好きなことだけたくさん

※当ブログは、不明確な出典、曖昧な記憶、ただのパッションに基づいて作成されています。

とあるアイドルに激重感情を持つ私の話

 

ある日突然、永遠にそこにあると思っていたものが無くなろうとしている。

 

そんなことが起こった時、人が出来ることというのは少ない。

 

出来ることと言えば、悲しんだり、憤ったり、ツイッターに戸惑いを書き連ねたり、ベッドのすみっこでひたすらに白い壁を眺めたり、現実逃避にマリオカートをアホほどプレイしたり、そのぐらいだ。(※当社比)

来るな来るなと思っているうちに、あっという間にその日がやってきて、私は彼らの最後の瞬間を見つめていた。

2016年12月26日の最終回、最後の瞬間を、私は今でも脳裏に思い浮かべることが出来る。時間が止まって欲しいと思った。誰かがドッキリ大成功の札を持って駆けて来るのを期待した。でも結局時間が止まることも、何が起こることもなく、最後の瞬間が終わった。録画したその番組は、今でも化石のようにハードディスクの中に眠り、一度だって見返したことはない。

 

私の人生において、とんでもなく大きな比重を持つアイドルグループ。

彼らは解散した。

 

 

初めて彼らのライブを見に行った日を私は今でも鮮明に思い出せる。

もともと母親がそのグループが大好きだったこともあり、小学生の私はそんな母親のおこぼれをもらってライブに来ていた。生まれて初めて参加したライブだった。

衣装を来て、花道を歩きながらメインステージで向かう彼らを見るや否や、会場には割れんばかりの歓声が響き渡る。私は初めての体験にすっかり圧倒されて、どうやって歓声をあげたらいいか、どうやってペンライトを振ったらいいかもわからずまごつき、ただ視線だけは彼らがいるステージに釘付けだった。

広い会場だ。ステージにいる彼らなんて豆粒ほどの大きさでしかない。二階席のステージからは遠い席だった私からは、目を凝らしたって彼らの表情を確認することも難しい。それでも、私はただ彼らを見つめた。大好きな彼の踊る姿を目に焼き付けようとひたすらに目を見開き、一挙動も見逃すまいと呼吸すら潜めた。

生きてる。そう思った。

彼らは生きてる。テレビの向こうで見ていた、彼らが生きている。

生きて、踊って、歌って、会場にいる私たちに向けて手を振る。

生きてる。彼らは生きている。

そんな当たり前のことが、私にとってはとんでもない衝撃で、圧倒的なまでの真実だった。彼らが日々の生活を送る一人の人間であったことは、当たり前のこととしてわかっていたはずなのに、その日ステージで彼らの姿を肉眼で見るまで、テレビの向こうにいる彼らはあくまでテレビの向こうのフィクションだった。それが打ち砕かれたのだ。

曲と曲の合間、ほんの少しだけステージが沈黙する瞬間、誰かがメンバーの名前を叫んだ。それに弾かれるようにして、私も私の大好きな彼の名前を叫んだ。

 

生まれて初めて、好きな人の名前を大声で叫んだ。

 

思えば彼らの曲と共に生きて来た人生だったように思う。

小さい頃は姉のCDプレイヤーを秘密裏に借りて(普通に借りると貸してもらえないので)、子供部屋で地べたに座りながら何度も彼らの歌のCDを聞いたし、毎週欠かさずバラエティで彼らの姿を見て、その話を学校で友達と話した。

いろんな人のブログを読んで、掲示板(その頃はネット掲示板全盛期だ)で彼らの魅力について語り合った。

中学でどうしようもなく辛いことがあった時もウォークマンに入れた彼らの曲を繰り返し聞いて、ライブを見た。

大学受験の時は、予備校に通う道筋は彼らの曲と共にあったし、受験日当日も、彼らの曲を聴きながら会場へと向かった。もちろん帰り道も。

彼らの曲ばかりを聞いていた訳ではない。その頃大切にしていた長方形のウォークマンには色々なアーティストの曲が入っていて、もちろん普段は違うアーティストの曲を聞いたりしていたし、毎日彼らの曲を聞いていた訳じゃない。

ただ、どうしようもなく落ち込んだ時、動けなくなりそうなほど緊張した時、彼らの曲を聞いた。聞くと、止まりそうになった足がまた前に進んでくれた。

ライブには毎回行って、やっぱり豆粒ほどの大きさの彼らを目を凝らして眺めた。もちろんその時にはオペラグラスというものがあるのは知っていたし、マイオペラグラスを持ち歩いてはいたけれど、オペラグラスを目にあてる時間すら惜しくてライブの時はほとんど使わなかったのを覚えている。

そういえば一度だけ、トロッコに乗って私のいわゆる”推し”が目の前まで来たことを覚えている。私の方を見て(というより、私の周辺全体を眺めて)彼が笑って手を振った。私は夢中で手を振った。別に本当に私を見ているかなんてどうでもよかった。ただ、彼の微笑みを、彼の姿を、間近に見られたその瞬間は、私にとって何にも変えがたい瞬間だったと思う。

彼が生きて、歌って、踊って、トークをして、流れた汗を拭って、ボトルの水を飲んでる。それだけで十分だ。

それだけで十分だったのだ。

それだけで十分だったのに。

 

多分、”それだけで十分だった”と思うことそれ自体が傲慢だったのだろうと思う。”それだけ”という言葉で言い表すのは適切ではない。その下敷きにある彼らの努力、あるいは決意、葛藤、切り捨てたもの、死に物狂いで守り続けたもの、それらに思いを馳せる時、私はもう”それだけで十分だった”なんて言えることはできなくなっていた。

それだけ、なんかじゃなかった。それこそが、私を生かした。

 

でも、彼らは解散した。

解散後、私は努めて彼らの話題を避けた。彼らを語ったりする専用に作っていたツイッターのアカウントを消し、テレビはニュース以外をあまり見ないようになって、ため息をつきたくなるような週刊誌やネットニュースの題目からは目を逸らす。

彼らの内部で何が起こっていたか、解散の理由はなんなのか、彼らが今どう思っているのか、これからどうしたいと思っているのか、他にも色々。憶測で語られたことなんて全てまやかしでしかない。彼らの語る言葉が全てで、語られないのなら私が考えられることはほとんど何もない。彼らは解散した。その事実だけがあれば十分だ。

再結成、という言葉にも特に心動かされなかった。中学時代に二つのバンドの解散を見てきた私にとって、それがどんなに困難なことかは知っていたからだ。再結成を”望む”なんてことは私にはできない。彼らが”望んでいる”と名言し、それを発信しない限りは。そしてその時というのは、おそらくはこれから長い時間訪れないだろうとも思っている。もしかしたら、永遠に。

