孤独からの勘違い

孤独ゆえに陥りやすい勘違い。

人と気が合わないと感じて、ずっと一人での行動を選んでしまう。このこと自体に問題はない。

けど、これを変な方向にこじらせてしまうととても厄介なことになる。

 

 変な方向にこじらせるとは、何かと言うと、「自分は人とは違うんだ。特別なんだ。」という勘違いのこと。

自分は、身の回りの人とはひと味違う人間。特別な人間。そんな風に変に自分を肯定的に捉えて格好つけた意識を持ってしまうことがある。

 

ただ単に一人でいるだけなのに、それをとても崇高なことのように思ってしまうのだ。

 そうすると何が起こるか。

 

 周りの人をどこかでバカにした目で見るようになる。自分はまともで、周囲はなんかちょっとおバカさん。自覚がない所で、うっすらとそう思うようになる。

 

多分、分かり合える人がいなくて一人でいることが辛いから、こうやって自分を正当化して安心しようとしているのだろう。

 

傷つきたくない。

人と気が合わない意外の理由で、一人での行動を選んでしまうとしたら、その理由は 「傷つきたくないからだと」思う。

傷つくことを恐れて人と接することが出来ない。何もしなければ傷つくことはないと分かっているから人と接しない。

 

こんなことからも孤独を選んでしまいがち。

自分の内面は表に出ている。

今回は、

この前書いた、やりたくないことってやってない

という記事に付け足し。

abukunoshikou.hatenablog.com

 

やりたくないことは行動に移していないから、

今の身の回りの状況は、やりたいと思ってやったことの結果生まれたもの。

 

 

例えば部屋の中。

いつも綺麗ならそれは、自分がそうなるための行動を取っている。

いつも汚いなら、それだってそうなるための行動を取った結果。

 

もちろん行動自体は、自分の内面の〜しようという思いから生まれたもの。

 

 

自分の内面に〜しようと言う思いが生まれ、それに従った行動が起こり、その結果周囲の状態が決まる。

 

自分の内面が表に出るまでの流れはこんな感じ。

 

 

周り状況によって自分の内面が決まることもあるだろうけど、

自分の内面によって周りの状況が決まることだってある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やりたくないことってやってない。

何かを、やらなきゃと思っても行動に移していないとしたら、それはそんなにやりたく無い事。やりたかったら体が動いてやっている。

 

勉強しなきゃとか運動しなきゃとか思っていながらやっていないのなら、それほどやりたくないという事だ。

それほどやりたくないどころか、やらないという決心をしているとさえ思う。あまり自覚は無くても、全然やっていないなんて事が続くのであればそれはきっとやらないぞと心に強く誓っている様なもの。

 

実はとても頑に、やらないという決意を持っているのだ。

 

「ダメだ、こんな事では」なんて思いながらも実は密かにやらない決断をしているからまず手をつける事は無いと思う。

 

やりたくない事って本当に強い決断、決意があるからどんな事であっても本当にやらない。

 

自分が追いつめられてやらざるを得ない状況にでも追い込まれれば、やるしか無いけどそうでないなら体は動く事はないだろう。

 

その他にも、どうしても好きな事でやりたくて溜まらない事であればもちろんやると思う。

 

やらないのはそんなに好きでもない事、やらなくても困らない事のどちらか。

自主的に動いた方が楽しい

誰かに命令されて動くより、自分の意志に基づいて自主的に動いた方がいい。

 

自分の意志に寄らず、人の意思で動くと不満や面倒くささがうまれてあまり精神衛生的に良くない。

 

自分に意志に反する事をさせられているから面白くはないはず。

 

誰かの命令に従ってばかりだとどうしたってやる気はなくなる。本来のやりたい事ではないのだから、そんな事をしたってつまらないと感じるのだ。

 

自分の意志で考えず、言われた事だけやっているのはとても楽だけど、そんな事はいつまでも続けていたらいつか嫌になってくる。

 

自主性を発揮して行動してこそやる気が出るのだ、どうしたって自分の意志を優先して動いた方が楽しいに決まっているのだ。

 

