首女

私が幼少期に暮らしていた町というのは都会からそれなりに近くて、小中学校も密集していたので老若男女それなり満遍なく住んでいるような、静かで穏やかなところだった。


ただ、学校が近いことに由来するのかは定かではないが、不審者の目撃情報が相次いでいた場所でもあった。
声をかけられた、肩を触られた、露出狂に会った、奇声をあげて近づいてきた、など。


犯罪者にこういったことを言ってはなんだが、比較的不審者の中でもオーソドックスなものばかりが頻発していた。
その中でも名物と言われるような突出した人物には、子供たちの間で勝手にあだ名をつけて根も葉もない噂が回っていた。


例えば騒音おじさん。
これはあだ名の元ネタがどこから来たのか言うまでもない。
私たちの通う中学校の校庭の裏側に家を構えている中年男性のことだった。私たちが部活動に励んでいると、その家から大きな音が聞こえてくる。何か、とてつもない大音量で音楽を流しているのだ。ロックともポップスとも判別ができないほどがなり立てるその騒音は、聞き慣れればまたやってるよ、と取り立てて話題にするほどでもなかった。
しかし、そこの家主の男性は少し変わっていて、何かあるたび中学校に単身乗り込んできては子供たちや教師に罵声を浴びせるのだった。
一度、野球部の練習試合をしているときにその男性が乗り込んできて、英字新聞とコカコーラの缶を手に持ちながら「うるせーんだよ!」とグラウンドで騒ぎ出したことがあった。


結局、警察を呼ばれて連れられていく、という光景を何度も見た私たちは、お騒がせの意味も込めて騒音おじさんと名付けたのだった。


他にも、自転車をものすごいスピードで走らせながら熱唱しているカラオケばばあ、地域をうろうろして塩を撒く塩かけばばあ、公園で猥褻な本を見せようとしてくるエロジジイなどがいた。


その中でも一際話題に上がっていた、というより不審な人物が「首女」だった。


首女は、町内のいろんな場所に現れる。
4丁目で見たやつもいれば、遥か遠い7丁目で目撃した子もいた。


首女は、別に何もしない。
ただ、立っているだけなのだ。


決まって薄暗い一本道のど真ん中に、夕方以降ただじっと立っている。
首女は、女性にしては背が高く、しかしさして特徴もない見た目の肩より少し下の髪の長さと、普通の女性が着るような服だった。別に浮浪者のようにボロボロの衣服を着ているわけでも、突端な見た目をしているわけでもなかった。

 


奇妙なのはその首の角度だった。
道路の真ん中に立っているのも不気味だが、首女は常に首が曲がっていた。
ひょろりとした高い背の一番上にちょこんと乗ってる小さい顔は、まるで不思議そうに首を傾げる動作をするみたいに、いつも必ず横に傾いていた。
そうして、動きもせずに道路の真ん中でじっと立っているのだった。


私たちの間では、首女に出会ったらみんな怖がって道を変えたり、戻っていなくなるまで暇を潰したりするので、首女が実際どんな人なのかは知らなかった。


ある日、給食の時間に班のみんなでそんな話をしていた時のことだった。
向かいの席のMくんが言った。


「俺、そいつに昨日会ったわ」

 


Mくんは陸上部だった。
ちょっと生意気だけど、みんなから好かれる面白い男の子で、首女の話も知っていた。


部活の帰り道、18時も過ぎた頃にその女を見た。
T字路の交差点で、右を曲がれば家までもうすこしというところで、そいつはぽつんと立っていた。
あ、首女だ。
Mくんは一目で分かったと言う。


みんないつもなら道を変えたりするが、Mくんは生意気盛りの中学生だった。
どんなやつか、確かめようとそのまま歩みを進めたのだ。


ズンズンと歩いてそいつに近づいていく。
近づくに連れて、だんだん首女がどんな様子で立っているのか見えた。


まず、首女の顔はMくんが向かってくる方を向いていたため、Mくんが来ているのは見えているはずなのに、首を傾けたまま微動だにしなかった。
やはり、背は高かったと言う。
Mくん自身、男子の中では小さい方だったがそれでも165cmほどはあった。そのMくんより高かったらしい。


さらに近づくと、奇妙なことが分かったと言う。
Mくんはそこで、なんと言っていいのか、という形で言い淀んだ。私たち班のみんなは給食を食べる手を止めて聞き入っていたので、早くしろと急かす。それで、どうなったんだ、と。


