変わらず、とりあえずこの後に備えて少し寝た。
その後も7時ちょい前に起床してから1時間毎にノートPCからオンラインチケットサイトにアクセスしたが、正午を過ぎても表示は相変わらず「×」のままだった。スマホからも10分おきくらいにチェックする。
昨晩からの緊張と疲労もあり、始まりも終わりも見えない戦いにちょっと心が折れかけてきた。
絶対観られるわけじゃないのに何やってるんだろ。もしかしたら私の知らないうちに完売してるかもしれないのに。
でも世界のキタノにデカデカとフィーチャーされた荒木村重を、燃える本能寺を、人より早く観たい。先に観た誰かの感想で千々に心乱れるなんて、絶対にいやだ。だって私は20年前から好きだったんだもん。
あーだめだ、これはこれ以上やると「楽しい」じゃ済まなくなるやつ。
そうだ、この際私が何をどれだけ好きだったかは二の次だ。これから「首」と前向きな関係性を築きたいなら、ここで踏みとどまるのがたぶん正解。
だから「諦めるんじゃなくて、期待値を下げるだけ」
残席:△
リロードが終わって表示された画面に見慣れない記号を認めて、思わず手が震える。
え?
△ってことは、残席が、ある!!!!!!!
やばいやばいやばい。スマホはPCより回線が弱いが今からPCに繋ぎ直してもその間に埋まっちゃうかもしれない。もうこのままいくしかない。
1回の誤タップ修正ももどかしい。暗記してるはずのクレカの番号も本当にこれでいいか心配になる。選んだ座席が他の人と被ったら決済失敗になるかも。キョーーーーー。
決済完了メールが届くまで呼吸も忘れていたかもしれない。
うそぉ、とれた………
「首」とれた!!!!!!
半ば放心していたところに、己を鼓舞するために流していた「ミュージカルテニスの王子様2ndシーズン 青学vs氷帝(関東大会)」のメインテーマ"Get the Victory"が聴こえてきて、私はそっと泣いた。
その後4時間ほどで「首」の残席はまた「×」に変わった。あまりちゃんと覚えていないが、はじめに気づいてアクセスしたときは劇場全体のキャパに対してまだ1/5くらいの空席があったような気がする。
それから
とにかく毎日の手洗いうがいを欠かさず、睡眠もしっかりとって体調管理に努めた。ここで何かあったら悔やんでも悔やみきれない。
万全の状態で訪れた有楽町は、平日にもかかわらずお祭りムードに包まれていた。
東京ミッドタウン日比谷のアトリウムにズラリと並ぶ上映作品のポスター
東京ミッドタウン日比谷前の広場には大きなスクリーンが設置され、誰でも無料で観られる形で名作映画が上映されている。観客で賑わう広場の隣のゴジラのオブジェも今日はなんだかいつもより誇らしげだ。
こういう景色も「首」を観た後には全然違った見え方をするようになるのかもしれない。ちょっと感傷的な気分に浸りながらTOHOシネマズ日比谷スクリーン12の入場待ちの長い列に並ぶ。すごいなー、この人たちがみんな荒木村重の名前を知って帰るんだ。
席について広い劇場を見回しながらとりとめもないことを考えているうちに、場内が暗くなった。
めくるめく131分だった。
劇場を出た私は、チケットをとるために悶え、あがき、苦しんだ半月を補って余りある充実感に包まれていた。
人通りが少ないのをいいことに、思わずスキップしたくらいハッピーだった。
公開前だから詳しい感想は控えるが、とにかく無駄がなくテンポがいい。漫画で例えるなら勢いのある四コマ漫画を読み進めていたら一本のストーリーができていたような印象を受けた。
人物間の粘ついた巨大感情を期待していたが、そこはいい意味で裏切られた。行動の裏にある葛藤や感情を掘り下げなくても関係性は描けるのだ。それでもドキドキハラハラするような展開もあり、プロの整頓術やピタゴラ装置を見せられるような快感に痺れていたら本能寺が燃えて、山崎の戦いの決着がついていた。
村重のジョーカー的な立ち回りも、今回デカデカとフィーチャーされただけのことはあると恵比寿顔で膝を打った。
タイトルどおりのゴア描写も少なくない(R15指定)ので苦手な方にはお勧めしづらいが、間違いなく空前絶後の戦国大作「首」は11月23日公開!!!!
Never Miss it!!!!!
