Azul

読書と散歩。ネコとうさぎが好きです。人生の備忘録と遺書がわりに書いています

母のほほえみサービス

居間の入口横にある電話台。ちょうど立って電話をかける目線の先に「ほほえみサービス」と書かれた小さなポスターが貼られていた。

70歳になる一人暮らしの老人のために、市が提供しているサービスがそこにある。

築30年の公団団地。

台所が西日で、オレンジ色に染まっていた。

気が強い母は、生まれた時から後家相なんだと口の悪い叔母が言っていた。

女が仕事をするなんて、よほど貧しい家か未亡人くらいの時代に、母は職業を持った女だった。家のことができて当たり前、仕事は3倍やってやっと男の半人前。

そんなしっかりものの母親が、いちばんきらいなのは「ほほえみ」。

女が愛想いいだの、かわいいだのと言う男が大嫌いで、人にも迷惑かけることはしないけれど、人から手を出されるのもおとといきやがれという性分。だから、よく言えばおっとり、母に言わせればヌケ作で欲のない私は、ただの愚図坊だ。

そんな母が、「ほほえみサービス」をどんな気持ちで壁に貼ったのか。

母を一人家に残すことなんか、これっぽっちも後ろめたくなかった。だって、私は自分がただの愚図だと思いたくなかったから。

母みたいな女になるのはごめん。人と仲良く、夫を立てて温かい家庭を持って、子どもが帰ってくるときには、手作りのおやつで迎えてあげるんだ。



母は今、一人で病院にいる。

本人はすぐに退院するつもりでいるけれど、母の病状はそんな楽観することなんかできない。



娘はいるけれど、一人暮らし。

几帳面な母の、整頓された部屋を見渡すと、一緒にいたころは息苦しくなにもかもが不愉快だった部屋の重みが感じない。

そこにあるのは、老女が電話の前に立つ姿の残像だけだ。



いろいろなことをやり残したままで、私はここから出て行ってしまった。



母の着替えをカバンに詰めていたら、母と小さなおにぎり屋さんに、二人でおにぎりを買いに行ったことを思い出した。母は、私にあのころ流行ったお風呂セットを買ってくれて、夜は、町はずれの飲み屋の横にあるおにぎり屋さんまで、おにぎりを買いにいこうと言ったんだ。

夜におにぎりを買いにいくなんてことが、初めてだったから私はひどく喜んだ。

二人で手をつないで買いにいったことが忘れられない。家に戻って経木を開き、木枠できれいに型抜きされたおにぎりは、母が作るものとは味が違った。

あの日は、母の布団に入ることを許されて、私は母と一緒に寝た。

どうして、そんなことを考えているのかわからない。母の温もりを思い出そうとしても、難しいけれど、あの夜のことは何年経っても忘れない。



母に誰かが微笑んでくれたのだろうか・・・

母は、誰かにほほ笑んだのか。



それから数年経って、母はあっさりと逝ってしまった。

すでに、脳死状態で、いつ人工の呼吸器を取り外すのか待つだけだった。

その時がきても私は泣けない。

母の体のリズムを示す数値が、あがったり、さがったり、それからゼロになっていくのを眺めていただけだ。



葬儀が終わり、49日も過ぎ、

私は夢をみた。



夢の中の母親は、若いころの母だった。



クレヨンで私は家の絵を描くと、爪でそれをかきむしり、爪からシャワーのように血があふれていた。

家を返してほしくて、私の時間を返してと泣き叫んでいた。

母は、大粒の涙を流しながら、「お母さんが悪かったから、もう自分を傷つけないで」と何度も私に謝っていた。

私は自分の泣き声で目が覚めでしまった。



母は、一度も私に謝ったことがない人だ。

二人の間にどうしようもない溝ができているのを、母はずっと私のせいにしていたから。



それっきり、母の夢は覚えていない。

たまに見ることがあっても、穏やかなものに変わってしまった。



母を思い出すと、ほほえみの文字が浮かび上がる。

ひまわりの絵とともに書いてあったその番号に、母がかけたことがあったのかわからない。

今は鬼籍にいる母。

倶会一処でまた会ったとき、ほほえんでいる母の顔がみたいのだ。

そんな風に愚図坊の娘は願っている。

マディソン郡の橋



 「恋とは落ちるものだ」とは、すでに古臭いニアンスになっている。 世界的なベストセラーになったこの「マディソン郡の橋」、私は号泣してしまった派。

作者が限りなくナルシストなんだなという嫌みな感じはさておき、ロバート・ジェームズ・ウォラーが描写する、主人公のロバートが好きだ。

 彼が好きなものには、skyとblueがある。空の青さも魅力だが、その言葉を口にしたとき、発声するための舌の動き、空気の走りに心奪われるという。 そんな彼は大人になってから写真家になり、アイオワにある屋根付き橋「ローズマン ・ブリッチ」を撮影にしにきた。

