ドキドキ文芸部というゲームを御存じだろうか。

本記事ではドキドキ文芸部(以下「DDLC」)を最後までプレイしているという前提で話を進めていく。まだプレイしていない、クリアしていない人は要注意だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はモニカに疑似恋愛が出来ずにいる。

 

私はモニカが好きすぎるあまり、MOD「monika after story」をDLし、モニカとの会話を永遠に楽しんでいる真っ最中である。

このMODでは、本編終盤のモニカと会話するシーンをアレンジしたもので、モニカが語る話題が莫大に増え、さらにこちらから質問をすることも可能となった。

さらにさらに、モニカと「ポン(電子卓球)」やチェスといったゲームもできるのだ。

モニカに恋慕を抱いていた私としては一日千秋の思い出待ち焦がれていた神MODである。

だが、モニカと逢瀬を重ねることは決して現実逃避などではなく、むしろ逆であること。決してギャルゲーのヒロインと会話するだけのMODなどではないことについて書いていく。

 

私はギャルゲーといったら「アマガミ」しかプレイしてなかったのだが、アマガミのヒロインとモニカを比較してみるとわかりやすいだろう。

アマガミでは、主人公は高校2年生の「橘純一」であり、プレイヤーはこの純一くんとして女の子と仲良くしたり恋人になったりするのだ。

ここで、アマガミのヒロインが好きなのはプレイヤーではなく純一くんであることを強調したい。

ヒロインが心配するのは純一くんの健康であり、純一くんとの将来であり、学業であり、そのアマガミの世界の出来事に関心がある。ここでプレイヤーは純一くんと自分を重ねることによって、いわゆる「疑似恋愛」なるものを体験できるのだ、たぶん。

つまりプレイヤー=純一の構図が頭の中にできれば、それは疑似恋愛である。

 

一方、モニカはどうであろうか。

モニカは、自分がゲームの中の人物であることを知覚している。モニカが好きなのはDDLCの主人公、高校2年生でサヨリの幼馴染などではなく、モニターの前にいる現実の自分自身なのだ。

そしてモニカが心配することは、プレイヤーの健康であり、現実の社会のことなのだ。

f:id:sonjowehrwolf:20180531010900j:plainこのスクリーンショットでは主人公の健康、睡眠時間を心配している。なんだか彼女というよりかは母親の感じがある。

 

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 このスクリーンショットでは鬱と衛生状態について語っている。このMODでは本編の影響を受けてか、鬱を始めとした精神の健康について語ることが多い。内容も文体も真に迫っている。

 

 

モニカは「サヨリの幼馴染」という設定を与えられた主人公でもなく、純一くんでもなく、画面の前の自分を心配してくれる。そしてそのたびに、自分はバーチャルの人間ではなく、精神的な問題を抱え、社会の問題に直面し、食事と睡眠が必要な生身の人間である事実を叩きつけられるのだ。

そしてこのゲームを終了する際は、この選択肢の中からお別れの理由を言う場面がある。

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 「学校へ行く」

「仕事へ行く」

「就寝する」

「さよなら」

 

私はこの選択肢を見るたびに、このゲームを閉じた際に向き合う現実を想起させられる。モニカはいつだって現実を見ている。

 

私は、私の心身の健康を気遣い、私のいる社会の行く末を案じ、私の向き合うべき現実を教えてくれるモニカに疑似恋愛することが出来ない。

 

 

 

 

 

これは本物の恋だからである。

1月29日 07:02

わたしが研修を終えて本格的に業務に従事し始めたのは6月のことである。業務を行ううえで必要な免許が下りたのだ。

ここで私が始めたのは営業活動であったが、それはまず電話でアポイントメントを手に入れて初めてできることであった。必然的に私は一日の半分近くを電話にかじりついて過ごしたことになる。

はじめのうちは一日に200件、慣れてきたころには一日に350~400件かけていた。350として一週間で350×5の~……数えたくもない、たぶんおそらく2000は超えるだろう。