*1:中でも某アイドルソシャゲ界隈のライブ物販は頭ひとつ抜けて過酷らしく、待機列で生まれた数々のドラマはどれも大変読み応えがあった
20年好きだった戦国武将がビッグウェーブに乗ってる
ミステリ小説の主人公になったと思ったらその本が賞をたくさんとっちゃったり
#米澤穂信 さんの『#黒牢城』が第166回 #直木賞 の候補に選ばれました。他の候補作と合わせ、年末年始に皆さまに手にとっていただく機会となれば幸いです。作品内容が気になる方は、#ゆうきまさみ 先生の「米澤穂信『黒牢城』読んでみた」☟を是非! https://t.co/ct9aF3YuOc pic.twitter.com/C4a7oQEr28
— KADOKAWA文芸編集部 (@kadokawashoseki) December 17, 2021
銀幕デビューが決まった映画がカンヌで絶賛されちゃったり
#北野武 最新作 映画『#首』#カンヌ国際映画祭
— 映画『首』公式【11月23日(木・祝)公開】 (@kubi_movie) May 23, 2023
【カンヌ・プレミア】 正式出品作品
◢◤11/23(木・祝)公開決定◢◤
本プロモーション映像公開中💥https://t.co/O3ws2lFeJu#FestivaldeCannes #KUBI #TakeshiKitano pic.twitter.com/E5JGrgubUt
しかも2作とも、それぞれその道で名作をバンバン発表している巨匠の手ときたもんだ。
なんで?
その名は荒木村重
荒木村重(1535〜1586)
摂津の池田氏に仕えたのち、織田信長に取り立てられ織田家の家臣に。摂津一国を任されるまで出世するが1578年に突然謀反。
信長のパワハラに耐えられなくなった、家臣が敵方に内通していることを隠しきれなくなったなど理由は諸説ある。
一年ほど籠城して戦うが、有力な味方の寝返りなどもあり戦況は次第に悪化。援軍を頼みに行くため数人の部下とともに城を出たものの、その間に城は攻め落とされてしまう。
残された家族や家臣たちは見せしめとしてほぼ全員が処刑された。
かなり壮絶な出来事だが「信長に反旗を翻した武将」といえば、信長がめちゃくちゃ欲しがっていた平蜘蛛の茶釜と共に自爆した松永久秀や皆大好き本能寺の変を起こした明智光秀などインパクトの強いカードが揃っているため、特に信長や秀吉が主役の大河ドラマなどでは深く描かれる機会に恵まれない武将だった*1。
しかし、この先こそが荒木村重の真髄と言っても過言ではない。
村重の謀反から4年後に本能寺が燃え、山崎の戦いで明智光秀を討った羽柴(のちの豊臣)秀吉が天下人と呼ばれるようになった1583年、村重はもう一度歴史の表舞台に姿を現す。
武将としてではなく、茶人としてである。
信長に謀反してまだ生きてるけど何か質問ある?
と、村重が言ったかどうかはわからない。少なくともそういう史実はない。だが茶人になった村重に求められたのはそういう役割だったのではないか。
茶人になった村重は御伽衆として秀吉に仕えた。御伽衆というのは、偉い人の雑談相手をしたり、自分の得意分野や経験談を講釈したりする人たちのことだ。「信長に謀反して生き延びた経験」はかなりすべらない話題の部類に入るだろうが、村重にはもう一つ持ちネタがあった。
村重は茶道にも明るかったのだ。
茶道といえば、デキる戦国武将はみんなやってる当時最先端のカルチャー。
肖像画の太い眉や豊かなあご髭などのパーツから武張った印象が強いが、信長に仕えていたころから有名な茶人たちと席を共にするような、カルチャーおじさんとしての一面もあったのである。それも「ちょっと趣味で」みたいなレベルではない。千利休に弟子入りした上に、七哲*2に名を連ねている。
そんなこんなで、茶人になった村重は文化人として52歳で激動の生涯を閉じた。
戦に負けた戦国武将は首を切られるか腹を切るか、命があっても出家して静かに暮らすくらいしか選択肢がないと思いがちだが、こういう人もいたのだ。
時代が村重に追いついた
「こういう人もいる」が罷り通らない時代が長く続いた。
敗軍の将なら城を枕に討死するか、家臣のために腹を切るのが当然。そんな価値観の中で(結果的にとはいえ)守るべき家臣や家族を見捨てて逃げ出した村重は「卑怯者」とみなされた。
だが、今は違う(ギュッ)