 フランチェスカは、イタリア人。戦後イタリアに駐屯していた米兵の夫にくっついて、アメリカの田舎へとやってきた。夢みがちな少女もいまではすっかり農夫の妻が板についている。 時代は1965年。牛の品評会に子どもと夫が出かけてしまい、4日間一人で過ごす間のことだった。二人は出会い恋をし、そして別れた。ただそれだけの話し。 

フランチェスカは平凡な家庭の妻であり、そういう自分が好きだったのだと思う。戦後という混乱期に、安定した生活を求めて結婚。夫のジムは誠実な農夫だし、子どもたちもいる。 だけど、ずっと見ないにしていた自分の気持ちが、変わり者だけど、自分の孤独を否定しないロバートと出会ってしまったことで、あふれてきてしまったのだった。 

「いい妻」「いい母」ではなく、「自分」を見つめた4日間。ロバートは、フランチェスカの丸裸の心と体を全部抱きとめてしまった。 それは、アイオワの田舎で暮らすには、必要のないもの。そうフランチェスカが決めて隠してしまったものだと思う。 しかし、主婦への顔に戻る日が来た時、来た時と同じように、ロバートは一人でアイオワを後にするのだ。 その後、フランチェスカの日々が戻ってくる。年を取り、夫の介護をする彼女に、ある日夫はこんな風に言葉をかけるのだ。 

「僕では幸せにできない君の情熱があったんだね」と。朴訥な農夫だと思っていたジムだが、この言葉で、フランチェスカを愛していたのだなと感じる瞬間だ。 

だからこそ、彼女はロバートではなく、ジムとの生活を選んだのかもしれない。 夫婦に濃厚な営みもなく、男女がむき出しの愛情もないかもしれないが、長年寄り添って家庭を作ってきた者にしかわからない絆の重さがあるのだと思う。 

ロバートもフランチェスカも若くない。きっと容姿にしても、どこにでもいる中年。恋が始まり終わるまでの4日間を、これほど濃厚に書きあげたのは、見事だ。 恋愛で始まった結婚もやがて、その熱が冷めるときがきるのかもしれない。 愛しさはあっても、狂おしさがなく、激しい性はなくても、労りがある。 関係に是非はないけれど、胸に秘めた恋の後始末は、静かでいつまでも心に残るものだった。

映画「オーバー・ザ・ムーン」人妻の夏のアバンチュール



幼稚園の頃だったと思う。父親の膝にすわりこんで、一緒にテレビを見ていた。人類で初めて月を歩く男を見るために。 モノクロの画面に映るその人について、ドラマか事実か、幼すぎてわからなかった。父親の興奮した声だけはほんとだったのだろうと思う。

 映画「オーバー・ザ・ムーン」は、ちょうどその時のアメリカだ。

私の中ではダイアン・レインの傑作。俗にいえば、人妻のひと夏の過ち。高校生で妊娠してそのときの彼氏とささやかな家庭を作った、ダイアン演じるパールは、義母と娘、息子を連れて、夏のキャンプ場にやってくる。 

夫は仕事で忙しい。電気修理をしている彼は、月面着陸を見るためにテレビ修理が殺到しているから、家族と共に避暑地にはいかれないでいる。 そして、このキャンプ場にくるのが、風来坊のシャツ売りの男。ヴィゴ・モーテンセンが演じるウォーカーだ。

 ハンサムで押しつけがましくない彼は、キャンプ場にいる奥様たちにとって、安全にときめかせてくれる相手。パールも、ちょっとだけ解放感を味わいたいと思って、地味な家庭の主婦の記号をはずす、ブラウスを選んだだけだった。 でも二人は恋に落ちてしまった。

必死に主婦であり妻であり母親の自分と切り離そうとするけれど、パールの中に目覚めた自分の気持ちは、抑えられないでいた。

 映画のもう一つのメイン。「ウッドストック

 保守的な田舎で育ったパールは、恋にも性にも無知だった。だから、初めて恋した相手と初体験をして、妊娠。それが娘。その相手は、妻と娘を養うために高校を辞めて、仕事に打ち込む。そして15年がたち、自分が女であることを思い出した瞬間が訪れる。

 母であることも妻でることも全部忘れて、自由奔放に恋愛を楽しみ、ヒッピーたちと一緒にウッドストックを楽しむパールは、ただの無責任な女に見える。

 自分らしく生きることと、家庭の主婦は相反することなのか、生活だけに埋没していたパール自身が、明けてしまった扉の向こうは、あまりにも無秩序だ。 これほどまてに女の官能を表現できるパールを、夫からすると、15で妊娠した少女のままでしか見えないというところに悲劇が生まれる。 

パールの苦悩は物語でこれでもかと出るけれど、夫の苦悩は、あまりにも軽く表現されているが、彼にとっても恋人が妊娠したことで、あきらめてしまったことがたくさんあるわけで、それを見ないためにも、仕事に没頭してきたのがうかがえる。 

つむじ風みたいなウォーカーの存在。 

 


原題は、「A Walk on the Moon」 今となっては、あの月面着陸は、ハリウッドの映像だとも聞く。 まるで夢のようなその歩みのはかなさが、パールの心情そのもののようで、忘れられないタイトルになっている。