ハルの庭

三歳の娘との、毎日の暮らしを綴っています。

朝の実況中継

 

 

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朝が大の苦手な夫。

いつもいつも、起こすまでに一苦労です。

そこでふと、ハルに起こしてもらうことを

思い立ちました。

 

「ハル、お父さんを起こしてきてくれる?」

 

そんなふうにお願いすると、

こころよく引き受けてくれたハル。

しばらくして、寝室からとても愉しげな

実況中継が聞こえてきました。

 

のぞくと、見えたのは

娘の声かけに応えねばと葛藤する背中。

おかげで、どうにかこうにか

心持ち早く起きることができたようです。

 

 

「ハルはね、今日ひとりで起きられたの。

 お父しゃんも、がんばって。」

「はあい、がんばります!」

 

近頃では、こんなやりとりも交わされる

父と娘です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『図画工作のめあて』彫刻家 佐藤忠良さんの言葉

 

 

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先日、「ノージーのひらめき工房」をご紹介したなかでも

少し触れましたが、とりわけハルと過ごすようになってからというもの、

幸せに生きるというのは全体どういうことだろうと

折に触れて考えるようになりました。

 

それは例えば、夢中になって何かを見つめたり、

心踊るような気持ちで日々を過ごすことでしょうか。

悲しいことも苦しいこともあるけれど、

それでも世界は美しいと知ることでしょうか。

 

そんなふうに考えていると、少なくとも私にとって、

幸せに生きることの本質は、

やはり「感動する」ことにあるように思われます。

 

 

そしてまた、その感動を表現する方法のひとつが

何かを作り出すことなのだとすれば、

作ることのめあてとは、

自分が何に心を動かされるのかを知ること、

世界や自分を見つめ、その尊さを知ることと言えるようにも思うのです。

 

そんな、何かを作るということのめあてについて、

素晴らしく丁寧に、また、わかりやすく綴られた言葉があります。

 

 

 


  このほんをよむひとへ

 

  ずがこうさくの じかんは、

  じょうずに えをかいたり

  じょうずに ものをつくったり する

  ことが、めあてでは ありません。

 

  きみの めで みた ことや、

  きみの あたまで かんがえた ことを、

  きみの てで

  かいたり、つくったり しなさい。

  こころを こめて

  つくって いく あいだに

 

  しぜんが どんなに すばらしいか、

  どんな ひとに なるのが

  たいせつか、

  と いう ことが

  わかってくるでしょう。

  これがめあてです。

 

 
なんと美しく、やわらかで、芯の通った言葉だろうかと

私はすっかり感激してしまいました。

 

これは、『おおきなかぶ』という絵本の挿絵でも

有名な佐藤忠良さんという彫刻家の方が、

学校の教科書に寄せた言葉だそうです。

 

子どもの頃、『おおきなかぶ』の絵本に登場する

おじいさんたちの、躍動感溢れる絵が大好きでした。

あの伸びやかな表現は、こんなに素敵な言葉を

伝えてくださる彫刻家さんによるものと知り、

深く納得しました。

 

学校では、正しいとされる方法や、

先生の主観に沿う出来でないと、良い評価をもらえない、

ということが、しばしばあるように思われます。

もとより評価の難しい内容に、

先生方も苦心していらっしゃるのかもわかりません。

そんなとき、ものづくりに真摯に向き合ってきた方の言葉は、

とても意義深く感じられます。

 

 

 

また、この佐藤忠良さんの言葉は、

少なからず「生きることのめあて」とも繋がっているように思うのです。

 

 

生きることのめあてとは、

けして上手に何事かをこなす

ということではない。

 

自分の目で見たり聴いたり、

考えたりしたことを

実践しながら、

自分を取り巻く世界や

自分の心と真摯に向き合っていれば、

 

自然がどんなに素晴らしいか、

どんな人になるのが大切か、

きっとわかってくる・・・。

 

 