ビジネスマンはやたら戦国武将に例えられたがる。村重に例えられるビジネスマンがいるとしたら上司のパワハラで引き続きもろくにしないまま連絡もとれなくなったが、数年後に趣味の分野で大バズりみたいな人ではないか。
結構いそう。
かく言う私もメンタルで休職を余儀なくされた時はかなり動揺し不安もあったが、まあ荒木村重みたいな人もいるからなんとかなるか…と思うことで気持ちがそうとう楽になった。おかげで今は復職してぼちぼちやっている。
一方の村重本人もこんな形で生き残ったことには引け目を感じていたらしく、出家し「道薫」と名乗る前は自虐を込めて「道糞(道端の糞)」と名乗っていたとも言われている。上司のパワハラから逃げるように辞めていったビジネスマンが、自虐めいた名前で運用している趣味のアカウントに万単位のフォロワーがいる、やっぱり結構ありそうな話だ。
村重も令和の世に生きていたら文化人として趣味の世界で活躍しつつ、そこそこ有名なインターネット論客になっていたかもしれない。急に親しみが湧いてきたのではないだろうか。*3
いろいろな事情で職場に馴染めず、脱サラを余儀なくされる社会人は珍しくなくなった。そういう人たちの声が聞こえる時代になって、我々はやっと荒木村重を語る言葉を手に入れたのかもしれない。だからこそ、彼は今ビッグウェーブに乗っているのではないだろうか。
これからもっと多くの人が荒木村重を知るだろう。私は村重の子孫でも地元の人でもない一介のファンだが、先述のとおり何度か人生のピンチに寄り添ってもらってこれを書いている今も愛着は深まり「好き」の限界値を更新中だ。
私の好きなものを知っている人が世界に増えるのは嬉しい。その人たちにとっても、その出会いがハッピーなものになったらいいなーと思う。
*1:一方、2014年大河「軍師官兵衛」では主人公・官兵衛の頼れる兄貴分として太陽の如き笑顔を振り撒いていた村重が信長の苛烈なやり方についていけず、どんどん曇っていく様がそれはそれは丁寧に描かれたのだが、官兵衛と村重の関係性の話は長くなるから別の機会にする。
*2:弟子ベスト7人みたいなもの
*3:余談だが、NHK制作の「信長のスマホ」"その12"と"その16"には村重とおぼしき道糞(@michi-kuso)というアカウントが信長のツイートにリプライを飛ばすシーンがある。アイコンはいらすとやの「うんち・便のキャラクター」だ。まだ謀反していない時期の話なので、この作品の村重は出家したあとにリアルでもアカウント名を名乗り始めたと思うと、いっそうインターネットの人格のリアリティが増し想像を掻き立てられる。大好き。考えてくれたスタッフの方に心から感謝をお伝えしたい。
行く太郎、来るタロウ
いい千秋楽だった…
二ヶ月間続いたドンブラFLTがついに大千秋楽を迎えた。まさか現地での応援が叶うとは思わなかったが、これも縁。私もやり切った達成感で、今は胸がいっぱいだ。
ちょうど去年の今ごろ「ドンブラに対して何かしたい」という気持ちにせき立てられてミニプラを組んだり、クレーンゲームに挑戦したり、スーパー戦隊レストランに通い始めたりしたのだった。
思い返すと「何かしたい」は「好きでいることでハッピーな思い出がほしい」と言い換えられるかもしれない。
私はドンブラザーズというヒーローに救われたい、切実な理由があった。
今回は一人のオタクの自分語りだ。まあ聞いてやろうという方はお付き合いいただきたい。
新桃太郎伝説
「新桃太郎伝説」はスーパーファミコン用ソフトとして1993年に発売された和モノRPGだ。主人公の桃太郎たちは、日本全国を電車で走り渡って資産を増やす国民的すごろくゲーム「桃太郎電鉄」のキャラクターとしての顔の方が有名かもしれない。
主人公の桃太郎がイヌサルキジのお供はもちろん、金太郎や浦島太郎、鬼の娘・夜叉姫とともに鬼ヶ島に住む鬼の王に立ち向かう。一見ほのぼのとした世界観だが鬼側の人間関係がけっこうドロドロしており、幼い私はこの重めのストーリーにグイグイ引き込まれどハマりした。
ドラクエは四コマ漫画劇場*1が出ているのに新桃のはなかったので、自分で四コマ漫画を描きまくった。初めて二次創作らしいことをした作品でもあった。
ここまで人生に刻まれただならぬ愛着を抱いている作品ながら、私がこの作品を話題にすることはほとんどない。好きでいることで苦しい思いをしたの記憶の方が多いからだ。
なんというか、不遇なのだ。
まず制作会社のハドソンが2005年にコナミの子会社になり実質解体された。そのせいかどうかはわからないが「新桃太郎伝説*2」は今日までスーパーファミコン以外のハードへの移植が果たされていない。
