爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

就任したばかりの木村熊本県知事、早くもその性格露呈か。

蒲島前知事の後任として就任した木村熊本県知事ですが、先日の水俣での患者団体と環境省との懇談の席に同席しており、その時の光景を「大臣も環境省もつるし上げられていた」と表現したものの、すぐに発言撤回をしたということです。

www.asahi.comこの発言はどう見ても環境省側に立った姿勢を明らかに表しており、患者側の視線を理解しているとは思えません。

 

この木村敬氏は東大時代に蒲島前知事(当時東大教授)のゼミに加わって以来の蒲島の弟子というべき存在で、その後自治省に入りさらに鳥取県を経て蒲島に誘われて熊本県へ、そして熊本県副知事を務めた後に蒲島の後継として県知事に就任しました。

 

その経歴からも分かるように官僚体質が染み込んだ人かと思いますので、環境省側の意識が強いのも当然かもしれません。

 

熊本県では蒲島前知事はその任期末期のドタバタぶりもそれほど人気を左右せず、それまでの蒲島人気が継続していたために木村現知事も当選することができました。

しかし今後その体質が明らかになっていくと思いますが、それ以上の実績を現すことができるかどうか、それにかかってくると思います。

今後のエネルギー需給はどうなるのか。

本来のエネルギー問題とは違う要因(温暖化)でエネルギー環境が左右されているような世界ですが、その将来はどうなるのか。

その見通しもつかないまま、夢のような話が飛び交っています。

私も正確なところは分かりませんが、一つの可能性として今後の見通しを提示してみたいと思います。

 

まず需要ですが、電力需要は今後ますます増大する一方のようです。

家庭部門ではエネルギー節約などというのは謳い文句に止まり、便利や快適といった需要喚起の誘いは増え、家計に余裕のある人々の消費は増え続けるでしょう。

AIの普及は広がりますが、それには膨大な電力消費を伴います。

動作時の消費が莫大であるだけでなく、機材や関連の電力消費も増え続けるでしょう。

全く的外れな方向性で動いている電気自動車もある程度は増えるため、それに対応した電力供給も必要となります。

これは特に夜間電力の必要性の増大につながりますが、当然ながら太陽光発電はその役にはたたず、結局はそれ以外の電力源の必要性が上がるばかりとなります。

結局は節電という掛け声は空虚なものとなり、電力需要は増すばかりとなるでしょう。

 

供給では、現在考えられているような太陽光発電風力発電などのいわゆる再生可能エネルギーへの転換は進めば進むほどその負の側面が増大し、やがてはその矛盾の大きさにもはや続けることができないのは明白となるでしょう。

現在のごくわずかな供給量でさえ環境破壊、廃棄装置の処理等で大きな社会問題となりつつありますが、その設置が増えるほどそれが大きくなります。

いくら鈍感な国民でもそのうちにこのようなものには耐えられないことが分かるでしょう。

おそらくその頃には多大な環境破壊が起きているでしょうが、それに対処することもできないまま、廃墟が日本全国に広がることになります。

 

それでも膨れ上がった電力需要を満たさねばならず、化石燃料発電の必要性は増すばかりとなります。

また原発の新設も進めざるをえず、従来の設置場所での老朽原発を新規のものに建て替えるという動きは強まるでしょう。

しかしさすがに全く新規の場所への原発建設までには至らないものと思います。

 

電力以外のエネルギー需要はさすがにさほどは増加しないと見られます。

自動車の電化はやがて矛盾が露呈し進まなくなりますが、それでも運輸部門の増加には歯止めがかかることとなり、内燃機関用の燃料供給は減少はしないまでも増加もしないといった状況に落ち着くと思われます。

 

そのようなエネルギー需要を満たす供給はやはりほとんどが化石燃料となるでしょう。

しかしこの先は化石燃料の供給限界が近づくという問題が現実のものとなっていきます。

一時の「オイルピーク説」のように、既に石油供給はピークが過ぎて減少し始めるというのは先走った見方でしょうが、いずれはそうなるというのが間違いないところです。

しかしそれは化石燃料でも種類によって状況が異なります。

最も早く供給の限界が近づくのが天然ガスでしょう。

現在、石炭などの炭素過多の燃料より二酸化炭素発生量が少ないということで需要が増していることが仇となり、資源枯渇が早まります。

油田の上部に集中して存在するという資源分布の特性からその枯渇は予測を裏切るような速さでやってくることになるでしょう。

次に減少するのが石油です。

今でも石油はその用途が非常に広く、二酸化炭素温暖化などと言っても使用削減は難しいのですが、その状況はこの後も変わらず、代替できる物質もないまま使われ続けます。

その用途というのが、自動車などの内燃機関とプラスチック原料であり、その使用量は今後も減るどころか増大の一歩となり石油資源の枯渇を早めるばかりとなります。

ただしその時期はオイルピーク論者が言っていたように10年とか20年といった近い将来ということはないでしょうが、それでも100年先も現在と変わらないような供給ができるということはないでしょう。

