経済アライアンス(同盟)たる結婚について考えてみる
結婚というのはつまり"経済的なアライアンスを結びましょう"というのであって,経済アライアンスを結ぶことによって両者が設定した人生目標の実現にむけて"一致団結協力して遂行実行しましょう"というものだと小生は考える.また,この両者が設定する人生目標というのは多種多様であって,人からあれこれ指図される性質のものではない.
#ただ,一般的には,子供を育てるというのが最も多い人生目標のようだが,それに拘泥する必要は無いだろう.
人生目標実現に向けた経済アライアンスの法的根拠として結婚という制度があり,この法的根拠によってこの経済アライアンスをより強固なものたらしめているのは明確で,だからこそ,多くの人々が経済アライアンスの拘束力として結婚という制度を選択するのである.
#フランスは内縁関係が多いそうだ.理由はシランス.
そして,この経済アライアンスの構成は男女一名ずつである必要は無く,両者の意向がもっとも最優先される.そう言ったわけで,次のような議論がある.
https://www.asahi.com/articles/ASM7D5Q7SM7DUTFK01H.html
ごもっともなことであるが,私は今時,このような議論は既に前時代的であると思う.
なぜ経済アライアンスの構成人数が二名限定なのか.経済アライアンスの構成人数は二名以上のn夫n妻をも認めるべきでは無いのか.このことについては将来的には議論が起こるのではないかと思うところだ.
#一夫多妻制を指向しているわけでは無い.(いわゆるハーレム)
#「月は無慈悲な夜の女王」における多夫多妻制のような現代の倫理観から大きく逸脱した結婚制度を指向しているわけでもない.
#私は個々人の自己実現に向けた協力関係たる経済アライアンスの人数構成は二人である必要は無いと考えるのである.何を実現するかは個々人に依存する.
ハローサマー・グッドバイ
「女性の幸せは結婚して家庭を築くことだ.」などというと愚にもつかない前時代的な発想だと非難されるだろう.
ただ,教えたわけでもないのに狐の人形を子供に見たててあやしていた,私の妹の幼い頃の姿を思い起こすと,実際の所,本当は結婚して家庭を築くのが女性の一番の幸せなのでは無いかと思う.
我々は,蛇に対して異様な恐怖感を感じる.これは,まだ我々の祖先が,ネズミくらいの大きさの哺乳類だった頃の,恐怖の記憶を引き継いでいるのだろうと思う.
蛇は恐怖の記憶だが,喜びの記憶も我々は引き継いでい居るのかもしれない.もしかすると女の子などがするごっこ遊びは,その喜びの記憶の追想なのかもしれない.
何百世代と繰返され引き継がれてきた原初的なその子供を慈しむ喜びの記憶を引き継いで居るからこそ,教えられていないにも関わらず,人形を子供に見たててあやすというのでれあれば,それは最も実現するべき人生目標ではないのかと思う次第だ.
[1] マイクル・コーニイ.ハローサマー・グッドバイ.河出出版.
「2000万円報道に見る日本人の人生設計の杜撰さ」
定年退職後の生活を維持するためには年金に加えて別に2000万円程の資産形成が国民には求められるのだという有識者からの答申があったとの報道に初めて接したとき,私は,「またろくでもないことで騒いでいるなあ.2000万円って大体退職金と同じぐらいの額なんだから,退職金さえあれば良いんじゃないの」と思った次第だ.
まず初めに,言いたいのは,「日本人はちゃんと自分の人生設計しているのか?」ってことだ.
もししっかりと人生設計に取り組んでいれば,おそらく今の生活を維持するためには,支給される年金に加えて,いくらかお金を用意しないといけないだろうということは容易に理解しているだろう訳だし,そういった報道に動揺する必要もないのだ.
だから,銀行に騙されてろくでもないものに投資させられた挙句に退職金を溶かしてしまうのだ!ろくに人生設計していないから!定年退職後の生活を維持するためには必須な退職金を!
退職金という制度を前提に厚生年金の制度を(おそらく)設計したがために,厚生年金で定年退職後の生活を維持するためには退職金が必要ですよという卵が先か鶏が先か論争になってしまったのだろうな!
もういっそのこと,退職金の積立金をすべて確定拠出年金に鞍替えしてはいかがですか.騒ぐのなら!
[注] 自営業の方が主な加入者の国民年金は,自営業を65歳を超えても続けて収入が維持されるという前提で制度を設計しているようだ.
信仰心と愛国心
信仰心と愛国心というのは,性質としては同じ特徴があると思う.信仰心によって人間はモラルや世界観を構築し得るわけであり,社会的公共的な立場から俯瞰してみると宗教という存在は不要不急の存在であるとは断言できない程度には有用の存在であるということを認めなければならないだろう.また,愛国心においても同様の特徴を有しており,モラルや世界観の構築に一定の影響を与えることは明確である.信仰心/愛国心共に,似たようなメリットあるわけであるが,デメリットも同様に存在するのである.
