恥と痛みの狭間に立たされて
胸が息苦しい程ドキドキして来た。恥かしいのか、怖ろしいのか、又は悲しいのか、自分でも判然らない感情のために、全身をチクチクと刺されるような気がして、耳から首筋のあたりが又もカッカと火熱って来た。……眼の中が自然と熱くなって、そのままベッドの上に突伏したいほどの思いに充されつつ、かなしく両掌を顔に当てて、眼がしらをソッと押え付けたのであった。
先日の初めて体験した出来事と感情は、上の引用文に集約されている。
世のほとんどの感情は極限まで達すると、涙に変わるらしい。
皆さんは何の話だかお分かりになるだろうか。
その出来事は突然だった。
違和感を感じたのは、いつものように通っているジムから帰ってきたときだ。
その日は年度末ということもあり、これまでの仕事のストレスをベンチプレスに込め、気持ちを新たに新年度を迎えようといつもより長めのトレーニングで汗とデトックスを排出した。
達成感から気持ちも高揚していた僕は違和感を特に気にも留めず、そのままシャワーを浴びて次の日に備えた。
発熱だろうか。寒気がして身体が震える。
鍛えた部位の筋肉痛とともに目を覚まし、気になったので体温を測るも36.9度。
新年度早々軽い微熱かと思いながら支度をして会社へ向かう。
昨日の違和感は若干の痛みを伴っていた。
ただ、順調に発育されている証拠である筋肉痛への喜びと発熱はまさかコロナでは...という不安で、やはり痛みにはあまり気にも留めずに仕事をこなした。
帰宅後も違和感は収まらず、むしろ痛みが増してきている。
身体は慣れたが相変わらず微熱の状態は続いている。
最近肌は荒れるし、白髪も増えてきたし、クマは寝ても取れないし、唇もいくらリップを塗っても乾燥しっぱなしだ。
年を取ると身体のあちこちが不調を訴えるとはいうが、いくらなんでもまとめて現れすぎではないか。
リラックスして身体を労わろうと久しぶりに湯船に浸かった。
違和感をはっきりと捉えたのはこの時だ。
湯船に浸かり、違和感を感じる部位に手をやると明らかに腫れている。
まさか自分がと疑う気持ちもありながら、ほぼ確信するしかない状況に首を垂れながら、風呂を上がった。
疑いを晴らしたい一新でインターネットを開くも、調べれば調べるほどその気持ちと反し、自分の症状と一致していく。
そう思うと体調もどんどん悪化していき、諦めて寝床についたが、痛みと寒気で眠りについたのは朝方だった。
とりあえず病院に行けば、少しの恥を捧げればこの痛みは治るだろうと安直に考え、出社後即上司に事情を説明して病院へ向かった。
これが悲劇の始まりだった。
もうみなさんお気づきかと思うが、向かった先はそう、肛門科である。
人生で初めての肛門科に少しドキドキしながら受付に進む。
「今日は大腸検査ですか?痔ですか?」と受付のおばちゃんが大きな声で問いかける。
ハッとした。
肛門科に来る人間は皆、肛門に何らかの不具合を抱えている者たちの集まりだと思っていたが、そんな甘い世界ではなかった。
単に検査できている者もおり、そちら側の人たちからは冷たい視線を浴びせられていることに気付いた。
そこには少数派特有の一体感などなく、優越感と劣等感がはっきりと存在していた。
私も例に漏れず、若干の劣等感を持ちながら人生で初めて発する言葉で返答した。
「痔です」
10分も経たないうちに名前を呼ばれ、診察室に通される。
さすが肛門科というべきか、診察室の扉を開けても一枚壁を挟んだ先に先生が座っており、万が一誤って別の患者さんが扉を開けても恥ずかしいところが見られないようになっている。
「コの字」に歩き、先生のもとへ辿り着く。
特にヒアリングをするわけでもなく、先生の隣に立つ膨よかな女性に「ズボンのボタンとチャックを開けて横向きに寝てください」と告げられ、明らかに戸惑いを見せながら言われた通りの体勢をとる。
それからはどんな会話があったかはあまり覚えていない。
何も言わず膨よかおばさんは私の両尻を掴み、そして広げ、先生の指が肛門を目掛けて一思いに突き刺してきた(ように思えた)。
今までに感じたことのない痛みと肛門を触らせてしまっているという申し訳なさから、「ごめんなさいぃぃっ!」と叫んでいた。
「あー、結構腫れちゃってるね。膿が溜まってるからこれ破って取り出すしかないよ」
...破る??