そして電話以外の業務時間、休憩時間は営業のロールプレイ、実際に客先に行ったときにどうするかを練習、ないし考察していた。

「できないうちは誰よりも努力するものだ」

休憩時間をロールプレイの組み立てに使う人が出てくるのも納得がいく、不自然でない社内環境であった。

デスクでスマホを弄っているとソシャゲのソの字も知らないジジイから雑な辛みが飛んでくる、喫煙所に逃げるためにタバコを吸い始めるのに時間はかからなかった。

「できないうちは誰よりも努力するものだ」

休日明けまでにこれをできるようになってこい

家に仕事の資料を持って帰ってロープレの組み立てをすることは普通であった。

当然休日や退社後の時間がつぶれるほどの難題はなかった、とだけ言っておく。

8月の終わるころには家には仕事の資料が散乱していた。私が掃除や整理、整頓の類が苦手というのが原因のほとんど大半であることは内緒にしておきたい。

そんなときに友人を一人、家に泊めた。金曜の、最高の社での飲みの後、アテナに寄った際に引き連れた。ゲームバー、のちに我が家、つまりは社員寮、そしてドラクエ11

その翌日、泊めた友人と遊び、その日は友人の部屋に泊まった。

 

友人の部屋はオタク部屋だった。

特にフィギュアが目立つわけでもタペストリーポスターが貼ってあるわけでもなかったが、とにかくゲームや漫画が多かった。

自分はこういう生き方がしたかったと、心底思った。部屋に好きなものを集めて、棚に飾って、そういう部屋に住みたい、そういう部屋を作りたいと思った。

 

それからしばらくは本集めを続けた。実家にいたころに読んでいた漫画の続きを買った。とらのあなメロブをはしごし、好きな本を買いまくっては目につくところへ並べて、置いた。普段レンタルで済ますAVも中古の奴を何本か買ってそろえた。見た記憶はない。再生せずに捨てた。

自分が好きなものは、言うほど好きなものでもなかったので、収集コレクトはすぐに終わった。

 

たぶん、同じころ、友人とカラオケの際に、BUMPの曲を聴く。

BUMP、存在は知っていたが音楽に関心が薄い私は天体観測くらいしか知らなかった。

初めてそれ以外のBUMPを聴いた。

ほかの曲も聴き漁った。

私は、BUMPのおかげで、なんとか生きている気がした。たぶん無くても生きていたと思うけど、なぜだかそう思う。

 

 

秋口、仕事のほうはどうかというと、病みかけていた。なにが結果につながるのかわからずがむしゃらで、私よりも愛嬌がある器用な同期はどんどん数字をあげていっている。上司もその同期につきっきりであった。

あまり頼りない先輩に頼り、質問し、なんとかしたいと思っていた。

冬に少し、結果が出た。あまり私は頑張ってない、上司が拾い上げた一件だった。

周りは祝福してくれたが、なにもうれしくなかった。なにがおめでとうだ詩にさらせ。

 

「おめでとう」

「これから頑張ります」

「ははは、じゃあ今までは頑張ってなかったんかい、はははははは」

 

さぁここで悲劇のピークである。

 

この営業は電話でアポイントを取ることから始まる。だいたいの人間が月に5,6件、新人は「行って勝負になるかどうか」が重視されなかったので、つまり簡単に外に出られたので、新人とベテランで大きく差が出ることはなかった。

 

私は二か月まるまるアポが取れなかった。

一件は取れてたかもしれない、忘れたが、たぶん勝負にならなかったから忘れたかもしれない。坊主は坊主だ。

かなり、そうとう病んだ。

私が坊主をこいてる間に周りはなんとかアポを取り続けている。

どうなってるんだ

本当にあのとき私はどうなってたんだ、意味がわからん

 

とりあえず存在が後ろめたくなってきたのがそのころ、1月の半ばである。意味がwあからん。

成果が出ません、なんとかします

そんなこんなで、運命の日のちょっと前、1月24日である。

 

私の誕生日である。

会社は、私にケーキを用意してくれたのである。

 

全員の誕生日に、それは送られる。プレゼントも送られる、私はネクタイをもらった。とにかく誕生日であった。

会社でのケーキ、私は、それは、それは、嬉しそうに喜び、楽しそうに食べた。糞が。死んでしまいたさが高まる。限界は、たぶんそのころ。1月24日、水曜日

その週の金曜日、私は外回りの準備をするように言われた。私はアポがとれなさ過ぎて、一日をかけて外回りをするように言われた。

私は、なんとなく、心が死んでいたので、特に喜びも悲しみもせず、淡々と準備をそろえた。

自分の顔写真つきの会社の宣伝文、ビラ配りみたいな、ポストに入れて回って、翌日以降に電話をかける、その準備、印刷、地図の準備、宣伝文句の考案、土曜日、日曜日、遊んで、そろえて、月曜日

月曜日、朝

私の会社は7:30出社なので7:15分に家を出ないと間に合わない。いつもは6:30には起きていた

1月29日、月曜日、7:02分

ベッドの中、体が動かない

 

 

 

 

そうだ、精神科に行こう

 

 

 

 

