過去の自分
今日は 2012-06-02 だ。
過去のノートをパラパラとめくっていたら、
2009-06-22 の日付の手書き徒然日記の断片が見つかったので
ここに書いておくことにする。
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つれづれ日記 2009-06-22
朝に 1 時間のコーヒーショップでの一時。
必要だからこうしているのだろうということにハタと気がついた。
本来ならもっと寝ていたいはずだし、ギリギリに起きてギリギリに現地に着く、
というのがスタイル。
少なくともこれまでの僕のスタイルだったろう。
しかし、何故だろうか?
満員電車が、それもとびきりなそれが嫌いだから?
いや、このほんの少しの時間が、僕が生きるために必要だと欲しているから、
僕はここに来るのだろう。
なんといっても時間がゆっくり流れているから。
タイムリミットがあった方が時間の流れを感じられるというのもオカシな話に
一見思えるが、それもどうなんだろうか。。。
とにかく、こんな人間になった(なってしまった)のは、僕が昔とは変わったか
変わりつつあるからなのだろうと思う。
冷静に自分のことを見つめられる時間、それを大切にしたいと思う。
さすがに毎日これをやるのは難しい。。。(金銭的にも)と思うけど、
でも毎日これができたらどれだけ素晴らしいことだろうか、
と思う自分もまたここにいる。
やることが山積みだ。締切を過ぎてしまったものも多くある。
だが、一歩一歩少しづつ確実に進めていけば良いと思う。
焦りは禁物だ。。。心を落ちつけて、やるべし、やるべし。
村上春樹の本に少しのめり込んでいる。いや、小説にのめり込みつつある。
人生の大きな波なのだろうか。もう少しバランス良くその波が来ればいいのにと
思うこともしばしばあるが、それも僕の天分だと思うことにする。
僕はやりたいことしかしたくない。
もちろんしなければいけないことが多いのは分かっているけど、
それが自分の「やりたいこと」に変わるまで手をつけることはしない。
それも天分のようだ。
ただのワガママかも知れないが、それすら生きるために必要なら「やりたいこと」
に変わっていくだろうという気持ちがどこかにある。
Be free... be free...
雲だか雨だかあやしい朝、溜池山王のタリーズカフェにて
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当時は 3 つのことを掛け持ちしていた。
ベンチャー手伝い、今も働いている会社でのバイト、専門学校での講師バイト。
あれから約 3 年経った。
現代の人間社会の中で生きようとするならば、
時間の流れはいつでも加速しようとする。
しかし、自分の心の時間は自分のペースに合わせて
ゆっくり流さなければならない。
それが僕の学んだ教訓だ。
今は、場所こそ変わったが、余裕がないときを除いて
毎朝、仕事前の 1 ~ 2 時間をコーヒーショップで過ごすことにしている。
そして、時々、自分の時間の流れが加速していることに気がついて、
ふぅっと一息つくのだ。
フラグはやはり立っていた
「私にとっての「死」」の下書きを書いてから 1 年が経った.その間に私の叔父と祖母が亡くなった.
上京してからは帰省したときくらいしか会っていなかったけれど,小学生時代は一緒に暮らしていたし,家族といえる人々だ.私はおばあちゃんっ子だった.ばあちゃんには頭が上がらなかった.おじさんは物静かな人で独身だったがどうやらプレイボーイだったらしい.女兄弟が口を揃えていうのだから間違いない.私はもう彼等に会えない.直接話もできない.自分や他の人達の中にいる「彼等」と話すことしかできない.
亡くなった人が自分に近ければ近いほど,悲しみは後から来るらしいと聞いた.悲しみがなかったわけではないが,いつか自分にコントロールできない形で感情となって湧き出すときが来るだろうか.
そのときは去年彼女に言った言葉が,私を慰めてくれるかも知れない.
私にとっての「死」
1 年ちょっとぶりになんか徒然書こうと思ったら,まさに 1 年ほど前に下書きした自分の文章が出てきた.
ほぼそのまま公開する.
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彼女の回りには「死」がいつも付き纏っている.彼女の知人が死んだと聞かされる度に,いつもそう思う.
これまで何人?私が直接会ったことのある知人はいないが,10人以上,亡くなっている.
単に友人が多かったからだけだろうか.
彼女の娘がこの前死んだ.そして元夫も後を追うように死んだ.