私の肛門で今何が起こっており、どう処置をすべきかを淡々と優しい口調で述べられたのだが、触れただけで思わず謝罪してしまうほど痛い場所を破るとはどういうことだと半分パニック状態だった。
ごめんなさいという私の叫びを気にも留めず話を進められていることに気付かないくらいだ。それはもうパニックであろう。
「麻酔した後に膿を吐き出すからね。悪いけどかなり痛いよ。がんばってね。」
私に決定権などなく、どんどんこれから起きることを述べられ、ある種の諦めモードに入り、もはや力のない返事をするしか私にできることはなかった。
それはそれは激痛であった。
皆さんが想像する数億倍の激痛だ。
耐え悶えるしかない私にはほんの数分が10分にも20分にも感じた。
恥と痛みで身体中の血液が沸騰するほどだった。
全裸で5分棒立ちする方がマシだと思うほどだった。
ジムで身体を鍛えあげたムキムキの人だろうが、年収1億の人だろうが、会社で部下に偉そうにしている人だろうが、知識武装をして生意気にも上司に歯向かう勇敢な若手社員だろうが、高級外車を乗り回す高身長イケメンだろうが、この激痛の前では無力だ。
どれにも当てはまらない私はもちろん無力であった。
永遠の地獄のようにも思えた、膿の除去が終わった後も痛みに顔を歪めながらも放心状態となっていた。
放心状態のまま肛門にガーゼを当てられた。
痛みが少し落ち着いてくると正気を取り戻し、自分がガーゼを肛門にあてて半ケツの状態で固まっていることに気付き、痛みによって押さえつけれられていた恥という感情が顔をだした。
急いでズボンを履いた。
病名は痔瘻。
何らかの原因で細菌が入り膿が溜まり、膿が溜まると痔瘻という管ができる。
膿を取り出したからといって放っておくと、また管に膿が溜まりそれが破れて...ということを繰り返し、複雑化していくと最悪癌化するらしい。
そしてこれは薬では治らず、腫れが治まるまで通院、炎症が治まれば手術をして入院までしなければならない。
私の神経は肛門に集中していたので、その時の説明はほとんど頭に入ってこなかったが、ざっとこういう病気らしい。
通院という言葉だけは聞き取れたので、分かってはいたが心構えのために恐る恐る尋ねる。
「通院ってことは今日みたいなことをまたするんですか...??」
「そうだよ。膿が全部抜けきるまでは注射だね。明日も来てね。」
私の痔瘻治療は続いていく。
観てはいけないものを観た気持ちになった話
トラウマになるレベルの映画だと、私の周りではそういう評判が多かったミッドサマー。
プロモーションビデオがもうすでに気味悪い。
グロくて生々しいシーンがたくさんあるんだろうと、身構えて観てきました。
ホラーでもあるし、カルト映画でもあるんだけど、なんかそれだけじゃなさそうな映画でした。(浅い)
観終わった後に思い出しながら妻とは、絵画やセリフの中に伏線がかなり張り巡らされていて、細部にもすごくこだわっていて、ただ多くは語られないので、一見すると狂気の沙汰みたいな映画なんだけど、偏った見方をすれば恋愛映画にも取れるし、家族をテーマにした映画にも捉えられるねという話を。
どんな恋愛映画だよと妻には一蹴されました。
ペレがみんなを祭典に呼び出した「主犯」ではあるんだけど、自分の友人に何が起きても微動だにせず、何も語らず、淡々と事を進めるサイコパスっぷりが今回一番恐怖を感じたというところは意見が一致した。
集団の偉いおじさんみたいな人のセリフにもあるんだけど、始めからペレが友達たちを生贄にして、ダニーを女王に仕立て上げるために連れ出したとしたら、ダニーの家族を殺害したのもペレなのか?とか、結論付けられていないから観終わった後に考察するのがかなり楽しいストーリーでもあった。
家族の死から、極度の不安や悲しみ、喪失感と落胆を覚え込ませ、更には彼氏からの裏切りをも仕向けられ、頼るものを一切合切を失わせる。最後はダニーがニヤリと不敵な笑みを浮かべて映画は終わるのだが、一度死んだも同然と化した彼女が生きる意味を見つけたかのようなラストシーンは一人の人間の人生の中での生まれ変わりと、ヘルシングランドでの生と死のサイクルによる儀式とがリンクしていて(たぶん)、感動しを覚えた。
すべて民族とペレの思惑通りなんだけど、これが人をカルトにのめり込ませる一つの正解を見たような気がして、今日は疲労困憊である。
audiobook.jpを2週間使ってみた感想と活用方法
昨年あることを機に引越しをして、職場までの通勤時間が10倍になった。
5分→50分だ。朝は眠いし、仕事はいくら定時で終わらせても以前の時間までに帰宅できることはなくなってしまった。
マイカーでの通勤のため、この非生産的でガソリンを撒き散らし、タイヤを擦り減らすだけの時間がかなりもったいないと感じていた。
車内でできることといえば、握力を鍛えるか会社の飲み会で披露するための歌を大熱唱するくらいしかない。
就寝するまでの時間も少なくなり、貴重な何も考えずにボーっとする時間の確保が精一杯で(削ってよい)、調べ物や、読書などをする時間がかなり短くなってしまった。
朝も早くなったせいで、遅くまで起きれないし。
ということで、オーディオブックを使ってみました。
私は活字を読むという行為が好きなのと、反芻しながらじっくり読むタイプだったので特に今まで利用しようとも思っていなかったのですが、今のところかなり良い。