その間の将来に急激に供給が減少するのではないかと考えられます。

もっとも最後まで使えるのが石炭でしょう。

資源量としてもかなり多かったということもありますが、かつての石油転換の時に放置された炭田が数多く放置されており、そこにはまだ採掘可能な石炭が残っています。

さらに現在の二酸化炭素温暖化説のおかげで使用量が少し減少していますので、その分だけ資源の保存ができているという皮肉な状況になっています。

しかしこれも天然ガスや石油の供給減少が現実のものとなったら、残るは石炭だけということで需要が集中するかもしれません。

その時点でもエネルギーの過剰使用ということの間違いに気付いていなければアッという間に石炭も使い尽くすということになるかもしれません。

 

他にエネルギー源がないのか。

無いわけではないとは思いますが、とれも間に合わないというのが現実となるでしょう。

核融合というものが注目を集めています。

しかしその唯一の実現例が水素爆弾でした。

原理的には可能であることが示され、実現もされていながらその利用はできないというのは歯がゆいものかもしれません。

しかしそれが現実ということでしょう。

核融合よりはるかに容易な核分裂ですらその制御もままならず大きな事故を何度も起こし地球環境に大きな傷を残しました。

それより格段に難しい技術と思われる核融合の発電利用などと言うものが実現することがあったとしてもはるか先のことでしょう。

 

水素が現実的と言われていますが、現在の水素の製造はほとんどが石油由来の炭化水素から化学反応で取り出すというもので、そもそも化石燃料を使わずに済ませるはずのものが全く矛盾した状態となっています。

水の電気分解で取り出すのなら良いだろうということですが、肝心の電力の供給がおぼつかないのではとても現実性はありません。

地中に水素が埋もれているなどという夢物語を流す人もいますが、もしも実用的なものであれば既に利用されているはずです。

全くないとは言えないのでしょうが、それでこの巨大なエネルギー消費社会を充たせるほどのものが在るとは思えません。

 

これは例のメタンハイドレートも同様です。

実際に存在するのは間違いないことでしょうが、それをエネルギーとして取り出すことができるのかどうか。

不可能ではないのかもしれませんが、そのための技術開発が伴うはずもありません。

できそうなものだったら、すでに誰かがやっているはず。というのが現実でしょう。

 

結局は、このエネルギー依存社会を充たせるような新エネルギーというものは存在しないということがようやく理解できる、いや理解せざるを得なくなったころには、化石燃料は無駄遣いによりかなり残存量が減少し、地球上の至る所に様々な廃墟(太陽光発電風力発電原発の事故跡地、その他の開発失敗廃墟)が溢れるようになっているでしょう。

ただし、その状態にこのまま近づいていくかどうか、それすら危ういものです。

戦争の危機はどんどんと高まりあちこちで一触即発といった状況となって、実際に発してしまうということにもなりかねません。

もしかしたら、上述のような比較的平和な地獄絵図に到達することなく、破滅的な地獄絵図を迎えることとなる危険性も相当大きいものと思います。

 

レミングの集団暴走などというものは実際にはないそうです。

しかし人類の集団での暴走は実際に起こりそうです。

 

環境省マイクオフ事件続報、全国への報道はないかな。

水俣病患者団体との環境省懇談会のマイクオフ事件の続報です。

事件自体は全国版の放送などでも取り上げられて関心を集めていますが、これはおそらく熊本版だけに留まるのでは。

kumanichi.com地元熊本日日新聞の記事ですが、このサイトは有料会員限定のようです。

内容は、今回の騒ぎの一方の当事者である水俣病の患者団体に対してその行動を非難する電話があったというものです。

「割り当て時間の3分を守れない方が悪い」とか、「被害者ぶって騒ぐ方がおかしい」といった内容だということです。

 

