壊れた橋を創りなおす

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2015年M1優勝のトレンディエンジェルが最高に面白かった件

少し前の話題ですが2015年M1の感想です。

2015年のM1はトレンディエンジェルの優勝で幕が降りた。

トレンディエンジェルの漫才に、私は腹を抱えるほど笑った。

文句なしの優勝だと思う。

ところが、まわりやネットの反応を見ると絶賛の意見ばかりではなかった

トレンディエンジェル批判派の意見は大体3点に絞られる

・ネタを見せるというより勢いで喋っている感じだった

・漫才の構成をしっかりした人に勝って欲しかった

・ハゲキャラの個性で笑わせるのが不快

3点に共通して言えることは漫才の技術が高い人に賞をとってほしかった
ということなのだろう。

ではトレンディエンジェルは漫才の技術がほかの演者たちに比べて低かったのだろうか?

答えはNO

漫才には仕掛けがある。

ネタをつくるにもコンビの喋りをあわせる練習にも多大な時間が必要である。

トレンディエンジェルの漫才は、そういった要素を視聴者に悟らせない仕掛けをしているのだ。

なんで漫才をつくる努力を視聴者に悟らせてはいけないかって?

そんなもの一般の視聴者にはあまり興味をひくものではないからだ。
(同業者、芸人のファンやお笑い好きには興味あるだろうが)

例えばラーメン屋のこだわりがある。

「渾身のスープをつくるために厳選したガラを使っていて…etc」

そんなこと食べている最中に店員から言われたとしても「こだわっているんですね…」としか返せない。

美味しかったらまたくるだろうし、口にあわなければもう行かない。

残酷ではあるけれど、それまでの話。

「このネタは考えこまれてるな」「セリフ覚えるの大変だっただろうな」
こう感じる漫才は、技術の高さをアピールされているような気持ちになる。
例えのラーメン屋ではないけれど「こだわっているんですね…」という感想以外はでてこない。

商品を受ける側がつくり手の苦労を考える必要はないのだ。

トレンディエンジェルは技術があることを悟られない技術があったのだなと思う。

トークのテンポが速く、個性の強いキャラを前面に押し出ていて、漫才の構成がどういった構造をしているのかを視聴者が考える隙をあたえさせなかった。

また日本人なら誰でもわかる日常的に使われる言葉を選んでいることもよかった。

漫才のテンポをリードして視聴者の代弁であるツッコミを強烈に体現したたかし。

「個性の強いキャラを演じる」ことを徹底的にやりきった斉藤さん。

リアルタイムでは視聴者に悟られなかった漫才の構成は、斬新といえるものではなくオーソドックスなものだったが、
自分達にできる笑いをこれほどかと詰め込んだ漫才だった。

トレンディエンジェル批判派は構成やネタの斬新さで見せる漫才が好きなのだろう。

私はそういった漫才は、漫才の技能を見せる事を目的とした漫才にしかみえない。

本来は、観客を笑わすことを目的とした手段として漫才があるのではないか?

「理屈はわからないけどなんか笑える」 腹を抱えてわらうような漫才が私は好きだ。

トレンディエンジェルが優勝して本当に良かったと思う。