私は彼女を励ますために,「俺は死なないから,少しは安心しろよ」と言おうと無意識に思ったが,完全な死亡フラグだったので,言うのを控えた.
私はまだ物心ついてから一度も葬式に出たことがない.4 歳のときに祖母の葬式にはいたらしいが,まったく記憶がない.いや,長時間の正座で足が痺れた記憶があるので,おそらくそのときのものだろう.しかしその記憶に悲しみは付随していない.人の死を悲むことのできる年齢でもなかったのだ.
数年前に買った礼服は結婚式でしか着ていない.しかし,私には年老いた親類もいるし,いつかは出ることになるに決まっている.2 年程前,祖母の弟が亡くなったが,これまでの人生で数える程しか会っていないし,祖母がいなければ親戚付き合いも切れているくらいの交流,しかも地元だったので,葬式にいく必要性を感じなかったし,その要求も家族からはなかった.私の親族の場合,葬儀出席の義務が生じるのは 3 親等以内のようだ.
死は徐々に,もしくは突然,しかし必ずやってくるものだということは承知しているつもりだ.少なくとも自分自身の死については 10 代のころにたくさん考察したと思う.
結局行きついた結論は,仏教的なものだった.ただ,来たる死をそのまま受けいれるべき.しかし,自らの生きたいという本能に無理に逆らうべきでもない,不安になる必要もない.必然は偶然,しかし偶然もまた必然.この先起こることは,運命であると同時に,自分の行動の結果でもある.死後の世界などあっても良いしなくても良い.あればあったでどうするかはそのときに考えればよいし,なければ,それについて悩む必要もない.ただ,いつ死んだとしても,その瞬間をもし意識できたならば笑ってそれを受けいれられるような人間になりたい,とは思ってきた.それが後悔のない人生というものだと.
彼女がうちひしがれているのは,理解できる.自分と関わりの深い人間が自分より先に,それもまだまだ若いうちに死ぬのは実際に感じたことがなくても堪えるに決まっている.今の私が彼女に言えることは,ごくごく当たり前のことしか言えない.
- こういうときに悲しく,つらいのはあたりまえだということ.
- こうなったのは誰のせいでもない,ということ.
- それでも生きていかなくちゃいけないこと.人生を全うしなければならないこと.
所詮生き残っている側のロジックだが,私は,死んだ人間の人生を,生き残った人間は背負って生きていくものだと考えている.彼等がやり残したこと,彼らの価値観,彼等の想い.全部ではなくても,一部を自分の人生に反映させていく.知的生命体にはその義務があると考えている.個体では時間に限りあるが,遺伝子のみではもはや時空を越えた存在になれない生物になってしまった我々にとって,その必要性を感じるのは自然なことだと思う.
死んだ人間は彼,彼女と関わりがあった自分が生きている限り,自分の中に存在する,と言い換えてもよい.遺伝子は,子孫を残せば時間を越えるが,そうでないものは,こういうやり方で時間を越えることが出来るのだと思う.
MacBook Air 11inch 特盛
入手して 2 ヶ月使ったのでまとめる.
MBA にした理由.
- 最初は Let'snote R かなあと思っていたのだが,Rシリーズはなんかジャケットとかいってあやしい方向に向かってるし,USキーボードないし,液晶微妙だし,ブ厚いし,値段が高いしで,結局 Macbook Air にしてしまった.
- Windows じゃないと困るのは PowerPoint くらいだったので,Office for 2011 Mac はマトモという評判だけで Mac にすることを決めた.
初期導入時や 2 ヶ月間使ってみた感想.
- Windows XP on VaioZ からの移行が思ったよりも簡単でビビった.
- Mac を日常的に使うのはこれが初めてだが,世の中の沢山のブログの記事に大変助けられた.ありがとうございます.
- Mac のデザインは本当に洗練されてる.MagSafe コネクタとか秀逸.
- ジェスチャーできるタッチパッドがとても便利.スクロールが楽.
- VaioZ に比べて CPU 遅ぇ.まあここはバッテリ持ちや熱とのトレードオフだから妥協できる.
- VaioZ に比べて画面狭い.贅沢な気がするがもう少し高精細なのが欲しい.
- Expose とワークスペース便利.
- SSD は高速.しかし慣れるとそれが当たり前になり,とくに感動はなくなる.しかしもう戻れない.戻りたくない.
