今日、Sexy Zoneというアイドルの物語が終わります。これは配信コンサートを見た後に書いています。
12年前、嵐が迷宮ラブソングを披露するMステに、薔薇とマイクを握りしめた5人の姿を今でも思い出します。
6年前、カラオケで見たMVが良すぎてCDを買ったらまんまとハマりました。
自分の命を燃やして輝きを放つ、自担こと中島健人さんをDVDで見た時、雷に打たれたような気持ちになりました。
それまでの“完璧なアイドル”というイメージが、グループの中だと“はちゃめちゃでおてんばな可愛い人”という印象に変わるのに、時間はほぼかかりませんでした。
中島健人というアイドルが好きだし、Sexy Zoneにいる中島健人というアイドルが大好きだし、Sexy Zoneが大好きでした。
今でこそ、“デビューの高年齢化”とオタクの間では問題になっているけど、若くしてデビューするのもそれはそれでなかなか大変だとSexy Zoneの歴史を見ていて思います。
特にSexy Zoneは、大人の、というか“名前を言ってはいけないおじいちゃん”に運命を翻弄されまくってきた子たちでしたね。
カラアイで5人に戻ったことを知ったときは、当時はSexy Zoneに興味がなくても、すごく嬉しかったことを覚えています。
ずっとずっと“5人”でいつづけることを譲らないでくれてありがとう。その気持ちが、私にはずっと救いでした。聡ちゃんがお休みした時も、マリちゃんがお休みして卒業したときも、ずっと「Sexy Zoneは5人」と言い続けてくれたから、私は今日この瞬間までセクラバとして生きてこれました。
今日見た5人は、私の好きなSexy Zoneそのままでした。これからもずっと、Sexy Zoneは5人だもんね。
そして、中島健人さんは、私に“シンメ”というものを刻みつけました。
「ダンスの立ち位置がシンメトリー。転じて、どんな活動をするにもずっと一緒」これが私の中の“シンメ”の意味。
他の界隈では「シンメ」はあくまでダンスの立ち位置のことしか指さないけど、この会社では立ち位置だけではなくて“アイドル人生も含めた線対象”。選ばれし者にしか与えられない特別なモノ。
ふまけんに出会うまで、何組かのシンメにハマってきたけど、ふまけんほどいろんな人たちの想いや欲を、人生をかけて体現していた2人組はいないんじゃないかな。
健人の隣には風磨がいて、風磨の逆は健人。
互いに対してあんなにも重すぎる想いを持って、相手に自分の背中を預けきっていて、言葉にせずとも想いと考えを感じ取って、自分たちの威力・可能性を誰よりも信じていて、誰よりも“シンメ”というものに夢を見ているシンメは、ふまけんしかいません。
ふまけん、一生一緒に遊んでいてよ。そう言ってたじゃん。相方がいないアイドル人生、絶対つまらないと思うよ?
何故かたまに顔が似ていて、背も2cmしか変わらない、見た目的にも鏡みたいなシンメ。
ふまけん以上のシンメは、私の中には存在しません。シンメの最高傑作。
多感な思春期にもてはやされるのは絶対嫌だったと思うし、いろんな人間のいろんな欲望をぶつけられて辟易していたと思うけど、シンメでいることを辞めないでくれてありがとう。
ふまけんは世界一のシンメです。
隣に風磨がいない健人くんを想像することができません。だって、それほどずっと一緒にいたんだから。
だから、私はふまけんを諦めることはたぶんできないんだと思います。
グループ至上主義の私が“Sexy Zoneではない中島健人”を今後愛していくのかは、まだ全然わかりませんが、どんなカタチであれ、中島健人は最高のアイドルであることにかわりありません。
きっと健人くんがいなかったら、まったく別の人生を歩んでいたと思う。少なくともこの街にはいなかったし、いまの仕事には就いていなかった。
大好きなメンバーと離れてまで、やりたいことがあるんだから、そんな中島健人を応援しないわけありません。
本当に最初はヤバい名前だと思っていたし、ずっとグループ名をバカにしていました。でもこうして、Sexy Zoneが私の人生の一部になって、私の中の『Sexy』という概念がすっかり変わってしまったくらいには、Sexy Zoneは私の中には息づいています。
恐ろしく顔が綺麗で、ボケたがりと天然しかいないから収拾がつかなくて、たどり着く結論が私の想像と理解の範疇を毎回超えてくるトンチキグループ。
ありがとう、Sexy Zone。
Sexy Zoneといろんな夢を見て、その夢たちが叶っていくのを目の前で見ることができて幸せでした。
明日から3人と1人と1人になっちゃうけど、Sexy Zoneは永遠だから。
バイバイ、Sexy Zone。
たのしかったね。またね。