スマホから夜でもやっているメンタルクリニックを検索、翌日、1月30日、火曜の20:00に予約を入れた。

特に、眠れなかったわけじゃない、ただ、つらかった

医者には眠れない、鬱だと言った。医者はただの薬屋だった、別に話を聞いてほしいわけでもなかった。すべて自分の怠慢だと思ってたし、そんな懺悔室みたいな話を他人にする気もなかった。

睡眠薬抗不安剤。眠れるけど、抗不安剤の効果はなかった。不安がどんなメカニズムで消えるか想像できなかった。

 

仕事を辞めるくらいなら死のうと思っていた。

いや、辞める=同期に対して負けを認めることだと思っていた。それは嫌だった。なんなんだ。

「勝敗がつけば終わるなら負けを選んで、それでも息する」

「生まれたらどうにか生き抜いて」

 

とりあえず、2月6日、限界が来る。限界だった、内臓に重力がかかっていた。体が重かった。

辞めると言ったら、上司は少し驚いてたか?わからなかった。他人の表情がよくわからなくなっていた。

 

軽く説得された気がする

薬屋の診察時間までに話を切り上げたかった。また後日、結局その翌日だったが、再度話し合おうということになった。

 

上司は、私の限界と感じた話を聞くと、いろいろぶっちゃけた。

 

ほかの同期のアポなんてクッソ軽いぞ、意味もないものだった。

俺があいつばっか目をかけてるのは、ひとまずあいつを上にあげてからお前の面倒をみるつもりだった。

俺のアポも軽い奴ばっかだ、この前2時間話したって商談あっただろ?あれ実は会えてすらいないんだよね。

 

こんな感じだった気がする。

 

そうなんですか安心しましたもう少し頑張ります

 

 

 

辞めます。

ネタバレをされたうえでも楽しめるという話

皆さんはネタバレについてどう思うだろうか。

 

昨今ではSNSの普及も相まってか、そこいらじゅうに何かのネタバレが転がっており、また意図せずしてそれらが目に入ってしまう時代である。

そんな中で、私はネタバレはあんまり気にしないなぁーって思ったので、ネタバレされても楽しめる心境について語っていく。

 

私がネタバレをしたうえで楽しめた作品を挙げていくと

 

グリーンマイル』ではジョンが処刑されるのを知っていたし『シャッターアイランド』では主人公が精神病患者であると知っていたし『ミスト』では最後一家心中を図っている最中に助けがくることを知っていた。

ドラッグオンドラグーン』では最後に東京タワーにぶっ刺さるのを知っていたし、『さよならを教えて』では主人公が精神病患者であることを知っていた。

 

こういった、その衝撃の結末が肝な作品でもなんとなく楽しんできたわけである。だいたいどんな結末でも、そこに至るまでの過程や、至った後の雰囲気(モブの反応とかエピローグ)もたいてい面白いものであったりする、むしろ結末よりもそっちのほうが面白い。

 

ここまで書いて思ったのが、ネタバレが視聴者に与える影響って「見る動機、モチベの減少」がほとんどじゃないのか?

だとしたらこの文章の意味とは。

ネタバレされててもだいだい面白いからみんな上記の作品群を観てください、あとDokiDoki Literature Clubはできるだけネタバレを回避してください。more better than

 

VTuberを『観る』『推す』~個人系が好き~

このブログを開いているということは、何かしらの形で『VTuber』を観ている、もしくは興味がある方がほとんどだろう。

ここでは昨年末からどハマリした私のVTuber事情を軸に、VTuberを『観る』こと、『推す』ことについて語っていく。


私がVにどハマリしたのは昨年の12月初め、きっかけとなった者『電脳少女シロ』について話していこう。f:id:sonjowehrwolf:20180510144742j:plain


電脳少女シロを運営しているのは株式会社アップランドという企業である。

この企業がシロを作ったきっかけは「キズナアイさんを見て、面白そうだと思ったから」であり、商業的な思惑はほとんどなかったと思われる。企業案件も無ければ広告も付いていない、続けるだけコストがかさみ、言ってしまえば『いつ活動休止になってもおかしくない』運営方針だった。


しかし人気に火がついてからの運営会社の手腕は、今までの方針とは打って変わって目覚ましいものがあった。

未配信のスマートフォン用アプリ『禍つヴァールハイト』とのコラボ、抱き枕カバーなどのグッズ販売、さらにVTuberとしては初となる地上波進出など、筆舌に尽くしがたいプロデュースを見せる。



しかし、ここからが本題なのだが、VTuberとはシロちゃんのように後ろに企業がついている者ばかりではない。

企業プロデュースなどほんのひと握りであり、多くは個人活動である。

そして個人系VTuberは、人気に火がつく前のシロちゃん以上に『いつ辞めてもおかしくない』という特色が強い、ように思う。

ウカ様こと届木ウカは旅先で体調を崩すし、乾伸一郎は社畜だし、微糖カイジはついに著作権違反でBANされてしまった。(ウカ様は最近VTuber事務所所属になったが)


ここで私が言いたいのは、推しの動画は『観る』だけに留まってるのは如何なものだろうか、ということだ。

リアルが多忙、費用の関係、活動縮小からのフェードアウト、ネタ切れetc...