Windows --> Mac 移行メモ.
Firefox
プロファイルフォルダをコピーしてくるだけでほとんど動いた.
/Applications/Firefox.app/Contents/MacOS/firefox-bin -ProfileManager
でプロファイルを設定すれば OK.プロファイルフォルダの名前を変えてもいいし,
~/Library/Application\ Support/Firefox/profiles.ini
を書き換えてもいい.
手持ちの Add-on では,KeySnail だけは設定ファイルの場所がプロファイルと独立してたから,手動でインストール&設定しなおした.
VM
Windows では VMware Player を使っていたのだが,Parallels for Mac を導入して,vmx ファイルを開いたら,コンバートしますか?と聞かれて一発変換.メシウマ.
ディスクファイル(vmdk) を 2GB 毎に分割しているとコンバートに失敗するので,VMware player 側で新規ディスクを作ってデータをコピーして...とやったので実時間は意外とかかった.あとは VM 側のネットワーク回りの設定を修正したらネットワークも繋った.Good!
Cygwin Xorg が使いづらくて仕方なかったので NoMachine の NXserver を使っていたのだが,Mac では X11 がまともなので,そのまま ssh -X で繋いで使うことにした.
Office
Microsoft Office 2011 for Mac を導入.
Office 2007 PowerPoint で作った既存のファイルを開いてみたが,ざっと見る限りフォントのズレなどは見当らない.もっと使ってみないと分からないが,とりあえず大丈夫そうだ.配布時は PDF にすればいいのであまり気にもしないだろうが...
Word はまず使わないし,Excel もごくたまにしか使わない (グラフ描画は Gnuplot 派なので) ので,そちらは気にしない.
導入ソフトウェア
文書作成
- Microsoft Office 2011 for Mac
- 大人の嗜み,と誰かが言ってた.
開発
マルチメディア
- VLC
- Video 再生.
ツール
設定,便利系
- AquaSKK
- SKK がないと生きていけない.
- SIMBL/Visor
- Ctrl-~ でターミナルが出る.さっとなにかしたいとき用.でも iterm 使っちゃう.
- KeyRemap4MacBook
- キーリピートを高速化するため.
- OnyX
- ログのクリーンなどで重宝しそう.
- SecondBar
- セカンダリディスプレイにもメニューバーを表示.
- TrashMe
- アプリ削除.
- AppCleaner
- アプリ削除.TrashMe とどっちが良いのかよく分からん.
- StartupSoundPrefPane
- 起動音を消す.必須.
- Growl
- 通知フレームワーク.必須.
- Google Crowl
- Google の新着を Growl に.
- Air Display
- iStat Pro
- ダッシュボードにリソース状況を表示.メニューバーに常駐するソフトの方がよさげだが有料なのであとで検討.--> 検討しなかった.ダッシュボードでいいや.
Firefox
とりあえず拡張リスト.ほとんどがそのまま Windows 時代からの移行.
- GreaseMonkey -AutoPagerize と LDRize しか主に使ってないが,Google 検索時に重宝.
- KeySnail -キーボードショートカット.ないと生きていけない.
- Better GReader -Google reader のカスタマイズ.
- Downloaded Status Bar - ダウンロード Window が出ずにすっきり.
- Extended Status Bar - ステータスバーにいろいろ情報を出す.
- FireGestures - マウスジェスチャー.ノート PC だと,キーボードショートカット多用するのであまり出番なし.
- FlashBlock - Flash 君,君は勝手に動作してはいけない.負荷高すぎるから.
- Hatena Bookmark - 公式のやつ.Ctrl-Shift-B は重宝.
- It's All Text - 使えるか,と思ったが,KeySnail の MacSet プラグインがあれば,ブラウザ上での編集でも特に困らないのだった.
- Read It Later - はてブの [later] タグと同じ.どちらかというと iPhone でとっさに記録したいときに使う.
- ScrapBook - ネットが使えないもしくは遅い環境にいることが最近は少ないのであまり出番がない.供えあれば憂いなし?マニュアルサイトの類いとか.
- SQLite Optimizer - データベースの compaction と reindex をしてくれる.しかし,そもそもデータをたくさん持ってるだけで重くなるので,履歴はガンガン消す or 残さないのが心の健康にも良い.
- XUL Migemo - 辞書つきインクリメンタルサーチ.
