スペイン留学日記

スペイン内陸のある町に留学中。思ったこと、やってみたこと、いろいろ記録していきます。

文化を知らないことから起きる被害妄想

スペインの街中を歩いていると、めっちゃ見られます。

 

バスに乗っていても見られます。

 

最初はすごく居心地が悪くて、アジア人を珍しがる視線なのか?それとも何かスペイン人にとって奇妙なことをしてしまっているんだろうか?などと思っていました。

 

 見られ方も様々です。

 

視線を感じてそちらを見ると、目が合って視線を逸らす人もいれば、目が合っても構わず見続けてくる人もいます。

 

 

日本人って基本的に西洋人コンプレックスがある気がします。アジア全体で見られる傾向でしょうか。

 

東洋人は馬鹿にされる、差別される…

 

悲しいけれど、もしかしたらどこかの国ではそれが実際に起こっているところもあるのかもしれません。

 

スペインでも、何人かのスペイン人が中国人が嫌いだと言うのを耳にしました。同じアジア人として少しつらいですが…

 

私はアジア人の私に向けられている視線が、そういうアジア人を差別する感情から向けられたものだと、無意識に思い込んでしまっていました。

 

しかし、ある日、授業で先生がこんな話をしました。

 

 

スペイン人は、信号が赤になった時やバスに座っている時など手持ち無沙汰になるととにかくそこらへんの誰かを見る。

 

見て、「この服ださい」「あの靴かわいい」などなど考えるのだ。

 

もしじっと見てきて居心地が悪いようなら、ニコッと笑って挨拶すれば解決だ。

 

 

その話を聞いて、クラスのアメリカ人たちも確かにめっちゃ見てくる!と言っていました。

 

自分が見られているのは、どう見てもスペイン人ではない、珍しいアジア人だからだと思っていました。

 

しかしそうではなく、彼らは単に「人間観察して暇を潰している」だけだったのです。

 

私は自分の自意識過剰さに恥ずかしくなりました。別に私がアジア人だということを、誰も私が考えるほど気にしていないのです。

 

また、こんなこともありました。

 

日本からスペインに来る際、乗継する空港でマドリード行の飛行機の列に並んでいた時のこと。

 

私の後ろに並んできたおばさんが、私にスペイン語で「この列はマドリード行の飛行機の列よね?」と尋ねてきました。

 

私はアジア人でスペイン語が通じる可能性は少ないし、ましてやそこはスペインでもなく、別のヨーロッパの国です。

 

もちろんスペイン国内でも、道端でスペイン人にスペイン語で道を聞かれたりということもあります。

 

日本だったらどうでしょう。

 

きっと誰も外国人に日本語で話しかけないし、ましてや道なんてわざわざ外国人に聞かないでしょう。

 

日本人は閉じた国民性だなあと感じます。

 

外国人と日本人をハッキリ分けてしまっている、見方を変えればとってもレイシストだと言えないでしょうか。

 

自分の考え方が常識だと考えてしまうのが人間ですが、日本人は外国人と自国の人々を区別しており、外国人も自分たちを区別するものだと考えてしまっている気がします。

 

もちろん見た目が違う分、多少区別してしまう、違うと感じてしまうのは仕方のないことだと私は思います。

 

でも、それで終わるのは悲しいし、グローバル化というものが進んでいる今、もっと開けた心・態度が必要なのではないかなあと感じています。

 

うまくまとまっていませんが、とにかく、もし道端でスペイン人にじっと見られるようなことがあっても、彼らが暇つぶしをしているだけということを抜きにしても、日本人として堂々としていればよいのです!

