当たり前のことを当たり前にこなすということ。

 あざと生きて25年、精神障害と生きて10年になる。これまでの短い人生をふと振り返ってみると、問題や困難に直面しても自分という存在を大切にしてこなかったように思う。また、それらに対峙する言葉を持っておらず、ただモヤモヤしてうまく言語化できずにいた。このブログではそうしたモヤモヤをブログを通して言語化する作業を行いたい。

 今日のテーマはタイトルの通りだ。当たり前とされていることを「当たり前」にできない自分がいる、そうした厳然とした事実が今もなお残っている。特に僕が精神疾患を患い、手帳(精神障害者保険福祉手帳)の2級を取得してからはその事実への苛立ちや焦り、様々な感情が渦巻いている。それは今でも変わっていない。薬が変われば、睡眠リズムから生活習慣までも徹底的に壊された。よくなってきたと思えば今度は副作用が気になりだしてきたり、症状は一向に安定していない。この10年、病気や障害、薬というものに嫌というほど振り回されてきた。人並の生活が送れているかと問われれば、否としか言いようがない。僕の生活は病気や障害、薬を中心に回っている。書いていて悲しくなってきた。でもこうやって書き綴りながらも、どこかモヤモヤしている自分がいる。

 ふと気がついたが、この「当たり前」にできないことはなにも精神疾患だけに起因するのではなく、あざを持つ自分にも起因しているのでないか。そう考えると少しクリアに僕という存在が立ち現れる。

 保育園にいた頃、物心つき始めたときだったか。砂場で遊んでいたら、一つ歳が上の子にいきなり泥団子を何度も投げつけられた。

 「出てけー!出てけー!」

 そうやって投げつけながらも視線はどこか違うところを見ていたのは幼いながらも僕は理解した。先生がその子のもとに駆け付け止めに入った。するとその子は先生に向かって、

 「変な黒いのついてる!」

 そう言い放った。僕は人とはどこか違う。そう子供ながらも考えに至った。

 と、これが僕のあざにまつわる問題と困難の原体験だ。

 それからというもの僕は視線に過剰に敏感になり、恐れた。誰も見ていなくても、常に誰かに見られている。そんな恐怖に日々怯えて過ごしていた。歩くときはあざを見られないように、いつも右側を歩くようにしていた。電車の席も一番右側と決めていた。席がないときはとにかく右側の壁に寄りかかり、あざが見えないようにした。

 もう気がついた方もいるだろうけど、僕は「あざ」が在るというだけで理不尽で不当な扱いをたくさん受けてきた。そうした経験が積み重ねられて、他者や社会との間に障壁が生まれた。障害とはまだ言えないまでも、「障壁」は在ると実感をもって言える。

 「あざ」と「精神障害」。この2つのカテゴリーが僕を蝕んでいく。人が当たり前にできることが二重の意味で僕にはできない。

エッセイ再始動。

今日からエッセイ(みたいなもの?)をぼちぼち書き綴ります。

とにかく書くという営みは無駄にはならないと思うので、ひたすら思うがままに書き散らします。

継続して習慣化できればいいのですが。。

気長に見守ってください。

コメントはどなたでもウェルカㇺです。

縮まらない距離、放した手

 彼女と付き合いだした。うきうきとワクワクで、僕はこれから始まろうとしている恋人生活に胸を膨らませていた。でも、そう易々とうまくはいかなかった。彼女はいわゆるヤンキーや不良と呼ばれる人で、いつもその取り巻きの渦中にいるような子だった。それはまるで壁となるかのように僕に立ちふさがった。僕はそうした人たちとはあまり関わりを持ちたいとは思わなかったから、なおさら学校で話をすることは難しい。不良同士の付き合いもあるのだろう。下校の時間になるとその人たちと一緒に帰っていくことがほとんどだった。

 それでも放課後になると、手持ち無沙汰そうにこちらをチラチラ伺っていることだけはわかっていた。そしてしばらくすると諦めたかのように、不良仲間と帰っていく。距離がどんどん遠のいていくのを感じた。

 

「このままじゃダメだ!」

 

そう自分に言い聞かせていた。でも声を掛ける勇気は僕にはなかった。自分に自身がもてなかった。

 

