弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

降格や配転可能性が十分検討されていないとして、パワーハラスメントを理由とするプロダンサー(ダンスホール支配人)の普通解雇が無効とされた例

1.専門性の高い職務内容の労働者に対する解雇

 適格性欠如等を理由とする普通解雇を行うにあたり、

「専門性の高い職務・職位を特定しそれに見合った能力の発揮を期待して中途採用等で雇用された労働者の場合、当該職務を遂行する能力に欠けるときには、他の職務・職位への配置を検討せずに解雇を行うことも有効と判断されることがある」

という議論があります(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第3版、令5〕1011頁参照)。

 配転の打診等を前置きされないまま解雇された専門性の高い労働者が解雇の効力を争うと、使用者側からは、大体、上述のような反論が寄せられます。

 しかし、上述のような議論も常に妥当するというわけではありません。近時公刊された判例集にも、降格や配転可能性が十分に検討されていないとして、プロダンサーに対する普通解雇の効力を否定した裁判例が掲載されています。東京地判令5.3.29労働判例ジャーナル145-40 ファーストブラザーズ事件です。

2.ファーストブラザーズ事件

 本件で被告になったのは、ダンスホールの運営、土産品の販売等を営む株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、被告が経営するダンスホール(本件ダンスホール)の支配人を務めていた方です。部下である従業員らに対してパワーハラスメントを行ったなどとして普通解雇されたことを受け、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では原告の属性に特徴があります。

 原告の方は、

22歳であった平成21年2月にアルバイトとして本件ダンスホールで働き始め、

同年4月に正社員となり、

翌平成22年頃、本件ダンスホールの支配人になっています。

 大学生の時からダンスを始めており、被告に入社してからはプロの競技会に出場するようになり、平成23年時点では最上位のA級にまで昇格していました。

 また、被告には「個人アテンダント制」という仕組みがありました。

 これは、

客から指名されたアテンダントがマンツーマンでアテンドし、

その中でレッスンや踊り合わせなどを30分単位で行い、

客が1レッスン(30分)当たり3000円を被告に支払い、

そのうち1500円がアテンダントの報酬になる、

という仕組みです。

 こうした仕組みのもと、原告の方は、多い時は月額10万円を超える個人レッスンの報酬を得ていました。

 キャリアの特性・専門性を考えると、解雇するにあたり、降格や他の職種への配転は予定されていないようにも思われますが、裁判所は、次のとおり述べて、解雇の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告の本件ダンスホールで勤務する従業員に対する暴言、特に平成30年10月21日のものは、本件ダンスホールの支配人である原告が部下である従業員に対し、その身体的特徴や経歴などをあげつらって侮辱したり、罵倒したりしているのであって、原告とその部下である従業員との間の信頼関係を破壊するのに十分な行為である。現に、本件ダンスホールで勤務する従業員は、原告との話合いを拒み、ダンス事業部の担当役員であった常務取締役のP3は、原告と本件ダンスホールで勤務する従業員との間で意思疎通ができておらず、本件ダンスホールの運営に支障が生じていると考え、原告に対して自宅待機命令を発している。このような点に照らすと、被告が本件解雇に及んだことについて相応の理由があるといえる。」

「しかしながら、被告が原告の問題行動を知り、指摘したのはこれが初めてであって、改善の可能性がないとまではいえないこと、懲戒処分又は人事上の措置として原告の本件ダンスホールの支配人から降格させた上、一従業員として勤務させるという選択肢もあり得ること、被告にはダンス事業部以外にも事業部が存在するにもかかわらず、配置転換の可能性について十分に検討した形跡が見られないことに照らすと、これまで懲戒処分を受けたことがない原告に対して解雇をもって臨むのはやや重きに失し、社会通念上の相当性を欠くものといわざるを得ない。

この点につき、被告は、プロダンサーである原告を他の職種に配置転換することは困難であると主張するが、原告が平成21年2月に被告との間で締結したアルバイトの労働契約において、契約書上は被告に配置転換する権限が認められており・・・、また、就業規則40条でも同様のことが定められているのであるから・・・、被告の上記主張は採用できない。

「以上によれば、本件解雇は社会通念上相当とは認められないから、権利を濫用したものとして無効である。」

「したがって、原告は被告に対する労働契約上の地位にあると認められる。」

3.後天的に獲得した専門性であれば大丈夫なのか?

 上述のとおり、裁判所は、降格や配転の可能性が十分に検討されていないことなどを指摘して、解雇の効力を否定しました。

 アルバイト時の労働契約に言及するなどしていることからすると、元々の契約で高度な専門性が前提とされていなければ、後天的に高度な専門性を獲得したとしても、配転可能性を検討してもらう労働契約上の利益は失われないということなのかも知れません。

 いずれにせよ、配転可能性を検討されることなく解雇された専門的労働者に対する解雇の効力を争うにあたり、裁判所の判断は参考になります。

 

大学教員に対する懲戒処分-成績評価資料の提出を求められ、架空の課題を作出することの問題点

1.大学教員に認められる成績評価を行う権限

 大学当局から成績評価資料の提出を求められ、架空の課題を作出し、虚偽の内容の資料を提出したというと、不適切だと考える方は少なくないのではないかと思います。

 しかし、学生の成績評価を行う権限は、基本的には当該科目を担当している大学教員に帰属しています。成績評価自体は公正に行われてている場合、事後的に虚偽の内容の資料を提出しようが、そのようなことは大した問題ではないという理解が成り立つ余地はないのでしょうか? 昨日ご紹介した、横浜地判令6.2.8労働判例ジャーナル145-10 国立大学法人横浜国立大学事件は、この問題を考えるにあたっても参考になります。

2.国立大学法人横浜国立大学事件

 本件で被告になったのは、横浜国立大学を運営している国立大学法人です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、教授として勤務していた方です。入試不正や課題捏造などに係る成績不正を理由として懲戒解雇されたことを受け、その無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 課題捏造との関係でいうと、本件の被告は、次のとおり懲戒事由を主張しました。

(被告の主張)

「Advertisement Art(以下「本件科目〔3〕」という。)」

「原告は、令和元年度後期に開講した本件科目〔3〕について、令和2年3月4日までに成績評価を提出した。その後、同月10日、被告から成績評価の根拠資料の提出を求められたものの、本件科目〔3〕の成績評価をシラバスに沿った内容で行った事実がなかったことから、既に提出済みの最終判定の結果を変更しない形で被告に報告する方法を考え、成績評価基準を変更し、課題提出の点数の比重を変え、他の受講生の作成した課題を受講生の提出課題として捏造することにより、恣意的な成績評価を根拠のある成績評価であるかのような外観を作出し、同月23日付け及び同年4月1日付けで成績評価資料を提出した。その際、複数のアシスタント学生に課題捏造作業に加担させた。」

「被告では、成績評価方針を統一し、シラバスにおいて成績評価基準を公表していたのであるから、原告に認められた裁量はシラバスにおいて学生に示した成績評価基準内に限定される。課題を提出していないにもかかわらず提出扱いにすることは教員に与えられる成績評価に関する裁量の範囲外である。」

「大学の成績評価は、学生の進級要件、学位取得要件、卒業要件といった大学教育の根幹を成すものである。また、大学内にとどまらず、奨学金の申請要件、奨学金の返還免除要件にも関わり、大学を卒業した後の就職、留学、転職等の際に利用される大学発行の卒業証明書や成績証明書の基礎となるものである。そのため、成績評価及び単位認定が適正になされることが社会的に要請される。」

「原告の行為は、大学教育の根幹を成す単位認定に関して被告の信頼性に疑問を生じさせるものであって、被告の信用を傷付け、被告において不名誉となる行為であるとともに、成績評価者としての責任を欠き、不誠実かつ不公正な職務遂行であるため、就業規則41条及び43条に違反する。」

 これに対し、原告は、

「原告は、恒常的に過剰な勤務をする状況にあり、抑うつ症状にあったところ、成績評価の根拠に関して理不尽な問合せを受け、苦肉の策として学生の不利益を回避するため、事実と異なる成績資料を提出し、軽率な対応をしてしまったにすぎない。成績評価に不正行為があったものではな(い)」

