艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

小ペン画ギャラリー-40 「近作・四月‐その2 蛇体その他」

 今日から台所の改修工事が始まった。少し間をおいて次はリビングの壁紙張替えその他。しばらくイレギュラーな生活となるが、そんなこととは無関係な今回の投稿。

 

 今回投稿する10点は、4月12日から20日までの9日間に描きだしたもの。9日で10点だから、まあ、ハイペースだ。最小が14.5×10.6㎝、最大が19.9×15㎝だからペン画としてはそう小さいサイズではない。

 流れとして、ある作品のイメージから次の作品が導き出されるということもあるし、関連性のないこともある。基本的に、テーマやモチーフや方法といった個人的(?)な範疇における連続性には、あまりこだわらないようにしている。繰り返しは好きではないのだ。結果として見えてくる不連続性の方が望ましい(それは内在するバリエーション性の豊かさだから)。それでも垣間見えてくる連続性があれば、それはそれとして自分なのだと認めるのが自然だ。

 ともあれ、四月の作品は全点掲載と決めた。そうでなければ掲載しなかったものも何点かある。というわけで、九日間のイメージの連続性と不連続性を眺めてみた。

 

 

 766 春の鏡 (皮膚は美しき服にあらずや)

 2024.4.12-19 12×16㎝ キャンソンラビーテクニックに水彩・ペン・インク

 

 佐藤春夫の詩集(『殉情詩集 我が一九二二年』(講談社文芸文庫)を読んでいて、「『ツァラトゥストラ』及び『トルストイ語録』の訳者に感謝す」と副題のついた「詩」という作品の一節「皮膚は美しき服にあらずや」から生まれたイメージ。

 当時の新思潮であったバーバリズムや、そこから派生したヌーディズム(裸体運動)などとの関連もあるようだが、そこにはあまりこだわらず、オリジナルな発想を加えた、似ても似つかぬ、変奏。アンドロギュヌス

 いずれにしてもあまり良い出来栄えとは言えないのだが、今回はすべて時系列に出すということなので。

 鏡のような白い形は、水彩の下彩の際の塗り残しの形を見立てたもの。少々苦労した一点。

 

 

 767 帰元‐悲(あわ)れみ

 2024.4.12-15 19.9×15㎝ キャンソンラビーテクニックに水彩・ペン・インク

 

 描かれているのは、結果として観音菩薩だとしてもよいのだが、観音菩薩として描きだしたものではない。曖昧に言えば「菩薩性」とでも言うべきか。

 田舎の山村などを歩いていると、ときおり路傍に、よく見ればそれと知れる地蔵や観音を刻んだ小さないくつかの野仏群を見出すことがある。墓地というほど整備されたものではないが、いわゆる野墓といわれるもの。

近づいて見れば、文化文政といった年号とともに、「帰元」とか「帰一」、「帰空」、「同帰」、「同帰元」といった刻字が刻まれたものがある。死後は元に帰り、同じところに帰り、一つになり、空となるという、いずれ仏教思想由来の語ではあろうが、そこに六道とか輪廻転生といったおどろおどろしい思想の影は見出せず、どちらかといえば祖霊信仰、集合霊信仰といった、神道以前の古い日本の感性に触れるような気がする。

 いずれにしても、タイトル(=テーマ)は完成後。上記のようなことを想起して付けたものである。

 なお、観音菩薩の特徴である「慈悲」をひもとけば、「慈(いつくしみ)」と、「悲(かなしみ)」ではなく「悲(あわれみ)」と読むべきことが腑に落ちるような気がする。

 

 

 767-2 参考

 

 檜原村茅倉は山腹にへばりついているような集落だが、その路傍にあった野墓。風情である。

 左は夫婦(両親の供養塔=墓標)で「會」とあるのは「倶会一処(くえいっしょ)」の略ではないかと思う。極楽浄土に往生したものは、仏や、この場合は夫婦が同じところで出会うという意味。

 上の二つの墓標には「同㱕」「同𡚖元」の刻字が見える。「㱕」「𡚖」は「帰」の異体字

 

 767-3 参考:同前

 

 前図の右上の墓標。「○○信女」等三人の戒名。上部の「同𡚖元」の𡚖は「帰」の異体字。夫婦、子供、いずれ同じところに帰る。享保4年1719年の造立。

ほんのわずかに小首をかしげ合掌する、おだやかな菩薩。300年野ざらしでありながら、状態は良い。

 

 

 768 晩餐

 2024.4.12-15 17×15.2㎝ ワトソン紙に水彩・ペン・インク

 

 YouTubeはほとんど見ないが、リール動画は多少見る。AIが勝手に推薦して、アウトドア系、サバイバル系、ワイルドクッキング系の動画がやたらに流れてくる。いいかげん飽きたが、まあ嫌いではないから、たまに見る。そうしたことで何となく出来上がったイメージ。でも制作の主役は、ペンの動かし方といった、技術的な面白さのようだ。

 ここから、物語が作れそうではあるが、あまり未来は感じられないかも。

 

 

 769 無題(悲の器)

 2024.4.16-23 15.1×11㎝ アルシュ水彩紙に水彩・ペン・インク

 

 最初のイメージスケッチに「悲の器」と添え書きしてあった。『悲の器』といえば高橋和巳の代表作だが、読んでいない。この作品とも関係がない。魅力的(?)なタイトルだけが浮いている。

 何となくイメージ的に中途半端なまま完成してしまったという印象。だからタイトルは「無題」だけでよいのだが、そうした場合でも、なるべく副題のようなものは記しておきたいと思っているので、そのままにした。そういうこともある。

 

 

 770 蛇体

 2024.4.17-19 19×14.5㎝ アルシュ水彩紙に水彩・ペン・インク

 

