暇はつまらないことか?
暇はつまらないことでしょうか?
僕はここ最近とても暇です。いや、もっと言えば大学生になってからずっと暇です。
部活もサークルもバイトも特にしてません。実験レポートも2日あれば終わるので全然
大変ではないです。毎日大学に通い友達と会話して授業受けてちょっと勉強したり宿題
をしたりして一日を終える。そんな感じです。
たまにあまりに暇すぎて実益のあることをしたいな~なんて思います。
でも、よく考えてみると暇とは無益なものでしょうか。
確かにお金を生み出すわけでもないのでそういう面で見れば無益かもしれない。
しかし、暇な時間ってそこまでないと思う。中学高校は部活や受験で忙しかったし、4
年生以上になれば研究で忙しくなると思う。
暇を暇として過ごせるのは今しかないと思うとこんな暇な時間も有益な気がしてくる。
暇を暇として楽しみたいと思いました。
簡単に天才になる方法
天才っていますよね。ある能力において異常なほどにたけている人のことです。
天才は努力を努力と思いません。だからこそ突き抜けることができ、天才なのです。
しかし、僕は考えました。
それって、逆もまたしかりなんじゃないか?
つまりは、何もしなければそれもそれで天才なんじゃないかということです。
いくら勉強しない人でもテスト前は勉強します。やる気のない人でも、上司や先輩に怒
られれば働きます。
それが普通の人です。
普通の人は自分がほかの人に後れを取ることに対して焦りを感じます。
「赤点はまずい」「平均点は取らなきゃ」
というように。
テスト前でも動じず何もしない。上司や先輩に何を言われようが動かないという人はす
さまじく神経が図太い人だと思うしすごいと思います。それはそれで一つの才能だし、
天才だと思うのです。何もしないことに突き抜けることはスゴイのです。
しかし、何もしないというのには徹底する必要があります。一瞬でも焦りを見せたらア
ウトです。
何もしない天才になるのは簡単です。ただ本当に何もしなければいいのですから。
天才になる勇気はありますか?
「暇つぶし」と「ひつまぶし」って似てるよね
唐突ですが、「暇つぶし」と「ひつまぶし」ってゴロが似てますよね?
なんと2文字目と3文字目を入れ替えただけ!
ひつまぶしが何かしらない人のために説明を入れるとひつまぶしというのはウナギを使
った名古屋名物です。おいしいので食べてみてください笑。
さて、話を戻すとこの二単語はゴロがよく似ていますがなんででしょう?
暇つぶしという単語は「暇」と「つぶす」を組み合わせた単語です。それに対しひつま
ぶしの語源は諸説がありよくわからないのでとりあえず「ひつまぶし」で一単語という
ことにしておきましょう。
このように、語源が全く違うのにここまで似ているのは奇跡じゃないでしょうか?
単純に考えて、5文字の単語は48×50×50×50×50の三億個あります。もちろん、この三
億個が全部単語として存在はしませんが笑。こんなにも数がある中で2番目と3番目を
入れ替えただけ!
やはり、奇跡としか言いようがない!
以上、どうでもいい発見をした一日でした。
今、一番需要があるのは暇つぶしだろう
あなたの周りにこんな人はいませんか?
忙しい忙しいと言いながらスマホゲームやyoutubeばっかり見ている人。
正直僕の周りにも大勢いるし、僕のそのうちの一人かもしれません笑
僕が所属している学科は化学系で、一般的にはレポートと授業の両立が大変な学
科とされています。しかし、そんなことを言われながらも授業中は寝ていたりゲームし
ている人は多いし、自宅に帰った後も勉強している学生はどうも少数派のようです。
つまるところ、暇なのです!!!
本当に忙しいならば、そんなことしている暇は微塵もないはず。要するに暇はたくさん
あるんです。
しかし、その暇をつぶしかねているのが現状だと思います。毎日同じことをしていると
飽きます。多くの人はもうゲームもyoutubeも本当は飽きているはず。ただとりあえず
暇だから惰性で見ているだけ。労力を使わずに時間をつぶせる手段がとてもとても少な
いのです。
暇つぶしに必要な条件は、①労力を用いず②新鮮味を感じられて③面白いもの、だと思
います。この条件を満たすものができたら皆happyですね笑。
赤の他人に「写真撮ってください」って言えるっていいよね
大学の授業が終わった後に、明日からGWということもあり、国立西洋美術館に行きました。しかし、今回の話は美術館の展示物の話ではありません。
展示を見終わって帰ろうとすると、僕と同じように美術館の鑑賞にきていたらしい老婦人二人組に、
「これ(スマホ)で写真を撮ってもらえませんか?」
とお願いされました。もちろん僕は、その要望に応じ写真を取ってあげました。
でもよく考えてみるとこれってかなりおかしな状況ですよね。僕は一時的とはいえ、赤の他人の老婦人のスマホを手にしていたのです。正直なんとだってできたはずです。持ち去って逃亡だってできただろうし、個人情報だって見れたかもしれません。でも、僕はしませんでした。
これは、一種の信頼関係が成り立っているからだといえます。老婦人はこの人なら写真を撮ってくれると信じ、僕は応えた。赤の他人とも信頼関係が築けるだなんていいなと思いました。また、今はまだ平和なんだなとも思いました。
別に、老婦人の防犯意識が低すぎるとか、僕の行いは正しいとかそういったことを言いたいんじゃないです。ただ単純に赤の他人に自分のスマホを渡せることができる社会っていいなと思っただけです。このような社会が続くといいなと思います。
だって、いつ自分のスマホが奪われるかわからない社会なんて嫌ですよね?