また、桃太郎伝説シリーズは「新桃太郎伝説」が発売される3〜4年前に2度アニメ化されている。
配信サービス華やかなりし令和と違って、平成中期は数年前のアニメを見る方法は限られていた。それでもお年玉でビデオを買ったり、ケーブルテレビに加入していた家族の知人に無理を言って録画してもらって飛ばし飛ばしで視聴した。2作品とも2010年ごろ一度DVDBOX化の話が出て予約もしたが、販売元が倒産して実現されなかった。権利関係がアレなのかなんなのかわからないが、配信も5年くらい前にGYAOで一瞬配信されたくらいでどこのサービスでも観ることができない。
ドンブラ風に言えば縁がなかったのかもしれない。
それでも私は、制作に関わっている方のところに学校の課題にかこつけて取材に行ったりして無理やりその縁にしがみつこうとした。
実際に話を聞かせてもらって、うれしいこともがっかりすることもあったが、何より当時の私のようなキッズに対して真摯に対応して頂けたことへの感謝は一日たりとも忘れたことはない。
同人誌にするほどでもない二次創作をずっと書き綴ったノートをたまに読んでくれていた友達にもめちゃくちゃ感謝している。
それはそれとして、一オタクとしての自分と桃伝というジャンルの関係はあまり恵まれたものではないという思いはずっと消えなかった。
インターネット上にファンコミュニティがないわけではなかったが、なんとなく馴染めなかった。
今みんなが好きなものを、みんなと同じように好きになりたかった。
以来、桃太郎モチーフの作品にはどうしても斜に構えてしまうようになり、某電話会社のCMも見るたびに複雑な気持ちになっていた。
今思えばこれらの不遇は自分の見識の狭さとこだわりの強さが主な原因なのだが、当時の自分にとっては切実な問題だったし、多少俯瞰して自分を見られるようになってからも蟠りは消えなかった。
そんな私の心に土足で…もとい神輿で踏み込んできたのが暴太郎戦隊ドンブラザーズという作品だったのだ。
「暴」
何もかもが異様だった。
神輿の上にバイクが乗ってるし、担ぎ手と天女がいるし、何よりバイクに跨って高笑いしているヒーローと思しき人物には話が通じそうにない。
桃太郎というキーワードに引っ張られて過去の苦い思い出に浸っている暇はなかった。そもそも、桃太郎のイメージを相当ぶっ壊している。
何より、景気が良かった。
ヒーローというより悪の組織のクセの強い怪人みたいなこの人物になら、私の苦い思い出を払拭してもらえるかもしれない。
それが叶った時、私はこの人を心からヒーローと呼べるようになるのではないか。
できるならそうなってほしい。祈りにも似た気持ちを抱きながら、私は自分にできることを模索し始めた。
好きの思い出を作るなら二次創作が一番やりやすいのはわかっていたし、いつでもとりかかる準備はしていたつもりだが、そうはならなかった。
代わりにGロッソとスーパー戦隊レストランに通い、ミニプラを組み、クレーンゲームにも挑戦した。
おかげでこの一年、私は見たことのない景色をたくさん見ることができた。今までの自分と比べて多方面に手を出しすぎている様はまさしく「暴」と呼ぶに相応しい。
二次創作をする側にならなかったことでこだわりに囚われることなく、毎週与えられる情報に「みんなと一緒に」ただ混乱した。
そういう状態にあったからこそ、エンディングテーマの「Don't BOO! ドンブラザーズ」の一節「違いは間違いじゃない」という歌詞にも心底共感できた。
今まで憧れていた「みんなと同じものを同じように好きになる」状態になった上で、これまでの「自分とごく限られた人たちだけがその良さを知っているものを好き」な状態までも肯定されてしまったのだ。
なんというカタルシス。
もちろんFLT千秋楽の生歌ではめちゃくちゃ泣いた。
ドンブラザーズ・ノーリターン
どんな陶酔にも、必ず終わりは来る。
ドンブラザーズの最終回が近づくにつれて、桃伝への蟠りにもケジメをつけたい気持ちが高まってきた。苦い思い出はとうに上書きされ、もう大丈夫という感覚があったからこそ何かの行動や形で残しておきたい。そういう気持ちから描いたのが冒頭のイラストだ。
桃伝のキャラデザの土居さんの絵柄でドンブラザーズを描いてみた。このキャラならデフォルメはこう…と想像しながら資料を見返して芋づる先にいろいろなことを思い出す、写経や写仏に近い作業だった。
