『やわらかなレタス』を読んだ
江国香織初めて読みました。
リスが仮死状態になるくらい寒い場所でのむ、あたたかいジュース。湯通ししためかぶが青々とすきとおる、目のさめるような瞬間。はたけのじょうとうなレタスを食べた、ピーターラビットの感動…。食べものをめぐる情景が心にしみわたる、おいしいおいしいエッセイ集。
との事。
江国香織のエッセイで、食べ物や飲み物にかかわるエッセイだ。
出てくる食べ物や飲み物がどれもおいしそうで、切実に食べたかったり、習慣で飲んでいたりする。生活や旅行とからみあったそれらは、実にしっくりとくる形容をされていました。
『自分の身を惜しげもなくさしだしてくれる寛大な生きもので、そこには殉教者のような高潔な精神を感じる』(p23,『鱈のこと』)
『海草というのは、どきどきするたべものだ。生若布は、あまりのみずみずしさにどきどきするし、もずく酢はとてもおいしいが、冬の森を連想させる不穏な見かけにどきどきする』(p68,『めかぶの湯通し』)
『さらにすばらしいのは、コールドミートの冷淡さというかそっけなさ、礼儀正しさで、旧い友達ではあっても過剰に親しげな顔をしないところだ。なれなれしくないし、うっとうしくない』(p,160『コールドミートのこと』)
あげていくと文章全部あげてしまう事になるので、このあたりだ。
全て作者が食べた、飲んだ物というわけではなくて、物語で出会った食材、喫茶店で出会った婦人が飲んでいる飲み物もある。子供の頃に物語の中で出会ったバターミルクやぶどう酒は、大人になってから飲んだものとは似ても似つかないけど、確かに血肉になっている。という所は、何度も頷いてしまった。(こんな表現はなくて、意訳です。僕の)
それらが間違いなく作者の血肉、日常の中にすんなり入り、文章の中でさりげなく居場所を持っている様が、エッセイとして素敵な自然さで表現されていて。
読んでいくと表現にうなったり、軽やかさにクスッとしたり、シンプルに、お腹がすく。
僕はいつも満腹になると後には何も残らないような、動物みたいな食事ばかりしているので、作者のような確からしさ(ふわふわとした!)が欲しいと思いました。
『ヒトラーの描いた薔薇』を読んだ
ブログでも何でも良いから書き続けるのは良い事な気がしている。
無数の凶兆が世界に顕現し、地獄の扉が開いた。切り裂きジャックやカリギュラら希代の殺人者たちが脱走を始めた時、ただ一人アドルフ・ヒトラーは……表題作「ヒトラーが描いた薔薇」をはじめ、地下に広がる神話的迷宮世界を描いた傑作「クロウトウン」ほか、初期作品から本邦初訳のローカス賞受賞作「睡眠時の夢の効用」まで、アメリカSF界のレジェンドが華麗な技巧を駆使して放つ全13篇を収録した日本オリジナル短篇集。
との事。神様が嫌いな作家だという事はよくわかる作家でした。
表題の『ヒトラーの描いた薔薇』は鬱屈した怒りがテーマ。主人公の女中は殺人の罪を着せられ地獄に落されています。そんな中、地獄でシステムエラー?が発生し、地獄の門が開く。これ幸いと大罪人極悪人が脱走するのですが、彼女は天国へと惹かれて行き、そこで真犯人である元恋人と出会うのです。