彼らは解散した。私はもう彼らを揃ってステージの上で見れなくなった。彼の歌声が聞けなくなった。彼のダンスを見れなくなった。五人の話し声が聞けなくなった。もう広いドームで、大声で好きな人の名前を叫ぶことはできなくなった。

ただ、それだけだ。

その事実を受け止めることしか、私にできることはない。

 

さて、なんでこんな話をあけすけにブログに書き連ねているかといえば、つい最近、大好きな彼が事務所から退所したからだ。

あっさりさっぱりとした最後で、まあ彼らしいなとも思った。ほんの少しだけ寂しい気持ちもあるが、テレビで彼の姿が見れなくなるわけではないし、退所したからといって何かが変わるわけでもない。むしろ、今まで残っていたのが不思議なくらいだ。

最後にホームページに公開された彼の最後のメッセージを見終わって、私はようやく(ああもう彼の歌う姿も踊る姿も見れないんだなあ)と思って少しだけ悲しかった。まあこれから先のことなんて分からないけど、おそらくはよっぽどの何かが無い限りは彼がステージで歌って踊る姿を見ることは分ないだろう。

不満は別に無い。もう、私は彼が生きて、その姿を見せてくれるだけで十分だとすら思う。私たちの預かり知らぬところだろうがなんだろうがなんでもいいから、幸せであってくれればいいと思う。自分を愛して日常を送ってくれればそれでいい。それは人生においてとんでもなく難しいことだからこそ、そうであって欲しいと思う。

ただ、私はこれからも死ぬまで言い続けるだろうなと思うことがある。

私はあなたが好きだ。あなたのの掠れた甘い硝子細工のような歌声が、小柄な体躯からは想像できないほどの迫力のあるダンスが、 とあるライブの最後の挨拶でメンバー最年少の汗を拭ってあげた時の滅多に見せない柔らかな笑顔が、真摯なところ、隠すところ、遠回しに誠実なところ、曖昧なところ、他にも色々、全部。

あの日、肉眼でステージの上で貴方という命が輝いている姿を初めて見た日からずっと、私はあなたが好きだ。

これからも多分ずっとあなたが好きだ。あの日ステージに立ってくれていた、私に名前を叫ぶ機会をくれた、あなたが好きだ。ずっと好きだ。いつまでも好きだ。

これから先もずっと。ずっと好きだ。

ずっとずっと、好きだ。

それだけです。

 

 

※オタク特有の支離滅裂な思考、言動、語彙力の低下。

 

就職活動に失敗してSMボンテージバーに行った話

 

 

ギイギイと縄が鳴っている。

私はバーカウンターの正面で宙ぶらりんにされたまま、右に回ったり左に回ったりしながら揺れていた。周りには、ボンテージを着た男のお姉さんや3分の2以上おっぱいが出てるお姉さんなんかが、鞭を持ってニコニコ笑って立っている

「わーたのし〜」

「でしょう?」

腕をひとまとめにされて、片足を高く釣り上げられながら私がいうと、お姉さんがふふふと笑った。

なんでこんなことになってるんだっけ。お酒に酔って、楽しくなって、お姉さんが優しくて、おじさんが奢ってくれて、私はここにいる。

「これ、痛くない鞭だから」

そう前置きを入れて振り上げられた鞭はナインテールと呼ばれるもので、その名の通り持ち手から九つある平たい尾がぶら下がっている。叩くときに衝撃が分散される上に、素材が上質なシルク素材でできているから、どちらかと言えば撫でられているような感覚だった。

「痛くないでしょ?」

「痛くないです〜」

もっとすごいのはカウンターにあった。ワニの皮でできた硬くて鋭い鞭で、一度叩けば肌が破ける。

天井からぶら下がって、撫でるように鞭で叩かれた。お姉さんも私も本気ではない、お遊びである。ケラケラ笑いながら、私はされるがままに大きく左右に揺れたりくるくる回ったりしていた。

なんでこんなことになってるんだっけ。

話は簡単なことだ。緊縛ショーを友達と観に行った帰り、写真家の人に被写体にならないかと誘われた。人のいない新宿のゴールデン街でいくつか洒落た写真を撮られたあとに、いいところに連れて行ってあげると言われてたどり着いたのが新宿二丁目の緊縛SMバーだ。

真っ赤な照明に狭い店内。壁には黒い様々な禍々しい形をした仮面が装飾されていて、その仮面の作者だというおじさんがバーの片隅でウィスキーを飲んんでいた。

私は生まれて初めてゲージから出てきたばかりの子猫状態で身を固くしながらカウンターにちんまりと座っていたのだが、濃紺のコルセットでぐいとくびれを締め上げたお姉さんが「こういうの興味ある?」と言って何本か鞭を持ってきたのがいけなかった。

平たく言えば興味があった。なんならそのお姉さんが拷問博物館の話をしてくれて、意気投合したのもある。「やってみる?」と聞かれた言葉に目を輝かせて「やってみる」と答えてしまったのだった。

 

学校にも行かずにこんなところにいるのは訳がある。

就職活動に失敗したのは、春先のことだった。

面接がどうしても苦手だったが、しばらくは騙し騙し行なっていた。演劇サークルの頃の経験もあり、自分で役割を決めて演じるのは得意だったから、喋ろうと思えばなんでも喋れた。

それなのに、ある会社を受けた時に何かが自分の奥底でぷつりと切れるのを感じた。今までならスラスラと喋れていたはずの志望動機も、何もかもが真っ白になり、私は黙りこくって俯いたまま何も言えなくなった。呼吸が早くなり、動悸がして、冷や汗が流れた。なぜか面接用の小さな部屋が、小学校の頃のコンピュータールームと重なる。私は、小学校の頃そのコンピュータールームで何度も担任から叱責を受けた。出来損ない。頭が悪い。何をしてもだめ。特徴がない。その目はなんだ、その顔はなんだ、気持ち悪い。担任が私に投げかけた言葉は、今でも私が何かをしようとするたびに頭に反響のようにガンガンと響く。やがて声は担任の声ではなく私の声になった。出来損ない。気持ち悪い。何をしてもだめ。だめ。だめ。

私はもう何を話していたのかも分からなくなり、全身を震わせながらしどろもどろで話した。面接官の人が面接の後に一本ミネラルウォーターをくれた。大丈夫よ、ちょっと緊張しちゃったのね。まだこれからよ。大丈夫。そんな風に言われて差し出されたミネラルウォータを飲みながら、最寄駅でベンチに座り何時間もぼーっとしていた。まだ肌寒い四月のことだった。まだこれから、そんな言葉が私を深く絶望された。“これから”がこれから先何度私の前に訪れるのだろう?