今年の目標である、「いろいろ試す」に反して食わず嫌いしていた自分を反省した。
本の内容としては自己啓発書やビジネス書が多く、podcastや日経ニュース等も聞けてかなり満足している。
ダウンロードをすればオフラインで聞けるし、4倍速まで変更ができる。
私はながら聞き防止のために、集中しないと置いて行かれるくらいのスピード(1.5倍速くらい)にして聞いているが、これが結構情報収集や知識の習得に役に立つ。
ただ、音量を上げすぎると「ブー」と後ろで雑音がするので、これは改善してほしい。
30日間は無料で、決まった書籍等が聴き放題のプランがあるので、とりあえず興味のある啓発書やビジネス書、小説を聴き漁っている。
今は投資の勉強をしていて、最近読了したものを再読するのではなく「再聴」することで、この吸収力のない脳みそに内容や思考を刷り込んでいる。
下記も名著であるが、「7つの習慣」のような有益だけど、分厚くて再読するには強い意志が必要な本にもいいかなと思っている。
通勤中だけでなく、料理中や入浴中などの、今まで読書ができなかった時間も活用できて、かなり満足している。
ちなみにamazonのオーディブルも1冊無料で聴けるので、そちらもしっかり1冊いただいて活用している。(抜け目ない)
感情について
というほどの内容ではないが。
僕は感情ってあてにならないものだと思っている。
会社でミスして怒られて落ち込んだり、見ず知らずの場所に身を置くことになり不安になったり、人を一つの出来事で好きになったら嫌いになったり。
要は、ある出来事によってほんの一時揺れ動かされる感情のことだ。
その一時的に引き起こされた感情に引っ張られて行動を起こすと、大抵後になって尾を引いたり、後悔するようなことになりかねない気がする。
気の迷いというやつか。
例えば上司に怒られてひどく落ち込み、その落ち込んでしまった感情によって自分が使えない人間のような気持ちが引き起こされ、その行為がいけなかっただけなはずが、人間性を否定してしまい、必要以上に自分を悪く思ってしまうことがないだろうか。
気分が落ち込んでいたり、高まっていたりすると、その出来事や事実以上のリアクション、行動を起こしてしまいがちになる。
後になって考えてみると、なんてことなかったり、とんでもない思い違いだったということにもなりかねない。
感情とは天気のように変わりやすいものなのだ。
フィーリングやインスパイアとういうのはあると思うが、何かを決断するにあたっては、感情に左右されない状態の時が賢明であると思う。
守ることと楽しませること
- 作者: 中谷彰宏
- 出版社/メーカー: 大和書房
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炎上する君
読みました。
2年くらい前からほったらかしにしてた西加奈子さんの短編集。
当時はさほど面白みを感じず途中で読むのをやめたんだけど、今日ふと手にとって読み始めたら止まらぬこと鼻水の如し。
想像力のない私でも情景が浮かんでくるほどそれぞれの物語に吸い込まれるものがありました。
何であの時途中で投げ出したんだろうと思うほど。
小説の中で、生きていれば目の前にはいやでもたくさんの選択が現れてくる。みたいなことが書かれてたんですが、無意識レベルで行うことから、本を読むのをやめるか続けるか、朝身体を起こすか二度寝するか、といった選ぶことのできる選択まで、ほんと世の中選択だらけだということに気付きました。
はい、いまさら。
でもそう思うと今の自分というのは自分が選んできたものの結果ともいえるんでしょうね。(どうしようもないこともあることは承知)
仕事に関して言えば、枠の中で与えられたことからしか選択できないこともあるでしょうけど、その枠に入ることを決めたのも自分でしょう。
そう考えるのは甘すぎですかね?
誰でもあると思うんですけど、あの時ああしてれば、こうしてればって。
考えるよりも案外「選ぶ」っていうことは難しい。
選択の連続の中で常にその時、最善だと思う方を選んでいきたいものですね。
常にチーズのにおいをかいでみること
今週のお題「秋の気配」
生まれてから今まで一度も他の県や国に引越したことのない人ってどれくらいいるんですかね。
いわゆる地元愛が強くてそこで出会った人との絆を大切にする人たちといろいろな所へ飛んで周ってたくさんの人と交流を持とうとする人がいると思うんですけど、僕は後者です。
でもそうなったのも割と最近で大学に入る前は地元を出ることには消極的でした。
それが大学での4年間の生活によって覆されることになりました。
どのようにという話はここではどうでもいいんですけど、不変なものって案外少ないですよね。
地元で暮らしていた青春時代は何もかも不変に感じてて、自分が世界の中心にでもいるかのような気で生きてた気がします。
愚かですね。
ほんの数年で街も人も変わってました。
当たり前です。
道路は整備され、新しい店や住宅街が立ち並び、友人たちはそれぞれの配属先で働くために地元を出る。
でもこんなに簡単に目に見えることにも当時は考えもしませんでした。
そりゃそうですよね、10代でしたもの。
今日は雨でした。
気温も一気に下がったようで、パーカーを取りだし、相方のコーヒーは今日はホット。
受験勉強をする高校生たちを横目に溜まっていた本を読みながら、そんな季節なんだな~と。