- Zotero -文献管理.ACM などからクリック一発で文献情報を取り込んでくれて Bibtex 吐けるのは便利.
- Tree 型 Tab - タブを開きまくる病気にかかる,定期的な人力でのガベコレすべし.
- BarTab - 起動時復元された大量のタブを実際にはクリックするまで読み込まない.必須.
チューン必須.CPU が非力なのと,SSD は速いといっても書き込みしまくるとモタつくため.
- about:config 設定
- browser.cache.disk.enable = false
- browser.cache.disk.capacity = 0
- browser.cache.memory.enable = true
- browser.cache.memory.capacity = -1
- browser.cache.offline.enable = false
- browser.cache.offline.capacity = 0
Macports について.
Gentoo の emerge みたいなパッケージ管理システム.
とりあえず入れてみたが,UNIX 系のソフトウェアは,VM 上の Debian Linux 上で使えばよいと思ってしまうのであまり Mac 上でやる気がおきない...
キーボードショートカットについて
ctrl-space (C-SPC).
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- Spotlight のショートカットは キーボード設定で Option+Space に変更.
- Firefox だと,デフォルトで contextmenu (右クリックででるアレ) になってしまうので,Emacs 派にとっては忌むべき挙動だが,KeySnail の set-mac plugin を使って解決.環境設定 --> コンテンツ --> Javascript 詳細 --> コンテキストメニューの無効化または変更を許可 を有効にしないと動かないので注意.これにはハマった.
参考サイト.
いっぱいありすぎて,整理するのを先のばししてるうちに履歴が消えて情報が失なわれてしまった.「macbook air 初期設定」「macbook air ソフトウェア」などでググると上の方に出てくるやつを片っぱしから読んだ.30 エントリくらいに目を通したような気がする.
2011年の目標
- 健康を維持したまま痩せる
- ブログをたくさん書く
- 仕事以外でもプログラムを書く
NEO 日本語 -英語を日本語の一部として取り込む未来予想-
楽天が英語公用語化するという記事を最初に見たのは 2ch のニュー速だった.これまで数年間,「避けられない英語による日本語の侵略」に関連する話題に触れる度に,日本語の出版物は今後どんどん減っていき,日本語を使わない日本人が生まれてくるかも知れないという,文化を植民地支配されるという危機感もあり,日本人として悲しい気持ちになり,日本人がグローバルに活躍すると同時にこれまで日本人が培ってきた文化教養と共にあった日本語が生き残る道はないものか,とずっと思っていた.
確かに,専門書や論文は英語の方が最先端で,質が高いものが多く存在し,英語なしでは生きていけない.だが,それ以外で英語を使う機会は,おれにはほぼなかった.日本語を使えない人とのコミュニケーションのために仕方なく使っていたという言い方の方が正しい.国際会議に独りで参加したこともあるが,英語ネイティブの早口はさっぱり聞き取れなかった.おれは日本語ネイティブだ.理解が難しくない内容であれば英語よりも日本語の方が 5 〜 10 倍は速く読めるし,頭が疲れない.専門以外のことであれば,教養生活政治経済云々などは日本語と翻訳で事足りる.単に,あるテーマに関わる人口の問題なのだと思う.日本人が 10 億人いたら,情報の取得に関しては専門分野でも日本語で困らないと思う.もちろん英語が公用語である限りは最先端よりは少し遅れるが.その英語を翻訳してくれる人々がある程度いるかどうかなのであると思う.
件のニュースに関するブログ記事をいくつか読んでいたら,唐突に「NEO 日本語」というキーワードが思い浮かんだ.去年おれが一部の人に NEO ニートと呼ばれていたことと関係あるのだろうか,ということはどうでもよい.将来の日本語は,英語が日本語の中に自然に埋めこまれて使われるようになる,ということだ.希望の持てる未来予想だ.
みなさんは,日本語で書いているんだけど,専門用語で使っている英単語に該当する日本の単語が思いつかなかったり,調べてみてもしっくりこなかったり,そのままカタカナにするのもなんか情報が失なわれるような気がして,アルファベットのまま文章に埋めこんでしまった経験はないだろうか.おれはたくさんある.NEO 日本語とは,日本語の中にごく自然に英単語が埋めこまれたものを指す.