もともと、自信なんてものは母親のお腹の中に置いてきていて、なるべく人様に迷惑をかけないように生きるのが私の信条だったのだ。面接で黙り込んでしまう私は人様に多大な迷惑をかけているに違いない。面接官の人の笑顔が忘れられなかった。

その後泣きながら帰って、そのままポッキリ折れて立ち直れなくなった。朝日が眩しくて泣いて、テレビがうるさくて泣いて、食べたサンドイッチに玉ねぎが入っていただけで午後ずうっと泣いていた。

そんな状態で、それ以上就職活動をまともに行えるはずもなく、周囲の大学四年生がスーツを着て勇んで電車に乗り、スラスラと面接官の質問に答えている間、私はずーっと部屋で布団を被って、泣いてみたり、本を読んでみたり、タバコを吸ってみたりしていたのである。太宰治の言葉がここまで沁みた時もなかっただろう。彼はメンヘラのカリスマだ。

けれど、絶望というのは決して永遠に遊んでいられるおもちゃではないらしく、だんだんと絶望するのに飽きてくる。泣き止むと、暇になる。眠って起きて本を読んで絶望とか希望とかにぐちゃぐちゃになって泣いて泣き止んだりしていると、だんだんと「なんだ、私ひまじゃん」と思えてくるのだ。その頃には就職活動の再開なんて考えてもいなかったし、就職をせずに貯金が底をついて生活保護を受けながらダンボールにくるまって暮らす毎日を想像するのにも飽きていたた。っていうか家あるし。

そんな時に、友人から誘われたのが緊縛ショーだった。久々に思い切りお洒落をして行った緊縛ショーでカメラマンにナンパされて、どうせいずれダンボール生活になるのだからと自暴自棄な気持ちで付いて行った先のSMバーである。

 

「M男相手にはね、もっと厳しく行くんだけど、可愛い女の子だから優しくしちゃう」

吊るされたカモ状態の私をおっぱい丸出しのお姉さんが抱きしめると、いい匂いがした。おっぱいも、お尻も、全然下品じゃなく思えた。ただそこにあるだけだ。彼女たちが女や男であることは自然なことで、むしろ男や女という言葉自体がとてもセンスがない。人間におっぱいがあって、お尻がある。それだけだった。それだけであることがとても美しかった。

軽く数度撫でるように鞭で叩かれて、干物のような状態から地面に降ろされた。可愛い、とか、綺麗、とか私よりよっぽど綺麗なボンテージファッションのお姉さんたちにちやほやされる。

後ろから抱きしめられて、胸元の縄をほどきながら耳元で聞かれた。

「恋人いるの?」

「いないです」

「好きな人は?」

「いたけど、もういなくなっちゃいました。」

「ああ〜、そうなの。」

労わるようにぎゅっと抱きしめられる。あ、もういいです。就職活動とか、お金とか、ダンボール生活とか。彼女に抱きしめられている間はもう何もかもどうでも良いです。そんな風に思えた。私は女体の前に無力である。

 

「これから楽しいよ。大丈夫。」

 

縛られるだけ縛られてチャージの制限時間が来てしまったため、これ以上払うお金もなく帰ろうとした私に、おっぱいを3分の2丸出しにしたお姉さんが笑顔で言ってくれた。私の今の現状なんて何も知らないはずなのに、「これから」と無責任な未来を彼女はなんでもないことのように口にして、確信をポンと私に投げてよこした。私はそれを受け取りながら、バーを後にした。

“これから”が私の前に何度やってくるだろうか。それは途方も無い回数、何度も何度も、私のところにやってくるに違いない。けれど、ボンテージファッションの綺麗なお姉さんから投げかけられた“これから”は、面接官の女の人がくれた“これから”よりもよっぽど無責任で、曖昧で、多分そのこれからで私はなんでもできるんだろう。なぜか気持ちが軽くなった。縛られていたはずなのに、縛られていた縄をゆっくり解かれたような気がしていた。

これから楽しくって大丈夫って言うんなら、そうなのだろう。それでいいや。それがいいや。

私はもう、帰り道で泣くことはなくなっていた。

 

アイドルマスターsideMについて、ハマった経緯と、思うこといろいろ。

 セカライが終わって、まあもぬけの殻みたいな状態なんだけど、この機会にちょっと自分がエムマスにハマった経緯とか、エムマスに対して思うこととかを整理してしみようと思う。 

 

 

 私が最初にMマスにハマったのは、1stのDVDからだった

 もっと正確に言うと、1stのDVDの発売予告CM。

 

 Mマスのゲーム自体は結構前から登録だけはしていた。いつ頃だったかな。多分、「桜庭乱入!」がネット上でちょこっと話題になった時期だと思う。たしか2014年の後半くらい。

 その頃は確かドラスタにすら声帯実装されていなくて、「桜庭乱入wwwwwwwwww」とか思いながら登録だけしてちょこちょこっとプレイした。せんせぇなんで座ったままで乱入したの?

 もともと単純作業が死ぬほど苦手なこともあって、ほとんどプレイは続かずに終わってしまった。これは単に私の忍耐力とかゲームセンスのなさの問題だと思う。デレマスの時も同じ失敗してるのですが…どうしてもあの、タップゲームっていうのになれなくって…すぐに飽きてしまうのが……。

 そうやってちょこっとプレイした時に気になっていたのがS.E.Mという三人組のアイドルユニット。もともと高校教師であり、年齢も32、30、23歳という高さの中で、なんでかしらんがピンク銀色の全身タイツを着ているというわけのわからなさ。本人たちもちょっと戸惑い気味なのがまた哀愁を誘う。衣装考案をしたのは齊藤社長なのかプロデューサーたる我々なのかは知らないけれど、30代にひどいことするなっていうのが当時の感想だった。まあ、三次元のSとMがつく某国民的アイドルも、オカッパにカラフルなスーツ着せられたり、ピンクの全身タイツで犬の格好させられたり、テロテアリーナとかいうトカゲみたいなキグルミを着た状態で水中を泳がされたり、色々されてたから、彼らもそういう感じのイロモノ的立ち位置なのだろうなと。

 そんな哀愁誘う中年ユニットの中でも、一番気になっていたのが30歳の科学教師、山下次郎。最年長が山下次郎ではなく硲道夫ってところに時空の歪みを感じるけど、まあそこは置いておこう。