 この絵を見たとき、女房は「ゲッ!」と言って、複雑なひきつった微笑を浮かべつつ、目をそらしていった。後の3点も同様。

 まあ、その気持ちはわからないでもない。多くの人に忌避され、おぞましく思われるモチーフというのは、文化云々といわずともいくつかある。実際の蛇は私も苦手だ。一人で山を歩いていて遭遇して、覚えず「ギャッ!」と叫び声をあげて飛び上がってしまうくらい。しかし、冷静に見れば、すばらしい造形的な魅力を持った存在であることも認めざるをえない。

 なぜわざわざこんなものを描いたのかと言われれば、それは天使が送り届けてきたからだとしか言いようがない。ある時、唐突にこの完成形のイメージで降りてきたのである。

 途中から、エデンの園でイヴに知恵の実(リンゴ)を勧めた蛇や、人面蛇体の宇賀神などのイメージとつながったことは事実だが、モチベーションの実質としては、ない。しいて言えば、複雑にこんがらがった有機性といったものを、冷徹に描いてみたいという純粋に(?)造形的かつ技術的な衝動が、私を面白がらせた理由だろう。

 

 

 771 南国の見知らぬ神

 2024.4.18-22 14.5×10.6㎝ 雑紙に水彩・ペン・インク

 

 順序としては蛇体シリーズ(?)の後に置きたいところだが、今回は制作順に出すと決めているので、この位置のまま。

 内容的には特に言うことはないのだが、きっかけとしては、友人がひと頃しょっちゅう話題にしていた、彼のFB友達のドミニカ女性とのやりとりのこと。むろん私には何の縁もゆかりも見たこともないのだが、連日熱く語るその友人のおかげで、何となくこんな異国の神だか、巫女だか、女性像が降りてきてしまった。無理やり押し付けられた、一種の集合的無意識

 絵画用ではない正体不明の描きにくい紙に苦労したせいで、珍しくやや積極的に色鉛筆を使ったところが、収穫といえば収穫かも。結果としては、そう嫌いな絵でもない。

 

 

 772 蛇体のをみな

 2024.4.18-19 15.7×12.6㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 再び蛇体シリーズ。前掲の男性形の「770 蛇体」を描く過程で、対というわけではないが、女性型の蛇体が自然に出てきた。

 2点並べて制作していると、本作が娘道成寺の「清姫」に見えてきて、前作のタイトルを「安珍」にしようかと一瞬思ったが、さすがにあざといような気がして、やめた。

 

 

 773 双蛇体

 2024.4.20-22 18.6×13.9㎝ アルシュ水彩紙に水彩・ペン・インク

 

 複雑にこんがらがった有機性を冷徹に描くというのは、やってみると予想外に面白い作業だった。それはそれで、その先に何か新しい世界もあるようにも思われた。

 それはそれとして、男性形単体、女性形単体とくれば、次はどうしても双体となるのは必然(?)。蛇体を描くという気持ち悪さ(?)は相変わらずだが、これも造形のため(?)といった心境で、ほぼ根性で描いた。

 

 

 774 蛇精

 2024.4.20-23 16.5×12.7㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 さすがに蛇体を描くことに疲れ、飽きてきたのだが、何かやり残したことがあるようが気はしていた。それはクリムトやラファエル前派、象徴派が描いたようなファムファタル(男を滅ぼす悪女/運命の女)の比喩としての蛇体。

 うーん、ここまできたら描くしかないかという感じで、これが最後だと取り組んだのが本作。複雑な造形性という点では、やや力尽きて単調になった感はあるが、まあイメージとしてはある程度やりきったかなという気はした。

 そういえば中上健次に『蛇淫』という小説もあった。昔読んで面白かった記憶はあるのだが、内容は忘れた。この絵と関係あるのかな?

 

 

 775 無題(父祖‐JIZOU)

 2024.4.20-23 18.8×13.3㎝ 水彩紙にペン・インク

 

 蛇体を描くことに疲れたからというわけではないだろうが、何のイメージも持たず、黒い下彩の洋紙を見ていたら、ぼんやりと浮かび上がってきたフォルム。

 茫洋とした大男。祖霊、父祖、集合霊といった言葉が明滅する。まとまらない。紙上のニュアンス、にじみなどを手掛かりに、肩の上の子供(神?)が現れ、それが増える。まるで水子地蔵ではないか。私は水子地蔵というイメージは好きではないのに。

 だが父祖の集合霊としての祖霊にしたところで、要するに子孫を見守る存在ではないか。子を守る地蔵という役割(?)のイメージは、そうした前神道的感性を外来宗教としての仏教がスムーズに肩代わりしたものでもある。だとすれば、本作のイメージが父祖の祖霊であれ、地蔵であれ、同じことだと思った。

 今一つ洗練(?)されないまま終わったという気はするが、まあ一度は描いておくべきイメージだったのだろう。これはこれで。

 

(記・FB投稿:2024.5.8)

小ペン画ギャラリー-39「近作・四月‐その1」+近況

 四月はとうに終わり、はや五月。前回の投稿から一ヶ月以上空いた。

 忙しかったといえば忙しかった。重要(?)な来客が相次いだ。二人目の孫の宮参り。自宅の台所と居間の改装の話も進行中。飲み会のお誘い、家事、雑事、等々、以下略。

 美術館へは三回。いずれも予想を超えて良い内容で、いまだ充分咀嚼できていない。

 おまけに春はたけなわ。食用の野草・山菜も待ったなしで採りにいかなければならず、筍掘りにも行かねばならない。

 加えて、どういうわけか、四月は毎日毎夜「小ペン画の天使」が舞い降りてきた。気がつけば一ヶ月30日で28点。数年前のペン画を描きだした頃はともかく、最近では驚異的な点数である。どうしたのだ?俺は?タブローを描いている暇がない。少々、本末転倒?の脇道三昧の日々。まあ脇道でも、道は道だ。

 他にも投稿のコンテンツは多いのだが、きりがない。いっそ、この一ヶ月の小ペン画の制作をそのまま順番に全部投稿してみようか。いつもは何かしらテーマ別というか、グルーピングして投稿するのだが、描いた順に連続して何回かに分けて投稿してみるというのも、案外(私にとって)面白そうだ。

そもそも私の制作に連続性があるのか、あるいは不連続性がどういう意味なのか、FB=モニター画面という外部のフィールドでどう見えるのか、多少の興味と期待を持っても良いだろう。より良い効果的な見せ方というのもあるだろうが、この際こんな感じで投稿してみよう。(以下、続く)

 

 

 ↓ 四月に行った展覧会三つ。当然ではあるが、残念ながら行き逃したものもある。

 

中尊寺金色堂 建立900年」展+常設展 1/23~4/14 東京国立博物館

 毘沙門天持国天の腰とお尻の動きの、素晴らしいダイナミズムと色っぽさ!