などと主張し、懲戒事由への該当性を争いました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、懲戒事由への該当性を認めました。

(裁判所の判断)

「本件科目〔3〕は、シラバスでは、非常勤講師であるP4が担当教員とされていた。P4は、英語を話せなかったため、原告は、本件科目〔3〕では、通訳等をして授業を補助していた。」

「本件科目〔3〕では、受講生は、毎回の授業において、制作した作品等を課題として提出した。提出された課題は大量にあるため、一時的に保管された後、返却や処分がされた。P4は、学生から提出された課題を採点し、P7などのアシスタント学生はP4が採点した結果をデータ入力する作業をし、P4は、採点のデータをドロップボックスを通じて原告と共有し、原告に集計を依頼していた。」

「原告は、自己の業務の全般を補助する学生をアシスタントと称し、アシスタント学生は、授業の運営の補助や課題の集計などをしていた。令和元年度に経営学部経営学科に在籍していたP10(以下「P10」という。)も、アシスタント学生であった。」

「本件科目〔1〕(Multicultural Conference 括弧内筆者)は、教育実習に当たる授業であり、高学年の学生が講師役となり、生徒役の学生が講師役の学生の授業を受けることになっていた。そして、生徒役の学生が提出した課題は、講師役の学生が採点して、生徒役の学生に返却していた。」

「被告においては、授業における成績評価の基準を全学で統一し、シラバスにおいて成績評価の基準表が学生に示されることとされていた・・・。」

「P4は、令和元年度後期において、シラバス・・・には、成績評価基準を

『成績点[%]=(課題の評価平均[%])×(クラス発表の評価平均[%])×(最終試験・最終レポート・最終発表の評価平均[%])×(出席率[%])(脚注)0.9+(クラス貢献-最大10[%])』

と記載していたが、この方法によると、課題点やテスト点が良くても出席率が悪い受講生や、出席率が100%であっても課題点やテスト点が悪い受講生は、高得点が得られないことになった。実際に、同学期の受講生の中には、意欲や実力があっても、病欠や他の授業との重複から出席率が悪いために高い評価を得られない者も出ることになった。P4は、本件科目〔3〕は、創造性や伝達力が推奨・評価される授業であり、課題を理解して取り組む姿勢が重要な評価基準となるが、シラバスに記載した成績評価基準ではこれが反映されないこと、同年度の本件科目〔3〕は、他授業との調整が不十分なことや、新型コロナウイルス感染症拡大の中で、出席率が悪い受講生が増加したことから、成績評価基準から出席率を外すことを考えた。そして、令和2年2月12日の受講生による発表会が行われた後に、原告に確認した上で、出席率の成績への影響が小さくなるように、成績評価基準を

『(課題評価の平均点[%])×(定期考査点[%])×(クラス貢献・日常評価 最大10[%])』に変更した。そしてP4は、同月、原告に対し、上記変更後の成績評価基準に基づき、令和元年度後期の成績評価を提出した。」

「アシスタント学生であるP10は、学生から提出された課題の集計を行い、令和2年1月下旬から同年2月上旬にかけて、被告に報告するため、原告が学生ごとに10点刻みで読み上げた成績評価をシステムに入力する作業を行った・・・。」

「原告は、令和元年度後期の本件科目〔3〕について、同年3月4日までに最終判定に基づく評点等を教育企画課に提出した・・・。」

「YCCS(YOKOHAMA クリエイティブ・シティ・スタディーズ特別プログラム 括弧内筆者)に所属する学生は、令和2年2月26日付けで、被告の人権委員会委員長に対し、原告について救済措置の申出をし、原告は職権を濫用しており、学生は、原告により繰り返されるハラスメントに悩み苦しんできており、授業において適正な評価をしてもらうこと、卒業論文について原告以外の指導教員に教わることなどを求めた・・・。」

「国際戦略推進機構長であるP3は、人権委員会からの要請を受け、令和2年3月10日、原告に対し、本件科目〔1〕、本件科目〔2〕(World Legal Systems&Management Philosophy 括弧内筆者)及び本件科目〔3〕について成績判定関連資料を提出するように連絡した。これを受けて、原告は、P3に対し、同月25日、本件科目〔3〕について、成績評価資料に関する書面・・・を提出した。原告は、同書面に、令和元年度後期の本件科目〔3〕について、シラバスの内容のとおりの授業の概要、成績評価基準を記載したが、具体的な成績評価には、課題提出回数と期末テストの評価を用い、出席率をどのように反映させたのかは明らかでない計算式(シラバスに記載した成績評価基準とは異なる計算式)を用いていた。また、原告は、同日、P3に対し、本件科目〔2〕についても成績評価資料に関する書面・・・を提出した。」

「原告から提出された成績評価資料に関する書面は、成績評価の裏付け資料として十分でなかったため、P3は、原告に対し、定期試験、レポート、出欠状況等の全ての資料を速やかに提出するように連絡した。原告は、課題の性質上、保存できるものも少ないし、全ての資料が揃っていないと伝えたが、P3から、資料を提出する必要があり、資料がなかったとしても提出しなければならないと、資料の提出を強く催促された。原告は、本件科目〔1〕については、資料は提出できないと回答したが、本件科目〔3〕についてはそのような回答をしなかった。そして、本件科目〔3〕では、提出された課題ごとに成績を付けていなかったため、提出済みの最終成績に整合するように、課題の提出があったものと取り扱う必要が生じた。そのため、原告は、アシスタント学生に対し、ない課題を作るしかない旨を伝えた。アシスタント学生であるP10は、原告の指示を受け、原告が被告に提出した書面の内容と整合させるために「提出されていなければならない課題」について、『捏造する提出物一覧』と題するメモ・・・を作成し、受講生の氏名と作出する必要がある課題の番号等を列挙した。」

「アシスタント学生は、上記のメモを共有し、作出する課題を分担し、原告の確認をとりながら、令和元年度後期の課題を作出し、作業が完了したものについて、抹消線を引いた。上記課題の作出に当たり、アシスタント学生は、新たに課題を作成するか、過去の他の学生が提出した課題を利用して加工や編集をして課題を作成する方法を考えたが、その作業量が多かったため、提出物が優秀であった場合に課題を免除するという架空の制度が実在したこととして、課題を作成する作業を少なくした。これらの方法は、原告とアシスタント学生が相談して考えたものであるが、原告は、どの課題についてどの方法を用いるかについて、アシスタント学生に指示をした。P10は、他のデータと区別するため、作出した課題を格納したフォルダーに『捏造』とのフォルダー名を付した。『捏造』という言葉は、P10が初めて使い、原告は、このように『捏造』という言葉が使用されていることを知るに至ったが、『捏造』という言葉を消去するよう指示することはなかった。また、原告は、令和2年3月25日に成績評価を再提出した後、P4に成績評価について問合せ、同人から、シラバスに記載された成績評価基準を変更した事情等の説明を受けたが、資料の提出を求められていることの相談はしなかった。」

「P4は、原告からの問合せを受け、令和2年4月1日付けで、小数点の端数処理などの誤りを訂正した成績評価を原告に提出した。原告は、P4が作成した資料を確認した上で、同月2日、P3に対し、改めて、成績評価資料に関する書面・・・、課題の集計リスト・・・及び作出した提出課題を提出した。この成績評価資料に関する書面に記載された受講生の最終成績は、同年3月23日付けの成績評価資料に関する書面に記載されたものと同一であった。原告は、同年4月1日付けの成績評価資料に関する書面において、成績評価基準をP4が実際に採用した計算式に変更し、アシスタント学生に作成させた課題を提出したが、P4から受領した成績評価の資料を併せて提出することはしなかった。」