こういった電話を掛ける人というのは、おそらく悪意を持ってしているわけではないでしょう。

その真意を想像すれば、「この程度の問題で(マイクを切られたということしか考えていないのは明らか)、お上に盾突くなどもってのほか」といった、その人なりの正義感に動かされてということではないでしょうか。

 

その「正義感」がいかに偏ったものかということは、他のほとんどの人が同感してくれると思いますが、それでもそういった「正義感」を持つ人が一定程度は居るということでしょう。

 

その「お上」がこれまでどのようなことを水俣病被害者の人たちにしてきたか、そういった知識もおそらくほとんど持ち合わせないのでしょうが、それは他の人も程度問題はあれ似たようなものかもしれません。

 

こういった理解を広めるためにもこのようなニュースがあったということは知っておきたいものだと思います。

「内田樹のブログ」より「公金と瘦せ我慢」

内田樹さんのブログからですが、

二階俊博元幹事長の政治団体が3500万円の書籍代を計上したそうです。

blog.tatsuru.comその書籍の内容が公表されたのですが、そのほとんどが二階本人の著書だということで、1冊で1000万円以上というものもあったそうです。

これはもちろん、自分の著書を購入してそれを配布したのでしょう。

 

これについて、内田さんは「二階氏はおそらく自分のことを「国士」の類だと思っているのだろうが、その自己認識は誤っている。士の本質は腕力でも金力でもなく、「痩せ我慢」だからである。」と書いています。

 

国士というのは国のためを思いそれに尽力するものですが、とてもそんなものじゃないということです。

 

次いで、福沢諭吉の「痩我慢の説」にも言及しています。

福沢も痩せ我慢こそが立国の大本としていました。

ただし、福沢も「日本人全員」が痩せ我慢をせよと言ったのではない。

それは国を率いるほどの人物がすべきことだと言っています。

 

内田さんは「公金の支出明細を見て、日本の要人の辞書から「痩せ我慢の文字」が消えて久しいことを知った。」としています。

 

それどころか、政府の要人は在職している間に私腹を肥やす。というのが実情でしょう。

まるで中国の帝政時代の官僚のようです。

 

「言語ゲームの練習問題」橋爪大三郎著

言語ゲームというから、言葉を使ったゲームの本かと思って読み出しましたが、甘かった。

言語ゲームという言葉自体、オーストリア出身の大哲学者、ヴィトゲンシュタインの使用したもので、言語というものが人間の精神の中心をも占めるものとの認識でそれを使って精神と社会を解き明かしていこうというものです。

したがって、本書の内容も非常に濃密なものとなっています。

 

まあ、最初の「隕石衝突問題」というものを例示しておきましょう。

 

巨大な隕石がまもなく地球に衝突します。人類は滅亡します。その前に宇宙のかなたの知的存在に人類がいたことを連絡したい。どうすればよいですか。

 

そこで人類文明のなかみを知ることができるようなものを載せた宇宙船を発射するということになるのですが、ただし何を載せてもそれで人間が何を考えていたのかを伝えることができるのか。

そもそも、宇宙人は言語というものを使っているのか。

宇宙人が人類の言語を理解するとはどういうことか。

宇宙人の言語というものも人間からは想像もできない。

その想像もできない言語同士で翻訳するということがあり得るのか。

 

といった話をいろいろな方向から見ていくというものです。

 

ヴィトゲンシュタインが思いついたのが「言語ゲーム」というものです。

それは一言で言えば「人びとの一致したふるまい」のこと。

言葉をしゃべる、服を着る、挨拶をする、家族で暮らす。

そのような社会を営むそのやり方が「言語ゲーム」だということです。

これについて書かれていたのが彼の主著である「哲学探究」です。

これは読んでもほとんど理解できない。難解な書物ということになっています。

本書はヴィトゲンシュタインの解説書ではないとしています。

ヴィトゲンシュタインが何を考えたか」を説明するのではなく「ヴィトゲンシュタインのようにあれこれ考えて見る」ことをしてみようということです。

 

様々な論証を「定理」として例示していますが、多くはどこが定理なのか分からないようなものです。

定理15.3 社会科学は、近代社会の言語ゲームのうみだす価値や制度を、無条件に存在する実体だと考えてしまいがちである。

と言われれば、なんとなく分かったような気にもなりますが、真意には遠いのでしょう。

 

かなり手強い本でした。

 

 