「まずさ、あいつ、女じゃなかったんだよ」

 


首女は、よく見たら男性だったらしい。
遠目から見ても細い感じだったから、わからなかったらしいけど、近づくに連れて完全に男だったと言った。
そのぐらいで怖くなった、とMくんは恥ずかしそうに言った。
なんてことない女性の格好をして、夕方の薄暗い道路の真ん中に、首を傾けて立っている男性。
顔も、笑っていたり、怒っていたり、そんな風でもなくただ無表情で立っているだけなのだと。


Mくんは流石に身の危険を感じてそこで踵を返して逃げたらしい。

 


こんな話を、大学のサークルで話した。
ちょうど、大学の近くで不審者が出たことから派生した話題だった。
みんな割と怖がってくれて、怖いねーなんて言いながら帰り道を歩いていた。


みんなとは駅で別れて、私は一人暮らしをしているアパートへと歩き出した。
その不審者多発地域からは離れて、今は違う県で一人暮らしをしていた。
懐かしい思い出だったな、なんて思いながら歩いていると、アパートの通りに誰か立っていた。

 


首女だった。

 


いや、正確には首男か。
私は首女に会ったことがなかったが、一眼見て、あ、首女だと分かった。
もう夜になると言うぐらいの暗がりを電灯が照らしていて、その電灯と電灯の間の暗闇にぽつんと人がいた。
小綺麗なシャツとセーター、プリーツスカートを履いて、首を傾けて立っていた。

 


私はパニックになった。
どうしているんだろう。そう思った。
首女がここにいるわけはないのだ。私が昔暮らしていた遠い地域の話だから、と言うわけではない。


あの話自体、そもそもサークルのメンバーを脅かそうとして話した嘘だったからだ。
もちろん、首女以外の不審者は本当にいたし、首女だけが嘘だった。Mくんだって、地元の友達の一人にいる。
でも首女にまつわる話の全てが、私がその場ででっち上げた嘘だった。


だから、いるわけない。いてはいけない、とおもった。


首女とは距離が遠かった。
だから、あの嘘のように、本当は男だと言われればなんだかガタイはそんな風にも見えたけど、私にはそれを確かめる勇気はなかったので、そのまま駅に走って戻って、時々後ろを振り返って、首女がまだそこに立って動かないでいるのを確かめて恐怖と安堵が混じりながら、とにかく走って適当な電車に飛び込んで街中へ逃げた。
友達数人呼んでカラオケに誘って朝まで騒いで、なんやかんや理由をつけて友達を家に連れて行き、あの道に首女がもういなくなっていることを見て、やっと肩の力が抜けたのだった。

 

 

 


「っていう怪談考えたんだけど、どうかな」


私はそこまでひと息に話して、友達の反応を待った。


「どこまで本当なの」


友達が言う。


「不審者多発地域に住んでいたこと、首女以外の不審者は本当。あとは作り話」
「よかった」
「当たり前じゃん。恐怖体験なんてそうそうないよ」
「違うよ」
「え?」
「あんたの話、首女が出てくるけど、不気味なだけでみんな近づいたり関わったりしてないでしょ」
「うん」
「出会ったらどうなるか、決めてないならいいの」
「どういう意味?」
「いいの」
「なにが」
「もう考えるの辞めな」
「つまんなかった?」
「違うの」
「じゃあなんでそんなに怒ってるの」
「その首女、私の地域の本当にいる不審者と同じ特徴なんだもん」

シャンプー

 

ちょっと不思議な話なので、苦手な方は注意してください。

 

 

他人に頭を洗ってもらうのって、気持ち良くないですか?

美容室に行ってシャンプーしてもらうときの、あのなんとも言えない心地よさ。他人に頭を預けているのに、その絶妙な強弱で頭を刺激されることの快感に思わずウトウトしてしまったり。

 

それで、ある日どうしようもなく気持ちのいいシャンプーをしてくれる美容師に出会ったんですよ。

多忙な生活の中で髪の毛の手入れもなんだか雑になってしまって、髪の毛は伸びきってボサボサで、ある日鏡で見て「あ、みっともないな」なんて思ったりして。美容室に行こうって思ったんです。

ただ、いつも通ってるお店が予約がいっぱいで、仕方がなかったのでホットペッパービューティを眺めながら適当に空いてるお店を選んで、行ったんです。

 