 この山下次郎はお金が大好きなキャラということで、多分アイドルするよりも堅実に教師で貯金してたほうがお金貯まったと思うんだけど、無類のギャンブル好きらしい。なるほど、大博打を打つためにアイドルになったと。思い切りが良すぎるのではないか。

 ダンディな髭と、ルーズな口調。髪型はセミロング(この言い方あってるの?なんていえばいいのあの髪型?)。自分のことをおじさんとか読んじゃう。

 いや、あのさあ、

 

 

 好きにならないわけがないのよ。

 

 

 好きにならないわけがないの。

 

 

 小学生の頃に初めてハマったキャラがワンピースのサンジ。その後、紆余曲折を経て、中学生でドハマリしたのがヘタリアのフランシス・ボヌフォアだった。容姿的に特徴的なのは髭。別に髭好きでも何でもないのに、好きになるキャラの髭率は高い。

 山下次郎に関しては、完全に顔ファンだ。顔ファンである。容姿が好きだった。お金がどうしたとか話されると「なにいってんだこいつ」と思いながらも、容姿が好きだった。だから好きになった。

 

 私は山下次郎の顔ファンだった。

 

 そして、顔ファンだから、離れるのも早かった。

 

 山下次郎から、というより、アイドルマスターsideMから離れた。

 ポチポチゲー苦手だし、その頃は思い出メモのあれこれとかあんまりよく分かってなかったから、キャラがどんなキャラなのかもあんまりつかめないし。よくわかんない。よくわかんないからいいやぽ~いっつって。放置状態で、他の作品(その頃は刀剣乱舞とか、弱虫ペダルとか、シャーロック・ホームズとかにお熱でした)をちょこちょこ拾い食いしつつ、sideMには触れずに2年ほど過ごしていた。

 でも、もともと本家のアイドルマスター自体は好きだったのね。中学生の頃に(なんやカワイイ女の子に好き放題できるゲームないやろか)っつってゲームソフト売り場をウロウロ徘徊し、手にしたのがアイドルマスターSPワンダリングスター。ちょこちょこニコニコ動画であげられているアイマス動画を見ていた私は、雪歩が好きだった。ちょっと内気で、それでも芯の通った女の子。

 雪歩かわいいなあ、どんどん歌も上手になっててすごいなぁ、と思いながらSPをプレイ、そのあとアイマス2もプレイした、アニメも観た。ニコニコ動画でちょこちょこ動画を観たりもしてた。アイマス友達がいなくてイベントに行く勇気はなかったけれど、ラジオを聞いたりもしていた。

 ミリマスには機会がなくて触れてこず、ポチポチゲーが苦手なせいでデレマスもほとんどやってこなかったから、当時の私のアイマスに関する知識は本家だけだ。

 

 そんな中で流行り始めたのがデレステ

 音ゲーならできる!できるぞ!と思ってプレイし始め、まんまとハマってしまった大学生の私。最初はみんなかわいいな~と思いながら軽い気持ちでプレイしていたけれど、ある時私の女神こと三船美優が実装されたときに運命が決まった

 出会いのエピソードを呼んだ瞬間から美優さんにどっぷりハマってしまい、いつの間にかガチでゲームをやるようになってしまった。声がついた時は泣くかと思ったっていうかちょっと泣いた。アニメも見た。一瞬の出演ではあったものの、タイガー美優さんが見れて私はまた泣いた。胸が豊かである。二重の意味で

 

 

 そんなこんなでアイドルマスターのコンテンツに触れる機会が増えた頃、いつものようにアイドルマスターニコニコランキングを見ていたら、割りと上位にあがっていたのがエムマスの1stライブのDVD発売CM。

 

 (ほお~そういえばそんなんあったな…桜庭先生が乱入してたやつ…)

 

 その時点で、Mマスに関しては桜庭先生が乱入していたこと、私好みのおじさんがいたこと、そのおじさんがかわいそうな格好をしていたことしか知らなかった。

 

 (そうか…Mマスの声優さんたちも他のアイマスの声優さんたちみたいにライブやるようになったのか~っていうか、ライブやれるくらいには声優増えたんか…ほお~)とか思ってた私。

 

 そこで思い出した。

 

 ジュピターについて。

 

 ジュピターの、御手洗翔太くんの声優について。

 

 そう。松岡くんである。

 

 ニコニコでは松岡UCシリーズで有名な、松岡くんである

(※偏った認識)

 

 

 (松岡くん歌って踊るの!?!??!?!?!?!??!?!?)

 

 

 大混乱を極めた私、ハラハラドキドキしながらCMの動画をクリックした。

 松岡くんが心配だった。私の脳内では、完璧なタイミングでシュークリームを食べる松岡くん、くじ引きをする松岡くん、料理をする松岡くん。色々な松岡くんがあふれていた。もちろんBGMはおなじみのあれだ。松岡くんが歌って踊る。どういうことだ。松岡くんは歌って踊るのか。UCなのか。神となるのか松岡くん。松岡くん。ああ、松岡くん。

 動画を再生した。赤い人と、眼鏡の人が出てきた。眼鏡の人は観たことがあったような気がした。タグを観て、寺島くんのことを思い出した。冬馬だ。冬馬役の人だ。

 

 

 そして二人が言う、「ぼくたち、トップアイドル目指します!」

 

 

 その直後から始まる。それぞれのユニットのパフォーマンス。知ってる人はほとんどいなかった。私の男性声優の知識は某でぃあでがーるなすとーりーずで止まっていて、私の中では寺島くんも松岡くんも出てきたばかりの新人みたいな印象だったのだ。(神原さんはときメモの印象が強くてあんまり新人の印象はなかったけど)

 けれど、どうやらその認識は間違っていたらしい。知らない男の子がたくさん出てくる。そしてみんな、キラキラした顔で、キラキラした目で、踊って歌って、笑ってる。ここにいることが、楽しくて、嬉しくって仕方がないみたいな顔をして。

 実際、その動画の中で知っている顔はジュピターの3人と、内田雄馬君、榎木淳弥君ぐらい。ほかはみんな知らない人たちばかりだ。

 

 でも確かにわかるのは、これがアイドルマスターであるということ。

 

 ほあ~すげ~とか思いながら観てたら、突然「your future!」とか指さされて、歌い始めたとあるユニット。ピンク銀色のジャケットを着て、珍妙な踊りを披露している。あ、えのきくんがいる。と思いながら、見覚えがあるこの色…もしかしてこれ、あの例の先生ユニットでは!?と私は驚愕した。あのピンクと銀色の服を着せられて困惑してた人たちかこれ!!!なんかかっこよくない?なんかかっこよくない!?動きが変だけど!!!と混乱を極める。

 そこへ追い打ちをかけるBeitである。「Welcome with Bite!」というフレーズ。突如大写しになるイケメン。イケメン。イケメンである。どういうことだ。イケメンである。イケメンがいる。どういうことだ。イケメンだ!!!!!!い、イケメンだ!!!!!!そういえば若手の男性声優にやたらめったらなイケメンがいると、友達の声優好きの女の子から聞いたことがる気がする!この子かー!!