「Aさん(彼女)帰っちゃうよ?いいの?」

 

そうクラスメイトに言われた。煮え切らない態度が続いていった。

 それから一週間ほどが経った放課後。

 

「ちょっと来て!Aが呼んでるよ!」

 

まさかもう別れ話か?こんな形で関係が終わってしまうのか?不安を募らせながらも教室を後にし、彼女が待つ下駄箱まで向かった。下駄箱に着くと、彼女とその不良仲間の取り巻きが待っていた。彼女は何か言いたげな顔をしている。束の間の沈黙。そして彼女はおもむろに口を開いた。

 

「一緒に帰ろう?」

「・・・うん!」

 

一瞬、頭が真っ白になったが二つ返事で答えた。あのときの告白のときとは立場が逆になっていた。彼女もこの一週間不安だったのだろう。自分が情けなくなった。でもやっと恋人らしいことができる。僕は浮足立っていた。彼女と下駄箱を後にし、歩き出した。彼女とは家が反対方向だけどそんなことは気にしない。家まで送ろう。さあどんな話をしようか。また頭が真っ白になった。しばらくお互い話せないまま校門の出口にたどり着いた。ふと足を止めた。後ろを振り返ると彼女の取り巻きが5,6人ほどいた。

 そんなこんなで彼女とその取り巻きを含めたみんなで下校することになった。その取り巻きは全員女子だった。きっと彼女のことが心配で、ついてきたのだろう。さて困ったことになった。僕はその取り巻きの彼女たちとはほとんど話をしたことがない。ただでさえ話すのが僕は苦手なのに。奇妙な下校が始まっていた。すると取り巻きの女子の一人が言った。

 

「うちらのことはお構いなく!」

 

じゃあなんでついてきたんだ!戸惑いを隠せなかった。そうして歩きながらも沈黙は続いていく。しばらく歩いているとしびれを切らしたのか取り巻き女子たちが口々に話し始めた。

「A、あんたほんと幸せだよ。」

「こんなこと、滅多にないよ。」

「今日天気いいね。」

「浅沼とはもう手はつないだの?」

 

彼女に気を遣いながらも時折こんなふうに彼女に話を振っていた。まるでそこに僕がいないかのように。そうして僕の存在は陰へ陰へと追いやられていった。存在を否定されているように感じた。地獄だった。

 どのくらい歩いて、どのくらい時間が経っただろうか。彼女とは一度も言葉を交わしていない。取り巻きの女子たちは何かを察したように彼女と僕を残して散り散りに解散した。僕は彼女にやっとの思いで言葉を絞り出した。

 

「や、やっと解放されたー!」

「ふふ!」

 

僕たちは二人っきりになり、また歩き出した。ただひたすら言葉を交わすこともなく、静かに歩いていく。何か話さないと!でも何を話したら。とっさに言葉を発した。

 

「今日天気いいね。」

 

さっき話してたじゃねかバカヤロー!顔が真っ赤になるのを感じた。

 それから学校がある日はほとんど毎日、放課後になると彼女を家まで送るようになった。もちろん二人っきりで。言葉はあまり交わさない。今思えば恋人らしいことなんてほとんど何もしていないに等しいけど、僕にとってはそれだけでも十分に幸せだった。距離が縮まる気配はなかったけど。

 そんな日がしばらく続いたある日の放課後。いつものように彼女と下校していた。少しだけ、言葉を交わすようになっていた。静かに二人歩いていた。おもむろにすっと彼女が僕の手に一瞬触れてきた。ドキドキした。それでもまた、何事もなかったかのように歩き続ける。しばらくしてまたすっと彼女の手が一瞬、僕に触れた。気まずいような、くすぐったいような、そんな時間が流れた。次第に鮮明に心臓がドキドキするのを感じた。

 

「今しかない!」

 

そう思った。そして勇気を振り絞り彼女の手を僕のほうから、ギュッと握った。彼女は照れ臭そうに顔を背けている。束の間の幸福。

 その時だった。

 

「ヒュー!ヒュー!」

 

