新しい森へ

私らしくいられる理想の森が必ずどこかにあるはず・・・

東日本大震災の日から福島の森を離れてからかたくなに信じていました。

でも、全国をキャンピングバスで旅をしてまわり、日本を2周半もしても、新しい森に出あえませんでした。

そして旅をしながら、西や北から東北を見つめていて「やっぱり東北に帰りたい」と強く想い東北にもどり、自分たちらしく生きられる環境というものにもっと焦点をあて、新たな気持ちで土地探しをしました。

そして東北に戻ってきてから、三陸リアスの海のそばで縁を結びかけるのを何度か経験したのですが、なぜかその縁は直前ではずれてしまい、とても落ち込んだ日もありました。

仙台生まれの夫はふるさとへの想いが強くなり、もうひとつのふるさと福島をなおざりにしたくないとの気持ちも強くなってきていた去年の夏、最愛のキャンピングバス(家バスちゃん)が大雨と満潮とが重なった大槌町の沿岸部で浸水してしまうというショックな大事件が起こりました。
もしかして海の神様から「森に還れ」と背中を押されているのかも・・・と勝手に解釈をし、それまでリアスの海のそばにこだわりすぎていたのを取り払いました。

仙台に近い森を・・・と、探し始めて間もなく、人と人とのつながりで、山の一部を譲ってくださる方が現れました。
そこは杉と落葉松の人工林の森でした。
私は杉や落葉松の人工林を嫌っていました。
杉ばかりの森は暗く植生も限られてくるし、同じ樹ばかりが均等に並ぶ感じや放置されている人工林にいのちのエネルギーが薄いようで嫌だったのです。
でも杉や落葉松の樹が悪いわけじゃないし、放置された杉林を自然林に近い森に変えていくことをしたいなと漠然と思い始めていた頃で、この杉や落葉松で小屋をむすんで、どんぐりのなる木を植えたりして、雑木の森をつくればいいんじゃない?と、ときめいたのです。

自分たちの手で木を伐って、その木で家をつくって、森を切り拓く・・・
わくわくしている私を横目に夫は苦笑い。
現実問題、子育てを考えたらちょっと(かなり?)無茶苦茶しすぎの山奥。
だから、その森の近くですぐに住める家を見つけられたら最高だな、と思い行動していたら・・・私たちにぴったりの場所に出あえたのです。
日当たりのよい雑木の森のなかにあって、目の前に小さな沢があって、庭には畑があって・・・という理想の家を見つけることができました。
私がおばあちゃんになったころ、杉と落葉松の人工林の森が『私のどんぐりの森』のかたちに近づくようがんばります。

あの日から三年の春を前に、奥羽山脈の豊かでおおらかな山の麓で新しい森の暮らしをはじめます。

いろいろと気にかけてくださったみなさま、応援してくださったみなさま本当にありがとうございました。

これから暮らしを立ち上げるのにやらなければいけないことが山積みですが、わくわくしています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