 

 

 

 

 

日本人が言語を習得するのが難しい理由

日本人でも外国語が堪能という方はたくさんいますが、一般的に苦手だという方のほうが多いですよね。

 

それがなぜなのか、私なりに思うことをまとめてみます。

 

 

①日本語話者だから

 

日本語と、スペイン語を比べてみます。

 

スペイン語は日本人にとって比較的簡単だと言われる理由は、音が似ているからです。

 

あ、い、う、え、おの音を母音といいますが、日本語では子音だけの音というのがありません(「ん」の音を除き)。

例)りんご→ri+n+go

 

一方、スペイン語も基本的に子音と母音がくっついていることが多いので、逆に言えばカタカナ表記ができてしまいます。

例)manzana(=りんご)→ma+n+za+na→マンサナ

 

しかし、英語のappleをカタカナ表記してみようとしても、うまくいきません。よく見かけるカタカナ英語「アップル」はローマ字で表すと “appuru” となり、元の単語とかけ離れてしまっています。

 

つまり、その言葉が習得しやすいかどうかは、母語である日本語とどれだけ共通点があるかということに関係しているように思うのです。

 

共通点ということで見れば、日本語は言語系統が不明な言語であり、似ている言語がありませんので、スペイン人が同じロマンス諸語のひとつであるイタリア語を勉強するのと同じようにはいきません。

 

スペイン語とは音声が似ているけれど文法もリズムも違う、さらに英語と比較すると余計に共通点は少なくなり、だから日本人は英語が苦手だと広く言われているのでは。

 

もちろん、言語学習の要素は発音だけじゃありません。文法や言い回しなど、覚えることはたくさんあります。しかし、ここで日本人が外国語を苦手とする原因がひとつ見えてきます。

 

 

②「外国語=コミュニケーションの手段」という意識の欠如

 

日本に住んでいる日本人が話す言語は何でしょう。もちろん日本語です。

 

では、スイスの公用語は?答えは、ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語の4つです。

 

つまり、日本人は日本語だけ話せれば生きていけるのに対し、スイス人はスイスという国の中に4つの言語を話す地域を持っており、母語でない言語を話さなければならない可能性があるわけです。

 

日本人にとって外国語は、日本で生きていく上では使う機会がめったにない、なくても困らないものです。それゆえ「外国語=日本人が日本語を話すのと同じように外国で話されている言葉」という当たり前の感覚が欠如してしまっているような気がします。

 

外国に住んでいて、外国語を使わなければいけない状況を想像してみてください。そういう環境ならば、生きるためにどうにかその言葉を習得しようとするでしょう。言葉が話さなければ財布を盗まれても警察に何が起こったか説明することもできなければ、お店で「これが欲しい」と伝えることすらできません。

 

本来言語とは、「コミュニケーション」のためのものなのです。

 

ここで①の最後の内容と絡んできます。

 

海外旅行に来たとします。空港に到着し、勉強してきた知識を駆使して外国語で「市内へ行くにはどんな交通手段がある?」とサービスカウンターで質問します。

サービスカウンターのお姉さんが「バスかタクシーがある」と答えてくれました。しかし、もしあなたが文法を勉強することにばかりこだわり、言語のコミュニケーションとしての側面を無視してしまっていたら、せっかく答えてくれた内容が聞き取れず、キャッチボールがそこで止まってしまいます。

 

コミュニケーション、会話において大事なことは、お互いの言っていることを理解するということです。

 

もちろん文法が頭になければ何も伝えることができません。ですが、それより大切なことは「意思疎通すること」であり、「ただしい方法で話す」ということはその次のステップなのではないでしょうか。

 

日本で外国語を使う機会がないということに関連してさらに③へ移ります。

 

 

③外国語を使うことに自信が持てない

 

プレゼンテーションをしなければならないことになりました。

何度も練習を重ね十分に準備をしておけば本番で焦ることはありませんが、練習が足りないとうまくいくか不安になってしまいます。

 

これと同じことが言語にも起こるのでは、と考えます。

 

日本人は日本で日本語だけを話して育ちます。近くに外国人が住んでいるということは珍しく、外国人と関わること、つまり外国語を聞く・話す機会はほぼないと言ってもいいでしょう。

 

何が言いたいかというと、外国語の練習の場がないということです。練習もなしにいきなり本番を迎えたってうまくいかないに決まっています。

 

でも学校で英語を勉強してるじゃん!という声が聞こえてきそうですが、大半の学校で教えている内容は文法・リーディングばかりで、スピーキング・リスニングに重点を置いた教育をしている学校は少ないのではないでしょうか(少なくとも私の学校ではそうでした)。受験のための教育という側面が残念ながら強いので、実践で役に立つかは…というかんじです。

 

そして文法ばかり詰め込まれるので、逆に文法にがんじがらめにされてしまっており、いざ話すときに「この表現はこうであってるのか?」「あんな表現があったけどどんなんだっけ?」と余計なことばかり考えてしまいます。

 

この本は難しすぎて理解できない。という内容は

This book is too dificult to understand.