なんてことはないお店でした。

すごくお洒落ってわけでもないし、店員さんも優しくて穏やかそうで、でもちょっぴり派手で陽気な感じがして。本当に、普通だったんです。

私を担当してくれたのは若い男性でした。私もお洒落にしてもらうつもりなんてなかったので、別に気にも留めずに整えてくださいなんてオーダーをして、髪を切ってもらって、それで、シャンプーしましょうねなんて言われてシャンプー台に通されて。

 

なんて言うんですかね。

とにかく形容しづらいのですが、すごくシャンプーが気持ちよかったんですよ。今までウトウトすることはあっても、全身の力が抜けて本当に寝落ちしかけるなんてことはなかったのに、その美容師の手にかかってしまえばそうなってしまうんです。

わあ、すごい上手いなあ、なんて思って。

ただ、散髪の腕は普通でした。

 

家に帰っても、そのシャンプーが忘れられなくて、自分の家の風呂場でその美容師の手つきを一生懸命思い出しながら洗ってみたりしたんですけど、やっぱり人の手でやってもらうのと自分の手でやってもらうって言うのは全然違くて、まあ向こうもプロですから技術的な面でももちろん程遠かったんですけど。

 

で、どうにかこうにか、自分の手を自分の意識から離そうと思ったんですよ。

自分の手を自分の手だと認識しなければ、他人に洗ってもらってる感覚くらいなら味わえるんじゃないかな、って。

 

それから、毎日試行錯誤しました。

一生懸命、自分の手から意識を離して、右の側頭部が痒くなっても素知らぬふりして他のところを洗ってみたり、そんな感じでやってたんです。

2.3日ではダメでしたが、1週間、2週間と続けていくうちに、なんとなく、あ、今これ自分の手じゃないな、って思える瞬間があったんです。きた!と思ってその感覚を離さないように練習し続けました。

 

それで、3週間くらいかな。

やっと、成功したんです。自分の手が自分の手じゃなくなる感覚。自分の意思とは無関係に動き回る手。それはまさしく他人に洗ってもらえてる感覚に酷似していました。

あ〜気持ちいい〜なんて思いながら、洗われていると

 

 

「かゆいところ、ないですかー?」

 

 

って耳元から聞こえたんです。

え?って思って、私驚いちゃって、でも手は私の手じゃないからまだ動いて私の頭を洗ってて。

 

「かゆいところ、ないですかー?」

 

なんでもない声でした。低くも高くもない、特徴のない声。

男の人かな、となんとなく思いました。

でも、知らない人の声でした。

もちろん、自分の声ではありません。

 

私はゾッとして、急いで洗い流して上がろうと思いました。

 

「かゆいところは、ないですかー?」

 

返事をしないほうがいい、と思いました。

すぐに自分の手に意識を戻して、洗うのをやめてシャワーのお湯を出しました。

 

 

「はい、じゃあ流しますねー」

 

 

もうだめでした。

恐ろしくなって、きちんと泡を落とすとかそんなことどうでも良くなって、とにかくガシガシと洗い流して風呂場を飛び出しました。

風呂場の扉を急いで閉めて、ずぶ濡れのまま着替えて部屋に戻って布団を頭までかぶってそのまま寝ました。

 

 

それ以来、私は自分の手で他人に洗ってもらおうとする遊びを辞めました。

あの声は、それきり聞こえてません。

冬のある日

たくさん雪が降った日があった。

それがいつだったのか、ぐるぐると周る時計の針に負けないように生きている私はもう覚えていない。

ただ、雪がたくさん降ったことだけを、うすらぼんやりと覚えていた。

 

次の日、毎日通る道の脇に白い塊が二つ重ねてあった。

雪だるまだ、とワンテンポ遅れて気がついた。

正確には、おそらく昨日は雪だるまだったものだった。雪の降った日の翌日、とてもよく晴れたので、道には雪の代わりに水溜りが残っていた。革靴がぴしゃりぴしゃりと水を叩く感触があったことを覚えている。

 

溶けて顔が崩れてしまった雪だるまは、ただそこに置いてあった。

 

その次の日も、またその次の日も、私はその雪だるまが溶けていく様を眺めながらその道を通った。

案外、雪だるまというのはすぐには溶けないようだ。

ただ、確実にひと回り、ふた回りと縮んでいた。

 

日頃の疲労の蓄積なのか、晴れた空の下をもやがかかったような脳みそで、錆びついた身体をぎりぎりと無理やり動かして歩いていた私は、昔読んだ話を思い出した。

病室から見える枯れ木を眺める子供が、「あの葉が落ちた時、自分は死ぬだろう」という話だった。

この雪だるまが消えてなくなる頃には、私も限界を迎えて溶けて消えてしまうのかもしれない。そんなことを考えて、いつもの道を通り過ぎたのは、雪が降って何日目の朝だったか。