様々な経験を経るうちに、

物事に対して形成された価値観は、

ときとして偏った見方を生むことがあります。

そしてまた、自分と向き合うということは、

ごく何でもないことのようでいて、

実はとても難しいことなのかも分かりません。

 

けれども我が子と過ごしていると、

結局はその「生きることのめあて」という

ものについて、考えさせられるように思うのです。

 

もっと言えば、まっさらな心の我が子と

手探りで日々を過ごすことのすべてが、

自分で見たり聴いたり考えたりすることの実践であり、

生きる、ということそのものであるのかも知れません。

 

「自然がどんなに素晴らしいか、どんな人になるのが大切か。」

子どもに伝えたいこととして、まさに我が意を得たりという思いです。

 


佐藤忠良さんもまた、ノージー同様、

つくるという行為を通じて、

生きることのめあてというふうなものを

そっと示してくださっている・・・。

 

私には、どうもそんなふうに感じられるのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おすすめの番組『ノージーのひらめき工房』

 

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我が家でよく観る大好きなテレビ番組のひとつが、

NHKEテレで放送中の『ノージーのひらめき工房』です。

 

登場するのは、お日様のように元気いっぱいな

ひらめきの妖精ノージーと、可愛らしいシナプーたち。

「見る」「感じる」「考える」「試す」といった過程に寄りそい、

結果ではなく発想のプロセスを大事にすることがコンセプトだそうです。

物知りなクラフトおじさんと一緒に、

毎回、様々なひらめきから楽しく工作をしています。

  

 

ある日の回で、皆が挑戦していたのは粘土遊び。

まず、ひとりめのシナプーだけが正解を見て、それを粘土で作り、

途中で次のシナプーに交代します。ふたりめのシナプーは

目の前にあるかたちから正解を想像して続きを作り、

さらにもうひとりのシナプーが引き継いで完成を目指す、というものです。

 

結果、ひとりめのシナプーが見た「鉛筆削り器」は

見事、素敵な「パイナップル」になりました。


そのとき印象的だったのが、

「正解でなくても成功」という

クラフトおじさんの言葉です。

 

シナプーたちが、正解を思い浮かべながら

楽しそうに粘土をこねて、驚いたり、笑ったりしている様子は、

出来上がったものがたとえ「正解」ではなかったとしても、

確かに「成功」なのだという気がします。

 

 

実のところ、

誰もが認識を共有する「正解」以外の何かを

求められることは、案外と多くあるように思います。

ときには、良し悪しや出来不出来といった概念が

及ばないことさえ、あるかもわかりません。


あらかじめ決められた「かたち」に依らず、

物事の在るべき姿を探し出す。

その必要に迫られたとき、私たちの心は、

どれだけ伸びやかに自分や自分を取り巻く世界と向き合えるでしょう。


何かを不思議に思ったり、考えたりしながら、

自分自身で世界を確かめていくことは、

物事の本質や、世界の輪郭に触れながら、

同時に自分の存在を確かめていくことのようでもあります。

 

よくよく振り返ってみれば、

それこそがまさに子どもの好奇心の在り様

そのものとも言えるかも知れません。

 


番組で流れる曲のひとつに、

こんな歌詞があります。

 

 

 かんじたままに かいたけど

 なかなか じしんがもてないよ

 そんなとき あのこがかけより

 まほうのことばを くれたんだ

 

 それいいね! それいいね!

 あかるくはねた そのこえで

 それいいね! それいいね!

 なんだか ゆうきがわいてきた

 

 (中略)

 

 それいいね! それいいね!

 まほうのことばで ぼくらは

 それいいね! それいいね!