全国的にも話題になっているようで。環境省マイクオフ事件

伊藤環境大臣水俣病患者団体との懇談会に出席し、最後に団体代表からの意見陳述という場面で一人3分以内と決めてあったのに守れなかったとして、環境省職員が団体代表が使っていたマイクをオフにしてしまったという事件がありました。

熊本県内では直後から報道されていましたが、どうやら全国ニュースでも繰り返し報じられているようです。

www.yomiuri.co.jp懇談会の最後に団体代表からの意見を各自3分以内で言うという場面だったようですが、特に今年になって奥様が亡くなられた方が長くなったようで、その途中で「意見をまとめてください」という司会役の声が聞こえた後代表のマイクからの音が消えたように見えます。

 

まあ10団体以上が参加しており1団体3分でも30分以上かかるということで運営側も気にかけていたようで、最初から計画では「3分以内で、時間が近づいたら声をかけ越えたらマイクを切る」ということにしていたようです。

 

しかしこのような席での発言に慣れているはずもない人たちに「3分以内で話をまとめろ」というのも難しいことです。

それを強行したところに官僚体質が現れているようです。

 

まだまだ裁判が続いているように、水俣病は決して終わっているものではなく、特に認定されない人たちの不満は大きくなる一方です。

そのような中、こういった対応ではさらに政府への不信感が強くなるばかりでしょう。

「鬼平犯科帳(二十三)特別長編炎の色」池波正太郎著

本巻は特別長編「炎の色」とその前の小編「隠し子」からなります。

実はその「隠し子」で新たな登場人物が出てきて、それが長編でも重要な役割を果たします。

 

「隠し子」以前長らく長谷川家に奉公していた中間の久助が久しぶりに平蔵を訪れます。

もう長くはないことを悟った久助がどうしても平蔵に伝えなければならないことを言いにきたのでした。

それが、「先代には隠し子が居た」というものです。

平蔵の父長谷川宜雄は謹厳実直そのものだったので平蔵はひどく驚きます。

しかし母親の死後居酒屋を開いて一人で切り盛りしていたその妹お園に危機が訪れ見ていられなくなった久助は平蔵の助けを求めたのでした。

もう三十を過ぎて色気もなしに居酒屋を開いていたお園ですが、地域の顔役の荒井屋松五郎というのが何を思ったかお園に目をつけ妾になるよう強要します。

それに怒った松五郎が手荒なことをするのではという恐怖からのことでした。

平蔵はさっそくお園の居酒屋に顔を出し、周辺を見張りますがやはり松五郎に雇われた無頼の浪人が襲い掛かろうとしますので、平蔵は切り伏せてお園を役宅に連れ帰ります。

もはやこの状況では居酒屋の継続も無理となり、お園は平蔵のもので家事の手伝いなどをすることとなります。

 

「炎の色」密偵おまさにはひどいトラウマがあり、それが「夜鴉の鳴き声」でした。

その夜もその鳴き声にうなされ、翌朝の市中見回りの時にも精神不安定のまま普段は訪れない湯島天神を歩いていました。

そこで声をかけてきたのが昔の盗賊仲間の峰山の初蔵でした。

初蔵は大きな盗みに加わっており、おまさにも手伝ってもらいたいという話をします。

ただし、初蔵一味だけの仕事ではなく荒神の助太郎という盗賊一味との合同の計画でした。

しかし助太郎は既に死亡しており、現在の首領はその娘、お夏だったのです。

お夏は年は二十四・五ですが、それと面会したおまさはその振る舞いに異常なものを感じます。実はお夏は同性愛者であり、おまさに一目ぼれしてしまったのでした。

おまさは盗みの仕事に入るまでは待機するようにと言われたのですが、荒神一味や初蔵たちの監視が厳しく思うように平蔵と連絡を取り合うわけにもいきません。

そのような中で活躍したのが平蔵の異母妹のお園で、手慣れた居酒屋の女将役をこなしていきます。

荒神一味の狙う先は日本橋箱崎町の醤油問屋野田屋となり、おまさはそこの引き込み役として女中奉公を始めます。すると主人夫婦に信頼され娘のお稽古事の付き添いなども任されるようになります。

いよいよ押し込みの当日となりますが、火盗改が待ち構えるところにやってきた盗賊一味は捕らえられることとなります。

ただし、荒神のお夏ただ一人だけは逮捕を逃れて逃げおおせました。

おまさは必ずお夏が自分を殺しに来ると覚悟します。

なお探索の間にお園は同心の小柳安五郎とようやく相思相愛となり、仕事が片付いた最後になって結婚することとなります。