本来のエネルギー問題とは違う要因(温暖化)でエネルギー環境が左右されているような世界ですが、その将来はどうなるのか。
その見通しもつかないまま、夢のような話が飛び交っています。
私も正確なところは分かりませんが、一つの可能性として今後の見通しを提示してみたいと思います。
まず需要ですが、電力需要は今後ますます増大する一方のようです。
家庭部門ではエネルギー節約などというのは謳い文句に止まり、便利や快適といった需要喚起の誘いは増え、家計に余裕のある人々の消費は増え続けるでしょう。
AIの普及は広がりますが、それには膨大な電力消費を伴います。
動作時の消費が莫大であるだけでなく、機材や関連の電力消費も増え続けるでしょう。
全く的外れな方向性で動いている電気自動車もある程度は増えるため、それに対応した電力供給も必要となります。
これは特に夜間電力の必要性の増大につながりますが、当然ながら太陽光発電はその役にはたたず、結局はそれ以外の電力源の必要性が上がるばかりとなります。
結局は節電という掛け声は空虚なものとなり、電力需要は増すばかりとなるでしょう。
供給では、現在考えられているような太陽光発電、風力発電などのいわゆる再生可能エネルギーへの転換は進めば進むほどその負の側面が増大し、やがてはその矛盾の大きさにもはや続けることができないのは明白となるでしょう。
現在のごくわずかな供給量でさえ環境破壊、廃棄装置の処理等で大きな社会問題となりつつありますが、その設置が増えるほどそれが大きくなります。
いくら鈍感な国民でもそのうちにこのようなものには耐えられないことが分かるでしょう。
おそらくその頃には多大な環境破壊が起きているでしょうが、それに対処することもできないまま、廃墟が日本全国に広がることになります。
それでも膨れ上がった電力需要を満たさねばならず、化石燃料発電の必要性は増すばかりとなります。
また原発の新設も進めざるをえず、従来の設置場所での老朽原発を新規のものに建て替えるという動きは強まるでしょう。
しかしさすがに全く新規の場所への原発建設までには至らないものと思います。
電力以外のエネルギー需要はさすがにさほどは増加しないと見られます。
自動車の電化はやがて矛盾が露呈し進まなくなりますが、それでも運輸部門の増加には歯止めがかかることとなり、内燃機関用の燃料供給は減少はしないまでも増加もしないといった状況に落ち着くと思われます。
そのようなエネルギー需要を満たす供給はやはりほとんどが化石燃料となるでしょう。
しかしこの先は化石燃料の供給限界が近づくという問題が現実のものとなっていきます。
一時の「オイルピーク説」のように、既に石油供給はピークが過ぎて減少し始めるというのは先走った見方でしょうが、いずれはそうなるというのが間違いないところです。
しかしそれは化石燃料でも種類によって状況が異なります。
最も早く供給の限界が近づくのが天然ガスでしょう。
現在、石炭などの炭素過多の燃料より二酸化炭素発生量が少ないということで需要が増していることが仇となり、資源枯渇が早まります。
油田の上部に集中して存在するという資源分布の特性からその枯渇は予測を裏切るような速さでやってくることになるでしょう。
次に減少するのが石油です。
今でも石油はその用途が非常に広く、二酸化炭素温暖化などと言っても使用削減は難しいのですが、その状況はこの後も変わらず、代替できる物質もないまま使われ続けます。
その用途というのが、自動車などの内燃機関とプラスチック原料であり、その使用量は今後も減るどころか増大の一歩となり石油資源の枯渇を早めるばかりとなります。
ただしその時期はオイルピーク論者が言っていたように10年とか20年といった近い将来ということはないでしょうが、それでも100年先も現在と変わらないような供給ができるということはないでしょう。
その間の将来に急激に供給が減少するのではないかと考えられます。
もっとも最後まで使えるのが石炭でしょう。
資源量としてもかなり多かったということもありますが、かつての石油転換の時に放置された炭田が数多く放置されており、そこにはまだ採掘可能な石炭が残っています。
さらに現在の二酸化炭素温暖化説のおかげで使用量が少し減少していますので、その分だけ資源の保存ができているという皮肉な状況になっています。
しかしこれも天然ガスや石油の供給減少が現実のものとなったら、残るは石炭だけということで需要が集中するかもしれません。
その時点でもエネルギーの過剰使用ということの間違いに気付いていなければアッという間に石炭も使い尽くすということになるかもしれません。
他にエネルギー源がないのか。
無いわけではないとは思いますが、とれも間に合わないというのが現実となるでしょう。
核融合というものが注目を集めています。
しかしその唯一の実現例が水素爆弾でした。
原理的には可能であることが示され、実現もされていながらその利用はできないというのは歯がゆいものかもしれません。
しかしそれが現実ということでしょう。
核融合よりはるかに容易な核分裂ですらその制御もままならず大きな事故を何度も起こし地球環境に大きな傷を残しました。
それより格段に難しい技術と思われる核融合の発電利用などと言うものが実現することがあったとしてもはるか先のことでしょう。
水素が現実的と言われていますが、現在の水素の製造はほとんどが石油由来の炭化水素から化学反応で取り出すというもので、そもそも化石燃料を使わずに済ませるはずのものが全く矛盾した状態となっています。
水の電気分解で取り出すのなら良いだろうということですが、肝心の電力の供給がおぼつかないのではとても現実性はありません。
地中に水素が埋もれているなどという夢物語を流す人もいますが、もしも実用的なものであれば既に利用されているはずです。
全くないとは言えないのでしょうが、それでこの巨大なエネルギー消費社会を充たせるほどのものが在るとは思えません。
これは例のメタンハイドレートも同様です。
実際に存在するのは間違いないことでしょうが、それをエネルギーとして取り出すことができるのかどうか。
不可能ではないのかもしれませんが、そのための技術開発が伴うはずもありません。
できそうなものだったら、すでに誰かがやっているはず。というのが現実でしょう。
結局は、このエネルギー依存社会を充たせるような新エネルギーというものは存在しないということがようやく理解できる、いや理解せざるを得なくなったころには、化石燃料は無駄遣いによりかなり残存量が減少し、地球上の至る所に様々な廃墟(太陽光発電、風力発電、原発の事故跡地、その他の開発失敗廃墟)が溢れるようになっているでしょう。
ただし、その状態にこのまま近づいていくかどうか、それすら危ういものです。
戦争の危機はどんどんと高まりあちこちで一触即発といった状況となって、実際に発してしまうということにもなりかねません。
もしかしたら、上述のような比較的平和な地獄絵図に到達することなく、破滅的な地獄絵図を迎えることとなる危険性も相当大きいものと思います。
レミングの集団暴走などというものは実際にはないそうです。
しかし人類の集団での暴走は実際に起こりそうです。