日本人は,漢字を輸入し,カタカナやひらがなを発明した.英語は縦書き文化と相性が悪いため,対応する漢字やカタカナの単語を作ってごまかしてきた.しかし,縦書きさえあきらめれば,ごく自然に英語を混ぜることに抵抗はあまりない.そして,インターネットで流通する日本語はほとんど横書きである.もちろん埋めこまれた英単語や英文の意味が相手に伝わらなければ意味がないが,日本語だけでも伝わらない単語や文はいくらでもあるので,違いはない.つまり,英語の文法を一通り理解して,分からない単語があっても,辞書を引けばなんとか意味が通じる,という前提が日本人の間に出来れば,NEO 日本語が使われることに何の問題もない.そして,なにより重要なのは,残念なことに日本語を使えない人とコミュニケーションをしなくてはならなくなったときは,NEO 日本語の一部である英語のみを使えばよいだけの話である.簡単でしょ?
他の言語をよく知らないので,本などで知った俄知識によると,日本語は情緒や感性の表現という点において,とても優れているらしい.自分の体験から一例を挙げる.おれは擬音語が大好きだ.これを多用する人は頭が悪いと良く言われるが,少ない道具で意味が伝わるのだから,大変便利である.とくに正確性よりも,なんとなくの感覚を理解して欲しいときには絶大な威力を発揮する.さらに,表意文字と表音文字が絶妙なバランスで合体している言語は他にない気がする.これは,書き言葉において,主に意味を伝える前者と,区切りとして使う後者の実に良い組み合わせなのである.日本語で文章を書いているときに,ひらがなが多すぎても分かりにくいし,漢字が多すぎてもすんなり入ってこないときがある.そのようなときは,わざと重要でないところを一部ひらがなで書いて解釈しやすいようにバランスさせる.日本語を便利だと思い,使う人がいる限り,日本語は死滅しない.英語を取り込んで日本語の一部にしてしまう器の大きさがあってもよかろう.
英語コンプレックスというものがどうもあるらしい.英語をまったく使わなくても生活できているくせに,どこで洗脳されるのかよく分かっていないが,おれも英語を道具として使うようになるまではそのようなコンプレックスがあったように思う.おれは大学4年生になるまで,英語の必要性を真には感じなかったのだ.本当だ.学生時代に英語を勉強する気にならなかったのも仕方がない.今日,NEO 日本語という概念を思いついて,そのようなコンプレックスは完全に過去のものとなった.
NEO 日本語が使われるようになった日本では,英語コンプレックスはもはやなく,英語を使うことに抵抗のない日本人がいるだけである.そのとき,それはもはや NEO 日本語でなく,ただの「日本語」である.それこそが,目指すべきグローバル化なのではなかろうか.
半匿名は楽だ.
実名のブログを立ち上げた.
大事なことは,自分のモチベーションを自分でコントロールすることだ.
そして,自分が向かいたいと思う方向に向かっていくために,自分に規律を課すことだ.
思うだけでは実現しない.そのためにほんの一歩だけ行動することが大事なんだ.
ひとつずつ,行動する
ひとつずつ,実現する.
あんなに嫌いだった努力をいつの間にかするようになっている.
ちっとも嫌じゃない.
努力がつらく,苦しいものだなんて,誰が言ったんだろう?
どうして,そんなことを子供に教えるようになってしまったんだろう?
自分が本当に望めば,同じことでもつらくない.
そのためには,出来るだけ早く,自己同一性を確立することだ.
自分が何者であるか,
自分は何が好きで,何が嫌いなのか.
自分と世界のどこに境界があるのか.
試練と失敗が必要だ.
適切な試練を与えなければならない.
適切な失敗をさせなければならない.
それは神のみぞ出来ることだとちっぽけないち存在の自分としては諦めざると得ない.
それを運命と呼ぶ.偶然と呼ぶ.ある人は必然と呼ぶ.
自分が何者であるか分かった,という境地になることができれば,
自分を表現することが怖くなくなる.むしろ快感になる.
いや,それだけでは足りない.適切なスキルが必要だ.
言語を使いこなす必要がある.コミュンケーションの道具を自分の意思である程度操れるようになる必要がある.
最初にすべき教育は言語教育だ.
表現する,表現させる.
理解する,理解させる.
共感する,共感させる.
考える,考えさせる.
すげーイっちゃってる.これが駄文というものか.
妄想の世界は,底も天井もない.
出口もない.