将来が見えない不安

私には介護が必要な母親がいる。

 

大学生の頃、脳梗塞で倒れたのだ。

 

なんとか一命をとりとめたものの、半身に麻痺が残った。

 

今は母を含め4人で生活をしている。

 

上のきょうだいとは、年が離れている。

仕事も介護もとなると、結婚も難しそうだ。

孫の顔も私に託されたようだ。

 

母親には、「自分の人生を私のために潰さないで」と言われる。非常に複雑な気持ちになる…

 

社会人になったとしても、一人暮らしなどにも踏み切れないし、あまり家計にも余裕がないため、貯金もあまり貯まっていない…

 

母のデイサービスの送り出しをしてくれる父が朝コンビニで朝食を用意することにお金の無駄と感じるも…、時間・体力的にも余裕がないため仕方がないと思う…

 

私が朝ご飯の支度して、昼ごはんも自炊して…と考えるも、日々の仕事に気力を奪われれ体が動かない…

 

うーむ、困ったな〜…

 

私はそもそも、「将来自分がどうなっていたいか」という問いに対して、真剣に考えてこなかったと思う。

 

考えたとしても、いつも「わからない…」で終わる。

 

その問いに対していまは、

 

今の生活の状況を理由にして、「自分のどうせ思い通りにならない」と自暴自棄になっているのも、どうかと思う。

 

ただ、現状を変えられない勇気・知恵がないだけなのに、人のせいにしているようでね…f^_^;

 

でも、「どうしようもないじゃん!!」と。

家を一人飛び出すこともできんと…

 

幸せは失ったあとに気づくということがある。

今の生活はよく考えると幸せなのかもしれない。

 

ICUのベットに横たわる意識のない母の横で、一人すわりながら、ボロボロ涙をこぼしていたことを思い出した。

 

 

 

 

崩れ落ちて行く感じ…

悩み事が多かったり、疲れが溜まってくると、

決まって、仕事の作業効率も落ち、

気分も落ち込み、休日は布団(家)から出られなくなる。

 

運動して、さっぱり気分転換でもした方がいいのだろうけど、そんな元気もない。

洗濯や食器洗もしようとは思ったが、手がつかない…うーむ困った…

 

そして、明日の「日常生活」に戻るのがとてもこわい。

今の自分が、職場に行き、パソコンの前に座ったとき、パニックに陥りそうでこわい。

「どこから手をつけたらいいのか」

「また迷惑をかけてしまうのではないか」と…

 

最近はなかなか辛く、

結論がなかなかうまくまとまらず、

気が遠くなってしまうときがある。

まだ、少しばかり余裕のあるときは、なんとか気力で立て直そうとする意識が働くが、

もう疲れてくると飲み込まれてしまう…

それが恐ろしいし、余計に仕事がつらくなる。

 

「さびしすぎてレズ風俗にいきましたレポ」(永田カビ)という本があるが、その中の描写に、頭の中のものがぼろぼろと落ちているようなものがあった。今まさにその状態かもしれない…

 

何のために今の生活をしているのかよくわからなくなることがある。

もう少し"好き"に生きればなんてことも思うけど、転職する勇気も、元気もないのがまたつらい…

 

まあ、これも試練と思って、なんとか進んで行くしかないのかな〜…

 

今まで迷惑をかけていた先輩方にも、ここでスパッと辞めてしまっては、大変申し訳ない限りという思いと、

なんかもうつらいという気持ちがせめぎ合ってる今日この頃…

 

 

 

好きなこと映画

早く寝なくてはと思いつつ、好きな映画の話をしようと思いました。

 

私の好きな映画のパターンは、

現実と空想が入り混じるような…不思議な世界観のお話がとても大好きです。

 

たとえば、

未来世紀ブラジルバンデットQ

落下の王国

・ミスターノーバディ

・コングレス未来学会議

・パプリカ、千年女優妄想代理人

・アリス(ヤンシュバンクマイエル)

イバラード物語(映画ではありませんが…)

 

普段、何気ない、なんの変哲も無い生活から、不思議な世界に迷い込む。

 

とても不思議な世界でありながら、どこか現実から離れすぎてはいない場所にありそう。

 

現実と空想の中間に存在するような雰囲気が好きなのかもしれせん。

 

現実だけでは辛すぎるから、その世界に浸りたいときがきます。

 

逃げたいときには、逃げればいいんだと思います。

 

おやすみなさい。

だめな時はだめ。

土日に部屋の片付けとか、

 

いろいろ片付けようの思ったのに、

 

あっという間に、日曜日の23時。

 

何もできていない。

 

こんなんで、新しい週を迎えるなんて最悪

 

なんか、体うごかない。

 

あーあ。

 

つらい…

 

もともと週の疲れで、何もできないのに、

 

週末に何かしようと思って張り切って予定を立てる。金曜日に…

 

それが、始まり。

 

体がうごかない。

 

何もしたくない。

 