宗教のデメリットは,宗教という虚像に目をつむり真実の世界から目を避けているのではないかという危惧が挙げられる.端的に示せば,信者の永遠の来世が保障されているような,怯えるものに対する不誠実な虚偽的お為ごかしである.人生は有限であることを認めその中で精いっぱい人生を堪能するというが,最も豊かな人生なのではないだろうか.宗教というのは,終末期患者にモルヒネを注射するような盲目的逃避性があるように感じるので,私は個人的には好かないのであるが,世の中から無くなるべきと思うほどには人類の精神は大人ではないので,暫定処置として当分は必要なのではないだろうかと思うわけである.
愛国心のデメリットは戦後の平和教育で皆さん十分にご存じと思われるので,ここでは触れないが,本質的には宗教のデメリットとほとんど同質なものではないかと感じる.宗教によって戦争が起き,宗教によって諍いが絶えないのもまた事実であるのだし.個人的には,宗教よりはコストパフォーマンスの点において愛国心は優れているように感じる次第である.(メリット/デメリット比で)
私は個人的には,愛国心というのは,隣人愛が促され,公共の利益にも適って万々歳な存在と思うのだが,まあ,世間はそうは思わない所が悲しいところである.
(森友学園の児童が教育勅語を暗唱しているということが批判的に捉えられているが,キリスト教系の学校で児童に讃美歌を歌わせたり,神を崇め奉ったりするのと本質的には同じような気がしたので,この文章を書いた.)
結論
新旧ゴジラに見る暗喩,及びその暗喩の意味
1954年公開の「ゴジラ」は,当時の人たちが見れば,それはゴジラを空襲(もしくは原爆)の暗喩とおいているということは明瞭に分かった事だろう.翻って,昨年大ヒットし,日本アカデミー賞を総なめした「シン・ゴジラ」もまた,ゴジラを原発事故の暗喩とおいていることは,現世代から見れば,明白な事実である.何の因果かは分からないが,両作品ともに,原子力の負の側面をゴジラで表現してきたという事実には,何か不思議な相関を感じずにはいられない.
さて,両作品ともに,思い出したくない災厄をゴジラを暗喩に追体験するかのような内容となっており,なぜこのような忘れたいだろう過去をあえて思い出させるような作品が,日本の映画史に残るようなヒットを打ち出したというのかということは当然のごとく疑問として挙げられなければならないだろう.
この疑問に対して私は次の仮説を提示する.
受け入れがたい事象であっても, いつかは記憶として受け入れる必要がある.そのために,その事象を再定義するような作品が社会的に求められ,多くの人々がその事象の再定義を望むとき,ゴジラのように,暗喩を用いて辛い災厄を追体験するような作品が生み出される.
原発事故も空襲も,多くの国民は一方的に受難の立場であった.市民の努力によって状況が僅かでも変化する余地がある性質ではなかった.自分の介在しない所からいきなり災厄が発生し,そして,自分たちの努力を発揮する事もなく終わってしまうのである.これでは,市民のやるせない思いは如何程のものであったであろうか.受け入れがたい事象,自分たちの無力さ.これらに対して解決を求めた時,ゴジラが生み出されるのだろう.
ゴジラという災厄に対して,最善とは言えないまでも,善処し,主人公達の努力によって最終的にはゴジラに勝利するという追体験を主人公に付託して経験し,過去の災厄に一区切りを打ち,記憶として受け入れようというのがゴジラという映画なのではないだろうか.
同時期に公開された「君の名は」が海外でも好評であったのに対して,「シン・ゴジラ」が日本のヒットに対して海外では鳴かず飛ばずだったということもこの仮説と照らし合わされば,納得できるだろう.「君の名は」は,恋愛という普遍的価値観の上に描かれた作品だった.「シン・ゴジラ」は原発事故という日本人の心のしこりを解消するために描かれた作品であり,原発事故という心のしこりを抱かずに済んだ,海外では,そもそもこのような映画は求められていないのである.ゆえに,「シン・ゴジラ」は海外でヒットしなかったのである.
結論
研究室配属を控えた四年生に伝えたい,研究を進める為のノウハウ
<研究室選び>
研究室選びは今後研究を進める上で最も重要な選択となります.ここで誤った選択を選んでしまった場合,諦めず,軌道修正を試みてください.たとえば私の大学の場合,同一学科内では,研究室の変更は認められている様ですし,研究室変更後も予定通り論文審査は受けられる様です.つまり,研究室を変更したとしても,努力すれば留年せずに卒業できる訳です.
<研究室選びのポイント>
研究室といえども,人間関係は無視できません.自分の性格と合った研究室を選ぶようにしましょう.自分のやりたい研究を出来たとしても,自分の性格と合わない研究室を選んでしまっては,期待通りの研究はできないかもしれません.研究内容と,自分の性格と合う研究室かというこの二点を比較し,上手く折り合いの合う研究室を選びましょう.実際,私の学年でも,うつ病になって留年した人や,大学院で中退し,卒業していった人がいます.(90人の学科に対して2人?)研究室選びは重要です.