 

 もう、異文化に触れた外国人みたいな心地だ。しばらく離れている間に、すっかりこの世界は様子を変えていたらしい。どうやら、ジュピターは新人声優で構成されたユニットではなくなった。動画を観ていて、それだけは分かった。

 

 そして、CMの最後には緑のサイリウムの海の真ん中で踊るジュピターの三人がいた。松岡くんもいた。松岡くんが踊ってた。その瞬間、シュークリームを食べている松岡くんも、くじ引きをする松岡くんも、料理をする松岡くんも頭からふっとび、ジュピターの御手洗翔太としての松岡くんが強烈に私の印象を塗り替えた。

 そしてその松岡くんは、御手洗翔太だった。

 聞いたことがない曲。恋は初めていなかった。北斗の股間にチェーンもない。鬼ヶ島羅刹でもない。伊集院北斗と、御手洗翔太と、天ヶ瀬冬馬だ。Jupiterの三人が、ステージの上で、歌っていた。歌の歌詞には「未来」とあった。

 

 Jupiterが、未来を歌っていた。

 かっこいい、とか、そういう言葉を全て忘れて、何故かちょっと泣いた。

 

 私は特別にJupiterのファンだったわけでもない。Mマスだってちょっとやった程度ですぐにほっぽりだした。アイドルマスター2が発売した時だって、色々な話は聴きながらも「大変だなあ」程度で済ましてしまっていた。ゲームをプレイしたり、アニメを観たりしながら、Jupiterの三人が置かれている状況を観て、「本当は良い人たちそうだけど、環境が悪いんだろうなあ、頑張れ。」と思っている程度だった。あくまで私にとってのメインは、あのステージの上で歌うカワイイ女の子たちだったから、そんなに彼らに気持ちを割いていなかったのが事実だ。

 だからこそ、の感情だったのかもしれない。私が「大変そうだなあ」とぼやき、そのまま目をそむけてしまったその場所で、彼らがどれだけ歯がゆい思いを抱き、足掻いてきたのだろうか。私はそれを知らない。知ることはなかった。

 けれど、たしかに彼らはそこにいた。一瞬も消えることなく、そこにいたのだ。アイドルマスターのアニメの中で、春香が大きなステージで歌っていた時、彼らはライブハウスとも言えないような小さなステージで、確かに最初の一歩を踏んでいたではないか。そんなことに、強烈に気付かされた。

 

 気づけばDVDを買っていた。発売日が待ち遠しかった。他のことが手に付かないほどには。

 これが、私がMマスにハマったきっかけだ。 

 

 

 そしてDVDを待っている間に、とりあえず声優の知識を仕入れようと思った私は、アプリの方のMマスを改めて初め、発売されているCDを買った。とりあえずJupiterとSEM。そこから芋づる式で出ている限りのCD全て買ってしまった。

 さて、私がハマったキャラがいる。山下次郎だ。あのおじさんの声を当てた人が、多分あのピンクのサイリウムの中で踊る三人組の中にいたんだろうな…でもたぶん榎木淳弥じゃないだろうな声的に…と思いながら、CDで確認した。中島ヨシキ。知らない声優だ。

 知らないので、とりあえず動画で上がっているワケ生も視聴。SEMの三人組がわちゃわちゃと騒がしく出演している姿を観た私。どうやら一番左の人が中島ヨシキらしいと知る。そこで私は思った。

 

 (そうかあ、おじさんの役だし、結構年が上っぽい人が演じてるのかあ…)

 

 まだ何もしらない頃である。

 

 そして、その後すぐに疑問が湧いた。

 (でもこの人、CMに出てた…?観た覚えがないな…?)

 急いでファスライのCMのSEMのシーンを見返す。いた。髪型がだいぶ変わってるから最初は混乱したが、たしかにこの人だ。めっちゃ肌白いなこの人。Mマスにすでにハマっていた友達から「SEMが好きなら超会議見ればいいよ」と言われ、超会議のライブを観た。伊東さんの歌唱力にビビりながら、中島くんを確認する。

 

 誰だこの人。

 

 髪型が変わると印象がだいぶ変わる人らしい。男子3日会わざればというやつだろうか。それにしたって変わり過ぎだろうとも思う。(※この時、私はまだ白井悠介の存在を知りません)でも顔整ってる。きれいな顔してる。

 ウィキペディアを観た。1993年生まれ。私と2個しか変わらない。時空の歪みを感じる。でも私も高校生の頃に美容院に行くと「今日はお勤めですか~?」とか言われてたから、人のことはいえない。でも、そうか、こんなに若くて次郎ちゃんの声を出してるのか…。

 びっくりしていた私に友人が一言。

 

 友人「この人、あんスタの鉄虎くんの声もやってるよ!」

 

 どういうことですか、意味がわかりません。

 

 同じ声帯から出てきて良い声だろうか。否。でも同じ声帯から声が出ている。人間ってすげーよ。

人間ってすげえ!

 

 人間のすごさに感動した私は、その後はすっかり中島ヨシキにハマり、山下次郎にもハマった。

 あと、まあ、なんやかんやあって、春名とか、咲ちゃんとかにもハマった。しらいむとこばぴょんにもハマった。とにかく全部にハマった。ハマって調べまくった。ゲームもプレイした。溜まっていた思い出メモを片っ端から消費して、雑誌やイベストを読み漁った。

 

 衝撃を受けたイケメンには梅原くんという名前があった。そして、梅原くんにはイケメンという言葉では表しきれないようなたくさんの深みがあることも知った。無表情気味な恭二は、その裏に情熱と切実さを抱えている事も知った。ハイジョで素敵な笑顔を見せてくれた人が野上くんという名前であること、四季くんのひたむきさや少しの幼さ。山谷くんと菊池くんのお互いを尊敬しあいながらもちょっとだけ寄りかかり合う関係性、Wの二人の過去とその先へ進むための葛藤。様々な声優のこと、そしてキャラのことを知った。あと仲村くんのガチ恋勢になった。何だあの人のパフォーマンス力の高さは…