「原告は、令和2年4月2日、P3に対し、本件科目〔2〕の成績評価資料に関する書面を提出したが・・・、この書面の提出に当たり、アシスタント学生であるP11は、本件科目〔2〕の課題を作出し、原告のサーバーにおいて、『課題捏造_P11』等の名称のフォルダーを作成し・・・、前年度の受講生が提出した課題の氏名を令和元年度の受講生の氏名に変えて、令和元年度の受講生の課題が作成されたこととした・・・。」

「原告は、令和2年4月14日、本件科目〔1〕について、成績評価資料に関する書面を提出した・・・。その際、本件科目〔1〕の成績評価に関して、原告のサーバーに成績評価に関するエクセルファイルが作成され、ファイル名に「点数調整済」等の文言が付された・・・。原告は、本件科目〔1〕については、資料が膨大であり、とても提出することはできないと考えたため、P3に対して、資料を提出することはできないと回答していた。」

(中略)

「原告は、本件科目〔3〕の成績を被告に提出した後、その裏付けとなる課題等の資料の提出を求められた際、成績評価の対象となった学生について、架空の課題を作出し、課題免除権という実在しない制度が存在したものとして、虚偽の内容の資料を提出し、複数の学生アシスタントに架空の課題の作成に関与させている・・・。」

令和2年3月に提出した成績評価と同年4月に再提出した成績評価では、対象となる学生の最終的な成績に変更は見られないから、原告による課題の作出等は、受講した学生の成績に変動を直接生じさせるものではない。しかし、成績評価の資料として虚偽の資料を提出した場合には、当該成績評価が公正かつ適切にされたものであるか疑いが生じ、他の科目を含めて、原告による成績評価が適正なものであったか検討する作業が必要になるというべきであり、現に、被告においては、同年9月、原告から低い成績を付けられ、修正をしてもらいたいのであれば申し出るよう、YCCSの学生に周知がされている・・・。

「さらに、原告は、複数のアシスタント学生に架空の課題を作出させ、その際、アシスタント学生が『捏造』と称して作業することを放置していたものであり・・・、原告は、教授の地位にありながら、学生を倫理に反する行為に加担させたものである。」

「この点、原告は、業務が多忙を極めていたため、やむを得ず、架空の課題を作出した旨主張する。しかし、本件科目〔3〕については、提出された課題を一時的に保存した後、返却するか処分していたものであり・・・、原告としては、被告に課題を提出することが不可能又は困難であったのであるから、かかる実情を説明する努力を尽くすべきである。現に、本件科目〔1〕については、課題の提示が困難であるとの回答をしていたのであるから・・・、本件科目〔3〕についても同様の対応をすべきであった。そして、原告は、同年4月に成績評価を再提出する前に、P4に成績評価の確認を行っており・・・、課題を提示する代わりに、P4が作成した成績評価の資料を入手して提出する方法も採り得たと考えられる。」

「また、原告は、本件科目〔2〕についても、アシスタント学生に成績資料の改ざんをさせていたことが認められ・・・、これも、当該成績評価が公正かつ適切にされたものであるか疑いが生じさせるとともに、教授の地位にありながら、学生を倫理に反する行為に加担させたものである。」

独立行政法人大学改革支援・学位授与機構が定めた大学評価基準・・・は、大学の学位課程における教育活動を中心として、大学設置基準等の法令適合性を含めて、大学として適合していることが必要であると同機構が考える内容を示したものであるが、教育課程と学習成果に関する基準として、教育課程方針に即して、公正な成績評価が厳格かつ客観的に実施されていることが挙げられている。

また、大学教員の職務は研究及び教育であるところ、課題・試験の採点や成績評価は、学生の単位認定、進級査定や卒業査定等に影響し、学生の教育・指導の根幹部分に当たる、重要かつ基本的な職務である。

原告の行為は、成績評価の公正を著しく害するものであり、学生との間の信頼関係が損なわせ、ひいては学生と被告との信頼関係を損なうものである。

したがって、原告の行為は、『誠実かつ公正に職務を遂行』することを怠り、被告の『不名誉となる』ものであるから、就業規則41条及び43条に違反したものであり、就業規則36条4号に該当する。

3.やはり成績評価に影響がなければよいというものではないのだろう

 上述のとおり、裁判所は、

「成績評価の資料として虚偽の資料を提出した場合には、当該成績評価が公正かつ適切にされたものであるか疑いが生じ、他の科目を含めて、原告による成績評価が適正なものであったか検討する作業が必要になる」

と述べ、成績評価に影響がなかったとしても、虚偽の内容の資料を提出することはダメだと判示しました。

 大学改革支援・学位授与機構などの外部の目があることなども踏まえると、成績評価といっても、大学教員の自由裁量というわけにはいかないのだと思います。

 裁判所の判断内容は、大学教員の方に対する懲戒処分の効力をめぐる事件を処理するにあたり、参考になります。

 

入試の合否判定に係る評価点の改ざん行為等を理由とする懲戒解雇-個人的利益を図る目的がなくても解雇有効とされた例

1.入試不正等に関する大学教員の労働事件

 大学教員の方が懲戒処分を受ける類型の一つとして、入学試験や単位認定、成績評価に係る不正行為が挙げられます。

 ただ、個人的な経験や観測の範囲で言うと、私的な利益を図るために不正行為を行うといった事例は、あまりありません。概ねの場合、不正行為は、大学や学生の利益に対する配慮から行われています。私利私欲を図ってやったわけでもないのに、懲戒解雇といった予想外に重い処分を受け、その効力を法的に争うことができないかと相談に来られることがパターンが多く見られます。

 私的利益が図られていない事案では、経緯を聞いていると気の毒に思うことが少なくありません。しかし、裁判所は、入学試験や単位認定、成績評価に係る不正行為を、重大な非違行為とみる傾向があるように思います。近時公刊物に掲載されていた、横浜地判令6.2.8労働判例ジャーナル145-10 国立大学法人横浜国立大学事件も、そうした傾向に連なる裁判例の一つです。

2.国立大学法人横浜国立大学事件

 本件で被告になったのは、横浜国立大学を運営している国立大学法人です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、教授として勤務していた方です。入試不正や課題捏造などに係る成績不正を理由として懲戒解雇されたことを受け、その無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 かなり長大な裁判例ですが、本日は入試不正が裁判所によってどのように評価されたのかを紹介させて頂きます。

 横浜国立大学はYOKOHAMA クリエイティブ・シティ・スタディーズ特別プログラム(YCCS)という学部横断教育プログラムを設置していました。問題になったのは、このYCSSの入試です。

 本件の被告は、非違事由(非違事由4)として、次のような主張をしました。

(被告の主張)

「原告は、令和2年度のYCCSの入試において、自らが採点を担当するとともに、他の3名の教員から採点結果の提出を受け、評価点の集計を行い、最終的な合否判定結果を被告に提出していたところ、3名の教員の評価点を改ざんし、合格圏にいた受験生の一部を不合格にし、不合格圏にいた受験生の一部を合格とした。また、原告は、YCCSの入学審査に関する申合せに反し、一部の受験生にしか点数を付けず、主に不合格となった者に対し、恣意的に0点を付ける採点を行った。」

「原告の行為は、入試の公正を害し、被告へ期待されている社会的要請にも反したものであり、社会の被告に対する信用を毀損し、被告における不名誉かつ不公正な職務遂行であるため、就業規則41条及び43条に違反する。」

 これに対し、原告は、次のとおり反論しました。

(原告の主張)

「YCCSでは、平成27年度入試から、国籍や出身背景のバランスを配慮し、極東やアジアの国籍に偏ることなく、プログラムの多様性を出し、外国籍の応募者が参加しやすくなるように、同じ国籍の出身者については、最大2名までしか採用しないという申合せがされた。当初、YCCS委員会は、評価点の上位者から合格にし、同じ国籍を2名まで採用していた場合には、他の国籍の次点候補者を繰り上げて合格とする方式を提案したところ、入試課は、国籍等の事情で他者を繰上げ合格するのではなく、評価点の上位者から順番どおり合格できるよう、国籍等を考慮して調整した評価点を記載した資料を最終資料とするよう要請した。そのため、それ以降、原告及びYCCS委員会の委員長であるP5(以下『P5』という。)は、同委員会の事前打合せの際に、事務方の指導の下、採点する教員(原告を含め4名)の評価点を基に国籍調整を主とした点数調整を行うことになり、原告の評価点はこれらの調整に利用した上、申合せに沿うよう微調整を行っていた。このように、同年度入試から令和2年度入試まで、YCCS委員会では、一体となって国籍による調整が継続的に行われ、P5は、入試判定の審議において、同じ国籍の受験生を2名までしか採用しないことを毎回口頭で確認していた。」