自主性を奪われて生きていくなんて、こんなに苦しい事は無い。

 

何をするにも自主性を持った方が良い。行動ではなく、自分の意見感じた事を声に出すのだって立派な自主性だと思う。

 

何も言わず、ひたすらに命令に従って生きるというのはかなり苦しい。何かしら自分から出していく事が大切。

 

自分から何かする、動く、言うなどをしないと何をするにも士気が下がる。

 

どんどん自分から何かしようその方が自分のためになる。誰にでも自分の意志はある。それを閉じ込めない事だ。

すぐにやってしまおう。

何でもすぐやろう。やってしまおう。

そんなに難しくないことなら 素早く片付けてしまうのが良いと思う。

 

例えば免許の更新なんかがそう。更新手続きの案内が届いたら、最短でいつ手続きできるか予定を確認して、出来るだけ早く済ませてしまう。余裕があるからとかいって後回しにしない。 

買い物とかで、請求書が届いて料金の支払する必要があったら、手元に請求書が届いたその日、または翌日の内に支払いをすませてしまう。

 

このぐらい素早く何でも片付けてしまうと、気持ちもとても楽だしあとで困る事も無い。期日の直前で急いで片付けたり、最悪の場合は期日に間に合わなかったりする心配も無い。

 

こういう風になんでも早くやると、次々にいろんな事が片付いていく様子が目に見えるのでとても気持ちがいい。自分がバリバリといろんな事を処理していく事が実感できるので楽しくもある。

 

締め切りまでものすごく余裕を持って物事を片付けるのってなんか楽しくない?

期日までまだまだ時間はたっぷりあるのに既に処理が終わっているのってなんだか嬉しくなってしまう。

 

さっきの免許の更新だけど、手続きの案内が手元に届いてすぐに処理すれば、更新期日まで50日以上の時間だってとれるはず。この圧倒的余裕はすごい。

不安や心配事を、書き疲れるまで書くと起こる事

心配事や不安に対しては、書く事が有効とおっしゃってくださっているツイート。
書き疲れる事で心境にも変化があるというのは確かにそう。今まであんまり自覚していなかったけど疲れるというのが重要なんだと思う。
出先で、気が済むまで書くと何事も無かったかのように家に帰る事は確かにあったので、本当にこの通りだと思う。

格差、格差と言うけれど

ここ十年くらい、生活格差とかお金とかについていろんなニュースが出ているけど、結構心配なのが経済面の格差ではなく、頭の中身の格差だと個人的に思っている。

 

これまで以上に、頭の中身に問題があるタチの悪い人についての報道が目立つ。もちろん人目を引くように悪いニュースを集めているのかも知れない。また、ネットによってそういった人の存在が認識しやすくなったというのもあるだろう。

 

身の回りではトラブル防止の予防線が様々ところで増えてきたと思う。そうでもしないと「タチの悪い人たち」が起こすトラブルに巻き込まれてしまうので仕方ない面もある。

 

そう言ったタチの悪い人たちって全部ではないけど、頭の中身に問題があって周囲に迷惑をかけているのではないか。

 

お金がなくて、生活に困って犯罪に手を染める、何か悪い事をするというよりも、こういった人たちが起こす、訳の分からない犯罪が増えてきているのではないか。

 

犯罪に限って言えば、一時的にでも自分の得になる(盗むとか、お金を取るとか)様な事はせず、自分にとって全然プラスにもならないような事をやって捕まる人が出てきているのだ。

 

生活、金に困るなどの問題を抱えて悪事を働くのではなく、ただ単にどうかしている。

 

心の病とは明らかに違うと感じる。

 

資質、素養、教養の問題から暴力的な行動に結びつき人に迷惑をかけている。これは経済面からくるのではなく頭の中身の問題に由来するのではないか。

 

犯罪や暴力だけでなく、騒いだり、良い大人が過度にふざけたりなど種類も様々だ。

 

お金、経済状態のみならず、頭の中身の格差も、どうにかして改善する必要があると思う。