『天気の子』ファーストインプレッション

新海誠の最新作『天気の子』は、確実に『君の名は』の地平線上にあり、しかしながらそれとは一線を画した、彼のエゴが詰まった作品だった。

 

『天気の子』は「天気」を描いているようで描いていない。新海誠は彼の作品の中で一貫して「天気」の描写を取り入れており、それ自体が彼のパーソナリティの一部になっているように思える。その「天気」そのものをタイトルに冠した本作であったが、「天気」の描写は極めて表層的な機能に留められていた。

 

結局のところこの作品はボーイミーツガールの物語で、少年と社会の対立を描いており、天気はその付加要素でしかない。そこに勿体なさを感じてしまうと同時に、それでも新海誠が描こうとしていたものは遺憾無く、この上なくストレートに伝わってきたので清々しく観終えることができた。

 

本作では『君の名は』同様に、徹底したリアリティレベルの追求がなされていた。それはかつての新海誠作品が少なからず内包していたノスタルジーを削ってまで追求されたものであったように見えた。それは紛れもなく『君の名は』以降の新海誠であり、またそれによって獲得できたものも確かにあっただろう。

本作では舞台を東京に絞っていた分、より高度なレベルでの「再現」がなされていた。単に風景のディティールのみならず、都市の喧騒や匂いといったものまで「再現」されていたように感じられたが、その風景はそれでも明らかに現実とは異なる。

あの世界は例えば新国立競技場とシネマサンシャイン池袋が共存する世界であり、その矛盾が我々にそれが確かにフィクションなのだと感じさせてくれる。新海誠は以前から意図的に物語世界に矛盾を作ろうという試みをしていたが、それが本作で昇華されたように感じられる。

また、そこまで徹底してリアリティレベルを追求して作り上げた東京を、しまいには水の底に沈めてしまうことによって、その「選択」の重みを際立たせることに成功した事は評価すべきだろう。

 

そもそもこの作品に「選択」なんてものは元より存在しないのかもしれない。帆高が逃避行の末に鳥居を潜りながら祈りを捧げたことだって、ヤクザや警察、それらを内包する社会に対して引き金を引いたことでさえ、彼にとっては必然的で、他に秤にかけるものなんてなかったように思える。16歳の彼にとって世界とは、彼の手が届く範囲のものでしかなく、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。

 

僕にとってこの作品は、それが始まった瞬間から既に転がり始めており、結局はあるべきところに行き着いた作品に見えた。そこに作品としての正しさ、世間に対しての正しさなんてものはなく、あるのはただ彼と彼女にとっての正しさでしかない。「君と共に困難を乗り越える」ただそれだけの物語だが、そこには確かに彼らの、そして新海誠のリビドーが感じられた。