ひたすらに赦しを乞う恋人。それを怒りとやるせなさを孕んで眺める女中。
しかし、彼女(地獄に居るはずの人)が天国に居るため天国でもエラーが発生。天国が毀れだしてしまうのです。
混乱の中、神が現れ――あろうことか、神は女中に地獄に戻るよう促すのです。拒否を繰り返しますが、神はわざわざ彼女の手を引っ張ってまで彼女を地獄へと運ぼうとします。この世ではなく「あの世」の不条理に諦めた彼女は地獄に戻っていくのです。
――とんだ勘違いだわね、先生。神様がヘマをするなんて。そのうえ、嘘を押し通そうとする。みんなが信じているという、ただそれだけの理由で。彼らは真実なんて知りたくもないんだわ。このほうがかんたんなんですもの。世の中の人の大部分が幻想を信じ込んでしまったら、そう、そのときにはそれはもう現実なのね。だけど、わたしたちは知っているわ、先生。だれがどこに属するか、わたしたちだけは知っているわね?――
(p265)
戻った先、地獄の門では未だヒトラーが美しい薔薇を描き続けていた――
神様が妙に人間臭いんですよね。というか、組織の長っぽい。そして女中は諦念と共に地獄へ戻る。
救いがないとはまさにこの事で、くそったれ感に満ちた作品です(面白いけど)
この他にも「バジリスク」「血を流す石像」の暴力のカタルシスに満ちた作品はすごく面白かった。救いはありませんが。
他のエリスン作品も読んで純粋な怒りを培養したいと思います。
『友人キャラは大変ですか?5』を読んだ
白犬が楽しみにしてるシリーズの第五作です。
もうひとりの主人公、登場!?
最近、雪宮さんが体調不良で学校を休んでいる。
彼女は白虎の巫女。生命力は折り紙つきで、そんな雪宮さんが体調不良なんてこれは一大事だ。
すわ、雪宮汐莉メインエピソードが始まるかと思いきや――。
俺的に、とんでもないメインイベントが始まってしまった。
うちのクラスに、転校生が来たのである。しかも、とんでもない主人公オーラの持ち主が!
「よろしくお願いする。名前は、天涼院阿義斗(てんりょういん・あぎと)だ」
こんな主人公感のあるやつは、龍牙のほかに見たことがねえ……!
……俺も最近、友人キャラ(笑)みたいになってたからなあ。
男・小林一郎、ここは阿義斗とがっつりダチになって、友人キャラの面目躍如としてやるぜ!
――新たな主人公の登場で、新旧主人公対決が勃発!? そして汐莉の問題にも意外な展開が……?
大人気名助演ラブコメ、新展開の第5弾!
との事。
今巻も面白かったです。が、ちょっと一見さんお断り感が出てきましたね! 当たり前っちゃ当たり前なんですが、4巻までの面白さが尋常じゃなかったので(ならなんで記事を書いてないんだ)、良くも悪くも普通の連載ラノベになったような気がします。キャラが多いのは連載ものの宿命ですか?
しかしこの作者さんの特有の文章、ボケとツッコミの笑いに満ちた文章はセンス抜群、ただもんじゃないのはバッチリ読者に刺さってくるので、このまま次巻にも期待させてくれ~(ダブル主人公にはそう来たか! と感動しました笑)
では!