 

「池田秀畝 高精細画人」展 3/16~4/21 練馬区立美術館

 多作、大作、勤勉さと記録魔ぶりに脱帽。「芸術」と「装飾」の関係について…

 

「ほとけの国の美術 春の江戸絵画まつり」展+「常設展/色彩のオマージュ」 3/9~5/6 府中市美術館。

 超一流の二線級の作品群(誉め言葉です)。バリエーション性と目配りの配置に感謝。前期後期と二回行くべきであった…。

 

 それぞれに対するちゃんとしたコメントと考察はここでは省略するが、いずれもたいへん良い展覧会でした。勉強になりました。ありがとうございました。

 

 

 ↓ 待ったなしの食用野草・山菜採り。

 

 右はイタドリ(虎杖)、左はコゴミ。共に今年は豊作。コゴミは近くの某所以外でも、数年前から裏庭に植えたものも株が増え、そこそこ収穫できるようになった。料理については女房の投稿をご覧ください。

 

 

 ↓ 757 森之宮

 2024.4.2-6 17×17㎝ BFK紙に水彩・ペン・インク

 

 奈良県天川村に行き、現地在住のA君の息子(小学生)と援農旅人アーティストのTさんで訪れた大聖大権現社(ダイジョウゴンゲンサン≒稲荷かとも思われるが、詳細不明)ほかを訪ね、二三点のペン画を描いたが、そこからさらに派生して生まれたもの。

 

 

 ↓ 758 緑色螢光性の若者(アルバ君)

 2024.4.2-06 19.2×11.5㎝ 和紙(秩父アンティーク)に水彩・ペン・インク・色鉛筆

 

 「アルバ (Alba) は、現代美術家エドワルド・カッツ (Eduardo Kac)がフランスの遺伝学者ルイ=マリー・フーデバイン(Louis-Marie Houdebine)と共同で制作した、遺伝子組み換えにより体が光るウサギである。」(Wikipedia

 日本ではあまり話題にならなかったようだが、この話に限らず、先端芸術表現と先端科学・先端技術の関係において倫理感が問われるという事態は、この件(作品)に限らず多々ある。今その話、倫理観などについて深入りする余裕はないが、そこから被験体としてのアルバ君(兎)を人間に見立てて寓意的に描いたもの。そこに現代美術や芸術の名のもとに現れるおぞましさとともに、しいて見ようとすれば立ち現れるかもしれない美しさといったものについて、一応考えておきたいと思った。

 

 

 ↓ 759 見慣れぬ神

 2024.4.5-6 14.9×9.5㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク・色鉛筆

 

 ペン画の天使が直接舞い降りてこない夜は、昔のスケッチブックを取り出してみる。これもその時点では採用するに至らなかったイメージスケッチを、改めて取り上げたもの。

 運慶だか快慶だかの名が?付きでメモされていたから、テレビ番組かネット上の何か画像を見て描きとどめておいたものだろうと思うが、今そのスケッチを探しても見つからない。おそらく一杯飲みながらだったのだろうから、その時の記憶もない。

 まあ、この際出どころはどこでもよい。とにかく私が知らなかった仏像だか神像だかの映像を見て、なにがしかの不思議さにとらわれて、その不思議さを描こうとしたということ。また、作品は作者が作るものだが、その後の年月が作るものでもあるという感慨をいだいたということである。

 

 

 ↓ 760 休息する巫女

 2024.4.5-11 16.9×16.9㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 これも古いスケッチブックから。やや大きな絵柄なので、タブローを意図したものだろうが、何年かお蔵入りした後、ペン画として復活した。

蛇足だが、この当時のものには、如意輪観音弥勒菩薩などの思惟像という仏教的イメージが多く反映されている。

 

 

 ↓ 761 見知らぬ女の肖像

 2024.4.8-11 12.9×9.1㎝ キャンソン紙?(濃グレー)に和紙裏打ち、樹脂テンペラ・水彩・ペン・インク

 

 本作をふくめて、以下の5点はいずれも長辺13㎝以下の小さなもの。小ペン画を描きだした頃はそうしたサイズが普通だったが、最近ではあまり描かない。

 いずれも黒または濃いグレーの有色紙に、アクリルか樹脂テンペラ絵具によるデカルコマニーを何年か前に施していたものを引っ張り出して使ってみた。その偶然のニュアンスを凝視することで形、絵柄を引き出したもの。したがって予備的イメージデッサンはない。「〇〇〇を描こう」とするのではなく、「〇〇〇が現れてきた」とするベクトル。

 

 

 ↓ 762 赤い月

 2024.4.8-11 12.5×9.4㎝ 古アルバム台紙(黒)にドーサ・和紙裏打ち アクリル・水彩・ペン・インク

 

 同前。ありていに言ってSF的。

 赤い月は手前の巨大なそれか、左上の小さなそれか。

 

 

 ↓ 763 幻花

 2024.4.8-13 12×9.4㎝ 古アルバム台紙(黒)にドーサ・和紙裏打ち アクリル・水彩・ペン・インク

 

 同前。

 これと前作は戦前の古いアルバムの台紙なので、かなり劣化しており、扱いが難しかった。イメージの抽出にだいぶ苦労したが、なんとか粘ってここまで持ってきた。私はいったい何やってんだろう?