<研究のこころ(核心)>
研究を進める上で特に心に留めておくべき事項としては,論文を中心として研究を進めるということです.科学というのは,先人たちの研究の上に成り立っており,新しい知見を論ずる上でも,先人たちの研究を疎かにすることはできません.もし,先人たちの研究を無視して,新しい知見を論ずる場合,その知見は根拠のない空言となってしまいます.また,まったく新しい,独創的な研究の場合,先人の知見は利用できないことになると思いますが,それはよほどの天才の場合であって,普通の秀才か凡人は,普通は,すでにある研究に乗っかる形で研究を進めることになると思います.
既存研究に乗っかる場合は,その乗っかる研究の正統性(根拠)を示すため,先行研究(論文)は重要となるのです.参考文献としてその論文を提示し,乗っかる研究の正統性を示すことができれば,あとは自分の研究の正統性を何らかの配慮(例えば,実験値と比較するなど)を払って示すことができれば,疑義のない研究となるわけです.
<論文のこころ(核心)>
-論文調査の進め方-
まず,論文調査で重要なポイントは,発表年と著者です.発表年が古い場合は,そのテーマについては他の研究者が既に研究をやりつくしている場合が多く,いまさら新しい研究テーマは見つけられないかもしれません.また,著者も重要なポイントであって,信用できない著者の研究をいくら突き詰め,極めたとしても得られるものは何もありません.
-論文の探し方-
一般的にはその分野のジャーナルを図書館などで探す,インターネットなどで公開されている論文を探すなどの方法があるかと思います.私の研究室では,もっぱらScienceDirectというサイトを利用していました.
ただ,研究室配属当初はその分野についてはまったくの素人であり,漠然としてつかみどころがないかもしれません.そういった場合は,その分野の専門書を図書館で借りてきて読んでみるといいかもしれません.また,そういった専門書の巻末には参考文献として論文が挙げられていますので,年度は若干古いかもしれませんが,取っ付きとしては,参考文献に挙げられている論文を読んでいくというのも良い手かもしれません.そして,そういった論文はその分野では有名な論文であると思われるので,その論文を引用している論文を読んでいくと芋ずる式に論文を探していけるかもしれません.
-論文の質-
論文にも質があります.最も質が高いのは,有名な学会誌に載せられた査読付き論文です.論文の質にも注意しましょう.
<研究のモデルケース>
例えば,あなたの所属する学科が工学部筆記用具学科だったとします.あなたは数ある研究室の中から,筆記用具学科のボールペン研究室を選択しました.ボールペン研究室では,筆記用具の中でもボールペンについて研究しています.おそらくあなたは,配属されてすぐに,指導教官のボールペン先生に論文調査を取り組むよう命じられます.
論文調査を命じられたあなたは,三色ボールペンの論文に目が留まりました.その論文では,今までは単色だったボールペンを三本のインクをまとめることで,ボールペン一本で三色の色を表現できるようにするという提案がなされていました.
この論文を読んだあなたは,三色ボールペンにシャープペンシルを加えたらさらに便利になるはずだと思いました.そこで,あなたは,三色ボールペンを研究テーマとすることにし,三色ボールペンにシャープペンシルを加えるよう研究に取り組みます.(悲しいことに,これがなかなかうまくいかないのですな.うまくいかないからこそ研究と言えるのですが.簡単な研究はありません.)
晴れて三色ボールペンにシャープペンを加えることに成功した場合,次に,研究内容を世間に報告する必要があります.研究発表で最も重要なことは,既存手法と比較して新しい手法が如何に優れているかという優位性/新規性を提示することになりますので,実際にシャープペンシルを三色ボールペンに加えることで,筆記用具入れの面積がどれだけ削減されるとか,シャープペンシルに持ち替える時間がどれだけ削減されたなどという事実を定性的/定量的に提示し,その手法の優位性を証明する必要があります.これが実験/検証にあたります.
実験/検証を達成すれば,あとは論文を書くだけとなります.論文については大体次のような内容となります.
[背景]
今まで,別々に存在していた三色ボールペンとシャープペンでは,筆記時に持ち替えが発生し,時間損失となっていた.そこで,三色ボールペンにシャープペンを加えた新しい筆記具を提案する.
[理論]
三色ボールペンにシャープペンを加える理論を説明する.
[検証]
シャープペンを加えることで,利用者がどれだけ便利になったかを定量的/定性的に提示する.
[結論]
三色ボールペン+シャープペンの利便性を概括する.
というような内容の論文を作って,指導教官に提出すれば,あとは卒業ということになると思います.
-その他-
ゼミ発表などを通して,先輩はどのように研究を進めているのか,研究室に所蔵してある歴代卒業生の卒業論文を調査して,卒業論文の全体像/落としどころを把握するなど,(研究室に配属されたなら)モデルケースの調査に努めましょう.マニュアル人間の誹りを受けるかもしれませんが.