 

それから、今度は雪だるまが小さくなるたびに私の心に少しの解放感が生まれるようになった。この雪だるまさえなくなれば、私も楽になれるかもしれない。そう思って毎日歩いた。

 

 

ある日、もう雪だるまも無くなるだろうという頃に、あの雪だるまは初めて見た時よりもとても大きく、ずっと背を伸ばしてそこにいた。

 

連日連夜、雪が降り続いたのだ。

突然のことだった。

 

また同じ道を歩く。

溶けきらない雪がアスファルトを白く覆い尽くして、革靴はサクサクと鳴った。

吐く息がマスクから漏れて白く空気を染めて、手は赤く染まり、かじかんで動かしづらい。

 

雪だるまは歪な笑みを浮かべて、ただそこにいた。

それを見て、どうにもおかしくなって、笑いが込み上げてきて、マスクで隠れた口元がくっと上がった。

 

雪だるまに己を託すなど、なんて無責任で身勝手か。雪だるまのせいにして、自分が楽になりたいだけだったのだ。

雪だるまはただそこにいただけなのに、いい迷惑だな。私はもう通り過ぎて、遥か後ろでただいるだけの雪だるまを思い出してまた笑いそうになった。

 

小さい頃、雪が積もるたびに雪だるまを作ろうとしたことを思い出した。

昔やってたゲームではあんなに簡単に作れたのに、現実では意外と難しいな、なんて思ったものだ。それでも楽しかった。どんどんと雪をつけて大きくなる雪玉に胸が高鳴った。

 

もう雪が降っても雪だるまは作らない。

くたびれた身体には、もうそんな体力は残っていなかった。

 

それでも道端の、作者不明の雪だるまを思い出して、少し背筋を伸ばして、前を向いて歩いた。

寒さが心地よく感じたのは久しぶりだった。

 

 

思わず、走り出したくなった。

 

淫靡なテイストの話題に対する抵抗感への推察

 

昔からいわゆる下ネタが苦手だった。
今回は私が下ネタが苦手である理由について自分なりに考えを述べていくため、当然ながらそういうワードを多用することになる。私と同様にこの手の話が苦手な人間は読まないほうが良い。

 


さて、まず、下ネタとは何かの定義から始めよう。
Wikipediaによると、「下ネタとは、笑いを誘う排泄・性的な話題のこと」だそうだ。
私も同様の認識だったため、今回言及する下ネタについて、上記の意味を持つこととする。


次に、下ネタを下ネタと認識した頃や、苦手としたきっかけについてだが、これに関しては記憶にないため割愛する。


そういえば、中学生くらいのちょうど多感な時期の出来事で、その類の話があった。


その日は冬で、私は部活をしていた。校舎の周りをぐるりと100周するというメニューで体力も向上心も走力もない低い私はゼェハァ言いながらドベから数えるくらいのポジションでフィニッシュした。
呼吸を整えながらベンチに座り込んで私はふと周りを見渡した。坊主頭がドサドサと倒れ込んだり、座ったり、ストレッチしたりしていた。その頭は温まった体のせいか茹って蒸気が白くなっていて、私は加湿器に見えてしまって同級生と息も絶え絶えながらお互いの頭を指差して笑い合っていた。


ふと、チームメイトがにたらにたらと嫌な笑みを浮かべて私たちに近づいてきて、私に言った。


「フェラガモのガモ抜いて言ってくんね?」


私は瞬時に、意味はわからないが何か不快な意図がある質問であることに気づいた。こういう意味が不明だが何か作為を感じる場合、大抵が下ネタなのだ。私の部活ではいつもそうだった。


以前、夏休みに卒業したOBが来た時も、お昼の空き教室にわざわざ来てお昼を食べてる私たちに下ネタのワードだけでしりとりをしようと持ちかけ、勝手に黒板に書いてゲームをしだした。
私は同じ席を囲んでいたチームメイトたちとグラウンドを整備するだとかなんとか言い訳してこっそり抜け出した。