 

 

 ↓ 764 幻視‐青蓮華

 2024.4.11-12 7.9×5.3㎝ キャンソン紙?(黒)に和紙裏打ち、アクリル・ペン・インク

 

 同前。

 サイズとしては、小ペン画の中でも最小クラス。普通こんな小さなサイズでは描かないよね。本作と前2点に描かれた人物の大きさは4~14mm。私は何をやっているのだろう?

 

 

 ↓ 765 青夜‐二十二夜

 2024.4.11-13 12.4×9.1㎝ 洋紙(黒)にドーサ、アクリル・ペン・インク

 

 同前。

 二十二夜は月待信仰の一つ。女性中心の、如意輪観音を本尊とするものだが、本作では特に如意輪観音の図像は意識していない。

 

(記・FB投稿2024.5.4)

小ペン画ギャラリー‐38 「近作‐男と女」

 ここ3回の「小ペン画ギャラリー」は、グループ展の報告と振り返りとしてだった。「小ペン画ギャラリー」自体としては、昨年の8月の「700点」以来だから、だいぶ間が空いた。

 さて次のお題は「700点以降」かな、ということで、ざっと最近の画像フォルダを眺めてみると、私としては珍しい傾向だが、男女二人を描いているものが多いことに気がついた。

 

 ここ数年、人からいろいろと相談されたり、アドバイスを求められることが増えた。老若男女、他愛もないこと、人生上のこと、人間関係や夫婦関係、等々。「人間嫌い」を公称している私だが、年齢と経験値に応じて、いやおうなしに求められる役割ということか。

 逃れられないものについては、できる範囲で話を聞く。愚痴を聞き、ガス抜きしてあげる。しかし、しょせんは他人の人生、関与できることなどいくらもないのだ。それでも例えてみれば、村はずれの路傍のお地蔵様に、子犬や猫がすり寄ってきて昼寝をしたり、時にはおしっこをひっかけた後でせいせいして去っていくようなものか。例えが悪すぎたか。手を合わせて、夫への愚痴や不満を胸の内でつぶやく、少し疲れたおみなの横顔。

 

 それはさておき、今回の作品はいずれも、そうしたなにがしかの実体験を直接的に反映したものではない。それらは現象であり、個別性である。他人の人生の生臭さに興味はない。そうした世俗的で個別的な現象群から、なにがしかの普遍性を導き出したいとは思っているが、結局画面に現れてくるのは、私個人の幻想や妄想、インスパイアされ再創造された物語でしかないのかもしれない。つまり私の個人性。そして、そうした私という個人性が、再び普遍性へのモチーフという回路となるのだと、開き直るしかないのだろう。

 男と女の間に醸し出される、愛憎という磁場。愛別離苦。そうした「男と女」が直接的に描かれることは、絵の世界では割合としてはそう多くないが、歌や映画や小説では圧倒的に多い。絵というメディアの自ずからの制約もあるのだろうが、風俗画に堕さぬよう気をつけながらも、もう少しモチーフ、テーマとして取り上げても良いような気がしてきた。

 

 

 ↓ 701 「磐上の二人」

 2023.8.12-22  12.1×16.6㎝ 水彩紙にアクリル・ペン・インク

 

 ほとんどそうとは見えないだろうが、「磐上の」というあたりに、次の小杉放庵(未醒)の「白雲幽石図(1933年)」がイメージの前提にある。

技法的には何度もやっている方法で、アクリル絵具か黒インクで下彩を施し、ペーパーがけして白地を削り出した表面を凝視しているうちに現れてくるイメージの描き起こし。前段のイメージスケッチは無い。

 とにかく男女が巨岩の上で、ささやかな飲物(酒?)と食べ物(果物?)を挟んで、なにやら対話している情景。二人の内面や関係性は、私にも不明。

 

 

 ↓ 「白雲幽石図」 小杉放庵(未醒) 1933年

 

 参考にというほど参考にもしてないのだが、備忘録的に掲載。小杉放菴記念日光美術館にあるらしいが、実物は未見。印刷物や画像でしか見たことがないのだが、好きな作品。神品である。う~ん、前掲作とは似ても似つかぬが、まあそれはそれ。

 小杉放庵は当時最先端の油彩画から留学体験を経て日本画水墨画へと、おそらく自身の文人趣味や隠遁趣味的資質(?)を軸として変遷し、制作した画家。

私とはだいぶ離れた位置にいる画家だが、妙に心惹かれるものがある。

 

 

 ↓ 709 「拘引」

 2023.11.21-27  12×16.6㎝ 水彩紙(ラングトン)にアクリル・ペン・インク

 

 前掲作と同様の技法。イメージの出どころは不明。なんだか暴力的な、危険な匂いがしないでもないが、そういう意図でもないのである。意図しないものが現れることも、絵ではままある。特にこの技法は、オートマティズムの要素を内在させているから。

 

 

 ↓ 713 「爐辺情話」

 2023.11.29-12.9  12×16.5㎝ 水彩紙に水彩・ペン・インク

 

 インスパイアされ、再創造され、変容し、もはや原形をとどめぬ物語。

僧と比丘尼の、あるいは仏陀と観音の恋物語といえば、あまりに不謹慎であろうか。エロティシズムと情念は、私の絵において重要なモチーフである。

「爐辺」「情話」の語に、昔語り的な、民俗学的な雰囲気をまとわせている。

 

 

 ↓ 721 「道行」

 2023.12.28-2024.1.2  14.4×10㎝ 水彩紙(アルシュ)にアクリル・ペン・インク

 

 これもまた想像と妄想と偶然の産物である。浄瑠璃・歌舞伎でいう心中や駆け落ちと結びつく「道行」のイメージ。製作途中から浮かび上がってきた物語。降雪の記憶も関与している。

 

 

 ↓ 725 「無題(花をめぐって)」

 2023.12.31-2024.1.12  16.2×12.5㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 これは男と女が描かれているが、愛憎といった要素はまったく無かった。下彩のわずかなにじみのムラを拾い上げ、描き起こしているうちに、造形的な必要から人物を入れることになったのである。したがって、結果はともかく、エロティシズムと情念の要素は本来的には無い。