鎮魂の色

今日は、朝から雪でした。



ふわりふわりとやわらかい羽をつけた天使が空から舞い降りているようでした。


雪の天使たちが楽しそうに風にのって踊っていたら、眩しい陽の光が拡がって…天使たちはきらきら輝きながらいなくなってしまいました。


外に出て、海を眺めました。


空と海の界は深い深い青色で、吸い込まれるようでした。



白と青と光…


雪の白…波の白…


海の青…空の青…


朝陽の光…夕陽の光…



リアスの海のそばで過ごすようになってから、いつも感じるのは、白と青と光。


それが、私の心をゆっくりとほぐしてゆくのでした。


私にとっての鎮魂の色は、白と青と光…


そして、リアスの海がそばにあるということが、なぜだか理由はわからないけれど、心が穏やかになるのでした。




夕方、一人で半島を走りました。


何処を走っても、海が見えました。


何処を走っても、白と青と光がありました。


あぁ、私は海が好きなのだ…と強く実感したのでした。





私の鎮魂の色がある海が好きなのです…

あの日から一年半が経ちました。

毎月11日のたびに去年の3月11日を思い出します。


この一年半すべてが夢で、震災前の日々に戻ることができたら、どんなにいいことだろう…と思う人がたくさんいることと思います。


私はいつも、どうかあの日を…3月11日に日本で起きたことを忘れないで下さい…と思っていました。


でも、あの未曾有の震災は、誰の心にも残っている…誰もが忘れるものではない。時が過ぎてゆくとともに、人々の関心が薄れてゆくのだ…と気づきました。


ガレキの積み上げられた風景を見て暮らす津波被災地の人たちや故郷を追われて仮の家で暮らす福島の人たちにとって、人々の関心が薄れていると感じた時ほど、悲しくて辛くて寂しいものはない…と近ごろ思います。


まだまだ、これからなのです…


自分の足で立ち、自分の意思で歩かなければ悲しみや苦しみを乗り越えることはできません。けれども、その歩くための力は、手を差しのべられた手のひらから伝わるものに源があるように思います。



『愛の対極は無関心である』マザーテレサ

北海道から帰ってきて思うこと

北海道から帰ってきて、一週間が過ぎました。


唐桑でのテント生活、ふたたび…


明るく楽しい、自然エネルギーキャンプです。


北海道、初めて訪れたけれど…


土地に足を踏み入れ、

草木を見つめて、

湧き出る冷たい水を飲んで、

空気をう〜んと吸って感じたことは、



カラダ ト タマシイ ニ シミワタル…



何年も前から、夫と地図を見て、どこに住もうかと話すとき、最終的には、北海道だよねーっと、よく話していました。


憧れていた、北海道…


行けば絶対に気に入る土地。


そして、今回の旅で、


もし、原子力発電所の事故がなければ、感じなかったであろう、北海道への土地の憧れが、ひとつ、増えました。


それは、放射線量の低さでした。


北へ北へとキャンピングバスを走らせるほどに、放射線量が低くなってゆく…


畑、できるねっ!

野草茶、作れるねっ!

はだしで子供たちを遊ばせられるねっ!

どんぐり食もできるよっ!


北海道のバックグラウンドからみて、全く放射性物質の影響がないわけではないのが、悲しいのですが…



原子力発電所の事故で、帰る家を失った私たちは、つぎなる新天地を探しています。


どんな土地でどんな未来が待っているのか、めっちゃ、楽しみです!


だけど、何処にいても、やることは、同じ!


自然エネルギーで暮らし、どんぐりを食べて、世界を考えまーす。




……実は…もっとながーいながーいブログだったのですが、押す場所間違えて、消えちゃった…あぁ、ショック〜


また、気を取り直して、書きます…

便利って…

北海道に来ています。


青森から苫小牧まで、フェリーで海を渡りました。


チョコレート色のデカキャンピングバスで!


初めての北海道…


なぜか、せつない気持ち…

胸のざわめき…


まだ、うまく言葉には表せません。




フェリーに乗っている時間は、約8時間。


海の広さを目の当たりにしました。


私たちは、海から生まれてきたんだな…


だけど、私たちは、海を汚してしまう生活をしている…


それは、便利さを求めすぎた生活をしているから…


だけど、『便利』って、だめなのでしょうか…?




今回の旅は、キャンピングバス。


旅の前に、掃除をせっせとしました。


12Vの掃除機で、せっせと…


このキャンピングバスは、20人くらいのれる大きさのバス。


うしろ半分の座席が、キッチンとフラットな場所に改造されています。


そして、絨毯張り。


ホウキで掃くより、断然、掃除機のほうが、きれいになります。


めちゃスッキリと掃除ができます。


便利です。


私たちの、のらやの暮らしもキャンプの暮らしもソーラー洗濯機を使います。


Tシャツやトレーナーなどは、絞るのが大変だし、手絞りだとなかなか乾かないし、絞りすぎると、生地がヨレヨレになってしまいます。


脱水は、とても、便利です。


便利って、いいこと?悪いこと?


便利って、理にかなっていれば、いいことなんじゃないでしょうか?