もうドンブラザーズに毎週ニチアサで会うことはない。
ゲームの桃太郎たちも令和になってからキャラデザが一新されて、土居さんの絵柄で新作が出ることはないだろう。桃伝もアニメ・ゲームとも新展開がある可能性は極めて低い。
だとしても、共にあった時間はいいことも悪いことも人生と魂に刻まれている。どちらにも感謝とリスペクトをこめてさよならを言いたい。
2022年はドンブラザーズとは関わりのないところでももう一つ、私くらいしか良さを知らないものを好きでいることを肯定される出来事があった。
これからは、自分の好きなものを誰かに肯定してもらえなくても変に卑屈になったり僻んだりしなくてすむ気がする。まあ、仮にそういうことになっても最終的にはなんとかなるだろう。
そんな年に、私のそばにいてくれたヒーローがドンブラザーズで本当によかった。
余談
実は冒頭のイラストを描くのと同時進行でもう一つ自分のケジメのために描いていたイラストがある。
桃伝シリーズの中でも特にお気に入りの二人のアクスタを作るためのものだ。こういうチャラついた推し方をずーっとしたかったので、やっとできてスッキリした。ドンブラ最終回というきっかけがなければいつかやりたいリストの優先順位の低いところに入れっぱなしだったことだろう。
家に宅配便で届いたのがちょうどドンブラ最終回の日だったで、本編のラストシーンを思い出してはなかなかの箔がついたと自己満足に浸っている。
もうこれからは、乗りたくなったら神輿だって自分で作れる気がする。
改めて、私の人生に最高の縁をくれた暴太郎戦隊ドンブラザーズに、桃太郎伝説シリーズに、お礼を言いたい。
本当に、ありがとうございました!!!!!!!!!!!!
はじめましてFLT
F(ファイナル)L(ライブ)T(ツアー)
テニスの王子様の一人、氷帝学園・忍足侑士くんのキメ技みたいな言い方をしてしまったが、スーパー戦隊のいわゆる卒業公演のことだ。
何を隠そう私がその存在を知ったのもテニスの王子様で繋がったフォロワーさんのツイートがきっかけだ。*1
存在こそ知っていたが、実は過去作品のFLTは配信でも視聴したことがない。こんなド素人だが、ドンブラのFLTにはどうしても参加したかった。
だって縁ができちゃったから。
FLTはツアーというだけあって、名古屋を皮切りに日本全国津々浦々を回って大阪公演で千秋楽を迎える。ちなみに、東京での公演はない。
でもこれは逆に、旅行を兼ねちゃうのはアリじゃない?
そういう縁の結び方をすればいいんじゃない???
というわけで20年来推し続けている戦国武将黒田官兵衛ゆかりの地、福岡公演に申し込むことにした。
前乗りして観光でもしようと思っていたら、嬉しいことに長年付き合いのあるフォロワーさんとも会えることになった。ありがたい縁だ。
ついでにホテルも縁の名を冠しているところに決めた。
FLT参加も初めてなら、会場である福岡サンパレスに行くのも初めて、ペンライトを振って盛り上がるタイプのライブに一人で行くのもほぼ初めてだが、これだけガッチリ固めていれば初めてだらけのFLTでもなんかいける気がする。
あとから開催が発表になった上演終了後のグータッチ会に参加するためには数量限定のグッズを買わないといけないけど、まあ、なんかいける気がする。
そういえば、公演のチケットとは別にお金を払って演者と接触するイベントに参加するのも初めてだ。
そんなわけで博多を満喫した翌日の朝10時、キングオージャーリアタイ勢の実況で賑わうタイムラインを眺めながら私はサンパレスのホール入り口前に並んでいた。
物販は開場後、ホール内で行われるようだ。
入場待機列の前から6〜7人目につくことができたが、2時間は長い。
正直、こんなに早く来なくても良かった気がする。
時間は読み間違えたが、帽子と日焼け止めを持ってきた判断の正しさをひしひしと感じながら、徐々に高くなっていく太陽から放たれる日差しにジリジリと灼かれる。
Nintendo Switchも、これまた持ってきてよかったもののひとつだ。
移動中に始めたパラノマサイトをプレイする合間にスポドリで水分を補給しつつ、とにかく時間が過ぎるのを待つ。
初夏の陽光照り付ける中でホラーゲームをやるのもなかなか乙なものだ。たまに暗転した画面いっぱいに恐怖に引き攣った汗だくの自分の顔が映ることを除けばの話だが。
開場5分前くらいからホール入り口に通された。