 

 Mマスには魅力的なキャラが多すぎた。「ワケあって」という肩書きに恥じない程度には、全てのキャラにワケがある。そのワケは、大小様々なものではあったが、たしかにキャラクターにとっての「傷」であった。あるいは「小さな後悔」のようなもの。誰かにとっては取るに足らないかもしれない、そんな傷を抱えながら足掻き続ける彼らを見ていて、あのCMでJupiterを見た瞬間を同じ感情を何度も感じた。これがエモいってやつだろうか。めっちゃエモいアイドルマスターSideMめっちゃエモくない?私はエモいと思う。

 

 私は乙女ゲームをあまりやらない。うたプリを少しかじった程度だ。けれど、ワケあって大学のレポートのために女性向けの恋愛ADVの歴史を調べたことがある。1994年のアンジェリークから始まり、現代のスマホゲームまで。Mマスのようなゲームは、決して恋愛ADVではない。圧倒的に育成ゲームとしての側面のほうが強い。それはアイドルマスターのゲーム全体に言えることだ。どちらかとえいば、プリンセスメーカーとかの系譜に入ると思う。

 けれど、アイドルマスター本家からも独立して、アイドルマスターsideMというゲームに関して、私が思っていることがある。それは、このゲームが「今この瞬間」を見せるゲームであるということだ。

 プロデューサー対アイドルという構図は、アイドルマスターにとって主流となる関係生だ。しかし、Mマスにおけるイベストや雑誌のストーリーを見ていると、それ以上にグループやアイドル同士の関係性に言及したものが多い。プロデューサーは常に傍観の立場にいる。そこでわかるのは、Pたる私が、そのキャラクターと高感度をあげようがあげまいが、「今この瞬間」にそのキャラクターたちは生きて、思考し、成長しているという圧倒的なまでの事実なのではないか。

 

 そしてもうひとつ、Mマスにおいて私が好きな要素がある。

 Pである私はアイドルたちの過去を本当の意味で知ることができないということだ。

 Mマスのキャラクターには、過去、家族構成、その他もろもろ、様々なものが不明なキャラクターが多数存在している。私がわかるのは、彼らを構成するそれらの要素に何かがあったのかもしれないという予感だけだ。その予感は、アイドルたちとの対話の中で発覚する時もあれば、分からないままにあっていることも多い。

 そう、対話だ。このゲームはコミュニケーションが主流なのだ。対話が主流だから、私達は彼らについての全てを本当の意味で知ることができない。なにかを隠す人が、対話を通してその全てを一気にさらけ出すことは殆ど無い。大抵は、小出しになる。小出しになるし、ぼやかされるし、それがわかったって本当にわかったのかはわからない。

 

 アイドルたちの「ワケ」は様々だ。天道輝の情熱の出処について、桜庭薫の姉に対する感情について、柏木翼の過去の衝撃について、私たちは本当の意味で知ることができない。山下次郎の両親のことも、若里春名の家庭事情も、水嶋咲のあらゆるすべても、私達は知らない。過去を「ワケ」を知ること、引いては、その「ワケ」を語るということ、その困難さをMマスは知っている。それがすごいと私は思う。

 そしてPである私たちは、そんな「ワケ」を抱えながらもアイドルたちがステージの上で輝く姿を見ることができるのだ。ステージの上に立つことが、過去の昇華、あるいはトラウマの消失につながらないこともMマスの魅力だろう。過去はいつまでも過去として存在するし、傷は跡になっていつまでも心のうちに存在している。けれど、ステージの上で輝くことができる。それが、アイドルたちにとって、プロデューサーである私たちにとっての救いになるのだ。

 

 

 Mマスはすごい。(小並感)

 本当にすごい。

 なんか宗教みたいになってきた。

 でもすごいぞ。本当にすごい。

 

 

 私はDVDでファスライを見て、そのあとにライビュでセカライを見に行って、確信したことがある。

 ステージ上で声優の誰それとして立っている人は一人もいないということだ。全員が、アイドルマスターのアイドルとしてステージに立っている。演じるという行為を、誰もが片時も忘れていない。

 

 私はファスライでステージの真ん中でスタンドマイクを握りしめながら歌う寺島拓篤が本物の天ヶ瀬冬馬に見えた。

 

 それは、天ヶ瀬冬馬のキャラクターとしての経験と、寺島拓篤の声優としての経験が影響し合ったからだ。私は声優の前にキャラクターを見ていて、キャラクターの向こう側に声優を見ている。私がライブで感じるのは、声優がキャラクターを演じるために、ファンである私よりも、キャラクターたち自身よりも、それぞれのキャラクターのことを理解しようとしていることだ。キャラクターの一番の理解者になろうとしていることだ。

 キャラクターの理解者となることは、演じるうえで必要不可欠なことだと私は思う。その努力の結果が、ライブという形で表現される。でも本当は、それはライブでなくても同じだ。アニメだろうと映画だろうと、ドラマCDだろうと同じだ。キャラクターがいて、その一番の理解者としての声優がいる。私は彼らの相互作用の結果としてのパフォーマンスを見る。

 

 寺島拓篤天ヶ瀬冬馬だった。声から、表情から、指の先まで。演じていた。その他の声優たちもそうだ。声優のライブではない。虚構としてのアイドルのライブがそこにはある。

 だから私はアイドルマスターのライブが好きだ。

 

 

 なんかめっちゃ語ってしまった。

 どうせ誰も見てないだろうからこのぐらい語ることは許してほしい。

 とにかくセカライ最高でした。

 お願いだから円盤早く出してって思うけど、特典映像とかをじっくり作って良いものにして欲しい。ユニット数も前回の倍近いから、ユニットの対談とかまたやるなら結構時間かかりそうだし。

 気長に待ちます。

 いやあ、それにしても、アニメも、ゲームもできちゃうんだね。

 これからどんどんコンテンツとして広がるんだろうな。

 楽しみで仕方ないよサイドエム。

 声優のみんなとプロデューサーであるみんなが大切にしてくれる限り、コンテンツは死なないよ。なんの心配もない。楽しみです。本当に楽しみだ!!アイドルマスターsideM!!