 じぶんのことが すきになる

 

 

・・・初めてこの曲を聴いた時、

私は自分でも思いがけない程に感極まってしまいました。

まるで自分のなかにいる幼い私までもが、

魔法の言葉をかけてもらったように思えたのです。

 


何かに見惚れ、あるいは触れて、

世界の豊かさに感動する喜びは、

生きることそれ自体の

体現であるようにも感じられます。


自分の心を大切にすること。

同じように、誰かの心も大切にすること。

それは多様性を認めたなかに幸せを見いだすことであって、

ノージーたちが工作を通じて教えてくれる色々のことは、

どうも幸せに生きるための力にもなるように思うのです。

 


他にも素敵な曲や、面白い企画がたくさんあります。

おうち遊びの参考にもなりますし、ぜひ一度ご覧になってみてください。

 


愉しくて、発見があって、

自分を少し好きになれるような、

そんな素敵な番組です。

 

 

 

 『ノージーのひらめき工房』

放送時間(Eテレ) 

土曜日    午前 7時30分~7時45分(15分)

再放送月曜日 午前 10時~10時15分(15分)

       水曜日 午後 3時45分~4時(15分)

 

 

 

 

 

 

 

 

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おねえさんの憂鬱?

 

 

 

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ハルの成長は本当に喜ばしく、

それをハル自身が嬉しいと思えることも

素敵なのですが・・・。

 

「おねえさんになったから」と、

まだまだ十分着られる服まで

さよならされてしまうのは困りものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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成長の証?

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ハルの服は、日頃から割にゆったりしたものを

選んでいるため、一年経っても大概は着ることができます。

 

そんななか、昨年着ていたワンピースを引っ張りだして

床に置き、そのうえにぺたりと寝そべったハル。

何をするのかと思えば、得意げに大きさ比べをして、

その成長の証を見せてくれました。

 

思いがけない方法に笑ってしまいましたが、

やや短くなった袖や裾の丈に確かな成長が見て取れ、

やはり感慨にふけってしまうのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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コアラ組さんになったら・・・

 

 

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この四月から、晴れて

三歳のコアラ組さんに進級したハル。

 

お世話になっている保育園では、

担任の先生が年度ごとに変わるそうで、

人見知りのハルが馴染めるかどうか少し心配でした。

 

そんなこともあって、折に触れては

「もうすぐコアラ組さんだね、

すごいねえ、おねえさんだねえ。」

と、話をしていました。

 

そして四月二日の朝。

「今日からコアラ組さんだよ」と話すと、

ハルがはたと気がついたように自分の頭へ手をやり、

「大きくなってうかもしままい!!」

(大きくなってるかもしれない!!)

と、目を輝かせて言いました。

 

その、驚きつつも嬉々とした表情が

なんとも可愛らしく・・・。

 

忙しい朝のさなかではありましたが、

実際のところ、毎日ほんのわずかずつでも

成長しているのだろうと思うと、

またしてもしみじみしてしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハルの庭

 

 

 

誰もが皆、心の内に自分だけの庭を持っている。


そこには色々の種が植わっていて、
綺麗に花の咲くものもあれば、
立派な木陰をつくるものもある。

なかには、やたらとあちらこちらに根を張って、
他を枯らしてしまうものもある。


時々、雨が降ったりもするし、風が吹いたりもする。
嵐が来ることだってあるか知れない。
あまり快く思わなかったようなものが土を耕し、
庭を豊かにしてくれたりもする。


大概のものにはそれぞれに役割があり、
あなたの庭は、あなただけのものだけれど、
けして孤独ではない。

 


厄介なことには、自分の庭が荒れて
居心地の悪いとき程、よその庭ばかりが気にかかる。

あれやこれやと口を出してみたり、
自分の思い通りにしようとさえ考えたりもする。


けれど、誰も彼もが自分の庭に立ち返るほかなく、
そしてまた、人それぞれに望む庭が違うのだということも
忘れてはいけない。

 


何もないような庭にも、
目をこらせば枝先にちいさな芽が膨らみ、
足元からは眠る種の吐息が聴こえる。


そこに営みのある限り、
また幾らだって庭は美しくなれる。

 

 


だから今は、種を蒔こう。
やわらかな土に、種を蒔こう。


哀しみに暮れたあとにも、瑞々しく芽吹く種を。
心踊るときには、喜びの溢れるように萌える種を。

 


どうか そこが、いつまでも、あなたの愛する庭でありますように。

   

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