久しぶりに開きました。
「人は死んだらどうなるの?」
っていう謎は永遠にわからないかと思ってたんですが
最近「ガチで輪廻転生じゃない?」に行き着いたので書いてみます。
別に宗教とか、スピリチュアルな、根拠を持たないものではなく
薄っぺらいけどそれなりな物理の理解をベースに
理論的な思考を経たものになってるかなと思ってます。
今までの考え
今までは、人は死んだら何も残らず、永久に無。だと思ってました。
無ってなに?っていう疑問に対しては、
「わかんないけど、まあ生まれる前と一緒なんだろうね」みたいな感じで考えてました。
こう考えている人けっこう多いんじゃないかなと思います。
分岐点
ただ
物理にまつわる有名なフレーズをふと思い出しました。
「物理法則で禁止されない事象は必ず起こる」
これ結構いろんな物理の本、特に量子力学に関する本にはよく書いてあります。
これポイントは、「起こり得る」じゃなくて「必ず起こる」って書いてあるんですよね。
「強制される」っていう言い方をしている本もあります。
物理法則で禁止されていること
物理法則で禁止されていることっていうのは、例えば「光速を超えることはできない」みたいなことですね。
物理法則で禁止されていないこと
で、禁止されていないことっていうのは、日常ありふれていることはもちろん、それ以外にも結構あります。
例えば「人間が壁をすり抜ける」みたいなことは、普通はありえないけど物理法則では別に禁止されていないです。量子力学でいうところの「トンネル効果」が人体のすべての素粒子でたまたま同時に起こった場合は、起こり得ることです。
可能性が低すぎるっていうだけで禁止されてはいないので、永遠に試行を重ねればいつか「必ず」起こることです。
今の現実はすべて「禁止されていないこと」で埋め尽くされている。我々の身体・意識も含めて。
で、ここがポイントで
いま我々の世界っていうのは「禁止されていないこと」で溢れているんですよね。
当然です。じゃないと存在できないので。
で、もっというと、溢れているどころか、
「禁止されていないもの」しか存在していないわけですよね。
そして、それは我々の身体や意識もそれに含まれるわけです。
「意識」の正体は関係ない
「意識って何?」っていうのはわかってないですが、「いま存在している」ことは疑いようがないわけですね。
デカルトの「我思う、故に我在り」です。
ちなみにこのセリフ、ここだけみると何も言ってないように聞こえたりするんですが、
「前提を覆されると議論がすすまないなぁ。。あっでも「自分がこうやって考えていること」だけは疑う余地がないよね?ここは覆せないよね?なので議論はすべてここから始めましょう」っていう、あらゆる思考の究極の原点を設定する重要なポイント、言ってみれば哲学における「公理」です。
で、意識が何なのかは全然わからないですが、そこは今どうでもよくて
大事なのは「今存在していること」、それは間違いのない事柄であって
つまり「物理法則で、意識の存在、今の自分という意識の存在は禁止されていない」ということになります。
だから、今現在、存在しているんですよね。
この身体・意識もいつか「必ず」再現する=輪廻転生
ってことはですよ、
今の意識がなくなったとしても、長い長い試行を経て、
この意識はまた再現するんじゃないですか?
そしてそれって「輪廻転生」じゃないですか?
最初の疑問に戻ると
「人は死んだらどうなるの?」
に対する答えとしては
「いつかまたこの意識が、何かの拍子に必ず再現する」
になるはずです。
そして
もしかしたら、その間に何百億年、何千兆年、何無量大数年かかるかもしれないですけど、その間の意識の存在は無なので、一瞬で次の意識にたどり着きます。
その時まで宇宙がないんじゃない?って思うかもしれないですが
この宇宙ですら、いま存在している以上、必ず再現されますからね。
無敵です。
ということで
死んだらずっと無なのかと思ってましたが、
ここに来て、「輪廻転生」みたいな話が、実はかなり現実的なんじゃないかと思い始めている次第です。
まあ、だとしても結局何も変わらないよねっていう
ただね
もしこれが正しいんであれば、今のこの意識が「記念すべき第一回目」である確率は低くて
今が何回目なのかもわからないですけど、恐らく無数に繰り返してると思っています。
でも前回までの記憶とかもちろん持ってないので
もちろん、今回の記憶も次に引き継がれないでしょう。
今回の物語は完全にこの意識で完結しちゃうはずです。
じゃあこの結論になんの意味があるの?って言われると何もないんですが
ちょっとだけ死ぬのが怖くなくなるかなあって思っています。
おわり。