「また、令和2年度入試において、被告教務課のP6(以下「P6」という。)は、上記国籍調整の申合せに基づき、通常の評価点のみによる計算方法では不合格又は補欠合格となるスロバキアの受験生について、GPAの計算方法を変えることにより合格とできないかという提案をし、同受験生に限定して別のGPAの計算方法により再計算することを指示した。」

「このように、原告は、令和2年度入試において、YCCS委員会の申合せや事務局の指示に基づき、国籍による点数調整を行ったにすぎない。」

「原告は、令和2年3月、合否判定の資料を作成する際、P6から、『少なくとも、提出していない人のほうが提出している人より点数が高いということはないように点数を修正していただく必要があります』と、国籍調整のみならず、定員12名という僅かな定員に対して、最低9名以上の合格候補者が可能な限り入学してくるように調整することも求められた。」

「仮に、被告の主張するような評価点の逆転現象(シンガポール国籍の受験生と中国国籍の受験生について合格圏にいた受験生の一部を不合格にしたり補欠合格にする現象)が生じているのであれば、その理由は、上記のとおり、定員管理の観点から、滑り止め受験であることが明白で、合格後に入学を辞退する可能性が高い受験生を排除したことが考えられる。YCCSの場合、少人数で合格者を出すこともあり、業務としては重い追加募集をしたくないという事務局からの要望もあり、1次募集の段階で辞退者を減らしたいという意向があった。そのため、合格後入学する可能性が少ない受験生がいた場合、順番を入れ替えることがあった。」

「原告には個人的に国籍調整をする動機はなく、原告の利益にもならない。上記のように、原告は、不自然な事務方の指示に業務命令として従っていたにすぎない。それにもかかわらず、これを非違行為として原告を懲戒解雇とする被告の行為は、組織の関与を否定する悪質な組織的隠ぺいであるといわざるを得ない。」

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、原告の行為の懲戒事由該当性を認めました。入試不正だけが理由となったわけではありませんが、結論としても、懲戒解雇は有効だと判示されています。

(裁判所の判断)

「原告は、YCCSの令和2年度入試の合否判定に当たり、他の教員による評価点を採点した同教員らに説明することなく変更しているところ・・・、原告は、令和2年11月27日のヒアリングの際、令和2年度入試において、他の教員による評価点を変更したことを事前に他の教員らに説明していないことを認めているが・・・、他の教員による評価点を変更したのはYCCS委員会における国籍調整の申合せ及び事務局からの指示に基づくものである旨主張する。」

(中略)

プログラムに多様性を持たせるため、入学者の国籍に偏りがない方が望ましいとの考え方がYCCS委員会の委員らに共有されていたことは認められるが、同委員会において、合格者を1国籍2名にしなければならない旨の合意が形成され、その旨の申合せがされていたと認めることはできない・・・。」

「原告は、YCCS委員会の委員長であるP5が、入試判定の審議において、同じ国籍を2名までしか採用しないことを毎回口頭で確認したと主張するが、証人P6及び証人P9は、YCCS委員会において,合格者を1国籍2名にしなければならないとされていたことやそれに関する話がされていたことを否定しており、P5が同じ国籍を2名までしか採用しないことを毎回口頭で確認していたと直ちに認めることはできない。」

「もっとも、P5が本件小委員会のヒアリングにおいて、国籍調整はYCCS委員会の了解事項であったと回答したこと・・・、P5が作成したという陳述書・・・には、平成28年度入試の募集要項に関する議論の後、4人の採点委員(P1、P13、P9、P14)が付けた評価点に部局の委員の推薦点を加えた合否判定資料を基にして、国籍調整を反映した最終的な合否判定資料作成を原告を中心として、委員長であるP5と事務局である学務国際課の職員全員で作成し、それを合否判定会議で議論することになったが、どのような調整があったかは毎回委員会の席上で原告、P5及び事務職員から明確に説明をし、その上で委員の意見を聞いて、再度順位を入れ替えたこともあったことが記載されていることは認められるため、P5が、YCCSの入試において、国籍調整が必要であり、そのために、採点者の採点結果を変更する必要もあると認識していた可能性はある。

「しかし、P5が作成したという陳述書の内容によっても、国籍調整のための評価点の変更は、YCCS委員会の場で説明され、委員の意見を聞いた上でされたというのであり、令和2年度入試において、原告が行ったように、他の教員に説明することなく、他の教員の評価点を変更することまでが、原告とP5の間で合意されていたと認めることはできない」

「したがって、令和2年度入試において原告が行ったように、他の教員の評価点を、これら教員らに説明することなく、原告において点数を改ざんすることがYCCS委員会において合意され、その旨の申合せがされていたと認めることはできない。」

「これに対し、原告は、令和2年度入試に関するメールにおいて、他の教員に入試の採点を依頼する際に、部局調整及び国籍調整があることに言及しているところ、他の教員らから反論はされていないと主張する。」

確かに、P9やP6は、部局調整や国籍調整があることに言及した原告からのメールに対し、特に異論などを述べていない・・・。この点、部局調整は、本件申合せ・・・の『応募者が提出した所定の書面資料とビデオ資料に基づき、熱意が高く、部局における教育効果や将来性が見込める出願者を推薦する場合に1点を加算する。』という部局推薦審査がされることを意味していると認められる。そして、P9は、採点結果を返信して提出したところ、上記のメールについては、特に、提出期限に着目していたものであり、P6は、原告のメールが直接には採点をする教員に宛てられたものと考えていたものである・・・。このように、P9及びP6は、メールの内容や送信先から国籍調整との文言に着目してはいなかったことに加え、国籍調整の内容として、教員の評価点を無断で変更することにより成績の順位を入れ替えることまでは想起し得なかったことから、原告が国籍調整との文言を使用したことについて、質問をしたり、異議を唱えたりまでしなかったものと考えられる。したがって、YCCSの関係者が原告のメールに反応を示さなかったことをもって、同委員会において、受験者の最終的な成績や順位が判明した後に、原告の一存で教員の評価点を変更することによって順位を入れ替えて国籍調整を行うという認識が共有されていたとは認められない。」

「また、原告は、YCCSのオリエンテーションにおいて、学生等に対し、国籍調整を行っていることを説明していた旨主張し、P7は、平成27年10月の入学式・・・の際、P6は、YCCSについて、1国籍につき2名までの定員を設けている旨を説明し、原告も国籍による調整が行われていた旨を説明していたし、P9も授業の際に国籍調整に関する話をしていたと証言する。」

確かに、平成27年度入試については、日本国籍の合格者を2名に制限したことから、入学者の構成について1国籍について2名までとしたという趣旨の説明をした可能性は否定できない。しかし、他方で、P6は、入学式において自らが登壇して発言したことはない旨証言している。また、上記の入学式の時点において、YCCS委員会は、選抜要項や募集要項に記載されていないにもかかわらず、国籍により合格者数を制限する取扱いをすることについて問題がある旨を入試課から指摘され、検討、協議をした結果、上記の取扱いを選抜要項や募集要項に記載しないこととしたものである・・・。そのような状況において、YCCSの関係者が、オリエンテーションにおいて、入学者の構成にとどまらず、入試における選抜方法についてまで踏み込んで説明したとは考え難い。したがって、P7の上記証言は、直ちには採用できない。」

「次に、事務局の指示について検討する。この点、原告は、P6が、原告に対し、スロバキアの受験生について、GPAの計算方法を変えることで合格とできないかという提案をしたと主張する。」