 

 

 ↓ 740 「相克」

 2024.2.15-19  16.9×16.9㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 一瞬に、完成形で訪れたイメージを捕まえたので、その時点で意味など無かった。だが、それがかえって結果的として、男女の共依存の中に本質的(?)に存在する相克(相反するもの同士の争い)の物語を、殻を背負ったカタツムリという形で、象徴的に現してしまったというところか。自分でも少々驚く結果と効果。

 

 

 ↓ 750 「いざない」

 2024.3.17-21  15.7×11㎝ 水彩紙?に水彩・ペン・インク

 

 本作もイメージデッサンは無し。下彩のにじみのムラムラの凝視から見出した形とイメージ。「誘い」でも「誘惑」でもよかったのだが、ほんの少し分かりにくくするために平仮名で「いざない」。妙な色の、妙な絵だ…。

 

(記・FB投稿ブログ投稿:2024.3.25)

早春の上州の旅‐②  チャツボミゴケ公園スノーハイク(3月8日)

 今回の旅の最大の目的は、O氏にとって「チャツボミゴケ公園」に行くことだった。

 チャツボミゴケとは、強酸性の温泉水が流れる場所に育つ最も耐酸性の強い特異な苔。阿蘇などの温泉場や鉱山跡地などでも見られるが、ここの「穴地獄」が最大の群生地だそうだ。驚いたのは「数億年かけて鉄鉱石に変わっていく」とのこと。「天然記念物」やら「ラムサール条約」やらの単語も飛びかうが、それはそれ。

 どんな苔であろうが、私にとってまったく未知の存在であろうが、苔は苔。好きだけど、あまり興味を惹かれない。そもそも山中の源流の苔を見に行くなら、夏だろう。三月では雪の下でなのはないかと思うが、同行してみた。一人一万円近いガイド料を払って、スノーシューを履いてのスノーハイキング。私からでは決して出てこない企画だが、やはり久しぶりの雪山を歩くという魅力には、それはそれでちょっと抗しがたいものもあった。

 現地は草津白根山の東の尾根上にある、昭和19年に開山され、同40年に資源枯渇のため閉山するまで採掘していた群馬鉄山(旧名:草津鉱山)の跡地。露天掘りのあとが現在の沢すじになったとのこと。

 鉱山関係なら、興味津々。褐鉄鉱だから、製品化されるのはいわゆる鉄ではなく、塗料用の顔料ベンガラ(弁柄=ほぼライトレッド)。その点もまんざら無関係ではない。

動植物、地形、歴史等、いろいろなコンテンツを終始、わかりやすくガイドされながら歩く。こういうのもたまには悪くないな。

 最終到達地点の湧泉地「穴地獄」を一周する木道の最後で、目の前でO氏が転倒し、起き上がるのに失敗してさらに1mほど横倒しで落下したのには肝を冷やしたが、濡れただけで幸い怪我がなかったのが不幸中の幸い。

 

 

 ↓ 当日のホテルのベランダから見る朝の草津温泉スキー場。

 

 三日間、晴れたり、曇ったり、風雪だったり。草津では三日間の最高気温が1℃だった。

 

 

 ↓ 生まれて初めてのスノーシューを履いていざ出発。

 

 難しくはないが、慣れないうちは、靴の締め具合がよくわからず、何度か締め直す。

 

 

 ↓ ちなみに雪山でもっぱら使っていたのは輪カン。

 

 これは会津桧枝岐の和一で作ってもらったもの。使いやすく、ずいぶん愛用した。スノーシューに比べて横幅があるので、歩行時にはガニ股になる。もう30年近く使っていない…

 

 

 ↓ 途中で見た熊棚。

 

 どんぐりやブナの実を食べに熊が木に登り、手近の枝を引き寄せ引き寄せしては食べ、その枝を尻の下に敷き重ねたものが熊棚。葉のついていた時期の枝なので、その葉がそのまま残っている。幹にはよじ登った時の爪痕が残っていた。

 

 

 ↓ 途中で見たデブリ=落下した雪の塊。

 

 別名バームクーヘンともアンモナイトとも言われる。

 

 

 ↓ 途中で見た褐鉄鉱露天掘り跡。氷柱が一本。

 

 ここはそれほど純度が高くないせいか、あまり赤くない。別のところではイエローオーカーを思わせるような黄色いところもあった。ちなみに弁柄=ベンガラというのは、江戸時代にインドのベンガル産のものを輸入していたところからの名というが、さて?

 

 ↓ 何とか瀧の手前、沢床にチャツボミゴケが見え始める。

 

 3月、雪の下かと思っていたら、水温は28度なので、雪に埋もれないのだとか。

 

 

 ↓ 源流、湧泉地の「穴地獄」、全景。

 

 確かにかなりの緑の苔。夏場は全体がもっと緑になるそうだ。

 

 

 ↓ 展望所からの全景。周囲を木道が一周している。

 

 写真の左の先でO氏が転落した。古い硬くてやせた雪の上に積もった新しい柔らかい雪の層に足を踏み外し、態勢を崩したのだ。下は水流と岩盤だから、怪我がなくてよかった。足はずぶ濡れになったようだが。

 

 

 ↓ 途中で見た白樺と宿木。

 

 宿木は冬でも青いことから、北欧などでは生命とか再生の象徴とされる。好きな植物の一つ。

 

 

 ↓ 今回初めて知ったウリハダカエデ。

 

 樹肌の模様が瓜のように見えることからついた名。瓜?ともあまり見えないが、近づいてみると、クレーの絵を思わせるような、繊細な抽象模様。気に入りました。

 

 

 ↓ チャツボミゴケ公園の帰路に立ち寄った入山百八十八観音。

 

 近くの品木ダムに水没した集落のものを移設したものか。西国・坂東・秩父の百観音に四国八十八霊場を合わせて写したもの。全部は残っていないようだ。いずれも小型の素朴なもの。あまり保存状態は良くないが、いくつかは良いものがある。

 この辺りにはその気で探せばまだいろいろな石仏があるようだ。

 

 

 ↓ 翌日の写真だが、長野原あたりから見た、右から丸岩、高ヂョッキ、1209m峰。

 

 心惹かれる風情の山々。登るのは難しくないが、足の便と宿を考えると、爺さんの一人旅としては割とハードルが高い。でも登りたい。

 

(記・FB投稿:2024.3.18)

早春の上州の旅‐①嵩山と三十三観音(3月7日)

 O氏に誘われて、群馬県の中之条~草津~長野原~四万あたりをウロウロしてきた。「チャツボミゴケ公園に行きたい」のだとか。なんだ?それ?

