Uターン就職することにきめた

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早大生が早稲田祭に行って思った事

 この間の土日で早稲田祭があった。

早大生として行かないわけにはいかんと思って両日突撃してきた。

 

早稲田祭は日本一の学祭だ!

これは早大生のコンセンサスといえる。

 

この早稲田祭、何がすごいかって、その規模。

正確な統計なんか取れっこないだろうけど、ぽちぽちカウンター数えてる人が門の前に立って一応は数えてるっていう建前にしてるらしく、その発表によると動員数は16万人越えだという。あのディズニーランドを抱える千葉県浦安市の全人口が早稲田に押し寄せたに等しい数だ。実際、当日の学内は人だらけでちょっと移動するにも、所狭しと並んだで店に並ぶ人、舞台の出し物を見る人で混雑してえらい時間がかかる。

出し物もすごい量で、外だけじゃなく建物内の教室とかもバンドサーが演奏いてたり、アカペラやってたり、お化け屋敷だの、お国自慢だの、政治討論だの、ゼミの発表だのいろいろとやっている。(実はそんな中に、しれっと有名人が混ざってることもよくある。上原亜衣とかおのののかとかいたらしい)

メインは、大隈講堂前のステージで、東京花火とかよさこい踊るサークルだったり、SHOCKERSっていう男子チアが何度も人を中に打ち上げるようなパフォーマンスしたりと、華やかなやつから、男っていうより漢(おとこ)っていう感じの暑苦しい集団がローションまみれになってもがいてたり、カブトムシの幼虫をそのままたくさん食べられた人を早稲田王に命名する変態的なやつまである。

 

こんな早稲田祭なんだが、色々にて回ってるうちにふと思った。

「俺、何にもしてねえな。」

ボランティアサーとインカレの中規模テニサーに入ってる僕は、フランクフルト売るようなで店もやって無いし、バンドサーとかよさこいみたいなパフォーマンスなんかなかった。

振り返ってみれば、最近の自分は授業が終われば、大したバイトもせず家に帰ってスマホをいじって、寝て、飯を食ってまた寝る。サークルには気が向いたら顔をだす。そんな生活しかしていない。

 

そんな自分に比べて目の前の祭りで、

後輩が早稲田祭の運営スタッフをやっているのが立派に見えた。

学科の同期がバンドを組んで、ドラムの演奏をしてたのがカッコよく見えた。

アカペラバンドで歌ってる友達がとても楽しそうに見えた。

サークルの先輩が、大隈講堂前ステージにふんどし一丁で立ってるのが輝いて見えた。

 

そういえば、

運営スタッフの後輩は半年前から資料作りをしてたし、

バンドサーの友達は何か月も夜遅くまで練習していた。

みんな早稲田祭っていう大きなイベントのために、時間と労力を惜しまず注ぎ続けてきていた。

 

それで気付いた。

早稲田祭って、早大生1人1人がこの祭りに向けて注いできた全力の結集なんだな。」

そりゃ、日本一の学祭になるに決まってる。

 

そういえばステージでふんどし一丁の先輩が叫んでいた。

「俺は1年の時このステージを見て、絶対にあそこに立ってやると決めた。それが俺の夢だ。そしていま俺は今その夢を達成した。お前らも夢を持て。」

はっきり言ってカッコイイとは言えない先輩だけど、このときはほんとに輝いて見えたし、カッコよく見えた。

 

人って夢とか目標とか持って頑張ってるとき、かっこよく見えるんだなあ。

 

俺の夢ってなんだろう。

今は、これって言えるものがない。

 

まずは自分の夢探し、してみよう。

 

 

 

 

碓氷峠に行ってみよう!

碓氷峠の関所跡 (上毛カルタ

 

 群馬県民だったら誰しもが知ってる、上毛カルタ

このカルタに読まれる碓氷峠って知ってますか??

 

 

碓氷峠は、群馬県と長野県の県境にある国道18号線中山道)の峠。

実はこの峠、日本にとってものすごく大事な峠なんです。

 

何で大切なのか?

古来から重要な峠だったようですが、とくにその重要性を増したのが江戸時代の5街道の中山道がこの峠を通ったこと。中山道東海道とともに江戸と大阪京都を結ぶ幹線でした。その重要性は変わらず、日本で東京ー大阪間の鉄道が初めて計画されたとき、軍事防衛上の理由から、この峠を通る中山道ルートが当初計画されたといいます。

ちなみに、現在は東京ー新潟間はJR上越線上越新幹線のようにまっすぐ北に進むルートですが、これらの開業の前は、この峠を通る信越本線(高崎ー新潟)経由のルートしかありませんでした。

つまり碓氷峠は、東京から大阪京都方面に行くとき、新潟方面に行くとき、通ることになる峠だったのです。

 

でも、よく地図を見てみると信越本線って、群馬県の横川駅から先がありません。

 

なぜでしょうか。

実は、もともとは横川駅から軽井沢駅まで、碓氷峠の急勾配に対応するためにアプト式という特殊な形式で線路が引かれていました。

しかし、北陸新幹線の開業に伴い、維持費用がかかりすぎるということで廃止されてしまったのです。また、それと同時に軽井沢駅から長野駅方面に向かう信越本線は、北陸新幹線と並行する在来線区間ということで、地方自治体が出資する第3セクターしなの鉄道に経営移管されてしまいました。

群馬県側は、大都市近郊区間であり、乗客数も見込めるため、JRにとどまりました。

現在では、横川ー軽井沢間はJRバス関東が代替で輸送を行っています。

 

碓氷峠は日本の近代化を支える大動脈として機能してきましたが、現在では北陸新幹線

上信越自動車道といった高速交通網の開業で碓氷峠に訪れる人は少なくなりました。

しかし、碓氷峠には旧中山道の峠の熊野神社付近には、休憩所のお団子屋さんがあったり、信越本線の鉄道遺産で、国の重要文化財のめがね橋があったりと、歴史を感じることのできるスポットが今でもたくさんあります。

さらに、横川駅は、林修先生も絶賛する「峠の釜めし」で有名な、おぎのやという駅弁屋さんがあります。また鉄道文化村が併設されていて、ファミリー層や鉄道ファンに根強い人気があります。駅周辺の一帯は妙義荒船佐久高原国定公園にも指定される、荒々しい山々でも有名です。

横川駅から、軽井沢駅までは遊歩道が整備されていて、めがね橋などの文化遺産を見学しながら山歩きを楽しむ人も多いそうです。軽井沢駅に着いたら、駅前の広大なアウトレットでスイーツを食べたり、ショッピングをするのも楽しそうですね。旧軽銀座で異国情緒に浸りながら街歩きをするのもいいですね。

 

碓氷峠は、軽井沢の発展と、18キッパーの増加で、ますます注目されている観光スポットです。

”高原の澄んだお水と空気に触れ、おいしいものを食べながら、文化遺産を巡る。”

碓氷峠でこんな贅沢な旅をしてみてはいかがでしょうか。