「卒業してもあんななのか」
「幼稚だ」
「公然猥褻罪で出禁にするべきだ」


そんなことを話してクスクス笑いながら夏空へと駆け出していったこともあった。


とにもかくにも、下ネタを知らぬ顔してふってくる馬鹿というのは春夏秋冬絶えないものである。あの手この手を使って下ネタを話そうとする。
下ネタが好きなのは結構だが、話す相手や場所は選ぶべきだと思う。
私は「げんこつ山のたぬきさん」の歌にある「おっぱい」という歌詞すら言えなくて「おっ……い飲んでねんねして」と言うくらい苦手なのだ。オタクの伏字文化みたいだ。何を飲んだのか、歌詞がわかる人にしかわからない。


私は「言いたくない」ときっぱり断った。NOと言えないなんとやらとよく言うが、騙し打ちのような手法で下ネタを言わされる方がノリが悪いと揶揄されるより余程苦痛だった。


チームメイトはここぞとばかりに私にビシッと人差し指を突き刺し、「あーーー!!!こいつ!!!!フェラの意味知ってやんのーー!!!エローー!!!!!!」と罵った。周りはやや笑いという感じだった。


ふざけるな。お前、やるならウケろ。ややウケに巻き込まれたこっちの身にもなれ。
私は苛立ちながら無視をして、ストレッチに移行した。答えても答えなくてもああして笑うのだ。悔しい気持ちが芽生えることすら悔しい。歯痒い思いを抱えながらも、ここで文句を言ったら火に油を注ぎ、その油で滑りまくるだけなので私はもくもくと柔軟に取り組んでいた。


家に帰ってこっそりフェラの意味を調べたが、なんてことはない、正式名称フェラチオという、男性器を口や舌で刺激する性行為のひとつだった。こんなこと言わせて何が楽しかったのか全くわからなかった。


ところで、この手の、いわゆる下ネタワードというのは同じ意味を指しているが色んな呼び方をするものがある。


例えば、「うんこ」だ。
いわゆる排泄行為における大便のことだが、この大便という言い方の他にうんこ、うんち、糞、クソなどがある。実にバリエーション豊かだ。


うんこはどうにもスタンダードな趣を感じる。大便界隈で王道を名乗るならうんこの他にふさわしい奴はいないだろう。ウンコとカタカナにすると勇ましさが出る。なんとも万能な奴だ。


対して、うんちという言葉はなんとなく語感からあどけなさを感じる。幼さの中に残る微かな「ち」から繊細さを感じられる。緩やかな中に生まれるあどけなさは、これはこれで美しい日本語のように思えた。


では、糞はどうか。これはなんとなく排泄物としての側面が強い印象を受けてあまり好まれない。ただ、そのそっけなさがどこかツンデレのような魅力を兼ね備えている気がする。漢字はなんか画数が多くてかっこいい。


最後にクソだが、別に排泄物のような意味でなく、ムカつく的な感情表現で使われることが多い。くそかっこいい、などヤバいのようにとてもなどの意味も含んでいる豊かな言葉だ。ただ、その代わりに排泄物としての言葉としてはやや印象が薄いところが見受けられてしまうのが残念なところではある。ポテンシャルはあるのに本業で映えない、なんとも器用貧乏なワードだ。

 


おっ……いも言えない奴が、なにを排泄物に対して熱く語っているのか。
いやしかし、おっ……いは駄目だ。ウンコとはまるで訳が違う。おっ…いにはどこか淫靡なテイストがある。うんこはうんこでも問題ないが、お…いは胸と言えばいい。なんの問題もない。なのにわざわざお……いとか言えない。特にパイがずるい。あれはどう考えても淫靡で背徳的感覚を伴う語感ではないか。数式のπなんて、この言葉を考えた奴をこらーって怒りたい。あ、麻雀牌もパイだ!?なんだなんだ、どこにでも潜んでいるな!?!?


さて、ここまで話して話題を戻そう。私がなぜ下ネタが苦手だという話だ。
お分かりのとおり、私は常に下ネタを言わされるかもしれない状況下に置かれていた。
言えば揶揄され、言わずも揶揄され、しかし選択肢を間違えれば学生生活が破綻するレベルに追い込まれる可能性すらあったのだ。


おそらくこうしたら環境下に置かれていた私は、本能的に下ネタを避ける反応が身についてしまい、それが苦手意識に繋がっているのだと思う。


しかし、必ずしも下ネタが苦手なのだと思われては困る。なんというか、嫌味ある下ネタや品のない部分が苦手なのであって信頼のおける仲間とならば別に猥談になってもいい。しかしアルコールを摂取しないとモゴモゴとしてしまうかもしれない。