 そこは「冬季閉鎖中だが、ガイドを雇ってスノーシューを履けば行ける」とか、「良い百八観音がある」とか、訳のわからない言葉で私を誘う。彼は森や水や大地といった、自然とスピリチュアル(?)なものを作品のテーマとしている画家だから、動機としてはうなずける。まあ、いいか。いつものように、これも何かの御縁。

 

 最初に連れて行かれたのが、嵩山。なんでも三十三体の観音があるとか。要するに坂東三十三観音霊場の写し。それは良いが、これって登山ではないか。聞いてないよ。一応その用意はしてきているものの、O氏は山に関しては完全素人。嵩山は標高は低い(789.2m)が岩山で、鎖場もあり、おまけに少しばかり雪が残っていて、道は滑りやすい。

 とりあえず行けるところまでということで登り始めるが、案の定、彼の足元は危なっかしい。点在する石仏(三十三観音)を見ながら、主稜上の小天狗という730m圏のピークに立った。なかなかの大展望。そこから頂上までは30分程度だが、彼の登る気は失せたらしい。山屋としては後ろ髪を引かれる思いだが、まあ仕方がない。途中からの山腹コースを下ることにした。といって、こちらのコースの方が易しいということでもなさそうだ。残雪と湿った山道に何度も尻もちをつくO氏。お疲れ様でした。

 

 この日は前後して親都神社、龍澤寺、荷着場道祖神などを回ったのち、草津温泉に泊まったのだが、それらについてはまた別稿で。

 余談だが二人とも記念写真を撮る趣味がなく、気がつけば私の写った写真は1枚もなかった。

 

 

 ↓ 途中で見た榛名山

 

 いくつものピークからなる良い山だ。いつか登りたい。

 

 

 ↓ 小天狗のピーク、730m圏。

 

 浅間山や上信越国境の山々が遠望できた。

 

 

 ↓ 胎内潜り。

 

 今まで体験した胎内潜りの中で最も狭い。写真のO氏は結局断念。私は腹回りに関しては自信(?)があるが、長年の経験で思いっきり腹を引っ込めて身をよじって、何とか通過できた。

 

 

 ↓ 下山路にて。

 

 何やらつげ義春の漫画に出てきそうな一シーン。そういえば今回の旅自体がつげの貧乏旅行シリーズと似ている…

 

 

 ↓ 麓から見る男岩。男岩ね。なるほど…。頂上はその奥。

 

 

 ↓ 嵩山三十三観2番 十一面観音

 

 元禄15/1702年に麓に住み着いていた江戸の僧・空閑によって建立されたとのこと。現存の像の背面には「再建同年」とあるが、その「同年」がいつのことなのかわからない。そう古いものではなさそうだ。大正か昭和のものか。

 また三十三観音といえば多くは西国三十三観音の写しだろうが、ここは坂東三十三番の写しというのが、ちょっと珍しいのか?

 

 

 ↓ 嵩山三十三観10番 千手観音

 

 頭部に仏面があるが、これは千手観音。六手で、そのポーズが私にはちょっと珍しかった。

 

 

 ↓ 嵩山三十三観14番 十一面観音

 

 これも頭部に仏面があるが、二手で、十一面観音。たまたま光が面白く射していた。

 

 

 ↓ 嵩山三十三観16番 十一面観音

 

 こちらの千手観音は頭部に仏面がなく座像。六手の内の二手は他と同様にバンザイ型。

 

 

 ↓ 登り口にあった「岩登り禁止」の標識

 

 確か昔のルート図集などにはここのルート図が出ていたような。

 

 

 ↓ 同前 

 

 昔開拓されて山岳雑誌やルート図集などに記載されていた岩場も、その後登攀禁止になったところが多い。登山者、クライマーのマナー違反や、こうした地元の信仰心との軋轢があるようだ。

 岩登りに限らないが、自然の中の、私有地(山林)内などでの、確かにモラル・マナーに欠ける振る舞いを目撃することは多い。キャンプや釣りや、いわゆるアウトドアライフを単なる消費の対象として紹介するメディアの罪も大きいが、しょせんは自然とかかわる個人の倫理観や美学の問題に行き着く。地元の人の理解が得られなかったら最悪だ。あまり人のことを言えた義理でもないが、少し悲しい話ではある。

(記・FB投稿:2024.3.13)

小ペン画ギャラリー‐37 「青梅市立美術館『アートビューイング西多摩2023』‐2」

 青梅市立美術館の「アートビューイング西多摩2023」展での、全体の意図と3点のタブローについては、前回の投稿で述べた。

 展示した小ペン画は24点。一応多少の見やすさとバリエーションを考慮したが、そのせいか後に確認して見たら、19点はすでにギャラリーやFBで発表済みだった。今回はFBでも未発表の5点を中心に紹介。

 

 小ペン画は、そのサイズの小ささや、技法的な制約などから「大きな物語」を語るには適さないが、小さな個別性(今回の場合は個々の現実現象と社会性との関連や、民俗学や宗教性などといった個別の関連領域)と対応するには向いている。それらをある程度以上の数量で展示することで見えてくるものもあるだろう。歴史的視点で言えば「通史」ではなく「聞書き」といったところ。その両者を並置したかった。例えていえば、「鳥の眼」と「虫の目」の併置。そうした意味で、大阪高島屋の展示とは意味合いが異なる。