『魔人の少女を救うもの Goodbye to Fate』を読んだ
久しぶりに更新する~
魔人の少女を救うもの Goodbye to Fate (GA文庫)
- 作者: 西乃リョウ
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2018/01/17
- メディア: Kindle版
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神は、二人のささやか過ぎる願いすら赦さない――
これは、正邪を超えて運命に抗う、少女の物語。
これは、人であることを棄てて英雄に挑んだ、少年の物語。
「弱くてもいい。あなたがいいの」
ウィズにはわからなかった。偶然出会っただけの少女アローンがなぜ自分を慕うのか。彼は凡夫で、秀でた才能もない二流の傭兵。遠い故郷を目指すアローンの護衛役にはふさわしくない、そう思っていたが……。
「……同じだったから。あなたもわたしも同じ……選ばれなかった人間」
少女が告げる言葉の意味、そして待ち受ける残酷な運命を知ったとき――ウィズは決意する。守りたい……守ってみせる。たとえかつての親友、救世の英雄を敵に回しても――
これは『選ばれなかった少年』と『見放された少女』が紡ぐ、誰も知らない“世界の裏”の英雄譚。第9回GA文庫大賞<優秀賞>作品。
との事。
久しぶりに、「あんまり話題になってないけど面白いラノベ」を読みました。
主人公のウィズは同じ村で育った親友アルルクルが神に選ばれた英雄になったため、共に冒険の旅に出ます。
ファンタジーRPGの設定なんですが、ポイントは主人公が選ばれなかった側って事ですね! これがとても良いです。
アルルクルは英雄になった事でズバ抜けて強くなるのですが、ウィズの事を強く慕っていました。だから二人は共に旅を始め、(アルルクルに相応しい)仲間を集めます。が、その中でも飛びぬけて弱い――つまり普通の人間――であったウィズは、集めた仲間にクビを宣告されてしまうんです。ジョブズみたいですね~(違う)
これで彼がパーティーに復讐を加えるとなろう復讐譚になるんですが、ウィズは良い奴でした。口惜しさと悲しさを押し隠しながらパーティーを去り、失意の中傭兵稼業に身を投じます。あんまり強い傭兵じゃないけど。
そんな彼が旅の途中で出会ったのがアローンという少女。暴漢に絡まれていた所を助け……ようとして失敗しますが(結局アローンが自分でなんとかしちゃう)、彼女に懐かれ護衛を頼まれるのです。
だけど彼女もまた神様には選ばれなかった側の人間で……
主人公が徹底して「選ばれなかった」「ダメだった」「上手く行かなかった」側にいるため、共感しやすく面白かった。最後の最後まで、選ばれなかった少女のために命を賭して戦う弱い主人公はとてもかっこよかったです。
後アローン可愛い。とても可愛い。
次も読みます!
『焼肉ドラゴン』を観た
映画を観てからなるべく早く感想を書こうと思って、マックに寄って書いてる。
万国博覧会が催された1970(昭和45)年。高度経済成長に浮かれる時代の片隅。
関西の地方都市の一角で、ちいさな焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む亭主・龍吉と妻・英順は、静花、梨花、美花の三姉妹と一人息子・時生の6人暮らし。
失くした故郷、戦争で奪われた左腕。つらい過去は決して消えないけれど、“たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる”それが龍吉のいつもの口癖だった。
そして店の中は、静花の幼馴染・哲男など騒がしい常連客たちでいつも賑わい、ささいなことで、泣いたり笑ったり―。
そんな何が起きても強い絆で結ばれた「焼肉ドラゴン」にも、次第に時代の波が押し寄せてくるのだった―。
との事。
在日朝鮮人の家族を主人公にした物語です。「三姉妹の結婚と、虐められる末っ子」を軸に進んでいきます。
面白かった。とにかく「濃かった」のが印象です。