でもこうやって変に強く意識してしまう私こそが多感な中学生から抜け出すことができない、いつまでも流さないトイレに詰まった大便のような存在なのかもしれない。

 

 


おっぱい。

音を楽しむと書いて音楽

昔から音楽と縁がなかった。

小学二年生の時に、朝と帰りにみんなで合唱する習慣があった。それを歌い終わった時、前の席のマナミちゃんがパッと振り返って「あんた、音痴だね!」と笑った。

 

三年生の時、休み時間に友達と話していてサザエさんの話題になったのでテーマ曲を口ずさんだ。「音外れすぎて違う曲かと思った」と言われた。


五年生の時、劇をすることになって、私はいわゆるメイン級の役をもらった。嬉しくて熱をこめて演技すると、先生たちは喜んでくれて、演出を追加したいと言われた。セリフが増えるなら覚えないといけないな、とワクワクした私に「そうだ、みんなで歌うところ、君にソロパートを増やそう!」と言ったので、私はそんなことをするならこの役を降りると泣いて喚いた。
先生も、私の歌を聞いて納得してくれた。


六年生の時、音楽の授業で口パクがバレて前に立たされた。音楽の先生は「好きな言葉はあるか?」と聞いてきた。私はクソガキだったので、質問に答えずに「バーカ」と言った。すると、先生は「そんな言葉が好きなのか。変わってるな」と頓珍漢なことを言って「バーカ」の「バー」でドレミファソラシドを私に音が揃うまで歌わせた。どんな拷問よりも辛かった。


中学生の時、合唱コンクールがあった。嫌いな行事の一つだった。私は最初に口パクをした。するとすぐにバレた。たぶん音感がなかったので口パクすらズレてたんだろうな。


「優勝したいんだから、真剣に歌ってよ」


と女子に泣かれた。
だから私は思い切って一生懸命歌うことを誓った。女子も喜んでくれた。そして、CDを自主的に借りて家で聴いて練習もした。翌日、にっこりと微笑んで大声で練習した歌声を響かせた。


女子に呼ばれた。

昨日泣いて私に歌うことを強要した女が、苦笑いで言った


「ごめん、その、昨日あんなこと言ったけど、無理して歌いたくないなら口パクでも良いよ……特別ね?」


ちなみに、これまで音楽の成績で2と3以外取ったことがない。

 


私はこうして、音楽が苦手になった。

 


台所で流行りのポップスを鼻歌交じりに奏でる母も、ドライブで勢いよくフォークソングを響かせる父も、自室で何気なくアニメソングを歌ってる兄も、学生時代の思い出にふけりアルバムを覗く祖母の「仰げば尊し」も、全部全部音を外していた。


一体何世代前まで音痴なんだ?と思った。

 


しかし、そんな音痴で苦しめられた私だが、音楽は嫌いではない。
歌を歌うことも苦手意識は消えないけれど、カラオケに行って楽しんだりするのは好きだった。
歌うと恥ずかしさで死にそうになるけれど、歌を歌うのは楽しかった。


そんな私だが、最近流行に乗っかってラップを作るのが趣味になった。元々ノリのいい音楽が好きだったので、流行の某ラップバトルコンテンツの曲も聞いていたが、ラップを作るのは想像以上に難しい。


まず8小節とかリリックとかフロウとかライムとか、音楽の専門用語がわからない。
それに韻を踏むために一つのワードをいろんな意味に置き換えて探さないといけない。


ただ、それが楽しかった。
素人のラップなのでかなり稚拙なお遊びでしかないのだが、これに没頭してると時間を忘れてワードを考え込んでしまう。暇つぶし、というと本業の方にとても失礼になってしまうのだけれど、時間の空いた時何気ない言葉で韻を踏んで遊ぶのが心地よかった。


最近、気心知れた友人相手に唐突に自己紹介ラップを作って送るようになった。ラップで返してくれる子もいた。楽しかった。ある日、友人の一人がこう言った。

 

 


「深夜に送りつけるポエムと変わらない味がある」

 

 


大正解だ。

照れて髪を触る癖

 

「仮名男ちゃんは、照れるときに髪を触る癖があるね」


ある日、友人にそう言われた。
なんてことはない話の中で友人に褒められて、「まあ、私は天才だからな」と自慢げに返した時のことだった。


図星だったので、ドキリとした。


私は褒められることに慣れておらず、褒められると照れてしまって、しかし照れてしまうことを悟られたくなくてついおちゃらけた振る舞いをしてしまうのだが、しっかりバレていた。


