誰もが銀河からこぼれてる

光っても、光らなくても、そこにある

24.5.5 わたしにふぁぼを

 SNSがなぜ楽しいのかと訊かれたら「誰かの人生をのぞき見できるから」と答えるだろうな、とずっと思っていた。だけど、気づいたのだ。誰かの人生を見ている間、わたしはわたしの人生を見ていないじゃないか。

 最近、手帳をもっと活用したいなと思い、手帳術のYouTube動画を見たりしていた。そしてある動画を見てこのことに気づいたのである。なんということだろう。mixiから数えると20年近くもの間、わたしは誰かの人生を見続けていた。わたしの人生ではなくて。

 誰かの人生にふぁぼした数は数え切れないし、わたし自身の人生にふぁぼした数も数え切れない。ただ、わたしの人生をふぁぼった数は、誰かの人生をふぁぼった数より圧倒的に少ないことだけはわかる。そんな有様で自己肯定感が低いだの自分がすかすかだの自分がぺらぺらだの言ったところで当たり前なのだ。

 SNSを見るのはやはり楽しいのだ。ここ数年、分断を煽るような投稿が増えたと自覚していても、心を痛めながらでも見ることをやめられなかったのだ。だから、やめることはしない。ただ、見る時間は減らしていく。SNSに使っていた時間をもっともっとわたしに使って、ちょこっとずつでもわたしをふぁぼれるようになっていきたい。

 それにしても未だにツイッターと言ってしまうどころかふぁぼると言ってしまう。亡霊すぎるな。

24.4.28 昔も今もずっと懐かしい

フィルムカメラ*1と一眼レフを携えて松坂屋の屋上遊園に行く。ゴールデンウィーク明けにリニューアルのため閉鎖されると聞いたのだ。ここは小さいころも今も、30年以上ずっと懐かしい場所。数年前にあったゲーム機も一部撤収されてしまったので、懐かしい度はちょっと減ってるのだけど。

思いの外親子連れで賑わっていた。そしてどこまでも夏のような陽射しだった。ゆっくりとアンパンマンやらトーマスやらの車や小さな電車が周り、メルヘンなカラーリングのメリーゴーラウンドも回っていた。クレーンゲームにはすみっコぐらしのぬいぐるみが山積みだった。


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パンダも虎もぞうもアヒルもベンチもメリーゴーラウンドも、みんなどこへ行くのだろう。また会えるだろうか。

*1:今日持っていったのはCanon AutoboyS2。まだデート機能が生きている

24.4.22 わたしの薄さ

 体調がどうにも悪い中で睡眠外来と精神科に行く。精神科の主治医がお休みで代診の先生だった。

 精神科でのカウンセリングで、ここ数回は様々なアプローチから様々な話をしているのだけど、ここにきてわたしのしんどさの核心めいたものに触れてしまった。わたしは、わたしの都合や意思をちゃんと把握していないのではないか。わたしというものが実際はかなり薄いのではないか。その補助線は、わたしのしんどさのかなりの部分の手がかりに十分だった。

 ぼんやりと、そうだったのかとつぶやくように家に帰った。つれあいはわたしの顔を見るなり「よく帰ってきたね」と言った。冷蔵庫の中には、スーパーで買ってきてくれた杏仁豆腐があった。


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24.4.15 パフェ的な、トライフル的な

 おしりが痛い。坐骨神経痛で歩くのも辛いほど痛い。そういうわけでひいひい言いながら仕事を終えて整形外科に行く。おしりに注射を打ってもらうためだ。整形外科には何やら妻に自慢気に偉そうに話す夫や喧嘩をしている夫婦、部活のジャージの高校生、足を引きずった小学生などがいた。おしりに注射を打ってもらって出てくると夫婦喧嘩は終わっていた。

 岐阜の妹からたけのこがクール便で届く。思った以上にたくさんのたけのこだ。妹の義実家の山からの採れたて茹でたてほやほやである。プロ*1は亡くなってしまったが、今年は三人の甥たちも一緒にたけのこ掘りをしたようだ。たけのこご飯、土佐煮、あと何にしようかな。それにしても、妹はちゃんと「人生」というやつをやっている。姉からは届かない人生だ。

 つれあいが今年のヤマザキ春のパン祭りのボウルをたいへん気に入っている。「サイズ感がいい!」「フォルムがいい!」だけでなく「パフェにちょうどいい!」とも言っている。パフェ?トライフル的なやつではなく?とトライフルを提示したら「こういうやつ」とのことだった。なので、明日トライフルを作ることにして、今日はそのためのカスタードを作っておいた。明日のわたしのためのカスタードである。