チケットをもぎられ、お目当てのお楽しみ袋を購入し終えたが、開演まであと50分近くある。
チケットがあれば再入場可能ということだったので、一度劇場を出てホールに併設されたホテルのカフェでお昼を食べることにした。
同じようなことを考えるドンブラファンでごった返しているかと思ったが、思いの外空いていてゆっくりできたのはありがたかった。
佐賀のご当地グルメ「シシリアンライス」に着想を得た野菜と牛カルビの丼が気になったので注文してみた。タレの味付けがしっかりしていて温玉とよくあう。味噌汁の塩気が体に染み渡っていくのをこんなに感じたのも久しぶりだった。
しっかりカロリーをチャージしたのち、ドン一部のヒーローショー「じごくさいばん」、休憩10分を挟んでドン2部のトークショーと音楽祭を目の当たりにし、9人のドンブラザーズたちとグータッチまでして頭がふにゃふにゃになった状態でいまこの記事を書いている。
入場待機の2時間と同じくらいの長さだったのに、情報量があまりに違いすぎた。
ヒーローショーだってGロッソのショーより尺が長いし、何より井上脚本だ。
来週の大阪公演が初見の方もいるだろうから内容への細かい言及は避けるが、ふたりのジロウの関係性が結構好きだったことを思い出したり、やっぱりドンモモタロウのベーシックなフォームの造形がめちゃくちゃ好きだということを改めて実感したりした。
やはりあの髷には、他の追随を許さない魅力がある。
好きだ…
ドンブラザーズたち九人九色の合皮に包まれた拳からは、幼稚園児の頃に水族館で触らせてもらったシャチの表面のような力強い命を感じた。
イヌブラザーが本来の背丈(成人男性の腰の高さくらい)で待っていてくれたことに感動した。
ゴールドンモモタロウとは緊張しすぎて拳の1/3くらいしかタッチできなかった。
オニシスターとソノザ編集長の拳には、今後一層の漫画へのがんばりを強く誓った。
グータッチ会というより参詣に近い心持ちだった気がする。
かくして初めてのFLTは幕を閉じた。
まだ混乱しており、落ち着いてきたら思い出す事柄もあるかもしれないが、この先もドンブラのことが大好きという気持ちが変わらないことは確かだ。
ミニプラ、すさまじきおまけ
「おまけつき」
なんとも甘美な響きだ。これほどに人の心をくすぐる言葉もそうはないだろう。
今をさかのぼること400余年、江戸時代に国々を渡り歩いた富山の薬売りが薬につけた紙風船などの玩具が「おまけ」の始まりらしい。
その後仮面ライダースナックやビックリマンチョコなどの登場を経て、今や「おまけ」には同梱されているお菓子以上の価値が与えられた。
「食玩」である。
今回はドンブラの食玩「ミニプラ」を作ったときの思い出をつづっていきたい。
スーパー戦隊の花形といえば、やはり合体ロボだ。ドンオニタイジンに合体する時の賑やかさ、景気の良さはそう簡単に忘れられるものではない。
おもちゃ売り場に並ぶ巨大サイズは魅力的だが、飾ったりしまったりする場所をとるため大人には少しハードルが高いと感じてしまうのではないだろうか。
そんな大人におすすめするのが、食玩の「ミニプラ」シリーズだ。
「ミニプラ」はだいたい1ロット*1で全パーツが揃う、分割販売型のプラモデルだ。
建前上は「お菓子のおまけ」なのでお菓子本体として黄色いガムが一個付いてくる。
1箱あたり4〜500円で一見リーズナブルに思えるが、全パーツを揃えると3000円弱になるのでガンプラHG1箱分を少し上回る。お菓子売り場で買える割には大人向けの強気な価格設定だ。
完成すると、おもちゃ売り場で買える合体ロボのだいたい半分くらいの大きさになる。
小さいながらもディテールが細かく作られており、付属のシールは一部鏡面になっている部分もあり、貼るだけでかなり見ごたえのある作品が完成する。
ガンプラで培われたバンダイの技術力にリスペクトを禁じ得ない。
また、プラモデルには作る過程で自分なりのアレンジを加える楽しみもある。
付属のシールを貼らずにプラモデル用のマーカーで塗装してみたり、ホロやラメなどのネイル用品をワンポイント入れるだけでも楽しい。
こうした工夫を凝らした作品は、完成した時の喜びもひとしおだ。
私がドンブラのミニプラに手を出したのは、何かしたくてしょうがなかったゴールデンウイークごろのことだ。
春映画(ゼンカイVSキラメイ)に手ぶらで行くのが物足りなかったというのもある。
そのころ発売されたのが、ドンモモアルターのミニプラだった。