同じ中学の生徒二人が後方からすれ違い際にはやしたててきた。そのうち一人が僕の口元にある右下の黒アザを凝視した。目を丸くしていた。そしてその生徒は自分の顔を指差したかと思うと、口元の右下を指でつんつんしている。とっさに僕は彼女の手を放した。僕は彼女といる資格がない。彼女と一緒にいれば、彼女もまた好奇な視線に晒される。その日以降、彼女を遠ざけ、その手に触れることもなかった。

劣等感と告白(仮)

 僕が中学一年生のころ、ちょうどORANGE RANGEというバンドの『花』や『以心伝心』という曲が流行っていたころのお話。流行というもの意識しだして、髪型や服装など自分や周囲の容姿に敏感になる、そんなお年頃だ。いわゆるヤンキーや不良と呼ばれるような人たちがタバコに手を出し始めるのもこのころだろうか。クラスの中にある程度序列ができて、隣の机や同じ班の異性(または同性)が誰になるのか、席替えの度にウキウキわくわくしていた当時の自分を思い出す。

 僕は男性で異性愛者だ。思春期真っ只中の僕は授業のことより女子にどう思われているか、評価されているかで頭がいっぱいだったように思う。でも僕にはなんの取り柄もなかった。成績もオール3かそこに2がちょろちょろある程度で突出したものが皆無。体育が得意なわけでもない。クラスの人気者に比べたら日陰に隠れてしまうような、目立たない面白みのない人間だった。

 目立つものと言えば、僕の口元の右下にある直径25ミリほどの丸っこい黒アザだろうか。大きな黒アザがある、ただそれだけで周囲に対して疎外感を感じていた。

 

「自分は他の人とは決定的に違う。」

 

そんな思いを日々募らせていた。

 こんなパッとしない僕にも春がやってきた。それに気がついたのは授業の休憩時間に自分の机で読書をしているときだ。何やら一人の女子クラスメイトを他のクラスメイトたちが囲んでひそひそと話し込んでいる。時折、視線のようなものを感じた。僕は内心、自分の悪口でも言っているのではないかとビクビクしていた。そっと視線をそちらに向けた。

 

「きゃっ!」

 

謎めいた悲鳴とも受け取れる声が聞こえた。戸惑った。僕が視線を向けたからか?きっと気のせいだろう。そっと手元の本に視線を戻す。だが、ひそひそ話は止まらなかった。話の内容が気になって読書に集中できない。またそっと視線をそちらに向けた。

 

「・・・・。」

 

その周りだけが皆、なぜか沈黙していた。中心の女子クラスメイトをじっと見た。なぜか後ろを向いていて、両手で顔を覆っている。僕は心臓がドキドキするのを感じた。

 その出来事から数日が経った放課後。僕はカバンに教科書などをしまっていた。すると一人の男子クラスメイトが声を掛けてきた。

 

「なあ、そういっちゃん。Aさんのことどう思う?」

 

Aさんとはあの出来事があったとき中心にいた女子クラスメイトだ。僕はどう返答しようか迷った。好意を抱いてくれている節はある。でも、節がある程度で確信はもてない。ここで「可愛いよね。」とか「ちょっと気になってる。」なんて言って、彼女に嫌われたらどうしよう。ましてクラス内で噂になっていじめられたら。不安だった。僕にそんなことを言う勇気は到底なかった。それに口元に黒アザのある僕に好意を抱いてくれる女子がいるとは当時の僕にはあまり想像がつかなかった。

 

「ふ、普通かな。」

 

当時の自分にバカヤローと言いたい!

 それからというもの、しきりにクラスメイトたちにAさんのことをどう思うか問いただされた。あるときは「Aさん可愛いよね。」とか言い出すクラスメイトもいた。僕の態度は依然として煮え切らない。Aさんにアタックするようクラスメイトたちが仕向けているのは鈍感な僕にさえ、ひしひしと伝わってきた。それでも僕には告白する勇気がなかった。まだ確信がもてない。それほどまでに僕は自分に自信がなかった。運動ができる人もいるし、勉強ができる人もいる。図書室の歴史漫画を全て読破して歴史に詳しい人もいるし、トークでいつもクラスを笑わす人もいる。リーダーシップもない。僕に特徴があるとすればこの口元の黒アザだけだ。