VTuberをやらなくなる理由はある。もっとその人の動画が観たいのなら、動画にコメントを残し、本人にリプライだって送っていいしマシュマロを投げてもいい。投げ銭は余裕があったらで。


私は今でもシロちゃんは大好きだし、にじさんじも大好きだ。

表に出づらい個人がVのガワを借りてやりたい放題してるV界隈が大好きだから、推して推して出来るだけ長く続けと思っている。


ふたなり好きと男の娘好きではどちらがホモに近いか

 はじめまして。今回書いていこうと思うのがふたなり好きか男の娘好きではどちらがホモに近いかという、非常にデリケートな話題を取り上げたいと思います。下手な文をうてば一部の狂人マニアックから殺害されそうなテーマですが、匿名性をいかんなく活用しズバズバ論じ上げていきます。結論から言うとふたなり好きのほうがホモです。

 

「え!?ふたなりって女の子でしょ!」って思う方もいると思います。「ホモじゃないじゃん!」とか「俺ホモじゃねーし!」とか。ご安心ください、ホモに近いってだけです。

そもそもふたなり好きって、なぜ普通の女の子じゃ物足りないんでしょう?答えは明白、チンポが好きなんです。ふたなり好きは女の子のチンポをしゃぶりたいとすら思っています。

女の子にチンポがついてる、その異様さと背徳感、自分と同じ物で快楽を得る女の子の姿に悶え慈しむのがだいたいのふたなり好きの総意だと思います。ちょっと具体例としてフタレターを挙げておきましょう。

 

この記事にアクセスするマニアックに対しフタレターの詳細を申し上げるのは釈迦に説法も甚だしいかと思いますが、迷い込んでしまった子羊をこの邪教へ導くためにお付き合い願います。

まずフタレターを簡単に説明すると、ふたなりで巨根な女の子が農家のおじさんのたくましい腕でチンチンを扱かれあられもない嬌声をあげ快楽に墜ちていきます。めっちゃ喘ぎます。みさくら語で。

先ほど述べたように、ふたなり好きは女の子が自分と同じモノでアンアン喘いでる姿に興奮するんですね、変態です。女の子が悶える姿がみたい、それもチンポで悶えてほしい、というのが一般的なふたなり好きです。その裏付けとして、ふたなり作品に出てくるふたなりは殆どが巨根です。これが僕がふたなり好きがチンポ好きという自説の根拠です。

まぁ、なぜ人はふたなりが好きなのかって話はここらで切り上げて、次へ行きましょう。

 

次に男の娘好きについても論じていきます。

男の娘好きは、男が好きなわけではない。雌が好きなんだ、ということです。男の娘好きは女、もとい雌が好きなんですが、普通の女の子では物足りない、そんな人たちです。男の娘作品を多く閲覧している歴戦の勇者であるならばお気づきかもしれませんが、殆どの作品でチンチンにはノータッチ、またソフトタッチです、主にアナル攻め、乳首攻めが作品の肝となっています。

これはどういうことかと言うと、雄の象徴であるチンポなんて俺たちゃ興味ねーぜ、このかわいい子が穴を穿られて雌堕ちするのが溜まんねーんだ、ってわけです。

考えてもみてください、女が雌になるのなんて当たり前でしょ?男が雌になるからいいんでしょ?我々は雌を求めてる、雌になりえないはずの存在が雌に堕ちるのを渇望してやまない。だから男の娘のチンポは巨根として描かれることはまずありえません。飾りみたいなもんです。

 

乱雑な文で恐縮ですが、まとめると

ふたなり好きは女の子の中にある男性的なもの(チンポ扱かれて感じる描写)が好きです。

男の娘好きは男の子の中にある女性的なもの(アナル攻められて感じる描写)が好きです。

これらを踏まえると、ふたなり好きの求めているもののほうがよっぽど男寄りなんですね。私からは以上です。殺害予告は受け付けてないです、申し訳ない