友人は、以前書いた「はらこ飯の思い出」という記事に出てきた人だ。
名前は、そうだな、みぃ子にしよう。
みぃ子は、私のことを仮名男ちゃんというあだ名で呼ぶ唯一の友人である。


私が図星をくらってしどろもどろになっていると、「やっぱり」とまるで宝物でも見つけたみたいに嬉しそうにコロコロと笑うものだから余計恥ずかしくて「違うよ」と言ったきり俯いてしまった。みぃ子はまた鈴が鳴るみたいに笑った。


みぃ子曰く、私は照れ隠しによく髪の毛を触る仕草をするらしい。自分でも気づかなかった癖である。1番触るのは前髪、その次は触るというより髪の毛を後ろにバサッとやる仕草をよくすると言う。ちなみに、私は髪の毛が短いのでこの仕草をやっても髪は全く靡かないどころか手が空を切るので、「いや、出来てないから」と笑われるまでがワンセットの照れ隠しだった。


「みぃ子は、人のことをよく見てるね」と言うと、みぃ子はにやりと笑って「違うよ、仮名男ちゃんだからだよ」と言ってきたので、私はまた思わず前髪をいじりながら「あ、そう」と返すのだった。

 


みぃ子はかっこいい。
見た目は小柄で、柔らかい雰囲気を持っているので大柄でがさつな私と並んでいると周囲からは「深窓の令嬢とSPみたいだ」とからかわれた。私も一緒になってその通りだと嫌味なく笑っていたが、みぃ子はその後2人しかいないときに「私は一人でも生きていけるし、仮名男ちゃんは誰かを守ろうとしなくても良いんだよ」と言われた。
なんだか、恥ずかしかった。みぃ子が何を言いたいか分かったからだ。人を印象で決めつけるのは良くないと、常々思っているはずなのに。
本当に、みぃ子にはきっと私には見えていない色んなことが見えていたんだと思う。

 


その照れ隠しの仕草を発見されてからは、みぃ子といる時に髪を触ると二人でどちらともなく笑ってしまうようになった。


みぃ子は、確かにどこか箱入り娘を思わせるような常識破りなところがあったが、しかしそんなことより、もっともっと大事な部分が美しい気がした。


みぃ子は、けして人のことを馬鹿だとかアホだとか、そういう罵倒の言葉を使わなかった。みんな、周囲のノリに合わせて時にひどい暴言を吐いたが、みぃ子はそんな周りに決して同調せず、ただ微笑みを携えてたたずんでいた。


箸の持ち方や鉛筆の持ち方が少し変わっていると周りに笑われていたけれど、みんなが携帯を見ながら適当にご飯を食べていた時も、みぃ子はいただきますとごちそうさまを欠かさなかった。ご飯を残すこともしなかった。


みぃ子が私の家に泊まりにきたら、来る前より綺麗にして帰る。私より先に起きたら朝ごはんを自分で材料を買ってきて作ってくれるし、冬の寒い日の帰り道に駅前でみぃ子に缶のココアを買ってあげたらすごく嬉しそうに笑って、白い肌を真っ赤にして喜んでくれた。


私は、みぃ子に憧れている。
本人には恥ずかしくてとても言えないけれど、美しくてかっこいい。気高い人だと思った。


みぃ子の好きなところは、かっこいいところもそうだが、けして強くはないところだった。
人は強がりな動物だと思う。辛い時に辛いと言えない時がある。悲しい時に泣けない時がある。
それは私もそうだし、もちろんみぃ子もそうだった。


みぃ子には色んなものが見えていて、色んなことを考えていたけれど、だからといってどんなことにも物怖じしないわけではなく、毎回勇気を振り絞っていて、けれどその震える足を前に出せる強さを持っていた。
みぃ子が泣いたところだって何度も見たことがある。みぃ子は強くない。その辺にいる、普通の人間で、でも泣き崩れたあとに立ち上がって走り出す勇気を持っていた。負けず嫌いで根性があった。


そんな様を数年間、そばで見ていて、私はみぃ子が羨ましかった。


私は泣き崩れたら、きっと誰かに手を差し伸べてもらわないといけない。怖いことに対して、なかなか足を前に踏み出せない。でも、そういう時に手を差し伸べてくれるのは、背中を押してくれるのは、みぃ子との色んな思い出だった。もちろん、他のことだって私の背中を押してくれるけれど。

 