 今思えば、いつも何かに怯えていたように思う。例えば、道行く人が僕の口元にある右下の黒アザを凝視する視線。そしてそれを見た反応。いつも右側を警戒していた。すれ違う人に怯える一方で、敵視もしていた。小学校から中学校に進学してからも学校で、またクラス内でいじめられないか。さすがに敵視はしないとはいえ、怯えていた。この黒アザで、人格が規定されてしまうのではないか。それにすら無意識に怯えていたのではないか。怯えを通り越して、一人恐怖していた。

 そんなこんなでまた数日が経過した。しびれを切らした仲のいい男子クラスメイトが、放課後になって一緒に帰ろうと話しかけてきた。彼とはちょうど家が反対方向だ。

 

「家、反対方向なんだけど。」

「いいから!いいから!」

 

彼の勢いに流されるまま、学校を後にする。どのくらい話しながら歩いただろうか。ふと、まっすぐ遠目に同じ中学校の女子生徒が一人歩いていた。すると、突然その女子生徒が振り向いた。Aさんだった。彼女は徐々に歩幅をこちらに合わせてくる。こちらも歩幅を自然と合わせた。互いにゆっくり歩きながらも、彼との話は続いていく。彼女は時折こちらを振り返り、ちらっと僕に視線を合わせてきた。心臓がドキドキするのを感じた。

 そして気がつくと彼女の家の近くまで来ていた。僕ら二人はふと足を止めた。そうしておもむろに公共施設の空いたベンチに腰掛けた。彼女は歩幅を緩めながらも、一人静かに歩いていく。だんだん彼女の存在が遠くなっていくように感じた。徐々に彼女の姿が小さくなっていく。すると、彼が一言発した。

 

「行けよ!」

 

僕は、一瞬ためらいながらも彼から目を背け彼女のもとに全速力で走った。

 しばらく走っていくと彼女の姿があった。彼女は歩いては止まってを繰り返している。僕は立ち止まってしまった。50メートルほどの距離があった。近いようで遠い存在。そんなふうに感じてしまった。彼女も振り返り、立ち止まってこちらを見つめている。おもむろに勢いよく僕はしゃがみ込み、頭をかいた。彼女も同じように勢いよくしゃがみ込み、また立ち上がる。彼女は屈託のない笑顔を見せていた。一向に距離は縮まらない。10分は経ったように思う。彼女が近づいてくる気配はない。僕は勇気を振り絞り、ゆっくりと彼女の元に歩いて行った。互いに見つめあいながら向き合う。僕は彼女に言った。

 

「一緒に帰ろう?」

 

 彼女とゆっくり歩きだした。彼女の家まで200メートルほどだろうか。お互いに無言で歩き続けた。あっという間に彼女の家の前に着いてしまった。でも彼女は家に入ろうとしない。沈黙が続いた。そして、心の決心がつき一言。

 

「よかったら僕と付き合ってください!」

「・・・はい。」

若松英輔『本を読めなくなった人のための読書論』を読み終えて。

 一言で感想を述べるならば、「本を読むとはどういうことか」ということを触発されるような内容の本だった。様々な視点から「本を読むとはどういうことか」が筆者のエピソードを交えながら語られている。またその語りを通じて本を読めなくなった人を勇気づけ、励ましの言葉を送っている。

 僕自身、本を読めなくなってしまっている。自分は本当に本が読めているのだろうか?本当は全く読めていないんじゃないか?そんな悩みとも葛藤とも言えるような心境に追い込まれていた。

 本書を通じて、そんな心境もすっかりどこかへ行ってしまった。筆者は読みに正解などないと述べている。読みに正解などないことはわかってはいた。その反面、誤読を恐れていた節は確かにあった。正解がなくとも正確に、そして忠実に、丹念に読み解こうとしていた。それはそれで僕が研究するにあたって大切なことだとは思う。だが突き詰めればそれは心のどこかで正解を追い求めていたのではないか。

 しかしどこかモヤモヤしていたものがはっきりした。自分(流)の読みが確立していなかったのだ。読みに正解はない。あるのは人それぞれの読みなのだ。このことに気づけただけでも本書を読んだ価値は十分にあった。