神や魔法使いの仕業でもなく

ジャニーズWESTさんにどっぷりな者です。

今の担当に行きついたのは?

 

 前記事(気付けば一年も経っていた...)では歴代の担当について長々と書き綴ったのだが、今記事ではいよいよ私が神山担になった理由を書こうと思う。

 

いつ存在を知ったのか?

 まず私が関西ジャニーズJr.の存在を知ったのは2011年のin大阪が放送された頃である。何がきっかけなのかは分からないが、当時は存在を知っていただけで、個人の名前などはあまり気にして見ていなかった。ただ知念くんがNYCとして出演しており、そのために見ていただけで...まさかこの時、後の担当になるなんて思ってもいなかった。

 

Dial Upって誰の曲?

 元担が知念くん、そして中島健人さんなのでもちろんNYCもNYC boysの道も通って来ました。そこではもちろん「Dial Up」も耳にしていて調べていると、この曲は元はNYCのものじゃなかったことが判明しました。かと言って何も気に留めず へ〜そうなんだ くらいにしか思っていませんでした。存在知ったのはこの辺り?(自分でも覚えていない)本家様も聞いてません。

 

関連動画

  知念担を貫いていた頃、ありとあらゆる過去の出演番組を某動画サイトで一日中見てることがほとんど毎日でそれはもう自分すごいなってくらい(?)そこで関連動画に7WESTが出て来たのは運命なのか。ちょっと見て見ようかな〜とポチッと押しました。それは君幻でした。見た記憶はあるんだけれども何を思ったのかは記憶にない。何たる失態。

 そんなこんなで気付いたら神ちゃんのことも気になってた!?!?ってそんな展開なのかな???ほんと何度も言うようだけど全く記憶がない!キッカケは何なの!?誰か教えて?(笑)

 

顔ではなかった

「 神ちゃんのどこを好きになったの?」ってよく聞かれるけど答えられない。だから決まっていつもこう答える。「全部かな?」って。でもひとつ言えるのは顔ではなかった。顔が悪いとかそういうことでは無いのだけれど、顔よりも優れたものがきっとあったのだと思う。それが何なのか...思い当たる節はいくつかある。

 例えば歌声だったり。ダンスだったり。話し声だったり。一目惚れだったのかな〜顔じゃなくて。運命なのかな。

 

 

 

と、まあこんなことがあり今に至ります。全くまとまらないし、ターニングポイントやらキッカケやらが明確ではないのが悔しい。気がついたら神山担してました。

 

おわり。

 

 

担当と名乗ってきた人のはなし

 私はジャニヲタ方式でいう" 神山担 "に当たる人間である。そしてそれを大々的に名乗ってもいる。恥ずかしいことでもなければ、隠すことだってない。だって私は紛れもなく神山智洋くんの担当なのだから!!!
 

 そもそも私がいつジャニヲタの道を歩き始め、神ちゃん(普段はこのように呼んでいます)の担当になろうと決めたターニングポイントはいつなのか?という点についてお話ししよう。

 だがしかし、長くなるであろう今記事では、私が神山担に至るまでの歴代の担当についての話をしようと思う。簡潔にまとめようと努力したということは頭の片隅にでも置いておきながら読んでほしい。

 
ジャニーズの存在に触れる

ジャニヲタになる以前からジャニーズの存在はもちろん知っていたし、テレビ番組や雑誌などでもよく見かけていたが、特にこれと言った感情も湧かずにいた。しかし小学校の頃に嵐が絶大的なブームになり、学校内でも嵐の話が毎日のように飛び交うほどで、実際に私の母も何枚かアルバムを買っていたのであった。

 皆が口々に嵐だなんだと言うので、私も波に飲まれ、少しではあるが番組を追ったり雑誌を見るようになった。「松潤がかっこいい!」やら、「この曲めっちゃ好き!」などと、今でいう茶の間ファンになった訳である。

 

ジャニヲタへの経緯

 そんな私が歴としたジャニヲタの世界に引きずり込まれたのは2011年の2月頃である。

 小学校の運動会で踊った " Hey!Say!JUMP " の Dreams come ture が印象に残っており色々と調べていたらそのままJUMPの沼へ嵌ってしまったという成り行きだ。毎日のように出演したドラマを見たり、曲を聞いたりしていた。

 当時は絶対的エースの山田涼介くんから入り、そして知念担として応援していこうと心に決めた。この頃からテレビ番組やアイドル雑誌などを追うようになり、初めて自分のお金でCDを購入したのである。

 

大きな転機

 これまで知念担として活動していた私に大きな転機が訪れたのだ。

 それは友人に誘われたSexy Zoneのコンサートである。「一緒に行く人がいないから着いてきてくれない?」と言われ、断る理由もなくすんなりと承諾した。

 元々Sexy Zoneに興味はあったものの◯◯くん一番好き!などは無く、デビューしたから軽く応援しようかな〜くらいの気持ちであった。しかし、コンサートに行くと言うならば、やはり誰を見るのかを決めなければならない。そのように考えた私は悩みに悩んで、かの有名なラブホリ先輩を見ることに決めた。一緒に行く友人にも「私明日だけは中島担だからね!」などと完全にノリ気であった。

 まるで自担を見るかのようにまじまじと双眼鏡なども使用して見ていたので、終わった頃にはラブホリ先輩の虜になっていたのだ。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかったが、友人に話すと大歓迎され、この日から晴れて中島担になったのである。

 ファンサされて降りたのでもなければ、冷めて降りたのでもない。ご本人様に会ってしまい、ジャニーズが現実にいるのだということを確信することができた。そこにたまたま居合わせたのが中島健人だった...知念侑李への熱量を超えてしまった... まとめてしまえばこのような流れだ。

 

掛け持ちの時期

 私にだって掛け持ちをしていた時期もあり、それは言うまでもない知念担と中島担である。

 なんだ!すんなり担降りしたんじゃなかったのか!とお思いの方もいるであろうが、やはり知念くんへの想いが冷めていた訳ではなかった為、掛け持ちという形態を取るしか無かったのだ。

 しかし、掛け持ちであるが故にお金にも余裕が無くなり、コンサートなども控えて茶の間を楽しんでいた。

 

掛け持ちなんて嫌だ

 気がつけばいつの間にか、ラブホリ先輩への熱量がついに知念くんを超えてしまい、そして中島担オンリーでやっていこうと再度決心したのである。

 その他にも掛け持ちを辞めた理由はあり、それは学校の先輩からの陰口だった。しかし思い出すと不快感に襲われるのでここには書き留めないでおく。神担やら担当やら副担などといった、ありとあらゆる業界用語を駆使している自分かっこいい!と思っていた当時の私を誰かブン殴って来てくれ...

 コロコロ気の変わる女だと言われても仕方ない、私は熱しやすく冷めやすいのだから。今となっては掛け持ちでも全く問題はないのだが、同等の熱量を注げる自信がなく、また金銭的にも大変な為に一人担当制度を貫いている。

 
 

今記事はここまでにしておこう。さて、次記事ではいよいよ私が神山智洋くんに降りた経緯をお話ししようと思う。