終盤こそあまり活躍の場がなかったが、序盤はタロウの魂(魂?)を宿しては敵の隙をつくなど小さい体躯を活かしてトリッキーな戦いを披露していたと記憶している。
完成すると、ちょうど劇中のサイズに近いものができあがるのはちょっとうれしい。
それにサングラスの部分をギラギラに塗装したらかっこいいだろう。
そんな思いで1ロット大人買いセットみたいなのを注文したら、かっこいい箱に入ったフルセットが届いた。
以前キラメイジャーの悪役ロボ・スモッグジョーキーの造形が好きすぎてミニプラに手を出した時は
周りの目を気にしつつもスーパーのお菓子売り場をはしごして全種類そろえたものだったが、大人には大人の買い方があるものだ。
開封してパーツとシールを見てみると、サングラス部以外にも塗装したほうがかっこいい箇所が見つかった。
胸のエンブレムだ。
ピカピカのシールを貼ることになっているが、エンブレムの段差もきれいに再現されているのでこれの上を覆ってしまうのはもったいない。
以前ネットで見た、メッキ調になるガンダムマーカーを試してみたい気持ちもあった。
また、サングラスのギラギラはネイル用のミラーパウダーを使うことにした。
だいたい方向性が決まったので、ランナーからパーツを切り離して組んでいく。
ミニプラは一応子ども向け商品なので、ニッパーなどの難しい工具がいらない。
この「パーツを手で切り離せるプラモデル」はダンボール戦機で初めて使われた技術だったと思うのだが、同作品で推しが死んだり、死んだと思ったら生きてたけど実は別人物のなりすましでやっぱり本人は死んでた、みたいなことがあったのでミニプラを組むたびにちょっと複雑な気分になる。
今でもいい思い出とさわやかに言い切れない部分もあるが、ドンブラと同じく忘れられない作品のひとつだ。
閑話休題、プラモデルのいいところはたくさんあるが、その一つは「正解」が必ず説明書に書かれていることだろう。
パーツとパーツを正しく組めたときのパチンという正解の音を聞くと不思議と心が穏やかになる気がする。
なお、ミニプラの説明書は箱の裏面に印刷されているので絶対に箱を捨ててはいけない。
変形させるときの手順も書かれているので、完成させた後も絶対に捨ててはいけない。
そんなこんなで完成したドンモモアルター
みどころは主に2つ。ミラーパウダーで玉虫色にしたサングラス*2と最新のガンダムマーカーでメッキ調にしたエンブレムだ。
ガンダムマーカーは本当にただのペンなのだが、塗るだけでこんなにツヤツヤピカピカになるにはめちゃくちゃすごい。改めてバンダイの技術力にリスペクトを捧げずにはいられない。
そんなちょっとしたこだわりをちりばめたドンモモアルターと一緒に春映画を観て、焼肉を食べたのもいい思い出だ。
ぬいぐるみのようなかわいらしいフォルムこそないが、劇中の原寸大に近いサイズ感でモノ撮りできるのは嬉しい。
ドンオニタイジンのミニプラもフルセットで手元にあるのだが、まだ開封もできていない。
さすが今回はおもちゃ売り場のを買おうかとさえ思ったくらい造形が好きすぎるので
きちんと向き合わなければと思えば思うほど開封が遠のいていく気がする。
ドンブラを「やりきった」と思ってしまうのが、まだ惜しいのかもしれない。
…とか言ってたら突然「あとのまつり展」開催が告知された。
帰ってくるのがはやすぎる!
それはそう!!!
ドンブラ最終回の翌週からFLTまで毎週更新を目標に10週にわたって何かしらの文章を上げてきたが、ついに来週はじめてFLTを観る。
最後の「初めて」の始まりだ。
思う存分楽しんできたい。
Gロッソへ行ったこと 2023
このブログを始めてから4回ほど、Gロッソの思い出をつづった。
鮮烈な体験を文字に残しておきたいという気持ち7割、残りの3割は今後突然スーパー戦隊にハマったオタクの参考になればいいなーという気持ちからだ。
すでに誰かの役に立っていたら嬉しいが、なんとこの度ありがたくもリアルで先輩面する機会が訪れた。
家族がキングオージャーにハマったのだ。
すでにGロッソではキングオージャーショーが始まっているが、ゲスト枠の歴代レッドにドンモモタロウが登場するのは4月末まで。*1
ギリギリの滑り込みで家族と一緒に行く予定を取り付けた。
なんか色々と変わっていたので、今回はそのことを書いていきたい。
ショーの内容に一部触れるところもあるので、これから観に行く予定のある方は注意してほしい。
- ペンライト
形がかっこいい~~!!!