確かに、P6は、令和2年度入試の合否判定を行う際に、原告に対し、スロバキアの受験生のGPAの評価方法について、確認や修正を求めている・・・。しかし、P6が上記の依頼をした経緯や依頼するメールの内容に鑑みると、P6は、原告が本件申合せ・・・とは異なる方法で採点していることに気付き、原告に対し、本件申合せに沿った方法により採点することを求めたものである。そして、『スロバキアの学生』という表現も、P5がかかる表現を用い始めたことを受けて、P6においても使用したものであり、P6がかかる表現を用いたからといって、P6が原告に対して国籍に着目して受験者の評価点を変更することを指示したものと認めることはできない。」

「以上によれば、令和2年度入試において原告が他の教員による評価点を無断で変更したことが、YCCS委員会の国籍調整の申合せや事務局の指示に基づくものであると認めることはできない。」

「原告は、令和2年3月、合否判定の資料を作成する際、国籍調整のみならず、定員12名という僅かな定員に対して、最低9名以上の合格者候補者が可能な限り入学してくるように調整することも求められたと主張する。」

原告が本人尋問で供述するように、定員12名というYCCSにおいて、定員割れは文部科学省からの補助金にも影響するし、二次募集等を行うことは事務負担も大きいことは想定し得る。しかし、P6がスロバキアの学生のGPAを見直すよう求めた趣旨は、上記・・・のとおりである。また、P6は、その際、追加資料を提出していない受験生が提出した受験生より点数が高いということはないように点数を修正するよう求めているが・・・、これは、本件申合せ・・・には、『追加課題』については、『当該応募者が提出した追加課題の内容に基づき判断する』として、『-1点、0点、または1点』とされているものの、追加課題を提出した受験生についてはその意欲等を評価点に反映するよう求めた趣旨とも考えられ、他の教員による評価点を無断で変更することを指示、依頼したものと認めることはできない。さらに、P6は、『追加課題に対して反応を示さない者等は合格しても入学を辞退する可能性は高いのではないかと懸念される』とも述べているが、続けて、『GPA及び追加課題に関する採点を修正し、部局推薦審査の点数が加われば、ある程度の動きがあると思われる』と述べているのであり・・・、他の教員による評価点を無断で変更することを指示、依頼したものと認めることはできない。」

「したがって、原告に対し、定員管理の必要性から、他の教員による評価点を変更するようにとの指示があったと認めることもできない。」

「なお、P5が作成したとする陳述書・・・によっても、原告とP5の間で、原告のいう定員管理の観点からの評価点の変更の合意があったと認めることはできない。」

「以上によると、原告は、令和2年度入試の合否判定に係る他の教員の評価点を無断で改ざんしたものと認められ、原告の行為は入試における公正な選考を妨げるものであり、『誠実かつ公正に職務を遂行』することを怠り、被告の『不名誉となる』ものであるから、就業規則41条及び43条に違反したものである。原告がこのような評価点の改ざんを行ったことは、原告個人の利益を図る目的であったとは認められないが、原告の行為は、『故意又は重大な過失により本学に損害を与えたとき』など、就業規則36条1号から3号までに掲げる行為に準ずるものであるから、就業規則36条4号に該当するものと認められる。

(中略)

「入試の採点及び授業の成績評価は大学教員として重要かつ基本的な職務であり、入試の結果や授業の成績評価が学生のその後の進級、卒業、学位取得に影響を与え、ひいては、学生の就職、転職等に際しても人物評価のための判断材料となり得ることを踏まえれば、原告の行為(非違事由1及び4)は、大学の教員として、被告が提供する大学教育に対する信頼を根本的に損ねる重大な行為であり、被告の社会的信頼性に大きく害するものといわざるを得ない。」

原告がこれまでに懲戒処分を受けたことがなかったこと、非違事由1及び4については、原告自身の利益を図るものではなかったことを考慮しても、原告の行為の態様、結果の程度等を総合考慮すれば、本件解雇が客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でないということはできない。

3.組織の指示・組織のためにしたというロジックは通りにくい

 本件では原告の言い分を裏付ける事情がそれなりに認められています。

 また、原告は、

「原告には個人的に国籍調整をする動機はなく、原告の利益にもならない。」

と主張していますが、事柄の性質上、これはその通りなのでしょうし、裁判所も、評価点の改ざんが、個人的利益を図る目的であったとは認定していません。

 しかし、原告の言い分を裏付ける事情は、裁判所による個別的な検討を経て排斥されてしまいましたし、懲戒解雇も有効だと判示されてしまいました。

 一般論としていうと、所属組織からの指示で不正行為をした、所属組織のために不正行為をしたという言い分は通りにくい傾向があります。当たり前のことながら、組織の側は不正行為を指示したことを徹底的に争ってきますし、故意的な不正行為をした人に対して冷淡な態度をとる裁判体は少なくないからです。

 何が真実なのか分かりにくい事案ですが、大学教員の方としては、入試に係る得点調整的なものには、関わらないのが無難と言えそうです。

 

グーグルマップのタイムライン機能による労働時間立証が成功した例

1.労働時間の立証

 残業代(時間外勤務手当等)を請求するにあたっては、

「日ごとに、始業時刻、終業時刻を特定し、休憩時間を控除することにより、(時間外労働等の時間が-括弧内筆者)何時間分となるかを特定して主張立証する必要」

があるとされています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕169頁参照)。

 過去の特定の日に何時から何時まで働いたのかを逐一正確に記憶できるはずもなく、これは一見すると労働者の側に高い負担を課しているようにも思われます。

 しかし、使用者には、タイムカードによる記録、パーソナルコンピュータ等の電子計算機の使用時間の記録等の客観的な方法で労働時間を管理する義務があります(労働安全衛生法66条の8の3、同規則52条の7の3等参照)。この義務が適切に履行されている限り、何時から何時まで働いたのかは、打刻時刻などの客観的な証拠によって認定することができます。そうした会社で働いている労働者は、労働時間の立証責任があるとしても、時間外勤務手当等を請求するにあたり、それほど大きな負担が生じるわけではありません。

 問題は、労働時間管理がされていない場合の立証方法です。

 労働時間管理がされていない理由には、

会社の労務管理が杜撰である、

そもそも遵法意識を持っていない、

業務委託契約等の形式で働かせていて、労働者を労働者として認識していない、

など様々な理由があります。

 このような場合、労働者側としては、どのような方法で時間外勤務等をしたことを立証することができるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令5.3.30労働判例ジャーナル145-40 アイワホーム事件です。

2.アイワホーム事件

 本件で被告になったのは、不動産仲介等を目的とする株式会社です。

 被告で営業活動を行う者の中には、

固定給及び歩合給の支払を受ける営業従業員と、

完全歩合制で対価を受ける外交員

と呼ばれるものがありました。

 原告になったのは、被告E店の外交員として反響営業を行っていた方です。自らが労働者にあたるとして、未払時間外勤務手当等(未払残業代)の支払を求めて提訴したのが本件です。

 被告は原告を労働者であるとは考えていなかったため、明確な形での労働時間管理を行っておらず、本件では労働時間の立証方法が問題になりました。

 これについて、原告は、

「原告のスマートフォン内のアプリである『Google Map』には、登録された端末の位置情報の履歴に基づき、当該端末の保持者が過去に訪れた場所とルートを記録・表示するタイムライン機能がある(以下、当該機能によって作成された記録を『タイムライン』という。)。」

「原告のタイムラインは、日報の記載や、原告が業務で使用していたパソコンのログ記録とも整合しており、正確に原告の動きを記録しているものといえる。したがって、タイムラインにおいて、被告の事業所に到着したものとされている時間をもって、原告の始業時間とみるべきである。」

(中略)

「タイムラインにおいて、被告の事業所を退出したものとされている時間をもって、原告の始業時間とみるべきである。」

「営業職員については、休日中の職員のパソコンを他の職員が使用することがあったが、少なくとも、出勤している者のパソコンを、午後7時以降に他の職員が使用するといったことはなかった。」