四人の子供はそれぞれ「関西弁とハングル」か「関西弁しか出来ない」し、焼肉ドラゴンを訪れる人は「ハングルオンリー」or「関西弁だけ」と、バラエティーに富んでいて、それだけでキレ方やセリフに印象が深い。
お互い微妙にわからない分、オーバーに大胆に踏み込んでいって、仲良くなる。
僕から見ると大げさに思える朝鮮の人の嘆き方もあれば、逆に龍吉(在日一世)が「近所迷惑だぞ」と言って母さんを止めるシーンは日本人のアレな感じ。
国有地を間借りして作ったボロボロの「焼肉ドラゴン」の外観といい、まさにごった煮の様相。
このごった煮が非常に心地よい。何を喋れて喋れないのか、誰と結婚するのかしないのか、それがすべて、生きるために彼らが手に入れた物であり、失った物でもある。
ラストの龍吉の日本語での独白は涙腺が緩んだ。朴訥で、つたないからこそ腹の底から言葉を出せる。そんな純真なキャラクターをうまく表現していました。
逆に末っ子の時生は、話す言葉を持っていなかった。日本で生まれて育ったのにハングルも日本語も話せない彼を通して、家族の中に歴史の暗い所が刻み込まれているようで、苦しかった。その苦しさも含めて、良い映画だった。
劇が再演したなら、観たいな。
盗んで、壊されて、演じて――『万引き家族』を観た
今日はなぜか会社が休みだったので、観ました(自主的な休暇の類ではない)
高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝の年金だ。足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。 冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。
との事。
初めに言っておくととっても面白かったです。(覚えたての色文字と大文字)
映画の感想を語る言葉をあんまり持ってないのが辛い。
ずっと観ていたくなる映画だった。
フィルムの中に流れる暖かさがとても良かったです。
煽り文にある「盗んだのは、絆でした」の通り、絆がテーマだと思います。
1.つつましやかで暖かな家族
貧乏だけど暖かく清らかで、やむなく万引きをしている家族が描かれているわけではありませんでした。
ポスターにもある感じでにこやかに万引いちゃいます。
でも彼らは人並みよりちょっとクソか、まあ人並みくらいのクソ人間たちです。決して世間から指弾される人ではない。ごくごく普通の人たち。
でも、どこかで歯車が狂った、歯車を落とした人たちが集まっていました。
2.皆演じている。
そんな彼ら、ストーリーをさらりと読むと、夫婦と息子、妻の妹の四人が老婆の年金目当てに家に転がり込んでいる感じですがそれどころじゃない。終盤で明らかになった彼らの素性を知ると「うわぁ……救いようがねぇ……」となる事請け合い。「よくぞまあテメェら一つ屋根の下におったな」となる事必至。どうしてこうなった。
皆、一つ屋根の下で家族を演じているのです。「血のつながり」や結婚式で語れそうな「これまでのストーリー」のある「本当の家族」からかけ離れた家族が描かれています。
誰かが片肘を張っているわけじゃないけれど、むしろ全然演じていないのだけれど、演じている。全員演じていないはずなのに、全員が演じている。
演じる事によって、上っ面を整える事で、彼らは絆を手に入れていました。
4.拾われたりんちゃん
そんな彼らの家族の中に、りんちゃん(佐々木みゆ)が現れます。りんちゃんは虐待されていて、それを目撃し心配した治が連れ帰るのです。
りんちゃんは5才。本当だったら幼稚園でのイベントに胸を膨らませているのかもしれませんが、虐待のため心を深く閉ざしています。
クソ野郎の集まりである一家ですが、人並みの情は持ち合わせています。おかしを与え(万引きで)、麩の煮物を与え(万引きした麩)、服を(万引きして)新調し夏に向け水着も準備してあげます(当然、万引き)。全部万引きで揃えてるなこいつら……
始めて虐待をされない環境に置かれて、徐々にりんちゃんは心を開いていきます。
心を開いていくのです。
僕はここで「この映画すごいなぁ」と思いました。
4.家族=演劇
一端立ち止まって考えると、家族ってほとんど演劇じゃないですか?