クワガタオージャのイラストこそ小さめだが、クワガタのツノを模したデザインで手に持っているだけでテンションが上がる。
でもボディペイントする余白なくない!?と思ってたらボディペイント自体がなくなっていた。
- Gロッソオリジナルグッズ
ボディペイントがなくなって、新たに「ワークショップ」なるブースができていた。
戦士たちの写真の周りに自分で好きなイラストを描いたりデコレーションしたものをその場で缶バッジにしてくれるようだ。
「大人もOK」の看板があるのがありがたい。機会があれば体験してみたい。
ヤンマ総長の背景に仏血義理とか書いても許されるんだろうか。
おなまえキーホルダーは健在だった。
- 物販
子ども向けのおもちゃに加えて、ぬいぐるみも売られていた。そのうちランダムグッズも入荷することだろう。
観劇後のテンションを考えると、入口のワゴンショップでグッズの販売があるのはありがたい。
ギラ様ぬいをお迎えする家族をあたたかく見守ったりした。
- ブロマイド
去年と同じように自販機で購入できる。ゲスト枠の戦士のブロマイドもあったので、ドンモモタロウだけは買うつもりだったがリタ様とヒメノ様のかけあいが良すぎたのそのシーンのブロマイドも買ってしまった。
去年使っていたアルバムはドンブラでいっぱいにしてしまったので、収納をどうしようか思案中。
また増える気もする。
- 舞台演出(※ネタバレをしていきます)
声出しOKになってる!!!!!!!!!!!!!!!!
最初にお姉さんによる発声練習があるため、大人はここで腹を括ってどの程度の声量でいくか決めた方がいい。
私は隣が小さいお友達だったので、ひかえめにいくことにした。
全体的に小さいお友達の入場者が増えたような気がするのもうれしい。
個人の感想だけど、ヒーローを応援する声が大人ばかりというのも申し訳ない気がするし。
ゲストに生身の人間のキャラが2人いたのがめちゃくちゃ新鮮だった。
ドンブラ以前は素顔の戦士以外の公演に入ったことがなかったので通例だったかどうかはわからないが表情がわかるのでキングオージャーたちとは違う魅力があって面白かった。
ドンブラのときと比べて宙づりのギミックが多用されていたので舞台の上が常に派手でクライマックス状態だったのだが、あとあと考えると全員飛ぶタイプの虫がモチーフだからだと気づいていっそうグッときた。
ひとくちに宙づりと言ってもキャラごとに見せ方が違っていて、表情がないのにアクションでキャラ付けがわかるのもしびれた。
ドンブラは全員のシルエットに特徴があったので個々のアクションに注目することがあまりなかったが、キングオージャーはおおまかなシルエットが全員同じなのでこういう工夫があるのかもしれない。
オタクはこういうのに弱いんだ…最高~~~~~!!!!!
カーテンコールでは客席降りもあり、気づいたときに恥ずかしながら変な声が出た。
斜め前の赤ちゃんの頭を撫でているヒメノ様を間近で見られたので私も今年は病気にかからないと思う。
あと今回生まれて初めて入場時のお出迎えを体験できて、さすがにめちゃくちゃ緊張してしまった。
止まらなければ撮影OKとのことだったので一枚撮らせていただいた。
この至近距離、撮影会はおろか握手会さえ未体験の私にとってはあまりに刺激が強い。
どうやら家族はさっそく友人を誘って2度目の観劇の予定を入れたようなので、私もアテンドした甲斐があったというものだ。
家族にもなんとなく先輩面をしながら、入場~観劇~物販をぶらつけたので大満足の一日だった。
TDC全体が改装中でちょっと寂しいが、Gロッソに行くのはやっぱり楽しい。
家族に便乗できる機会があればまた足を運んでしまいそうな気がする。
*1:去年のドンブラショーでは終盤までゼンカイザーがゲスト枠だったため、ドンモモタロウもずっと居てくれるものだと思っていた下調べが甘かった