などとして、グーグルマップのタイムライン機能を利用した立証方法を取り入れました。

 被告は、

「原告の提出するタイムラインが、原告のものであるかは知らない。」

「原告は、パソコンのログ記録との整合性を指摘するが、当該ログ記録も、その来歴が不明であり、信用性がない。また、被告では、パソコンは職員間で共有されていたから、仮に原告の提出するログ記録が被告事業所内のパソコンから取得されたものであったとしても、そこから原告らの労働時間を把握することはできない。」

と反論しましたが、裁判所は、次のとおり述べて、グーグルマップのタイムライン機能による労働時間立証を認めました。

(裁判所の判断)

「タイムラインについては、一般論として、事後的に編集可能であること、GPS機能等の動作不良が生じ得ること等の問題があることから、その信用性については具体的状況に照らし慎重に判断されるべきものというべきである。」

「そこで、本件のタイムラインの信用性について検討するに、まず、タイムラインにおいて原告がE店に到着したとされる時刻は、上記・・・のとおり信用性を肯定することができる営業日報中の出勤時刻と概ね整合している(各日の時刻差の中央値は6分)。」

「また、原告が使用していたPCのログ記録として提出されている書証・・・について、当該ログ記録はJが取得して保存していたものであると認められ・・・、特段変偽造を疑わせる点はないことからすれば、当該ログ記録についても信用することができる。そして、タイムライン上で原告がE店を離れたとされる時刻は、同書証中のシャットダウン時刻と概ね一致している(各日の時刻差の中央値は6分)。なお、被告はE店においてはPCが職員間で共有されていたから、PCのシャットダウン時刻は当該PCを主に使用している従業員の就労状況とは関連性がない旨の主張をしているが、各人のPCはそれぞれの座席に備えつけられているのであり、個人用のメールアドレスもそれぞれのPCと紐づいていたことからすれば、日中、自身の担当する客が同時に複数来店した際等に空いている席とPCを借用するといったことはあったとしても、夜間に、他者の席のPCを頻繁に使うといった事態が生じていたなどとは認めることができない。」

「そうすると、本件では、タイムラインは信用性を肯定することができる他の証拠によって補強されているといえるから、その信用性を肯定することができる。なお、タイムラインの時刻はE店という地点への到着とそこからの出発の時刻を記録しているにすぎないから、厳密には始業終業時刻と誤差が生ずることとなるが、上記・・・の事情等を考慮すると、本件ではそのような誤差の存在は被告において積極的に反証されるべきであると考えられるところ、その点に関する的確な主張立証はない。」

「以上によれば、基本的には、原告の主張のとおり始業終業時刻を認めるべきであるが、被告の指摘等に基づき、以下のとおり修正を施す必要がある。」

(以下略)

3.他の証拠による補強がある事案ではあるが・・・

 以上のとおり、裁判所は、グーグルマップのタイムライン機能による労働時間立証を認めました。他の証拠による補強を行っている事案ではありますが、誰もが比較的容易に位置情報を記録できるグーグルマップのタイムライン機能での労働時間立証が認められたことは、労働者にとって朗報となるものだと思います。

 労働時間管理が行われていない会社に対する残業代請求をお考えの方は、グーグルマップのタイムライン機能を活用して行くことも選択肢の一つとして検討してみて良いかも知れません(信用性を補強できる証拠と組み合わせられるとなお良いですが)。

 

労働者性の立証のポイント-似たようなことをしている労働者との比較

1.労働者性が争われる事件

 労働法の適用を逃れるために、業務委託契約や請負契約といった、雇用契約以外の法形式が用いられることがあります。

 しかし、当然のことながら、このような手法で労働法の適用を免れることはできません。労働者性の判断は、形式的な契約形式のいかんにかかわらず、実質的な使用従属性を勘案して判断されるからです。実質的に考察して労働者性が認められる場合、業務受託者や請負人は、労働基準法等の労働法で認められた諸権利を主張することができます。

 それでは、実質的に労働者であるといえるのか否かは、どのように判断されるのでしょうか?

 結論から言うと、行政実例も裁判例も、一貫して、厚生労働省の

「昭和60年12月19日 労働基準法研究会報告 労働基準法の『労働者』の判断基準について」

という文書に基づいて判断を行っています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000xgbw-att/2r9852000000xgi8.pdf

 ただ、この労働基準法研究会報告は、「判断基準」という表題が付されてはいるものの、考慮要素が指摘されているだけで、決して明確な基準とはいえません。

 例えば、労働基準法研究会報告には、次のような記述があります。

「『使用者』の具体的な仕事の依頼、業務従事の指示等に対して諾否の自由を有していれば、他人に従属して労務を提供するとは言えず、対等な当事者間の関係となり、指揮監督関係を否定する重要な要素となる。」

「これに対して、具体的な仕事の依頼、業務従事の指示等に対して拒否する自由を有しない場合は、一応、指揮監督関係を推認させる重要な要素となる。」

 この記述からは、「諾否の自由」が労働者性を判断するうえでの鍵となる考慮要素の一角を構成していることは分かります。

 しかし、1社から業務を受託しているフリーランスを想像して頂ければ分かると思いますが、個人事業主といっても、仕事を受ける/受けないの判断の自由度は、必ずしも高いわけではありません。

 また、労働者とはいっても、ロボットのように使用者の命令に従わなければならないわけではなく、諾否の自由が文字通りの意味で「ない」ことは稀です。

 つまり、諾否の自由は「ある」「ない」の二元論的に考えればよいわけではなく、程度問題で考えて行くことになります。

 この程度問題を考えるにあたり参考になる視点として、

「その会社で似たようなことをしている労働者はどうなのか?」

があります。

 近時公刊された判例集にも、この視点を使って労働者性を議論している裁判例が掲載されていました。東京地判令5.3.30労働判例ジャーナル145-40 アイワホーム事件です。

2.アイワホーム事件

 本件で被告になったのは、不動産仲介等を目的とする株式会社です。

 被告で営業活動を行う者の中には、

固定給及び歩合給の支払を受ける営業従業員と、

完全歩合制で対価を受ける外交員

と呼ばれるものがありました。

 原告になったのは、被告E店の外交員として反響営業を行っていた方です。自らが労働者にあたるとして、未払時間外勤務手当等(未払残業代)の支払を求めて提訴したのが本件です。

 本件では外交員の労働者性の有無がの問題になりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、原告の労働者性を認めました。

(裁判所の判断)

・業務の内容

「上記・・・のとおり、原告を含む外交員の業務の中心は、営業事務職員から順次割り振られる反響(賃借人候補者)に対して営業活動を行うというものであり、営業従業員と同様であった。外交員は、繁忙等のために割り振られた案件を受けることができない場合には当該案件を辞退(パス)することができたが、それは営業従業員でも同様だったし、そもそも割振りの時点では案件の詳細は不明であるため内容によって案件を選別するようなことはできなかった・・・。」

「また、同・・・のとおり、外交員は賃貸不動産の管理会社と賃貸条件についての交渉を行うこともあったが、一定の経験を有する営業従業員も同業務に従事していた。しかも、外交員の報酬体系上、当該業務自体は報酬の算定基礎となってはいなかった・・・。」

「これらの事情に照らせば、外交員の業務は、基本的に営業従業員と同様指示された業務をこなしていくというものであったといえ、諾否について若干の裁量はあったとはいえ、その程度は営業従業員と異なるところはなかったとみるべきである。」

・業務遂行に対する指揮監督

「外交員及び営業従業員の主な業務である反響営業については、従業員間でノウハウを共有するためのマニュアルが作成されており、経験の少ない者は当該ノウハウに従って業務を遂行していた・・・。一定の経験を有する外交員は、当該ノウハウに自身の経験を踏まえた工夫を加えながら営業活動に当たっていたが、それは一定の経験を有する営業従業員でも同様であり、特段、外交員のみが自由な方法で営業活動を行っていたというわけではなかった。」

「また、上記・・・のとおり、原告在籍時のE店の外交員は、営業従業員とともにG店長の定めた勤務規則の適用を受けており、毎月の〆会等の会議への出席について、当該勤務規則に従って行動することが求められていた。」