 

 

 ↓ 会場風景

 

 3点のタブローとその間の小さなペン画。

 

 

 ↓ 小ペン画展示風景

 

 実際の展示風景の一部。この8点はギャラリーやFBで発表済みなので、詳しくは述べないが、簡単にテーマというか要素だけを、展示右下の展示番号とタイトルと共に簡単に記す。上から下へ、左→右の順。

 15.「隘勇線にはばまれて」日本による台湾植民地時代の先住民対策‐餓死作戦。

 11.「山水礼拝」古神道におけるアニミズム

 21.「舞闘尊者 (Rakan-13 倣Siyah Qalam)」14 世紀後半から15 世紀初頭のペルシャにおける「黒い絵」と言われる特異な、仏教とシャーマニズムに基づいた細密画群と羅漢図の折衷。

 8.「犀の角のようにそれぞれ佇む五人」『仏陀の言葉』より。

 12.「出口」イスラム国とシリア。

 14.「道筋と一対の門‐民俗学的絵画」民俗学‐葬送儀礼

 16.「送られる神」民俗学どんど焼き・塞ノ神。

 26.「降りくるもの」宇宙物理学、ブラックホール、膨張宇宙。

 

 

 ↓ 610 住輪の心御柱-哲学的幻想

 2022.8.5-14 21×14.8㎝ アルシュ紙に水彩・ペン・インク

 

 民俗学者としての(?)中沢新一の『精霊の王』中の、「『明宿集』の深淵』にインスパイアされたイメージ。

 『明宿集』とは室町時代の猿楽師・能作者であり、世阿弥の娘婿となった金春禅竹の著した一種の神秘学的「翁論」だが、難解すぎて、正直言ってほとんど理解できなかった。理解はできなかったが、妙に感動(?)し、影響を受けて、本作ともう2、3点描いたのである。

 金春禅竹金春流の中興の祖とされる。余談になるが、大学時代の後輩に金春流の家元の娘がいて、その縁でただ一度だけ能というものを見せてもらった。ごくごく淡いものではあるが、それもまた一つの奇縁というべきだろう。

 

 

 ↓ 参考 612 住輪の心御柱-出現に向かって

 2022.8.7-14  21×14.8㎝ 中国紙二枚重ね、水彩・ペン・インク 発表済み

 

 前述の『精霊の王』の「明宿集」に影響を受けて、続けて描いた一点がこれ。共に楕円の下部にある小さな黒い棒のようなものが「住輪(しゅうりん)の心御柱」。

いまだに解説すらできないので、興味のある方は自分で読んでみて下さい。

「翁」ではあるが、老若と男女性を交換可能とみて、このような絵柄にした。

 

 

 ↓ 611 淡い光の中の宿神

 2022.8.5-8 21×14.8㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 同じく本作も中沢新一『精霊の王』中の「宿神」論が発想の源。シュクシンからシャグジ‐ミシャグジ‐シャクジン‐シュクジン‐シュクノカミ‐シクジノカミと呼ばれる、いまだに謎とされる神が芸能の神であるとする考察が、イメージの源。信州や甲州が本場のようだが、東京やその他にもある。石神井(シャクジイ)公園もそれ由来。

 いずれにしてもこれらの作品のようなイメージは、私個人の中からは思いつかないというか、発生しない。読書というアウトサイドから持ち込むしかないのである。

 

 

 ↓ 638 避難する光の母子

 2022.12.18-21 13.5×16.1㎝ 水彩紙にアクリル・水彩・ペン・インク

 

 下描き、予備的なイメージデッサン無しに描いた作品。あらかじめ下彩をほどこして用意しておいた用紙を凝視することで、形、イメージを発生させるというやり方。

 描いているうちに浮かび上がってくるニュアンス、形が、ウクライナ難民や、ミャンマーの、シリアの、その他もろもろの難民たちのイメージと重なり合い、それらが聖書の中の「エジプトへの逃避行」へとつながった。

 私としてはあまり例のないイメージ。聖書にはほとんど縁がないが、西洋画の画題としては一般的なので、ある程度は私の中にも入っている。技法的にはスクラッチ(引掻き)技法が主。

 

 

 ↓ 663 いにしえより‐弥勒

 2023.3.21-27 12.6×16.3㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 136億年前に宇宙を誕生させたビッグバンと、56億7千万年後に人々を救うために今現在も兜率天でそのすべを思惟しているという弥勒菩薩なる存在・観念が、どうも私の中では照応し合っている。

 そのビッグバンの超初期のインフレーション理論とその副産物として生み出されたブラックホール。関連も何も説明も理解もできないが、イメージとしてはこんな感じが私の感性の基層にある。

 

 

 ↓ 697 かろん(渡守)

 2023.8.7-10 14.5×9.1㎝ 和紙にアクリル・水彩・ペン・インク

 

 かろん(カロン、カローン)とは、ギリシャ神話における冥界の川スチュクスあるいはその支流アケローン川の渡し守のこと。画題(の一部)として、ヨーロッパでは多くの宗教画に描かれている。

 冥界の川だから仏教(仏陀自身はそんなことは言っていないが)の三途の川(三途河・葬頭河/しょうづか・正塚、三瀬川とも)に対応し、また渡し賃として死者の口などに小銭(六文銭)を入れるなど、ユーラシア全体に広く見られる葬送習俗と対応する。そのあたりも様々な宗教の影響関係を示すものである。石舟地蔵との関連も言えそうだ。

 

 

 ↓ 参考 673 渡守

 2023.4.11-18 21×15.4㎝ 和紙に膠、油彩転写・水彩・セピア・ペン・インク

 

 前掲の作品の四か月前にこの作品を描いた。描き始めの時点ではアケローン川の渡し守カロンというイメージ・発想は全く無かったのだが、途中からいつの間にかつながった。体にある黒い丸は、何か典拠があったような気もするが、覚えていない。