便利さを「求めすぎて」理にかなわなくなり、自分で自分の首をしめる状態になってしまったことがよくないように、思います。


文明のマイナスな部分だと思います。


だけど私は、電気を使うことが悪いとは思いません。


便利だから。


今、こうしてブログを書くのだって、電気がなくてはなりません。


暗闇におびえるのより、電気の灯りがあって安心するほうがいい。


昔の人々の知恵は大事だし、忘れてはいけないけれど…


昔の暮らしに戻ることが、いいとは、思いません。


電気を否定しなくて、いいと思います。



大量生産、大量消費の経済の仕組み、それにまつわる私たちの暮らしを、否定します。


『小さく豊かに暮らす』


これは、夫の口ぐせです。


小さな暮らしには、「豊かさにつながる便利」というものがあるのです。





キャンピングバスで、子供たちと夫はスヤスヤ…


高橋くんとしんちゃんも夢の世界に…




私は、初めての北海道。


はしゃぎまくっている旅の様子は、ツイッターで…


nisew_chiakiを検索してみてくださいませ。


ツイッター、とまどいましたが…


人生の楽しみ倍増。


おおげさ?かな…


いやいや、世界がひろがり、人とのつながりがひろがり…


めちゃいい感じ!です。

地球を愛する

エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を何度も読み返した時期がありました。


20代の終わりの頃…


そこには、キッパリと「愛は技術」と書かれていました。


恋におちる…とか、ロマンチックな出逢い…とか、情熱的…とか…

自然にわきおこってくる感情が「愛」だと信じたがるが、「愛」は、知識と努力を必要とする技術なんだ、と…


例えば、陶芸家になりたい!


って思ったら、陶芸にまつわるすべてのことを考え、明けても暮れても努力し、土と対話し技術をみがく。


プロ野球選手とか、弁護士だとか、なりたいものになるための努力は人はおしみなくする…


なのに、「愛」はわきおこってくるものなのだから…

と感情そのままにしておいてしまいがち…


だけど、二人の愛の関係を持続させるのなら、まっとうな努力が必要なのではないか…


愛は与えること…

自分の生命力を与えること…


自分を犠牲にしてつくすことではない…


与えることで、必ず相手のなかに何かが生まれ、その生まれたものが、自分に返ってくる…


能動的な活動であり、受動的な感情ではない…


愛の本質は、なにかを育てることにある。


というような、内容が書かれてありました。(もっと、愛について、深く掘り下げ、洞察力も表現力も豊かに書かれています。興味のある方、旧約と新訳、両方読むのがおすすめ)


『人間が人間として、世界に対する人間の関係を人間的関係とみなせば、愛は愛とだけ、信頼は信頼とだけしか交換することができない。』


という、マルクスの言葉も書いてありました。(今、手元にこの本がないため、言葉を間違えていたら、ごめんなさい)





未曾有の災害を受けてしまった日本に暮らす私たちや、汚染されてしまった地球に暮らす世界中の人たちが、これから、ずっと地球で生きていきたかったら、どうしたらいいのか…


地球で生きたかったら、『地球を愛する』しかないのだと思う。


地球のこと、よく知って広く理解して、遠くのことも近くのことも観る目を養って、よりよく生きられるための努力を、まっとうな努力をする…しかないのだと思う。



最近、私がよく考えていることは…


「生きる」って、「暮らす」ってことかもしれない、ということ。


よりよく暮らせたら、よりよく生きられる。


きもちよく暮らせたら、きもちよく生きられる。



原発事故から今、私たちが突き付けられていることって、これからの、


暮らしをどうするのか…


っていうことのように思います。


地球を愛する、暮らしを愛する。


生命力をかけて。


すると、ゆるぎない愛が返ってくる。


愛で満たされる。


それは、人を愛することにつながる。


ゆるぎない、愛のベースになる、と思います。

ツイッター、始めました

ツイッター、始めてしまいました…。


自分ではできないので(やろうとしない?)高橋くんに、アカウントをとってもらいました。


140文字って、どうなんだろう…


言葉って、両刃の刀…


私の、つぶやき…どうなることやら…


ぴぃぴぃ♪たのしく、つぶやきまーす!


「nisew-chiaki」

で、つぶやいています。


ドキドキ…ワクワク…