でも、心のどこかに、あれをしなくちゃ…

と引っかかっている。

 

そして、うごかない自分を責める。

 

動いていないのに余計に疲れる。

 

あーあ、しんどい。

 

週末の自分に期待しすぎるのはやめよう。

 

でも、平日に仕事終わったら、何もしたくないから、いつすればいいんだろうか…

 

甘えがあるのだろうか。たしかに存在はする。

でも、なんか何も考えたくない。

 

早く寝よう。

自分の欠点を認めるということ。

私は人にものを頼むのがとても苦手です。

 

頼んだらその人に負担がかかるし…

それとととに、「頼む勇気」にとてもエネルギーを割いている気がします。

 

子供じゃあないんだからと思うでしょうけど、

ほんとにだめなのです。

 

そのとき、あとになって考えたのは、

自分にはできないことがあるから、

人に頼むのだと。

 

今思うと、とても自然なことで、

自分がどんどん、どんどん追い詰められて、抱えている問題に落ち潰されてしまいそうになってしまう、

 

もっとその前に、その問題を人に相談したり、

出来なければ、頼んだ方が、

自分にとっても、周りにとっても、

とても楽になることになるんだと思う。

 

最悪なパターンは、

抱え込みすぎて、コップに入っていた氷が、氷山のごとく膨れ上がって、問題が噴出した場合…考えただけでも恐ろしい(現在進行中でもありすが…)

 

そう、私は完璧にできる人間ではないし(あたりまえです…)、

仕事のスピードは遅いし、

周りの人も優しいからしっかりフォローしてくれる環境にもある。

 

自分だけ、苦しんでいただけだったみたい。

もっと、自分が楽になるように生きてもいいみたい。

 

エターナル・サンシャイン」という映画があるんですけど、その最後の方に、「こんな私だけどいいの?(ひどい性格でも)」「それがどうしたんだい?(それの何が問題なんだい?)」みたいなシーンがあったとおもんですけど(間違ってたらごめんなさい)、

 

ほんとそのシーンを見ると、すごい気分が楽になります。

 

自分を認めた上で、

だめな部分、いい部分も含めて、

そこから"どう楽に生きていくか"ということが大切なのかもしれません。

 

少し楽になりました。

自分の心に蓋をしてしまう…

前からもそうだったし、今もそうだと思う。

 

大学の頃に親しくなった友人に、「お前の意見は何?」とよく聞かれた。

 

そのとき、私は、黙り込んでしまう。

だって、頭の中は空っぽなのだから…

 

そして、頭の中はパニックです笑

(やばい!なんて言う"べき"なんだろうと…)

 

なんとか、「一般的」なことをなんとか絞り出して、なんとか、言葉に出すことを必死です。

 

だから、自分の思っていることを相手に伝えるのはとても苦手なんだと思います。

 

自分が辛くても、我慢をしてしまうのだと思います。

 

自分だけいっぱいいっぱいになって、限界を迎えたときに、周りが気づき尻拭いをしてもらう経験もたくさんあります。すまない…

 

でも、治らないんだよね〜

この"くせ"が…参った参った。

 

今は、気分は明るめだけど、

落ち込むと、どん底です。

「生きる意味」なんて、このまま消えてしまえば…なんて考えることもしばしば。

 

そんなことを社会人なり問題が現れ解決に向かわず、「どうしよう…」と思い悩むときが増えて、

 

いろいろインターネットとかで、原因はなんだろうと調べました。

 

まだわかりませんが、岡田尊司さん「回避性愛着障害」の本などを読んで自分に当てはまる部分があるかもと思って、

 

なんだか頭がすっきりして、この文章が書けてます。

 

それまでは、英国王のスピーチを見て、ジェフェリー・ラッシュがジョージ6世に、「もう君は自分の人生を歩いている」というようなシーンに勇気づけられました。

 

また、頭がまとまったら、残しておこう。

 

 

自分てなんて不利益しか産まない存在なんだろう。

そう。

 

いつものように、忙しいことを理由に、やるべき仕事をしていなかった。

 

入社をしてから何度この理由で、同僚やお客さまに迷惑をかけてきたことだろうか。

 

かといって、以前の失敗を活かすこともできていないことにも、自分の無能力さも感じる。

 

帰りの電車の中で、自分はなんてひどいことをしてしまったんだろうと悔やんでいるものの、それはただの自己陶酔になのかもしれない。

 

事実は何も変わらないのに、自分を責めることで、自分に対して、許しを得ようとしているのかもしれない。

 

でも、現実はないも変わらないのだから、いくらそれをやっても前には進まない。

 

同じ失敗を繰り返してはならないとあれほど言われているのに、自分で優先順位を立てられず、場合によっては、どこから手をつけていいか混乱したりもする。

 

仕事が人生のすべてではないけど、仕事がなければ、生活もできない。

 

今の仕事を続けていて、私の将来に何が待っているのだろうか?