たまたまわが家に遊びに来たA君がこれを気に入って欲しいというので、未発表だが譲った。気に入っていたこともあって、後に同工異曲の前掲作を描いた。私としては比較的珍しいことである。

 

 

 ↓ 参考 Gustave Doré「神曲(1861-68)」より

 

 カロンはヨーロッパの宗教画では地獄の渡し守として、時々描かれている。ミケランジェロのシスティナの最後の審判にも登場する。渋い名脇役といったところか。

これはフランスのドレ(Doré 1832-83)の手になる木口木版画の一ページ。クラシックな印象。

 

 

 ↓ 参考 同じGustave Doré「神曲」より

 

 こちらも同じ書物の一ページだが、作者のダンテとウェルギリウスを載せている。

関係ないけど、ドレとエドワール・マネは生没年共に同じなのだが、画風と時代性はずいぶん違う。ドレのアナクロぶりはすごい。そこが好きなところでもあるのだが。

 

(記・FB投稿:2024.2.26)

旧作遠望‐6 「青梅市美 アートビューイング西多摩2023」と「世界の調べに耳を澄ます」

 青梅市立美術館で昨年の12月16日から今年2月4日までの予定で開催されていた『「″アート″を俯瞰する」アートビューイング西多摩2023』は、会期途中の1月19日に「(…)美術館内のエントランスロビーのガラスが破損していることが判明し、施設内の安全確保のため急遽、本日(…)午後から臨時休館とさせていただくことになりました。」との連絡を、旅先の奈良で受け取った。

 美術館は1984年開設だから、築40年。電気系統などが老朽化し、この三月ごろからしばらく休館して改修の予定だったそうだ。築40年ともなればそういうものかと思っていたが、今回の展示中止の直接の原因はガラスの破損だから、意味が違う。建物自体は、水平垂直・鉄筋コンクリート・ガラス多用の、よくあるモダニズム建築。だからガラスといっても、いわゆる窓ガラスのイメージではなく、150㎏(?)もある、荷重はともかく、構造体の一部を成しているもの。それが40年で壊れるというのは、どういうことなのか。具体的な責任の所在を問うても空しいだろうが、釈然としない。

 

 ともあれ、観覧予定だった人、遠隔地で来られない人のために、急きょ「旧作遠望」。

 

 本展は西多摩地区のアートを大事にし、盛り上げようという、地元ゆかりの作家有志が中心になって、これまで何回か同趣旨の展覧会を開催してきた。今回は青梅市立美術館と初めての「共催」。趣旨はわかるが、それはゆるい括りであって、グループ展としての統一的な主張や明確な視点があるわけではない。無くても構わないが、西多摩の風土が好きで30年近く住んでいるが、地元愛的なものは私にはない。したがって、出品するにあたって、やはり自分なりの論理構築のようなものは必要だった。

 けっこう苦労したが、東北大震災以前、阪神大震災以降から現時点までという近過去の枠組みを設定した。その時間に対応する旧作のタブロー3点と、より広いスパンの時間軸を、民俗学や宗教性、社会性といった個別の観点・要素を内包する近作(小ペン画)を配置・展示することにした。つまり歴史というほどの大きなスパンではないけれども、歴史性を内包する風土性と、そこに在る人間観みたいなものを暗示(?)したかったのである。以上はまあ、作者にとってだけ必要な展示の枠組み・必然性なのである。

 小ペン画については別に投稿する予定だが、柱となるタブロー3点に共通するタイトルは「世界の調べに耳を澄ます」。この言葉自体に関心を持ったのは、たしか社会学宮台真司が書いた朝日新聞のコラムによってだったと思う。それ以前から存在していた言い回しとして知っていたような気もするが、はっきりしない。世界全体・宇宙全体に通底する、神聖幾何学とか宇宙律などといった観念とも連動する、一種の哲学的神学的概念である。世界に遍在するかすかな波動と音律。その曲律は、大震災といった非日常の際には、どんな変化を示したのだろう。そんなことをぼんやりと思ったのである。

 東北震災後、「3.11以降、そのことを自覚しないアートはありえない」などといった発言をしたアーティストが何人もいたことを覚えている。個人的体験と普遍的経験性を弁別しない、そうした発言に対する反論がこれらの作品の底にあった。

 

 余談だが、3点ともにM120号(97×194㎝=2:1)という、細長く扱いづらい画面。普通だったらとてもこの比率の絵を描こうという気にならないが、もう「大きなサイズの作品は描かないから」といって、ある先輩がいきなり木枠を三本送ってよこした。それがなければ、この作品の構想は生まれなかっただろうから、縁とは不思議なものというべきであろう。

 

 

 ↓ 展示風景‐1

 

 手前は鹿野裕介さんの作品。こう対置してみると、少し硬い展示であったかもしれない。

 

 

 ↓ 460 「世界の調べに耳を澄ます‐2」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝) 以下3点とも自製キャンバス(麻布にエマルジョン地)、樹脂テンペラ・油彩 

 

 3点は一二ヶ月程度ずつ間をおいて着手した。2番目に描きだした本作は、最後までサブタイトルが浮上せずというか、サブタイトルを必要としなかった。

 

 

 ↓ 459 「世界の調べに耳を澄ます‐1(白い岸辺)」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝)

 

 3点連作とか、組作品というわけではないが、イメージとしてはこれが最初に描きだした作品。あとの2点は本作に引きずられて生まれたようなもの。

 「白い岸辺」という語(サブタイトル)にはなにがしかの意味があったのだが、3点完成して見ると、必ずしも組作品というわけではないということもあって、標示する意味が感じられず、キャプション等には表記せず。

 

 

 ↓ 465 「世界の調べに耳を澄ます‐3(紅蓮)」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝)

 

「紅蓮」という語も同様。

 

 

 ↓ 展示風景‐2

 全景。壁面約10m。

 

 タブロー「世界の調べに耳を澄ます」の間に小ペン画を配置。ほかにもやりようがあったかもしれないが、まあ、これはこれで悪くはないか。

 

(記・FB投稿:2024.2.20)