*1:妹の義祖母のこと

24.4.8 忘れてたけど6年

 朝、Googleフォトから「あれから6年」という通知が来る。なんだろうなと見てみたらつれあいとの初デートの日に食べた平和園*1のあさり炒め*2の写真だった。初デート、すなわち付き合い始めた日である。そうだったかとつれあいにLINEしたら「花祭りの日だからそうか」と返ってきた。二人とも見事に忘れていた。

 帰宅後、冷蔵庫を開けるとケーキの箱があった。つれあいに送ったLINEのことも忘れていたので、はて、今日はなんの日フッフー*3と考えて気がついた。交際記念日だった。つれあいは昼休みに家に帰ってくるんだけど、そのときに買ってきてくれたのだった。優しいつれあいが買ってきたショートケーキは、とても優しい味だった。

 ここ最近、自他境界だとか推し活についてぼんやり考えていたところにド級のnoteを読んでしまった。自他境界がぼやぼやになりがちな人間としていろいろと思うところがあったんだけど、これをホラーと言い切れる人もそれはそれで怖いな、と思った。

 少し前、某球団の元チアの子がSNSを始めたんだけど、チアのころからずっと追っていたので嬉しくてアカウントをフォローした。彼女のアカウントにアップされる投稿からは、彼女がかわいくてスタイルがよいという情報以上のことを得られなかった。はて、わたしは彼女の何が知りたかったんだろう。かわいくてスタイルがよい以外の、何を知りたかったんだろう。わたしは彼女に何を求めていたんだろうか、彼女は彼女でしかないのに。

 思わず「はて?」を日記に書いてしまうくらい虎に翼が楽しい。らんまんもブギウギも楽しくて虎に翼も楽しくて嬉しい。

*1:名古屋の駅西銀座にあるおいしい街中華。歌人が集まりがち

*2:このあさり炒めのことは短歌に詠んである

*3:©午後は○○おもいッきりテレビ

24.4.4 春のかたまりのような

 仕事をしていれば大なり小なりやってらんねーですよという事態に遭遇するものだけど、最近のわたしはやってらんねーですよ度が高めだった。そこに特大のやってらんねーですよが降ってきたので、仕事の帰りに寄り道することにした。

 いつもかばんに入れているカメラ*1を首から下げ、会社の最寄り駅近くを歩く。持病の関係で時短勤務になってから初めての春だ。いつも曲がらない角を曲がった先には住宅があって、コインパーキングがあって、公園があった。

 公園の花壇はよく手入れされていて、まさに今こそ咲かないと!と言わんばかりの花で溢れそうだった。桜は五分咲きくらい。60すぎくらいの夫婦が桜の下のベンチに座っていて、二人で持参したタンブラーのお茶を飲んでいた。その夫婦はたまに言葉を交わすけどずっと喋っているわけではなく、ただそこにいた。わたしが写真を撮っている間も、帰るときもずっと。

 あまりにもおだやかで、春のかたまりのような公園だった。わたしの生活から少し外れてみただけで、こんな場所に来られるのだな。

*1:RICOHのGRⅡ

24.4.3 赤ちゃんのころから苦手

 春らしい嵐の中を出社する。傘が苦手なのだけど、案の定ずぶ濡れになる。傘には進化の余地がまだあるはずだろうよ。

 傘をうまくさせずにずぶ濡れになると思い出す話がある。わたしが赤ちゃんのころは抱っこひもではなくおんぶひもが主流で、その日も母親は赤ちゃんをおんぶして傘をさしていた。と、母親は信号待ちの人に声をかけられたのだという。「赤ちゃんが濡れてますよ」と。そこで傘をつたってしたたる雨に濡れていた赤ちゃんがわたしなのだった。赤ちゃんのころから傘が苦手なんである*1

 仕事中、カネハラさんにメールを出そうと「かねは」と打ったところで予測変換に「金は天下の回りもの」と出てきた。Microsoftよ、確かにそうだけど今はそうじゃないんだ。

 今日もドラゴンズが勝って嬉しい。わたしは大野雄大投手のファンなので、彼がマウンドに帰ってきたこと*2、そして安定感のあるピッチングをしていたことが本当に嬉しい。おかえりなさい。

 

*1:ちなみにそのあと母親はゴルフ用のどでかい傘を買いに行ったそうだ。たぶんまだ実家にある

*2:去年4月に肘をクリーニング手術し、その後リハビリをしていた