 

声優についてあれそれ語る その1

最近、どうにもこうにも声優熱が収まらないので、あふれ出るパッション及び欲望を吐き出す緊急避難所としてブログを作ってみた。

同じように溢れ続ける刀剣乱舞へのパッションはレポート様式でワードに綴って友達と見せ合うことで昇華できるけれど、声優の方は語る友達もいなければ(いるにはいるけど踏み込んだ話ができない)、明確な論拠も皆無なのでレポート様式にまとめる方法も出来ないので、とりあえずブログという場所で無責任な形で垂れ流しにできればいいなあ。

 

さて、本題。

現在、私のハマっている声優は三人います。

 

梅原裕一郎

白井悠介

中島ヨシキ

 

三人とも某アイドル育成ゲームの男性バージョンの方の声優陣。

梅原君のほうはある程度名前も売れてきてる現在だけど、下二人は某ゲームか一部のアニメを知らなければ「だれ?」ってなるような新人。とっても新人。そういう新人だからこそいいっていうのもあるんだろうけど。

ここ数年あんまり声優にど嵌りしてなかった私だったのだけれど、イベントに行くためにブルーレイDVDを買ったり、CDを何枚も予約したりするほどには彼らにハマっていて、それを自分自身で意外に思ったりしたので、自分の中を整理するためにブログを書こうと思った。

じゃあどこから書こう。まず、私がいつから声優にハマり始めたか。昔の話から整理していこう。

もうこんなふうに書く場所ができちゃったわけだし、ここまできたら考えてること全部垂れ流していこうと思う。多分誰も読んでないブログだし。

 

とりあえず昔の話。

私のオタク人生(小学生の頃から罹患、その後治療法なし)において、初めて嵌った声優が現在は中堅声優として活躍している小野大輔氏。

そのころは少し知名度が上がってきたまだまだ新人という感じだった。

きっかけはオタクであれば誰もが通る道である「涼宮ハルヒの憂鬱」。

私はその中の超能力者であり主人公の親友ポジ(?)である古泉一樹にめちゃくちゃ嵌った。本当に嵌った。まず主人公の親友あるいは同僚ポジションの男って、主人公の恋路あるいは円満な生活の潤滑剤になるしか道はないわけですよ。当て馬になったり、主人公と周囲の橋掛けになったり。わたしはそういうローションみたいな男が好きだった(語弊を感じるものの割愛)

そんなローションみたいな古泉一樹(語弊があるが割愛)にハマった小学生だか中学生だかの私。記憶が曖昧だからわかんねーや多分中学生。当然アニメを見て、その他さまざまな情報をネットでかき集めた当時。そこでやっぱり真っ先に出てきたのが「声優」という存在だった。

まず最初に衝撃を受けたのは、「平野綾」という女性声優。

私はそのころ、声優といえば平田広明(ワンピースが好きだったから)と山口勝平(コナンと犬夜叉が好きだったから)、高山みなみ(コナンが以下略)だった。大御所も大御所で、積極的に調べない限りは顔を知ることもないし、アニメでも外画でも頻繁に声を聞くことはできるけど、パーソナルな部分の積極的な露出はない、本当に「声の世界」にしかいない人たち。少なくとも、当時の私にとっての声優は、「声だけの存在」であり、アニメの中のキャラクターの声は「同じ声なんてひとつも存在しない」ものだった。だって新一と犬夜叉は別人なんだから、声が一緒なわけないじゃん。声は一緒なんだけど、それが一緒だって意識することは全くなかった。

そんな私のもとへ流星のように(?)表れた平野綾。声も良いし顔も良いしスタイルも良いし歌も上手いし演技も上手いしラジオは可愛い。

 

え?こんな人が声優なの?っていうか声優ってなに?

 

頭の上に大量のはてなマークを抱えながら、黙々とネットサーフィンをし、情報を集め続ける中学生(小学生)の私。泉こなたやらミサアマネやらと同じ声優であることを知り、俄然興味を抱きながらやっぱり調べるニコニコ動画

 

そこで見てしまったわけだ。涼宮ハルヒの激奏を。

それは主題歌や劇中歌、キャラソンなんかを声優たちが歌うライブ形式のアニメイベントだったんだけど、女性声優が朗らかに可愛らしく自分の曲を謳いあげる中に奴はいた。奴らといったほうが正しいのかもしれない。

杉田さんのライブにおける様子がおかしいのは自然の摂理というか宇宙の法則みたいなところがあるのであまり気にしていなかったのだけれど。

ダイスケオノはあかんかった

おそらくは劇奏が彼の初ステージであったのだろうとは思うけれど、白いスーツを着て、両脇に赤いドレスのお姉さんを侍らせながらふしぎなおどりを披露し、「まっがーれ↑」といいながらスプーンを腕力で物理的に曲げる谷原章介似の甘いマスクが素敵なはずが、アニメ古泉のキャラクターのせいか彼自身から垣間見える変態性のせいか、「こいつただものじゃねーな」感をひしひしと感じる姿に、一気に引き込まれた。

実際、ステージの上で「ネタキャラになれる」ってすごく貴重だ。杉田さんっていう科学者が誤って作りだしてしまった禁断の核爆弾みたいな存在と共にありながらも、ネタキャラとして霞まずにいられたのはすごいことなのではないかと個人的には思っているけれど、まあモンペフィルターがかかっているのでなんとも。っていうか杉田さんがキャラが濃すぎるっていうのもある。

(個人的には、このネタキャラの素質を持っているのが上記の白井悠介さんなんだけど、それはまた後で。)

そうしてうっかりダイスケオノを好きになってしまった私は、見てしまったのである。

DGSを。

そして嵌ってしまった。

神谷浩史に。

 

神谷浩史にハマった当時の中学生の私は狂っていたと思う。

どのくらい狂っていたかというと、夜寝る前にフトンの中でふと「今この瞬間にも神谷浩史は息をして、なにかしらの身体活動を行っていて、私と同じ次元に生きて存在している…?」と思って感動に打ちひしがれることが一度や二度ではなかったのだ。

今まで二次元ばかりにハマっていた私にとって、三次元の存在に対してここまで思い切り嵌ることが初めてだったから、好きな存在が三次元にいるっていう時点でかなり新鮮な驚きだった。うわこの人有機生命体だ!すごい!みたいな。

そんな調子で、私はとにかく神谷浩史の出ている当時のアニメを追いかけた。

ガンダムOOがやっていた時期だったので、観た。マクロスを見て、夏目友人帳を見て、化物語を見た。有名どころはとりあえず視聴した。中学生だったので暇だったしね。こんなブログ書いてる時点で今でも暇だけど。

とにかくさ、まず、ティエリアがいけなかったんだよ。ティエリア・アーデ

彼はガンダムOOに出てくるメインキャラクターの一人で、年齢不詳、ツンデレ、眼鏡、人造人間、ツンデレ、性別不明という、普通のアニメだったらそれだけであと二人はキャラクターが作れそうな設定を全て盛り込んで、そこに「圧倒的庇護欲誘発剤」を粉末で振りかけたみたいなキャラクターだ。