たぶん、こんなこと本人に言おうとしたものなら、私は恥ずかしさのあまり髪の毛を触りすぎて全部毟り取ってしまうだろう。そうして落ち武者となった私は、戦場を彷徨う亡霊と化してゴーストオブツ○マ。なんの話だ。
話が逸れてしまった。
あとゴース○オブツシマは別にそういうゲームじゃない。

 


みぃ子はよく「みんな、変わっちゃった」と言っていた。みぃ子は、どこか変化を受け入れられない子供じみたところがあった。変わるのは当たり前だろうと言うと、寂しそうにしていたが、それでもいつも「でも仮名男ちゃんは変わらないから安心する」と笑うのだった。
失礼なやつだな、毛先が3センチは伸びたし、服装の趣向だって変わったぜ?と文句を言うと嬉しそうに笑われたので、たぶんそういうことじゃないんだろうな、と思った。また、私に見えてないものが見えているのだな。

 

 


私もいつか、みぃ子のようになれるだろうか。
自分の行いを反省する時、いつも思い出すのは彼女の言動だった。
私は、いつのまにか行動の指針を、みぃ子にしていた時期があった気がする。
言葉遣いに気をつけて、礼儀に気をつけて、それでも何回も失敗した。別に彼女そのものになりたいわけじゃない。それでも、彼女のように、ひとりで戦うことを意識するだけで前を向ける気がした。

 


みぃ子は今、遠い海の向こうで頑張っているのでまたいつか、こんなご時世じゃなくなった時に会いに行こう。

 


私は、少しは変われただろうか。
でもきっと、みぃ子はまたいたずらっ子みたいに笑って、それでちょっと安心したように「変わってないね」って言うんだろう。

 

翼を忘れた小鳥へ

 

今朝、道中で有料駐車場の脇を通った。よくある四方をフェンスで囲われたものであったが、そのフェンスの内側の、さらに隅っこでなにかが動いているのを見つけた。

 

小鳥だった。

私は、鳥は雀とカラスしかわからないが、そのどちらでもないようだった。手乗りほどの小さな鳥だった。

 

鳥は、よちよちとふっくらとした身体に分不相応な細い脚を動かしてフェンスの端をうろちょろとしていた。

なにをしているのだろう。

少し離れたところから、私は足を止めてそれを眺めることにした。

 

観察していると、どうやら小鳥は駐車場から出たいようだった。

駐車場に入ってしまったは良いが、出方がわからないのだろうか。四方のフェンスの下にある隙間に頭を寄せて見たと思ったらパッと諦めて顔を上げてよちよち別なところは歩いてみたり。

とにかく、出口を模索していた。

 

なんとなく、微笑ましい気持ちになった。

確かに小鳥にはフェンスはそびえ立つ大きな壁であり、抜け道といえばその下の僅かな隙間しかないだろう。

がんばれ、と心の中で励ましの声をかける。

 

 

そこで、はた、と思いついた。

 

鳥なら、羽があるじゃないか。

 

少し遠い場所から観察していたので断言はできないが、別に羽を怪我している様子もない普通の小鳥だったので、ますます不思議に思った。

もしかして、飛べないのだろうか。

 

小鳥がフェンスの下の隙間から顔を出して引っ込ませる、という過程がもう軽く10回ほど繰り返されていた。

私は、あの子を鳥として認識して、鳥は羽を持って飛べる生き物として決めつけていたので、飛べば良いのにと思っていたが、別に鳥だからって飛べなくても良いな、と思った。羽なんてなくてもあの小鳥は一生懸命知恵を絞って、駐車場という鳥籠から出ようとしていた。飛べば良いだろうと、当初の私のように笑う者がいるかもしれないし、鳥なのにどうして羽を使わないのかと責める者がいるかもしれない。

それでもあの小鳥は、小さくて細い脚で一生懸命生きていた。いや、別に羽を使わないことなんて、飛ばないことなんてあの鳥からしたら知らないことなのかもしれない。どうでもいい、とるにたらないことなのかもしれない。

なんだか、それがたまらなく素敵で、心に穏やかな炎が宿ったようにぎゅうとあたたかくなった。

 

結局、私が遅刻してしまうのであの小鳥の勇姿を最後まで見届けることはできなかったが、生命がどんなものであれ己の力を使ってもがき、あがき、たくましく動くことは美しいのだと、改めて教えられたような気がした。

 

ありがとう。

 

 

 

 

結局電車に乗り遅れて遅刻した愚図な人間より