特に子供相手には、皆大げさにリアクションしたり、物事をでっかく語りますよね?(悪い事したらバチがあたるよ! とか)
パパ役やママ役の人たちはそのロールを任され、必死に演じて、おじいちゃんもおばあちゃんもそれとなく助演しますよね。
でも、その家族の中に演じない人たちがいる。
それが子供です。当たり前ですよね。5才に演じる事なんか無理です。
演じている人と演じていない人が混ざっている空間、それが家族。
そんな中で虐待される子供とは「望まれたロールをこなせなかった役者」です。
親の望んだ子供像を叶えられないがために虐待を受ける。本来、役者にはなれないのに。
それが劇中の信代の台詞にも表れています。
――あなたの事が好きだから殴る、なんつーのは嘘だからね。
虐待される子供とは、本来無理な役を強いられている子供なのだと感じました。
(セリフはうろ覚え)
5.りんちゃんは必死に演じようとして、祥太は演じる事に疑問を持った
戻ります。 りんちゃんは心を開いていきます。つまり、新しい役割を演じるのです。
万引きを手伝うようになる。万引きがこの家族に求められる一番大事な役割だからです。
でもりんちゃんを見て、祥太はその役割に疑問を持つようになります。そして彼は事件をおこす。それによって、家族は引き裂かれていく。
信代の台詞から来て、ここでかなりウルッと来てしまった。
6.僕たち正しい演者が彼らを指弾する
この家族は万引きしています。「クソ野郎どもの家族」を演じ、絆を得ていた。
正しい家族が得られる本当の絆を盗み取っていた。
それが祥太の事件をきっかけに、正しい家族(りんちゃんを虐待していた両親)、正しい仕事を持つ者(刑事たち)、正しい世間(誘拐された子供を案じる他人)によって壊されていく。「盗んだのは、絆」だったけど、その絆を、それがゆえに正しい演者たちに盗まれてしまった。
盗んだのが絆なら、盗まれたのもまた絆だったと思います。
そしてこの盗み合いを演じた両者には圧倒的で絶望的な差がある。そして盗まれた物を完全に取り戻す事は、もう出来ない。
絶望とまではいかないゆるやかな破滅の中で、この作品は終わりを迎えます。
7.そしてまた、演じる。
それでも、祥太とりんちゃんのラストシーンに希望が残っている。
ネタバレを控えて書き残しておきたいのですが、二人は「まだ演じよう」としているのです。もう見てくれる人はいない。演じようとしているけれど、観客=家族は居ない。パパもママもおばあちゃんもいない。
それでも演じようしている。
暖かさと安らぎ、家族はそこにしかないから、盗み返す事でしか得られないから。
そう言っているように思えました。
亜紀の最後のシーンの行動もまた、二人以上に切実に演じる事を求めていると感じて、狂おしかった。(少し、救いようがないようにも思えたけど)
二人の最後の視線の先に、希望がある事を信じたい。そんなラストでした。
とても良い映画でした。
多分これでも、あんまり映画の空気感が伝えられていない。
あー本当に良い映画だったんじゃ~もう一回観たいよ~~~
観ろ。
後一言、安藤サクラ凄い良かった。以上。
『弱キャラ友崎くんLv.1 』を読んだ
ログを残しておかないと忘れてしまいますよね。
人生はクソゲー。このありふれたフレーズは、残念ながら真実だ。日本屈指のゲーマーである俺が言うんだから間違いない。だけどそいつは、俺と同じくらいゲームを極めてなお、人生は神ゲーと言いきった。生まれついての強キャラ、学園のパーフェクトヒロインこと日南葵。挙句、「この人生のルールを教えてあげる」だって?……普通はそんなの信じない。だけど日南葵は、普通なんて枠にはまったく嵌まらないやつだったんだ!第10回小学館ライトノベル大賞優秀賞受賞作。弱キャラが挑む人生攻略論ただし美少女指南つき!
との事。
実はちょっと前に読んだ作品で、ちろちろ書いておこうかなと。
非リアの主人公が強キャラである日南さんの指導を受けて進化していく作品です。そういう意味では『絶対彼女作らせるガール!』と同じようなテイストでした。
ただ主人公のヘタレッぷりと進化が丹念に描かれ、時たまぶっこまれてくる埼玉ネタと合わせてテンポ良く読めました。最後のゲームで勝つという展開も中々。普通にやったら皆からキモがられそうだけど、そこを上手くまとめてきたと。
ただ、良くも悪くも『俺ガイル』を受けて世に出た作品である事は疑いなく、そういう目で見られてしまうんだろうなとは思いました。
でもそれでも受けてるのは、きっとこのポジティブさなのでしょうか。
『陰キャで良い』の八幡に対して『成長せな!』という友崎くんはポジティブなんですよね。このポジティブさが最後どうなるのか、中々楽しみです。
感想書くの久しぶりだな……