涼宮ハルヒの憂鬱で、長門や朝倉さんというキャラクターを通して「人間の姿をした人間ではない存在」に並々ならぬ興味を抱くようになった私にとっては、ダイレクトに興味と興奮を誘ってくる魅力的なキャラクターだった。(ハルヒにおける人造人間は情報統合思念体という宇宙人が作りだしたものであり、OOにおける人造人間は、人間が作りだしたものである上に、イノベイターと呼ばれるいわゆる「超人」を“模倣した存在”であることから、長門や朝倉とティエリアはかなり異なった存在なんだけど、どちらにせよ「絶対に人間になれない人間のような生命体」であることには違いないのでしゅきぃ…しゅきぃ)

ちなみにこのアニメ、ロックオン・ストラトスっていう脚本家がシャワーで頭洗いながら思いつきで考えたみたいなコードネームのメインキャラがいて、OOの一期がやってた頃は私は彼とティエリア(性別不詳)の恋模様(?)にドキドキしてたりしてました。

ロックオンに関しては男女関係なくメンヘラの心を狙い撃ちする割に彼自身がメンヘラだったので、最終的にあらゆるメンヘラを置き去りにしたまま死ぬっていうメンヘラ地獄製造機みたいなキャラでそこに痺れたし憧れた。

ちなみに彼が死んだあとは、同じ顔と声のメンヘラが二期で登場したりしたんだけど、彼は一期のロックオンとは違って恋愛方面にポジティブだったので今でも元気に生きてます。やっぱり人間の本能を忠実に果たせる人は強いね。ここは地獄か?

まあ、とにかく、中学生の多感な時期だった私はティエリア・アーデにど嵌りし、サイトを漁り、2ちゃんに常駐した(ロム専だったけど)

ティエリアを見た瞬間にハマーン・カーン?」って聞いてくる私の母親を尻目に、ティエリアのフィギュアやら同人誌やらを買いあさったのだ。

ティエリアハマーン様じゃないよママ。

 

そんなこんなでティエリアへの愛が加速するにつれて、同時に加速していった神谷浩史への愛。

OOがやってた時期は同時にマクロスFがやっていた時期でもあったんだけど、マクロスFミハエル・ブランとかいう眼鏡もダメだった。私には全く眼鏡属性はない(と自分では思ってる)けど、この時期にハマったキャラは総じて眼鏡だったな。ミシェルに関しては死んだ時に「眼鏡が残ってるからセーフ」とかニコ動のコメントで言われてたし。なにひとつセーフではない。

しかしこの眼鏡。私の性癖を狙い打ってくるのである。

・主人公の親友ポジ(いわゆるローションポジ

・女たらし(しかし本命は作らない、作れない)

・過去に家族を失っている

アイデンティティが安定しない(祖父母がゾラ人)

っていう、私の性癖乱れ打ちだったのだ。ちなみに、マクロスFではミシェル好きなのになんでOOでの一番はティエリアなんだ普通ならタイプ一緒なのはロックオンだろっていう感じだけど、私にもわからん。こればっかりは私のホルモンの求めに応じてるとしかいえねえな。

 

なんか妙にアニメのキャラについて熱く語ってしまったけれど、私は今声優について語っているのだ。そう、神谷浩史だよ神谷浩史。本題に戻ります。

とにかく私はヒロシカミヤにど嵌りし、毎週欠かさずにDGSを聞いていた。DGSにおいて素晴らしかったのは、先輩と後輩、ツンとデレ、SとM、といった具合でうまい具合にピースのかみ合ったキャラ付けが二人に出来ていたこと。

先輩後輩で組んでやるラジオは今まで何個か聞いてきたけど、あそこまできちんとキャラクター性のピースが嵌ったラジオってDGSと矢作・佐倉のちょっとお時間よろしいですかぐらいな気がする。私がそこまで色々なラジオを聞いているわけではないので、他にもたくさんあるのかもしれないけど。

あと、もう一つは、神谷浩史が非常に話がうまくて、司会進行役としての能力が高かったのも、私が彼に嵌った一因だと思う。

私は小さい頃からずっと「憧れの人」として据えてきた人に中居正広がいて、私は彼の「自分自身」という個から完全に引き剥がされた状態で行われるトークが好きだった。トークがうまくて、場の雰囲気も読めるのに、「仲良くなる」には壁が何重もあって人癖も二癖もある人が私は好きなので、神谷浩史はそういう面が当時はとても強かった印象があったのだ。

多分、私が嵌っていたころの神谷浩史はトゲトゲ期からふわふわ期になる中間ぐらいの時期だったので、そういう「壁がある」印象はひときわ強いように思えた。

二次元にしか働いていなかった(中居は例外)私の性癖に、彼はものの見事に合致してたのだ。

ちなみに、私が神谷以外に今まで好きだなぁと思った男性声優は石田彰櫻井孝宏森久保祥太郎細谷佳正木村良平で、こういう風に見るとトーク力の高い人が多い。石田彰はあまりにも別格だし、細谷佳正に関しては杉田と同様に核爆弾みたいな存在なのでなんともいえないのですが。でも細谷の何言っても面白くなっちゃうところはある意味でトーク力があるといえるのかもしれない…

とにかくトークに器用な人が好きなのだ。トークが器用な人って、同時に底が知れない人になる。その場でのコミュニケーションはとても上手なのに、トークだけでは内面を全て推しはかることができない。周囲を盛り上げて、自分も笑いながら、瞳の奥がぞっとするほど冷たかったりする。私はそういう人が好きだった。

一番最初にあげた三人から上げると、中島ヨシキが一番トークが上手く、上記のような素質があると思う。この前のラジオの一人喋りでは、初レギュラ―とは思えないほどにトークが上手だった。あれはもうきっと天性のものだよなあ。

 

そんなわけで、私の中学時代の声優方面の精神は神谷浩史にささげたと言っても過言ではない。

神谷浩史経由で、芋づる式に様々な声優の存在を知ることになり、私はそこから一気に嵌っていったのだ。ある意味で、あの時代は「声優」という存在が「アイドル声優」という存在に変わっていく過渡期だったようにも思うので、そのニーズの変遷が面白くもあった。

 

なんだかあっちゃこっちゃに話が脱線したりしたけれど、とりあえずここで一度切ります。

結局最初にあげた三人の話が全然できなかった。また時間ができたら続き書く。

とりあえずここまでで。