でも表せるけれど、

I can't understand this book because it's very difficult.

という、より簡単な文でも表すことができます。

 

伝えたいことを覚えた表現に当てはめようとするのではなく、噛み砕いてエッセンスを取り出し、自分のもつ語学力でどう表せるかを考えるという方法の方が簡単ではないでしょうか。

 

裏を返せば、真面目に英語の文法を勉強してきた日本人は、持っている表現の幅が広いということです。やはり必要なのは実践的な会話の練習、そして外国語で話すのに慣れること、なのではと思います。

 

実際、私もスペインに留学する前までは外国語で会話することに慣れておらず、英語もスペイン語もたどたどしかったですが、スペイン語に慣れてきた頃には、なぜかまったく触れていなかった英語も(文法は忘れて壊滅的でしたが、聞き取りやちょっとした会話などは)マシになっていました。

 

その点4ヶ国語に触れる機会のあるスイス人は言語習得も早いのかもしれませんね。

 

 

以上、私が考える「日本人が言語を習得するのが難しい理由」でした。

 

日本人だから、日本語にRとLの音がないから、ということがハンデになるということは、…あるのかもしれませんが、外国語を学ぶということはどの国籍の人にとっても、「自分の使う言葉とは違う言葉を学ぶ」ということです。

 

勉強している言語に意識的に触れるようにする、外国語を難しく捉えすぎない、ということが言語習得の近道なのでは、と思います。

 

とはいえやっぱりなかなか難しいんですけどね…

 

 

生き急いでる?

スペイン内陸の町に留学中です。ここへ来て3、4ヶ月ほどになります。

人生のモットーは、「やりたいことをやりたいうちに」。

今やりたいことは、というか現在進行形で挑戦していることですが、「行ってみたい国に行ってみる」、これです。

私は計画というものが大好きで、思い立ったら紙に簡易カレンダーを書き出して、〇月には〜〜して、△月にはーーしよう!と計画という名の妄想をします。大抵それをはじめるのがお風呂から上がって寝る前の時間なのですが、考えすぎて夜中になって、そろそろ寝ようとベッドに入って電気を消しても、頭の中を「この時期の飛行機は高いのか?」「この国とこの国の間の交通機関は?」などという疑問がぐるぐるして頭が冴えて眠れない、ということが頻繁に起こります。そしてそこで立てた計画が実行される確率は半々で、あまりに先の話すぎて状況が変わり時間を費やして考えたことすべてがナシになったり、かと思えば前に考えていたことを実行したくなったり。

そんな計画が大好きな私ですが、実際の旅行経験は多くありません。自分で旅程をたて、ホテルや飛行機などの交通機関を予約するようになったのはスペインに来てから。前に行った旅行についてもいつかここに記録できればなあと思います。

最近考えているのは、残りの留学生活・大学生活において、いつの時期にどう旅行すれば行きたい所をコンプリートできるのかということ。ここでタイトルの「生き急いでる?」という疑問が出て来ます。まだ20代前半です。将来時間もお金も今よりある時期っていうのはあるはずで、今やりたいことを先の楽しみとして取っておくこともできるはずなのです。しかしそれはやっぱり私のモットーに反します。私はじぶんの新鮮な気持ちを新鮮なままそのつど形にできればなあと思っています。

このブログをはじめようと思ったきっかけは、じぶんの考えをどこかに残しておきたい、せっかくなら誰かに伝えたい、でも身近な人に伝えるのは照れくさいし暑苦しいかもしれない…、そういう思いからです。

留学するということは違う文化の中で生活するということ。日々いろんな気づきがありますし、またバイトもないので余計なことを考える暇がたっぷりあります。そんなかんじですので、どうぞよろしくお願いします。