「これらの事情に照らせば、外交員は、業務の遂行について、営業従業員と同程度の指揮監督を受けていたということができる。」

・原告の就労時間及び就労場所

「上記・・・のとおり、外交員も、G店長が定めた店内規則によって、営業従業員と同様に午前9時40分までには店舗に出勤することが義務付けられ、休日についても日数に上限が設けられていたし、また、同人が作成した休日カレンダーを用いて他の従業員と調整をすることが求められていた。これらのルールについてはG店長がE店の店長としての立場で定めたものであるから、少なくとも原告との関係においては被告による指示とみるほかない。そうすると、原告ら外交員が業務の遂行に関し、時間的及び場所的に拘束されていたことは明らかである。」

・その他の事情

「上記・・・のとおり、原告を含む外交員は、賃貸不動産の管理会社から、特定の物件についての客付けを依頼されることもあったと認められる。もっとも、その対価は被告に払われていたというのであるし、当該外交員は、そこから歩合給(賃借人を他の外交員又は営業従業員が見つけた場合には同人との間で割付けをしたもの)を得ていたに過ぎないというのであるから、このような業務は、被告の業務の一環とみるほかなく、原告が独立した事業者であることを基礎付けるものともいえない。」

「また、被告は、原告が確定申告をしており広告宣伝費等を経費計上していたことを指摘して原告が独立した事業者であると主張するが、その税法上の適否は別として、当該事実から直ちに原告と被告との間の指揮命令関係を否定することはできない。」

「他方で、上記・・・のとおり、G店長が外交員の身分のまま被告内のコンテンツ事業部という部門に異動となっていることは、外交員が独立の事業者とはいえないことを示しているものと考えられる。」

・小括

「以上によれば、原告は、被告の指揮命令に従って業務に当たっていたとみるべきであるから、労働基準法にいう労働者に当たる。

3.似たようなことをしている労働者との比較

 労働者性の判断基準に掲げられている考慮要素は程度概念です。程度概念であるがゆえに、絶対値で把握することには困難が伴います。

 しかし、似たようなことをしている労働者がいる会社では、その労働者との比較において各考慮要素を評価すればよいため、立証の困難さがかなり緩和されます。

 同じ業務・似たような業務に従事している労働者がいる会社でフリーランス・個人事業主として働いている方は、こうした視点で労働者性を主張、立証して行くことも考えられます。

 

取締役に対し退職慰労金を支給しない株主総会決議を強引に成立させたことが違法だとされた例

1.取締役の報酬に関する問題

 労働事件の近縁種として取締役等の会社役員からの相談があります。

 同じく働くことに関する相談とはいっても、労働者と取締役とでは立場が相当に異なっています。

 労働者と会社との関係は労働契約で規律されるのに対し、取締役と会社との関係は委任契約で規律されます(会社法330条参照)。このことは両者の法的地位に様々な差異を生じさせています。

 例えば、労働者を解雇するには客観的合理的理由と社会通念上の相当性が必要であり、幾ら金銭を支払ったところで無効な解雇が有効になることはありません(労働契約法16条参照)。対して、取締役の解任に理由はいりません。会社は株主総会決議によっていつでも取締役を解任することができます。取締役は解任されること自体に文句は言えず、正当な理由がない解任である場合に損害賠償を請求することができるにすぎません(会社法339条参照)。

 また、労働者の場合、基本的に合意によることなく労働条件を不利益に変更することは禁止されています(労働契約法9条参照)。労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、外形的に同意した事実が存在していていも、自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在しないとして、同意の効力が否定されることもあります。他方、取締役の報酬は、基本的には株主総会決議によって定められます(会社法361条)。退職慰労金規程があっても、株主総会決議を得ることができなければ、基本的には退職金が支給されることはありません。

 このように、同じく会社のために働いているといっても、取締役の救済には困難なことが多いのですが、近時公刊された判例集に、株主総会で取締役の退職慰労金の不支給を決議したことが違法だと判示された裁判例が掲載されていました。広島高判令5.11.17労働判例ジャーナル145-24 山口放送事件です。取締役の保護に資する裁判例としてご紹介させて頂きます。

2.山口放送事件

 本件で原告(控訴人)になったのは、被告(被控訴人)の取締役であった方です。取締役を退任した際、株主総会において自分に退職慰労金を支給する旨の議案が否決されたことが違法であるとして、退職慰労金相当額1890万円に弁護士費用を加算した金額の損害賠償請求を行いました。この請求を原審が棄却したことを受け、原告側が控訴したのが本件です。

 裁判所は、次のおとり述べて一審判決を破棄し、原告控訴人の請求を認容しました。

(裁判所の判断)

「会社法361条1項は、退職慰労金を含む取締役の報酬等の額等を定款又は株主総会の決議によって定めるとしているから、株主総会において退職慰労金支給に関する議案が否決されて、退職慰労金が支給されない結果となったとしても、それが株主の自主的な判断に基づいてされたものである限り、原則としてこれを違法ということはできない。」

「もっとも、会社と取締役との間の任用契約には、通常、定款や会社法の規定に従い、定められた報酬を支払う旨の明示又は黙示の特約が含まれていると解されるし、会社が退職慰労金の算出方法について規程を定め、株主総会で退職慰労金の支給決議がされたときの金額が明確になっている場合には、退任取締役の退職慰労金支給を受けられるとの期待は、法律上保護に値する利益に当たるものと解される。」

「そうすると、株主総会において退職慰労金支給に関する議案が否決された場合には、具体的な退職慰労金の支払請求権は発生しないというほかないが、退任取締役に対する従前の退職慰労金支給の状況、今回不支給とされた理由、その相当性ないし合理性、不支給決議がされた際の審議の状況など当該決議に至った経緯、株主や会社関係者の意図等の諸事情を総合し、退職慰労金の不支給決議が退任取締役の法律上保護される利益を違法に侵害したものと認められる特段の事情があるときは、不法行為が成立するものとして、損害賠償を求めることができると解すべきである。

(中略)

「以上の認定判断を総合すると、控訴人がCM放送に関する不正の問題を指摘し、本件告発に及んだことが取締役としての忠実義務ないし善管注意義務に違反するとは評価できないにもかかわらず、被控訴人らは、控訴人の指摘を無視して調査することもなく、控訴人に対する事情聴取や弁明の機会も設けず、本件告発を忠実義務に反するものと一方的に断定し、本件株主総会で実質的な審議をすることを敢えてせず、被控訴人らが大多数の議決権を事実上行使できる状況を利用して、強引に本件決議を成立させたものというほかなく、その一連の対応は、本件告発への報復ないし制裁というべきであって、控訴人の退職金慰労金支給に関する法律上保護される期待を違法に侵害し、不法行為を構成するものと解さざるを得ない。そして、被控訴人Cは、被控訴人会社の代表取締役会長で、本件株主総会の議長でもあり、被控訴人会社の一連の対応の方針決定及び実行で主要な役割を果たした者であると認められる。」

「以上によれば、被控訴人Cは民法709条に基づき、被控訴人会社は会社法350条に基づき、控訴人に対して損害賠償責任を負うというべきである。」

(中略)

「本件規程によれば、控訴人が退職慰労金として支給される予定であった金額は1890万円であり・・・、同額が控訴人の損害であると認められる。そして、本件訴訟の内容及び認容額等に照らすと、被控訴人らの不法行為と相当因果関係の認められる弁護士費用は189万円とするのが相当である。」

「よって、被控訴人C及び被控訴人会社は、控訴人に対し、連帯して2079万円の支払義務がある。」

3.退職慰労金の不支給に損害賠償を請求する道が開かれた

 冒頭で述べたとおり、ベースとなる法律関係が異なるため、取締役の方から退職慰労金の不支給についての相談を受けても、消極的な回答をせざるを得ませんでした。

 本件裁判例が課している退職慰労金を支給しない株主総会決議が違法となる要件にしても、ハードルが高いことは否定できません。しかし、強引かつ不公正は退職慰労金不支給決議に対し、裁判所が、損害賠償を請求できる余地を認め、実際に損害賠償請求を認めたことは注目に値します。

