Loveletters from UltimaThule

極北からの本と映画の備忘録

スミレの花を見るたびにエド・ゲインを思い出す

おお、あこがれのプレイン・フィールド

目にもうるわしきかの緑地

 

 嘘。行ったことがないから本当に緑地かどうかなんてわかんない。でも、ずっとずっと前からプレイン・フィールドはあこがれの土地。行ってもなにもないのはわかっている。そんなことはどうでもいいのだ。

 プレイン・フィールドがあこがれの土地になったのは、『殺人マニア宣言』の「エド・ゲインのハート」を読んでからだ。なぜそこに行きたいのか、完全に心の奥を見透かされ言い当てられてしまって、ぞくぞくした。曝けだすことのできない、闇の部分を覗かれてしまった感じ。テキストに嬲られている気さえする。それはいまも変わらない。

 そして、スミレの花をみるたびに、エド・ゲインを思い出すようになったのはこの本のせいなのだった(なぜなのか知りたい人はさがして読みましょう)。

 

「墓の前に膝をつく。明るい昼下がり。エドが残した傷跡はどこにも見えない。もちろん見えなくて当然だ。そんなものは実際にはありはしない。傷があるのは心の中である。プレインフィールドの住人たちの中の。こんなところまで来てしまう人間の。」 (「エド・ゲインのハート」より )

 

 

殺人マニア宣言 (ちくま文庫)

殺人マニア宣言 (ちくま文庫)

 

 

 

 

 

潔癖症

潔癖症や男性嫌いの話をきいたので、そういえば、昔は好きか嫌いかよくわからない男の人と二人で食事に行ったら家に帰ってから必ず吐いていたと思い出す。無理に嫌いなものをたべていたわけでもなく、一応楽しく会話してきたあとで。それなのに。なのに吐く。その時間をなかったことにするかのように、リバース。好きか嫌いか話してみないとわからないかなと思って、誘いを受けてしまう。もちろんそう思うからには、最初からNGではないのだけれど、わたしが自分の気持ちに未熟なのかもともと鈍いのか。本当は嫌だったのだと、吐きながら思っていた。そんなことがあって、つきあったひとは全部続かなかった。でも、頭より身体のほうが正直で繊細で。

潔癖症といえば間違いなく潔癖症。でも、自覚してしまうと生きていけないから、いろいろなことを思考の外に閉め出す。自分の身体でさえ、なだめすかしてコントロールするのがやっとなのに。言いたいことを我慢するのはよくないね。もっとしなやかにやわらかく、でも凜として生きていたい。

深夜に

自分の特殊性、特異点について思いを巡らす、まだきちんとわかっていないから。自分が何をできるか、世界に、まわりに何を与えることができるか、考え続けている。与えられているだけではだめなのだ。

魂を弓に番え放つとき、天使は歌う

沈黙は魂を解き放つためにある。より豊かなところ、なにより自由なところへ。弓の弦が最も美しい弧を描くのは放たれる前の一瞬。極限の虚空へと放たれる時のために息を潜め力を静かに矯める。終末を歌う天使の声が遠くから低く響いてくる。わたしの魂は憧れをこめて彼方を見つめながら、その時を待つ。

瞬間を殺す

かみさまというものを探しみいだし、そう名付け、呼びかけたいと思っていた。でも、かみさまって、もしかしたら、あとで気づくものなのかもしれない。たとえば、つないだ手をそっと離したあとで、そのさしだされていた手のぬくもりに気づくような。そう気づいたそのあとで、そう思った瞬間を殺す。その瞬間がとても好きだから、瞬間を永遠の楔につながないように。その瞬間が腐敗しないように。また手をつないだあとにそう思えるように。瞬間は瞬間のままに。時間を食べて生き続けている、でも、わたしが生きているのはこの一瞬だけでしかないのだから。