 不公正な手法で退職慰労金の支給に対する期待を裏切られた取締役の方は、この裁判例に準拠して退職慰労金相当額の損害賠償請求訴訟の提起を検討してみても良いかも知れません。

 

特定の仕事を割り振らないこと(配車差別)に違法性が認められた事例(平均値による損害の推計)

1.仕事が割り振られないことによる逸失利益の立証

 昨日、

特定の仕事を割り振らないこと(配車差別)に違法性が認められた事例

として、牽引運転手に手当の付く配車を殆どしないという取扱に違法性が認められた裁判例を紹介しました(横浜地判令5.3.3労働判例1304-5 向島運送ほか事件)。

特定の仕事を割り振らないこと(配車差別)に違法性が認められた事例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 これは通説的な見解が労働者の就労請求権を否定する中、配車をしないことに違法性を認めた画期的な裁判例です。

 しかし、公正・公平な仕事の割り振りを受けられないことを問題にするうえでハードルになるのは、違法性論だけではありません。損害論(損害の立証)においても、困難な論証を乗り越えなければなりません。損害の立証がなぜ難しいのかというと、「公正・公平に仕事が割り振られていたら、どのような経済状態になっていたのか」という仮定的な経済状態を立証しなければならないからです。「公正・公正な仕事の割り振り」がルールとして明文化されておらず、使用者に一定の裁量が認められている場合、仮定的な経済状態の立証は困難を極めます。

 昨日ご紹介した横浜地判令5.3.3労働判例1304-5 向島運送ほか事件は、配車差別の違法性だけではなく、損害の認定という点でも参考になる判断を示しています。

2.向島運送ほか事件

 本件で被告になったのは、

一般貨物自動車運送等を目的とする株式会社(被告会社)

被告会社のA営業所配車係として、原告を含む運転手に対するトラック・トレーラーの配車を行っていた方(被告Y1)

の2名です。

 原告になったのは、被告会社で、牽引運転手(トレーラーを牽引するトラクターの運転手)として働いている方です。出張手当や早出手当の付く配車を受けられなくなったのは不当な差別であるなどと主張して、損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。

 裁判所は、原告が配車を受けられなくなったこと(本件処遇)に違法性を認めたうえ、次のとおり損害額を認定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、本件処遇がされなければ、出張等配車を受け、出張手当及び早出手当を受給できたものと認められ、これらの手当に相当する額の損害を被ったものと認められる。」

「原告は、令和4年7月31日までに生じた損害の元本及びこれに対する遅延損害金の支払を請求していることから、同日までに生じた損害を検討する。」

ア 出張手当及び早出手当の額

(ア)出張手当の額

原告は、本件処遇がされるまで、平均として、1か月当たり10万3133円の出張手当を受給していたことから・・・、本件処遇がされなければ、この平均額に相当する金員を受領できたものとみるのが相当である。

「上記の平均額を前提とすると、令和元年12月から令和4年7月までの間、1か月当たり10万3133円から実際に受領できた出張手当の額を控除した未払額は、別紙1の1『原告損害金一覧表・出張手当相当損害金』の『未払い額』欄のとおりであり、その合計額は、320万7656円である・・・。」

(イ)早出手当の額

原告は、本件処遇がされるまで、平均として、1か月当たり2万6435円の早出手当を受給していたことから・・・、本件処遇がされなければ、この平均額に相当する金員を受領できたものとみるのが相当である。

「上記の平均額を前提とすると、令和2年3月から令和4年7月までの間、1か月当たり2万6435円から実際に受領できた早出手当の額を控除した未払額は、別紙1の2『原告損害金一覧表・早出手当相当損害金』の『未払い額』欄のとおりであり、その合計額は、58万3613円である・・・。」

(ウ)小計

「上記(ア)及び(イ)を合計すると、379万1269円である。」

「なお、原告は、賃金の支払が毎月25日であることから、令和4年7月31日まで、毎月26日以降に生じる遅延損害金についても、損害額に計上している。」

「しかし、本件処遇がされるまでの時期の出張手当及び早出手当の平均額に基づいて、原告の損害額を推計して算定する場合に、本件処遇がされなかった場合に得られる令和元年12月以降の出張手当及び早出手当の額が上記の平均額と完全に一致するものではない。このように損害額を推計することを考慮すると、原告が得られたであろう出張手当及び早出手当は、上記の金額にとどまるものとみるのが相当である。」

「また、他方で、被告らは、前記・・・のとおり、被告会社において、運転手の出張手当や年収が減少傾向にある旨主張する。しかし、仮に、全体的にそのような傾向が見られたとしても、収入額の変動の原因は各運転手の事情によって異なるものと考えられ、原告の出張手当及び早出手当についても同様の変動が生じるものと直ちに認めることは困難であるというべきであるから、被告らの上記主張は、採用できない。

イ 残業手当及び深夜手当の増額分の控除

「他方で、原告について、本件処遇の後、残業手当及び深夜手当の合計額は、増加したものと認められる。」

「すなわち、平成30年12月から令和元年11月までの12か月間についてみると、証拠・・・によれば、残業手当の額は、別紙2の『第1 損害基準期間(2018年12月~2019年11月)』の『4 残業手当』の『原告の金額』欄のとおりであり、合計91万6230円である。また、上記期間の深夜手当の額は、別紙2の同第1の「5 深夜手当」の「原告の金額」欄のとおりであり、合計14万3574円である。そして、上記期間の残業手当と深夜手当は合計105万9804円であり、1か月当たり8万8317円(105万9804円÷12か月)である。」

「次に、令和元年12月から令和2年10月までの11か月間についてみると、証拠・・・によれば、残業手当の額は、別紙2の『第2 損害算出期間(2019年12月~2020年10月)』の『4 残業手当』の『原告の金額』欄のとおりであり、合計107万0979円である。また、上記期間の深夜手当の額は、別紙2の同第2の『5 深夜手当』の『原告の金額』欄のとおりであり、合計8万3943円である。そして、上記期間の残業手当と深夜手当は合計115万4922円であり、1か月当たりで10万4992円(115万4922円÷11か月。1円未満切捨て)である。」

「そうすると、本件処遇の前後を比較すると、1か月当たりの残業手当と深夜手当の合計額は、1万6675円(10万4992円-8万8317円)増加したことになり、その原因は、被告会社において、本件処遇をする代わりに、原告に対し、残業手当及び深夜手当が生ずる業務を割り当てたことによるものと考えられる。そして、本件処遇が始まった時点に近い前後の時期に着目することにより、原告の出張手当及び早出手当が減少する一方で、残業手当及び深夜手当については、1か月当たり1万6675円増加する余地があったものとみることができ、令和元年12月から令和4年7月までの32か月間を通じて、53万3600円(1万6675円×32か月)増加する余地があったものとみることができる。出張手当及び早出手当について平均額に基づいて推計することから、残業手当及び深夜手当についても上記の時期の額に基づいて32か月分の推計をするのが相当である。」

「前記・・・の379万1269円から前記・・・の53万3600円を控除すると325万7669円であり、被告らにおいて本件処遇をしたことにより、原告は、325万7669円の損害を被ったものと認められる。」

「そして、遅延損害金については、前記の算定に係る終期の翌日である令和4年8月1日から支払済みまで民法所定の年3分の割合による金員を認めるのが相当である。」

3.平均額での推計

 平均額での推計を認めたことについて、一般の方の中には、当然ではないかという感覚を持つ方もいるのではないかと思います。

 しかし、平均額での推計を認めるということは、それほど自明のことではありません。残業代を請求する時、資料がない期間の残業代を資料がある期間から推計して請求することはよくありますが、裁判所は、それほど容易に資料がある期間の平均値等による推計を認めない傾向にあるからです。

 平均額による損害額の推計計算を認めている点は画期的なことで、この点も、実務上参考になります。